本稿では、自称、多趣味なオタク(ゲーム、マンガ、楽器、書道等)である私が、これまでどのようにサブカルチャーに触れてきたのかについて、経験と友人達に聞いた話から、他のことにも時間を割きつつサブカルチャーを楽しむ方法を提案、紹介します。
これまでサブカルチャーにあまり触れてこなかったような人でも、Z世代を始めとする若者との話題をつくる入り口になれれば幸いに思います。
サブカルチャー(以降サブカル)とは、メインカルチャー(マスカルチャー)の対義語にあたる言葉で、主流文化とはことなり、一部の集団に支持される文化の事を指します。
簡単な例を挙げると、テレビやピクニックといった誰もが親しむような文化をメインカルチャ―。アニメやマンガ、ゲームといった、一部の人々に好まれていたような文化をサブカルチャーと呼びます。
また、サブカルチャーは、ハイカルチャーとの区別で表されることもあります。
ハイカルチャーとは、オーケストラや絵画など、かつて上流階級が嗜んでいたような、歴史的にみても高い完成度を誇る文化です。ハイカルチャーが、楽しむために教養や素養を必要とする一方で、サブカルチャーは誰もが楽しめる大衆娯楽、という点で区別、対比されています。
近年はアニメやマンガといった、もとは少数に好まれているような文化が大衆にも認められ、メインカルチャ―とサブカルチャーの境界が曖昧になっています。
本稿ではこれらアニメ・マンガ・ゲームなどサブカルチャーのなかでも大衆性が高く、代表的なものについて扱っていきますが、かつて少数に愛されていたオカルトやヘヴィメタ、大衆娯楽であった芸能人や映画に関してもサブカルチャーとして扱われる事があります。
サブカルの情報はどこから仕入れれば良いのでしょうか? もちろん、そのコンテンツを提供する出版社や製作者といった、公式サイトや公式のX(旧Twitter)などを尋ねれば現在どんな作品が公開あるいは販売されているかがわかります。
しかし、毎回時間をかけてそういった情報源にアクセスするのは手間ですし、自分の知らない公式から面白い作品が出てこないとも限りません。私は、そういった情報源に自らアクセスする事は少ないですし、私の友人達も同様でした。むしろ、情報が向こうから流れてくるようになっています。
サブカルといわれる作品は、基本的には商業作品です。制作サイドとしても、多くの人に作品を楽しんでもらいたいし、楽しんでもらわないと採算が取れないといったことになります。ですから、さまざまな広報活動を行なって、各所に情報が流れるようにします。サブカルにおけるその最大手が、SNSです。今や、どんなジャンルの作品でもX(旧Twitter)やTikTokを利用し人の目に留まろうとしますし、その情報をYouTubeなどで二次的に拡散する事により、収益を集めたり、自己承認欲求を満たす人々もいます。情報自体は、インターネットにたくさん流れているのです。
けれども、自分の所には流れてこない。それはなぜなのでしょう。
X(旧Twitter)を始め各種SNSでは、アルゴリズムによって情報の偏りが発生します。SNSでは各利用者の好みを判断し、その傾向に合わせたものだけがその人のタイムラインに流れるようになっているのです。
例えば、猫の動画ばかりを見て、いいねや拡散をしていれば、その利用者は猫の動画が好きなのだとアルゴリズムが判断し、猫の動画ばかりが流れてくるようになります。これを利用し、アニメやゲームといった、自身の関心のあるサブカルに関する情報を多く閲覧すると、それらの最新情報が向こうからやってくるようになるのです。
いくつもアカウントを所持し、それらを興味関心ごとに使い分ける人が多く存在するのには、このような背景もあります。
YouTubeやTikTokといった、一見情報収集向けではないプラットフォームでも、常に情報が流れてくるからこそ最新の情報を手に入れられているといえます。
この文章を読む多くの人が、おそらくすでに何かしらの趣味をお持ちになっている事でしょう。それが楽器演奏、またはYouTubeの閲覧であろうと、何かしらの余暇時間の過ごし方をお持ちのはずです。その趣味の延長として、サブカルに触れていくことができれば比較的触れやすいでしょう。
例えば、『ウマ娘 プリティーダービー』という作品があります。原作はCygamesのスマートフォン向けゲームですが、マンガやアニメにもなった人気作品です。この作品は競馬がモチーフとなっており、美少女キャラクターになった競走馬のトレーナーとしてレースでの勝利を目指します。
この作品では実在の競走馬がモチーフとなったキャラクターが出てきますので、競馬が好きだった人や、競走馬について知っていたような人が、美少女キャラクターに触れるきっかけとなったり、逆に、この作品がきっかけで競馬に興味を持つようになった人もいます。つまり、この作品を好きな相手であれば、ある程度は競馬の話が通じることになりますし、こういった既存の趣味と共通するサブカルであれば、新しい用語などを理解するのに割く労力をかなりなくすことができます。
