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物語の「おもしろさ」とはなんだろう。
物語のおもしろさを説明するために引き合いに出されるのは、たいていその内容であることが多い。○○という人物が、○○をしたら、○○が起こって、とても感動した、といった具合だ。実際、ある物語が名作と呼ばれるには、その称号にふさわしい内容を伴っていなければならないだろう。
しかし、内容だけで名作は名作たりうるわけではない。ある内容をどのように「語る」のか、実はこれが重要なのだ。そのことをよく示している『知覚の扉』というエッセイの、ある文章を次に引用してみよう(※1)。
ズボンのあの襞――尽き果てぬほど深い意味を帯びた複雑さのまるで迷宮のような姿! そしてグレーのフラノの布地――なんと豊満で、なんと深く、その華麗さのなんと神秘なことか!
ここで著者のオルダス・ハクスリーが重要性を訴えているのは、ズボンの「襞」、つまり衣服の折り目やきざまれたしわの複雑さとその奥深さだ。可能ならば、いまあなたが身に着けている衣服のしわをみてみるといい。ハクスリーはそれを「迷宮」とよび、あまりの複雑さに打ちひしがれている。どうだろう、あなたは衣服のしわをみて、その複雑さに感嘆しただろうか。ハクスリーのごとき感動におそわれる人は、けっして多くはないだろう。彼の『知覚の扉』は幻覚剤メスカリンを服用したとき、世界がどのようにみえたかを記録したエッセイであるから、それもそのはずである。
けれど、ここで重要なのはズボンの襞という凡庸でありふれた「内容」が、ハクスリーの語りにかかれば「豊満」で「深く」、「華麗」な「神秘」を秘めた「迷宮」へとはやがわりしてしまったことだ。目でみたらどうということもない服のしわが、彼のそれっぽい文章を介すると価値があるものに思えてくる。ここに語りの絶大な威力がある。このエッセイがさまざまなニューエイジ運動の火付け役にもなったことからも、その影響は推して知るべしだろう。もしもハクスリーの語りがへたくそで「ズボンすごい!」なんてことしか書けなかったのなら、これほど評価はされなかったはずだ。
「内容」、すなわちありのままの事実と、それについての「語り」、すなわち説明の仕方は、きちんと区別をしなくてはならない。「語り」はよほど露骨でないと透明化していて意識を向けにくいため、どうしても「内容」へと目が向きがちになる。けれど、作品を形づくっているのは、実は「内容」以上に「語り」なのだ。
「物語論」という考え方がある。文学をはじめとする物語を分析するための方法のひとつで、前節で述べたような「語り」に着目するやり方だ。いくつかの呼び方があるが、物語論では内容を「ストーリー」と呼び、語りを「プロット」と呼ぶことが多い。「ストーリー」は実際におこった出来事で、「プロット」はそれをどのように説明するかを指している。そのため、「ストーリー」の在り方はひとつに限定されるが、「プロット」の在り方は無限に近い。「物語論」では「ストーリー」からは距離を置き、それがどのように説明されているのか、つまり「プロット」という構造がもたらす効果について分析するのだ。
ピーター・バリーによれば、「物語論」の目的は次のように説明される(※2)。
(1) 個々の物語のなかから、すべての物語に共通する構造を見つけ出す。
(2) 批評的関心を物語の内容よりも、語り手と語りに向ける。
(3) 主として短い物語の分析から得られたカテゴリーを拡張、洗練させ、長編小説の複雑性をも解説する。
(4) 伝統的批評に見られる登場人物と同期に注目する傾向を弱め、行為と構造を前景化させる。
(5) 少数の名作に見られる個性と独創性ではなく、物語全般に共通する類似性にこそ読みの快楽とおもしろさを見出す。
(1)と(3)では、「物語論」の持つ構造主義的な側面が現れている。物語とは、あるルールと有限の要素の組み合わせとしての構造のうちにつくられるものであり、逸脱することはない、という前提がそこにはある。マンガを想像してみてほしい。それがマンガである以上、「コマ割り」というルールは絶対的に守られなければならない。そして「努力・友情・勝利」的な要素を拡張し、より普遍的なものとした要素の組み合わせによって「ストーリー」はつくられるのだ、と彼らは考える。単純化を恐れなければ、ここでは「努力・友情・勝利」的な「ストーリー」が、「コマ割り」という「プロット」=構造によって構成されている物語がマンガなのだ、といえるだろう
次節では、具体的にどのような分析が可能なのか、実践例を紹介する。ただし、「物語論」をもちいた文学作品の分析はピーター・バリーが詳しいため、筆者から特にあらためていうことはない。文学の分析に関心があれば、彼の著作を参照するとよいだろう。次節では文学作品に限らず、ビデオゲームへこの分析方法を適用してみることにする。
近年、ゲームにおける物語はますます前景化し、その存在感を大きなものとしている。特に「ノベルゲーム」や「アドベンチャーゲーム」と呼ばれるジャンルでは、イラスト付きの小説とすら呼べるような様相を呈している。このような状況だからこそ、分析の対象は「ストーリー」に限定されがちだ。もちろん、ゲームを楽しむ分にはそれで全く問題はないのだが、しかし「プロット」にも注目するようになると、ゲームに特有の「プロット」が見えてくるのだ。文学やマンガ、アニメとは根本的に形式が違うのだから、当然「プロット」も全く異なるものであり、またそれゆえに物語の構造と見え方も特有のものとなる。そこではじめて、ゲームならではの物語が明らかになるだろう。ここから具体例へと入りたいのだが、このような分析の実践例は、かならずネタバレをともなってしまう。ここでは、なるべく具体的な例を避け、理論的な骨子のみに焦点をあてて紹介しよう。
