───────────────────────
───────────────────────
駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。
第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
みたいな話があったみたい
第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)
第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
人生のあと残った時間を費やすっていうのが
第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)
第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
そのとき初めて、ものすごい実感した
第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
みたいな(笑)
第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから
第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)
第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
そこをちゃんと見極めてたのは偉いと
第10話 どうなんですかね?
結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです
第11話 まかない食い放題!
生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの
第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
じゃあ、○円くださいって言って(笑)
第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか
第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない
第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね
第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
それが「あなたが社長ですから、
これ、サインしてください」って、突然
第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど
第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね
第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね
第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
お客さんって、すごいなとずっと思ってた
第21話 朝来た瞬間から、
自分でやりたいことを自己決定していくっていう
第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの
第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)
第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
「なんかあんまり」って思ってたけど
第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ
第26話 仕事してるとき、
自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)
第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな
第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから
第29話 塾すら近所だからさ、
全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの
第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです
第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか
第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう
第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
けど、それ以来ずっとこの界隈で
第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
駒沢でオープン
第35話 山梨の人は東京に出ると
中央線沿線に住む人が多いんですけど、
高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて
第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
頼れるのは家族みたいなのはあったのかも
第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた
第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ
第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって
第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
落ちたけど、コーヒーは飲みます
第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
声かけられて、そういうのなんか憧れるよね
第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは
第43話 …どっからか来てるのかな。
常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね
第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
後ろから人生を逆算してるから
第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)
第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです
第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど
第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
おっしゃって。「どうしよう」って(笑)
第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)
第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
ことが尊いともあんまり思ってないんですけど
第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね
第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
過ごしています
第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)
話し手 20代男性
聞き手 片岡麻衣子
ほぼ駒沢で育っていて。子どものときの印象は、月曜日に遊びに行ける場所がないってこと。いや、あるんですけど、自分の中では月曜日はヒマな日みたいな感じと、あとはここら辺ってラーメンの店がめちゃめちゃあったんですよ。自分がラーメン好きだったから、けっこう連れて行ってもらうのは楽しみでした。
あと、公園がたくさんありますね。だから、ある意味、遊び場には困らなかった。3つか4つぐらい、遊びのスポットがあって。どこに行くかでグループが分かれる感じでした。駒沢公園、小泉公園、緑泉公園がだいたいこの辺で大きな公園なんですよ。あとは、弦巻の方に弦巻児童館があって、そこの前のちょっとした校庭的なところを開放してるんで、そこで遊ぶ。
緑泉公園の奥には「はらっぱ」って場所があって、水曜日から日曜日まで開いてるんですね。ここで焚き火したり、木材使ったり。大人も熱中してベーゴマやってるような場所なんで、土日になると、お父さん世代が来たりとか。自分は中学まで行ってましたね。
小学校のときに交通事故に遭って、そのとき駒沢公園に向かってたんです。それから、駒沢公園がちょっと怖くなって、行かなくなっちゃったから、さらに行き場所が減ったっていうか。弦巻児童館も、確か月曜休館だったんじゃなかったかな。
──駒沢公園がちょっと遠のいたっていうのは、いまだに?
最近はもう、しょっちゅう行ってますね。
──どこかのタイミングで大丈夫に?
大丈夫になったっていうか、頻繁に交通事故に遭うようになって。
っていうのも、こういう話しても、あんまり信用してもらえないんですけど、小4の秋ぐらいに、宮ヶ瀬ダムって神奈川にあるんですけど、そこの奥に、紅葉が綺麗な橋があるんですよ。そこを見に行ったんですけど、結構な心霊スポットがあったらしく、なんか連れてきちゃったらしいんですね。
そっから、結構いろんな事故だったり、怪我だったりが頻発するようになって。その冬休みに、2トントラックに轢かれたんです。
──え……かなり大きな怪我を?
かなりでかい。半年ぐらいはちょっと……その後も色々あったんですけどね。マンホール蹴っ飛ばして、親指骨折したりとか。そのぐらいの時期から怪我しすぎて慣れちゃったから、「またか」ぐらいにしか思ってなかったですけど。
リハビリで自転車に乗るようになってからは図書館巡りとかもちょこちょこやってて。あとは、手伝いが義務の家だったので、「ペットフード買ってきて」「米買ってきて」とか、買い出しを任されて。それで三軒茶屋の方にも行ってました。
──お手伝いが義務とか、家は厳しかったですか?