もちろん、競馬が好きだからこそ美少女化された競走馬が受け入れられない、という方も一定数おられるとは思いますが、あくまで既存の趣味と共通するサブカルの一例として紹介しました。
題材として用いられているパターンの他にも、アニメにはオープニングとエンディングがありますから、好きなミュージシャンが楽曲を提供していないか、コラボの有無や、作品の舞台の地など、作品を取り巻く何かしらに結びつけることはおそらくどんな趣味でも可能です。貴金属制作をコンテンツ化しているVtuber、という存在もいるほど、サブカルの裾野は広がり続けています。
サブカルチャーが想定するターゲットは、何も比較的時間のある学生だけではありません。むしろ、自由に使える大人をターゲットとした作品、工夫が多く存在します。
現在、多くの作品やコンテンツが、いつでもどこでも楽しめる環境へと移り変わりつつあります。昔は一つのテレビを大勢で見てチャンネル争いをしていたそうですが、いまは各個人がそれぞれの携帯可能な端末で好きなものを楽しめる時代です。
場所を選ばないサブカルですと、スマホでも見れるようになっているマンガや、移動中でも聞ける音楽は容易に想像できますよね。さらにはSwitchのような携帯ゲーム機の存在など、多くの物が小型化、軽量化された結果、場所に縛られる事はすくなくなっています。
ゲームやマンガの構成も、腰を据えてじっくりと楽しむものも存在する一方、『ちいかわ』に代表されるような短いマンガ作品や、スマートフォン向けソーシャルゲームに多く見られるオート戦闘機能など、現代人向けに少ない時間でたのしめる工夫がなされています。ほんの少し空いた時間に、ちょっとした娯楽を挟んでみるのも、刺激になってよいかもしれません。
若者同士がアニメやゲーム等、最近の文化について話す場合、何も各々の作品解釈について話しているわけではありません。「最近こんなアニメを見た」、「今度こんなゲームが出るらしい」、「あのマンガがアニメ化される」などなど、内容について話すことは、会話に加わっている二人以上がその作品に大きく感動したような場合をのぞいて、ほとんど無いと言ってよいでしょう。もしくは、相手が自分の好きな作品やキャラクターについて、その良さや面白さを伝えたい、といった場合が大半でしょう。
なので、別にサブカルを話題の一つとして用いたい場合には、その作品を見る必要すらないのです。最低限、相手が何について話しているかを理解できれば、話し手は自分の話に対する批評を求めているわけでもないのです。これは一般的な会話全般にもいえることかもしれません。
では、具体的にどのレベルの理解度で会話をしているのか、実体験に基づいて考えてみます。
例えば、『fate』という作品が好きな友人がいて、その作品について、今度続編が公開される、という会話を振ってきました。当時の私の作品に対する理解は、作品としてのジャンルと有名なキャラクターを数人知っているレベルでした。そのレベルの理解度でも、「その作品ってこのキャラで出てくる作品だよね?」といった共感の会話や、ではそのキャラクターの声優は誰なのか、や続編の何が期待されているのか、といった話題を広げるような疑問を投げかけることが可能です。
もちろん、多少は他の作品を見ているからこそできる会話や、自分もその作品が好きだからこそ話せる会話も存在はしますが、コアなファン同士の会話というものは、おうおうにして意見が食い違います。ですから、話題として挙げるからにはその作品をしっかり見る必要など本来はなく、重要なのは自分の好きがあることと、広く浅い理解があることといえます。
実際に話す内容として、作品全体にまたがるテーマよりも、有名なシーンやセリフについて話す場合が(私の観測範囲では)多いです。では何故そんなことが頻繁に起こるのかといえば、インターネット、主にSNSでは、各種戦闘シーンや名シーンの切り抜きが多く流通している事が理由として挙げられます。
その切り抜かれたシーンをみて、そのシーンに関する感想や作品についての会話が生まれます。作品の一部だけをみて、あるいはそれについて色々な人と会話をすることで、おすすめされたり、自分の知らない作品の良さを知り、その作品全体を見てみたいと思うようになるわけです。
このような会話の形は、映画や商品の広告、CMと似ています。映画で興味を惹くようなワンシーンを見せて人々の関心を集めたり、実際に商品を使用した様子を表現して、自分もそんな体験をしてみたいと思う構造と非常によく似ています。
こうして考えると、多くの場合、サブカルについての会話は、より良い商品を得るための情報交換、という側面が強いのかもしれません。サブカルチャーといえども膨大な作品数がありますし、メジャーカルチャーと違い一定のクオリティが担保されていないものも存在するジャンル、というのが影響していることも考えられます。
アニメやマンガといった、受け手側が作品に介入することのないコンテンツと違い、ゲームは個人による体験の差が大きいと考えられます。中には、ゲームになれていないから物語を最後まで進められなかったり、操作に集中しすぎて作品を楽しむことができてない人も多く存在します。