東浩紀はキャラクター小説の分析の中で、その特異性を「ゲーム的リアリズム」に見出しながら、「メタ物語」性、すなわち「開かれた可能性」こそがこのリアリズムの特徴であると考えた。ゲームはセーブとロード、つまり「リセット」が可能であるという点に着目しながら、ある選択に常にほかの可能性がつきまっていると東は主張する。たとえば、美少女ゲームにおいてあるヒロインと恋仲になった後に、それをリセットしてほかのヒロインと恋仲になる、といった具合だ。そしてこのような「メタ性」すらも物語に取り込んでいくことが、「ゲーム的リアリズム」の可能性なのだと東は考える(※3)。
物語に「メタ性」を取り込むとは具体的にどのようなものなのだろうか。そのヒントとなるのが、足立加勇による『ひぐらしのなく頃に』の分析だ。彼によれば、『ひぐらしのなく頃に』の「プロット」は、プレイヤーを「編集者」として位置づけ、積極的なゲームへの関与を可能にさせているという。『ひぐらしのなく頃に解 祭囃し編』では「カケラ紡ぎ」と呼ばれる機能が解放され、これによってプレイヤーはゲームを「紡ぐ」ことになる。このときプレイヤーは鑑賞者としてではなく、「編集者」のように主体的にゲームへと参画することになるのだ。編集者という役割の付与と参画によって、プレイヤーは「ストーリー」に没入し、またゲームのメッセージの説得力は支えられている(※4)。つまり、ここではメタ性を積極的に活用し、自らがゲームであるということをあらわにしながら、むしろそのメタ性を「プロット」へと組み込んでいくのだ。
このような「メタ性」、システムの「プロット」への組み込みは、ゲームに特有な「プロット」の代表例のひとつだろう。このような「メタ性」は実はゲームの様々な場所に潜んでいる。たとえば、ゲームを遊んでいる最中、プレイヤーに会話の「選択肢」が提示されることがある。プレイヤーは任意にいずれかの選択肢をえらぶことができるが、実はこれもゲームに特有な「プロット」である。文学、アニメ、マンガではこのような機能は存在していない。これは、ゲームの「開かれた可能性」を示している。ある選択肢を選んだとき、選ばなかったほうの選択肢が気になって時間をまき戻したり、YouTubeなどに投稿された動画を確認したりすることもあるだろう。そこではプレイヤーという主体が想定されているからこそ、「選択肢」が提示され、積極的な参画を促しているのだ。
「メタ性」に着目し、「プロット」を意識しながらゲームをプレイするとき、そこでは普段と異なる顔をゲームはみせる。いたるところに「仕掛け」がほどこされ、プレイヤーへと「語り」かけていることに気付く。「メタ性」をそなえるゲームを、さらに「メタ」な視点から俯瞰すること、ここにゲームの構造を明らかにする「快楽」があるのだ。
コンテンツには多様な消費の形態がありうる。本章で紹介した「物語論」はあまり一般的ではない楽しみ方であるが、しかし独自の快楽があるのも事実だ。
ゲームを遊んだり、なにかしらのコンテンツに親しんだりすることは、ある支配的なルールのもとで制限されることでもある。プレイヤーはノベルゲームをアクションゲームのように遊ぶことはできない。本を読むとき、本に書かれていない文章を読むことはできない。娯楽に興じる瞬間、プレイヤーの行為はどのような構造によって制限されているのか、構造によってどんな感情を惹起するよう促されているのか、無意識のうちに受けいれている「語り」を可視化することは、構造の中にいる自己を客観視することでもあるのだ。
(※1)オルダス・ハクスリー著 河村錠一郎訳『知覚の扉』平凡社 (1995)
(※2)ピーター・バリー著 高橋和久監訳『文学理論講義:新しいスタンダート』ミネルヴァ書房 (2014)
(※3)東浩紀著 『ゲーム的リアリズムの誕生:動物化するポストモダン2』講談社 (2007)
(※4)足立加勇著 「視点が担うメッセージ―『ひぐらしのなく頃に』に見るノベルゲームの物語構成法―」(『アニメーション研究』日本アニメーション学会 (2011))
私はこれまで数多くのゲームをプレイしてきた。ノベルゲーム、RPG、アクション、ローグライク、レースゲームにカードゲーム……。沢山のジャンルのゲームに触って来た私だが、大抵のものはクリアした時点で満足してしまいそこでそのゲームに触れることはなくなってしまっていた。そんな私が一度クリアした上で同じストーリーをプレイし始める「周回プレイ」をするほどにハマった、JRPG(Japanese Role-Playing Game)の金字塔にして長い歴史を持つ「ペルソナ」シリーズを世界的ブランドへと押し上げた日本製ゲームの傑作『ペルソナ5 ザ・ロイヤル』(以後ペルソナ5R)についてその魅力を余すところなく紹介させていただく。
