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駒沢の生活史[8話]

駒沢こもれびプロジェクト




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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。

駒沢の生活史


第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
    みたいな話があったみたい

第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
    人生のあと残った時間を費やすっていうのが

第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
    駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)

第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
    そのとき初めて、ものすごい実感した

第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
    みたいな(笑)

第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから

第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
    そこをちゃんと見極めてたのは偉いと

第10話 どうなんですかね?
     結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです

第11話 まかない食い放題!
     生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
     じゃあ、○円くださいって言って(笑)

第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
     親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか

第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
     ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない

第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね

第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
     それが「あなたが社長ですから、
     これ、サインしてください」って、突然

第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど

第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね

第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね


第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
     お客さんって、すごいなとずっと思ってた

第21話 朝来た瞬間から、
     自分でやりたいことを自己決定していくっていう

第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)

第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
     「なんかあんまり」って思ってたけど


第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
     あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ

第26話 仕事してるとき、
     自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)

第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな

第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから

第29話 塾すら近所だからさ、
     全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの


第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
     私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
     「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
     プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう

第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
     けど、それ以来ずっとこの界隈で

第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
     駒沢でオープン

第35話 山梨の人は東京に出ると
     中央線沿線に住む人が多いんですけど、
     高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて

第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
     頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
     大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
     落ちたけど、コーヒーは飲みます

第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
     声かけられて、そういうのなんか憧れるよね

第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは

第43話 …どっからか来てるのかな。
     常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね

第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
     後ろから人生を逆算してるから

第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
     いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)

第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
     そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです

第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
     あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
     おっしゃって。「どうしよう」って(笑)

第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)

第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
     ことが尊いともあんまり思ってないんですけど

第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね

第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
     本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
     過ごしています

第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)


















ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

話し手 70代女性
聞き手 佐倉みゆき


 ──こちらの店先で、以前「初雪かずら」の小さな鉢植えを見かけて、すごく気に入って、買わせていただいたんです。そのとき、その名前の由来を教えてくださって、今回お話をうかがいたいと、真っ先にお顔が思い浮かんだんですよ。

 いや…他の人に話聞きに行った方がいいよ。私なんて、なんてことないから。

 ──では、その、なんてことないお話を…ハートのままに…。

 ハート、真っ黒よ(笑)。

 ──(笑)お生まれはどちらなんですか?

 大田区…「矢口の渡し」ってね、知ってます? 「矢切の渡し」じゃないよ。「矢口の渡し」ね。
 多摩川…の川沿いの家です。その頃の多摩川の、うちの辺は「多摩川大橋」っていうのがすぐそばにあって。「第二京浜国道」。だからまあ、もう氾濫するような土手ではない、ちゃんとした土手ね。

 きょうだいは4人で、いちばん上が男で、あと女、3人。
 すぐ上でもけっこう…6歳違ってたから。だから、一緒に遊ぶっていう感じではないよね。

 ──その頃の遊びっていうと…

 そばの神社で…缶蹴りとか、そんなことしてたんじゃないの? 
 あんまり思い出せなくなっちゃってね(笑)。
 親の親戚がけっこう近くにいたから、いとこが…いとこが、うん、いましたね。
 で、その辺に遊びに行ったりとか。自分んちは商売をしてたから。

 ──どんなご商売だったんですか?

 洋服の修理を。

 ──じゃ、ミシンとかで。

 そうそう、そうなの。だから、いつだったか墓地に行ったらね。「あれ? どこの家の人?」って知らないお父さんが言うからさ、「いや、どこそこで洋服直してる店の…」とか言うと「あ、ミシン屋さん? あそこの娘さんかー!」なんてね。

 ──うんうん。

 昔はね、そんな…屋号なんてないじゃない?  で、「あのミシン屋さんの…」みたいな感じで。そうそう、皆さんに、そうやって知ってもらってたみたいよ。

あの子が通ったんだから大丈夫だろって。意外とすんなり入っちゃった

 いまはもうみんな、安いのが売ってるからあれだけど、昔はほら、洋服だって修理して、大事に…ね。ワイシャツだって、洗濯屋さんが持ってきて「襟を直してくれ」とかさ。取り替えるのよ。襟って、黒くなっちゃうじゃない? …そんな仕事してましたね、夫婦で、親は。

 ──お手伝いされてた?

 ぜんぜん。私はいちばん下だから、そんなことできない。いちばん上の姉は洋裁をちょっと習ったから、洋服とか、私たちのをつくってくれたりしたけど。

 親にはほんと、私たち、あんまりかまってもらったっていう記憶がないよね。…貧乏だったし…固定収入がなかったからさ。

 そこから、近くの地元の小学校行って、中学校行って、都立の学校行って、それで就職して。
 …事務です。うん、「◯◯硝子」っつってね。いまはなくなっちゃったと思うんですけど、ガラスとか瓶のガラスをつくってた会社ですね。そこの本社で、事務をしてました。
 なんか、うちの高校が…ああいう就職って代々、同じ学校から取るのね。で、あの子が通ったんだから大丈夫だろって。意外とすんなり入っちゃった。
 新橋…に本社がありました。

 ──その頃の新橋って、どんな感じだったんでしょうね。

 飲み屋さんがありましたね。嫌いじゃなかったから、よく部長なんかに、連れてってもらいました。サラリーマンの街だもんね。

 ──そこから、こちらの界隈にはどうして?

 ここら辺ね、どうして来たんだろう…。
 その前に……もうそのだいぶ前に、うちの旦那とも知り合ってたんで。
 結婚した当時、うちの旦那はサラリーマンだったんだけど、なんか、サラリーマン…嫌になったのかな。
 ちょうど花屋の…募集してたんで、花屋に勤めだしたの。それも、たまたま引っ越して、2か所、種類が違うところに。

 一つは横浜の桜木町で…パーティーとか、そういうのを請け負うようなお店だったんです。
 もう1軒、東京に来て入った花屋は、お寺さんのお仕事をするような。
 だからぜんぜん違う、両方の仕事を覚えられて。それで、年齢も年齢だから、独立しようかっていうことで。

花は…ね。花は、いいもんだからね

 最初、アパートの一室を借りてやってたんだけど、けっこうその辺、大会社の社長さんのお家とかあって、そういう人たちに可愛がられて。いまはみんなマンションになっちゃったけど(笑)。みんなどうしちゃったかね。
 …で、私たちも、立ち退きだ、なんだあって。いま、となり町でやってます、夫が。

 ──じゃあ、旦那さんはとなり町で、お母さんはこちらで。

 そうです。そこはお店だけで、住むとこがなかったんで、ここで住みながら、じゃあ「どうせなら売るか」って。

 ──いいですね。

 よくはないけどね(笑)。なんにもしない方が楽だよ(笑)。

 ──ステキなお花ばっかりですけど。

 花は…ね。花は、いいもんだからね。

 ──こちらは旦那さんが仕入れて。

 そう、仕入れて。買ってくるんです。市場があります。
 昔はもっと、いろんなところに小さいのがあったけど、だんだん減って。
 大きいとこなら、ちょっと行けば大田区の大田市場。でもだいたい近いところで。

 ──これは…ドライフラワー?

 売れ残ったのを、吊るしてるの(笑)。

──これも売っていらっしゃるんですか?

 売ってますよ。中にはちょっと変わったのがあるよね。
 ホウズキなんかも、やるとかわいい、意外とね。

 ──ホウズキ、色がキレイですね。

 うん、今年のと、昨年のと、おととしのと、だんだん、こう…色が変わってくる。

 ──いろんな大きさの鉢植えもありますけど、こういうのも市場で。

 そう。植木の市場もあるし、花の…切り花の市場もあるよ、曜日によってね。
 いまは、夏…あんまり…売れません。春に植えちゃって、ずっと秋ぐらいまで持つような花ばっかり。庭に…植えてるようなのはね。だからあんまりないんですね、いまは。

 ──…あの、…おいくつなんですか?

 もうすぐ77。

 ──ぜんぜん見えないですね!(笑)

 (笑)なんか出さなきゃいけないの? ふふふ…! もうすぐ喜寿です、来
年ね。

お砂糖、こないだから無いのに、どうして気が付かなかったんだろう

 こんなヨレヨレになると思わなかった。いやほんと、…足の具合が悪くて、2週間ぐらい入院したことがあるんですよ、今年の春。

 そしたらね、ベッドから、歩かせてもらえないのね。リハビリはするんだけど、リハビリなんて車椅子に乗って、ちょっとそこに行って、手足の先を動かすぐらいだからさ。
 そしたら、歩けなくなっちゃうのね! もうそのまんま、いまもヨタヨタよ。

 ──しっかり立っていらっしゃいます。

 いやいや、歩くのも遅くなっちゃうしさ…歳相応です。歳取るってこんなことなんだなと思うね。
 親もやっぱり、大変だったんだろうなって、いまになると思う。
 背中も丸くなるし。なにやんのも鈍くなるし…。「お前、さっきと同じこと言ってるよ。覚えてないの?」とか、いつも言われてますよ(笑)。

 ──あー(笑)。ご家族でお住まいなんですか?

 もう旦那だけ。娘たちは結婚して、それぞれ。
 2人とも女なんだけど、上の娘は(旦那さんが)長男だから、両親と同居。…って言っても別所帯だけどね。二所帯に建て直したもんだから、一生懸命働いてます(笑)。

 もう一人はね、千葉で百姓してる。新規の人たちを受け入れてくれるところがあったんですね。旦那もそういうのが好みだったらしくて、友達と自分たちで起ち上げて。いまはまあ、夫婦でやってんだけどね。でも、地元のお百姓さんがみんな良くしてくださるみたいで…なんとかやってます。

 ──いいですね。…この辺では、どんなところに行かれるんですか?

 朝、ちょっとコンビニに行くぐらいがせいぜい。あとは日曜日とか、ちょっと早めに店閉めて。私が荷物も持てないし、ヨタヨタしてるから、夕飯を兼ねながら、お惣菜を買ったり、お米買ったり、野菜買ったり、そういうことをしてます。

 ──それは旦那さまと。

 そうそうそう。大したもん、買わないんだよね(笑)。でもダメなの、忘れちゃうのよ。ちゃんとメモしとかなきゃいけないと思うんだけどさ。昨日も「あ!」って思ったのは、お砂糖、こないだから無いのに、どうして気が付かなかったんだろうって。朝、コンビニにしょうがないから買いに行って。

姉はけっこう、面倒見てくれてたから

 この(店の)前の通りも、…昔は商店街だったんだよね。お肉屋さんがあったり、お魚屋さんがあったり。いまはもう、なにもなくなっちゃったけど。まあ、コンビニに行けば、雑多なものはあるけどさ。
 …そんなとこです。たいした話じゃなくてごめんね。

 ──とんでもない!「忘れられない思い出」って、なにかありますか? 

 忘れられないねぇ…。…子供の頃は多摩川だったから、花火大会がありましたね。
 あと、そうねぇ、やっぱり、姉が50いくつで死んだのは……やっぱり……ショックだったわね。

 ──あぁ…何番目のお姉さま?

 いちばん上の…。うん、上の兄と姉はもう死んじゃってんのね。
 まあ年齢的にもね。でも姉は…癌で…ちょっと、大変だったの。

 私も癌やったんだけど。…もうやっぱり…年取るとこんなもんなのね、体
って! たまたま私も早く見つかって。乳癌と、腸の癌が見つかって。
 具合が悪くて、ちょっと個人の病院に行ったら、「すぐ、大きい病院に行きなさい」って。で、病院に行ったら「すぐ、医療センターに行きなさい」って(笑)。

 ──すぐに処置してくださったんですね。

 うん! そうなのね。だけど頭の方は治らなかった(笑)。顔もね(笑)。

 ──(笑)…その…お姉さんのとき、やっぱり悲しかったのは…?

 そうですね。…ずっと母も、家にいたけど、仕事してたからね。…貧乏だったから。…姉はけっこう、面倒見てくれてたから。

 この間、もう一人の、生きている方の姉のご主人が、やっぱり1ヶ月ぐらい前に亡くなったんだけど、その人が、昔みんなで集まったときに、ビデオ撮っててくれたらしいの。「みんな若くて面白いから、今度見ようよ」って、言われてんだけど、時間がなくてなかなかね…。

「そんなのやる時間、ないよ」っつって。文句ばっか(笑)

 そんな…ビデオなんてね、昔はなかなか、自分ちには持ってないから。
 いまは、みんな持ってるけどね。携帯だってパチパチとれるけど。
 さっきも「お前、携帯の使い方くらい覚えろよ」って言われて。
 …覚えられない。頭が回らない。いま、教室があるから、それに行った方がいいのかな(笑)。とか思うけど。

(電話が入る)

──あの…さっき教えてくださった多摩川の花火とか、お姉さんとの楽しかった思い出、もう少しだけ伺っていいですか?

 思い出ねぇ。これっていうのは…ないねぇ。
 あのー、姉が高校の友達と出かけるときに、私がほら、6歳も下だから、私も連れてってくれたわね(笑)。みんなで「向ヶ丘遊園」に、姉の同級生たちと学校を卒業してから、私を…一人だけコブとしてくっつけて、連れてってもらった。親がそういうとこ、どこも行かなかったから、なんか不憫に思ったんじゃない?

 あとは、子どものときは「多摩川園」って、あってね、目蒲線に。
 駅のまん前に、夏はお化け屋敷ができて。秋になると、菊花展やったり。小さいとこだったけどね。そこが娯楽といや、娯楽なのかな、その辺の。電車で1本だったから、何度か連れてってもらった記憶がありますね。

 あとは、たわいもない遊びをしてましたね、近所の子たちと。もう、思い出せない。…かけっことか、かくれんぼとかしてたんじゃないの? 缶蹴りだとか。

 あの頃、みんな、どっちかっつうと貧しいから、誰かのうちに行くとかじゃなくて、外で、みんなで遊んでたね。

──お姉さん、どんな性格の方だったんですか?

 性格は、きつかった…わね。洋裁も習って、講師もしていたし、忙しかったから、それでちょっと人に頼まれるとプリプリしてたんじゃないの。
 でも、姉は…けっこう癌の闘病、大変でした。かわいそうでした。川崎の病院で、よくお見舞いに行って。

 両親は、90近くまで長生きしたのよ。だから、親はかわいそうだったよね。
 やっぱりさ、子供が先に死ぬって言うのはね。でも、しょうがない。
 いま、会ってるでしょ、向こうで。

 ──お話をうかがい始めてからいままで、ずーっと立ちっぱなしで。いつもこうやって、立っていらっしゃるんですか?

 いや、お客さんが来れば。普段は、中に入っていろんな用をしてるから。

 ──家事もありますもんね。

 そうなんです。だからうちの旦那に、「私だって用があるんだからね! 忙しいんだからね!」って言ってあげるんだけど、わかんないんだよね。「あれは、もう終わってるのかよ?」って聞かれて「そんなのやる時間、ないよ」っつって。文句ばっか(笑)。言われてます。

 ──仲良くいらしてくださいね、ずっと。

 ふふっ。刃傷沙汰、にならないようにね(笑)。

 ──(笑)それにしてもここ、冷房がちゃんと効いてて、涼しくて。

 花のため、ね。こっち、家の中の方は…もう暖房よ(笑)。

 街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
 「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
 
 「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。

 まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。

 メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
 結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。

 話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
 話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
 音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。

 届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
 もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
 最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。

 併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
 本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
 挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。

 ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
 オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。

 私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
 そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。

 ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
 他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。

 私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
 駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。

西村佳哲(2025年7月31日)

駒沢の生活史[8話]

2025年11月11日 発行 初版

発行:駒沢こもれびプロジェクト

「今日の駒沢」
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