また、時間のきっかり決まっているアニメや、ページ数の決まっているマンガなどに比べて、所要時間が人によって大きく違ったり、長くなる傾向にあります。これはゲームという体験を重視したコンテンツの宿命ともいえるのですが、それを解決するのが、ゲーム実況です。
ゲーム実況はご存じでしょうか。YouTubeやニコニコ動画といったプラットフォームで、ゲームのプレイ映像に実況という形の語りを加えたもので、映像がカット編集されている場合がほとんどで、ゲームの内容をテンポよく視聴することに長けています。また、感想を共有する相手が常に存在する、自分が分からなくてもゲームを実況する人間が感想を代弁してくれる、という点で、誰でも楽にゲームを楽しむことができるようになっているといえます。
また、時間に関しても、実際にプレイする場合よりもかなり短縮されており、自分でプレイしなくても、効率よくかつ手軽にゲームをプレイすることに近い体験が得られます。
実況している人物そのものがコンテンツとしてなりたっているものも多ければ、独自の楽しみ方をしている場合もあり、ゲームに関する話題の獲得、という面では非常に優れたメディアだといえます。
この時短装置は他のコンテンツにも同様のことが言え、マンガやアニメといった諸作品をまとめた動画や、各種流行っているコンテンツを実際に体験している様子を、多くの人が映像として投稿しています。しかしながら、これらはあくまでゲームや映画などの著作権者が認めた作品にのみ許された行為であり、中には違法なものも存在します。同様のケースで著作権侵害により逮捕される事例もあるため、視聴の際には気に留めておく必要があるでしょう。
それでも、若者がこぞって隙間時間にスマホで動画を見ているのは、こういった理由やメリットがあるからだ、とも考えられます。
サブカルチャー、主にアニメ、マンガ、ゲームに関する入門知識ともいえる内容を、主に実体験をもとに紹介させていただきました。ここまで話題の獲得を目的として説明を行いましたが、個人的な意見を申し上げれば、このサブカルチャーに触れていく過程こそコミュニケーションの題材となる大きな話題だと考えます。サブカルチャーを巡ったインターネットとコンテンツとの付き合い方について、世代を跨いだコミュニケーションの一助となれたことを願います。
みなさんは、「推し」に相当する存在はいるでしょうか。「沼」なるコンテンツはあるでしょうか。「推し活」をしたことはあるでしょうか。そもそも、「推し」や「沼」とは何か知っていますか。
本稿では、はじめに「推し」や「沼」がどんなものか理解していただき、次に筆者の「推し」作品をピックアップして紹介したいと思います。
それでは、さっそく「推し」探しの旅へ出かけましょう。
みなさんは、「このコンテンツ、マジで『沼』だわ」「『推し』がてぇてぇ(※1)」などの会話をしたり、耳にしたりしたことがありますか。もしかしたらこの本を読んでいる方の中には、聞いたことはあるけどよく分からない、という方もいるかもしれませんが、ご心配には及びません。これから説明していくので、ご安心ください。
「推し」という言葉を、実用日本語表現辞典で検索してみると、「特定の人物やキャラクター、作品、商品などに対して、熱心な支持や愛情を示す行為やその対象を指す言葉」とあります(※2)。つまり、ただ「あの人はかわいいなぁ」「このキャラクターは格好良いなあ」と人物やキャラクターそのものに感動するだけでなく、アーティストであればCDやグッズ、アニメキャラクターであればキーホルダーやフィギュア……というような、彼らが提供するものをたくさん集めたいという気持ちにさせるような対象に「推し」という言葉は適用されるといえます。平たくいえば、熱狂的なファンが向ける信仰対象や、精神的な支え・憧れの対象のことを「推し」と呼ぶのです。
さきほどと同じく、実用日本語表現辞典で「沼」について検索すると、「『抜け出せない状況』を指す比喩として用いられてきた語である。ネットスラングの『沼』もこれに通底する表現といえる」とあります(※3)。つまり、サブカル的な要素の強い趣味での「沼」とは、簡単には抜け出せないほどそのジャンルに没頭し、金も時間もどっぷりとつぎこんでいる状態のことを指すといえます。
第1節で「推し」や「沼」がどういったものなのか、なんとなく掴めてきたころだと思います。第2節では、作者の浸かっている「沼」や傾倒している「推し」について述べていきます。
筆者が最初にハマった「沼」は何か? と聞かれて真っ先に挙げるのは、株式会社カプコンから発売されている『戦国BASARA』です。このゲームから歴史ジャンルに興味を持ったと言っても過言ではありません。