『ペルソナ5R』はジャンルとしてはRPGに分類されるコンシューマーゲームである。2015年に発売された『ペルソナ5』に多くの要素を追加した完全版として2019年に発売された。現在では、リマスター版が発売され、Nintendo Switch、PlayStation、Steam、Xboxなど様々な機種に対応しており非常に遊びやすくなっている。これを読んでいる方の中には、「『ペルソナ5』ということはペルソナ1〜4にあたる過去作品があるはずだが、まずはそちらをプレイする必要があるのではないか」と考える方もいるだろう。確かに、他のゲームシリーズであれば過去作からプレイすることが前提となっているものもあり、そう考えることは自然である。しかし『ペルソナ』シリーズはシリーズ全体で過去作との繋がりが稀薄であり、前作をプレイしておく必要がない。過去作の要素もないことはないのだが、調べなければそもそも見つからないようなものが多い上にゲームの進行や本編とは一切の関わりがない、いわゆる「小ネタ」であって過去作プレイヤーへの「ファンサービス」の枠に収まっているため過去作について気にする必要はない。実際に筆者である私の初めてのペルソナはこの『ペルソナ5R』だったが、最後まで過去作のことを気にすることなく楽しむことが出来たため安心して頂きたい。当ゲームの概要についての説明は以上だ。この先はゲームの内容について紹介していく。
本作品のストーリーは、主人公がある事情で東京の高校に転校するところから始まる。スマホにいつの間にかインストールされていた「イセカイナビ」という何度アンインストールしても復活する謎のアプリに違和感を感じながらも学校へ向かうと、そこにあったのは転校先の学校ではなく悪人の歪んだ心が具現化した異世界「パレス」だった。「パレス」に迷い込んだ主人公はそこで「ペルソナ」と呼ばれる特殊能力を発現することになり、その力と異世界を利用して悪人の歪んだ欲望を怪盗として盗み改心させる「心の怪盗団」といて活動していく……というのが本作のストーリーだ。本作はこの異世界と現実世界である東京を行き来しながら表(現実世界)では学生として、裏(異世界)では怪盗団として生活していくことになる。この日常と非日常のギャップが本作のストーリーの大きな魅力となっている。表では学生として日々の勉学に勤しみ、バイトでお金を稼ぎ、学友や身近な人々と交流する高校生らしく青春を謳歌していくストーリーが展開される一方、裏では「パレス」に潜入し悪行を暴き立て怪盗として欲望を盗み改心させ苦しむ人々を救うダークヒーローとしての非日常感満載のストーリーが展開される。パレスでは悪人の邪悪さが可視化されるため表とは真逆のブラックな面があり、この対照的な作りが非日常感を増幅させている。また本作に登場する悪人は、実績故に周囲の大人から守られている暴力教師や極めて強い権力を持ち殺人すらもみ消せる政治家など理不尽な存在ばかりであるため、彼らからもたらされるフラストレーションは凄まじい。だからこそそんな悪人を改心させた際のカタルシスは大きく、その点もストーリーの魅力となっている。
次にゲーム性について紹介させていただく。本作は怪盗団として「パレス」を攻略する異世界、バトルパートがゲームのメインとして据えられているのだが「パレス」を攻略するための事前準備は現実世界で行うこととなる。そこで重要になってくる要素として「コープ」という機能の存在がある。特殊な技能や権限を持つ人々と協力関係を結び交流し、友好度を上昇させることで「コープアビリティ」を取得できるようになる。「コープアビリティ」は「パレス」攻略において役立つものであり、怪盗団として活動する上で助けとなる存在である。また、特定の相手と絆を深めることで恋人になることも出来る。さらに複数の相手と恋人になることも可能であり、本作のヒロインは10人いるため好きなヒロインを選ぶことも最大10股をすることも可能である。そんな有用な「コープ」を深める上で必要になるのが主人公のパラメータである。「知識」「度胸」「器用さ」「優しさ」「魅力」の5つのパラメータが存在しこれらを高めることで初めて「コープ」を結べる相手もいるため非常に重要なポイントである。これらの能力は日々の授業やアルバイト、イベントに参加したり特定の施設を利用することで高めることができる。そのため、「パレス」攻略の前に学生としての生活を充実させる必要があるため本作をプレイすると、怪盗団よりも現実の方がゲーム性の中心にあるのではないかという考えも浮かぶほどに学生生活は疎かにできない要素である。
ここまで現実世界のゲーム性について語ってきたが、異世界側も要素が盛り沢山だ。「パレス」には謎解きを軸にしたギミックが数多く存在するのだが、その中には現実世界での行動で動く仕掛けもあるため異世界だけに囚われない発想が重要になる。加えて「パレス」には敵が徘徊しており、潜入する際には怪盗らしく物陰に潜みながら素早く移動し探索を進めることになるのだが、探索中に交戦状態に陥ることもある。そのため、戦うための力であるペルソナの育成は重要な要素である。ペルソナには先天的に保有しており戦闘中に恩恵をもたらす特性と、敵への攻撃手段、味方のサポート手段となる技がある。戦闘を行うことでレベルが上昇し新たな技を獲得できるほか、戦った相手を自分のペルソナとして自らの戦力に加えることができるため、ペルソナ育成に戦闘は欠かせないものである。またペルソナ同士を合体させることで、新たに強力なペルソナを作成することも育成要素として存在する。合体したペルソナは合体元の技や特性を引き継ぐため、自分だけのペルソナを作成可能で、育成の幅は非常に広いといえる。そしてこのゲーム独自の戦闘中の要素として、敵との交渉がある。戦闘中に敵を追い詰めると交渉を持ちかけられることがあり、応じると金銭や異世界で役立つアイテムの獲得または、敵を自らのペルソナに加えることも可能だ。前述の「コープアビリティ」にはこの交渉を有利に進めるためのアビリティもあると言えば、異世界での「コープ」の有用さがわかるだろう。
