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駒沢の生活史[20話]

駒沢こもれびプロジェクト




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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。

駒沢の生活史


第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
    みたいな話があったみたい

第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
    人生のあと残った時間を費やすっていうのが

第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
    駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)

第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
    そのとき初めて、ものすごい実感した

第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
    みたいな(笑)

第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから

第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
    そこをちゃんと見極めてたのは偉いと

第10話 どうなんですかね?
     結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです

第11話 まかない食い放題!
     生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
     じゃあ、○円くださいって言って(笑)

第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
     親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか

第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
     ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない

第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね

第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
     それが「あなたが社長ですから、
     これ、サインしてください」って、突然

第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど

第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね

第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね


第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
     お客さんって、すごいなとずっと思ってた

第21話 朝来た瞬間から、
     自分でやりたいことを自己決定していくっていう

第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)

第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
     「なんかあんまり」って思ってたけど


第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
     あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ

第26話 仕事してるとき、
     自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)

第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな

第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから

第29話 塾すら近所だからさ、
     全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの


第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
     私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
     「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
     プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう

第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
     けど、それ以来ずっとこの界隈で

第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
     駒沢でオープン

第35話 山梨の人は東京に出ると
     中央線沿線に住む人が多いんですけど、
     高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて

第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
     頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
     大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
     落ちたけど、コーヒーは飲みます

第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
     声かけられて、そういうのなんか憧れるよね

第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは

第43話 …どっからか来てるのかな。
     常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね

第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
     後ろから人生を逆算してるから

第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
     いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)

第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
     そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです

第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
     あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
     おっしゃって。「どうしよう」って(笑)

第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)

第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
     ことが尊いともあんまり思ってないんですけど

第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね

第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
     本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
     過ごしています

第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)


















お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って
言うお客さんって、すごいなとずっと思ってた

話し手 60代女性
聞き手  薮下佳代


 ——もともと、お生まれってどちらなんですか?

 えっとね、埼玉の川口のほう。赤羽の次。だから自分は関東圏内だし東京の隣だし、真ん中に立ってる気ではいたんですけど。こっちの母なんかに比べたら「あら、東北ね」って言われて(笑)。川を越えると東北みたいなイメージがあって。あ、そういうもんなのかと。川口で生まれて、で、ここに嫁に来た感じ。

 ずっと引っ越ししたこともなくって。自営業の家で、職人の娘なんですよ。板金屋って言って、いまはもう瓦屋根だけど昔はトタン屋根で、そのトタン職人の父と洋裁をする母の子で生まれて。
 27の誕生日に結婚式を挙げたので、27まで川口にいてって感じなのかしら。誕生日だと忘れないし、いいかな? って。

 もともと◯◯ゼミナールって、本当に小さい会社だったんですよ。第一期の採用で、向こうは四大生で、私が短大だったので、2つ違いで同期入社して。いまは大きくなってるけど、昔は南浦和の小さいところが本部だったんです。所属は経理で、お子さんが月謝を、当時はほぼ現金か引き落としだけど、現金で来たのを数えて……そういう業務だった。で、知り合って、たまたま縁があって。

 ——職場結婚。

 そうそう。ふふふ(笑)。私、早生まれなんで、19で社会人になって。歳取ってきて振り返ること多くなったけど、ちょっと恥ずかしいです(笑)。

 一回ね、南浦和に鰻屋があって、入社の前かな? 鰻をご馳走になる会があったんです。食事会みたいな。そのとき、風邪を引いてたらしいんだけど、鰻が大好物なんですよ。だからもう腕まくりしてきた感じで、すごい人だなと思って。具合悪いのに鰻のために来るんだみたいな印象を受けて(笑)。ははは。
 同期会みたいなのがあって、職場違ったりしたけど、社員旅行があったりとか。

 ——結婚して世田谷に。

 結婚と同時に。引っ越しの経験もないからね。なんかね、都民になるって感覚はなくて。
 世田谷線はびっくりしたの。(電車が)来たときに、運転手さんにこうやって(手を上げて)定期を見せてたの。みんながこうやって見せて入ってて当時。ピッの前のときだからね。うわ〜と思ったけど、でもあのおかげで雰囲気が、なんか(電車に)救われてる感じありますね。なんとなく。

叔母とかは、桐のタンスを持たせたかったんだって

 川口はバス停までが、当たり前だけど、10分ぐらいかかるんですよ。そのバス停から駅に出るにも、やっぱり15〜20分かかるんです。東京の人と地方の人の感覚の違いで、10分歩くってのは普通で。だけど、夫にしてみたら、駒沢までは歩けない。歩けないっていうか、遠い。いまは息子も当たり前に駒沢に歩いてるけど、昔は自転車なら行くけどみたいな感じ。東京の人は、5、6分ってのが歩くっていうか。実家はバス停に行くにもまず10分かかるんだから、それが当たり前の感覚だったけど、それはやっぱり埼玉県民と東京都民の違いがあったみたい。

 ——引っ越す前、世田谷のイメージってなんかありました? 

