spine
jacket

───────────────────────


駒沢の生活史

駒沢こもれびプロジェクト




───────────────────────





















駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。

駒沢の生活史


第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
    みたいな話があったみたい

第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
    人生のあと残った時間を費やすっていうのが

第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
    駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)

第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
    そのとき初めて、ものすごい実感した

第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
    みたいな(笑)

第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから

第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
    そこをちゃんと見極めてたのは偉いと

第10話 どうなんですかね?
     結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです

第11話 まかない食い放題!
     生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
     じゃあ、○円くださいって言って(笑)

第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
     親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか

第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
     ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない

第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね

第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
     それが「あなたが社長ですから、
     これ、サインしてください」って、突然

第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど

第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね

第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね


第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
     お客さんって、すごいなとずっと思ってた

第21話 朝来た瞬間から、
     自分でやりたいことを自己決定していくっていう

第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)

第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
     「なんかあんまり」って思ってたけど


第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
     あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ

第26話 仕事してるとき、
     自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)

第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな

第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから

第29話 塾すら近所だからさ、
     全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの


第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
     私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
     「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
     プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう

第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
     けど、それ以来ずっとこの界隈で

第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
     駒沢でオープン

第35話 山梨の人は東京に出ると
     中央線沿線に住む人が多いんですけど、
     高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて

第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
     頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
     大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
     落ちたけど、コーヒーは飲みます

第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
     声かけられて、そういうのなんか憧れるよね

第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは

第43話 …どっからか来てるのかな。
     常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね

第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
     後ろから人生を逆算してるから

第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
     いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)

第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
     そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです

第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
     あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
     おっしゃって。「どうしよう」って(笑)

第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)

第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
     ことが尊いともあんまり思ってないんですけど

第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね

第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
     本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
     過ごしています

第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)


















まかない食い放題!
生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

話し手 50代男性
聞き手  川上修生


 なんでも儲かったけどね、昭和の時代はね。うーん。昭和っていい時代だったのよ。1985年までは。中曽根首相になるまでは。その話をしたいなぁ。いいの? その話で。

 ——もちろんです。

 うん。やっぱりどこでこうなっちゃったかっていうね。だからその昭和期の、頑張ればこう…独り立ちできるとか、儲かるっていうのも我々世代だと知ってるのよ。俺なんかとくに知ってんの。そういうね、おばさんおじさんね。まわりの番頭さんを見てるから。うん…それがね…うん。

 ——なるほど。

 そういうね、だから世の中もね、やっぱ明るかったし、やっぱり……うん、助け合ってたよね、気持ち的にね。「俺もここまで独り立ちしたから、お前も頑張れよ」と。なんかそういうね、相乗効果があったんだけど。

 ——はいはいはい。

 うーん、俺、斜めから見るタイプだからあれなんだけど。いまはね、やっぱり人をね、蹴落とさないと、座席数が少ないから。絶対的な椅子の数が少ないから。もう足引っ張って引きずり下ろさないとその椅子に座れないのよ。独り立ちという椅子にね。

 なんならその椅子に座ったら、あとはこうその椅子を取りに来る奴らをもうもう蹴落とさなきゃいけない、みたいな。うん、もう嫌な言い方しちゃうとそういうのもあるのよ。

 ——言わんとしてることはよくわかります。

 表面上は良くなったよ。なんかこうね、うん、「24時間テレビです」とか「助け合いましょう」とか、うん。弱者救済とかあるけど、内面がどうかなっつうのあんのよ。うーん。

 ——その辺もじゃあ、やっぱりその幼少期のご経験というか。

 そうそうそう。

——周りのご家族含めて、見てきた光景? 風景? とのギャップで、余計にそう思うっていうことですね。

 うん。あの頃は…やっぱりそうだよね…。それを取り戻したいのよ。あの…昭和40年代から50年代前半のね。あの感じをね。日本のね。ええ。

俺、自分で言うのもなんだけど、きっちりやってたから

 ——なんか、そのときに思い浮かぶ光景というか風景とかってありますか? 取り戻したいって言ったときに。

 心なんだよね。心と、やっぱ、あと政治というかね。うーん、だからまあまあまあ、国会議員、総理大臣とかもそうだし。あのー、企業のトップもそうだし、官僚もそうなんだけど。変わっちゃったんだよね。「変えさせられた」っていうのが正解なんだけど。