そして学生と怪盗、どちらの生活においても大切になってくるのがスケジュールシステムだろう。本作には日付の概念があり、一日に出来る行動の数が決まっている。前述の「コープ」を深めるための交流も「パレス」に潜入することも、施設を利用し主人公のパラメータを上昇させることもこの行動に含まれる。そのため一日一日の行動すべてがとても貴重であり、その日その日でできる事、やらなくてはならないことを考えながら日々を過ごすことが大切になってくる。限られた時間だからこそ青春は尊いのだということを、この作品を通して理解することができるだろう。
『ペルソナ5R』を語るうえで欠かせない魅力が、その「オシャレさ」だろう。本作のオシャレさはUIとBGMが根幹となっている。UIとはユーザーインターフェースという単語であり、ゲームでは狭義的にメニューや画面に出てくる数字など表示される情報のことを意味する。本作はこのUIへの力の入れ方が他のゲームと比較しても凄まじいものとなっており、かの『大乱闘スマッシュブラザーズ』を手掛けた桜井政博氏も自身の動画で絶賛するほどである。次にこのゲームのメニュー画面の画像を載せたので見ていただきたい。この赤白黒の三色をベースにしたメニュー画面の構造は一目で「オシャレだ」と思えるだろう。
機能性と「オシャレさ」、どちらをとっても一級品であると言えるだろう。また、BGMにも「オシャレさ」が凝縮されている。ゲームのBGMにしては珍しくボーカルが入っていることが本作のBGMの特徴だ。単なるBGMではなくまるで一つの歌を聞いたような満足感が味わえるだろう。楽曲の良さを文で語った所であまり良さが伝わらないと思われるため、下記にオススメ楽曲をまとめておくので聞いてみてほしい。ゲームに興味がないという人でも下記の三曲は是非とも聞いてみていただきたい。
・ゲーム開始直後に流れ、本作の楽曲人気投票でも一位に輝いた「life will change」
・敵に先制攻撃を決めた時に流れ、テンションを高めてくれる「Take Over」
・絶対に負けられない大一番で流れる一曲「Rivers In the Desert」
『ペルソナ5R』はゲーム性にストーリー、BGMにUIとすべてが高水準なJRPGの傑作である。ここまでの私の文章でその魅力が少しでも伝わってくれていたら幸いだ。その上で、もし興味がわいたのなら是非ともプレイしてみてほしい。新たなペルソナファンが生まれてきてくれることを願っている。
みなさんは、「推し」に相当する存在はいるでしょうか。「沼」なるコンテンツはあるでしょうか。「推し活」をしたことはあるでしょうか。そもそも、「推し」や「沼」とは何か知っていますか。
本稿では、はじめに「推し」や「沼」がどんなものか理解していただき、次に筆者の「推し」作品をピックアップして紹介したいと思います。
それでは、さっそく「推し」探しの旅へ出かけましょう。
みなさんは、「このコンテンツ、マジで『沼』だわ」「『推し』がてぇてぇ(※1)」などの会話をしたり、耳にしたりしたことがありますか。もしかしたらこの本を読んでいる方の中には、聞いたことはあるけどよく分からない、という方もいるかもしれませんが、ご心配には及びません。これから説明していくので、ご安心ください。
「推し」という言葉を、実用日本語表現辞典で検索してみると、「特定の人物やキャラクター、作品、商品などに対して、熱心な支持や愛情を示す行為やその対象を指す言葉」とあります(※2)。つまり、ただ「あの人はかわいいなぁ」「このキャラクターは格好良いなあ」と人物やキャラクターそのものに感動するだけでなく、アーティストであればCDやグッズ、アニメキャラクターであればキーホルダーやフィギュア……というような、彼らが提供するものをたくさん集めたいという気持ちにさせるような対象に「推し」という言葉は適用されるといえます。平たくいえば、熱狂的なファンが向ける信仰対象や、精神的な支え・憧れの対象のことを「推し」と呼ぶのです。
さきほどと同じく、実用日本語表現辞典で「沼」について検索すると、「『抜け出せない状況』を指す比喩として用いられてきた語である。ネットスラングの『沼』もこれに通底する表現といえる」とあります(※3)。つまり、サブカル的な要素の強い趣味での「沼」とは、簡単には抜け出せないほどそのジャンルに没頭し、金も時間もどっぷりとつぎこんでいる状態のことを指すといえます。
第1節で「推し」や「沼」がどういったものなのか、なんとなく掴めてきたころだと思います。第2節では、作者の浸かっている「沼」や傾倒している「推し」について述べていきます。
筆者が最初にハマった「沼」は何か? と聞かれて真っ先に挙げるのは、株式会社カプコンから発売されている『戦国BASARA』です。このゲームから歴史ジャンルに興味を持ったと言っても過言ではありません。
このゲームは、1作品目に関してはかれこれ20年も前の古いものになりますが、現在の高画質のコンシューマーゲームやスマホゲームにはない良さがあると個人的に感じています。本シリーズの魅力は、なんといっても設定がぶっ飛んでいるところです。例えば伊達政宗は雷をまとって六爪流(※4)で暴れまわり、本多忠勝はもはやロボットのような見た目で戦場を駆け回ります。このヘンテコさが、ほかの歴史ゲームでは味わえない楽しさだと思います。そんな『戦国BASARA』は2015年以降新作のナンバリングタイトルのゲームは出ていませんが、くじやガチャガチャなど現在も様々なグッズが展開され、コラボカフェの開催も定期的にあるので、筆者はこの沼から逃れることができずにいます。