 みんな「すごいね」って言うじゃない? だいたい、世田谷区っていうと「ああ、すごい!」って。ほんとにうちはアパートだったし、まぁ地名はそうだけど、こんな小っちゃい家ですよって言って(笑)。

 叔母とかは、桐のタンスを持たせたかったんだって。でもうちの母も私もいらないっつったんだけど、いや持たせたいって。当たり前に100万ぐらいして、いらないけどそんなに持たせたいなら、まあ持ってくかと。いまも一応あるんだけど。

 叔母は、世田谷のお母さんに見られて恥ずかしくないようにって。見ないですよ。見ないけど恥ずかしくないように、着なくてもいいから着物を持っていきなさいと。叔母がもう着ないものが入ってたりしますよ。そういうイメージは叔母たちとか親戚はあったのかもしれないね。いっぱい詰めて持ってきさいって。いま思えば。喪服とかも、夫の紋のをつくってくれたけど、着ないですよね。

 ——え? 着なかったんですか?

 着ない。だって喪服だよ? 着ないよね。だっていま、夫が亡くなったからって、ドラマなら喪服のお奥さんはいるけどさ。もちろん自分で着れる程があるならあれなのかもしれないけど、私着れないし。それどころじゃないよね、きっと。

 (桐ダンスに)入ってます。親たちはイメージ的にあったのかもしれないね。もちろんそういう家ではないんだけど、ぜんぜん。

 ——Sさん(夫)は、ここのご出身?

 ここで生まれて育ってきて。結婚したときは(店)の上が空いてたので、そこで2人で。そのときは「店をやりたいんだ」みたいな話をしてて。まだ塾の室長とかやってたけど、やりたいんだって。
 私は自営業の娘なわけだから、サラリーマンとか会社員とかにもこだわりがなかった。自営業って大変なんだけど、実際ね。自営業の娘で育ってるから、なんとかなんのかな? ぐらいな気持ちだった。

寒いときって熱いの食べるじゃないですか。
そうすると結局「水ください」って言われる(笑)

 やっぱり職人だから、雨の日は休みで外仕事できないし、どんぶり勘定っていうか、きちんとサラリーマンっていうのを体感してなかったから。

 ——そのときはSさん(夫)のお父さんがまだお店をやってたとき?

 そうそう。五反田に◯◯があって。母の兄がやってたから、そこでそば職人として、義父はそば打ったり、天ぷら揚げたりしてて。
 ここはまだ駐車場だった。結婚して……一年目? 2年目に始まった。

 それまで、いまはもうないんですけど、祐天寺に◯◯って◯◯の遠い親戚なんですけど、そこに手伝いに行ったりしてて。私も結婚したときは、土日は手伝いに行ってた。バイトみたいな感じで。
 そこで祐天寺のおばさんとかに「こんなにネギはつけなくていいのよ」とか。
 ほら、昔の蕎麦屋だから、注文をやってたんですよ。「花番」って言うんですけど。注文聞くのも、いちいち初めは知らないから「きつねうどん」とか全部書くわけ。ど素人だから。でもそんなのは「きつねの『き』だけ、たぬきなら『た』でいいのよ」とか。そういうのはなんとなく教わった感じかな。
 ここも誰に教わったわけじゃなくて、祐天寺のおばさんから言われて、そこで感じたものをど素人でやってるだけなんで(笑)。

 それで子どもが生まれて、彼が1歳になったときに(お店を)始めたから。ちょうど31になって。いま、土日、洗い場だけやってるんです。バイトだけど。いちばん威張ってます(笑)。

 ——そのときからお店は変わらず?

 中は変わってるけど、前はこっちが入口で蕎麦屋だった。蕎麦屋になって、うどん屋になって。蕎麦屋は15年やって。ちょうどうどん屋も15年だから。

 ほんとに紆余曲折、いろいろありましたよ。みなさん、いいお客さんでした。嫌なこともあったけど、基本的にはここに来る人はみんな、お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言うお客さんって、すごいなとずっと思ってた。

 ——お茶の話で思い出しましたけど、いつも「今日暑いな」とか「今日ちょっと肌寒くなったな」とかって思う日に、こまめにお茶の温度を変えてくださるじゃないですか。

 たまたま季節のあれで……。それは給湯器みたいなスイッチで、寒くなったなとか暑くなったなでやってるだけだから。

 蕎麦屋さんってのは、蕎麦の味を引き立たせるために、水を出すみたい。
 蕎麦屋のときだってたぶん、ちゃんと記憶にないけど、寒くなればあったかいお茶だったけど……。

 でも不思議なんですけど、寒くなったからって熱いお茶出すと、待ってる間は熱いお茶でよくても、だいたい寒いときって熱いの食べるじゃないですか。そうすると結局「水ください」って言われる(笑)。

中途半端な人生で、ごめんなさいって感じですよ

 で、暑いと逆で、冷たいお茶を出すと、入ってきたときは暑いからいいんだけど、冷たいの飲んで冷たいの食べると寒くなっちゃうから「あったかいお茶ください」ってこともある。
 普通に自分流でやってただけだからこうした方がよかった、こっちがいいのかしらと思ったり、変えたりはしてたかもしれないけど……。

 自分の店だから「いらっしゃいませ」とか「ありがとうございました」って言えるんだと思う。よそに行ったら言えないかもしれないと思って。この「いらっしゃいませ」って言葉も、自分の店だからこそ「いらっしゃいませ」って出るけど、雇われてたりしたらできるかなって思ってる。

 ——人を迎えるときの気持ちが違う?

 あんまり、そんなにちゃんと考えてないからわかんないけど……精一杯やってるだけで。

 ——おひとりで目が届く範囲の広さで。

 ね。だからすごくね、同じような夢を見ることがあって。夢の中で、自分のお店なんだけど、100人単位ぐらいの部屋にいきなりダーッて入ってきたりすると、普通は順番通りに(注文を)聞くじゃないですか。でも、もう(人が多すぎて)なにがなんだか……みたいな夢はよく見ます(笑)。心理的になんかあるんだろうなと思うけど、そういう夢はほんとによく見る。

 ええ? どっから注文? みたいな(笑)。それでわ〜って来るわけだから手当たり聞いてて、(待ちくたびれた)お客様が帰っちゃったりとか。リアルですよ。夢だけど。

 ——いつも外に(お客さんが)並んでますもんね。

 ありがたくってね。すごい待たせることも苦痛なのね。悪いなって、待たせてごめんなさいってずっと思ってるの。暑かったり寒かったりするし。

 でも、知り合いのご婦人に「待つってのはわかって来てるんだから、そんなの気にすることないんじゃない? ここは待つお店なのをわかって来てんだから」って言われて。すこ〜し気分が抜けたり。2、3年前かな、やっと。
 それまで、ほんとに気にしてたのね。悪いなぁって。

 ——変わらず30年……長くないですか30年って。

 なにしろ、私は真面目に生きてきただけで。とくになにというわけでは……。

 ——お子さんがいらっしゃって、土日もお店を開けるのって大変でした?

 いま思うけど、全部、中途半端だったんだろうなって思う(笑)。読み聞かせとかね、寝かしつけの絵本をってこともできなかったし。寝かしつければ一緒に寝ちゃってたし。読み聞かせなんて、もうもうアップアップでできなかったし。だからって十分、お店の対応ができたかなって、たぶんできなかっただろうし。中途半端な人生でごめんなさいって感じですよ。

でも常に後ろめたい気持ちはあって。
夫は一緒にいるからいいもんじゃないとか、よく言ってたけど

 当時は昼も夜もやってたからね。おんぶして(厨房の)中にいたりもしたから。よくできましたよね。ふふふ(笑)。

 ——お店をやってる間、お子さんたちはお家に2人で?

 2人でいたり、土日遊べるような子と遊んでたり。
 上の子は1歳で感じてたかわかんないけど、そこが敷居なんですけど、店にはあんまり出てきたりしなかった。下の子は、夜ちょうどお店やってるとき間、子は子でお腹を空かしてるわけで。「お腹空いた〜!」って叫んだりしたときもあるし。自分の子をお腹空かせといて、お店のお客さんにああでこうではないわよねって思ったり。

 下の子に「私とお客さん、どっちが大事なの?」なんて作詞作曲の歌を歌われたり(笑)。ふふふ。下の方がアピールしてたのかな。上は男の子だし、一切なにも言ってこなかったけど。それぞれがいろいろ思ってるんじゃないんですか。聞いたことないけど。

 ——渾身の曲を……。

 そうそう(笑)。歌詞はね、探すとどっかにあると思うけど、思い出にちょっと取っとこうと思って。だけど、親としては別に隣にいるし、見えるしみたいな感覚はあるけど、やっぱりそれは親と子で……あったんじゃないんですかね(笑)。

 私も自営業の子だけど、飲食の子ではないから、その気持ちはもちろんわからないし。
 細かくは聞いたことはない。

 でも、常に後ろめたい気持ちはあって。夫は一緒にいるからいいもんじゃないとかよく言ってたけど、当時。一般的な接し方はできてなかっただろうし、子どもには言ってないんですけどね。

 ——30周年を振り返ったりすることってあるんですか、Sさん(夫)と。

 いや、なんかね。いつだか25周年のときは、庭で出店を出して焼きトウモロコシやったり。25年って中途半端だよなと思いながらも、本人はやるって言ったらやる人なんで。ああだこうだ言ってもやる人なんで、「あ、そうですか」
ってやって。そのあと、コロナになったのね。

私なんか、丸くない。逆に四角く、角が立ってるような気がする(笑)

 だから、30周年ってのも、あんまりピンと来てなくって。2、3週間前に「今年30周年なんだよ」って言われて。「ああ」みたいな感じ。別に、とりあえず延長線なだけで。
 コロナで随分、世界観とか価値観も変わったけど、とりあえずなんとかやってこれたから。それはありがたい。

 ここ4人掛け(のテーブル)だったんだけど、やっぱり4人にすると狭く感じて増やせなくって、そのまんま。
 距離感、変わった感じしません? コロナになってから。

 もうコロナも5類になったから(戻しても)いいかなと思ったんだけど、なんか感じ方が、ちょっとあれかな? って。どっちみち、早く座ったからって、そんな早く(料理が)出るわけじゃないからね。ま、いっかってね。

 最近、おかげさまで開けた瞬間に埋まっちゃうから。やっぱり渋滞が起きちゃうというか。なんか悪いなと思いながら。
 (開店は)11時半なんだけど、早い人だと10時半から待ってくださったりするの。だから、もちろん11時半より前には開けるようにしてる。ありがたい話なんですけど。
 なんかね、並んでる人にも断りたくないの、私は。

 ——でも、1日に打てるうどんの数は決まってるから。

 開けてる時間以外、ほぼ仕込みしてるからね。休んでるようでないですよね。

 ——おふたりを見てると、働き者のSさん(夫)と物静かなMさんが正反対のように見えて不思議で。

 一緒に動いてたら、たぶんぶつかるんでしょうね。うまく行ってるように見せてるだけだから(笑)。
 歳を取ると丸くなるっていうけど、そういうことないと思う。私なんか丸くない。逆に四角く、角が立ってるような気がする(笑)。

 ——歳を取って気になることが増えた?

 娘に「ママがいちばん正しいわけじゃないからね」って言われて。「ああそう、そうですね」と思って。自分の基準で考えちゃうから。「うんうん。はいはい」
って聞いて(笑)。やっぱり自分が基準で考えちゃう、だんだん歳取るとね。

 ——息子さんがいまアルバイトしてるってことは、いずれはお店を?

 やっぱり自営業は大変ですよ。会社員でね、ボーナスもらうほうがって気はします。会社員だって大変だと思いますけど、いただくお金とね、自分たちで稼ぐお金は、やっぱり違う気がする。

——自営ってコツコツ、毎日の積み重ねでお客さんがいて……。

 私は補助。まぁ、運ぶだけだけどね(笑)。

 こっち(厨房を)向いてるときにすごい怒ってたりするから。なんか気に入らないことがあると睨んでたり。そういうときもある(笑)。
 ただ、お客さんの目の前でみっともない姿はいけないと思ってる。うまく行ってるように見せてるだけ(笑)。

 ……むしろ30代とかはあんまり記憶がないから、なにしろその場その場でできることで。
 いまもそうだけど、その場その場できることをやってるわけ。目の前に。ふふふ(笑)。

 街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
 「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
 
 「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。

 まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。

 メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
 結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。

 話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
 話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
 音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。

 届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
 もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
 最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。

 併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
 本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
 挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。

 ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
 オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。

 私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
 そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。

 ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
 他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。

 私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
 駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。

西村佳哲(2025年7月31日)

駒沢の生活史[20話]

2025年11月11日 発行 初版

発行:駒沢こもれびプロジェクト

「今日の駒沢」
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