 ——なるほど。

 ねぇ…。そこはちょっとじゃあ置いときましょう。ちょっとまた、ちょっと外れて陰謀論に入ってっちゃうんで(笑)。また別の、別の機会にね。

 ——裏トークとして(笑)。

 そっちはそっちで大事なんだけど。うん、そこがでも根っこではあるんだけど。なかなか…。

 ——話が繋がってるのはよくわかります。そんな風に思い始めたのは、いつぐらいからというか。

 ああ、分岐点はね、15年前にこの家業を継いでここに来たんですよ。15年前に。そこからだよね。

 ——なるほどなるほど。

 それまではやっぱり俺も…この社会の荒波というか…の中でもがき苦しんでたからね。だからわかんのよ。

 ——なるほど。

 わかるんですよ、そのー、同調圧力とか、社会の中での自分の立ち位置との、そのせめぎ合いというか。

 ——うんうんうん。

 うん…あとは結構ブラック労働みたいな。いやいや、やっぱ飲食業だったんでね。うん、寝るか働いてるかの、うん。長時間労働。単なる長時間労働じゃなくて、内容も濃い忙しい長時間労働だからね。

 「料理の鉄人」を見ちゃって、うん。じゃあ料理屋でもね、飲み屋でもやりたいな、なんて思いながら。脱サラしてね。うん。エリートサラリーマンを3年で辞めて。

 ——そうだったんですか。

 うん、そうそう。そうなんですよ。エリートサラリーマンを辞めて。飲食に入って。ブラック労働まで経験するというね。でも結果を出さなきゃというね、見えない圧力ね。うん。「いや結果出さねえと」っていう見えない圧力の中、働いたね。

 ——じゃあ学校を出られてエリートサラリーマンさん? で、その後に飲食業をやって?

 そうそうそうそう。(飲食業は)一〇年ちょっとだよね。四〇までやったんでね。そう、ここに来たのが四〇歳。

 ——なるほどなるほど。

 それから一五年で、いま五十五ね。

 ——割とその、わかりやすい節目ですね。

 そうそうそうそう。そうなのそうなの。うん、節目としては。

 ——そうだったんですか。飲食業はどちらで?

 最初1発目はね、やっぱりね、いきなり個人経営みたいのは無理だから、大きな居酒屋グループで。

 ——居酒屋チェーンですか。

 これがまた厳しいんだ。いやでも当時は給料良かったよ。本当に。

 ——良さそうですよね。なんかちらっと聞いたりしますけど。

 すっごい良かった…大変だったけど。で、店も(どんどん新しく)オープンオープンだから。オープンして、オープンヘルプっつうのも行ったしね。そう、精鋭が集められんの。オープンヘルプって。新店だから。

 ——失敗できないですもんね。軌道に乗せるために。

 そうそうそう。新店だから。そういうの呼ばれたりして行ってね。こう、もう朝から晩まで。新店はきついのよ。で、幹部みたいなのが来るから。

 ——はいはいはい。

 幹部みたいなの来るのよ。うん。部長・課長・係長っていうのが幹部なんだけど。

 ——見てるわけですね。しっかりと。

 小指ねえの、小指。

 ——(笑)

 一人、あれなんつったかな…。だから小指ねえの。いやだからそんなような感じ。だから怖いよ! おっかないんだよ! ぜんぜん、ぶん殴りとかもあったから。

 いやこうなんつうの、なんか気合入ってなかったり、変な態度とってるやつとかは。いやまぁ、多少水商売もあるからね。周りからもなんかこう…あったりもするから。小指がない人もいたのよ。

 ——(笑)幹部で。

 幹部で幹部で。うん。そうだな。本当に、いやでもいい経験だった。きつかったけど。

 ——きっと大変だったでしょうね。

 うーん、すげえ大変。いや、いい加減にやれば、もうちょっと違うんだけど、きっちりやってたからね。俺、自分で言うのもなんだけど、きっちりやってたから。

 ——なんか伝わってきます。

 要領よく、なんかもう抜いて、適当にやってる人たちもいるのよ。社員でもね。

 ——はいはいはいはい。

 きっちりやってたから。うーん。

 ——そうですね。それなんか伝わってきます。独立されたんでしたっけ? 居酒屋チェーンで働かれたあと?