このゲームは、1作品目に関してはかれこれ20年も前の古いものになりますが、現在の高画質のコンシューマーゲームやスマホゲームにはない良さがあると個人的に感じています。本シリーズの魅力は、なんといっても設定がぶっ飛んでいるところです。例えば伊達政宗は雷をまとって六爪流(※4)で暴れまわり、本多忠勝はもはやロボットのような見た目で戦場を駆け回ります。このヘンテコさが、ほかの歴史ゲームでは味わえない楽しさだと思います。そんな『戦国BASARA』は2015年以降新作のナンバリングタイトルのゲームは出ていませんが、くじやガチャガチャなど現在も様々なグッズが展開され、コラボカフェの開催も定期的にあるので、筆者はこの沼から逃れることができずにいます。
せっかくなので、先ほどの項で説明した『戦国BASARA』の中での推しを紹介していこうと思います。筆者の推しは、ナンバリング的には3作目となる『戦国BASARA3』にて初登場した石田三成です。ビジュアルはかなり特徴的なので、一度検索してみることをオススメします。彼の魅力は、長刀でのスタイリッシュな居合アクションの美しさ、純粋過ぎたがゆえの精神面の脆さ、強い忠誠心など、枚挙に暇がないです。
『戦国BASARA3』は、ぶっ飛び具合が少し抑えられ、関ヶ原の戦いまでのストーリーを中心に展開していくのですが、ストーリーが激重過ぎて印象に残ること間違いなしです。そのため、バカゲーよりストーリーを楽しみたい人は、ぜひ『戦国BASARA3』の西軍側の石田三成でプレイしてみてください。
第1節では「推し」や「沼」について説明し、第2節では筆者のオススメを紹介しました。筆者のオススメは古い作品なので、ひょっとしたら入手困難となっているかもしれません。それでももしどこかで見つけた場合には、本稿の紹介を思い出してゲームを手に取ってプレイしていただけたらうれしいです。ゲームが気に入ったら、ぜひ漫画やアニメにも手を出してみてください。「推し」武将との出会いがあるかもしれません。
(※1)若い人たちの間やネット上でよく使われている、「尊い」を少し崩した言葉。「最高」や「萌え」などの感情が包含されている。
(※2)Weblio辞書 実用日本語表現辞典 「推し」(最終閲覧日:2025年5月23日)
https://www.weblio.jp/content/%E6%8E%A8%E3%81%97
(※3)Weblio辞書 実用日本語表現辞典 「沼」(最終閲覧日:2025年5月23日)
https://www.weblio.jp/content/%E6%B2%BC
(※4)右手に3本、左手に3本、刀を指の間に挟んで戦う政宗の自己流の戦い方。
近年急速に発展してきている推し活文化。その推し活文化の中心にいる「推し」は、アニメや漫画といった2次元キャラクター、アイドルや俳優、アーティストといった3次元の人物など様々である。そこでこれを読んでいるあなたに質問だ。「あなたにとっての推しは?」
ここでは「推し」を見つけるための場として2次元と3次元が融合したコンテンツの2.5次元舞台について紹介していきたいと思う。
まず、グッズの企画制作を手掛ける株式会社トランスのコラム(著者・白峯アサコ)によると、「2・5次元舞台」とは、「漫画やアニメ、ゲーム(2次元)を原作とした作品を、舞台やミュージカル(3次元)で再現しているものを指す」のだという(※1)。代表的な作品では、「刀剣乱舞」や「テニスの王子様」、「ヒプノシスマイク」などがあげられる。また、2・5次元舞台に出演する俳優を「2・5次元俳優」と呼び、アイドルの推し活と並ぶくらい「2・5次元俳優」を推す推し活が現在盛んである。
では既存の「舞台「」とよばれるものと「2・5次元舞台」はいったい何が違うのか。白峯氏の記事には以下の点が挙げられている(※1)。
・観劇客は「原作漫画のファン」を中心に、「特定の2・5次元俳優を推すオタク」などがいる。
・看板俳優や演出など著名人による集客ではなく、原作の知名度に依るところが強い。
・DVD、Blu-ray、ライブビューイング、配信、キャストの肖像グッズなど、興行収益以外での収益モデルが確立している。
・キャラクター≒俳優と捉えて推すファンも多く、無名の若手俳優にとっての登竜門となっている。
特に原作からのファンを大切にしていることは覚えておきたい点だ。
作品の中でも原作が異なるものがあり、「刀剣乱舞」はゲームが原作になる。ゲームが原作の場合プレイヤーが存在する。キャラクターや物語に親密に関わっていく「刀剣乱舞」では、ソロプレイのゲームでありながら観客全体にゲーム内での呼び方でコール&レスポンスをさせることによって観客があたかも舞台上の物語に参加しているように見せている。また、舞台にのみ登場するオリジナルキャラクターを作ることによって作品の新しい物語を見せ、観客を引き込んでいる。さらにLIVEを開催することによって、その世界観への参加を促している。
