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読んで楽しむロックバンド

岡本優星 けけ りんごじゃむ U

二松学舎大学

 目 次

読んで楽しむロックバンド              岡本優星

まだ知らない音楽へ                   けけ

邦ロックは文学だ。-ロックに読む歌詞たち-   りんごじゃむ

邦ロックが僕らに語りかけるもの              U

読んで楽しむロックバンド

岡本優星

読んで楽しむロックバンド

岡本優星

 近年はストリーミング配信サービスの流行や、ショート動画の流行によって、音楽を流し聞きしてしまったり、BGMのようにしてしまったりしていることが多いのではないでしょうか。そこで本稿では、歌詞にこだわりを詰め込んでいるバンド、曲を紹介していきたいと思います。

東大阪発スリーピースバンドammo

歌詞にこだわりを詰め込んでいるバンドとして紹介するのは、2018年に大阪の東大阪で結成された三人組ロックバンドのammoです。
 ammoの歌詞は、韻を踏んでいたり、同音異義語を多用していたり歌詞カードを見ないと気づけないような言葉遊びをしていることが特徴です。その中でも筆者が特に気に入っている歌詞について紹介していこうと思います。
「不気味ちゃん」
 一つ目は『不気味ちゃん』という曲についてです。〝起きれば午後でそれでも横で〟や〝寝る前のチューか駅前の中華〟〝部屋着は無地だった/二人は無知だった〟など、さりげなく韻を踏んでいる箇所が多くあります。この曲には、ほかにも言葉遊びがされている箇所があります。
 それは〝線にならない点と点を絡めあって痺れた千ロ〟という部分です。漢字の千とカタカナのロで(せんろ)と読ませて、〝点と点を〟の部分と韻を踏んでいると同時に、千とロを組み合わせて舌という文字を作ることができます。これを歌詞に当てはめると、絡めあって痺れた舌とも解釈することができ、歌詞の印象や受け取り方が変化します。このような言葉遊びには、ただ曲を聴いているだけでは気が付けませんが、歌詞カードを見ながら曲を聴いてみることで、言葉遊びがされていると気が付くことができるというところがこのバンドの魅力のひとつであると考えています。   
https://youtu.be/NtTxqh7B6Ao?si=ZIJ-7h0SCtbBkyfz

「何℃でも」
 二つ目は『何℃でも』(なんどでも)という曲です。この曲はammoのメジャーデビューを記念したEP【※1】のリード曲【※2】であり、彼らのこだわりや多くの言葉遊びが詰め込まれており、メジャーデビューするにあたっての名刺代わりの曲であると筆者は考えています。ここからはこの曲に詰められた言葉遊びの一部を紹介していきます。
 まずは、〝I see ってマスカラとセットでBye〟〝愛してますからもピンとこない〟と、1番と2番で歌詞の表記が変わっているという点です。曲を聴いているだけだと二つとも(あいしてますから)という音の聞こえ方は同じですが、表記の仕方を変えるという言葉遊びがされています。
 〝切り揃ったショートカットは /気が付いたら北月中にまで伸びた〟この部分は、先ほどの『不気味ちゃん』と同じような言葉遊びがされています。〝気が付いたら〟と〝北月中〟(きたつきなか)で韻を踏むと同時に、北と月を組み合わせることで背という一文字の漢字が出来上がります。これを歌詞に当てはめると、切り揃ったショートカットは背中まで伸びたとなり、ショートカットだった髪の毛が背中まで伸びたという時間の経過を表しているように思えます。
 この曲にはこのほかにも歌詞カードを見ないと気が付けないような面白い箇所がたくさんあるので皆さんも聞いてみてください。
https://youtu.be/XOjeAAaw_NI?si=ZQxipiHynEGF5PyV

【※1】:EPとはWikipediaによると、以下のような意味である(2025年5月29日閲覧)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/EP

