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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。
第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
みたいな話があったみたい
第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)
第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
人生のあと残った時間を費やすっていうのが
第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)
第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
そのとき初めて、ものすごい実感した
第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
みたいな(笑)
第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから
第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)
第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
そこをちゃんと見極めてたのは偉いと
第10話 どうなんですかね?
結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです
第11話 まかない食い放題!
生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの
第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
じゃあ、○円くださいって言って(笑)
第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか
第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない
第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね
第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
それが「あなたが社長ですから、
これ、サインしてください」って、突然
第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど
第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね
第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね
第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
お客さんって、すごいなとずっと思ってた
第21話 朝来た瞬間から、
自分でやりたいことを自己決定していくっていう
第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの
第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)
第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
「なんかあんまり」って思ってたけど
第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ
第26話 仕事してるとき、
自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)
第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな
第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから
第29話 塾すら近所だからさ、
全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの
第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです
第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか
第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう
第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
けど、それ以来ずっとこの界隈で
第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
駒沢でオープン
第35話 山梨の人は東京に出ると
中央線沿線に住む人が多いんですけど、
高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて
第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
頼れるのは家族みたいなのはあったのかも
第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた
第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ
第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって
第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
落ちたけど、コーヒーは飲みます
第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
声かけられて、そういうのなんか憧れるよね
第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは
第43話 …どっからか来てるのかな。
常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね
第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
後ろから人生を逆算してるから
第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)
第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです
第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど
第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
おっしゃって。「どうしよう」って(笑)
第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)
第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
ことが尊いともあんまり思ってないんですけど
第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね
第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
過ごしています
第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)
話し手 70代男性
聞き手 川島恵
……会社の、経営者をやってるとね。やっぱり今日の売り上げ重要なんですよ。
従業員を食わせなきゃいけないし、会社を維持しなきゃいけないし、それが社会に対する責任なんです。
そうすると目の前にあるルールで戦って、なんとか勝ち組になろうとするんです。ある意味でのマネーゲームなんですけどね。その方が打ち込めるんですよ。
スマホの対戦型のゲームで、どんどんどんどん点数を上げていくと、一生懸命になれるじゃないですか。
なにも忘れて。
たぶん、いまの人類の置かれている状態は…それなんですよ。なにも忘れて一生懸命になるものがあるんだけど、じゃあ、と言って足元を見たときには崩れてる。
で、それは僕が歳を取ってきて、マネーゲームもやってきました、世の中からから評価されるものをつくろうともしてきました、で70になって…じゃあ自分はこれからなにに力入れられるの、ってなったときに…もうマネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、人生のあと残った時間を費やすっていうのがものすごく無駄だってことがわかる。
それは、この歳になったから言えるんですよ。だからある意味では僕たちは…これはあなたもそうなんだけど…ものすごくいま、人類としては最高に恵まれてる状態を経験してるわけです。
で、これを経験したから次に踏み出せるってものは僕はたぶん、あると思うんです。
──ふむ。
正解がある問いは一生懸命やるんですよ。だけど正解のない課題とどうやるのって…。正解がある問いに人間って行っちゃうんですよ、楽だから。煩わしくないんです。
……小学校のときも、両親を呼び出されて「この子はたぶんこのままほっといたらね、もう詐欺師か大泥棒かどっちかです」って言われた、と後で聞かされました。
──そのときは言われなかった。
そのときは両親は僕には言いませんでした。
学園紛争のとき、事務局長やってたんです。生徒会、全体講習会があって、壇上で忙しいんですけど、クラス討論とかグループ討論とかってなると壇上の連中たちはやることなくなるんですよ。
…と、塀乗り越えて。隣のパン屋に行って。あるだけのアイスクリーム買って「え〜アイス、え〜アイス」って言って、そのあいだ売り歩いて。出た差額で結構いい思いしてたんです(笑)。
──(笑)
あの…学園祭で、ゲーセンをやったんです。いまで言う。大きい巨大なパチンコのボードをつくって。
お金賭けちゃダメだっていうから、ロッテのガムを定価で売るんです。入り口で。「このガム何枚でこれ1回玉打てますよ」って。「だから大丈夫。別に俺お金取ってないよ」って。
先生たちも「100円のものを100円で売ってんのか。じゃあしょうがないな。じゃあいいよ」って。
だけどね…結局そのガムは使えないから回収するんです。で、それもう一回売るんですよ(笑)。
──! ずっと…(笑)。
そう、ずっと。あの、地域通貨ってそれですからね。地域内で回していくことによって何回も使えて、お金が地域内にとどまる。中で使ってればそこで価値を生むんです。地域内循環経済。
大人になっても同じことやってるわけです。里山資本主義とか言って、かっこよく(笑)。
──すごいー。でもなんか…生きた感じがしますね。
え、あーそうですか。
──出来事が事実を追ってるっていうよりは気持ちが…踊ったりとか、揺らいだりとか。
そう、そう。それが幸せだと思うんです。
世代と世代が繋がっていって、それが集まっていくっていう。人間って、その仕組みをどう考えてやるかってことなんだと思うんです。
決して一人一人にモノを豊かにすることではなくて、共感だとか共有だとかっていうような概念をベースとした、そういうものをつくっていけば、持続可能性っていうのはこっち側で担保できるかもしれないです。
一人一人の欲望のままを延々とやってると、たぶん地球はもう持たなくなるギリギリまできてる。そんなとこが、いまの興味あることです。うん。