「刀剣乱舞」と異なり、「テニスの王子様」は漫画が原作の舞台になる。現在でも人気が衰えない2・5次元舞台のなかで特に歴史が長いものがテニスの王子様シリーズである。2003年頃から上演が始まり、原作を忠実に再現するため物語の内容はほとんど変わらないが、現在もキャストを変えながら4thシーズンとして続いている(※2)。テニミュ(「テニスの王子様」の「ミュージカル」を略して、通称「テニミュ」と公式でも呼ばれている)は当時2・5次元舞台の草分け的存在であり、2・5次元舞台で定期的な卒業というシステムがある(主人公・越前リョーマが入学した学校である青春学園のメンバーが、1シーズンのなかで1~2代の代替わりがある)。また、客降りという演出が施される場合があり、原作のキャラクターと触れ合う(ファンサービスをもらう)ことができる場合がある。
ここまで2・5次元舞台について述べてきたが、初めての観劇だと一体何から始めればよいのかわからないことが多いはずである。そこで一番大切になる観劇までの道のりを紹介したいと思う。
まず初めに行うことはチケットを入手することである! 特に歴史の長い作品だと、必ずファンクラブ(通称FC)が存在しており、そこが最速でチケット先行販売に申し込める場となる。続いてキャスト先行というものがある。作品のファンクラブ先行の次に早く行われる先行であり、出演するキャストのファンクラブ先行となる。基本ここまでの2つが最速かつ有料のチケット先行になる。
次は主催者先行だ。これは作品の制作会社からの先行申し込み枠となっており、無料の会員登録をすれば誰でも申し込める先行になる。
そして最後はプレリクエスト先行と一般先着だ。これはどちらもイープラス、ローソンチケット、チケットぴあの3社を使用することが多い。ここまでが事前にチケットを手に入れる手段となる。当日劇場で直接販売される当日券というものも存在するが、あらかじめ各先行でチケットを入手していたほうが安心である。
チケットを手に入れてしまえば、あとは観劇日当日まで健康に過ごし、持っていく荷物を考えるだけだ。劇場はどこも座席スペースが狭いため、大きな荷物にならないようにすることがポイントである。公演時間が長く、途中で休憩時間10〜20分を挟む場合があるため、飲み物は必ず持参することをお勧めする。さらに、劇場では物品販売(物販)といった作品のブロマイドやパンフレットなどのオリジナルグッズの販売があるため、財布の中には少し多めにお金を準備した方がよいかもしれない。また、快適な観劇にしたいと思う場合には、オペラグラスの購入を強く勧めたい。劇場では基本8倍のオペラグラスで十分である。観劇のために購入するが、東京ドームなどのライブでも使えるためぜひひとつ手元にあってもよい品物ではないかと思う。
2・5次元舞台と観劇についてまとめたが、敷居の高いように感じる舞台というものが少し身近に感じることができるようになったのではないかと思う。そしてこの2・5次元舞台には原作のキャラクターとされを演じる役者、どちらにも推しを見つけられる可能性を秘めている。これを読んだあなたが、舞台を観劇し、推しを見つけられたら、本稿を書いた意味を見出せるのではないかと考える。
あなたの推し活の一歩に、2・5次元舞台というコンテンツが響きますように。
(※1)グッズの企画制作を手掛ける株式会社トランスのコラム(著者・白峯アサコ)
https://www.trans.co.jp/column/trend/oshikatsu_25dstage/
(※2)ミュージカル「テニスの王子様」公式サイト
https://www.tennimu.com/
私はこれまで数多くのゲームをプレイしてきた。ノベルゲーム、RPG、アクション、ローグライク、レースゲームにカードゲーム……。沢山のジャンルのゲームに触って来た私だが、大抵のものはクリアした時点で満足してしまいそこでそのゲームに触れることはなくなってしまっていた。そんな私が一度クリアした上で同じストーリーをプレイし始める「周回プレイ」をするほどにハマった、JRPG(Japanese Role-Playing Game)の金字塔にして長い歴史を持つ「ペルソナ」シリーズを世界的ブランドへと押し上げた日本製ゲームの傑作『ペルソナ5 ザ・ロイヤル』(以後ペルソナ5R)についてその魅力を余すところなく紹介させていただく。
『ペルソナ5R』はジャンルとしてはRPGに分類されるコンシューマーゲームである。2015年に発売された『ペルソナ5』に多くの要素を追加した完全版として2019年に発売された。現在では、リマスター版が発売され、Nintendo Switch、PlayStation、Steam、Xboxなど様々な機種に対応しており非常に遊びやすくなっている。これを読んでいる方の中には、「『ペルソナ5』ということはペルソナ1〜4にあたる過去作品があるはずだが、まずはそちらをプレイする必要があるのではないか」と考える方もいるだろう。確かに、他のゲームシリーズであれば過去作からプレイすることが前提となっているものもあり、そう考えることは自然である。しかし『ペルソナ』シリーズはシリーズ全体で過去作との繋がりが稀薄であり、前作をプレイしておく必要がない。過去作の要素もないことはないのだが、調べなければそもそも見つからないようなものが多い上にゲームの進行や本編とは一切の関わりがない、いわゆる「小ネタ」であって過去作プレイヤーへの「ファンサービス」の枠に収まっているため過去作について気にする必要はない。実際に筆者である私の初めてのペルソナはこの『ペルソナ5R』だったが、最後まで過去作のことを気にすることなく楽しむことが出来たため安心して頂きたい。当ゲームの概要についての説明は以上だ。この先はゲームの内容について紹介していく。