せっかくなので、先ほどの項で説明した『戦国BASARA』の中での推しを紹介していこうと思います。筆者の推しは、ナンバリング的には3作目となる『戦国BASARA3』にて初登場した石田三成です。ビジュアルはかなり特徴的なので、一度検索してみることをオススメします。彼の魅力は、長刀でのスタイリッシュな居合アクションの美しさ、純粋過ぎたがゆえの精神面の脆さ、強い忠誠心など、枚挙に暇がないです。
『戦国BASARA3』は、ぶっ飛び具合が少し抑えられ、関ヶ原の戦いまでのストーリーを中心に展開していくのですが、ストーリーが激重過ぎて印象に残ること間違いなしです。そのため、バカゲーよりストーリーを楽しみたい人は、ぜひ『戦国BASARA3』の西軍側の石田三成でプレイしてみてください。
第1節では「推し」や「沼」について説明し、第2節では筆者のオススメを紹介しました。筆者のオススメは古い作品なので、ひょっとしたら入手困難となっているかもしれません。それでももしどこかで見つけた場合には、本稿の紹介を思い出してゲームを手に取ってプレイしていただけたらうれしいです。ゲームが気に入ったら、ぜひ漫画やアニメにも手を出してみてください。「推し」武将との出会いがあるかもしれません。
(※1)若い人たちの間やネット上でよく使われている、「尊い」を少し崩した言葉。「最高」や「萌え」などの感情が包含されている。
(※2)Weblio辞書 実用日本語表現辞典 「推し」(最終閲覧日:2025年5月23日)
https://www.weblio.jp/content/%E6%8E%A8%E3%81%97
(※3)Weblio辞書 実用日本語表現辞典 「沼」(最終閲覧日:2025年5月23日)
https://www.weblio.jp/content/%E6%B2%BC
(※4)右手に3本、左手に3本、刀を指の間に挟んで戦う政宗の自己流の戦い方。
私たちは、日常的に音楽を「聴く」。メロディに心を奪われ、リズムに身体を傾け、感情を重ねる。その中で意識しているようでしていないのが「歌詞」だ。気づけば口ずさんでいるフレーズ。繰り返し流れるサビの一節。ふと心に響く一行。それらの言葉たちは音に載っているがゆえにどこか当たり前のように耳を通り抜けていく。
だがその「歌詞」を立ち止まって〝読む〟とき、私たちは思いがけず深い言葉に出会うことがある。言葉にならなかったような日常の感情を詩的な比喩、象徴によって掬い取った一節。語られないものを抱えた沈黙。言葉の余白に漂う曖昧さ。
このような歌詞の在り方は、もはや「文学」と呼べるのではないか。――そんな問いが本稿の出発点である。
近年の日本のロックバンド(以降邦ロック)が生み出す歌詞には、文学と呼ぶにふさわしい詩的要素が備わっている。たとえばMrs.GREEN APPLEの情緒的、哲学的な語り、RADWIMPSの抽象的で思索的な言葉の織りなし。それは単なる娯楽としての音楽にとどまらず、感情や世界の複雑さを言葉によって「語る」、いわば文学のようなものである。ただ、歌詞は散文とは異なる形式をとる。楽曲という制約のなかにあるため、字数も構成も自由ではない。しかし、まさにその制約があるからこそ言葉は凝縮され、詩的な意味を獲得する。歌詞は、時に一節に人を救うような力を持つ。この力から私たちは文学の一形態としての「歌詞」をみることができるのではないか。
本稿では、邦ロックの歌詞に焦点を当てながら、その文学的側面を探っていく。詩的表現とは何か。さらには、歌詞を「読む」ことが音楽体験にどう影響を与えるのかを考察していく。
邦ロック――いわゆる「日本のロックバンドによる音楽」は、メロディやサウンドだけでなく、その歌詞の独自性によっても多くのリスナーを惹きつけてきた。2000年代以降、J-POPとロックの境界線が曖昧になる中でバンドが書く歌詞は、より一層「個人の感情」や「社会とへの風刺、距離感」を率直に、あるいは抽象的に描くようになった。
邦ロックの歌詞の魅力の一つは、その詩的な表現の豊かさにある。日常の情景や感情を比喩的な表現であったり、時に実験的な言語で描くことによってリスナーに想像の余地を残す。
たとえば、ある楽曲では、自分の弱さを出しながらも、それを「情けなさ」としてではなく、人間らしさの一部として、肯定的に綴る。また、別の曲では、日常の何気ない風景を切り取り、そこに人生の哲学的な要素を織り込む。こうした多層的な表現は、邦ロックにおける魅力の一つであるといえるだろう。
邦ロックの歌詞には、「うれしい」「かなしい」といった、単純な感情だけでなく、曖昧で言語化しづらい心の揺れなどが繊細に描かれる。たとえば、「期待していた人に裏切られた時の感情」や、「何気ない会話の中に感じる喪失感」などである。これらは、短編小説や詩とも重なる部分がある。一語一句に感情のニュアンスが込められ、それが聴く人の心に刺さる。
邦ロックの歌詞は、詩のように比喩や象徴を多用する。たとえば、今はもういない過去の人を表現する際、「昔」という直接的な表現ではなく、「写真の中で息をしている」という比喩的な表現に置き換えて表現をしている。こうした表現は、理屈ではなく、感覚で伝える詩や短歌のような文学と同じ構造を持っている。
