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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。
第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
みたいな話があったみたい
第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)
第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
人生のあと残った時間を費やすっていうのが
第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)
第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
そのとき初めて、ものすごい実感した
第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
みたいな(笑)
第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから
第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)
第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
そこをちゃんと見極めてたのは偉いと
第10話 どうなんですかね?
結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです
第11話 まかない食い放題!
生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの
第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
じゃあ、○円くださいって言って(笑)
第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか
第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない
第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね
第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
それが「あなたが社長ですから、
これ、サインしてください」って、突然
第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど
第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね
第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね
第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
お客さんって、すごいなとずっと思ってた
第21話 朝来た瞬間から、
自分でやりたいことを自己決定していくっていう
第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの
第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)
第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
「なんかあんまり」って思ってたけど
第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ
第26話 仕事してるとき、
自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)
第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな
第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから
第29話 塾すら近所だからさ、
全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの
第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです
第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか
第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう
第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
けど、それ以来ずっとこの界隈で
第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
駒沢でオープン
第35話 山梨の人は東京に出ると
中央線沿線に住む人が多いんですけど、
高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて
第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
頼れるのは家族みたいなのはあったのかも
第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた
第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ
第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって
第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
落ちたけど、コーヒーは飲みます
第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
声かけられて、そういうのなんか憧れるよね
第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは
第43話 …どっからか来てるのかな。
常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね
第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
後ろから人生を逆算してるから
第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)
第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです
第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど
第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
おっしゃって。「どうしよう」って(笑)
第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)
第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
ことが尊いともあんまり思ってないんですけど
第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね
第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
過ごしています
第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)
話し手 30代男性
聞き手 MIKAKO
駒沢での生活っていったって、いい記憶はここ最近だよ。ただ住んでただけ。
社会人になってからも駅を使うぐらいで、脱サラしてようやく。愛着湧いてきたかなってところ。うん……やっとね。
その前はもうさ、「とりあえず生きてます」って感じ(笑)。
まあ……一番小さい頃の駒沢での記憶は駒沢公園にある、じゃぶじゃぶ池とかかな。いまと同じ場所だけど、あんなでかくなかったね。本当ちっちゃかった。
じゃぶじゃぶ池も自転車コースもいまと変わんないよ。うん。保育園のとき、駒沢公園に行って親父がよくボールとかで遊んでくれて。
自転車で世田谷公園の汽車にも乗りに行ってたよ。世田谷公園にSLみたいなのあるじゃん。いまも子どもたちとの休日に選ぶコースと同じ。
次の記憶が、太陽プール。6歳ぐらいかな。
保育園のときか、小学校入る前ぐらいなんじゃないかな。
体が弱くて、喘息だった。先生から「小児喘息には肺を強くした方がいいから、プールがいいよ」ってなって。それで小学生のころから、たぶん始めたんですよね。水泳を。
やりたかったわけじゃないから、途中もう、サボりまくってたもん(笑)。
サボったりする前までは、チャリで親父が送迎してくれてて。それで転んで、俺が頭打ったの。頭、禿げてるところ。いまも残ってるでしょ。薄毛とかじゃないから(笑)。
怪我の跡。跡です(笑)。
あとは……えーと。小学校のクラブ活動とかかな。覚えてるのは。
──スポーツの記憶が多い。
そうだね。やっぱ小学生のクラブとかから楽しいってなってきたかもね。
スポーツ。プールは「辛い」ってだけ……。疲れるでしょ(笑)。泳ぐの。
いかに上のクラスに行かないようにするかって、頑張ってた。どんどんきつくなるからね。結局いちばん上まで行っちゃったけどさ……。
で、そのさらに上行くと、もう育成コースみたいになったから。そしたらもう1日1キロとか。絶対やだ。やでしょ(笑)。絶対無理!って思ってたから(笑)。
それが山田先生。山田先生に教えてもらってたのは小学校低学年ぐらいじゃないかな。たぶんちっちゃいときだね。
雪の日だろうが、大雨の日だろうが車で行かされてたからさ。そうするともう1対1とかになるわけ。先生と1対2とか、スパルタで。ふざけんなよ(笑)。水を飲みまくったり。
でも、たぶんそういうので、一応鍛えられてうまくなったのではないかと。
ある程度泳げるようになったんだと思います。
……はい。
──それで、喘息は?
