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「音楽って、なんのためにあるの?」そんな問いを投げかけられたとき、あなたはどう答えるだろうか。ある人は「気分転換のため」と答えるかもしれないし、ある人は「とくに興味がない」とそっけなく返すかもしれない。しかし、私は音楽とはただの娯楽やBGMではないと考えている。心の深いところに触れ、人生の風景を変える力がある。本稿では、音楽をあまり聴かない人や、限られたジャンルにしか親しみがない人に向けて、音楽という存在の奥深さとその素晴らしさについて語ってみたい。
言葉では伝えきれない感情や想いを、音楽は音やリズムを通して表現する。悲しいときに胸を打つ旋律、嬉しいときに自然と口ずさみたくなるメロディー。私たちは、言葉にならない気持ちを音楽に「預ける」ことで、自分自身を癒し、整理し、前を向くことができる。ここで、三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBE(以下、三代目J Soul Brothers)を例に出してみる。たとえば『花火』という楽曲は、夏の夜に過ぎ去った恋を想う切ないバラードであり、聴く人の記憶や情景を鮮やかに呼び起こす。一方で、「ランニングマン」という振り付けで一世を風靡した三代目J Soul Brothersの楽曲で最も有名な『R.Y.U.S.E.I.』のようなアップテンポな曲は、気持ちを高め、心を躍らせる力を持っている。こうした幅の広い表現ができるのも、音楽という「感じる言葉」ならではの魅力である。
ロックしか聴かない人、J-POPだけを好む人、あるいはクラシックしか認めない人。音楽には多様なジャンルがあるが、それぞれが持つ良さは一面的ではない。たとえば、三代目J Soul Brothersの音楽は、J-POPの枠にありながら、EDMやR&Bなど、さまざまなジャンルを取り入れている。その結果、ひとつの楽曲の中に多様なエッセンスが凝縮されており、聴くたびに新しい発見がある。ジャンルで音楽を分けることは、理解の助けにはなるが、時に可能性を狭めてしまう。たとえば、ラップの中に哲学的な問いかけがあり、クラシックの中に感情の爆発があるように、どのジャンルにも思わぬ魅力が潜んでいる。三代目J Soul Brothersのように、型にとらわれず音楽を「自由に」表現するアーティストに触れることで、聴き手の視野も広がっていく。
あるメロディーを聴いた瞬間、昔の情景がぱっと蘇る。そんな経験はないだろうか。音楽には、記憶を呼び起こす不思議な力がある。たとえば、三代目J Soul Brothersの『君となら』という楽曲には、未来への希望や信頼、日常のぬくもりが込められており、聴くたびに大切な人との思い出がよみがえる。音楽と記憶は深く結びついており、それはまるで日記のように、感情をそのまま保存してくれているようでもある。音楽は、人と人をつなげる力も持っている。ライブ会場で知らない誰かと声を合わせたりSNSで同じ曲に感動している人とつながったり、音楽が架け橋となって人間関係が広がっていく。言葉が通じなくても、音があれば通じ合える。国境や世代を超えて、感情を共有できる。三代目J Soul Brothersのライブはまさにその「つながり」の象徴である。ステージと観客、ファン同士が一体となり、音と光とダンスが融合する空間には、言葉では説明できないほどの熱量がある。コロナ禍で一時中断されたライブ活動が再開されたとき、多くの人が涙を流した。それは、音楽がただの「音」ではなく、「共感」や「希望」を運ぶ存在であることを証明していた。
「音楽を聴く」とは、ただ耳に流すだけではない。それは、心を開くということ。自分の感性を研ぎ澄ませ、今ここにある音に集中する。忙しない日常の中で、自分だけの「静かな時間」を作ることでもある。また、音楽は聴けば聴くほど「耳が育つ」。初めは気づかなかった音色、歌詞の意味、作曲の意図などが、少しずつわかるようになる。そうして、自分自身の感性も深まっていく。音楽に正解はない。感じ方は自由で、その自由こそが、音楽の面白さなのだ。
三代目J Soul Brothersを例にとってもわかるように、音楽には「心を動かす
力」がある。悲しいときに寄り添い、嬉しいときには喜びを倍増させ、時に何も語らずともすべてを語ってくれる。音楽はまさに、人間にしか持ち得ない「感情」を表現する究極の手段なのかもしれない。
音楽は、特別な人だけのものではない。知識がなくても、うまく歌えなくても、誰でも「聴くこと」から始められる。そしてその瞬間から、音楽はあなたの人生に寄り添い、時に支え、時に背中を押してくれる存在になる。
もしあなたが、「最近音楽を聴いていないな」と感じているなら、ぜひ、何か一曲でも聴いてみてほしい。三代目J Soul Brothersでも、他のアーティストでもかまわない。心を開いて耳を傾ければ、きっと、あなたの中に何かが残るはずだ。そしてそれは、あなた自身の人生を少しだけ豊かにしてくれるだろう。
「邦ロック」とは、「日本のロックミュージック」を意味する略語です。しかし、その定義は明確に定まっているわけではありません。J-POP、オルタナティブ、パンク、エモ、ポップ・ロックなど、さまざまな要素を含みながらも、リスナーたちの中で「これは邦ロックだ」と感じられる音楽が、その枠組みを自然と形成してきました。特に2000年代以降、日本の音楽シーンには大きな変化がありました。それまでの「売れるための音楽」や「テレビに出るための音楽」とは一線を画し、ストリートやインディーズ出身のバンドたちが自分たちの信じる音楽を貫いた結果、彼らの音がリスナーの共感を得て、大きなムーブメントへと成長していきました。そのなかでも、ELLEGARDEN(エルレガーデン)は象徴的な存在です。2000年代前半、洋楽的なエモ・パンクのサウンドを日本語詞と融合させ、爆発的な人気を集めました。細美武士のエネルギッシュで感情のこもったボーカル、スピード感のあるサウンド、そしてライブでの熱量の高さは、多くの若者にとって〝音楽に目覚めた瞬間〟となりました。ELLEGARDENのように、海外のロックバンドに影響を受けながらも、日本語のリズムや情緒を大切にした表現が、邦ロックならではの個性を生み出しています。つまり邦ロックとは、「外から学びつつ、内から語る」日本独自のロックの姿とも言えるのです。
邦ロックのもう一つの魅力は、「歌詞」にあります。ただ音を奏でるだけではなく、「言葉」で聴いている人々の心を揺さぶること。これが、邦ロックが多くの共感を得ている理由の一つです。
RADWIMPS(ラッドウィンプス)は、その筆頭格ともいえるバンドです。彼らの歌詞は、まるで小説や詩のように、日常のなかの些細な感情や哲学的な問い、個人的な痛みなど普段表現するのが難しいことを繊細に描き出します。例えば、「ふたりごと一生に一度のワープver」という楽曲では、恋人への愛をまっすぐに、でも少し照れくさそうに綴っています。言葉遊びのようなフレーズと、飾らない語り口は、まるで手紙を読むような感覚をリスナーに与えます。一方、「有心論」では、人との距離感や不安、愛の裏返しといった複雑な感情が、静かで切実な旋律にのせて歌われています。
RADWIMPSの歌詞の多くは「僕」と「君」という語りで構成されており、誰もがその「僕」に自分を重ね、「君」に大切な人の顔を思い浮かべることができるような、普遍性を持っています。日本語という言語が持つ独特の間(ま)や余白を活かしながら、音としての響きも意識してつくられた歌詞は、英語詞主体の洋楽とは異なる深みを持っています。音楽を「聴く」のではなく、「読む」「感じる」「考える」ものとして捉えさせてくれるのがRADWIMPSの音楽です。
音源だけでは、邦ロックの真の魅力を語り尽くすことはできません。彼らの音楽は、ライブという生身の空間でこそ、最大限の力を発揮します。CDやサブスクで何度も聴いた楽曲が、ライブで聴くとまったく違って聞こえます。そんな経験をしたことがある人は多いはずです。私が初めてELLEGARDENを観たのは、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」でした。快晴の夏空、会場を包む湿気と芝生のにおい、早朝からの待機列。開演前のステージ周辺には、Tシャツ姿の観客たちがすでに熱気を放っていました。「Supernova」のイントロが鳴った瞬間、場内の空気が一変しました。音源では味わえない、生々しく鋭いギターの音、細美のシャウト、ドラムの鼓動のような響き。それらが体を突き抜け、観客のジャンプや叫びと混ざり合い、ステージと客席が一体となっていく感覚は、まさに「音楽に呑まれる」瞬間でした。ラストの「虹」で、ギターボーカルの細美が「ありがとう!」と叫んだとき、隣の知らない人と自然と肩を組んでいました。言葉がなくても、同じ空間で同じ音を浴びた者同士が共有できる一体感。フェスは、音楽の持つ力を身体で証明してくれる場所です。
年末に幕張メッセで開催される「COUNTDOWN JAPAN(CDJ)」で、RADWIMPSのステージを体験しました。冬の夜、寒さで震えながら会場に入ると、中は熱気でいっぱい。スクリーンには壮大な映像演出が映し出され、ステージには静かにバンドが登場します。「スパークル」から始まったセットリストは、まるで映画のような流れを持ち、「最大公約数」「会心の一撃」など、歌詞の世界観と照明・映像が完全にシンクロした演出に、観客は静まりかえりながら聴き入っていました。ライブというより、芸術作品を〝体験〟しているような感覚。RADWIMPSのライブは、感情の起伏がそのまま音楽になるような構成で、「言葉」「映像」「空気」のすべてがひとつになった時間でした。
邦ロックは、ただの音楽ジャンルではありません。それは「言葉にできない感情」を音にのせ共有し、時には代弁し、時には癒し、そして時には背中を押してくれる存在です。
ELLEGARDENやRADWIMPSをはじめとする多くのバンドが、決して社会の中心にいるわけではない若者たちの「モヤモヤ」や「怒り」や「切なさ」を、言葉にしてくれました。そしてそれが聴き手の「自分も、こう感じていいんだ」という肯定感につながっていきます。邦ロックは、未完成な感情や思考をそのまま音にすることで、多くの人の心に寄り添ってきたのです。
「音楽を知る」という行為は、ただ耳で音を聞くことではありません。それは、自分の感情や価値観と向き合うことでもあり、他人の生き方や痛みに寄り添うことでもあり、それを分かち合い共感することができます。邦ロックは、そんな「知る」ための入り口として、多くの若者に寄り添い、時代ごとに形を変えながら生き続けてきました。本稿を通してまだその魅力に触れていない人々の小さなきっかけになれば幸いです。
私たちは、日常的に音楽を「聴く」。メロディに心を奪われ、リズムに身体を傾け、感情を重ねる。その中で意識しているようでしていないのが「歌詞」だ。気づけば口ずさんでいるフレーズ。繰り返し流れるサビの一節。ふと心に響く一行。それらの言葉たちは音に載っているがゆえにどこか当たり前のように耳を通り抜けていく。
だがその「歌詞」を立ち止まって〝読む〟とき、私たちは思いがけず深い言葉に出会うことがある。言葉にならなかったような日常の感情を詩的な比喩、象徴によって掬い取った一節。語られないものを抱えた沈黙。言葉の余白に漂う曖昧さ。
このような歌詞の在り方は、もはや「文学」と呼べるのではないか。――そんな問いが本稿の出発点である。
近年の日本のロックバンド(以降邦ロック)が生み出す歌詞には、文学と呼ぶにふさわしい詩的要素が備わっている。たとえばMrs.GREEN APPLEの情緒的、哲学的な語り、RADWIMPSの抽象的で思索的な言葉の織りなし。それは単なる娯楽としての音楽にとどまらず、感情や世界の複雑さを言葉によって「語る」、いわば文学のようなものである。ただ、歌詞は散文とは異なる形式をとる。楽曲という制約のなかにあるため、字数も構成も自由ではない。しかし、まさにその制約があるからこそ言葉は凝縮され、詩的な意味を獲得する。歌詞は、時に一節に人を救うような力を持つ。この力から私たちは文学の一形態としての「歌詞」をみることができるのではないか。
本稿では、邦ロックの歌詞に焦点を当てながら、その文学的側面を探っていく。詩的表現とは何か。さらには、歌詞を「読む」ことが音楽体験にどう影響を与えるのかを考察していく。
邦ロック――いわゆる「日本のロックバンドによる音楽」は、メロディやサウンドだけでなく、その歌詞の独自性によっても多くのリスナーを惹きつけてきた。2000年代以降、J-POPとロックの境界線が曖昧になる中でバンドが書く歌詞は、より一層「個人の感情」や「社会とへの風刺、距離感」を率直に、あるいは抽象的に描くようになった。
邦ロックの歌詞の魅力の一つは、その詩的な表現の豊かさにある。日常の情景や感情を比喩的な表現であったり、時に実験的な言語で描くことによってリスナーに想像の余地を残す。
たとえば、ある楽曲では、自分の弱さを出しながらも、それを「情けなさ」としてではなく、人間らしさの一部として、肯定的に綴る。また、別の曲では、日常の何気ない風景を切り取り、そこに人生の哲学的な要素を織り込む。こうした多層的な表現は、邦ロックにおける魅力の一つであるといえるだろう。
邦ロックの歌詞には、「うれしい」「かなしい」といった、単純な感情だけでなく、曖昧で言語化しづらい心の揺れなどが繊細に描かれる。たとえば、「期待していた人に裏切られた時の感情」や、「何気ない会話の中に感じる喪失感」などである。これらは、短編小説や詩とも重なる部分がある。一語一句に感情のニュアンスが込められ、それが聴く人の心に刺さる。
邦ロックの歌詞は、詩のように比喩や象徴を多用する。たとえば、今はもういない過去の人を表現する際、「昔」という直接的な表現ではなく、「写真の中で息をしている」という比喩的な表現に置き換えて表現をしている。こうした表現は、理屈ではなく、感覚で伝える詩や短歌のような文学と同じ構造を持っている。
邦ロックの歌詞が多くの人の心を動かすのは、そこに〝自分の物語〟として重ねられる余白があるからだ。歌詞の中の「君」や「僕」は誰でもないし、誰でもある。聴く人によって「恋人との記憶」になったり、「自分の過去や未来」になったりする。つまり、一人ひとりの人生と共鳴する力を持っている。
これらの力により、聴き手は歌詞の意味を〝解釈〟しながら聴くという、受動的だけでなく、能動的な関わり方も自然にとることができるようになり、より自分の中で意味をかみ砕き、「自分の物語」として昇華することができる。
音楽における「歌詞」は、リズムやメロディとともに耳に残るものでありながら、そこに含まれる意味や言葉遣いは、まるで詩や短編小説のような深みを持つことがある。本稿では、特に詩的な構造を持つ邦ロックの歌詞を取り上げ、なぜそれらが文学とつながると言えるのかをMrs.GREEN APPLEとRADWIMPSの二つのバンドの歌詞を取り上げ、掘り下げていきたい。
Mrs.GREEN APPLEは2013年に結成した3人組バンドである。2023年、2024年と2年連続で日本レコード大賞を受賞した、勢いのあるバンドである。彼らの代表曲は『青と夏』や『ケセラセラ』など、前向きな曲が多く知られている。しかし、彼らの音楽は、明るくキャッチーなメロディとは裏腹に、内面の葛藤や人間の不完全さを繊細に描いている曲も多くある。特に若者の孤独や不安、人間の内面の闇などが鋭く描かれる。そのため、彼らの歌詞は、単なる応援歌ではなく、矛盾や痛みを受け入れる成熟した文学性を持っている。その代表的な例が『パブリック』である。
この曲は作者である大森元貴が16歳の時に手がけた一曲である。人間という生き物が心の内側に秘める光と闇、表裏一体である人間の二面性が生々しく描かれた風刺的な作品であり、人が心の内側にもつ愚かさや醜さに対する問題提起と、それらを持っていてこそ美しいと思える、人間という存在について書かれた名曲である。
知らぬ間に誰かを傷つけて
人は誰かの為に光となる
この丸い地球に群がって
人はなにかの為に闇にもなる(※1)
この一節には、善意と悪意、加害と被害の境界線が曖昧である、倫理の複雑さが描かれている。誰かをたすけたいという純粋な想いは、ある人にとっては心を照らす光となる。しかし、それと同時に別の誰かにとっては、痛みや苦しみの原因になってしまうこともある。そしてときには、自分にとって大切な人やモノを守るために、自らが傷つくことを選んだり、自分自身が闇を選ばざるを得なくなってしまうことさえある。たとえば、戦争。戦争は、自国を守るために戦うがその行動は、守るという行動をとるために誰かを傷つけるという、闇にもなってしまう。この世界ではそんな二面性をもった人間が地球上に群がって生きているという、人間の核を簡潔なフレーズとメロディにのせて描いている。また、「群がって」という言葉選びも印象的である。「集まって」などという言葉ではないことから、人間の生活を俯瞰しつつ、どこか動物的で集団的な行動を蔑んでいるような印象を与える。
このような主題は、詩や文学でもたびたび扱われるが『パブリック』はそれを抽象的で多義的な言葉で表現している。そこには、読む側に解釈の余白を与えており、その曖昧さこそが、特有の文学性を生んでいるにちがいない。
RADWIMPSは、ジャンルの枠にとらわれない音楽性や、思春期を過ごす世代を中心に共感できる歌詞が特徴のバンドであり、日本語の美しさを最大限に活用し、ことばの角度を変えて歌詞を綴る異端なバンドである。ここでは、2013年にリリースされた『ドリーマーズ・ハイ』をあげて文学的な面と照らし合わせていく。曲名の『ドリーマーズ・ハイ』とは、「ランナーズハイ」や「クライマーズハイ」などの言葉から意味をとった造語であると考える。「ランナーズハイ」とは、走っているうちに気分が高揚し、疲労感がなくなる、一時的な多幸感の状態である。この言葉のように、「ドリーマーズ・ハイ」は、夢を追いかける者に焦点をあて、夢を追いかけている状態は、夢がかなっていない状況であるため、苦しいが、どこかの地点で気持ちが楽になる瞬間があるといったような意味が表現されていると考える。
『ドリーマーズ・ハイ』の中でも、特に注目してほしい一節を抜き出して考察していく。
悲しさに優しさ足すと平和に
平和に痛みを足すと怒りに
怒りに温もりを足すと涙に
涙に涙を足すとカラカラに
その声に心を足すと言葉に
言葉に愛を足すとたちまちに
あぁ すべてを足して僕たちで
割れば世界に(※2)
このフレーズは、感情というものが決して単体で存在するモノではなく、常に他の感情や状況と交わり、かたちを変えながら次の感情へとつながっていくことを示している。たとえば、悲しみはそれ自体では重く沈んだものかもしれない。しかし、そこに誰かの優しさがそっと触れると、心の中に静かな平和が生まれる。反対に、どんなに平和、平穏であってもふとした痛みが加わることで、怒りに転じることもある。感情は常に動いていて、周囲の関わりや内面の揺れによって形を変えていく。
怒りにしても、冷たく突き放せばそこで終わるが、そこに人の温もりが添えられることで、溶けるように涙に変わることがある。涙もまた、一滴であれば、優しさの証であるのに、流し続ければ心は乾いてしまい、カラカラになるほど疲弊してしまうこともある。すなわち、この連鎖は、人の感情が一方向に流れるものではなく、出会いや出来事、他者との関わりの中で、複雑に変化していく「心の流れ」を表現している。
やがてそんな「カラカラ」な声に心が加わると、それはただの音ではなく、「言葉」になる。そして、その言葉に「愛」が宿った時、すべてはたちまちに変わり始める。「言葉」と「愛」が出会うことで、そこに「伝える」力、「届く」力が生まれるのだ。
最後の一行にある、「すべてを足して僕たちで割れば世界に」には、二つの意味が込められていると考える。一つは、こうした感情のやりとりが実際に現在の世界をまわしているという現実の描写である。人は誰しも悲しみや怒り、優しさを抱えて生きており、その感情や交錯こそが世界の成り立ちそのものだという冷静なまなざしである。
そしてもう一つは、すべての感情や経験を「僕たち」で分かち合い、支えあうことができたなら、もっと優しく、温かな世界を作ることができるのではないかという希望である。誰か一人の感情ではなく、僕たち全員の感情を持ち寄ってバラバラではなく、「割って」分かち合う。そうして初めて世界ははじめて成り立つ。この歌詞はそんな理想を俯瞰的な視点で提示してくれている。
感情の連鎖と、人と人とのつながり、それが痛みを含んだままでもなお、美しく優しい世界をつくる鍵であると私たちに問いかけている。
このような感情の変化はや人間の繊細さは、詩や文学でも繰り返し描かれてきた主題である、前半で述べた、『パブリック』それが抽象的で多義的な言葉で表現され、読む側に解釈の余白を与えることで、その曖昧さや不確かさの中に読み手が意味を見つけることで、特有の文学性が生まれていると述べた。
それに対して、『ドリーマーズ・ハイ』は、感情の因果関係を直接的に描き出している。この直接的な表現による、言葉のひとつひとつが連鎖し、最後に世界までたどりつくという流れは、ひとつの詩的構造でもあり、読む側のそれぞれの経験によって違った意味を帯びる余白を残している。
邦ロックの歌詞には、このような「語りえないもの」を語ろうとする姿勢が詩や文学に共通している。Mrs.GREEN APPLEのように人間の矛盾や内面の闇を詩的に書くもの、RADWIMPSのように、感情の因果を明快にたどることで、普遍的な人間の営みに触れるもの、それらはまさに音楽として表現される詩であり、文学として昇華されうる力をもっている。
歌詞は音楽の一部でありながら、単体でも私たちの心を強く揺さぶる力を持っている。その中でも、邦ロックの歌詞は、日常の感情や葛藤を詩的な言葉で描き、私たちの心にそっと語りかけてくる。
本章で扱ったように、Mrs.GREEN APPLEやRADWIMPSの歌詞は、聴くだけでは気づかないような奥行きや構造を秘めており、「読む」ことで初めてみえてくる世界がある。
そして、音楽と文学の間にあるこの曖昧な境界線こそが、私たちに新たな視点や感じ方を与えてくれるのではないだろうか。
音楽と言葉の交差点で、人は自分自身と向き合い、誰かの感情に触れる。
そんな音楽との触れ合いこそが音楽を〝読む〟ことの真の意味なのかもしれない。
参考文献
(※1)歌ネット「Mrs.GREEN APPLE パブリック 歌詞」より著作権法第32条による引用
https://www.uta-net.com/song/200303/
(※2)歌ネット「RADWIMPS ドリーマーズ・ハイ 歌詞」より著作権法第32条による引用
https://www.uta-net.com/song/143995/
だれでも生きているうちに辛いことがあったり、ストレスがたまったり、イライラしたりすることがあると思います。そんな状況を少しでも変えてくれる方法の一つが音楽です。歌詞によって元気づけられる、曲調や好きなアーティストによってなど、なにによって元気づけられるかは人それぞれだと思います。少しでも明るく元気な気持ちになりたいけど何を聞いたらいいのかわからない、他のジャンルの曲も知りたいという方に向けて今回の章では「歌詞」と「曲調」に分けて元気ソングを紹介していきます。ぜひ落ち込んだとき、疲れたとき、前を向きたいときに読んで聞いてみてください。
落ち込んだときや迷ったときに誰かの言葉によって救われることがあります。音楽の歌詞も、そんな言葉のひとつです。うまく言えない言葉を代弁してくれたり、そっと背中を押してくれたり、ふと耳に入った歌の歌詞が、自分の気持ちにはまって涙が出そうになったことはありませんか? 音楽は聞くだけのものではなくて、言葉がちゃんと心に届くものです。そんな〝歌詞の力〟で元気をくれる曲を紹介します。
◆ イチバンボシ / Snow Man ジャンル:J-POP
「たとえボロボロに泣いても/自分信じていくのさ/信じる事で強くなれるのだから/たとえ道に迷っても精一杯生きていく/日々を照らしてる 温もりがそばにあって/愛を持って 覚悟持った/僕は一人じゃない」(※1)