 あー、その後ね、やっぱちょっと頭打ちなんで。ノウハウそこで得た後に、ちょっとこう板前系のね。

 ——おー、はいはい。

 はい、板前系のそっちの技術を学ぶという意味で、ちょっとステップアップしてったのよ。(居酒屋チェーンだと)料理的な腕が、いまひとつ学べないということで。どんどんどんどん、こうステップアップしてた、店をね。

握りじゃないんだよ! 握りじゃないの! 握りじゃない、鉄火巻き

 最終的には、築地の仲買人の人がやってるお店に行ったから。あそこは食材がね、マグロ屋さんと近海物っていうのが合体したオーナーの店だったんで、マグロもね、生の本マグロ来んのよ。

 ——ほー。冷凍してないってことですよね。

 うまいのよ! これが! いま、大間のマグロとかあるじゃん? くんのよ。まかないで、いちばんうまいとこ食っちゃうの。

 ——ハハハ(笑)。

 食い放題食い放題! まかない食い放題! うん、生マグロのね、本マグロはほんと美味しいの。

 ——いやぁもう、お顔で伝わってきます! いやもう。

 いや、本当にうまいの! いや、で、外落ちって言って。皮の方のところも、こうやってこうやって、スプーンでこう、きゅきゅきゅってして。中落ちつって、中骨も送ってくんのよ。それをスプーンでこう取って、こうタッパー入れといて。

 ——うわー! たまりませんね。

 そう。だから大トロっていっても、こういうじゃばらのとこもあれば、カマの近くのサッシの入ったところもあるし。

 そう、でも赤身が好きなんだよな。天パって言って、こう4等分にこう下ろすと、こう三角形になんの、山みたいな、マグロって。ほら、なるでしょ。上を跳ねるのよ。そこのね、赤身がうまいの! 赤身が好きなの。

 ——うまそう…ただもんじゃないですね。

 で、究極のマグロの食べ方は鉄火巻き。

 ——おー。

 海苔もいい海苔ね。いい海苔と、酢飯とマグロとわさびのハーモニー。

 ——たまりませんね(笑)。

 握りじゃないんだよ! 握りじゃないの! 握りじゃない、鉄火巻き。

 ——なるほど。

 うん、とろたくでもいいよ。たくあんとか入れたり。ちょっとアレンジもしていいんだけど、でも海苔があった方がいいの。

 ——香りが鼻に最初について。

 そう、海苔があった方がうまいの。それ最近ぜんぜん食べてないのよ。

 ——それまで食べてたんですか?

 もうばっくばっく食ってた。

 ——ハハハ(笑)。

 いやほんとね、あれでマグロのうまさを知ったのよ。

 ——それだけでも働く意欲が。

 あ、いや、ぜんぜん、ぜんぜんもう! 今日なに食おうかなとか。うん。

 ——普段食べれないですよね。

 食べれない! 食べれない! そのマグロは…ほんと高級店に行かないと出ないの。意外に、意外にちょっとした高級店とか有名店でも、なかなかマグロって良いの使ってないのよ。

 ——なるほど。

 うん。なかなか。

 ——あ、そこまで(のレベルのマグロに)いかないというか。

 そうそうそう、また上客じゃないと出てこないしね。

 ——やっぱりちょっと特別なというか。

 そう、そうなの。

 ——いいところは自分たちのまわりでというか。

 うん。だから、美味しい寿司を食べる法則ってのがあって。高級店とか有名店に行くんじゃなくて、馴染みの店を持てと。

 ——はいはいはい。

 うん。馴染みの店を持てと。っていう理論をいま押し付けてんの。

 ——なるほど。確かにそっちの方が、仲良くなれば、一見さんには出てこないものというか、それ以上のサービスを出してあげたいなって…。

 そうそうそう。(いまの仕事でも)ほらちょっと調子悪かったら、ね、無料でちょっと直してあげたりもすんだけど。いきなり来てさ! 他で買ったもの持ってきて、ああでもないこうでもないってやついるのよ! ちょっと話が戻るけど(笑)。そこが日本が衰退した理由なんだけど。

 他のお店、ネットで買っといて、「無料で直してください」とか、ありえないようなこと言う人が多いのよ。それが悪いとか、相手に対して失礼とかっていう感覚がないんだよね。相手に対する、だからその、さっきも言ったけど、わびさび的なね、うん。

 ——はいはいはい。

 うん。でもあれだったら言い方とか対応とかあるから、「すいません。他で買ったんですけども…」とかさ。

 ——一言ってことですね。

 そうですそうです。そういうなんかね、そういうのがないんだよね。うん、もうなんか愚痴ばっかになっちゃうんだけど(笑)。

そうそうそう。「うんっ! ちょっ! すいませーんっっ!」って

 なんか、自分がちゃんとそうしてんのかっていうのもあるんだけど、俺はでも、そうしようとは思ってるから。そういうね、そういうときは、うん。

 ——そうですよね。

 あんのよ、そういうのがね。

 ——すごい、マグロから急にそちらの方に(笑)。

 そう! マグロの理論もこの…同じ商売だから。同じ商売だから。そうそうそうそう。いきなり来てね、「いちばんうまいとこのマグロ食わせろ」とかさ。

 ——言えないですね(笑)。

 しかも「できるだけ安く!」みたいなさ。そういう部分のさ…。

 ——とてもわかりやすい例えでした。あぁ、いやでも面白いですね。板前のご経験と完全にいまも根っこのところっていうか、ずっと繋がってて。

 うん、もちろん商売ですから、イコールですよ。ええ。あとこう相対だからね。お客さんとの。

 ——はいはいはいはい。

 イコールですよ、ほんとにね。いやほんとにそうだよな…。

 ——そのマグロの鉄火巻のこと話されてるときのお顔、お写真で撮らせていただきたいぐらい(笑)。

 いまでも鉄火巻きを自分でつくって食べたいもの。

 ——自分で。手で巻くしぐさが(笑)。

 そう、マキスでね、マキスでこう四角く巻くのがね、こう、もう、うん、シャリもこう伸ばしてね。こう伸ばして置いて、こう。

 ——いやそれもう、それは文字で表現できないのがちょっと残念なぐらい。

 挿し絵、挿し絵ないの?(笑)。挿し絵、書けないの?(笑)

 ——(挿し絵については)なにも聞いてないです(笑)。でも、もしそういう話が出れば、私はその鉄火巻きを巻いてるところを(笑)。

 そうですか。いやいいんですよ。だからね…。

 ——じゃあその板前さんやられた後に…こちら?

 そうそうそうそう。やっぱりね、あとその板前ってほんと重労働なのよ。

 ——あ、そこでも、やっぱり。

 で、若いときって、歳を取る概念がないんだよね。

 ——はいはいはい。

 いつまでも若いというよりかは、あんまりその、歳を取って気力体力が落ちるっていう、その感じがない。

 ——リアルに実感できない。

 うん。で、やってると、これ当時40ぐらいね、40手前ぐらいのときに「50、60になって同じようにできんのかな」ってね。

 ——なるほど。

 ま、できるんだろうけど。なんて思ってたときに、やっぱ親父も高齢化してね。「店どうしようか」みたいな感じだったから。

 ——なるほど。

 そう。いやでも、こう店に戻ってきて、あの視野とか思考が広がったよね。戻ったね。うん、マインドが…もう戻った。

 ——それまではやっぱ、相当お忙しかったし。

 忙しいね忙しいね。追われてたね。うん、もう明日の仕込みとか。ああ、食材管理とかもうずっと考えてたから。朝行ってあれやって、うん、あれやりながらこれやってみたいな。うん。

——およそ20年。

 そう。もう頭の中でやること組み立てて。もう書いてる暇もないのよ。うんうん。これやってこれやってって書いた方がいいんだけど、その時間すら惜しまれるから。

 で、ほら、火にかけて時間かかるものは火にかけながら、こっちで仕込みして、みたいな。その最後、一緒に全部出来上がるっていうのをこう組み立ててやるから、料理ってね。並行してできるものはどんどん火にかけてかけてって、やって。

 ——オーダーはどんどん入るし。

 そうそうそう。オーダーもそう、オーダーもね。そう、1個1個完成してじゃなくて、並行してオーダーもやんなきゃいけないから。なんならホールがやられてたらちょっと出て、こうちょっと接客しながら。で、洗いもんがやられてたら洗いもんもやってみたいな。うん。やってたね。

 ——「すいません、まだですか?」とかもあるわけですよね。

 そうそうそう。「うんっ!ちょっ!すいませーんっっ!」って、忙しさアピールだよ。

 ——ハハハハハ(笑)。

 「いや、うんっちょっ!すいませーんっっ!」みたいなね(笑)。いや、うん、ちゃんとやってますよ! みたいな(笑)。

 ——本物のやつですね(笑)。いやもう、いまのも挿し絵にしたいような(笑)。

 そうですよ(笑)。

 ——もうここが厨房に見えます(笑)。

 そうそう、もうね、全部やんなきゃいけない。全部やらなきゃ。だから目を光らしといてね。うん、やられてるとこがあるかないかって。

 でももう何人もいないのよ。ホール一人、中一人みたいなね。でも見ながら、頃合い見ながら。やっぱりやられちゃうところが出てくるんで。うん。

 ——そうかそうか。そうですよね。

 それはまたちょっと話が飛ぶけど、戦国時代の合戦をイメージして。やっぱこの左翼が押し込まれたらそっちをもう返してみたいな。中央突破してきたらそこを押し返してみたいな。うん、でも精神的な余裕もないといけないから、ちょっと休めるときは休んで回復させてみたいな。

 ——はいはいはい。

 その塩梅。ぶちっと切れないようにね。気持ちが切れないように。切れたらもう終わっちゃうんで切れないように、こう押し返して、戻して、いやもうもう、この繰り返し。

 ——もう大将、軍師みたいな感じですね。

 そうね。うんそうなの。合戦よ。

なんか、それで疲弊しちゃうんだよね。限界点が来るからやっぱり

 ——どこもかしこも順調なわけないですもんね。

 そうです。そうそうそう。

 ——とても、もうなんとなく、すごい視野が広いなっていう風に思ってたんですけど、そういうとこもやっぱりあるわけですね。

 そうですよ。うんうん。だから周りで俺以外に働いてる人の顔色も見ながらね。顔色も見ながら、「お前ちょっと休め」と。もう縦横無尽に俺が働いて。回復したら「よし戻れ」みたいな。本当にね。

 ——そのときはやっぱりリーダー的なポジションといいますか。

 そうね、最後ね。最後ね、最後。かといってフラットなのよ、その店。

 ——いいですね。

 よくないの。やっぱピラミッドでやんないとあれなんだけど。若いのもいたし、あのお姉さんみたいなのもいたんだけど。で、そのオーナーみたいなのが「フラットでやろうや」と。

 ——オーナーがそういうタイプだったんですね。

 フラットっていうのが、いちばん良くないの。その飲食業で。

 ——なるほど。

 おもいっくそ働くやつと、なんもしねえやつが生まれちゃうの。フラットって。だから俺が一人でやってたのよ。

 ——大変だ(笑)。

 フラットって危ないのよ。「みんなでやろうぜ」って言葉はいいんだけど。

 ——なるほど。

 かと言って、じゃあ仕切ってやり出すとその人間関係が崩壊するから。うーん。そういうの全部やっちゃうタイプなのよ。一人でやる、やりたいの俺。うん。

 ——はいはいはい。

 上杉謙信タイプなのよ。

 ——なるほど。

 一人なのよ。トップダウンで一人しかいないの、彼は。上杉謙信。だから若かり頃、家臣と揉めて、あの出奔って言って、(家臣が)もう俺は辞めるつっていなくなっちゃったりしたんだけど。その気持ちもわかんだけど。

 全部パッと見て、上杉謙信は全部、指示出しすんのよ。だからそんなに大きな(組織)、無理なのよ。あの織田信長みたいに、柴田勝家軍団とか秀吉軍団とか明智光秀軍団みたいなのはできないのよ。自分で、自分軍団だけで働くから。

 ——自分の目が届くとこだけで。

 そうそうそうそうそう。そうなんですよ。そういう意味で謙信タイプ。謙信タイプなので、ある意味人を使えないタイプなんで。

 ——そういうことですか。なるほどなるほど。

 人を使えない。だからサラリーマンも無理だし。いまここに来て一人で、ほぼ一人でね。お袋とか親父とかいるけど。で、水を得た魚になったわけですよ。

 ——なるほどなるほど。

 一人社会実験で。うん。だから、うん、もう2店舗3店舗にしようとか、社員を入れようとかそんなんじゃないの。もう一人でこうやってやるのが好きなのよ。

 ——なるほど。板前時代は、でも、まわりの人の分もやっちゃうからしんどかったし。

 うん。やんねえ奴いんのよ。で、(しょうがないから自分が)やりだすと「はい、それあんたの仕事ね」みたいになんのよ。

 ——わかる気がします(笑)。

 だからみんな触らないのよ。

 ——はいはいはいはい。

 それ、自分のものになっちゃうからっていう。そうそうそうそう。でも店を回したいからさ。うん。「おめえやんねえんなら俺がやる!」みたいになっちゃうのよ。うん。ねぇ。

 ——いやわかりやすい例えで。

 なんかそれで疲弊しちゃうんだよね。限界点が来るからやっぱり。体力でも気持ちでも限界点来るのよ。やっぱりね。うんそこだよね。

 ——頑張りすぎちゃう。

 なんかそういうと、嫌なやつばっかだと思われちゃうとあれだけど…でもそうでもないんだけど、まあまあでも難しいよね。難しいとこだよね。

 ——仕事の中ですもんね。

 難しいとこなのよ。いろんな人がいる、いろんな思いを持ってる人がいるから。

 ——なんかめちゃくちゃ思い出されてるようなお顔されてますね。

 そうだね。うん。うんうん、思い出してんのよ、いまね。うん、あったなと思って。いまがこの平和なだけにね。うーん、いまが平和なだけに。うんいや、当時きつかったなっていうのがあってね。

 まあ、だな。そうだよな…。もっとみんながみんなけっこう楽に生活できると思うんだよねー。できてたのよ。まあまあ、それがちょっと陰謀論になっちゃうからあれなんだけど。

 ——昔が良かったみたいなとこに繋がるわけですよね。みんなが普通の商売やって、ちゃんと暮らせて。家も建ててとか。

 そうです。そう。そういうことです。そうなの。単なる「良かったな」じゃなくって、明らかに変わっちゃってんのよね。だからその単なるそういうあれじゃなくて。この間も言ったかもしんないけど、俺、地図見んの好きなのよ、古い地図。

 ——私も好きです、結構。はい。

 そうするとやっぱ昭和のときって、至るところに社宅が建ってたのよ。そこにだって社宅があったし。でっかい社宅があったり。なんなら建築のなんとか組って聞いたことないような、そういう建物とかも。銀行系とか生命会社系はもう至るとこにあったけど。

 ——多かったんですね。

変わりようもね、変わりようも。うん

 多い。いや多い。社宅は多かった。だって社宅に入れば、そんないきなりさ、もう四〇年ローンでさ、マンション買わなくてもいいんじゃん。四〇年ローンで。

 ——ちょっとずつ貯めて。

 うーん、あれはけっこうプレッシャーになってると思うのよ。そんな四〇年でローンを組んじゃった人は。イコール四〇年働かなきゃなんないってことでしょ。その企業で。

 ——そういうことですね。

 うん、だから、そういうわけなんですよ。だから社宅がどんどん潰されちゃて。

 ——はいはいはい。

 それは言ったら、1997年の金融ビッグバンなんだけど。うん、なんか、ポコポコ社宅を全部売って。で、民間のマンションになっちゃって。「いやマンション買え」と。三〇年ローン四〇年ローンで。それで社畜になっちゃったのよ、みんな。

 ——うーん、そういうことですね。

 またそれがさ、いいことだとされてさ、「いや俺は独り立ちしてマンション買いました!」みたいな「若くしてマンション買ってます!」みたいなさ。「はい、家庭持ってマンション買ってます!」っていう。

 確かに幸せなのよ、俺それ否定しないのよ。ぜんぜん否定しないんだけど。ぜんぜん否定しない、それでいいんだ、それでいいんだとは思うんだけど…。

 ——はいはいはい。

 ちょっと考えれば、昔は社宅があって、ね、社宅に入ってなんなら退職金のときにどうしようかな? みたいなね。実家の家を建て替えるか、とかさ。あ、でも自分の子供と二世帯住宅にするか、とかさ。それがいま、いきなりやっぱマンションが乗っかってくるもん。みんなけっこう買ってるもんね、このへんの人ね。

 ——そうですか。

 やっぱりポコポコ立ってるしね。

 ——逆に言うと、買わざるを得ないっていうことですよね? 社宅もなくなったし。

 そうそうそうそう。そういうね、やっぱそういうね、言ったら大企業的なとこに入った人たちがね。

 ——社宅がこの辺り多かったけど、なくなってるのにも、そういった背景っていうか、それで変わってるってことですよね。

 そうです。もう社宅だらけよ、本当。うーん、なんかいま改革とか言って、新しいことやろうとしてるけど、昭和のあのときに戻したいのよ。うん、できる限りね。

 ——あのときっていうのは…その…。

 1985年以前にね。中曽根政権以前に戻したいのよ。

 ——なるほど。その辺が節目。

 うん、そこからガラッと変わったのよ。

 ——おいくつだったんですか?

 ん? 十六だから、高1高2ぐらい。そのへん。うん、簡単に言えば、(節目は)たぶんそれよりちょっと先だけど。国鉄がJRになったときから。

 ——ああ。

 あれも、あれぐらいから世の中が変わった。

 ——その辺はたぶん私が生まれたときぐらい。

 若いね!

 ——いやいやいや(笑)。

 だからその国鉄がJRになったときから変わったし。それ以前はストライキもあったし、デモもあったのよ。うん、デモって、みんな提灯ぶら下げて、夜歩くのが。あれ境目になくなったの。

 ——へー。この辺りでもあったんですか?

 来たよ! 俺、世田谷通りに住んでたんだけど、そこに「なんとか反対!」みたいな。

 ——あんまりいまじゃイメージつかない。

 うん。デモ行進みたいなのがあったのよ。たぶんそれ(警察に)申請して、何時から何時みたいな。夜、提灯みたいの持って、大人たちがゾロゾロ歩いてたのは見たのよ。子供の頃はね。

 ——へえー。

 あと、中学生だった1985年以前までは、ほら、5月1日メーデーっていうのがあって。

 ——はいはいはい、そうですね。いまでも。

 その日は学校があるから渋谷行くと、もうヘルメット被って、サングラスした左寄りの人たちがたくさんいて。で、バスに金網がついてる機動隊とかがいたもん。やってたの、5月1日に。

 ——はいはいはい。

 それも1985年を境になくなったのよ。

 ——じゃ、高校生になって、それこそ渋谷に行かれてる途中ぐらいから。

 なくなったんだよ。ない。なくなったの。ストもなくなったし。私鉄国鉄JRのストもなくなったの。

 ——へえー。いやでも、本当、渋谷に通われてたからこそできた経験みたいなところありますよね。

 そうなんです、そう。メーデーはそうなの。びっくりした。本当に。中1のときは。5月1日だけ、わっさわさしてて、人が。うん。機動隊もいて。

 ——ただならぬ雰囲気が。

 そうそうそうそう。

 ——中学校も渋谷だったんですね。じゃあ割と長い間ここから渋谷まで通われてた?

 そうそうそうそう。渋谷がね、あのー、ソウルタウンなの。渋谷のあれもあるのよ。

 ——聞きたいですね。

 変わりようもね、変わりようも。うん。

 ——ぜんぜん話していただいて大丈夫です。

 うんうん、それはまた今度にしましょうか。渋谷も色々そういうのあってね。

 街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
 「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
 
 「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。

 まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。

 メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
 結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。

 話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
 話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
 音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。

 届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
 もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
 最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。

 併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
 本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
 挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。

 ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
 オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。

 私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
 そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。

 ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
 他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。

 私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
 駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。

西村佳哲(2025年7月31日)

駒沢の生活史[11話]

2025年11月11日 発行 初版

発行:駒沢こもれびプロジェクト

「今日の駒沢」
https://comorevi.com/

bb_B_00181363
bcck: http://bccks.jp/bcck/00181363/info
user: http://bccks.jp/user/154390
format:#002t

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

jacket