そう、そう。良くなったんだよね。やっぱ体強くなったんだと思う。肺が鍛えられた感じ。中学とか行ったら1500メートル走とか速い方だったから。
長距離。短距離より長距離だった。
あと、なかなか自転車を買ってもらえなかったから、友達が自転車だけど、俺が走ってついてっいってたんだよ(笑)。そういうのでも鍛えられたね。
──マイナスだと思ってても。
「買ってもらえない!」っていう不満だったけどね。
小5、小6ぐらいで、やっとお下がりもらって。だから買ってもらってない(笑)。
お下がりもらって、それ乗ってたみたいな。
中学行ってたぶん買ってもらったんだろうな。
部活が始まるからって、小6で水泳はやめた。
──いちばん長い?
習い事で……。うん。長かったかも知れない。でもあんまりいい思い出じゃない。
よろしかったとは……あんま言えない感じかもしれませんね。
きつかったー……でも、よかった。体が強くなったからね、きっと。
週2でよくやってたと思うわ。
──他には?
ああ、高学年になってから書道とかやってた。
学童がなくなって。学校が終わったら書道に行って。あとは運動クラブがあったり。
放課後は、学校からそのまま児童館(野沢児童館)か友達んちに行ってたかな。
児童館ヘビーユーザー。いまもある、外のバスケットゴールでよく友達とバスケやってたよ。親がいないからつまんないじゃん。一人で家にいたって。だからずっと遊びに行ってるか、友達の家で64とかプレステとかゲームやったり。
仲いいメンバーが同じ中学に行って。やっぱ当時はそんなに受験する子いなかったよ。
小学校は2クラスだったから、その中の数人。
──うんうん。中学は?
留中(駒留中学)に行って4クラス。受験なんてしてないよ、ほとんど。
中学に行って「あいついないんだ」って気づくの。
そんなに関わってない子が受験してた。
卒業が近くなって仲いい子たちと「中学いくぞ!!」「部活どうするか……」って。そういう話するでしょ。「みんな部活、なにする?」ってなるじゃん。
中学でバスケやりたかったけど「バスケ、ぜんぜんいないらしいぞ、人」って。
小学校でクラブがあったから、そこでバスケもやってたんだけど、結局仲良いメンバーが野球だったからそれで野球に行ったかも。
本当にバスケ好きなやつは、バスケ部に行ってた。「人数少なかったら試合もできねえよ」って思ってたけど、中学行って実際聞いたら「俺らの代がいちばん多い」みたいな。でも本当、5人とか。
──ギリギリ……試合ができる。
そうそうそう。毎日の練習でゲームはできない。結局野球部、サッカー部が人数多かったんだよね。3年間野球やって。高校も野球部。すぐ辞めたけど(笑)。
ほんの数日で辞めて、1ヶ月やってないと思う。それで、ハンドボールやって。
──高校は。
近場。近場です。駒大の付属高校。チャリで通って。
ほんと雨がひどいときは電車でね。駒沢から桜新町まで行って、そこから歩き。
駅から結構歩くんだよ。でも結構チャリの人も多かった。
高校なんて中学に比べたらもっとあるよ。ABC、ABC、DEFGHIJK…………11。
半分以上が大学に上がるんだもん。300人ぐらいね。マンモス校。
知らない人がほとんど。
でも日大なんかに比べたら、ぜんぜんだけどね。日大なんてあれだけ高校あってさ。
それに比べたら少ないだろうけど、知らない人はいっぱいいたよ。
俺らの2個下ぐらいから、女子の制服を変えた途端に比率が女子の多くなるぐらいの感じになった。それで、1年生と3年が付き合うのがすげえ多かった。
ハンド部のマネージャーも、1年生の女の子がマネージャーで入ってきて。
後輩とは付き合ってないけどCなんて。もう。すっごい大人気。
野球部はさ、とにかく毎日10キロぐらい走らされるわけ。最初のまず1ヶ月体験で入らされて、毎日10キロ走って。屋上でなんかダンス、コサックダンスみたいなやつ。
それ、させられ。もうそれしかやらない。「えー、こんなの無理だ」って。
そしたら、その毎日走る10キロがやっぱ、いちばん速かったわけ。馬事公園の周りもひたすらずっと走るんだけど。
もう、ずっとよ。めっちゃ臭いし(笑)。本当に臭いの。
そうしたら「別に推薦でもないやつが速い」ってなって。黒いし、「あいつ絶対、インド人だ」ってなって。
そこからのあだ名、インドがスタート(笑)。すぐ辞めたけど、先輩はなんか覚えてくれてて、「インド!インド人だ!」って。
そっからインドが来ましたね。ええ……。
──そこから(笑)。10キロ1位ってすごい。
俺の代のエースピッチャーに、Hっていう子がいて。その子は、俺が中学校のときの英語の先生の息子だったわけ。駒高行くってなって、そういう話になったんじゃないかな。
野球っていうから、「そうなんだ」と思ってたら、だいたいこう、ユニフォームに名前書いてるからさ。それで「え……もしかして?」って話して仲良くなった。
そのエースピッチャーよりも速かったです。インド人なんで(笑)。
──すごいすごい(笑)。そういう子たちは推薦で?
そう、推薦。全部そう。だって、野球もバスケもバレーも全部推薦枠があって。
ソフトテニスは強かったからスポーツ推薦で人集めてたね。
校庭なんかないからさ。厚木のグラウンドにみんな通ってたよ。
3年生のとき、みんなで応援しに野球を観に行ったの。最後、修徳だっけかな。
Hがホームラン打たれちゃって。ずっと応援してたし、仲良かったから自分のように悔しかったのすげえ覚えてる。
──それで、大学も同じ。
うん。でも学部はぜんぜん違う。
だから大学ではぜんぜん会わなかったな。
ハンドのメンバーだって大学行ったらぜんぜん会わないし。
でもたぶん、俺がハンドに誘ったんだと思うんだよな。「野球やめるわ」ってなって、「ハンド見にきなよ!」みたいな。俺はすぐ辞めてるから、 みんなはもうちょい頑張って辞めて。Kなんかもう1ヶ月まるっとやって、本当に「最後どうする?」っていうところで、辞めてきた。
たぶんCと同じクラスで、Cも野球部ですぐ辞めたから「じゃあハンドボール見に行こうか」ってなって。「行ってみようか」って。たぶん一緒に行った気がする。見学しに。すぐいった。
──すぐに。
もう切り替え。すぐ切り替え(笑)。それで、部活やった方がいいってなって。
でも結局、ハンド部は俺らの代が人数多かったよ。野球上がりが多くて。
意外と中学でもハンドボールやってる人がいるわけ。
やっぱそういう人が集まったチームはめっちゃ強かった。
ぜんぜん違う。経験してるとぜんぜん違うんだよ。
1年のとき、3年生が多かったんだけど3年生がうまかったのよ。
それでめっちゃ教えてもらって引退して2年生と混合チームみたいになって。
ハンドボールってフットサルコートぐらいの広さで、めちゃくちゃ走るよ。
それこそ即攻みたいな。サイドなんてとくに俺のポジションは自分の強みが効くの。走れる強さが生きてくるわけ。それで3年間、そのメンバーで結構頑張った。
東京都ベスト16ぐらいかな、それぐらいまでは。
みんな大学も一緒だけど、卒業して、そっからぜんぜん関わらなくなっちゃった。
俺はとにかく理系に行きたいと思ってたから。
でも他の大学に受験するのは「なんで附属に行ったんだ」って反対されて行けなかったから、もう「理系っぽいところを選ぶしかない」ってなって。
──そこは。こだわりを貫いた。
たぶんね。貫いた。貫いたのかな。
ポイントは「屋久島に行ける」っていうところで選んだ。
なんか、あと、天気系。気象予報士がいい。かっこいいよな、とか。
結局やってないけど(笑)。屋久島に行けるし。ゼミ次第だけど……。
自然。自然をね。千年杉。それを見たくて。
高校生のとき。とにかく理系っぽいところ、名前がもう理系だろうと思って。
なにやるかわかんないけど、地域環境研究専攻みたいな感じだったから。
環境。環境だからいい。いいじゃんと思って。
──地域環境、どうだったの。学んでみて。
は、は、ははは。なにも学んでねえ(笑)。
地域環境専攻科。よく覚えてないけど……環境のことやってたと思う。
この辺の……。駒沢のことなんてやってないと思うよ。
調べてないと思う。学生が駒沢の地域環境を知るとか、やればいいのにね。
俺は関係ないことばっかやってます。
──直感タイプ? プール以外だと「やりたい」は、やれてるよね。きっと。
いやーーー。
──実はさ。
やれてんのか。やってないじゃん。だって。
バスケやりたかったんだよ。そっから全部ずれて、そっから全部ずれて。
仕方なく人生………(笑)
まあ、全部そうじゃないか。仕事も印刷行ったけど、最初、本当はね、バンダイとかメーカーに入って、子供関連のなんかやりたいなと思ってたけど。全部落ち………就職氷河期でめちゃくちゃ苦戦した。
最終的にそういうバンダイとかおもちゃのパッケージを印刷してる印刷会社に行って、おもちゃ関連に携われたかな。
高校でハンド引退して、Mとかと駒沢公園のあそこのゴールでバスケすげえやってた。
Mは2年3年クラス一緒でたぶん3年でたまたま席近くて「NBA好き!」「え?!好きなの?」「え、ジョ、ジョーダンのあるぞ、DVD!」「観たい!!!!」とか言って。
そこから放課後、Mんちに行くようになりーの、ジョーダンのDVD見て、砧公園か、駒沢公園のところでバスケするみたいなことばっかりやってた。
部活を引退して暇になったんだろうね。
BSが見れてたから、スーパーボウル、アメフトとNBAってよく観ててバスケは好きだったわけ。ずっと好きだった。
そのときはやっぱレイアレンとかさ、あの辺がいたわけよ。
もうフィーバーフィーバー。みんなそうだからね。伝説の人たち。アイバーソンとかさ。
セルティックスも強くて。夢中で観てた。なにがきっかけだったんだろう。
夜中やってたから、録画したのを観たりしてたよ。
──それで大学はバスケサークル。
ようやく。そうだね。サークルでバスケやれたね。
サークルとは別に、あそこの公園で仲良くなったメンバーでチームをつくったんだよね。
同世代で時間があって、すごいよね。みんな「地元も同じだ」って仲良くなって。
練習したり、試合に出たりしたよ。終わってラーメン食べてみたいな。
満喫したね。
だからいまは自分の「やりたい」ってことが、「本当にやりたい!」が見つけられてきているということですかね。これからか。
──こっちが良かったけど、こっちに行くっていうパターンが。
多いんです。すぐ諦めちゃう。
あ、ダメだと思ったら「いいや、こっちで」ってなっちゃうのかもしれない。
切り替え(笑)。こだわりが薄い感じだったのかもね。
駒高もバスケやろうとしたら、結局経験者しかダメってなった。
それで諦めたのもあったから大学とかでバスケ出来たのはめっちゃ楽しかったから「やりきった!」感はあるね。
もう、いいかな(笑)。
──大学卒業後は?
うーん……。ほとんど仕事で駒沢でなんかするってぜんぜんなかったかな。
通勤に1時間、終電で帰ってくる「ザ・サラリーマン!」みたいな生活ね。
でも、そのときにいろんな経験させてもらって鍛えられた。だから、駒沢は家と会社の通過点みたいな感じだったね。どこか、行きつけの店とか、馴染みの人とかもないし。
飲みにいくとしたら、仕事終わりに会社の人と職場の近くによく飲みに行ってた。会社の組織的にはムカつくこともあったけど、東京支社メンバーがみんないい人だったからやれてたな。「軽ビ」(軽くビール)とか言ってよく飲みに行って、それは楽しかったね。
それで頼れる先輩って余計に思ったし。で、遠距離恋愛になるわけですけど。
上司が全部知ってるから「いいよ」って出張を週末に合わせてくれてたね。
──結婚式もね。
そうそう。乾杯の挨拶とかね。
結婚するってなってようやく実家、駒沢を出たね。
23年? 24年? 駒沢。
でも愛着っていうか、「地元がいい!」は、なかったし。「出たい!」みたいなそういうのもない。親のレールで歩んでます。言っても否定されるだろうな、「ダメ!」って言われるだろうなって諦めちゃう。で、切り替える(笑)。
知らないところに住むのは初めてで、しかも下町な江東区。
門仲で初めて「行きつけのお店」みたいなのができて、あれはあれで楽しかった。
楽しかった。地元の人がいっぱいいて、「奢ってやるよ!ビールでいいか?」って仲良くなって。いつもいるからね、そういうおっちゃんたち(笑)。常連さん。
「今度町会こいよ!神輿担げよ!」みたいなさ。
それで初めてお祭りに参加して、お神輿なんてやったよ。
うん。やったことなかった。地元のお祭りって行ったことなかったかも。
なんでだろうね。親は駒沢出身じゃないし、人付き合いもそんなになかった感じがする。それこそ「行きつけの店」みたいなのも1、2つあるぐらい。
だから、家に帰ってくるみたいな感じで迎えてくれる韓国料理屋で韓国人おばちゃんとかね。いまでもたまに車で遊びに行って、テイクアウトしてくるぐらい。
子供のことも覚えててくれてて「オオキクナタ!!!」っていっぱい韓国海苔とか持たせてくれて「モテケ!!モテケ!」「こんなにー!?」って(笑)。そういうのって初めての経験だったかもな。ね(笑)。
──馴染みの店だね。
うん。それで、子供も2人生まれて。外車ディーラー、外資保険やって。商社に行って。家以外、売れない物ないんでね(笑)。
ほんとにいろんな経験させてもらったよ。ほんと。
それで家も狭いぞ、田舎の広くて家賃の安いところに引っ越すか、実家の二世帯戻るかってなってさ。
じいちゃん、ばあちゃんが亡くなってずっとそのまま残ってた。
玄関だけ同じだから、って。………ね。色々ありましたけど。………(笑)。はい。
でもおかげで子供たちとの時間も増えたし、子育てにも参加できるようになって。
自分が育った同じエリアで、成長する子供の姿と一緒に自分も、もう一回。ね。
幼少期やってる感じ。「懐かしいなー」って思い出すことも多くなってきた。
だから駒沢に愛着も湧いてきてる。
──どんなところに?
うーん。なんだろう。思っていた以上にいい人ばっかりだった。
案外、情に熱いっていうか。門仲のころの下町の感じとはまた違うんだけど。
みんながいい距離感で繋がってるみたいな。
コツコツ、真面目な人が多い感じはあるかも。
いまでいう流行りの「駒沢」っていうイメージの人は実際にはぜんぜんいない。
地味な人が多い。あとはやっぱり、脱サラして「コーヒーでやっていくぞ」ってときに、ランステ(ランナーステーション)でランナーさんたちと出会ったのは大きいよね。
みんな、天候に関わらず走るし。すごいよ、ほんと。
そういうのもあって、駒沢の知らないところを知れたっていうのも愛着なのかな。
知らないことを知るってお得感というか、特別感っていうのかな。
だからいまのお店も常連さんがみんな、いろんな情報教えてくれる。
ランナーさん以外にもわんちゃん連れとか、お子さんいる方もいるけど、みんな天気は詳しいよね(笑)。
そういう、世間話が出来る関係が近くにあるってまた愛着だよね。
──愛着。
なんか………「一緒の時間を過ごす」っていうか。うん。部活もね。
だから、子供たちには「好きなこと」を見つけてほしいし、やらせたいなって思うよね。
結果はどうであれ。チャレンジしたことが結果だし、そのチャレンジしたときに一緒にいた仲間とかも後からすごい大切な存在だったなって思うだろうし。
その経験が必ず役に立つよ。諦めて後悔しても、結局やるんだし(笑)。
だったら早くやった方がいいじゃん。
でも回り回って全部が繋がってるから。きっと、たぶんね。
──いま、未練は?