うん、まあ。犬の散歩とお風呂掃除と、あと洗濯物は僕の担当だったんですよ。そこに日によって買い出しとか、部屋の掃除とか、ちょこちょこ入ってくるみたいな感じでしたね。夜7時に夕飯で、8時半には必ず就寝で、7時までに宿題とやること終わらせないと飯抜きですっていう。
高校まで、学級が上がる度にやることがどんどん増えて、遊びに行く時間がほとんどなくなったり。10分間、授業と授業の間にあるじゃないですか。あそこで宿題をさっさと終わらせちゃう。いちばんキツいのって「なんか調べてきなさい」なんですよね。携帯もパソコンも持ってなかったから、図書館で調べるしかないじゃないですか。まあ、放課後消えますよ。
家が古かったんですね。なんで、ハクビシンは出るわ、コウモリは雨戸に住みつくわ、軒下に猫が住みついてるわ、色々あったりとか。最後の方なんてシロアリ出ちゃって大変だったんです。
最後建て替えるって話になって、1年ぐらい立て続けにそういうのがあって。おかげさまで集合恐怖症になりました。あの、モノがたくさん集まるのがダメに……。
ご飯食べてるときに「今日羽虫多いね」って。「どっか隙間から入ってきてんのかな」って、すって見たら、大黒柱にばーって、シロアリの羽アリがいるんですよ。
それで僕は気絶したんですけど。うちの妹は殺虫スプレー使って駆除しました。
──強い。
そういうとき、肝が据わってるんですよ。
そこからもう、トラウマですね。最近大丈夫になったんですけど、一時期、ニュースで渋谷のスクランブル交差点を上から見る画、あれダメになりました。人なんですけど、ダメなんですよ。
──そのせいで。
ぜんぜんダメになりました。
妹は、別に生き物全般怖くないから。ゴキブリだろうがなんだろうが。別に僕もゴキブリは大丈夫なんですけど。でも、うちの母がダメなんで、ぴーぴーきゃーきゃー言ってます。
建物が古いから出るんですよね。周りの家がどんどん建て替わって新しくなって、だから古い家に集中するんですよ。住み着く場所がないから、来ちゃうんですよね。
──建て替えたら解決した?
そうですね、さすがに入って来れなくなった。
けっこう有名だった空き家っていうか、すごい家がちょこちょこあったんですよ。蔦がすごい絡んでる、ザ・お化け屋敷みたいな家だったり、レンガ造りの窓から木が生えてるような家とかあったんですけど。そういうのもここ数年でほとんど消えちゃって、だいぶ変わっちゃったなと。
あと、小泉公園の裏手が、いまはどうかわかんないですけど、昔は電灯が2本ぐらい足りない区間があったんです。ちょっと暗いんですよ。公園も住宅もあって、古い建物もあってっていう場所で、変質者が出るんですね。
女性が通り魔に傷つけられました、みたいなのが小中学校のとき2、3件あって、「危ないね」なんて話してたら、遭いまして。友達と、若林公園の帰りですよ。自転車が壊れたから手押ししながら歩いてるときに後ろから声かけられて。上着羽織ってたんですけど、下何も着てなくて、手に刃物みたいなのがあって、警察沙汰になったっていうのはありました。
引きが強かったんです。集団登校のときに僕だけ轢かれたりとか。単純に不幸体質って言って笑ってましたけど。お祓い行っても、帰りに事故りかけたりとかもしてたんで、ま、無理なんだろうなとは思って。
──じゃあご家族は心配が絶えない……?
うん、だったと思います。
実家がスパルタだったから、自分の趣味を制限されることが多くて。僕の世代ってPSPとか3DS世代なんですけど、モンスターハンターがもう、すごい流行ってたんですね、小学校とかで。僕も例にもれずやっていて。宿題が終わってなかったり、何かやらかすたんびに、父親にそれを制限されちゃってて。
で、思ったんですよ。勉強を趣味にすれば、さすがに親も制限しないんじゃないか。それで、ノートを取るのにハマって、文房具集めるのにハマって、それが高じて、僕のノートが先生にすごい褒められて。先生って、コピーして「これをお手本にしなさい」みたいな、やるじゃないですか。
何が始まったかっていうと、友達の代わりに自分がその人のノートをとって、僕んちがお小遣いがない家だったんで、それで稼いでいたっていう。だから、ここら辺の文房具屋さんとか本屋さん、網羅してました。本屋さんの文房具コーナーって、めちゃめちゃ充実してるんですよ。目新しい文房具が結構置いてあって。逆に、文房具屋さんは、会社向けの、要するに“安く大量に”っていうコンセプトのところがやっぱ多くって。
──どういうのにハマってたんですか、文房具の中で?
ほんと全般です。定規だろうが、消しゴムだろうが。
僕はお小遣いないから、基本買えないんですよ。買えないから、友だちにいろいろ借りて、どれがいいっていうのを調べるわけです。図書館行くと、雑誌を借りられるから、文房具の特集とか見て、「これいいんじゃないの」みたいな。
そういうの買うお金は、お駄賃ですよね。「お米買ってきて」とか言われたときのお釣りを、親が気が向けばくれるんで、そういうのを貯めて。買いたい物リストを作って書いといて、ペットボトルを切ったやつの中にお金入れてるから、お金いくら貯まってるかわかる。「よし貯まった! 買いに行こう」みたいにやってました。
中学のときは、部活が7時に終わって、夕飯食べて、宿題やって、ノートの複製して。まあ10時ぐらいに寝てたのかな。で、朝6時に起きて、お風呂掃除して、洗濯物して、ご飯食べて、学校行く、みたいな。いま考えるとよくやってたなと思います。うちの親が「それが普通だ」って言って育ったから、それを普通だと思ってたんですよ。
でも、家でお手伝いしたことがないって子もいるし、ここら辺はお金持ちが多いから、ヘルパーさん入れてる家もそこそこあったり。だから、夏休みの宿題で「お家の手伝いをしましょう」みたいなのあるじゃないですか。いつもやってるから、いつもやってることを書けばいいんですよ。なんですけど、「やったことない」「やりたくないみたい」なこと言ってるやついると、「お金持ちだな」って思ってました。
──それで、「なんで僕だけ」とはならなかった?
「なんでうちだけ」ってなったことありますけど、「うちはうち、よそはよそ」
って言われて。いや、あれほんと使い勝手いい言葉ですよね。
──(笑)お手伝いしてお小遣いをくれるわけではないんですね。
お手伝いは、ノルマっていうか、タスクっていうか。仕事ですよね。やらないといけないこと。だから、なんて言うんですかね、あの、「仕事しないと……」
──「働かざるもの食うべからず」?
そうそうそうそう。
──妹さんも?
やってましたね。妹はアイロンがけやってました。妹はちょっと知的障がい入ってるんで、基本的に親の目の届くところで。
障がい持ってる子って、一般的に「出来ないからやらなくていいよ」っていうイメージだと思うんですけど、そういう特別支援学級とか行けばわかるんですけど、普通に学生の人より生活力がめちゃめちゃ高いんですよ。学校でそういうのを重点的に教えるんです。障がい者枠でやる仕事のために、裁縫とか、アイロンがけとかを学校でやるんで。だから、僕なんかよりも全然料理も洗濯物もできるんですけど。家でも、学校の延長線でやってましたね。
ただ、サボり癖がすごくて。親がいないときに監督しないといけないから、一緒に連帯責任で怒られてた。
──代わりにやっちゃうこともあった?
やるときはありました。ただ、僕アイロン下手なんで速攻バレます。
家が厳しかったから、しょっちゅう家出してたし。家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね。まず屋根があるところですよね。緑泉公園にある、ちょっとした小屋か、若林の方まで行って、若林公園の奥にあるスロープの下。あとは橋の下とか。
一回だけ、閉め出されて、もう本当に家が嫌で、自転車の鍵が家の中にあるから、靴下で多摩川の河川敷まで駆け出したことがあって。よく走ったなと思ったんですけど。砧公園越えて、坂越えて。10月だったんで、めちゃめちゃ寒くて、補導されました。そんな時間に靴下で子どもが歩いてりゃ補導されますよね。
──補導されたとき以外は、どうやって終着するっていうか。自分で帰る?
うちの親もこの辺詳しいから、普通に見つかって怒られます。あるいは、友達のお母さんとか、うち犬飼ってるんで、お散歩してる人に見つかるんですよ。で、連絡入ったりしますね。あとは、いまどうかわかんないですけど、やっぱり不審者が多かったので、当時。そこら辺はけっこう監視の目があったんじゃないかな。
親に怒られて、玄関閉め出されたときに、そのノリっていうか、勢いで行くみたいな。行動力があった方なんじゃないですか。
──ですね……。行動力。家のタスクをちゃんとこなすのはいまに活きている感じがしますか。
あーそうですね。別に苦にならないかなと思います。趣味は色々あるんですけど、ずっと続いてる趣味が掃除なんです。
よくお友達の家に掃除しに行ったりして。ゴミ屋敷だったらゴミ屋敷なほどおもしろいんですけど。あれを見てるとやってよかったのかなと思います。お風呂掃除とかご飯炊くのとか別に苦にならないし。
でも、それでうちの親にドヤ顔されるのは、それはそれで腹立ちます。「うちのスパルタ教育がよかったでしょ」って(笑)。
──(笑)じゃあ自立するのが早かったというか、自立せざるを得ない?
そういう環境ではあったかなと思います。米とかペットフードとか重いんですけど、あれ持って帰るとやっぱり足腰鍛えられるから、トレーニングの一環と考えれば悪くないのかなと。捉え方次第ですね。やらないといけない辛いことって考えたことがないから。
でも、最後まで嫌だったの、ご飯炊くのですね。うちの父親が米大好きで。米の水加減って難しいじゃないですか。
──そうですか? 線までじゃなくて?
線ぴったりで炊くのは柔らかいから嫌なんですよ、うちの父親。お米が立ってる状態で炊くのって、ちょっとだけ少なくするんですけど、そのちょっとだけが、お米の水の吸い方とかで変わるじゃないですか。「若干柔らかい」だなんだって毎朝グチグチ言われるのが本当に嫌だった。
──そのクオリティを求めるんですね……。
うちの妹はワイシャツのシワで言われてましたけど。「やるんだったら、『ありがとう』って言われることをやりなさい」って、口癖で言うんで。「じゃあお前やれよ!」って喧嘩してました。
あと、父親は完全な理系で、社会人になったらプレゼンをしないといけないから、その予行練習でプレゼンしなさいと。家っていうのは小さな社会で、何をするにしても、会社に行ったら社長だし、家にいたら家の長は父親だから、と言っていて。
小学校1、2年生のときに、僕が野球やりたいって言ったときに、じゃあ、世田谷中の野球チームのパンフレットを俺が集めてくるから、どこのチームに行きたいかプレゼンしろって。
──え。
地図見て、選択肢は2つしかなかった。それで、「ここのチームに行きたくて、ここにはこういうふうに行きます」「これを行くためには何をしないといけないです」「グローブとかはどこで買います」っていうのを、小学校1、2年生ですよ、やらせるっていう。
進学するのにどこがいいのか調べた結果も父親にプレゼンしました。じゃあ、その高校に行くための学力、偏差値がどのぐらい足らないのかみたいなことも話して。で、「お前は集団の塾より個別指導の方がいいから、じゃあ個別指導の塾はどこがいいのか」みたいな。今度はそれをリストアップさせられて。大変でした。
家事をやりながらそれをやらないといけなかったから嫌でしたね。でもいちばん大変だったのは母親だと思いますけど。どんなにうまいもん作っても、父親にダメ出しされるんで、結局僕は母親に泣きつくじゃないですか。母親も一緒に手伝うわけですよ。で、母親も一緒に父親からグチグチ言われるわけで。あれがいちばんかわいそうだと思います。
厳しかったんでほんとに嫌いでした。いまはだいぶマイルドになりましたけど。
──小学1、2年生でプレゼンを求めるのはなかなか。
「それができれば人生バラ色」っていうのは口癖でした。
──どうですか、実際?