邦ロックの歌詞が多くの人の心を動かすのは、そこに〝自分の物語〟として重ねられる余白があるからだ。歌詞の中の「君」や「僕」は誰でもないし、誰でもある。聴く人によって「恋人との記憶」になったり、「自分の過去や未来」になったりする。つまり、一人ひとりの人生と共鳴する力を持っている。
これらの力により、聴き手は歌詞の意味を〝解釈〟しながら聴くという、受動的だけでなく、能動的な関わり方も自然にとることができるようになり、より自分の中で意味をかみ砕き、「自分の物語」として昇華することができる。
音楽における「歌詞」は、リズムやメロディとともに耳に残るものでありながら、そこに含まれる意味や言葉遣いは、まるで詩や短編小説のような深みを持つことがある。本稿では、特に詩的な構造を持つ邦ロックの歌詞を取り上げ、なぜそれらが文学とつながると言えるのかをMrs.GREEN APPLEとRADWIMPSの二つのバンドの歌詞を取り上げ、掘り下げていきたい。
Mrs.GREEN APPLEは2013年に結成した3人組バンドである。2023年、2024年と2年連続で日本レコード大賞を受賞した、勢いのあるバンドである。彼らの代表曲は『青と夏』や『ケセラセラ』など、前向きな曲が多く知られている。しかし、彼らの音楽は、明るくキャッチーなメロディとは裏腹に、内面の葛藤や人間の不完全さを繊細に描いている曲も多くある。特に若者の孤独や不安、人間の内面の闇などが鋭く描かれる。そのため、彼らの歌詞は、単なる応援歌ではなく、矛盾や痛みを受け入れる成熟した文学性を持っている。その代表的な例が『パブリック』である。
この曲は作者である大森元貴が16歳の時に手がけた一曲である。人間という生き物が心の内側に秘める光と闇、表裏一体である人間の二面性が生々しく描かれた風刺的な作品であり、人が心の内側にもつ愚かさや醜さに対する問題提起と、それらを持っていてこそ美しいと思える、人間という存在について書かれた名曲である。
知らぬ間に誰かを傷つけて
人は誰かの為に光となる
この丸い地球に群がって
人はなにかの為に闇にもなる(※1)
この一節には、善意と悪意、加害と被害の境界線が曖昧である、倫理の複雑さが描かれている。誰かをたすけたいという純粋な想いは、ある人にとっては心を照らす光となる。しかし、それと同時に別の誰かにとっては、痛みや苦しみの原因になってしまうこともある。そしてときには、自分にとって大切な人やモノを守るために、自らが傷つくことを選んだり、自分自身が闇を選ばざるを得なくなってしまうことさえある。たとえば、戦争。戦争は、自国を守るために戦うがその行動は、守るという行動をとるために誰かを傷つけるという、闇にもなってしまう。この世界ではそんな二面性をもった人間が地球上に群がって生きているという、人間の核を簡潔なフレーズとメロディにのせて描いている。また、「群がって」という言葉選びも印象的である。「集まって」などという言葉ではないことから、人間の生活を俯瞰しつつ、どこか動物的で集団的な行動を蔑んでいるような印象を与える。
このような主題は、詩や文学でもたびたび扱われるが『パブリック』はそれを抽象的で多義的な言葉で表現している。そこには、読む側に解釈の余白を与えており、その曖昧さこそが、特有の文学性を生んでいるにちがいない。
RADWIMPSは、ジャンルの枠にとらわれない音楽性や、思春期を過ごす世代を中心に共感できる歌詞が特徴のバンドであり、日本語の美しさを最大限に活用し、ことばの角度を変えて歌詞を綴る異端なバンドである。ここでは、2013年にリリースされた『ドリーマーズ・ハイ』をあげて文学的な面と照らし合わせていく。曲名の『ドリーマーズ・ハイ』とは、「ランナーズハイ」や「クライマーズハイ」などの言葉から意味をとった造語であると考える。「ランナーズハイ」とは、走っているうちに気分が高揚し、疲労感がなくなる、一時的な多幸感の状態である。この言葉のように、「ドリーマーズ・ハイ」は、夢を追いかける者に焦点をあて、夢を追いかけている状態は、夢がかなっていない状況であるため、苦しいが、どこかの地点で気持ちが楽になる瞬間があるといったような意味が表現されていると考える。
『ドリーマーズ・ハイ』の中でも、特に注目してほしい一節を抜き出して考察していく。
悲しさに優しさ足すと平和に
平和に痛みを足すと怒りに
怒りに温もりを足すと涙に
涙に涙を足すとカラカラに
その声に心を足すと言葉に
このフレーズは、感情というものが決して単体で存在するモノではなく、常に他の感情や状況と交わり、かたちを変えながら次の感情へとつながっていくことを示している。たとえば、悲しみはそれ自体では重く沈んだものかもしれない。しかし、そこに誰かの優しさがそっと触れると、心の中に静かな平和が生まれる。反対に、どんなに平和、平穏であってもふとした痛みが加わることで、怒りに転じることもある。感情は常に動いていて、周囲の関わりや内面の揺れによって形を変えていく。
怒りにしても、冷たく突き放せばそこで終わるが、そこに人の温もりが添えられることで、溶けるように涙に変わることがある。涙もまた、一滴であれば、優しさの証であるのに、流し続ければ心は乾いてしまい、カラカラになるほど疲弊してしまうこともある。すなわち、この連鎖は、人の感情が一方向に流れるものではなく、出会いや出来事、他者との関わりの中で、複雑に変化していく「心の流れ」を表現している。
やがてそんな「カラカラ」な声に心が加わると、それはただの音ではなく、「言葉」になる。そして、その言葉に「愛」が宿った時、すべてはたちまちに変わり始める。「言葉」と「愛」が出会うことで、そこに「伝える」力、「届く」力が生まれるのだ。
最後の一行にある、「すべてを足して僕たちで割れば世界に」には、二つの意味が込められていると考える。一つは、こうした感情のやりとりが実際に現在の世界をまわしているという現実の描写である。人は誰しも悲しみや怒り、優しさを抱えて生きており、その感情や交錯こそが世界の成り立ちそのものだという冷静なまなざしである。
そしてもう一つは、すべての感情や経験を「僕たち」で分かち合い、支えあうことができたなら、もっと優しく、温かな世界を作ることができるのではないかという希望である。誰か一人の感情ではなく、僕たち全員の感情を持ち寄ってバラバラではなく、「割って」分かち合う。そうして初めて世界ははじめて成り立つ。この歌詞はそんな理想を俯瞰的な視点で提示してくれている。
感情の連鎖と、人と人とのつながり、それが痛みを含んだままでもなお、美しく優しい世界をつくる鍵であると私たちに問いかけている。
このような感情の変化はや人間の繊細さは、詩や文学でも繰り返し描かれてきた主題である、前半で述べた、『パブリック』それが抽象的で多義的な言葉で表現され、読む側に解釈の余白を与えることで、その曖昧さや不確かさの中に読み手が意味を見つけることで、特有の文学性が生まれていると述べた。
それに対して、『ドリーマーズ・ハイ』は、感情の因果関係を直接的に描き出している。この直接的な表現による、言葉のひとつひとつが連鎖し、最後に世界までたどりつくという流れは、ひとつの詩的構造でもあり、読む側のそれぞれの経験によって違った意味を帯びる余白を残している。
邦ロックの歌詞には、このような「語りえないもの」を語ろうとする姿勢が詩や文学に共通している。Mrs.GREEN APPLEのように人間の矛盾や内面の闇を詩的に書くもの、RADWIMPSのように、感情の因果を明快にたどることで、普遍的な人間の営みに触れるもの、それらはまさに音楽として表現される詩であり、文学として昇華されうる力をもっている。
歌詞は音楽の一部でありながら、単体でも私たちの心を強く揺さぶる力を持っている。その中でも、邦ロックの歌詞は、日常の感情や葛藤を詩的な言葉で描き、私たちの心にそっと語りかけてくる。
本章で扱ったように、Mrs.GREEN APPLEやRADWIMPSの歌詞は、聴くだけでは気づかないような奥行きや構造を秘めており、「読む」ことで初めてみえてくる世界がある。
そして、音楽と文学の間にあるこの曖昧な境界線こそが、私たちに新たな視点や感じ方を与えてくれるのではないだろうか。
音楽と言葉の交差点で、人は自分自身と向き合い、誰かの感情に触れる。
そんな音楽との触れ合いこそが音楽を〝読む〟ことの真の意味なのかもしれない。
(※1)歌ネット「Mrs.GREEN APPLE パブリック 歌詞」より著作権法第32条による引用
https://www.uta-net.com/song/200303/
(※2)歌ネット「RADWIMPS ドリーマーズ・ハイ 歌詞」より著作権法第32条による引用
https://www.uta-net.com/song/143995/
これを読んでいる人で、スポーツ観戦は難しい・ルールが分からないといったことを思ったことはないだろうか? バスケ観戦歴一年目の筆者が、初めて観戦した時に「どうしていいか分からなかった」状態から知っていった、観戦をより楽しむためのポイントをピックアップしていく。
まず、私がバスケ観戦をはじめたきっかけは母からの誘いである。母は学生の頃バスケ部に所属していて今でも試合を見に行くほどバスケが好きだ。そんな母に誘われ初めて見に行ったのが、「Bリーグ(ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ)」の試合だった。越谷アルファーズと滋賀レイクスの対戦だった。初めての試合観戦ということもあり、コートエンド側の席(ゴールの裏)で体感した、至近距離から見られる選手の顔や3Pシュートやレイアップシュートなどの選手の技術に熱狂した。また、ハーフタイムショーと呼ばれる試合の間に行われるチアリーダーによる演出などもあり楽しみ方が無限にあるかのように思えた。
プロバスケットボールチームの試合を見るには、Bリーグの公式サイト(※1)から見たいチームを指定し対戦相手や日程を確認しチケットを購入する必要がある。チケットの価格は選んだ座席や対戦相手によって変化する。紙チケットやモバイルIDチケットがある。モバイルIDチケットを利用するにはBリーグ公式アプリ「B.スマチケ」をインストールする必要がある。アプリでは試合日程の確認や選手のカード集めができる。
観戦するときに必要な準備についていくつか挙げていく。一つ目は双眼鏡だ。会場の大きさや座席の場所によって必要な場面がでてくる。選手の顔を至近距離で見たい場合は最適である。DAISOなどで買える安いものでも十分見ることができるので、はじめての双眼鏡にオススメである。二つ目は応援グッズである。チームのコンセプトによってグッズのバリエーションが複数あるのでお気に入りを見つけるのも楽しみの一つとなる。例えば、越谷アルファーズには埼玉県ブランド農産物のネギをモチーフにした「ネギばんばん」というグッズがある。クラップメガホンのような形になっていて叩いて選手を応援する。
次に見どころについて挙げていく。試合開始の2時間前から入場することができる。私のおすすめの楽しみ方はチームのグッズや対戦相手のグッズをチェックすることだ。そして、ホームゲームの会場の外ではキッチンカー、会場内でもフードやお酒の販売が行われている。選手がプロデュースしたグルメが各チームで企画されていて、川崎ブレイブサンダースでは小針幸也選手の「ハッピーロコモコ丼」(※2)や宇都宮ブレックスの比江島慎選手の「フルーツまこパフェ」(※3)など推しの選手のグルメを堪能できる。
開始30分前になると両チームの選手が入場してくる。試合開始までのウォーミングアップのようすを見ることができる。チームによって練習メニューが異なってくるので比較してみるのも面白い。
試合開始直前に行われるチーム所属のチアリーダーによる演出は見応えがある。千葉ジェッツでは炎や照明を使った光の演出が豪華で惹きつけられる。チアリーダーによる演出が終わるとスターティングファイブと呼ばれる最初に試合に出る選手のメンバー紹介が行われる。選手の登場シーンも演出が凝っていて、アリーナDJによる音の演出やMCの紹介で会場内のボルテージがどんどんと上がっていく。
試合開始になるとジャンプボールによって攻守が決まり、両チームの選手による熱い戦いが始まっていく。自分が推している選手が得点を入れたり、相手チームに得点を入れられたりすると、ファンは一喜一憂をする。バスケはクォーター制となっている。たくさん得点が入り、選手の誰でも得点の機会があるので推しの選手を作って活躍を見るのもオススメだ。
2Q(クォーター)と3Qの間にはハーフタイムという15~20分くらいの休憩時間があり、その時間帯をどのように使うかは自由である。気になるグッズやグルメ、お酒などを買いに行く人やハーフタイムショーを見る人などさまざまである。チアリーダーのダンスパフォーマンスやアーティストによるライブなどの演出がある。
試合終了後にはMVP選手の発表やコーチによる試合の感想、ヒーローインタビューなどがある。試合後には最前列席に座るファンと選手がタッチなどの交流をする場合がある。顔や肉体美を間近で見たり、直接声をかけられたいファンには最前列席を取るといい。
ここで私の推しの選手を紹介していく。宇都宮ブレックスの比江島慎選手(34歳)だ(※4)。ポジションはSG(シューティングガード)で精確な3Pシュートを得意とする選手である。日本代表選手に選ばれるなど活躍の場面が多い。体幹がしっかりとしていて、外国人選手と対峙しても揺るがない強さを持っている。彼の性格はシャイな部分があるが、試合になるととても生き生きとしてみえる。そんな彼がW杯で3Pシュートを決めたときのポーズが話題となっている。三本指を突き出し、首をふるというポーズだ。
元ネタはNBAのミケル・ブリッジス選手のポーズのマネである(※5)。インタビューで比江島選手は「(ポーズは)気分がノッたときにしかやらない。そのときは日本代表が勝つ瞬間だ」と答えていた。普段の彼の性格であればやらないイメージがあるが、気分が高まったときにポーズが出るというのでリーグ戦での活躍に注目だ。
次に、マスコットキャラクターについて紹介していく。個性豊かなキャラクターたちが試合を盛り上げている。「MASCOT OF THE YEAR」(※6)が毎年開催され、ファンや選手、メディアからの投票によってその一年の活躍を表彰するイベントがある。トップに君臨するのは、もふもふなマスコットが多い中で、トップ10入りをした異彩を放つマスコットがいる。越谷アルファーズの「アルファマン」だ。バーガンディー色のコスチュームをまとったスーパーヒーローであり、特技はバク転、宙返り、ブレイクダンスなどだ。ハーフタイムショーではAlphaVenus(チアリーダー)とともに会場を盛り上げてくれる愉快なマスコットである。
この紹介を読んで少しでも興味が向いたらBリーグ観戦に行ってみてほしい。リーグ戦のときには全国各地で試合が行われ、いろんなチームがお互いのホーム(拠点)を行き来し、遠隔地に行かなくても済むので、気になったチームなどの試合観戦にチャレンジしてみてほしい。関東近辺であれば7チームもある。決められないようであれば地元のチームを応援するのもオススメだ。
(※1)観戦の楽しみ方|B.LEAGUE(Bリーグ)公式サイト
https://www.bleague.jp/howtoenjoy/
(※2)「2024-25シーズン選手プロデュース企画 グルメ第三弾」販売のご案内 川崎ブレイブサンダース
https://kawasaki-bravethunders.com/news/detail/id=21685
(※3)【グルメ情報】3/19(水)茨城戦 宇都宮ブレックス
https://www.utsunomiyabrex.com/foods/20250319/
(※4)B.LEAGUE(Bリーグ)公式サイト「比江島慎」
https://www.bleague.jp/roster_detail/?PlayerID=8589
(※5)比江島慎の大活躍にNBA公式も注目!「これはエグイ」と“指差しポーズ”の本家も歓喜の投稿<DUNKSHOOT>
https://thedigestweb.com/basketball/detail/id=71878
(※6)【公式】B.LEAGUE MASCOT OF THE YEAR 2024-25 結果発表
https://www.bleague.jp/mascot/2025/result/
2025年7月25日 発行 初版
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