本作品のストーリーは、主人公がある事情で東京の高校に転校するところから始まる。スマホにいつの間にかインストールされていた「イセカイナビ」という何度アンインストールしても復活する謎のアプリに違和感を感じながらも学校へ向かうと、そこにあったのは転校先の学校ではなく悪人の歪んだ心が具現化した異世界「パレス」だった。「パレス」に迷い込んだ主人公はそこで「ペルソナ」と呼ばれる特殊能力を発現することになり、その力と異世界を利用して悪人の歪んだ欲望を怪盗として盗み改心させる「心の怪盗団」といて活動していく……というのが本作のストーリーだ。本作はこの異世界と現実世界である東京を行き来しながら表(現実世界)では学生として、裏(異世界)では怪盗団として生活していくことになる。この日常と非日常のギャップが本作のストーリーの大きな魅力となっている。表では学生として日々の勉学に勤しみ、バイトでお金を稼ぎ、学友や身近な人々と交流する高校生らしく青春を謳歌していくストーリーが展開される一方、裏では「パレス」に潜入し悪行を暴き立て怪盗として欲望を盗み改心させ苦しむ人々を救うダークヒーローとしての非日常感満載のストーリーが展開される。パレスでは悪人の邪悪さが可視化されるため表とは真逆のブラックな面があり、この対照的な作りが非日常感を増幅させている。また本作に登場する悪人は、実績故に周囲の大人から守られている暴力教師や極めて強い権力を持ち殺人すらもみ消せる政治家など理不尽な存在ばかりであるため、彼らからもたらされるフラストレーションは凄まじい。だからこそそんな悪人を改心させた際のカタルシスは大きく、その点もストーリーの魅力となっている。
次にゲーム性について紹介させていただく。本作は怪盗団として「パレス」を攻略する異世界、バトルパートがゲームのメインとして据えられているのだが「パレス」を攻略するための事前準備は現実世界で行うこととなる。そこで重要になってくる要素として「コープ」という機能の存在がある。特殊な技能や権限を持つ人々と協力関係を結び交流し、友好度を上昇させることで「コープアビリティ」を取得できるようになる。「コープアビリティ」は「パレス」攻略において役立つものであり、怪盗団として活動する上で助けとなる存在である。また、特定の相手と絆を深めることで恋人になることも出来る。さらに複数の相手と恋人になることも可能であり、本作のヒロインは10人いるため好きなヒロインを選ぶことも最大10股をすることも可能である。そんな有用な「コープ」を深める上で必要になるのが主人公のパラメータである。「知識」「度胸」「器用さ」「優しさ」「魅力」の5つのパラメータが存在しこれらを高めることで初めて「コープ」を結べる相手もいるため非常に重要なポイントである。これらの能力は日々の授業やアルバイト、イベントに参加したり特定の施設を利用することで高めることができる。そのため、「パレス」攻略の前に学生としての生活を充実させる必要があるため本作をプレイすると、怪盗団よりも現実の方がゲーム性の中心にあるのではないかという考えも浮かぶほどに学生生活は疎かにできない要素である。
ここまで現実世界のゲーム性について語ってきたが、異世界側も要素が盛り沢山だ。「パレス」には謎解きを軸にしたギミックが数多く存在するのだが、その中には現実世界での行動で動く仕掛けもあるため異世界だけに囚われない発想が重要になる。加えて「パレス」には敵が徘徊しており、潜入する際には怪盗らしく物陰に潜みながら素早く移動し探索を進めることになるのだが、探索中に交戦状態に陥ることもある。そのため、戦うための力であるペルソナの育成は重要な要素である。ペルソナには先天的に保有しており戦闘中に恩恵をもたらす特性と、敵への攻撃手段、味方のサポート手段となる技がある。戦闘を行うことでレベルが上昇し新たな技を獲得できるほか、戦った相手を自分のペルソナとして自らの戦力に加えることができるため、ペルソナ育成に戦闘は欠かせないものである。またペルソナ同士を合体させることで、新たに強力なペルソナを作成することも育成要素として存在する。合体したペルソナは合体元の技や特性を引き継ぐため、自分だけのペルソナを作成可能で、育成の幅は非常に広いといえる。そしてこのゲーム独自の戦闘中の要素として、敵との交渉がある。戦闘中に敵を追い詰めると交渉を持ちかけられることがあり、応じると金銭や異世界で役立つアイテムの獲得または、敵を自らのペルソナに加えることも可能だ。前述の「コープアビリティ」にはこの交渉を有利に進めるためのアビリティもあると言えば、異世界での「コープ」の有用さがわかるだろう。
そして学生と怪盗、どちらの生活においても大切になってくるのがスケジュールシステムだろう。本作には日付の概念があり、一日に出来る行動の数が決まっている。前述の「コープ」を深めるための交流も「パレス」に潜入することも、施設を利用し主人公のパラメータを上昇させることもこの行動に含まれる。そのため一日一日の行動すべてがとても貴重であり、その日その日でできる事、やらなくてはならないことを考えながら日々を過ごすことが大切になってくる。限られた時間だからこそ青春は尊いのだということを、この作品を通して理解することができるだろう。
『ペルソナ5R』を語るうえで欠かせない魅力が、その「オシャレさ」だろう。本作のオシャレさはUIとBGMが根幹となっている。UIとはユーザーインターフェースという単語であり、ゲームでは狭義的にメニューや画面に出てくる数字など表示される情報のことを意味する。本作はこのUIへの力の入れ方が他のゲームと比較しても凄まじいものとなっており、かの『大乱闘スマッシュブラザーズ』を手掛けた桜井政博氏も自身の動画で絶賛するほどである。次にこのゲームのメニュー画面の画像を載せたので見ていただきたい。この赤白黒の三色をベースにしたメニュー画面の構造は一目で「オシャレだ」と思えるだろう。
機能性と「オシャレさ」、どちらをとっても一級品であると言えるだろう。また、BGMにも「オシャレさ」が凝縮されている。ゲームのBGMにしては珍しくボーカルが入っていることが本作のBGMの特徴だ。単なるBGMではなくまるで一つの歌を聞いたような満足感が味わえるだろう。楽曲の良さを文で語った所であまり良さが伝わらないと思われるため、下記にオススメ楽曲をまとめておくので聞いてみてほしい。ゲームに興味がないという人でも下記の三曲は是非とも聞いてみていただきたい。
・ゲーム開始直後に流れ、本作の楽曲人気投票でも一位に輝いた「life will change」
・敵に先制攻撃を決めた時に流れ、テンションを高めてくれる「Take Over」
・絶対に負けられない大一番で流れる一曲「Rivers In the Desert」
『ペルソナ5R』はゲーム性にストーリー、BGMにUIとすべてが高水準なJRPGの傑作である。ここまでの私の文章でその魅力が少しでも伝わってくれていたら幸いだ。その上で、もし興味がわいたのなら是非ともプレイしてみてほしい。新たなペルソナファンが生まれてきてくれることを願っている。
私が死んだときに流れる走馬灯の八割は推しメンが占めていると思う。そう思うくらいには推しメンに人生を捧げているし、推しメンの関わらないところでは薄っぺらい人生を送っているのだ。
スマホでろうきんのアプリを開く。赤色の数字ばかりの履歴に辟易して、残り少なくなった貯金には見ないふりを決め込んだ。私が払ったお金の何割が私の好きな人に還元されているのだろう、とグッズを買うたびに考える。おそらくCDの売上金は事務所に全額入っていて私の推しメンには入らないだろう。アクスタやチェキも、いくら入っているのか皆目見当もつかない。別に推しメンの生活を豊かにしたいから買うわけではないが、それでも一円も好きな人の懐に入らないとなると話は変わってくる。自己満足は時にエゴイズムとして牙をむく。
私の働くお店ではお客さんが一枚チェキを撮ってくれるたびに一割のバックが入る。一割、1000円のチェキで100円。自分の価値は思ったよりも安いもんだなと思う。お客さんは1000円で私を買っているのかもしれないが、私は100円で買われている。この認識の相違は埋まらない。私だって推しメンのグッズは10000円で購入しているが、バックは1000円かもしれない。たかだか1000円で人生の一部を売っている。それでも私は10000円で人生の一部を買っている。売る方は自分を安く売りだされているのだからたくさん買ってくれたっていいだろうと考える。買う方は高いから一つか二つしか買えなかったなと考える。9000円の差は大きい。誰も悪くないことだが誰もが悪いことである。
そんなことを考えていたとて、結局グッズが出たら買ってしまう。取捨選択ができないから、お知らせが来たら後先考えずに購入し支払いに悩む。「タイミーでもするか、当日入金だし」だなんて楽観的な考えでアプリを開いてみるが髪色ネイル自由での絞り込み検索では何もヒットしない。この世の中への恨み節を吐きながらアプリを閉じる。これを何回も何回も繰り返す人生を送ってきている。そもそも髪色が黒でなければいけない理由は一体何なのだろう。髪を黒に染めたところで髪をピンクに染めていたいという思考までは染まりきらない。意味のない、形だけの習慣のようなもの。社会を批判したとて私の口座のお金は増えるわけでもないのに、こんなことを考えて現実逃避していないと正気でいられない。好きという気持ちが行き過ぎた結果のことだ。私の気持ちは推し活なんて柔い言葉で収まるようなものではない。ステージに立つ推しメンはあんなに輝いているのに、それを応援する私は泥の中で蹲るのみだ。