どうでしょう(笑)。(プレゼン)やる機会ないですからね。でも、何か決めるときにとりあえず調べるだけ調べるっていう癖はつきました。
──決まったらサポートは全面的にしてくれるんですか。例えば、この塾にする、とか。
してくれる。父親を納得させないといけないから、そこがハードル高いですけど。
いや、でも父親の中で先に答えは決まってて。そこの答えに行くプロセスに力を入れてるというか、「自分の力で決めました」っていうのを大事にする。言ってることもやってることも確かに正しいんですけど、求めてるハードルがめちゃめちゃ高い。2メートルぐらいあって、下からすり抜けた方が早いじゃんって。
もう30回以上やってるんじゃないですかね。いまだに多分父親にプレゼンしても、一回じゃ無理で、何回もやります。僕は工程表を作るのが苦手で、「いつまでにこういうところまでやりますよ」っていう仮決めもして提出するんです。建築業界の人なんで、工程表ってすごい大事じゃないですか。泣きながら作ってましたね。
──家の中だし、「今日は疲れたから、明日でもいいですか」みたいのはダメですか?
「お前、今日までって言ってたよな?」って。
──厳しい(笑)。
僕は締切を作らないとズルズル行くタイプなんで。それは自覚してるんで。お尻叩いてもらった方がいいんですけど、叩き方が、手で叩くんじゃなくて、鞭なんですよ。
──鍛えられますね……。自分が子どもを持ったときはそういうふうにはしないですか。
うーん、どうでしょう。
でも、自主性を育てるためにある程度はやるのかな。プレゼンは多分させるとは思います。プレゼンっていうか、あんまり仰々しいのはやらないですけど、「自分で調べてこいよ」はやりたいと思います。
例えば、「このピアノ教室に行きたい」って言ったら、「近くの教室、とりあえず全部調べて」って多分言うと思う。まずは。
──自分でちゃんと考えて選ぶみたいなところは。
うちの母親がやってるんですけど、近辺の八百屋さんとか、どこが何が安いみたいなのをある程度把握しとく、っていうのは大事だから、社会人になって、それはやってます。めんどくさくて、僕ここまで買い出しに来てるんですよ。
──安いところをわかってるから?
そう、何カ所か行きますね。自転車に乗るのも重いのも別に苦にならないんで。収入が少ないんで、それをしないと回らないっていうか。
──いまハマってることはありますか?
いまハマってるのは、携帯のゲームなんですけど、小さい頃に『モンスターハンター』にハマったって言ったじゃないですか。それの位置情報ゲーム。公園が効率いいんですよ。なので駒沢公園をひたすら周回してます。仕事終わって、実家に寄ったついでとかに、そこを周回して帰るみたいな。
──かつて遊んだ公園に、また戻ってきた。
そう。駒沢公園は、車が通るところもあるけど、一部だけで、すごいトロトロ走ってるから危なくない。ランナーさんだけちょっと気を付けないといけない。夏場も涼しいですしね。木が多いんで涼しいんですよ。あそこだけ1℃か2℃ぐらい低い。
あとは「西友」とか、「オーケー」とかそっちのほうに実家の買い出しに行ったりします。
──いまも買い出しを手伝ってるんですね?
実家でプールに毎週行ってるんですよ。父親の仕事が終わるまでに買い出しして、場合によっては夕飯を僕が作って。
──プールも一緒に?
行きますね。父親のダイエットで。夕飯を実家で食べれるから悪いことだけではない。夕飯作らなくて済むのはいいですね。
いちばん運動してるの僕なんですよ。だって自転車でこっちに来てるから。だから、気を抜くと痩せます。いや、僕太りたいんですよ。食っちゃ寝をするようにしてるんですけどね。痩せちゃうんです。
「パオン」っていうパン屋さんがあって。期間限定の生クリームあんぱんが、すんげえおいしいんですよ。実家におもたせで、それを買いに行くか、あとは駒沢公園の裏手に「蜂の家」の本店があるんで、そこに最中を買いに行ったりして。
僕は食べれないんですけど、おもたせだから。たまにお駄賃でもらったりしてました。
──最中を?
そう。だいたいペットフードを買って帰るとめちゃめちゃ重いから、お駄賃でもらえる。
──そこは変わらないんですね、関係性が。お手伝いしてお駄賃。
現物支給ですけどね(笑)。
街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。
まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。
メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。
話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。
届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。
併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。
ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。
私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。
ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。
私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。
西村佳哲(2025年7月31日)
2025年11月11日 発行 初版
bb_B_00181932
bcck: http://bccks.jp/bcck/00181932/info
user: http://bccks.jp/user/154390
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp