spine
jacket

───────────────────────


駒沢の生活史[22話]

駒沢こもれびプロジェクト




───────────────────────





















駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。

駒沢の生活史


第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
    みたいな話があったみたい

第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
    人生のあと残った時間を費やすっていうのが

第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
    駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)

第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
    そのとき初めて、ものすごい実感した

第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
    みたいな(笑)

第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから

第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
    そこをちゃんと見極めてたのは偉いと

第10話 どうなんですかね?
     結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです

第11話 まかない食い放題!
     生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
     じゃあ、○円くださいって言って(笑)

第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
     親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか

第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
     ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない

第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね

第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
     それが「あなたが社長ですから、
     これ、サインしてください」って、突然

第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど

第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね

第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね


第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
     お客さんって、すごいなとずっと思ってた

第21話 朝来た瞬間から、
     自分でやりたいことを自己決定していくっていう

第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)

第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
     「なんかあんまり」って思ってたけど


第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
     あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ

第26話 仕事してるとき、
     自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)

第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな

第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから

第29話 塾すら近所だからさ、
     全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの


第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
     私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
     「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
     プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう

第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
     けど、それ以来ずっとこの界隈で

第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
     駒沢でオープン

第35話 山梨の人は東京に出ると
     中央線沿線に住む人が多いんですけど、
     高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて

第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
     頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
     大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
     落ちたけど、コーヒーは飲みます

第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
     声かけられて、そういうのなんか憧れるよね

第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは

第43話 …どっからか来てるのかな。
     常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね

第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
     後ろから人生を逆算してるから

第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
     いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)

第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
     そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです

第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
     あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
     おっしゃって。「どうしよう」って(笑)

第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)

第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
     ことが尊いともあんまり思ってないんですけど

第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね

第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
     本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
     過ごしています

第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)


















けっこう、いまは相談相手って感じ。
お姉がいちばんの

話し手 20代女性
聞き手   杉本丞


 お母さんは、なんだろう。いい意味でドライなタイプ。もちろん愛情は注いで育ててくれたけどね。だから、なんだろうな。「宿題やんなさい」とかも、あんまり言われなかったし。「あなたが必要だと思うならやりなさい」って言うタイプだった。そう言われると、なんかやべっていう気持ちになって、自主的にやってたかな〜。

 だから、本当に適当だったんだと思う。で、逆にお父さんは、教育熱心なおばあちゃんに育てられた人だったから、習い事もやらせたほうがいいとか、門限にうるさいタイプ。

 でも、勉強に関しては、お父さんも成績表を見せろっていうタイプじゃなかったね。というか、別にお姉ちゃんも私もまあそんなに勉強が苦手なタイプじゃなかったし、成績はそんなに悪くなかったから、はい(手を雑に差し出す)みたいな感じで見せてたかな。

 お母さんに成績表を見せても、なんか「すご〜い!」とかもないし。「次のテストで〇〇点とったらWii買ってもらえるんだ」って友達もいて羨ましいなって思ってた。だから一回それをお母さんに言ったことがあって。「〇〇ちゃんは、テストで100点取ったら、DSのソフト買ってもらうんだって」、みたいな。そしたら「知らないわよそんなの、うちはうちだから」って感じで(笑)。


 いい点数を取ってきても、別に、ま、すごいねぐらいな感じ。さらっとした人だったかな。

尊敬してたし、そんなになんか、やってやってとは
あんまり言わなかったかなあ

 キャラ弁つくってくれるようなお母さんもいるじゃん? そういうかわいいお弁当をつくってくれるお母さんに対して、うちはほんと、まっ茶色なお弁当だったから。


 ——そぼろとか。


 そう、色合いを気にせずに、とりあえずもう昨日の残りと、みたいな。もちろんつくってくれるだけでありがたいことなんだけどね。なんか、そういう、なんだろうね、あんま見た目にこだわらないタイプだった、うん。

 なんか、「そんなこと必要ないだろみたいな、ピカチュウのかまぼこなんて買わなくていいだろ」みたいな感じのタイプだったから、友だちが羨ましいって言ったことはあるし。もっと可愛いお弁当つくってほしいとかも言ってたし。

 部活の試合の応援も、本当はもっと来てほしかったなあって思う気持ちもあったけど、でも、別に、なんだろうね…。私が中学生になったころに、お母さん側のおじいちゃんが認知症になっちゃって、その介護で本当に忙しかったから。それを見てたら、別にキャラ弁つくってなんて言えないぐらい。すごいなお母さんって尊敬してたし、そんなになんか、やってやってとはあんまり言わなかったかなあって感じ。


 ——ちょっと言いづらい状況になった。


 そうそうそう、言いづらかったかもしれない。まあでも、本当、なに不自由なくやらせてもらったなあとは思うかな。恵まれてたなって思う。

 家族も仲いいほうだと思うし。そうね。うん。私、2つ上のお姉ちゃんがいるんだけど、タイプもぜんぜん違うから、よく親と喧嘩してるのを見てたんだよね。


 お姉ちゃんの反抗期がもうすごかった。それこそ、大学生のころは本当にもう毎晩のようにお父さんとバトルしてたから、喧嘩するの本当に嫌だなって思って。喧嘩はやめようっていう仲裁係だったかもしれない。だから私、あんま反抗しなかった。けっこうずっと、あの自分で言うのもなんだけど、いい子でいた自信はある。


 ——もうずっと?



 うん、ずうっといい子でいたかもしれない、親にとっては。だし、私もけっこう親に喜んでもらいたいというか、親に自慢したいから頑張るみたいなところもあったから。

夢に見てた仕事だったけど、私、この仕事向いてないってずっと思ってた

 たとえば、その部活もさ。頑張って、「すごいね」って言われたいとか。あとは、学校の先生になりたいって思ってたのね、高校生ぐらいから。それを親に言ったら、すごく「え、めっちゃいいじゃん」みたいな感じで言われて。

 親がこんなに喜んでくれるんだったら、普通に興味のある分野だったし、私は先生になればいいやって思って。だから、そっから、なんだろう。ほかにわき目も触れずに、それをずっと目指してきちゃった。


 でも、先生として働くことがきつくなって転職して。そこで初めて、親がこれがいいって言ったものをずっと選んできちゃった人生だったなって、気づいたかな。別に親に強要されたこともないんだけど。勝手に勝手に、いい子でいなきゃいけないって思ってたのはあるかな〜。初めての挫折をそこでした気がする。

 ——けっこう大きかった?

 けっこうでかかった。だから、自分のなかで「えっ、こんなに自分ってできないやつだったんだ!」みたいになっちゃったのが、社会人1年目だったかも。

 学校ではほかの先生から、「一生懸命、頑張ってるね!」「期待してるぞ」みたいな感じで言ってもらえるんだけど。でも、なんか私としては自分のことを認められなくて。

 楽しいし、夢に見てた仕事だったけど、私この仕事向いてないってずっと思ってたし、もっと向いてる人っているなあって思っちゃったんだよね。学校で一緒に働いてる先輩とか同期を見てて。

 もう趣味みたいに授業づくりを考えてる人がいて。たとえば、学校の先生が使える、教材づくりのための教育センターみたいなところがあって。私は一回も行ったことなかったんだけど、同期の子とかは土日もそこで教材づくりしたり、絵本を探してきて、「これ読ませてあげるんだよ〜!」って言ったりしてて。

 私は絶対プライベートの時間は友達や家族に会いたいし、いや、ダメだ! と思って。

自分をどんどん苦しめちゃって。
「はっ、ダメだ」みたいになっちゃったのが(笑)

 仕事とプライベートで分けるんじゃなくて、趣味のようにずっと考えていられるような領域まで来ないと、きついなあって思ったんだよね。

 私も、もっと生徒にこうしてあげたいなとか、こんな授業してあげたいっていう理想はめっちゃ高いんだけど、なかなか時間も足りなくて。

 もうちょっとできたらよかったのに〜! って毎日自己嫌悪してたのね。自分で自分をどんどん苦しめちゃって。はっ、ダメだ、みたいになっちゃったのが(笑)、社会人1年目だったかなっていう、暗黒時代だったと思う。

 ——暗黒時代。

 暗黒。うーん、けっこう、あの、ヤな奴だったと思う。

 すごい、なんだろう、先生の仕事以外をしてる人をなんかすごい見下してたなって思うし、友だちと会っても「いいよなお前ら、土日ちゃんと休めてさ」みたいな。私なんかずっと仕事してるよとか、心の底で思っちゃってる自分もすごく嫌で。

 先生の仕事は夢だったし、すごく好きだったけど、どんどん嫌いになっちゃいそうで。そうなるのも嫌だったから。10キロぐらい痩せたし、肌荒れもひどかったし、もうなにしてもなんか元気になれなくて。


 お姉ちゃんが1年目で転職をして、すごく楽しそうに働いているのを見てたから、転職ってありなんだって思って。

 たまたまお姉ちゃんが求人広告を取り扱う仕事をしてたのね。それで私の自己分析とか転職の相談とか、色々手伝ってくれて。「ほかの仕事も見てみれば? 免許はあるんだし、やりたかったらまた戻ればいいじゃん」って。それでたしかにと思って。転職してよかったって感じ。そこで、友達家族と楽しく過ごすのが私のプライオリティ1位ってことに、気づいたかもしれない。


 ——いつからお姉さんと距離が縮まったのかな。

 そうだねー……。大学生になってからめっちゃ仲良くなってお姉ちゃんと。お父さんが門限を大事にする人だったから。お姉ちゃんが大学生になっても、門限が10時半ぐらいだったのね。早いでしょ、バイトもできないし! それでお姉ちゃんが「そんなの無理だよ!」って言ってバチバチしてて。

 で、私も大学に入学してさ、「さすがに大学生になってもその時間じゃ無理だよ」ってお父さんに言ったんだよね。お姉ちゃんが門限交渉してもあんま信用がないわけよ。「グレてる側の大学生してるだろお前は」っていう見方なんだよね、お父さん的には。でも私はずっといい子ちゃんでいたから、私でも帰れないなら伸ばすか、みたいな。

それまではね、けっこうやんちゃなことしてたし、
本当くそ野郎だなと思ってたし

 お姉ちゃんとは、そういう共通の利害があったよね。それから、たとえばお姉ちゃんが門限に間に合わないときは、お父さんをお風呂にうながして、「いまお父さんお風呂入ってるから、帰ってきな」(ひっそり声で)みたいな。同じ大学生の立場になって、タッグを組めるようになったかな。

 そこから恋愛相談もできるようになったかもしれない。あとは下北沢に一緒に行って、お洋服買ったりして。大学生になってから、そうだね、仲良くなって。

 で、そう社会人になって、私が先生の仕事がきつくて病みかけてるときに、お姉ちゃんが、「あんたちょっと精神やばいから。いま、自分は病んでないと思ってるかもしんないけど、一回、その鬱ですよっていう診断書を持って、校長に出してこい」と。「それで、お前は休職を取れ」と言ってくれたのね。

 自分一人だったら絶対できなかったけど、お姉ちゃんがめっちゃ強く言ってくれて。それでゆっくり休むことができたし、お姉ちゃんまじでありがとうって感じかな。

 ——ちょっと見方がかわった?


 そうだね………。

 うーん、そうだね…………。

 それまではね、けっこうやんちゃなことしてたし、本当くそ野郎だなと思ってたし。


 高校のときなんてさ、自分が一生懸命部活やってんのにさ、あっちはもう帰宅部みたいな感じで好き勝手に遊んでて。ちょっとなんか…見下すわけではないけど、こんなやつには負けたくない。大学もお姉ちゃんより偏差値の高い大学に行ってやる! って感じだったかな。

 大学生のときにさ、お姉が勝手なことばかり言ってるから、お父さんが手をあげたときがあったのよ。ビンタしたか、蹴りを入れたか。初めてそういうシーンをみたのね。

ずっと反抗的だったけど、自分の意志で人生を取捨選択してるところがかっこいいなって思ってて

 で、それで私が、もうほんとにドラマみたいに、「もうやめて!」みたいな、「お姉ちゃんも悪いけど、手を出すのはいちばん悪い」みたいなことを言って。けっこうお姉ちゃんを守ってあげたこともあって。なんかこう、そこで姉妹の絆的なものが生まれたかもしれない。お姉もそれで、前より私のことを大事にしてくれるようになったなって。

 前うちに遊びに来てくれたことあったじゃん? あの家からさ、いまお姉たち、歩いて5分のとこに住んでんの。

 ——引っ越してきたの?

 そうそう。もともと尾山台に住んでて。お家を買いたいっていう話で不動産屋さんに相談したら、たまたまうちの近くの物件を紹介されたらしくて。まあ、「妹たちも住んでるし住むか」みたいな感じになって。だからお姉とは毎週会ってる(笑)。

 ——そうなんだ。

 先週は一緒に実家に帰って、浴衣来てお出かけして。夜は実家でご飯食べて、お姉の旦那が迎えに来て、一緒に帰るみたいな。お姉の旦那がボドゲ好きだから、お姉ん家に行ってゲームとかもよくしてるかな。

 互いの旦那がいたらゲームの話しかしないけど、相談したいときは、「お姉ちょっと今日空いてる?」みたいな感じで連絡とって、ふたりだけで喋ることもあって。

 旦那には相談しないけど、お姉には相談することもけっこうあるんだよね。転職とか、仕事の悩みとか、大事な相談もまずはお姉に話しちゃう。だから旦那には、けっこうシスコンだと思われてる節はある(笑)。

 お姉はずっと反抗的だったけど、自分の意志で人生を取捨選択してるところがかっこいいなって思ってて。私は社会人になるまで、まわりの目で選んでたところもあったから。やりたくないことはしない、やりたいと思ったことはすぐ行動するのはいいなって伝えてて。

 逆に私は地道に努力することはそこまで苦じゃなくて、それはお姉からもいいねって。互いにない部分を羨ましく思ってたり。抽象的な考え方の話とかも、お姉とはよくしてるかな。

 けっこういまは相談相手って感じ。お姉がいちばんの。

 街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
 「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
 
 「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。

 まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。

 メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
 結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。

 話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
 話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
 音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。

 届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
 もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
 最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。

 併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
 本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
 挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。

 ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
 オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。

 私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
 そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。

 ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
 他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。

 私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
 駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。

西村佳哲(2025年7月31日)

駒沢の生活史[22話]

2025年11月11日 発行 初版

発行:駒沢こもれびプロジェクト

「今日の駒沢」
https://comorevi.com/

bb_B_00182049
bcck: http://bccks.jp/bcck/00182049/info
user: http://bccks.jp/user/154390
format:#002t

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

jacket