昨今の推し活ブームは度が過ぎているのではと感じることがある。グッズが出たら買って当たり前。コンサートに複数公演入らないのはオタクとして失格。コンテンツを全部見てない人はオタクを名乗る資格がない。そんなのは誰が決めたことなのだろう。いつから私の好きは人の尺度で測られ、批判されるようになったのだろう。私がCDを何枚買ったとて誰かに関係のある話ではないし、私がコンサートに行こうが行くまいが誰かに影響のある話ではない。ただ好きだからCDを積むし、ただ好きだから全公演入る。それだけの話。私の好きの表し方はそこにあるというだけのこと。絵は描けないけど、絵の描けるオタクに嫉妬したことはない。きれいな韓国語でファンレターを綴ることのできるオタクにも、面白い話ができて推しメンをいつも笑わせているオタクにも、私は誰にも嫉妬したことはない。私にできないことが他のオタクにできるからということで嫉妬したってなにもいいことはないのに、なぜかCDを多く買えるオタクとコンサートに複数公演行くオタクは嫉妬の的になる。これは単に情緒の安定していない中高生のオタクたちが、同時に金銭的自由を得られない環境にあることが一因であると考えることができる。仕事をしていないから親からもらったお小遣いでしかCDが買えず、尚且つ、多感な時期の中高生特有の他責思考がこのような状況を呼ぶのではないか。結局のところ、人の金で生活しているような中高生の手にもSNSがあるせいで、推し活ブームは行き過ぎた思想に呑まれたのである。
しかし私の推し活は苦しいことだけではない。確かにお金はないしSNSでは叩かれるが、そんなものを障害だとは思わないほどに私は推しメンのことが好きである。ここからは好きなところをつらつらと語っていくことにする。
まずは何と言っても顔。推しメンはアイドルだから顔が良いのは当然のことであるが、それにしても私のタイプすぎるのだ。どうやら私の推しメンの顔は「麦茶顔」というらしい。純朴で曲線的で、すこし女性的な顔立ちをしているところが好きだ。春の日差しは私の推しメンの為だけに降り注げばいい。
歌声も良い。滑らかに伸びる高音。この世から音がなくなったとしても彼の歌声は忘れることはない。あとは誠実さ。昨今の男性にしては珍しいほど正しく誠実である。デビュー当初は「正しい男」というキャッチコピーを使っていたくらい正しい。賢く誠実なきれいな人間しか好きになれない私にとっては好条件のアイドルである。他にも、無声両唇摩擦音の発音の仕方が可愛いところ、埋もれ席に入っていても必ず見つけて手を振ってくれるところ、韓国人なのに日本語の勉強を頑張ってくれてオタクと日本語で意思疎通を図ろうとしてくれているところ、努力家なところ、意外と我儘をいうところ、あげたらキリがないほど彼を構成するすべての要素が愛おしくてたまらないのだ。
時々推し活をしていると自分を見失うことがある。私が本当に好きなのは推しメンなのか、それとも推しメンに貢ぐことなのか、推しメンに貢いでいる自分なのか。SNSに触れていなければこんなにCDを積むこともなかったのだろうか、とも考える。何のために現場に行って、グッズを買って、CDを積んで、毎日毎日推しメン以外にかけるお金を切り詰めながら生活しているのだろう。これは本当に意味のあることなのだろうか。こんなことを考えては終わりの見えない自己問答に精神をすり減らす。幸せを享受するためにしていたはずの推し活はいつしか自分の首を絞めるものへと変わりゆく。
しかし、そんな考えなど推しメンを前にしたらすべて吹きとんでいく。自分の為の推し活をしている。コンサートで好きな曲のイントロが流れた時の脳が焼き切れるあの感覚を、ハイタッチ会で冷たくて薄い手のひらに触れた時のときめきを、彼の幸せを願って流したあの涙を、すべて忘れてはいけない。私は私の欲求を満たすために彼を応援する。その過程で彼が幸せになるのを見届けられるなら何でもいい。他のオタクなんて関係ない。推しの為でもない。誰の為でもない、私の為だけの推し活。自分の人生の対価として推しメンの人生の一部を買う生活はいまだやめられそうにはない。それでも病まないで、楽しく推し活ができるといい。推し活というには醜い感情ばかり抱えてしまったが、そもそも推し活という言葉に完全な定義がないのをいいことにこれが私の推し活だと開き直らせていただく。推しメンに明るい未来だけが訪れることを夢見ながら、私はこの行き場のない汚い感情の埋葬場所を探して生きる。それが私の推し活なのだ。季節が何度巡ろうと、冬には初めて出会った日のことを思い出し、夏には初めて対面した日のことを思い出したい。春の風は推しメンの頬を撫でるためだけに存在し、秋の香りは推しメンの存在を引き立てるためだけにある。
君の走馬灯には私は一瞬たりとも映らないかもしれないけど、私だけが、私が君を好きだったことを覚えていられたらいい。
2025年7月25日 発行 初版
bb_B_00181462
bcck: http://bccks.jp/bcck/00181462/info
user: http://bccks.jp/user/133522
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp