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駒沢の生活史[27話]

駒沢こもれびプロジェクト




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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。

駒沢の生活史


第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
    みたいな話があったみたい

第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
    人生のあと残った時間を費やすっていうのが

第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
    駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)

第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
    そのとき初めて、ものすごい実感した

第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
    みたいな(笑)

第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから

第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
    そこをちゃんと見極めてたのは偉いと

第10話 どうなんですかね?
     結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです

第11話 まかない食い放題!
     生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
     じゃあ、○円くださいって言って(笑)

第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
     親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか

第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
     ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない

第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね

第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
     それが「あなたが社長ですから、
     これ、サインしてください」って、突然

第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど

第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね

第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね


第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
     お客さんって、すごいなとずっと思ってた

第21話 朝来た瞬間から、
     自分でやりたいことを自己決定していくっていう

第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)

第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
     「なんかあんまり」って思ってたけど


第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
     あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ

第26話 仕事してるとき、
     自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)

第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな

第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから

第29話 塾すら近所だからさ、
     全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの


第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
     私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
     「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
     プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう

第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
     けど、それ以来ずっとこの界隈で

第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
     駒沢でオープン

第35話 山梨の人は東京に出ると
     中央線沿線に住む人が多いんですけど、
     高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて

第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
     頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
     大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
     落ちたけど、コーヒーは飲みます

第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
     声かけられて、そういうのなんか憧れるよね

第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは

第43話 …どっからか来てるのかな。
     常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね

第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
     後ろから人生を逆算してるから

第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
     いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)

第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
     そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです

第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
     あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
     おっしゃって。「どうしよう」って(笑)

第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)

第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
     ことが尊いともあんまり思ってないんですけど

第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね

第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
     本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
     過ごしています

第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)


















駒沢公園は、ずっと身近にはあったかな

話し手 20代男性
聞き手  松本仁奈


 思い出を話すと、駒沢公園によく泥団子づくりに行ってたね。駒沢公園っておっきな公園だけど、いろんな公園があるわけよ。馬公園、豚公園、りす公園、あとは広場もあったりね。砂場があったりとかそれぞれけっこう特徴はあるわけで。砂場があるって言っても、砂の質も違ったりするのね。俺たちが遊んでた頃は、その中でも特に馬公園の砂の質が良かったの。だから、馬公園でよく集まって、砂で泥団子をつくって、それをいかに綺麗につくり上げるかっていうのは、結構はまってた時期があったかな。

 ──(笑)馬公園ね。

 そう。みんなだいたい小学校ぐらいまで行ってたけど、小学校が終わってから集まっていって、でも泥団子ってさ、けっこう何層にもさ、こう、最初の泥状態からつくって、その周りを白砂で固めて、時間が経ったら、ちょっとこう、手で丸く削って、やすりみたいに削り上げていくと磨いていくと綺麗になるんだけど、で、もう一回それを泥つけて、白砂つけて、ずっと繰り返していくと、本当に綺麗なすごい固い泥団子が出来上がるんだけど、やっぱ、水とかを触ったりずっとしてるからさ、冬とかは結構痛いわけ。手が。だから、結構ずっとやってると、もう手がかじかんできちゃって。

 砂ももう握れないみたいになっちゃったりして、そうなったら帰るタイミングだったんだけど。それで、帰りながら「みんなウィッシュできる?」って話をして。

 ──ウィッシュ?

 そう、DAIGOのウィッシュ。これがうまくできないと、もうそれはやばいって言って帰る時間になったかな。それが7時ぐらい。7時ぐらいになってくるとだいたいウィッシュできなくなってくるから、みんな帰る。

 ──寒くてね。

 そうそうそう。泥団子だけじゃなくて、全体を使って鬼ごっことか、人数が少なかったら一つの公園だけで鬼ごっことか、ケイドロとかして遊んではいたかねぇ。子供の頃は単純に公園としてしか使ってなかったけど。大人になってくると結構ジムとかあったりとか。そう。あと、1周2・1キロでちょうどいい距離だから、1周ランニングしてちょっと運動するみたいなことには使ったりはするし。

 あと、よく駒沢公園だとさ、餃子フェスとか北海道グルメフェスとかやってたりするから、まあ、ときどき毎回行くほどではないんだけど、行ったりして。そこで食べたりするのかな。でもなんかね、あんだけおっきな公園が近くにあるっていうのは、結構個人的には嬉しかったけどね、色々。

夏になると、焼き鳥とかおにぎりとかをいっぱい並べて、
そこでみんな焼いたりしながら食べる会があって

 サッカーやるにしても、バスケを習うにしても、そこの体育館とか使えて。結構おっきなやつでやれるからさ。思いっきりできるわけ。運動とかも、一時期はプールもあったから、プールとかにも行ったし、そういう意味では遊ぶ空間になってたよね。駒沢公園は。

 ──ちっちゃいときからね。

 そうそう、そうそう。まあそういう意味ではうちの小学校、ドッジボール大会とか、地区であったときは入賞するぐらい強かった。ぜんぜん学校の規模的にはちっちゃいんだけどね。でも、それがやっぱ強かったのは、結構そういう公園で遊ぶ空間が整ってたから、みんな体力があったのかなっていう気がする。別にもちろん、近くの学校他にもあるんだけど。でも、結構スポーツは強かった学校だったと思うね。

 ──小学校。

 そう、本当、人数規模はちっちゃいんだけどね。地元じゃない高校に行ったけど、そこに行っても、小学校のときって、みんな結構すごかったんだなって。体育的な面ではね。みんな、あんまり外で遊ぶとかしないからさ、中高とかって。した人はいたのかもないけど、うちの学校はあんまりしない人が多くて。昼休みとかも、小学校ぐらいのときはいかに早く給食食べていくかみたいなところあった。中高はもう、みんなあえて出る人いなかったし。だから、みんなゆっくり過ごしてたよね。部活もあったから、別に運動をそこでする必要がなかったっていうのもあるけど。

 でも、体育とかやってても、俺は別にそこまで小学校の頃は運動能力が飛び抜けてすごかったわけじゃない。でも、いざ中高行くと、おっきな世界見たらぜんぜんまだぜんぜん下の下だとは思うけど、俺でもけっこう動ける方として扱われてたから、やっぱ小学校の頃とかはみんなけっこう運動できてたんだなっていうのは感じてたかな。

 ──へー。

 それで、なんだろうね。昔の話をしたらさ、マンションの時代から一気に、一軒家に移ったんだけど。マンションって、いろんな人が一緒に住んでるしさ、誰かしら同学年の子がいるわけよ。

 ──うん。

 小学校の。誰かしらっていうのは、兄弟3人いるけど、それぞれにもいるのね、同級生がここにいる、ここにいる、ここにいるみたいな。だから、まあ一緒に学校行ったりとか、あと、マンションの自治会みたいな、交流会みたいのがあって、おっきな広場がマンションの真ん中にあるから、毎年夏になるとそこで焼き鳥とかおにぎりとかをいっぱい並べて、そこでみんな焼いたりしながら食べるみたいな会があって。
 俺はただご飯をたくさん食べれるだけ食べれるのが楽しかったから、よく行ってたけど。

 別に親たちはご飯食べるってよりかは親睦の方をやってた感じだったけど。そういうときはその同じぐらいの年代の子供たちと遊んで、なんか色々話してたのは楽しかったね。まあだけど、だいたいみんな中学、高校になってくるとさ、違うコミュニティができたりとか、家からも出ない、あんまり来なくなっちゃったりとかして、なんとなく無くなってきちゃって。
 上の世代の子たちがあまり来なくなったりとかっていうのもあって、俺たちもだんだん離れてったけど、と思ったら最後、結局引っ越しちゃったから、もうなにもないまま来たんだけど。

 そういう意味では、マンションの頃の方が、なんて言うんだろうな、地元の人と一緒になにかやるとか、結構多かった印象はあるかな。……うーん。一軒家になってからも、もちろん町内会みたいのがあってさ。

マンションって、コミュニティの中で生きるっていうことを実感する場、空間ではあるんだな

 ──うん。

 同じ区域に住んでる人たちで、回覧板を回してぐらいのレベルだったらコミュニケーションはあるけど、やっぱあんまりなにか一緒にやるとかはないし、誰がどこに住んでるかもだいたいやっぱ近くの4軒ぐらい。まあその同じ通り区域内、町内にいる人がちょっとわかるかな、ぐらいしかわかんないから、やっぱコミュニティに属するみたいな意味では、あんまり感じなくなってはきてるよね。

 そういう意味では一軒家暮らしになって、犬も飼いたかったし良かったけど、ずっと犬も飼いたかったからね。だけど、なんかそういう繋がりっていうのはもうやっぱなかなか持ちにくいんだなっていうのは感じたね。いまもマンションに続いてんのかわかんないけど、昔はそういうのがあったかな。

 ──ふーん。

 それこそ、マンションのときとかはさ、やっぱいろんな人がいるからさ、ちょっと夜とかなると、けっこう人がいたりとか。障がいをお持ちの方もいて。でも、そういう人たちがいるっていう環境にはいたから、そういう人たちがいたときに、良い意味で別に気になんなくなってたというか。

 最初に、それこそ小学校の頃とか、特別支援学級とかもあったけどさ、そういう人たちと一緒にいるっていう空間にいるっていうのは、そういう人たちと一緒にいることを当たり前に考えられるようになっておくっていうのは、子供の頃に経験しとくのは大事なのかなとか思ったりした。

 ──うんうん。

 まああと徘徊の人とかも、色々なんか若干鬱とか、そういう感じだったと思うんだけど、そういう人もいるんだっていうのは、別に、子供心に夜人が歩いたりするのが、なんだろう、曇りガラス越しに見えたりするときがあったときは、けっこう怖かったけど。でも、そういう病気を抱える人もいるんだなっていうのは、なんとなくそのときに学んだことかなとも思うし。

 そういう意味では、いまの世の中って、だんだんこう、防犯意識が高まって、みんなコンクリートの壁の中に住んで。うちもぜんぜんコンクリートだったからさ。壁に住んで柵もあるし、昔の平屋みたいにさ、隣の家の顔がすぐ見れるみたいな環境ではなくなって、なんか狭くなってしまった感じもするけど。そういう意味では、マンションとかって、最後ではないけど、そういうコミュニティの中で生きるっていうことを実感する場、空間ではあるんだな。
 マンションだけじゃなく、アパートとかもそうだと思うけど。

 ──うん。

 まあでも思うのは、アパートとかって結構、エレベーターと階段があって、外の廊下を介して、ときどき会う人と会うぐらいの空間のあり方が、限られてるというか、ワンパターンだから、あんまり交流って意味では、隣の家の人の声が聞こえたり、廊下に出たときに、たまたま会うぐらいの人だと思うんだけど。

 そういう意味では、マンションとかってさ、けっこう廊下とかもさ、なんか十字路になってたりとかさ、部屋とかが、1列に並んでるわけではないから、空間のつくり方としては、いろんな方向に、いろんな人がいる。一緒に暮らしてる気持ちには、なりやすかった。だから、なんか、ただ通行人としてすれ違うぐらいの機械的な関係性じゃなくて、なんか、割と、一緒に会ってて、広場でまたつどって集まるみたいな、コミュニティ意識がけっこう醸成されやすかったのかな、とか思ったりしたな。別にそれがいいとか悪いとかではないんだけど。

 でも、マンションはそういう場だったなっていまでは思うし、そういう意味では一軒家暮らしになる前にそういうの経験しといたのは、それはそれでありだったかなとかも思ったりして。

 ──マンションね。

 なんだろうな。あとはでも、ここら辺に住んでる人は、みんなパーシモンは結構集まる場所としては使ってるかなって思うんだけど。
 特に小学校、中学校とかね。駒沢公園もよく使ってたけど、元々パーシモンっていうのも都立大学っていうのがあった。いまは集合住宅みたいになってるところで、そこに図書館とか、ホール会場があったりして、オーケストラが来たりとか、落語とか漫才とかの劇場にもなってたりして。

 結構、みんなが集まる場所かなっていうのが、パーシモンホールってところなんだけど。
 そのパーシモンとか、七夕、あの7月ぐらいになると、ほたる祭りって言って、蛍が来て、光ってて、すごい綺麗だっていう祭りがあるんだけど、そういうとこにみんな集まったりとか。

仕事に行って、また家に帰ってっていうだけの生活は
嫌だとは思ってはいて

 あと、パーシモン全体を使った鬼ごっことかもよくやってたし、マンション鬼ごっこみたいな。パーシモンに住んでる子もけっこう地元の子が多かったから、みんなそのマンションの階段とかを使って、鬼ごっこをしたりして、怒られるっていうことをしてた。

 パーシモンはね、なんだろう、公園とも違うのが、広場もあるし、色々あるんだけど、でもなんか、それでいて、ジムがあったり、レストランがあったりとか、自転車もすごいたくさんあったりして、登下校の間通ったりとか、放課後に来たりとか、お茶に来たりとかで、結構みんな使う。

 夜はなんか公演とか、バレエとかもやってたりするときは人が来てたりするし、なんかの有名人の講演会とかのときにいたりするから、そういう意味で、みんな結構コミュニティを使う、つくる、形成される場所としては、パーシモンホールはあの地域で大きいものだし、駒沢公園も結構大きいかなとは思うね。

 ──パーシモンホール。

 やっぱり都市開発する上で、ここは住宅街とか、ここは商業施設とか、ここは工業地域とか、分けられるらしいじゃない。そういう土地開発の計画図見ると、どこがどういう土地になるんだろうみたいのはわかるようになってると思うんだけど。

──うん。

 やっぱ住宅街っていうと、家が並んでるイメージがあるとは思うんだけど。みんな、どっか生活が単調になるのは嫌だっていうかさ、そこはつまんないと感じるんだと思うから。仕事に行って、また家に帰ってっていうだけの生活は嫌だとは思ってはいて。

 だからそういう意味ではどっかに出かけたりするんだとは思うんだけど。でも住宅街の近くに、単純な住宅の機能だけじゃない、みんなが集まりやすい空間をつくっとくっていうのはまあ一つ、生活が単調にならないようになる仕組みというか。

 みんなの様子がここに行けばなんとなくわかる。帰り道通るだけでも、なんか今日こういうことやってんだとか、もう子供はここで遊んでんだなとかさ。あとは今日運動会があったのかとか、様子わかったりとか。だから、その地域に住んでる人がそこに行けば、なんとなくその地域のことが、全体像が感覚で、肌感覚だけかもだけど、わかるかもしれないっていう。

 そういう空間があるっていうのが、暮らす上ではけっこう重要なんじゃないかなとは思ってて。いろんな住宅地とか、別にそんな見比べたわけではないんだけど。

 でも、住宅街とか行っても、ただずっと家が並んでるところとか、公共の場の公園があったとしても、本当に広場で遊具が置いてあるだけだから、子供が来たりとか、ちょっとランニングするにはちっちゃかったりする、そういうとこだと、あんまり人が来ない。子供にとってはいいとは思うんだけど、ホールとか、図書館とか、老若男女などが使えるような空間があった方が、住宅空間はもう少し活気づくところはあるのかなとは思って。

 そういう意味で駒沢地域、都立大学周辺のパーシモンと駒沢公園があるっていうのは、結構住宅街として人気な理由にはなってると思う。

 ──うん。

 あとなにより大事なのは商店街だね。商店街があるだけで、結構その街の良さ
って変わると思うんだけど。おっきなショッピングモールとかがあったら、それはそれで便利だし、ぜんぜんそれは必要だとは思うんだけど。そこで全部揃うとかあるだろうし。

 商店街の店だと、けっこう単価が高くて、お買い物するってなると高くなるっていうのはもちろんあるとは思うんだけど、まあでも、みんなが来る場所とか、そういう集まる場所っていうのを、そこに行くことで、なんとなく地域のことがわかって、そこにいるんだっていう気持ちになれるような空間っていうのは、商店街を維持するの大変だと思うんだけど、そういう商店街とかが都立大学、学大、自由が丘にあるのは結構いいことだと思うし。

 あとはそういうパーシモンとか駒沢公園。駒沢公園も単純な公園機能だけじゃなくて素敵な、結構今時なレストランが並んでたり、プールがあったり、ジム、トレーニング場所があったりっていう、いろんな機能がついてる。

その日がなんとなく違う1日だったなとか思える感じはしたから

 そういう空間があるのは、住む上でいいなってみんなが思う要素になってると思うから。駒沢とか俺はけっこう好きだけど、好きなのはそういうのもあんのかなとか思ったりする。

 ──うん。

 まあアクセス悪いけどね。駅は遠かったりするし、特に都立大〜駒沢大学駅の間が本当に結構なにもない。バスはあるけど電車がないから、それはちょっと大変だなとは思うけど。まあでも暮らしやすいとは思うね。

 自転車を使う人が多いと思うよ。だから駐輪場もたくさんある。パーシモンホールにもあるのは、たぶんそこにやってくる人がいるから都立大学まで自転車で。本当に駒沢公園に住んでると、周辺に住んでるとたぶんわかんないけど、たぶん駒沢大学駅まで行くか、都立大学まで出るかとかしかないから、けっこう大変だと思うんだよね。

 ──交通の便がね。

 交通の便は大変って言っても、もちろん10、20まあでも嘘か、でも、30分ぐらい歩くんじゃないかな。そうなるとけっこう早く出なきゃいけないと思うし。だから、そこは駐輪場をもっと拡充した方がいいとか思ったりするときはあるけど、まあでもあるけどね。都立大学にもあるし。挙げるとしたら、そういうことかな。でも駅が近くにないから、そういう空間があるから、おっきな土地でなにかできるってのはあると思うんだけど。

 ──ああ、なるほどね。

 わかんないけどさ。別にそれも詳しく調べたわけじゃないけど。

 ──自転車が便利なんだね。

 それこそサイクリングロードもあるし、駒沢公園の中に。駒沢公園のいいところは、あんだけ大きな土地あるからさ。例えば、自転車で学校帰るとかってときもさ、ずっと信号を守って、大きな通りで車と一緒に走ってくっていう行き方、それはそれで飽きるわけよ。中高時代、自転車通学だったんだけど、信号とかで止まったりするのも、赤になったら止まる、緑になったら進むとか、もう左右見て気をつけるとか、そういうの気にしなきゃいけないとか、だんだん機械的になってく。

 もちろん毎日いろんなことあるというか、車が嫌な人がいたりとか、自転車で鳴らされたとか、歩行者で声かけてくれた人がいたりとか、いろんなことがあるから、同じ道をただ走る、ただ往復するだけでもぜんぜん毎日違うとは思うんだけど、やっぱりそれだけだと飽きちゃうっていうのもあって。裏道走ったりとか、遠回りしたりする。自転車走って行く人はたぶんそういう人多いと思うけど。

 だから、やっぱみんななにかしら、毎日に変化は欲しいところはあると思う。そういう意味では、駒沢公園の中走るときとかは、信号がまったく無いし、それこそサイクリングロードずっといけばすぐ行けるし、回る道をちょっと入れるだけでも、景色がいっぱい見えて。公園で遊んでる人たちの風景とか、ジョギングしてる人の顔とかね。汗かいてて大変そうだよなとかさ、イベントやってたら餃子フェスとかの近くで見たりしながら帰ったりするとか。駒沢公園のなか走るときは、また違うルールというか、交通ルールにあんまり縛られずに走れるっていう意味では結構見てて飽きないところもあったし。

 だから、その日なんとなく違う1日だったなとか思える感じはしたから、その空間を走り抜けるだけでも、駒沢公園があることは意味があると思う。

 まあ街づくりをする上では、やっぱ単調にはならないでほしいなとは思うよね。複雑にする必要はないけど、あのもちろん、全員がちゃんと、信号ルール守れるように綺麗に整備するとか、まっすぐな道をなるべくつくるとか、大事だとは思うけど、同じ空間にずっと居続けられる人ってあんまりいないと思うから、毎日に変化みたいのが見えやすい環境にした方が、人はそこに居着くかなと。

 ──うん。見えやすい環境?

 変化が見えやすい。大通りをずっと行くだけだと、車を気を付けたりとか、信号守ったりとか、それだけで結構頭がいっぱいで。ただ走って帰ってくるっていう作業になっちゃうから。だから大通りってあんま好きじゃなかったんだけど、自転車で裏道とかはゆっくり走れたり、別に人もほとんど来ないから、自由に走ってた。

みんながなんとなく、ときどきいる。
この人、こういうことしてんのかな、とわかるような

 そういう意味では、大きな公園の中をこう、ゆっくり走るようになってる。普通の公園とかって、やっぱあんまり自転車がぐるぐる回るような道はないじゃん。ちっちゃな公園とかって、もちろん入り込めば、走れるけど。入り込むには柵があったりして、大変だったりする。駒沢公園はそういう意味では自転車も入りやすい環境になってるのがいいと思うね。

 ──いろんな人にね。

 そうそう、そこで遊ばなくても、そこは用事がなくても、通るだけの人。通る人にとっても公園って、たぶん大事なんだよね。通るだけでも。公園だけじゃなくても、パーシモンとかそういうコミュニティみたいな。共同の空間があるっていうのは。あと、マンションで言えば、そういう広場とかね。みんながなんとなく、ときどきいる。

 で、この人こういうことしてんのかな、とかがわかるような。そういう、みんながすれ違うだけでもいいから、同じ通り道があると、それは普通の通りでもそうだけど。空間があった方が、毎日ね、飽きなくはなるよね。

 ──ほんとにずっと、生まれてからいままであそこに住んでんだ。

 うん、そういう意味ではぜんぜん。駒沢公園はずっと身近にはあったかな。

 ──でも、お父さんとお母さんは別に駒沢にゆかりがあるわけじゃないでしょ。とか、都立大学とか。

 あーぜんぜんないね。父親が大岡山に昔住んでて。大岡山に雪ヶ谷大塚にも雪ヶ谷に会社があって、そこも近いんだけど。で、大岡山周辺にいたから大岡山のことは知ってるし、それこそ電車の便は良くないけど大岡山とも歩いたら10分、15分ぐらいでたぶん着くから。いや嘘か20分ぐらいで着くから。でも、まあ結構近いのね。よく父親が遊びに来てて、まあ都立大はいいなとは思ってたみたい。

 で、母親は、そういう意味じゃずっと色んなとこ行ってた人だからさ、アメリカ行ったり、神戸行ったり、横浜行ったり、東京のどっか行ったり。で、おばあちゃんの実家が荻窪だったから。結局、最終的には、その近くの高井戸、下高井戸ってとこに行って、杉並の方に行ったんだけど。あんまり都立大とかは行ったことなかったらしいんだよね、結婚するまでは。

 だけど、結婚するってなって、どこで住むってなったときに、結構父親とかはこっちの方がいいかなみたいな感じ。雪ヶ谷に、まず会社に近い方がいいってのもあったんだけど、でもそういう意味じゃ都立大がいいなって思ってたらしくて。で、都立大の近くのマンションに住んだらしくて。別にそこになにかルーツがあったわけではないね。

 でもそこで買って住んで、その後もう一回引っ越す、一軒家になるってなったときに、ちょっと色々考えたらしいけど、結局近場がいいねってなって、柿の木坂はまあ結構住宅街としてはいいとはいいから。まあいいかもねって話になって。あと、結構坂の上がいいねって話になってたから。だから上の方で探して。まあ色々あったんだけど、結局最終的にはそこになったかな。

 ──ふーん。じゃ、もうお父さんの会社の近くってのと、結婚してから2人ともそこに住み始めた。

 うん、ぜんぜんそこに住んだ経験ないと思う。

──うん、そうなんだね。

 それこそ、ラーメン次郎ってのもあった。都立大学にあったんだって。最初は。で、それが移転して、三田に移ったらしい。

 ──あ、そうなんだ。なんかすごいね。

 そう、最初はラーメン二郎って次だったの。次に郎。だけど、三田に移転するときにペンキ屋さんが間違えて二にしちゃって、それで二郎になったらしい。そのままになっちゃって(笑)。そういう意味じゃ都立大学がラーメン次郎の発祥の地ではあるんだよね。

 街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
 「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
 
 「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。

 まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。

 メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
 結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。

 話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
 話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
 音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。

 届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
 もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
 最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。

 併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
 本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
 挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。

 ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
 オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。

 私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
 そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。

 ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
 他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。

 私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
 駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。

西村佳哲(2025年7月31日)

駒沢の生活史[27話]

2025年11月11日 発行 初版

発行:駒沢こもれびプロジェクト

「今日の駒沢」
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