EP (Extended Play) - 楽曲の販売単位のうち、シングルより収録曲数が多く、アルバムよりも少ないもの。もともとはレコード盤の種類のうち、シングル盤と同じ大きさで片面に2〜3曲ずつ収録されたもの。


【※2】:リード曲とはFSM福岡スクールオブミュージック&ダンス専門学校の用語集によると、以下のような意味である(2025年5月19日閲覧)。
https://www.fsm.ac.jp/career-debut/glossary/4069/


音楽アルバム作品の中で、「アルバムを象徴する曲」 や 「アルバムの顔となる曲」の事を指す。

歌詞を深読みする

先ほどまでに紹介した2曲は押韻や歌詞の表記の仕方に歌詞を読むことの面白さが詰められていましたが、ここでは歌詞を深読みすることで面白さを発見することができる歌詞を紹介します。
 それは、マカロニえんぴつの『洗濯機と君とラヂオ』という曲の〝君が好きと言ってた/映画をもう16回みた〟という歌詞です。ここで指している映画とは、ボーカルのはっとりさんの元カノが好きだった『マイ・ブルーベリー・ナイツ』のことであるとされており、この映画は1時間半の映画です。16回見ると24時間になるので、1日中君のことを考えていたよという比喩表現なのではないかと考察することができます。また、マカロニえんぴつは「ブルーベリー・ナイツ」という曲をリリースしています。この曲では元恋人への未練の気持ちや、心の揺れ動きを歌ってます。これらのことから、「洗濯機と君とラヂオ」と「ブルーベリー・ナイツ」ははっとりさんが元カノに向けて書いた曲なのではないでしょうか。

 歌詞を読みながら聞くと、ただ聞くだけだった音楽に感じる・考える・想像するという要素が加わり、より音楽を楽しむことができます。皆さんにも音楽を読みながら、考えながら聞いてほしいです。
https://www.youtube.com/watch?v=LLYPfI-cFcc
参考文献
歌ネット「洗濯機と君とラヂオ/マカロニえんぴつ」(2025年5月29日最終閲覧)
https://www.uta-net.com/song/224156/

まだ知らない音楽へ

けけ

まだ知らない音楽へ

けけ

まえがき


 現在、音楽ストリーミングサービスが主流となり、私たちは無数の楽曲にアクセスできる反面、人気アルゴリズムやランキングに頼るあまり、似たような曲ばかり聞いてしまっていると私は考えます。そこで本稿では、「未知の音楽との出会い」を起こすきっかけを「季節」というキーワードに焦点を当てて春夏秋冬の情景や気持ちに寄り添った音楽を紹介します。

テーマ『季節』

まずは、春にぴったりの曲を紹介したいと思います。くるりの『春風』という曲です。この曲は、はっぴぃえんどというアーティストの『風を集めて』という曲のアンサーソングなのではないかと言われています。どちらの曲も、ですます調でコード進行も似ているところがあります。新しい恋人がいるけれど、別れた恋人との記憶を思い出して悲しくなっている気持ちを表している曲であると私は思います。例えば、こんな歌詞があります。

「遠く汽車の窓辺からは春風も見えるでしょう
ここで涙が出ないのも幸せのひとつなんです
ほらまた雨が降りそうです」(※1)

 この歌詞に対し、ブログ「反応、反射、音速、高速」の著者であるpelican_314氏は、以下のような感想を述べていました。(※2)

 元恋人の事を思っていますが、私には既に新しい恋人がいます。なので、涙は出ないんです。新しい恋人と一緒にいることこれも幸せのひとつなんです。(略)でもやっぱり、元恋人のことが忘れられない、まだまだ未練がある、、ほらまた思い出して悲しくて苦しくなりそうな気持が伝わってきます。

 私はこのブログの著者と概ね同じような解釈をしましたが、一部分だけ違う解釈をしました。新しい恋人がいるから涙が出ないのではなく、新しい恋人がいるからと自分に言い聞かせてどうにか涙を我慢しているのではないかと私は考えました。この曲では一つ一つの歌詞に深い意味があると思います。その中でも、特に私が良いと思ったところは、涙を雨が降りそうと比喩として表現しているところです。歌詞だけではなくメロディーもとても心地よく、聞いた後に心が洗われるような、そんな気持ちになることができます。
 
 次に、夏におすすめの曲を紹介したいと思います。go!go!vanillas(通称「バニラズ」)の『SUMMER BREEZE』という曲です。バニラズにはキャッチーな楽曲が多く、一度聞くといつのまにか頭から離れない曲ばっかりです。フェスなどでは観客が一体となってクラップやバニラズならではの振付で盛り上がるのがこのバンドの魅力だと思います。この曲はとてもポップで、聴いていてとても気分の上がり、夏が待ち遠しくなります。ミュージックビデオでは夏の爽やかさと切なさが調和したような映像が印象的で、海辺のシーンや自然光を活かした映像がこの曲の軽快なリズムと合わさっていて青春を感じさせてくれます。皆さんにもぜひこの涼しさを体験してほしいです。
 
 次に、秋におすすめの曲を紹介したいと思います。フジファブリックの『赤黄色の金木犀』です。この曲はイントロがとても良いです。最初はゆっくりしたテンポなのですが、終盤になるにつれて早くなっていくところもすごく良いと思います。秋はすぐ終わってしまうのでテンポが上がるところが秋を感じさせてくれます。歌詞も、叙情的で秋っぽい少し肌寒いような感じがします。秋の曲といわれると夏や冬と比べると少ないような気がしますが、そんな中でもこの曲は秋をすごく感じさせてくれるような曲だと私は思います。

 最後に、冬のおすすめの曲を紹介したいと思います。私の中で冬はback numberだと勝手に思っているのですが、それくらい冬に合うような曲が多いイメージです。例えば、『ヒロイン』や『クリスマスソング』、『オールドファッション』、『思い出せなくなるその日まで』などがあります。その中でも、好きな2つの曲について紹介したいと思います。1つ目は『ヒロイン』です。この曲は冬の街を舞台にした切ないラブソングで、片思いの男の子が自分に自信がなくて素直になれず好きな人への思いを伝えられずにいるやるせなさが描かれています。歌詞の冒頭から「君の毎日に僕は似合わないかな」と自信のなさそうな様子が伝わってきますが、最後の歌詞では「全部君がいい」と前向きになっていく主人公の男の子の気持ちの変化が表れていてとてもいい歌詞でおすすめです。そして次に2つ目の『思い出せなくなるその日まで』という曲は、かけがえのない人への思いが消えきれないまま過去と向き合って忘れようとする主人公の心情を描いた切ないバラード曲です。back numberの曲は切ない曲が多いですがとても共感できるストレートな歌詞に惹かれるため、多くの人から支持されているのだと思います。

あとがき

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。今はストリーミングサービスによって私たちはいつでも手軽に音楽を楽しめるようになりました。その一方で、ランキングやおすすめ機能に頼りすぎて自分で音楽を見つける楽しさや新しい曲との出会いが少なくなっているように感じます。だからこそ、今回のようになにかをきっかけに音楽を選んでみることは、改めて意味があるのではないでしょうか。この原稿がそんな「未知の音楽との出会い」のきっかけになれれば嬉しいです。みなさんの好きな一曲が見つかることを願っています。

参考文献

(※1)くるり「春風」歌詞〈歌ネット〉
https://www.uta-net.com/song/44371/
(※2)Pelican_314「くるり / 春風 / 歌詞の意味について」〈反応、反射、音速、光速(はてなブログ)〉
https://pelican-314.hatenablog.com/entry/2024/03/11/235156

邦ロックは文学だ。-ロックに読む歌詞たち-

りんごじゃむ

邦ロックは文学だ。-ロックに読む歌詞たち-

りんごじゃむ

歌詞って文学かもしれない


 私たちは、日常的に音楽を「聴く」。メロディに心を奪われ、リズムに身体を傾け、感情を重ねる。その中で意識しているようでしていないのが「歌詞」だ。気づけば口ずさんでいるフレーズ。繰り返し流れるサビの一節。ふと心に響く一行。それらの言葉たちは音に載っているがゆえにどこか当たり前のように耳を通り抜けていく。
 だがその「歌詞」を立ち止まって〝読む〟とき、私たちは思いがけず深い言葉に出会うことがある。言葉にならなかったような日常の感情を詩的な比喩、象徴によって掬い取った一節。語られないものを抱えた沈黙。言葉の余白に漂う曖昧さ。
 このような歌詞の在り方は、もはや「文学」と呼べるのではないか。――そんな問いが本稿の出発点である。
 近年の日本のロックバンド(以降邦ロック)が生み出す歌詞には、文学と呼ぶにふさわしい詩的要素が備わっている。たとえばMrs.GREEN APPLEの情緒的、哲学的な語り、RADWIMPSの抽象的で思索的な言葉の織りなし。それは単なる娯楽としての音楽にとどまらず、感情や世界の複雑さを言葉によって「語る」、いわば文学のようなものである。ただ、歌詞は散文とは異なる形式をとる。楽曲という制約のなかにあるため、字数も構成も自由ではない。しかし、まさにその制約があるからこそ言葉は凝縮され、詩的な意味を獲得する。歌詞は、時に一節に人を救うような力を持つ。この力から私たちは文学の一形態としての「歌詞」をみることができるのではないか。
 本稿では、邦ロックの歌詞に焦点を当てながら、その文学的側面を探っていく。詩的表現とは何か。さらには、歌詞を「読む」ことが音楽体験にどう影響を与えるのかを考察していく。

邦ロックの魅力とは?

邦ロック――いわゆる「日本のロックバンドによる音楽」は、メロディやサウンドだけでなく、その歌詞の独自性によっても多くのリスナーを惹きつけてきた。2000年代以降、J-POPとロックの境界線が曖昧になる中でバンドが書く歌詞は、より一層「個人の感情」や「社会とへの風刺、距離感」を率直に、あるいは抽象的に描くようになった。
 邦ロックの歌詞の魅力の一つは、その詩的な表現の豊かさにある。日常の情景や感情を比喩的な表現であったり、時に実験的な言語で描くことによってリスナーに想像の余地を残す。
 たとえば、ある楽曲では、自分の弱さを出しながらも、それを「情けなさ」としてではなく、人間らしさの一部として、肯定的に綴る。また、別の曲では、日常の何気ない風景を切り取り、そこに人生の哲学的な要素を織り込む。こうした多層的な表現は、邦ロックにおける魅力の一つであるといえるだろう。

感情のグラデーションを描ける言葉

邦ロックの歌詞には、「うれしい」「かなしい」といった、単純な感情だけでなく、曖昧で言語化しづらい心の揺れなどが繊細に描かれる。たとえば、「期待していた人に裏切られた時の感情」や、「何気ない会話の中に感じる喪失感」などである。これらは、短編小説や詩とも重なる部分がある。一語一句に感情のニュアンスが込められ、それが聴く人の心に刺さる。

比喩・象徴・語感で遊ぶ

邦ロックの歌詞は、詩のように比喩や象徴を多用する。たとえば、今はもういない過去の人を表現する際、「昔」という直接的な表現ではなく、「写真の中で息をしている」という比喩的な表現に置き換えて表現をしている。こうした表現は、理屈ではなく、感覚で伝える詩や短歌のような文学と同じ構造を持っている。

「自分の物語」としての昇華

邦ロックの歌詞が多くの人の心を動かすのは、そこに〝自分の物語〟として重ねられる余白があるからだ。歌詞の中の「君」や「僕」は誰でもないし、誰でもある。聴く人によって「恋人との記憶」になったり、「自分の過去や未来」になったりする。つまり、一人ひとりの人生と共鳴する力を持っている。
 これらの力により、聴き手は歌詞の意味を〝解釈〟しながら聴くという、受動的だけでなく、能動的な関わり方も自然にとることができるようになり、より自分の中で意味をかみ砕き、「自分の物語」として昇華することができる。

文学とつながる歌詞たち

 音楽における「歌詞」は、リズムやメロディとともに耳に残るものでありながら、そこに含まれる意味や言葉遣いは、まるで詩や短編小説のような深みを持つことがある。本稿では、特に詩的な構造を持つ邦ロックの歌詞を取り上げ、なぜそれらが文学とつながると言えるのかをMrs.GREEN APPLEとRADWIMPSの二つのバンドの歌詞を取り上げ、掘り下げていきたい。

Mrs.GREEN APPLE――『パブリック』


 Mrs.GREEN APPLEは2013年に結成した3人組バンドである。2023年、2024年と2年連続で日本レコード大賞を受賞した、勢いのあるバンドである。彼らの代表曲は『青と夏』や『ケセラセラ』など、前向きな曲が多く知られている。しかし、彼らの音楽は、明るくキャッチーなメロディとは裏腹に、内面の葛藤や人間の不完全さを繊細に描いている曲も多くある。特に若者の孤独や不安、人間の内面の闇などが鋭く描かれる。そのため、彼らの歌詞は、単なる応援歌ではなく、矛盾や痛みを受け入れる成熟した文学性を持っている。その代表的な例が『パブリック』である。
 この曲は作者である大森元貴が16歳の時に手がけた一曲である。人間という生き物が心の内側に秘める光と闇、表裏一体である人間の二面性が生々しく描かれた風刺的な作品であり、人が心の内側にもつ愚かさや醜さに対する問題提起と、それらを持っていてこそ美しいと思える、人間という存在について書かれた名曲である。
 

知らぬ間に誰かを傷つけて 
人は誰かの為に光となる
この丸い地球に群がって 
人はなにかの為に闇にもなる
(※1)

この一節には、善意と悪意、加害と被害の境界線が曖昧である、倫理の複雑さが描かれている。誰かをたすけたいという純粋な想いは、ある人にとっては心を照らす光となる。しかし、それと同時に別の誰かにとっては、痛みや苦しみの原因になってしまうこともある。そしてときには、自分にとって大切な人やモノを守るために、自らが傷つくことを選んだり、自分自身が闇を選ばざるを得なくなってしまうことさえある。たとえば、戦争。戦争は、自国を守るために戦うがその行動は、守るという行動をとるために誰かを傷つけるという、闇にもなってしまう。この世界ではそんな二面性をもった人間が地球上に群がって生きているという、人間の核を簡潔なフレーズとメロディにのせて描いている。また、「群がって」という言葉選びも印象的である。「集まって」などという言葉ではないことから、人間の生活を俯瞰しつつ、どこか動物的で集団的な行動を蔑んでいるような印象を与える。
 このような主題は、詩や文学でもたびたび扱われるが『パブリック』はそれを抽象的で多義的な言葉で表現している。そこには、読む側に解釈の余白を与えており、その曖昧さこそが、特有の文学性を生んでいるにちがいない。

RADWIMPS――『ドリーマーズ・ハイ』


 RADWIMPSは、ジャンルの枠にとらわれない音楽性や、思春期を過ごす世代を中心に共感できる歌詞が特徴のバンドであり、日本語の美しさを最大限に活用し、ことばの角度を変えて歌詞を綴る異端なバンドである。ここでは、2013年にリリースされた『ドリーマーズ・ハイ』をあげて文学的な面と照らし合わせていく。曲名の『ドリーマーズ・ハイ』とは、「ランナーズハイ」や「クライマーズハイ」などの言葉から意味をとった造語であると考える。「ランナーズハイ」とは、走っているうちに気分が高揚し、疲労感がなくなる、一時的な多幸感の状態である。この言葉のように、「ドリーマーズ・ハイ」は、夢を追いかける者に焦点をあて、夢を追いかけている状態は、夢がかなっていない状況であるため、苦しいが、どこかの地点で気持ちが楽になる瞬間があるといったような意味が表現されていると考える。
 『ドリーマーズ・ハイ』の中でも、特に注目してほしい一節を抜き出して考察していく。

悲しさに優しさ足すと平和に
平和に痛みを足すと怒りに
怒りに温もりを足すと涙に
涙に涙を足すとカラカラに

その声に心を足すと言葉に
言葉に愛を足すとたちまちに
あぁ すべてを足して僕たちで
割れば世界に(※2)

このフレーズは、感情というものが決して単体で存在するモノではなく、常に他の感情や状況と交わり、かたちを変えながら次の感情へとつながっていくことを示している。たとえば、悲しみはそれ自体では重く沈んだものかもしれない。しかし、そこに誰かの優しさがそっと触れると、心の中に静かな平和が生まれる。反対に、どんなに平和、平穏であってもふとした痛みが加わることで、怒りに転じることもある。感情は常に動いていて、周囲の関わりや内面の揺れによって形を変えていく。
 怒りにしても、冷たく突き放せばそこで終わるが、そこに人の温もりが添えられることで、溶けるように涙に変わることがある。涙もまた、一滴であれば、優しさの証であるのに、流し続ければ心は乾いてしまい、カラカラになるほど疲弊してしまうこともある。すなわち、この連鎖は、人の感情が一方向に流れるものではなく、出会いや出来事、他者との関わりの中で、複雑に変化していく「心の流れ」を表現している。
 やがてそんな「カラカラ」な声に心が加わると、それはただの音ではなく、「言葉」になる。そして、その言葉に「愛」が宿った時、すべてはたちまちに変わり始める。「言葉」と「愛」が出会うことで、そこに「伝える」力、「届く」力が生まれるのだ。
 最後の一行にある、「すべてを足して僕たちで割れば世界に」には、二つの意味が込められていると考える。一つは、こうした感情のやりとりが実際に現在の世界をまわしているという現実の描写である。人は誰しも悲しみや怒り、優しさを抱えて生きており、その感情や交錯こそが世界の成り立ちそのものだという冷静なまなざしである。
 そしてもう一つは、すべての感情や経験を「僕たち」で分かち合い、支えあうことができたなら、もっと優しく、温かな世界を作ることができるのではないかという希望である。誰か一人の感情ではなく、僕たち全員の感情を持ち寄ってバラバラではなく、「割って」分かち合う。そうして初めて世界ははじめて成り立つ。この歌詞はそんな理想を俯瞰的な視点で提示してくれている。
 感情の連鎖と、人と人とのつながり、それが痛みを含んだままでもなお、美しく優しい世界をつくる鍵であると私たちに問いかけている。
 このような感情の変化はや人間の繊細さは、詩や文学でも繰り返し描かれてきた主題である、前半で述べた、『パブリック』それが抽象的で多義的な言葉で表現され、読む側に解釈の余白を与えることで、その曖昧さや不確かさの中に読み手が意味を見つけることで、特有の文学性が生まれていると述べた。
 それに対して、『ドリーマーズ・ハイ』は、感情の因果関係を直接的に描き出している。この直接的な表現による、言葉のひとつひとつが連鎖し、最後に世界までたどりつくという流れは、ひとつの詩的構造でもあり、読む側のそれぞれの経験によって違った意味を帯びる余白を残している。
 邦ロックの歌詞には、このような「語りえないもの」を語ろうとする姿勢が詩や文学に共通している。Mrs.GREEN APPLEのように人間の矛盾や内面の闇を詩的に書くもの、RADWIMPSのように、感情の因果を明快にたどることで、普遍的な人間の営みに触れるもの、それらはまさに音楽として表現される詩であり、文学として昇華されうる力をもっている。

歌詞を〝読む〟たのしみ

歌詞は音楽の一部でありながら、単体でも私たちの心を強く揺さぶる力を持っている。その中でも、邦ロックの歌詞は、日常の感情や葛藤を詩的な言葉で描き、私たちの心にそっと語りかけてくる。
 本章で扱ったように、Mrs.GREEN APPLEやRADWIMPSの歌詞は、聴くだけでは気づかないような奥行きや構造を秘めており、「読む」ことで初めてみえてくる世界がある。
 そして、音楽と文学の間にあるこの曖昧な境界線こそが、私たちに新たな視点や感じ方を与えてくれるのではないだろうか。
 音楽と言葉の交差点で、人は自分自身と向き合い、誰かの感情に触れる。
 そんな音楽との触れ合いこそが音楽を〝読む〟ことの真の意味なのかもしれない。

参考文献
(※1)歌ネット「Mrs.GREEN APPLE パブリック 歌詞」より著作権法第32条による引用
https://www.uta-net.com/song/200303/
(※2)歌ネット「RADWIMPS ドリーマーズ・ハイ 歌詞」より著作権法第32条による引用
https://www.uta-net.com/song/143995/

邦ロックが僕らに語りかけるもの

邦ロックが僕らに語りかけるもの

1.邦ロックとは何か

「邦ロック」とは、「日本のロックミュージック」を意味する略語です。しかし、その定義は明確に定まっているわけではありません。J-POP、オルタナティブ、パンク、エモ、ポップ・ロックなど、さまざまな要素を含みながらも、リスナーたちの中で「これは邦ロックだ」と感じられる音楽が、その枠組みを自然と形成してきました。特に2000年代以降、日本の音楽シーンには大きな変化がありました。それまでの「売れるための音楽」や「テレビに出るための音楽」とは一線を画し、ストリートやインディーズ出身のバンドたちが自分たちの信じる音楽を貫いた結果、彼らの音がリスナーの共感を得て、大きなムーブメントへと成長していきました。そのなかでも、ELLEGARDEN(エルレガーデン)は象徴的な存在です。2000年代前半、洋楽的なエモ・パンクのサウンドを日本語詞と融合させ、爆発的な人気を集めました。細美武士のエネルギッシュで感情のこもったボーカル、スピード感のあるサウンド、そしてライブでの熱量の高さは、多くの若者にとって〝音楽に目覚めた瞬間〟となりました。ELLEGARDENのように、海外のロックバンドに影響を受けながらも、日本語のリズムや情緒を大切にした表現が、邦ロックならではの個性を生み出しています。つまり邦ロックとは、「外から学びつつ、内から語る」日本独自のロックの姿とも言えるのです。

2.歌詞に宿る物語

 邦ロックのもう一つの魅力は、「歌詞」にあります。ただ音を奏でるだけではなく、「言葉」で聴いている人々の心を揺さぶること。これが、邦ロックが多くの共感を得ている理由の一つです。
 RADWIMPS(ラッドウィンプス)は、その筆頭格ともいえるバンドです。彼らの歌詞は、まるで小説や詩のように、日常のなかの些細な感情や哲学的な問い、個人的な痛みなど普段表現するのが難しいことを繊細に描き出します。例えば、「ふたりごと一生に一度のワープver」という楽曲では、恋人への愛をまっすぐに、でも少し照れくさそうに綴っています。言葉遊びのようなフレーズと、飾らない語り口は、まるで手紙を読むような感覚をリスナーに与えます。一方、「有心論」では、人との距離感や不安、愛の裏返しといった複雑な感情が、静かで切実な旋律にのせて歌われています。
 RADWIMPSの歌詞の多くは「僕」と「君」という語りで構成されており、誰もがその「僕」に自分を重ね、「君」に大切な人の顔を思い浮かべることができるような、普遍性を持っています。日本語という言語が持つ独特の間(ま)や余白を活かしながら、音としての響きも意識してつくられた歌詞は、英語詞主体の洋楽とは異なる深みを持っています。音楽を「聴く」のではなく、「読む」「感じる」「考える」ものとして捉えさせてくれるのがRADWIMPSの音楽です。

3. ライブとフェスを通じて体感する音楽の力

 音源だけでは、邦ロックの真の魅力を語り尽くすことはできません。彼らの音楽は、ライブという生身の空間でこそ、最大限の力を発揮します。CDやサブスクで何度も聴いた楽曲が、ライブで聴くとまったく違って聞こえます。そんな経験をしたことがある人は多いはずです。私が初めてELLEGARDENを観たのは、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」でした。快晴の夏空、会場を包む湿気と芝生のにおい、早朝からの待機列。開演前のステージ周辺には、Tシャツ姿の観客たちがすでに熱気を放っていました。「Supernova」のイントロが鳴った瞬間、場内の空気が一変しました。音源では味わえない、生々しく鋭いギターの音、細美のシャウト、ドラムの鼓動のような響き。それらが体を突き抜け、観客のジャンプや叫びと混ざり合い、ステージと客席が一体となっていく感覚は、まさに「音楽に呑まれる」瞬間でした。ラストの「虹」で、ギターボーカルの細美が「ありがとう!」と叫んだとき、隣の知らない人と自然と肩を組んでいました。言葉がなくても、同じ空間で同じ音を浴びた者同士が共有できる一体感。フェスは、音楽の持つ力を身体で証明してくれる場所です。
 年末に幕張メッセで開催される「COUNTDOWN JAPAN(CDJ)」で、RADWIMPSのステージを体験しました。冬の夜、寒さで震えながら会場に入ると、中は熱気でいっぱい。スクリーンには壮大な映像演出が映し出され、ステージには静かにバンドが登場します。「スパークル」から始まったセットリストは、まるで映画のような流れを持ち、「最大公約数」「会心の一撃」など、歌詞の世界観と照明・映像が完全にシンクロした演出に、観客は静まりかえりながら聴き入っていました。ライブというより、芸術作品を〝体験〟しているような感覚。RADWIMPSのライブは、感情の起伏がそのまま音楽になるような構成で、「言葉」「映像」「空気」のすべてがひとつになった時間でした。

4.邦ロックが教えてくれること

邦ロックは、ただの音楽ジャンルではありません。それは「言葉にできない感情」を音にのせ共有し、時には代弁し、時には癒し、そして時には背中を押してくれる存在です。
 ELLEGARDENやRADWIMPSをはじめとする多くのバンドが、決して社会の中心にいるわけではない若者たちの「モヤモヤ」や「怒り」や「切なさ」を、言葉にしてくれました。そしてそれが聴き手の「自分も、こう感じていいんだ」という肯定感につながっていきます。邦ロックは、未完成な感情や思考をそのまま音にすることで、多くの人の心に寄り添ってきたのです。

おわりに

 「音楽を知る」という行為は、ただ耳で音を聞くことではありません。それは、自分の感情や価値観と向き合うことでもあり、他人の生き方や痛みに寄り添うことでもあり、それを分かち合い共感することができます。邦ロックは、そんな「知る」ための入り口として、多くの若者に寄り添い、時代ごとに形を変えながら生き続けてきました。本稿を通してまだその魅力に触れていない人々の小さなきっかけになれば幸いです。

読んで楽しむロックバンド

2025年7月25日 発行 初版

著  者:岡本優星 けけ りんごじゃむ U
発  行:二松学舎大学

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田村直大

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