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駒沢の生活史[10話]

駒沢こもれびプロジェクト




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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。

駒沢の生活史


第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
    みたいな話があったみたい

第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
    人生のあと残った時間を費やすっていうのが

第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
    駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)

第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
    そのとき初めて、ものすごい実感した

第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
    みたいな(笑)

第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから

第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
    そこをちゃんと見極めてたのは偉いと

第10話 どうなんですかね?
     結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです

第11話 まかない食い放題!
     生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
     じゃあ、○円くださいって言って(笑)

第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
     親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか

第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
     ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない

第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね

第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
     それが「あなたが社長ですから、
     これ、サインしてください」って、突然

第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど

第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね

第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね


第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
     お客さんって、すごいなとずっと思ってた

第21話 朝来た瞬間から、
     自分でやりたいことを自己決定していくっていう

第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)

第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
     「なんかあんまり」って思ってたけど


第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
     あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ

第26話 仕事してるとき、
     自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)

第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな

第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから

第29話 塾すら近所だからさ、
     全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの


第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
     私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
     「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
     プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう

第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
     けど、それ以来ずっとこの界隈で

第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
     駒沢でオープン

第35話 山梨の人は東京に出ると
     中央線沿線に住む人が多いんですけど、
     高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて

第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
     頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
     大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
     落ちたけど、コーヒーは飲みます

第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
     声かけられて、そういうのなんか憧れるよね

第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは

第43話 …どっからか来てるのかな。
     常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね

第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
     後ろから人生を逆算してるから

第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
     いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)

第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
     そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです

第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
     あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
     おっしゃって。「どうしよう」って(笑)

第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)

第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
     ことが尊いともあんまり思ってないんですけど

第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね

第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
     本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
     過ごしています

第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)


















どうなんですかね?
結構、直感で生きてると思ってはいるんです

話し手    20代男性
聞き手  とりのささみこ


 えっと、兄がいるんですけど。双子の兄がいて。いま岐阜で、大学院の博士課程に行ってます。あんま知らないんですけど……電波っていうのかな?

 5Gとか4Gとかあるじゃないですか。たぶん、そういう系をやってて。6Gがどうとか。そういう風に聞いてますけど。あんまり知らない。

 ——子どもの頃は、学校とかずっと一緒だったんですか? それぞれの進路を、いつぐらいから見つけて行ったのかなと思って。

 学校は、中学校までは一緒。高校からは別のところ行ったんですけど。
 ……でも、僕は野球。
 小学校3年生から、部活じゃなくて、クラブチームで野球を始めて。で、向こうはソフトボールを始めたんです。

 どっちが先かはちょっと覚えてないんですけど…親的には、あんまり一緒のことはさせたくなかったらしくて。一緒にやってたら、ずっと一緒にいるじゃないですか。
 なんで、「別々でやらせたかった」っていうのは聞きましたけど。

 僕が野球を始めたのは、近所に住んでた1個上の友達が先に野球を始めてて、見学行ったときにすごい「かっこいいな」と思って。そのときに、始めました。だから(兄と道が)別れたのはそれぐらいです。
 で、向こうはずっと学校の方でやってて、僕はずっと外でやってたんで。
 野球……野球から、別れたのかもしれない。

 ——野球をやる前から、体を動かすのは好きでした?

 そうですね。実家の隣が、駐車場だったんですけど。

 そこにブロック塀が、まぁ低いやつですけど。外壁の、これが外壁だとして(右手をたてる)。ここにブロック塀がこう、回っていったのを(左手を、右手と並行に向き合うように出す)。普通に乗ったら落ちるんですけど、なんとかこの、家の壁をつかみながら最後まで渡るっていう……。

 いま考えたらぜんぜん面白くないですけど。それをなんかずっとやってました。
 兄と、そういう名もなき遊びをやってたと思う。

 ——お兄さんと仲がよかったんですね。

 はい。仲は別にいいです。小さい頃は一緒にいました。家にいるときも、なんかしら一緒にやってた。常に友達が家にいるみたいな。

 野球を始めてからは、小学校のときはけっこう週5ぐらいでやってたんで、あんまり、遊んでなかったかもしれないですね。遊べる日はすごい限られてました。
 あと、水泳もやってたんで。週6で、なにかしらやってた。
 だから1日だけ遊べる……か、学校終わって、その野球が始まるまでの間。たぶん7時ぐらいからだったと思うんで、その限られたとき、2時間3時間ぐらいで遊んでた気がします。

 ——ストイックですね。

 でもなんか……(野球は)好きだったんですけど、「今日も頑張るぞ」っていうよりかは、ルーティン的な感じに練習してた。あんま頑張ってるっていう意識は、うん、なかったかもしれない。

すごい。なんか自分の住んでた町より田舎。って思いました

 練習に行くモチベーションとしては、決まった時間に行ってるみたいな。もちろん練習はちゃんとやりますけど、行くマインドとしては「行きますか」だった気がします。
 そう……なにも考えずに行ってたと思います。

——小学3年生で自分から始めるっていうのが、そもそもちゃんと考えてるなと思いますけど。

 うーん。もしかしたら、なにかしら親の、なんかはあったかもしれないです。意識的に連れて行かれたのか、ちょっと記憶はないですけど。

 でもその体験会に行って、友達がやってたのを「かっこいいな」と思ったのは、すごい覚えてるので。

——建築の仕事に興味を持ったのは?

 それは、高3の夏。割と際(きわ)です。
 まぁ、理系っていうのはあったんですけど、理系だったら、受験の科目ってだいたい一緒じゃないですか。

 だから、理系の中でどこに行こうかなっていうのはずっと決めかねてて。で、オープンキャンパスに行ったときに、「建築、面白そうだな」って思って決めました。

 ——大学は地元ですか?

 大学は、本当は横浜の方に行きたかったんですけど、落ちたんで、すべり止めで広島の方に。

 ——広島の大学に。どうでした? 広島。

 広島は、すごい田舎でした。すごい。なんか自分の住んでた町より田舎。って思いました。(JR広島駅の)駅周りとか、あの辺すごい都会じゃないですか。

 そうじゃなくて、その、もう1個隣の東広島市っていう、空港があるとこ。そこに大学があって、すごい山の中だったんですよ。僕の実家よりも田舎でした。

 ——じゃあ、そこから、建築の勉強を始めて。なにに惹きつけられたんでしょうか?

 えーと……理系に行くと決めたものの、いまいちなんか、やりたいこともなくって。

 で、オープンキャンパスにちょこちょこ行って。横浜の大学に行ったときに、建築のところを見に行って。
 いっぱい建築の模型が置いてあったんですけど。それを見て、面白そうやなって思った。それだけです。それだけで決めました。

やってきたことを手放すのは、すごい怖いじゃないですか?

 ちっちゃいときから、レゴブロックとかあるじゃないですか。あれは、やってたりして。なにかをつくるおもちゃって結構あると思うんですけど、そういうのは割とやってたんで、もしかしたら繋がってきてるのかもしれないです。

 いやでも、いま考えると、レゴブロックってみんなやってるじゃないですか。わりと。やってると思うんですけど、みんなやってる中で、建築に進んでない人もいるわけで。
 「じゃあなんで自分が建築に行ったのか?」って考えると、ちょっとわかりません(笑)。

 ——わからない(笑)。

 ちょっといま、ぱっとわからない。なんでか。

 ——建築学科に進んだからといって建築の道に行かない人も、やっぱりいるんでしょうか?

 います。でも1割……ほぼほぼ、建築の仕事はしてると思います。9割ぐらい。
 ちょっとずれて服飾の方に行ったりとか、デザイン系で違うとこ行くっていうのはありますけど、やっぱり……4年間勉強するわけじゃないですか。それを捨てるのに、たぶん勇気がいるんだろうなと思います。

 ——違うことしたいと思ったこと、ありますか?

 えー、それは常々思っています。

 もちろん建築をやるのは好きなんでいいんですけど、けどまぁ……「いろんな仕事をしてみたいな」とは思いながら。
 けど……さっきの話で、やってきたことを手放すのはすごい怖いじゃないですか?

 ほんとは思い切って違うことしたいっていうのは常にあります。もしなにかで建築ができなくなったとしても、別にいいかなとは思ってます。

 ——具体的にやってみたいものってあるんですか?

 えーとー、料理人とか。

 ——お店を自分で持ってみたいなとか。

 とか、思ったりはします。楽しそうだなって思います。ぜんぜんその、辛い部分を僕は見てないのでわかんないですけど。
 かっこいいなと思ってるっていう、その程度です(笑)。

 ——いつか自分のお店も設計してみたい、って思います?

 まぁ、そうですね。考えますけど。たぶん難しい。設計しながらカフェをやってる人とかいるんですけど。結局どっちかになってる事例はよく見ます。カフェが忙しくなって建築できないとか。
 なんで、設計者としては、自分はそこには立てない気がします。

 自分が店に立つ機会があれば、建築はちょっとやめないといけないと思います。
 すごい時間、取られると思うんですよ。両方。だから両方やるっていうのは難しそうな気がします。

 ——建築学科に進んでから、それ以外の道の人と交流する機会って、少なかったりしますか?

 そうですね。大学のときは他の人とあまり関わることはなかったんですけど。
 東京に来てからの方がそういう人との関わりは増えてるような気がします。

その、街との、なんか、関係が切れてるなと僕は思ってたんです

 古着屋さんに行ったりしたとき、そこの店長の人と仲良くなってとか。その人が違うお客さんを紹介してくれたりとかっていうのは、やっぱ東京に来てから増えたと思います。

 自分がいちばん仲良くしてもらってる古着屋さんは、吉祥寺のところで。そのとき髪を切ってもらってたのも吉祥寺だったんですけど、たまたまその古着屋さんと美容師の人が友達で、とか。
 なんかそういうのがあって繋がっていったりはしました。

 僕は、自分からぐいぐいは行かないんですけど。
 むしろそれぐらいの方が、自分に合う人が寄ってくると僕は思ってるので。うん。自分からはあんま行かない方が、いい人に巡り合えると、僕は思ってます。

 で、その古着屋さんも僕に合いそうな人を紹介してくれたりとかするんで。
 やたらめったらっていう感じではなくって。なかなか自然とそういう人が寄ってきてくれる感じはあるかな。

 ——こどものときからそんな感じでした?

 いや、たぶん野球……でも、そうですね。そうかもしれない。中学校ぐらいからはそんな感じ、かもしれないです。
 積極的に人に関わりに行くことはそんなにしてはこなかったですけど、なんとなく友達はいたりとか。
 だから、たまになんで自分に友達がいるのかって思うことはあるんですけど。

 たぶん、中学校くらい。小学校は1クラス20人、行くか行かないかってとこで、まぁ、全員仲いい。仲いいっていうか、全員と関わる、みたいな感じだったんですけど。
 中学校からは、それが1クラス30人とかが5クラスぐらいの普通の一般的な規模になって、人が増えたんで、その辺で変わったのかもしれない。

 ——大学院は、東京だったんですよね。どうして、広島の大学から東京に進学しようと思ったんですか?

 大学、広島じゃないですか。で、…都市。都市の勉強をしようと思ったときに。広島に、都市はなく。

 いわゆる、東京みたいな都市のことを勉強しようと思ったときには、周りに都市がなかったら勉強できないなと思って。東京でもう一回勉強したいなと思って、東京に行こうと思って、来ました。

 ——都市の勉強がしたかった?

 大学のときに……彫刻みたいな、建築。その、それ一つでなんか完結するような、どこに建っててもいいような建築をつくるような人が、僕、大学のときの建築の先生がそうだったんですけど。
 そうすると、そこに立つ理由があんまりないというか。その、街とのなんか、関係が切れてるなと僕は思ってたんです。

ストーリーとして、その場所にはもう、時間が流れているじゃないですか

 結局、そういう建築の集積で街ができてるわけじゃないですか。ってなったときに、都市のことを、町のことを考えて建築をつくらないと、街が崩壊していくというか。

 なんか自由な彫刻みたいなものばっかりができていくと、町が変なことになるなっていうのはあったので、しっかりと土地、都市のことも含めて、建築を考えたいなと思ったので。それで、都市の勉強をしようと思いました。

 ——勉強してみて、どういう変化を感じました?

 うーん。これ、食べていいですか(お菓子に手を伸ばす)。
 街を、見る視点というか。うん。なんか、変わったかなと思います。

 例えば、その辺歩いてても。いまアスファルトだったとしても、もともと川が通ってたところに蓋をしてたりするんですけど。そういう、なんて言うんですかね。歴史を、紐解いていくみたいな。

 そうすると、いまは失われてるけども、元々その土地にあったものが見えてくるとか。
 そういうのがまぁ、そのへん歩いてるだけでも見つかったりするんで。普通に散歩するだけで、もう景色は変わってくるのかなって思います。

 地図を見たりしても、たとえば、どの道が昔からの道とか、昔の地図とか見たりして比較すると……それこそ三鷹とか。中央線が横に通ってるじゃないですか。ああいう水平な、幾何学的なものって昔はなくって。

 ああいう、なんて言うんですか、近代化によって人に壊されたコミュニティがあったりとか。そういうのが見えてきたりはしますね。

 ——いまの仕事にも、活きてくるものがありますか?

 あると思いますね。結局、建築をつくるときに、どういう建物を建てるかって考えたときにはやっぱり1個のストーリーとして、その場所にはもう時間が流れているじゃないですか。

 だから、その、どういう経緯があって、いまその場所があるのかっていうのを考えないと、結局、一つの切り口でしかない。
 どういうストーリーでその建築を建てるのかっていう、その…信憑性というか、それを建てる意義みたいなのを見出すときに、やっぱり歴史ってすごい強い。

 積み上げられているものなので、説得力が。逆に言うと、説得力を出したいときとかにも必要不可欠になってくかなって思ってます。

 ——いろんなことに対して、理由をちゃんと考えてるんですね。

 どうなんすかね? 結構、直感で生きてると思ってはいるんです。
 けど、直感と言いつつも、なにかしらの思考が働いてるのかもしれないです。

 たぶん、高校のときに野球部の監督が。高校の野球界ではぼちぼち有名な人だったんですけど、この人の影響だと思います。

あ、でも東京がいちばん。東京っていうか、このいまがいちばんいいかな

 わりと高校野球って、体育体系というか、がむしゃらみたいなイメージあるかなと思うんですけど、そうじゃなくて。

 高校は進学校だったんで、勉強をしなきゃいけないと。だから、19時に学校が閉まるんです。
 そこまでしか練習はできないんですけど、監督が言ってたのは「進学校なんだから、頭を使って。限られた時間しかないから、意味ない練習するんじゃなくて、しっかりと効率よく、こういう理由でこの練習をするんだ」って言われていたので。
 なんで、そこかもしれないですね。ちゃんと理由があって練習をしてるっていう。

 ——尊敬できる人でした?

 尊敬できる人ですね。
 結局、そう。周りにいい人がいたのが先なのか…後から寄ってきたのかはちょっとわかんないですけれども。
 引き寄せてるような気がしている。

 ——引き寄せてる。

 確かに、悪い人はいない(笑)。いない気はしますね。自分の周りに。

 ——人と衝突とかも、しなさそうです。

 あー、しないですね。衝突しないですし、あんま衝突するような人も、いないですし。

 衝突を、避けるようにしてる…衝突しないようにしているし。衝突したとしても、たぶんあれか、自分が折れるのかちょっとわからないですけど。
 友達とかはあんまり衝突しないし、家族もまぁ、昔はしてたのかもしれないんですけど、いまはそんな衝突もしないので。

 まぁ、そうですね。お付き合いする人と、かもしれないです。衝突するとしたら。衝突するってことは、真剣に向き合ってる証拠でもあると思うので。

 家族なり付き合う人と、衝突。付き合う人とは衝突があるべきだなと思いますし、その衝突を逃がせる友達とはあんましない。衝突しない方がいいのかなとか。思います。

——家族と衝突、「あったかも」っていうことは、そんなにすごい喧嘩をしたような記憶もないってことですよね。

 ないですね。あんまり。進路とかそういうなにかに対してあまり反対されたことは、あんまりなくって。
 妹はなんかいろいろ言われてるみたいですけど。でもたぶんそれは妹が親に相談してるって聞いてるんで。僕はその、相談とか別にしなかったんで。
 だからそんなに、あんまりぶつかることなかったのかなって感じですね。

——地元と、広島と、東京。住んできてどこが自分にしっくり来ます? いちばん。

 うーん。あ、でも東京がいちばん。東京っていうか、このいまがいちばんいいかな。
 実家は実家で、まぁ、いいですけど。別に楽しくはないので(笑)。

 田舎の、こっちにいる友だちとか、こっちで育った友だちとかは、地方に行くと「いいな」って言ってますけど。「こんなとこ住みたいな」とか言ってますけど。
 けど、別にまぁ…東京ぐらいの情報が溢れてないと、物足りない感じがしますね。

 東京にはまぁ、だいたいあるじゃないですか。いろんなものがだいたい揃ってて。別にいらないものは省けばいいだけなんで。
 でも、ないものはどう頑張っても摂取できないわけです。広島にいて、街の勉強するとかは、無理なんで。

 ある中から自分で取捨選択できる方が、なんとなく豊かなような気がします。

 街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
 「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
 
 「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。

 まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。

 メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
 結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。

 話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
 話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
 音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。

 届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
 もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
 最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。

 併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
 本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
 挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。

 ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
 オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。

 私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
 そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。

 ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
 他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。

 私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
 駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。

西村佳哲(2025年7月31日)

駒沢の生活史[10話]

2025年11月11日 発行 初版

発行:駒沢こもれびプロジェクト

「今日の駒沢」
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