歌詞のこの部分は、自信をなくしていても、やることに不安があっても「自分を信じていこう」と全部を肯定してくれるような感じがします。自分の選んだ道がこれで合っているのか、大丈夫なのかと不安になるときにこの歌詞を聞くと、「迷ってもいい」「泣いてもいい」「前を向いて進めばいいんだ」と言われてるようで悩んでる気持ちが軽くなります。特に、就活とか新しい環境とか、未来がぼんやりしているときに聞くと効果的です。「覚悟持った/僕は一人じゃない」というひとことは、孤独を感じているときほど、誰かがそばにいると感じさせる言葉で救いになります。ただのポジティブソングではなくちゃんと弱さにも寄り添ってくれるからこそ、心の奥まで響く一曲です。
人間には気分が乗らない日も、理由なく落ち込む日もある、そんなとき言葉じゃなく〝音〟が元気をくれることがあります。前向きなメロディや軽やかなリズム、楽しそうな歌声に自然と心が動き出します。そんな聞くだけで気分が上がる、音の力を持った曲を紹介します。
◆ エナジーソング〜絶好調超!!!!〜 / 嵐 ジャンル:J-POP
この曲は、聞いた瞬間からテンションが上がる一曲です。明るく勢いのあるメロディが最高で、無理やりにでも前向きに引っ張ってくれるような力があります。特に、サビの爆発的な盛り上がりは、自然と身体がリズムに乗ってしまうほどで、ラスサビはさらにアップテンポになっています。曲全体がポジティブなエネルギーに満ちていて、「なんとかなる!」と笑って言えるような気分になれます。聞いてほしいおすすめのタイミングは、自分に自信をつけたい、自分を奮い立たせたいときです。まるで友達や家族が「大丈夫! 絶好調だよ!」と背中を叩いてくれるような、そんな勢いと温かさがある曲調で、ちょっと疲れたときの元気チャージにもおすすめしたい一曲です。
元気をくれるのは、支えになる歌詞だけではないし、明るく勢いのあるメロディだけでもありません。その両方が合わさったとき、音楽はとびきりのエネルギーになります。そんな言葉と音の力が相乗効果で心に響く〝最強に元気が出る曲〟を紹介します。
◆ ファイトソング / 嵐 ジャンル:J-POP
「人は人 自分は自分/比べた時点で負けてる/自分に負けない強さが/どんな壁をも壊していく」(※2)
この曲は、前向きなメッセージとアップテンポな曲調が合わさった、まさに〝元気ソング〟の王道です。「人は人 自分は自分/比べた時点で負けてる」というフレーズは、周りと比べて落ち込んでしまいがちなときに心に響きます。SNSなどで他人の成功が目に入りやすい現在、自分にしかできない生き方を信じることの大切さをまっすぐに伝えてくれる歌詞です。また「自分に負けない強さが/どんな壁をも壊していく」というフレーズは、自分を信じて進むことでどんな問題も乗り越えていけると背中を押してくれるような歌詞で、勇気づけられます。さらに、野球の応援歌のようなテンポの曲調が、聞いている人を応援しているようで、明るく前向きな気持ちに引き上げてくれます。落ち込んでいる時だけでなく、新しいことに挑戦しようとしているときにもぴったりな、応援歌のように自分を奮い立たせてくれる一曲です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。音楽には、言葉にならない気持ちを受け止めてくれたり、何も言わず背中を押してくれたりする力があります。落ち込んだとき、ストレスがたまったとき、前を向きたいときに、この章で出会った曲たちがあなたの心にそっと寄り添って〝小さな元気をもらう〟きっかけになれたら嬉しいです。これからも自分だけの〝元気ソング〟を見つけて明るい人生になりますように。
参考文献
(※1)歌ネット「Snow Manイチバンボシ 歌詞」より著作権法第32条による引用
https://www.uta-net.com/song/316568/
(※2)歌ネット「嵐 ファイトソング 歌詞」より著作権法第32条による引用
https://www.uta-net.com/song/54897/
2025年7月25日 発行 初版
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