うん、ないね。うん。
──やりたいことやってる。
いまね。うん。
──それをこの地元で達成できるって、なんかいいことだね。
そしたらすごいよね。
──うん。愛着湧いてきてる。
一応ね、昔よりあるかもしれないな。
やっぱこうやって生活して、子供たちもできて。お客さん増えてきてって。
妻のおかげもあるよ。地域の。
そうやってお祭りとかやるのにさ、関わってなかった。
妻がいつもご近所さんに挨拶してたり、お裾分けしてたりしてるのみてると偉いなーって。
影響される。「お仏壇にお供えしてください!」って言ってるの初めてみたときはびっくりしたけどさ(笑)。
ご近所さんが……とかぜんぜんなかった。生きてただけなんで。
絶対そう。マジでそう思う。
とりあえず学校行って、働いて。夢もなかったから、別に。
──でも色々達成しながら夢ができてる。次は?
次は……コーヒーですね。うん……うん。
営業って、きついなーってときもあったからね。みんなそうでしょ。
きつい中でもやってる。そのストレス発散がコーヒー。心の支え。
外回りして、車で一息つく瞬間のコーヒーが最高なんですよ。
毎日コンビニコーヒー飲んで。ただのカフェイン摂取ね。
「コスパ悪いな……」ってコーヒーの粉買って、自分で淹れて。
味にこだわりたくなっていろんな店舗の豆を買って。
今度は自分で焙煎してみるかって豆を仕入れて。夢中だったから、すごい楽しかった。「これを仕事にしたい!」「こんなに楽しいことで誰かに喜んでもらえたら、これ以上の仕事はないわ」って思ってね。
そこからすぐ、脱サラして。ランステの前で豆を販売させてもらって。
そこでの出会いは、有り難かったよ。ほんとに。うん。
いまでもずっと応援してくれてるし。
だから次は、店舗オープンね。常連さんのコミュニティの場所。俺もつくりますよ。
そこが誰かの息抜きの場所、オアシスみたいになってくれれば嬉しい。
いまもそうだけど、お客さん同士が繋がって、会話が広がって、馴染みの人が増えていく。
そんな地域のハブになれたら嬉しい。
──部活っていうか、人生の選択って。
そうだね。面白いよね。中学でバスケやってたら仲良くなってない、出会ってない人もいるだろうからね。「やりたい」ってやっぱあるのがすごいよね。「やりたい、これやりたい!」って。
諦めちゃうのか、こだわりが薄いのか。
「バスケやりたいけど……みんないないんだったらまあいいや」ってなるぐらいなレベルじゃん。熱量的に。
もしほんとにやりたいなら「バスケやりたい人いない……」「じゃあ集めてやるか!」ぐらいのさ。中学でバスケはやらなかったけど、結局そういう「小学校からやってました!」ってメンバーがやっぱぜんぜん違う。最初からうまいわけ。ハンドもそうだった。
そう思うとね、小さい頃からなんかやってると強いかもしんないな。
うちの子たちはスポーツに限らず、いろんな経験してるし。
中学でも部活やるってなったら、未経験よりも強いだろうし。
社会に出ても、いろんな大人と話したりとかの経験があれば自分で生きていける力になると思うよ。
──経験が好きに繋がってる。
あ、その、当時バスケが好きになったきっかけ……なんだったかな。
スラダンじゃないだろうしな。ちょっと「うまい」って言われたれてたのかもしれない。
小学校のときにバスケやって、「点決めれる!」みたいなさ。
──運動神経が良かったんだね。
一通りできるって感じ。「うまい」って褒められるのも、それでチームが勝って喜ばれるのも嬉しかったんだろうね。うん。そういう、過去の経験が根っこにあるんだろうな。きっかけ。
──繋がってるんだね、きっと。なにか。
うん。繋がってる気がする。スポーツの話ばっかりだけど……。
駒沢だし、やっぱりスポーツに関係するそういう人が集まってくる場所なのかもしれないね。ご縁っていうのかな。うん。
繋がりって面白いから大事にしたいよね。うん。不思議です。
子供たちも駒沢でどう育っていくか。俺みたいに、好きになってくれるといいけどね。駒沢好きなのか……いま。うん、よくわかんないけど……。愛着は湧いてきたから。
街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。
まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。
メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。
話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。
届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。
併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。
ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。
私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。
ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。
私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。
西村佳哲(2025年7月31日)
2025年11月11日 発行 初版
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