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駒沢の生活史[2話]

駒沢こもれびプロジェクト




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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。

駒沢の生活史


第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
    みたいな話があったみたい

第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
    人生のあと残った時間を費やすっていうのが

第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
    駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)

第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
    そのとき初めて、ものすごい実感した

第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
    みたいな(笑)

第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから

第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
    そこをちゃんと見極めてたのは偉いと

第10話 どうなんですかね?
     結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです

第11話 まかない食い放題!
     生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
     じゃあ、○円くださいって言って(笑)

第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
     親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか

第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
     ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない

第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね

第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
     それが「あなたが社長ですから、
     これ、サインしてください」って、突然

第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど

第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね

第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね


第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
     お客さんって、すごいなとずっと思ってた

第21話 朝来た瞬間から、
     自分でやりたいことを自己決定していくっていう

第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)

第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
     「なんかあんまり」って思ってたけど


第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
     あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ

第26話 仕事してるとき、
     自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)

第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな

第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから

第29話 塾すら近所だからさ、
     全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの


第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
     私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
     「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
     プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう

第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
     けど、それ以来ずっとこの界隈で

第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
     駒沢でオープン

第35話 山梨の人は東京に出ると
     中央線沿線に住む人が多いんですけど、
     高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて

第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
     頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
     大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
     落ちたけど、コーヒーは飲みます

第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
     声かけられて、そういうのなんか憧れるよね

第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは

第43話 …どっからか来てるのかな。
     常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね

第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
     後ろから人生を逆算してるから

第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
     いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)

第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
     そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです

第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
     あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
     おっしゃって。「どうしよう」って(笑)

第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)

第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
     ことが尊いともあんまり思ってないんですけど

第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね

第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
     本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
     過ごしています

第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)


















だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

話し手 40代男性
聞き手 伊賀原純子


 ──生まれはどこだっけ?

 (笑)そっから? うん。生まれは、九州の福岡県福岡市。

 ──どんなところ?

 いわゆる地方都市。

 ──横浜とか?

 そんなに大きくない。ぜんぜん小さい。小さいけど、一応、九州ではいちばん大きい。

 ──東京でいう世田谷区と台東区の違いみたいなもの、福岡はあるの?

 ああー。なんだろう、街全体が小さいから。どうなんだろう。一応、福岡って呼ばれるところと、博多って呼ばれるところと、分かれている感じはある。
 福岡市の中の博多区と中央区なんだけど。博多区は、昔ながらのいわゆる博多と呼ばれる、江戸時代の前からの続く、なんか古めかしいところが割と残ってるエリアで。
 川を挟んで中央区は、メインの新しい街というか、大きな街になってる。でもそれも川を挟んで隣り合っているから、すぐ近く。そんなに東京みたいにでかくない。

 ──どっち側の人?

 僕はどっちでもなくて、もっと外れのサバービアなエリア。

 福岡って海に面してるから、海にも山にも。南は山で。海に向かって、こう、大きな街ができているって感じだから。でも、なんていうか東京みたいに、立川から新宿出るのに電車で30分みたいなことはぜんぜんなくて。ちっちゃいから。バスで30分とかで着いちゃうし。そうだね。ミニ東京みたいな感じ。

 ──ぎゅっと。

 ぎゅっと詰まってる。
 で、福岡は電車があんまなくて。あるんだけど、あんまなくて。いまね、たぶん3本ぐらいしかない。バスが、めっちゃくちゃ幅を利かせている。
 基本はバス。とにかくバス。

 ──そっか、それじゃあ高校まで?

 そう。高校卒業するまでいて、大学でこっちに出てきた。

 ──たまたま東京だった?

 たまたま……そうだね。受かったのが東京の大学だったから、っていうだけか(笑)。

 ──福岡とか九州の大学も受けてた?

 一応受けたけど。うん。あまりいたくなかった。
 福岡って九州でいちばん大きいから。そこに残るか、残るって手もぜんぜんあるんだけど。残らないという手を考えたときに、どっかに出ていかなきゃいけない。
 それが九州の他の県だったら福岡に行くっていう感じなんだろうけど、福岡にいたら、じゃあ次に出るとしたら、大阪か東京か、みたいな。選択肢がだいたいそんな感じになっていて。
 僕の感じ方でいうと、大阪を完全に飛び越して、東京を見てる感じ。
 (大阪は)なんか、こう、憧れている街ではないって、なっちゃう。

ちょっと、身の丈を超えてしまったというか

 ──仲間?

 仲間とも違うかなー。あんまり気にしてないというか。
 でも関西は、逆に京都の大学を受けた。姉が京都の大学に行っていたから、そういう選択肢もあるなって。
 ちょうど実家が京都に引っ越すことになっていて。
 だからなんか重なっていたから。実家についていくとしても京都、みたいな感じになっていて。だから大学時代とかは京都に帰っていた。

 ──東京は、最初どこに住んでいたんだっけ?

 最初は、国立。
 その頃とかぜんぜんさ、距離感とかわかんなくて。すげえ遠かったよね。だから。大学まで1時間。

 ──1時間! なぜ国立だった?

 よくわかんなかったっていうのが本当に大きいんだけど(笑)。
 実家の引っ越しとも被っていたし。私立と国公立を受けたんだけど、一応受かっていた私立大学の入学受付の締め切りみたいなものがかなりギリギリで。
 で、結局、国公立の方は落ちて、その受かった私立の滑り止めの方に行くことにしましょうかってなって、じゃあ東京に行くなら家を探さなきゃみたいになって、でも、本当に1週間ぐらいしかなくって。

 そのときに吉祥寺の東横インみたいなところにしばらくいたの。受験生向けのプランがあって。ご飯もついていて自習室みたいな感じで勉強もできますよ、という感じの。試験のたびに福岡まで行って帰って大変だからね。
 だから、吉祥寺と中央線近辺は、毎日帰ってきていたから。なんとなく知ってる。

 それで、いよいよ東京に引っ越さなきゃ、引っ越すぞってなって、家探し。じゃあ、どこから探していいのかわかんないみたいな(笑)。
 なんとなくわかるのって吉祥寺だったから。吉祥寺から探そうってなって。不動産屋を巡りながら、中央線近辺で探していた。

 で、部屋の感じみたいなのを見ながら、だんだんだんだん中央線の奥の方に下っていって。
 で、国立に。ま、予算的にも部屋の広さ的にもまあまあ良さそうなところがあったから、もうここでいい、ここにしようって決めたの。

 ──街は見た?

 うん。一橋(大学)を受けていたから。国立は良かったなっていう思い出はあって。

 いや、本当に距離感とかぜんぜんわかんなくて(笑)。これが東京なんだろうな、と思いながら。

 ──実際、受かった私立大学に通うには、遠かった(笑)。

 遠かった(笑)。
 そこになんやかんや卒業までいて。さらに2年いた。だから6年いた。

 ──へえ。割と。

 気に入ってたね。うん。友達もいっぱい増えたから。国立でできた友達は未だに仲良い子が多いよ。

 ──じゃあ、逆になんで引っ越した?

 なんでだろう? なんで引っ越したんだろうな。
 そうそう。そのときは、たぶんバンドをやってて。それの絡みでそっちに行きやすい方がいいな、都心の方が便利だな、みたいな感じだったんだと思う。いま思えば。確か。
 大学時代に国立でできた友達も、就職したり、活動エリアがさ、国立じゃなくなってきてたから。ここに別にいなくてもいいか、みたいな感じになったの。

──で、次が。

 明大前。4年間かな。やっぱり移動はしやすくなったよね。国立に比べて。
 新宿にも渋谷にも1本で出れるし。ただ明大前は当時は本当なんもなくて。明治大学があるから色々あんのかなと思ってたけど、本当なんもなくて。おもしろくなかった。

 で、明大前に4年住んで、次が学芸大学。祐天寺と学芸大のあいだくらい。そっちに4年、6年くらい住んでいたのかな。けっこう長く住んでいた。
 国立6年、明大4年、学大が6年、16年。

 ──学芸大学に行ったのはなぜ? 明大前より外側なわけで。

 そうだね。うん。なんだろうね。わかんないけど、なんか生活レベルを上げてやろうみたいな感じがあったんじゃないかな(笑)。

 でも、五本木なんかに住まなきゃよかったなと、いま思えば。なんていうか、なんだろう。なんかやっぱり無駄にお金がかかるし。家賃もそうだし。うん、なんか普通にフリーランスでやってる人間には。ちょっと身の丈ではなかったのかもな、とは思う。
 もっと稼げていれば違うのかもしれないけど。当時としては、かつかつ、というわけでもないけど、なんか潤ってはいなかったね。
 街はすごく便利だったし。すごく面白い店とかいっぱいあっていい街だなとは思うけど。
 ちょっと身の丈を超えてしまったというか。こうでありたいみたいな願望が大きすぎたのかな、みたいな。そんな6年。
 で、駒沢に、結婚する直前くらいに引っ越したの。

あれはあれで、ハレなのかもしれない

 ──なんかあんまり移動感がないよね。

 そうだね。うん。なんでそこにしたんだっけって感じなんだよね。よく憶えてないな(笑)。
 で、電都、田園都市線になった。当時、会社が渋谷で。なんかチャリで行けるみたいな感じだったから。そこらへんにしたんだと思うよ。

 ──ということは、家賃はお安くなった?

 変わらずだったね。若干高いぐらいかと。
 まあ、2人で暮らす家賃だから。むしろ実質的に安くなった。

 ──そっか。なんか駒沢というと緑が多いというイメージがある。

 そうだね、っていうか、僕が住んでた家は本当に30mくらいに駒沢公園があって。めっちゃ近くて。
 それはほんと未だに、あれは良かったねっていうぐらいの感じなんだけど。
 駒沢公園があって、北東側が駒沢大学駅。から対角な南西側。

 ──駅から行くと、駒沢公園を越える感じ? いちばん遠い。

 そう。奥沢とかに近い。すごく遠いから、駅からはめっちゃ歩いた。20分弱ぐらい。公園の中をずっと。公園のランニングコースを歩いて。で、途中で出る、みたいな。
 とりあえず、公園が近かったっていうので決めたような気がする。

 ──公園に近いのは、なんでいいと思ったの?

 うーん、そうだね。いや、やっぱり駒沢公園はでっかい木がいっぱいぽこぽこ生えていて。気持ちのいい公園だなっていうのがあったから。それが近いっていうのはいいねえとは思っていた。
 で、(スマホの地図アプリを指さして)このAってカフェが、いまもあんのかな。(スマホ地図アプリに店舗名載っているのを見て)あるね。このすぐ近くだったから。
 駅に行くには、この、ここを出て、246に行くか、この辺から公園に入っていけんのね。この中のランニングコースみたいなのをこうぐるーっと回って。にょろっと出る、みたいな。どう歩いても、15分から20分くらいはかかる。

 ──公園、いろんなところから出入りできるんだ。

 公園は、出入り口だらけ。

 ──部屋の場所は何階だったの?

 1階。1階は初めてだったし。なんていうのかな、外から覗かれないような、結構高い壁が、塀がついていて。あんまりこう外が見れるわけでもないし。あんまり部屋としていい感じではなかった。
 ただ、新築だったし、綺麗で便利っていう意味では。便利っていうか、公園に出るのに便利っていう意味では、すごく良かったけど。
 うーん。でもその後、別に新築に住もうって気がぜんぜんないから、別にまあいいかって感じかな(笑)。

 ──そっか(笑)。

 新築で狭いぐらいなら、古くても広い方がいいやって感じ。
 とにかく、この側(スマホの地図アプリ画面指さしながら)なんもなくて。
 なんもないというか、要するに、生活するのに割と不便なんだよね。こう、駅の周りにスーパーがあったりするんだけど、すごく遠いからさ、ここまでこう重たい荷物を持っていったりするの嫌だし。
 あとさ、なんかおしゃれっぽいカフェとか、割と老舗のお店とかもいっぱいあるんだけど。そういうのって、生活してたら別にいらないじゃんって。
 なんかああいうのって、よそから来る人が行くところであって、中にいる人はそんなに必要ないなって感じじゃない?

 ──ああ。

 なんか、日々行きたいとか、日々自分の生活の中に溶け込むようなところがそんなになかった。そういう意味で、なんもないって言っちゃう(笑)。
 「これが世田谷スタイルなのかな」みたいなのは思っていた。だから、そういうのって縁がないなと思って。

 ──そういうのはあんまり求めてなかった。

 求めてなかったね。ぜんぜん。

 ──(笑)え、なにを求めていた?

 いや、だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)。

 ──(笑)

 言い方が悪いかもしれないけど、全部こう、浮わついてる感じだから。
 ちょっと高いハンバーガー屋さんとかね。コーヒー1杯500円(当時)みたいなカフェとか。そういうのって、普段の生活の中にはぜんぜん必要ないからさ、ハレばかりなんで。ケがない。

 ──あんなに緑が多いのに。

 だからそれもそうなのかもしれない。あれはあれでハレなのかもしれない。

「この辺、住んでたんだよ、行ってみよう!」って、家の前まで行ってみたの

 ──緑は緑でハレか。緑豊かな公園が。

 そうそう、ハレ要因です。
 住宅地の方に行ってみたら、昔ながらの八百屋さんがあったり、パン屋さんがあったりとか、割とそういうところはよかった。
 ただその、駒沢大学なんて割と有名な大学とかあるわりには、学生向けっぽいお店とかあんまない感じがする。

 ──そっか。学生街的なものは?

 ない感じがするな。駅前にチェーン飲み屋とかはあったけど。安くておいしい定食屋とか、そういうのはぜんぜんだよね。

 ──不思議だね。学生っぽい店とか好きな人?(笑)

 いや、別に学生っぽいのが好きってわけじゃない。そこまでではないにしても。
 うん、やっぱり、そのハレ感がすごすぎて(笑)。

 ──(笑)

 なんか、さくっとご飯を食べに行って、まあ美味しかったねって帰って来られるような店がぽこぽこある感じじゃなかったから。
 ここ、すごくよく行ったね、みたいなお店はあんまない。住んでたのは3年、丸2年かな? 2015年の6月ぐらいまでかな。

 で、子どもが生まれたんだよ。駒沢にいるとき。
 いまのうちの上の子が6か月ぐらいまで、駒沢にいた。(住んでいる部屋は)一応3人ぐらいまでならオッケーかな、ぐらいの感じだったけど。
まあ、わざわざここにいる必要はないよね、みたいな感じ。
 でもやっぱり公園が近かったのは、よかった。
 ベビーカーだし。なんか休みのたびに、ちょろっと歩いて公園まで行ってピクニックするみたいな、子どもと一緒にごろごろするみたいなのがすごくよかった。それは本当に良かった。結婚とか、子どもができたみたいな、こう、大きなイベントのときに駒沢にいたから。すごい思い出深いし。
 で、いつだろう。今年の春かな、正月かな。久々にその近くを車で通って。

 ──へー。子どもと奥さんと車で。

 そう。家族と。「この辺、住んでたんだよ、行ってみよう!」ってなって、家の前まで行ってみたの。「ここだよ」って。車の中から「へー」みたいな感じで。別にそれ以上はないんだけど(笑)。
 まあなんか、一応東京生まれ。東京ではないな、生まれたのは埼玉の病院だけど、「東京に住んでたことあんだよー」みたいな感じで話をして。

 ──当時住んでた建物は変わらず?

 変わらずだね。まだ10年。10年ぐらいかな、9年前ぐらいかな。
 なんかいまになって「またゆっくり行きたいね」「駒沢公園とか行きたいね」とか言って。「旅行的な感じで行くか」みたいな。どっか、このへん1泊して行くか、みたいなのは思ったりするけどね。うん。

 ──いいねー。車で行くと、いま住んでるとこからどのぐらいなの?

 1時間ぐらい。(スマホの地図アプリを見ながら)駒沢公園……、うん、1時間。
 その後は埼玉県民なんで、最後の東京は駒沢って感じかな。

 ──最後って言っちゃう?(笑)

 また住もうっていう気があんま起きないね。
 さっきも言ったけど、やっぱハレの街だからさ。疲れちゃうね。
 少なくとも23区に住むことはなかろうなぁ。
 住むんだったら、本当に八王子とか、その高尾とか。そっちの方には興味あるかな。ちょうどいい田舎ぐらいの感じ。

 うーん、なんかそうね。(駒沢は)ザ・世田谷って感じでよかったね。

 ──世田谷って広いよね。

 広い。やっぱり昔から住んでいる人も多いし。なんか家がすごく古いのがドンドンドンってあるみたいなのはすごくあるし。
 東京に昔から住んでいる人がいるエリアなんだな、みたいな感じの。なんだろうね、僕の中ではすごく東京感がある場所ではあるよね。

 ──それは明大前とかよりも?

 ぜんぜん。世田谷だから、だったのかもしれない。

……ほんとに。ほんとにわからなかったんだよね

 ──下町のそういうのとはぜんぜん違う。

 そうそう、そういうのとはぜんぜん違う。西のこの、どっしりとした。なんか「江戸っ子でぇい」的な感じの東京感ではない、本当に、ずっと「ただ地元がそこだ」っていうような人がいっぱいいるイメージはある。
 世田谷区役所あたりに行くと、ほんとに古い世田谷って感じで。
 それはすごい。すごいよかったね。ほんとに世田谷区って、巨大だからさ。

 ──こっちには、ずっといようと思ってるの?

 九州に帰る理由もなくなっちゃったから、帰ることはないかも。
 実家は福岡から京都に行って福岡に戻ったけど、僕はその間ずっと関東だし。
 で、福岡の実家はもう誰もいなくなっちゃったから。福岡に。僕に帰る場所はないので。

 ──お姉ちゃんも?

 姉はいるけど、姉は別に嫁いでいるから。関係はない。
 でもまあ住むんだったら、福岡すごくいいなと思うけど。

 ──なんか、話を聞いてて、福岡愛は感じました。

 愛はあんのかな? ぜんぜん思い入れないんだけどね。だから、その、18歳からさ、いままでいないからさ。
 基本的に住んでいないから。ぜんぜん知らないんだよ。逆に。
 ぜんぜん知らない。高校生までしかいないからさ。
 むしろ、お店とかぜんぜん知らないし。だから、むしろ帰省するたびに自分で調べて。ああ、こんなところがあるんだねみたいな感じで。調べないとわかんない。
 だから、旅行に行くところだ。うん。ぜんぜん、旅行。

 ──実家は、もう売っちゃった感じ?

 うん。ない。
 でも旅行にはさ、その、街はコンパクトだからさ。
 なんか海でも山でもさくっと行けるから。そういう意味ではすごいいい。

 ──海、近いんだ。

 近い。しかもめっちゃ綺麗。
 ふふふ(笑)。真っ青な。真っ青な海だよ。ちょっと行けば。全部が全部じゃないけど。

 ──えっと、江ノ島とか三浦とか、そういう?

 もっと南の島っぽい。(スマホで浜辺の写真を見せる)

 ──やば。すごいな。

 こんなこんなで。ちょっと都心から地下鉄30分ぐらいでこんなんだよ。

 ──え、30分でこんなエメラルド。

 そうだよ。結構ビビるでしょ?
 福岡、こういうのがさくっと、都心からでもちょっと足を伸ばせばいけるみたいな感じのコンパクトさはすごくいい。
 なんか、すぐびゅっと都心に出てちょっと走ればすぐ海みたいな感じだから。そのコンパクト感がすごくいい。そういう住みやすさ、すごくあるなとはいまでも思うけど。
 いまは別に。いますぐ住みたいとはぜんぜん思わない。
 なんでだろう? めんどくさいからかな(笑)。
 知り合いがね、あんましいないしね。多少はいるけど。

 ──東京の方が多い?

 いや、いるよ、ぜんぜんいるよ。

 (しばらく沈黙)

 ……ほんとに。ほんとにわからなかったんだよね。西も東もわからない(笑)。
 距離感もわからなくて。電車で生活、電車で移動するっていう生活をしたことがなかったから。電車で移動するっていうと、新幹線に乗るみたいな、旅行しかないから。
 何分乗ったらどのくらいの距離なのか、ほんとにわかんなかった。
 だから、「電車だから遠くまで行くでしょ?」みたいな感じなわけ。そういうもんなんだなあと。これが東京なのかなって思って。

 でも本当に国立に住めたのはラッキー。楽しい町だったし、本当にいい思い出がいっぱいあったし。

逆に、どこでもよくなっちゃった

 ──でも、いまは実家がなくなっちゃったわけじゃん。

 うん。

 ──それはどうなの?

 うん。僕も、姉も、実家を継いで、というかそのまま引き継いで住もうって気はさらさらなかったから。満場一致で売るかって感じで。
 まあ、18歳まで住んでたし。なんやかんや、最近は帰っていたから。
 思い出がない。思い出がないとは言わないが、思い出はない。
 それもあるし、なんだろうね、割となんか最後らへんはこう、家族仲がいまいち良くなかったから。

 ──そうだったんだ。

 なんか、もうとっとと、綺麗さっぱりしたい。みたいなのは強かったかも。
 うん、割と最近だね。うん、さっきまでって感じだから。
 その、一昨年、父が亡くなって、去年母が亡くなって。実家はやっと売れて。これから、取り壊しみたいな感じだから。だからなんだろう、早くそれを終わりにしたい。
 来月再来月あたりに行って、最後の整理? 片付けをして、みたいなね。

 実家には、そりゃ思い出はないわけじゃぜんぜんないし、いっぱいあるけど、それを引き継いでどうこうしたいみたいなのは、ないかな。

 でも、本当に、なんだろう。
 福岡に行くイコール実家に帰省するみたいな感じでも、ぜんぜんなかったから最後。最後っていうか、もうここ20年ぐらい。
 実家には行くけど、泊まるところは別みたいな感じだったりしたから。ぜんぜん、そのなんだろう、思い入れがある感じではないんだよ。

 ──じゃあ、これからも埼玉?

 わかんない。逆に僕は埼玉に、家族以外に個人的な縁もゆかりもないから。

 ──奥様が?

 地元。
 そう。だから僕は別に「埼玉、最高。絶対いい!」とか、そんなに思ってないし(笑)。
 逆にどこでもよくなっちゃった。

 ──仕事は、東京?

 うん、会社は東京。うん。でも家でしている。ほとんど関係ない。
 そう、そういうどこでもいいからどこでも働ける仕事をしてるみたいな感じはある。
 パソコンさえあればなんとかなる仕事だから。どこでもいいやって感じだね。
 それで、ここ数年、毎年夏はどっか別の町に住むのを、やってる。
 去年も北海道、今年も北海道。
 北海道の中でも場所はぜんぜん違うけど。うん、だいたいそこに1か月ぐらい、夏の間は、住む。

 ──子どもも夏休みだし。

 そうそう。いまはとにかく暑いし、無理だから。関東。
 そういうのは許される。許されるっていうか、できる職種だし、仕事だし。
 チャンスがあるならいろんなとこに住んで、行ったことある場所を増やしたいな、みたいな感じ。「今年はどこにする?」みたいなのは、毎年話し合って。

 まあ、子どもの学校ぐらいじゃない? 縛られるのは。
 うん、そこはね、学校とか子どもの選択肢みたいなことを考えると、なんかやっぱりね、東京とかそこに近しいところにいるっていうのが選択肢という意味ではいちばん広いんだろうなとは思う。
 という意味ではね、どこでもいいってわけにはいかないのかなとは思うけど。
 ただまあ、その子どもの選択肢という意味でも、地方いろんなところに行ってみて、「ここに、こんなところがあるんだ」って知ってもらうのはいいことかなとは思っている。

 ──めちゃくちゃわかる。

 いやほんと。やっぱり、そういうのもね、選択肢があるっていうのはいいことだし、そこだけかな。
 で、その移住者を募っている地方の都市が色々とサポートしてくれるから、そういうところに乗っかって、夏のプチ移住みたいなのをいまのとこやってる。

 ──逆に、駒沢あたりに夏の間だけ移住とか(笑)。暑いか(笑)。
 
 暑いよー(笑)。子どもと外に出られないもの。
 でも、駒沢公園でピクニックしたのは、本当にいい思い出なんだよね。ピクニックっていうか、本当に公園で遊んだなーと思って。

 で、その夜な夜な(セミが)羽化するところを見に行ったり。見放題。うひょーみたいな。
 なんだろう。そう、都心の中にあって、ああいうちょっと自然と触れ合えるみたいなのがあったのはすごい良かったし。まあ、子どもと一緒にその、木陰でピクニックしたのはすごくいい思い出だし。
 桜も咲いたりして。それはすごくよかったかなー。あと、フリマやってたり、オクトーバーフェスとかやってたり。なんかそういうのにさくっと参加できる面白さはあったし。

 ──うん。

 その、64年の東京オリンピックの、まあちょっとした遺構みたいな? 遺構じゃないけどさ、使われてるんだけど、そういう東京のレトロみたいなのに触られる場所だったみたいなのは、けっこう良かったかな。

 街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
 「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
 
 「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。

 まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。

 メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
 結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。

 話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
 話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
 音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。

 届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
 もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
 最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。

 併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
 本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
 挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。

 ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
 オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。

 私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
 そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。

 ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
 他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。

 私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
 駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。

西村佳哲(2025年7月31日)

駒沢の生活史[2話]

2025年11月11日 発行 初版

発行:駒沢こもれびプロジェクト

「今日の駒沢」
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