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縁側。
虹ヲはこの空間が好きだ。
夏の縁側で昼寝をするのが好きだ。
日向ぼっこをするのが好きだ。
この場所に風鈴の涼しい音色が流れてきて、その音色とともに心に優しい風が流れていく時間が好きだ。
哀しみの色をしたような灰色の雲が夏空に流れ始めても、北からの風がその灰色をゆっくりと消し去って、また新しい青が空に現れるその瞬間が好きだ。
休日の夏の午後に虹ヲがこの場所でぼうっとして体を横に伸ばしたりすると、猫の虹はそんな彼の姿を真似たりもして、その黄色い背を気持ちよさそうにいつも伸ばしている。
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秋が近づく九月。
天気のよい日の午後に縁側に腰掛けて顔を上げると、爽やかな空の景色が虹ヲが見ようするその広さだけ、どこまでも彼の前に広がっていく。
そして、顔を上げたその先には、いつも季節が移ろう美しい色を見せてくれる。
とくに九月のこの季節に流れる雲たちが、その爽やかな白い色で夏の余韻を残した空の濃い青の色に、ゆっくりと流れては色をつけていく光景が虹ヲは好きだ。
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夜。
今はまだ秋ではないが、秋を予感させる夜風がさらりと吹く。
縁側。
畳敷きの部屋の外側に設けられた板張りの通路。
歩くたびにきしきしと楽しそうに音を鳴らすその通路に、虹ヲが庭の草木を眺めながら腰掛けている。そして、ぼんやりと夜の静けさを感じている。
その時間に漂う空気はなにもない無色のようなものなのだけれど、どこか煌めいていて、それは心をとても柔らかくさせるものだ。
「縁側はなんや知らんけど、よう落ち着くなあ」
虹ヲが脚をぶらりとさせると、その浴衣から開(はだ)けた彼の素肌に空からぽつりと落ちてきた、最初の小さな雨粒が弾ける。
するとその最初の雨粒に続いていくようにして、夜空から無数の雨粒たちが夜風に流されるようにして虹ヲのもとにやってくると、すぐに小雨模様となった。
虹ヲの傍に虹コがいつの間にか彼の右隣に寄り添うようにして座っている。
虹ヲが愛するその彼女の名前は偶然にも虹ヲと同じ、虹の文字がつく虹コという。
少しして家のどこかから「びえーん」という奇妙な鳴き声が聞こえてくると、今度は黄色い猫が虹ヲに近寄ってくる。
そして、彼の左隣に虹コと同じように寄り添うようにしながら、その猫は座った。
この猫は野良猫で、虹ヲと虹コがある夜に二人で拾ってきた、まるで最初から家族であることを運命ずけられていたかのような、不思議な黄色い猫だ。
名を『虹』と名づけ、三人、いや、二人と一匹は一緒に一つ屋根の下で住み始めると、かけがえのない絆で繋がる家族となった。
「ええ時間やなあ。縁側おると、なんやこの湿った雨粒も気持ちがええなあ。おまえもそう思うかあ」
虹ヲが猫の虹にそう問いかけると、「びえーん」と猫の虹は「そう思うでえ」とでも言いたげな声で鳴いた。
「まるで、猫の毛えみたいな細やかな雨やな」
「虹ヲさん。それって、猫毛雨(ねこんけあめ)って呼ぶそうやん」
「そうなんかいな。よう知っとるなあ」
虹コが「そうでしょ」と少し自慢げな顔をする。
そして、猫の虹に愛しい眼差しを向けると、ふわふわとしたそのあたまを優しく撫でながら小さく微笑んだ。
「虹のあたまを撫でとったら、わたしまでもがなんや頭がふわふわしてきて、気持ちようなるわあ」
虹コがそう言うと、虹ヲが「ほんまかいな。そうかあ」と口を開けて笑い、虹コもつられて笑うと、それに参加するようにして「びえーん」という虹のその奇妙な鳴き声もまるで一緒に笑っているかのよう。
虹ヲは虹コのことを心から愛している。
虹コも同じように虹ヲのことを愛している。
「おまえが一番や」
毎夜、虹ヲは猫の虹を真ん中にして、二人と一匹で川の字になって布団で寝ると、虹コが寝静まった後に、そんなことを小さな声でよく囁くことがある。
そして「あんたが一番よ」と、まるでそう返事をしているかのような寝顔を虹コが虹ヲに見せると、寝たふりをしていた虹が「びえーん」と小さく囁くようにして、二人のことを見守るように鳴くのだ。
虹ヲと虹コの互いへの想いはずっとこれからも決して変わることはないものだ。
布団のなかでは猫の虹がいつも真ん中にいて、虹コがその柔らかな黄色の色の背中に顔を埋めると、虹はとても気持ちのよさそうな顔をしながら、虹ヲのおでこを「びえーん」という鳴き声とともに、とても愛情のこもった舌で舐める。
その舌のザラザラの感触は虹ヲの心をとても癒やすものだ。
束ねられた虹コの黒髪に寄りかかる猫の虹のしっぽはとてもよい香りがする。
「びえーん」と鳴く、虹の黄色の左の太ももに置いた虹ヲの右手。
その右手にはしっかりと重ねられた、虹コの左手。
重ねられたその三つ。
それは空に架かる三つの美しい虹のようだ。
夜になり、二人と一匹で川の字になって布団で寝ると、そこには必ず三本の希望の虹が現れる。
虹ヲはある事故に巻き込まれて、体の半分に酷い火傷を負ってしまった。
以前は街の女が皆振り向くほどの男前であったのだが、その半分はその美貌の面影など、もうどこにもこの世界にはなかった。
だが、彼は火傷を負った体のその左の半分のことを愛している。
以前の体に執着することは愛ではないからだ。
虹ヲは自分の体のことを愛している。今のこの体を慈しみ、大切にしているのだ。
虹コには虹ヲの半分ではなく、彼の美しいその姿の全部が見えている。
半分ではなく全部。
虹ヲはそのことを理解していて、口にはしないがそのことも虹コはわかっていて、二人の心はいつも通じ合っているのだ。
仕事に出掛ける前に、衣服を着ることさえ手こずる自身の体を健気に支えてくれる、そんな虹コのことを虹ヲは不憫に思うこともあった。
虹コに対してできることがあるならば、すべてをしてやりたいと虹ヲはそういつも思っている。
そんな気持ちを虹コもちゃんとわかっていた。
二人のそんな日常の傍をいつもうろうろとしている黄色い猫の虹。
虹は「びえーん」という、その奇妙な鳴き声とともに、虹ヲと虹コのことを見つめている。
愛しさ、優しさ、温かさ。
猫の虹はそんな綺麗な色をその瞳でそんな二人の姿を通して、いつもずっと見ているのだ。
縁側。
半野外のような不思議な空間。
半分は家で、半分は外。
その場所はなにかこの世界の場所ようで、この世界の場所ではないような場所。そんな特別な空間。
なにかこの世界のなかで、違うどこかの場所との境界線のような、そんな場所のようにも感じられる、この縁側という空間が虹ヲが好きなので、いつの間にか虹コも猫の虹も同じように好きになっていた。
三人、いや、二人と一匹にとってこの場所はお気に入りの場所であり、二人と一匹がこの場所で一緒にいると、半分は家で、半分は外であるこの空間が彼らだけの全部の世界となるのだ。
そこには彼らだけにしか見えない、そんな美しい世界が映し出されている。
日常には必ず幸福が溢れていることを感じさせる空間。
虹コがぼんやりと庭のほうを眺める。
夜の小さな雨で濡れた樹々はその身を湿らせながら、生きることをその全身で歓んでいるかのよう。
雨に濡れる葉に透明の澄んだ雫が流れていくと、優しく吹いた横風がその雫に夜にしか見せない深い緑の色を与えていく。
鮮やかなその緑の色は夜の闇に煌めいて、草花たちもその様子を見て嬉しそうにしている。
そんな些細な光景のすべては彼らにとって、生きることは素晴らしいものなのだと、そう伝えてくれているものなのだ。
幸せ。歓び。
少しずつ雨音が激しいものへと変わっていく。
「そろそろ家のなかに入ったほうがよさそうやな。明日は晴れるんかいなあ」
虹ヲが激しく雨が降り注ぐ夜空を見上げると「びえーん」と猫の虹が鳴いた。
「そやね。虹は晴れるって言うてるみたいよ」
「猫語がわかるんかいな」
「わたしはわかるねんで」
虹コがそう言って、にっこりと微笑んだ。
「そうかいな。ほな、もう少し虹の話を聞いてみよかあ」
虹ヲが猫の虹のその鳴き声に耳を澄ます。
「びえーん」
「相変わらず人が泣いてるような、それとも人を元気づけようと茶化してるかのような、ほんまにけったいな鳴き方しよんのお」
「びえーん」
猫の虹が虹ヲの太ももの上にやってくると、今度は虹ヲと虹コとの架け橋のようにして、その身を気持ちよさそうに伸ばしながら、虹コの太ももの上へとゆっくりと移動していく。
それから猫の虹は黄色のその身を丸くして、その瞳を気持ちよさそうにゆっくりと細めていく。
「なんや、あんた眠いんかいな?」
「びえーん」
虹コが口を開けて笑う。
そして、柔らかいその黄色の毛を撫でてやると、虹はとても気持ちがよさそうにしながら、また「びえーん」と鳴いた。
「なんて言うとる?」
「えっとねえ。明日はやっぱり晴れるみたいやねんて。ほんでね。予想が外れても文句は言わんとってなあって」
文句なんて言わへんぞといった顔をして、虹ヲが大笑いする。
虹コが微笑みながら言葉を続ける。
「それからこうも言うとるで。雨が上がったら、どこかで綺麗な虹がでているからねって」
虹ヲが大きく頷きながら、「その予想はきっと当たっとるなあ」と微笑んだ。
その微笑みは虹コと同じものである。
虹ヲはこんなことを言う虹コのことが好きだ。
虹コもこんなふうに話を聞いてくれる、そんな虹ヲのことが好きだ。
二人は互いを想い、心から愛し合っている。
猫の虹は今宵のこの縁側で、実のところ天候の話などではなく「びえーん」と何度も鳴いてはそんな二人のことを「愛している」と何度も言っていた。
翌日になると、夜の雨雲は嘘のようにどこかへと行き、気持ちのよい晴天となった。
澄んだ青の秋空に流れていく白くて大きな雲は、見る者の心を立たせ、「すべてには意味があり、いつも大丈夫だよ」と、そう伝えてくれているかのよう。
いつかのあの日のように、雲の隙間から光が差し込み始めたその日の朝の空には、三つの美しい七色の虹が架かっていたという。
2025年9月28日 発行 初版
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