教育も、僕は接着剤だと思ってんですね。
──接着剤。
世代を繋げたりだとか、土地と人を繋げたりだとか、あるいは人と人を繋げるというのも当然あるし。
だけどそれは正解がないもんで、みんなやりたがらないんです。
──面白…そうに聞こえてきますよね、伺っていると。答えがないものだったり、循環型っていうと、広い視点でいろんなことを知識として持ってないと構成を考えられないような、なんとなく認識を持ってしまう人もいると思うんですけど、さっきの文化祭の話とか。
そうそうそう。…で、失敗もたくさんしてて。「サーキュラーエコノミー」って口で言うけど、そんな簡単ではない。単なる一回の循環じゃなくて立体…3Dで絶えず循環、要するに人間の血液と一緒ですよ。
そんな仕組みを考えないと、たぶん循環経済って成り立たないんです。そんなこと考えるのも楽しいでしょ。だけど、それには失敗してきたから気づいた。
──「答えがない」っていうのと、なんとなく重なりますね。
そう。答えがない問いだとか、答えのない状態に面と向かう精神能力をどう養うかが教育の、本当はね、いちばん重要なことになるかもしれない。
人間はなかなかその煩わしさから逃げたくなるんです。答えのない問いから。
まあ…家庭だとか配偶者なんていうのは、もう答えのない問いの最たるものですからね。その辺で嫌でも覚えていかされるわけです。
本当にね子供ができるってことはね、賽の河原で石を積んでね、鬼が来て、それを壊して…っていう、それの繰り返しですから(笑)。
──そっかぁ。
あの子供の頃…まだその、駒沢が赤土の山だった頃に…不幸では決してなかった。あのとき楽しかったこともよく覚えてるし、いまよりはるかに世の中全体がワクワクしてた。
高度経済成長の、まさに真っ只中に入ろうとしてるときですから。
で、やっぱりちょっとおかしかった時代…だと思うんです。その前の幸せだった時代、そこに戻れではなくて、どう繋ぎ合わせた社会をつくれるかみたいな…こともトライ、だと思ってるんです。
それは前の世田谷の風景、駒沢の風景を見てきた世代がやんなきゃ、なんか言わなきゃいけないことなんだなっていうことは思ってます。
それでまぁ、今日もお受けしたんですけどね。
費用対効果っていう、経済をすべての真ん中に置いた社会が、持続可能じゃないんですよ。仕組みとしてはとても重要なんだけど、経済的価値がすべて優先するんです、という…。
相続税が高くなることによって平等な社会ができるって、それは間違いないんだろうけど、じゃあ平等だったか平等じゃないかっていうこと考えると、あのときの方が平等だったんですよ。いま平等じゃないんですよね。
──力を感じましたね、最後の一言が。
ひょっとしたらだけどあの平等はね、戦争がつくり出したものかもしれないんです。みんな家族を亡くして。ある意味では、戦争の被害者になって。
うちの親父の世代は、友達は8割ぐらい戦争で死んでんですよね。しかも、優秀なやつから最前線に行かされるわけです。勝たなきゃいけないから。
で、やっぱり死んだ連中たちのために日本をどうにかしなきゃいけないっていう意識は、とても強かったから。発想からして、「自分だけこん中で勝ち残っていこう」なんて発想はそもそもない…ですよね。
あの……戦争って僕たちは残されたから。原爆にしても東京大空襲にしても…被害者の声しか聞いてないんですよね、ほとんどが。
ところがね、最近になって、この5年ぐらいかな…加害者が語り始めてるんです。
だから私も何人かの方は聞きました。結局、人を殺すってことはいけないことだって、それはみんな教わらなくてもわかってるじゃないですか。ところが戦争っていうのは、人を何人殺したかによって表彰されてく世界なんです。勲章が来るんです。
つまり、自分の持ってる価値観とまったく逆のことを…やらされてくっていうのはね、戦争ってものの恐さなんで。それはウクライナでもロシアでもガザでも同じことだと思うんです。
戦争っていう一つの狭められた価値観…ほんっとうに限られた価値観を与えられた瞬間に、人間はそこで思考停止になって、鉄砲を前に打てるようになるんです。
で、「あのとき平気で…鉄砲を打てた自分は一体なんだったんだろう」。それから「あのとき平気で…その、残された女性を犯した自分は一体なんだったんだろう」ってことをね、加害者ほど問うようになるんです。自分自身を。
だから、なかなか加害者の声は聞けない。だけど…この最近それを語ってくれる人…やっぱり命がもう…あの人たちも90以上ですから。
──うんー。
その、戦争っていう異常な体験だけはもう起こしちゃいけないっていう…みんなで残されたもので生きていこうっていう…被災地の人たちがみんな「絆」って言ってたのとおんなじ現象だったのかもしれないですよ。そのときの日本は。
だけど、戦争が起きないとそれ気づかないっていうのは、人間としてはやっぱり…情けなくて。いまもう大変な、切羽詰まった状態。誰もわかってて…。
……どうつくれるかですよね。
これから…20年ぐらいの間に結論が出て、その世界の主役はあなたの年代の人たちなんですよ。それだけは間違いないんです。みんなそういう年の巡り合わせに生まれてきた。
簡単に言ってしまえば、自分で考えていく、正解のないものに考えていくっていう…魂なのかな、筋肉なのかな。「向き合うんだ」っていう…その力をつけないと、社会変わんないなと思うんです。
──伺ってると、両面とか3D…奥行きがあったり時間軸があったり、が残ってくるお話が多いんですけど、その…感覚的なものってご自身はどうやって…出てきたっていうか。生きてきた年数って言ったら、確かにそうだと思うんですけど。
時間軸をやっぱりいちばん教わったのは、森と関わるようになってから教わってるよね。
それから…メタ認知。多面的なものっていうのは、まぁ偶然っていうか、タイのバンコクに生まれ育ったってこともあるんだろうけど。
…ずーっと僕仕事やってきた場所は「発展途上国」と言われてる国で。アフリカとか南米とかアジアの国とかっていうのがほとんどだった。
農業専門家っていうと、農業を教えなきゃいけないっていう立場で行くわけだけど。結局どの土地に行っても、そこで何千年って人が暮らしてきてるわけで。その風土に合わせた何千年っていう生き方とか、農法っていう…で、その向こう側にあるものの考え方だとか見方っていうことは、全部理由があるんだよね。
本当にいいかげんで時間通りには来ないんだけど、それはやっぱり農作物も時間通りにはできてくれない場所だったから。「何時何分」なんて縛られてるってことは、もしくは縛られて生きていこうと思ったら、南米では生きていけないわけだよね。自然と対峙しながら。
だけど、もっともっと悠久な時間の中には繋がってるし。
日本にいると意外と簡単に戻るんだ、元の自然に。ツボだけを押さえてあげると。多様性ってすぐ戻ってきて。土の中に埋まってた種だとか芽がちゃんとまた対応してくれたりする。
だけど海外行ったら、一回失われた生態系は、まず戻らない。
ヨーロッパで言ったら、緯度がどこも高いから日照時間が圧倒的に足りないし。それからアジアへ行ってしまえば、赤道に近いから温度が高いんで土の中の分解が速い。ジャングルと言っても下が砂漠なんだよね。栄養素的には。
だから上を切ったらあっという間に砂地しか残んない。アマゾンもボルネオも。
いろんなカルチャーショックを受けてきたっていうのが、いちばんやっぱり大きいと思うよ。
──日本にいたらあたりまえだって思う景色が叶わない場を、いくつも経験されたり、見たり。
パラグアイ行ったときに、朝の9時から試験場が始まるから、僕たちは朝の8時とか7時半ぐらいに行って、場(じょう)を一回りして。
僕の部下…その国の優秀なエリートたちっていうのはみんな10時ぐらいに出てきて。で、午前中2時間ぐらい仕事すると、シエスタでみんな帰っちゃう。昼休みはワイン飲んで昼寝して…で、2時半か3時くらいには出てきて。だけど4時半にはもう帰っちゃう。
午前2時間、午後2時間っていうのがだいたい労働時間。で、うちらは6時まで仕事して。
帰るとみんな家の前にテーブル出して、白いナプキンかけて、ワインを置いて。で、お料理置いてどんちゃん騒ぎやって、楽器持って、歌うたって。
で、それまでは「先生、先生」って言ってたやつが「おー、いま帰ったか〜」「ちょっとここで一杯飲んでけや〜」っていう感じで、延々と歌を聞かされたりとか、演説聞かされたりして。
みんな小さい庭にプールがあって。そういう生活を送ってて。
ぜんぜんそれで、ちゃんと生きていけちゃうわけよ。「なんなんだ」って思うよね。
──「なにをしに来てるんだろう…」って。
そう、なにをしに来てんだろうって。
「日本は大変だな〜!」って。「俺たちはそんなところじゃ無理だな〜」「よかったよかった、パラグアイに生まれて」って。みんな。「可哀そうになー」って可哀そうがられるわけよ。
「日本はそれだけ一生懸命働かないと、食ってけないのかー」「俺たちはもうそこら中に牛がいるから〜」「人口より牛が多いし、グレープフルーツはいたるところに成ってるし、アボガドもいくらでもなってるから〜」って。
うーん。
──不思議な…。支援…で行って、なにを…。
そう。向こうにしてみりゃ「支援させてやってる」ぐらいのつもりだからね。
もう、いちばん大変だったのは『飲み屋』ってシステムを教えること。
──『飲み屋』。
『飲み屋』ってないのよ。バーとか居酒屋っていうの。で「それはどういうシステムなんだ?」って言うから、「いや仕事終わるだろう?一杯飲むんだ」って。
で、「なに飲むんだ」とかって。「ビールとかウイスキー」「ちなみにそのビール1杯いくらで飲むんだ」と。「いや1杯300円だよ」「日本ってビールそんな高いのか」って。
「家にあのタンクを買ってきたらいくらぐらいで飲めんだ」「家で飲んだら、まぁだいたい150円ぐらいで飲めるわな」「…?なんで300円で飲むんだ?」って言うわけ(笑)。
「家に帰って150円で飲めるんなら150円で飲めばいいじゃないか。なんでそんな無駄なお金を、そこで使わなきゃいけないんだ」と。
「やー。帰ったらカミさんとかいるし、上司の悪口も言えねえし」つって。
「…?なんでそんなこと言わなきゃいけねえんだ?」って言われる。「あたりまえだろ。そんな変な会社の人間と一緒に酒飲むより、家族と酒飲んだ方がよっぽど楽しいじゃないか」って。みんな「そうだそうだー」と。「どうしてもその居酒屋ってシステムが俺たちには理解できない」って。
…言われてみりゃあ、確かにそうだよなぁと思う。
──確かに…。そんときなんて答えられたんですか。
「大変なんだ。いろいろやっぱり会社の同僚じゃなきゃ言えない愚痴もあるしな」つって。「はあ〜?」とか言われ。…理解できない。「愚痴を聞いてもらうために、わざわざ高い無駄なお金を使うのか?そこで」って言われる。
──うぉおお。いろいろ違いますね…。
うん…そういうようなとこばっかりで暮らしてるとさ、だんだん自分が一体なんなのか?ってのは、わかんなくなるんだよ。
一回、電車が時刻通りに来たんだ。「あ、時刻通りに来るんだ」っつったらさ、前の日の列車だった。冗談みたい(笑)。
「チケット見せろ」つったら前の日なの。「お前の来るやつはまだだ」とか言われて(笑)。
──いったいなにを大事に…。
そう。
たぶん、フットプリントで言ったら1を切ってるんだよ。ところが持続可能なんだ、あのシステムの方が。
日本の価値観なんて、あんまり、子供をまずそれで縛らないことだし。なんでもいい。ありだなって思うよ。
とくにいまの日本では餓死はしないし。生きていくのになんの心配もしなくて、少なくとも「生きていく」ということは保証されてる世界の中で「自分のやりたいことがわかんないんですよ」って、みんなどうだか言ってるわけだよね。ふふふ。
──いやー。見てる…ところが限られるって、結構恐ろしいことな感じです。
そうそうそう。それが恐くなる。自分が「こうだな」って思うってことは思考停止することだからね。
たえず「そうじゃないんじゃないか」を思ってないと。
──うーん。面白い。
うん。
ねぇ、いちばん大変な、これから、地球の変わり目を見れるわけだから。
地球。人類の変わり目だ。
………死ぬのは、恐い?
──質問されちゃいましたね(笑)。
ふっふっふ(笑)。
──うーん…自分が死ぬっていうことについては、あんまり考えずに生きてこられちゃってます。
うん。
不思議だな、と思うのは、僕たちの年代になると、死ぬのをものすごく恐がる人と、あんまり死に…死に囚われなくなる人が分かれるんだよね。
──そういう風に感じられる。
うん。そんなことを感じる。ときどき。
で、もうやっぱり友達たち、クラスの同級生たちが死に始めてる歳だしね。とくに必死に仕事をしてきた連中たちは。
いい加減だからね。俺なんかね。だから…生き長らえちゃってるわけだけど。
──いやー。ご自身はそれを「不思議なものだ」って感じてるんですか。二つに分かれる。
うん、分かれるんだなって。
僕にとってはあんまり死っていうのはなくて。こう、逆に「どう生きるか」だけ、で。どう生きるかの裏返しが「どう死ぬか」っていう話だろうな、ってぐらいしかない部分だから。
で、しかもまぁ自然科学だったから、肉体ってものがどういうものかっていうことも知識としてはこう知ってる部分があるけど。
やっぱりものすごく死に囚われる人たちが出てくるよな、と。
うちの親父が…僕は20代の頃だったかなぁ。「歳を取って、宗教持たないと不幸だな」って言ったことがあって。「へえーっ」と思って。
──うん。
で、「あーじゃあ、キリストにすがるとかブッダにすがるとか、すがるものを持たない、心の中に持たないと不幸だなって意味なのかな」と思ったんだけど。
なんとなく「そうじゃないな」っていう風に、最近思い出してて。
要するに「なんで自分が生きているんだ」とか「自分と自分の肉体っていうのは同じものなのか違うものなのか」とかっていう、一つのその…思想っていうのかな。…観念っていうのかな。
そんなものを持たないと、っていうことを言ったんだろうな、と。
あんときの親父はいまの僕よりはるかに若いわけで、50ぐらいだったと思うんだけど。
……わかんないね。人間ってなんで生きてきたのかもわかんないし。どう行く(生く)のかもわかんないし。
いちばん重要な命題がわからないわけだからね。どこから来てー、どこへ行くのか。
だけど絶えず身体の中で新しい細胞が生まれて、古い細胞が死んでいって。
…木っていうとさ。木の内側、死んだ細胞なんだ。で、外側の年輪だけは生きてる細胞なんだよ。
木を切ると、赤身と白太って言うんだけど、赤いとこは死んだ細胞、白いところは生きてる細胞。で、それがどんどんどんどん外側に外側に出てくから、内側に死んだ細胞を抱え、木は絶えず自分の死骸をこう抱きしめてる。それで大きくなってる。
──その感覚ってどんななんでしょうね。
ね。死んだ細胞は、人間の場合はたぶん排泄されちゃうんだよな。どんなに二日酔いになっても、一日すりゃぁまた元気になって「飲みに行こう」って言い出すっていうことで。
──(笑)
………スティーブ・ジョブズが最後死ぬときに、「自分がつくってきた会社とか業績って、社会に認めて欲しいと思ってやってきただけのことだった」と。僕にとっては、人生にとっては「単なるファクト、事実でしかない」って。
アメリカンフットボールだとか高校時代に華やかにやってた男子たちの中で、羨ましいなって思って、女の子たちの目をこっちへ少しでも向けてやろうと思って、自分の居場所探しとしてこの仕事をやってきたと。
で、死ぬ間際になって思うのは、結局それはそれでしかなかったと。自分の人生にとって意味があんのは、家族であったり友達であったり温かい心であったりっていう……ことだけがいまの自分の中には事実として残っていて、やってきた仕事はどうでもいいことだったんだ、って書いてんだ。
その通りだと思う。
………魂が連続していくんだと思うと、少し長い時間でものを考えられるようになるよね。
DNAから死体をつくることはできるようになるんだけど、生きた人間はつくれない。
…ってことはね、「生きる」と「死ぬ」っていうのは、科学、ではない部分の要素が入ってる…としか思いようがない。
AIが進歩して、DNAの分析はできてるわけだから、科学的にそれを繋ぎ合わせてっていうことは可能だし。分析すれば答えがあるものだから、必ずそれはつくることができる。だから死体まではつくれる。たぶん同じもの。
要するに命、ってものを吹き込むことはできない。
──さっき仰ってた、「生きる」と裏が「死ぬ」っていうことに対して、捉え方が二つに分かれるって不思議だなーっていうのは、なんかいまのお話と…。
うん、そうそう、そうそう。上着を変えて、夏の衣から冬の衣になるんだ、と思うか。そのすべてが無くなると思うか、っていうことぐらい…なんでしょう。
うちの親父がさ、そういうの好きでさ。いまで言う怪しげな話が。
うち帰ると必ず怪しげな人たちがいるわけよ、何人か。「あー、坊ちゃんお帰りなさい」「今日は後ろにタヌキと狐が何匹ずついますね」「ちょっと祓っておきましょうか」「こいつが悪さするんですよ」みたいな話っていうのは、子供の頃から聞かされてたから、そんなもんなのかなーと思ったし。
──そんなものなのかなーって、思った。
うん。
人間が科学的に認識できる人間の認識っていうのと、人間がやっぱり認識できない部分、だけど認識してるって部分と、まったく認識できない部分と、っていう領域があるんだろうなってことはわかってる。
そういうの地域づくりやってるとよくわかって。地域づくりっていうのは、単純にいる場所…一緒にいる場所をつくる、ってことなんだと思うんだよ。
人間ってね、一緒にいるだけで共感が生まれる。不思議なもんなんだよ。
わかりやすく「情報の共有だ」って話をするんだけど、情報の共有、だけでもない…部分があって。一緒にいる、見えないものを共有するっていう。
だから神社でやんなきゃいけないんだよ、たぶんあれは。お寺とか神社で。で、ご先祖さんもそこにいるんだよ。
──はぁ…。
結論を出さない会議をたくさんやる。寄り合いをたくさんやる。こんな(今日みたいな)話だよ。こういう話だ(笑)。
……若い頃、経済一辺倒で、正解の出る答えをどう正解をつくるか必死だった頃に、先輩から「おまえ酒飲みに行って、仕事の話と、上司の悪口と、麻雀の話とゴルフの話…それ抜きで場を1時間でも2時間でも持たせられるぐらいになんないと、人間としては一人前(ひとりまえ)じゃないんだぞ」って言われたことがあって。
──えー、すごい人。
うん。その通りだと思う。そのときは、ほんとその通りだと思った。
その人は人形浄瑠璃が好きな人だった、とかね。「何代目がこうやって、こういうセリフでこういう出てくる、それがいいんだよ」とかって、そういう話をしてくれたりとかね。
絵だか、音楽の趣味も多い人だったけど。「俺はもう必ず、文楽には寝に行くんだ」「美しい音がたまらん」「長唄をずっと聞いてると、寝てく、寝る…」って。「そこにいるだけでね、自分が寝てる間に、あの世界が自分の体の中に入って、目が覚めたときに、またその世界の中で生きてるなってこと実感できるんだ」って。
だから知識として詳しいわけじゃなくて、「俺は生きる上で、人形浄瑠璃は、俺には重要なんだ」と。
──ご家族がなにも言わなかったとか、近しい方のお話聞いてても、なんかこう…自分を見つめられるような関わり方ができる方がたくさんいらっしゃったんだな、って。
たぶんね、自分が欲してるとそういう人が集まってくんだよ。そんなもんだよ、人生って。80億人がいて、全部と知り合いになることなんてできないもん。
気配がつづいてるやつがいるんだよ。同じ匂いがするっていうのは。
同じ匂いがしたから今日来てるんだよ(笑)。
──そうです(笑)。
不思議なご縁ですね。…また飲みに行きましょうか。
──ぜひ。
街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。
まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。
メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。
話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。
届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。
併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。
ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。
私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。
ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。
私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。
西村佳哲(2025年7月31日)
2025年11月11日 発行 初版
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