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駒沢の生活史[29話]

駒沢こもれびプロジェクト




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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。

駒沢の生活史


第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
    みたいな話があったみたい

第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
    人生のあと残った時間を費やすっていうのが

第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
    駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)

第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
    そのとき初めて、ものすごい実感した

第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
    みたいな(笑)

第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから

第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
    そこをちゃんと見極めてたのは偉いと

第10話 どうなんですかね?
     結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです

第11話 まかない食い放題!
     生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
     じゃあ、○円くださいって言って(笑)

第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
     親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか

第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
     ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない

第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね

第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
     それが「あなたが社長ですから、
     これ、サインしてください」って、突然

第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど

第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね

第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね


第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
     お客さんって、すごいなとずっと思ってた

第21話 朝来た瞬間から、
     自分でやりたいことを自己決定していくっていう

第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)

第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
     「なんかあんまり」って思ってたけど


第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
     あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ

第26話 仕事してるとき、
     自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)

第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな

第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから

第29話 塾すら近所だからさ、
     全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの


第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
     私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
     「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
     プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう

第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
     けど、それ以来ずっとこの界隈で

第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
     駒沢でオープン

第35話 山梨の人は東京に出ると
     中央線沿線に住む人が多いんですけど、
     高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて

第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
     頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
     大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
     落ちたけど、コーヒーは飲みます

第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
     声かけられて、そういうのなんか憧れるよね

第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは

第43話 …どっからか来てるのかな。
     常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね

第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
     後ろから人生を逆算してるから

第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
     いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)

第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
     そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです

第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
     あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
     おっしゃって。「どうしよう」って(笑)

第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)

第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
     ことが尊いともあんまり思ってないんですけど

第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね

第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
     本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
     過ごしています

第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)


















塾すら近所だからさ、全部、
この三茶駒沢エリアで完結してたの

話し手 30代女性
聞き手  瀬戸潤子


 ──さて、お生まれはどちらでしたっけ?

 三軒茶屋。まさに駒沢・三軒茶屋、この辺りです。うちの母が里帰りで。岡山に里帰り出産していて本当に生まれた瞬間は岡山。
 基本的には里帰り出産の後、またこっちに戻って、30…もう40年近くです。

 ──じゃあ駒沢三茶、この辺でずっと過ごしてきた感じ?

 そう。この辺でずっと。
 ただ、私、小学校が三茶の私立小で、周りのお友達で近所の子はいなかったのよ。
 うちの小学校はもう結構、まあ近場の子もいたけど、みんなけっこう電車乗って通学してて。そのいわゆる近所で、友達と遊ぶみたいなことは、あんまりなかったな。

 唯一、たまたま近所にいた子が一人いて。その子とは遊んでたけど、他の子とはあんまりなんかなくて。みんな電車でお家帰っちゃうから。
 一人遊びも多かったし、その一人だけ近くにいた子と低学年のときはお互いの家に行ったり。確か、公園行ったりとか。

 ──いいね。

 でもそれもやっぱりその子しかいなかったから、みんなで何時集合とかの公園で遊ぶとかいう経験はない。

 その子がね、神社の近くだったから。神社とその横のちょっとした遊び場みたいな、ブランコとか一個あるみたいな感じのスペースでその子とちょっと遊んでいた記憶がある。

 たぶん小学生ってもうちょっときっと近所の子とか集まれるじゃん。そういうのちょっとね、羨ましかったな。

 ──小学校中学年、高学年とかなにしてたの?

 本当なにしてたんだろう?
 でもまあ習い事に行ってたりとかはしたし、バレエとかやってたよ。

 たぶん…いや本当に、けっこう家にいる時間の方が多かったんじゃないかな、私は。あんまり覚えてないよね、あの頃のこと。なにしてたんだろ?

 けっこう時間はあったはずで、小学校も学童とか行ってないから。うん、それこそ13時に帰宅するっていう。

 通ってた小学校って土曜日もなかったんじゃないかな。あんま土曜日に学校行った記憶ないんだよね。だから土日も時間あったはずだし。

 あ、そうだ、ファミコンとかはあったよ。

 ──なんか時代を感じる! ファミコンか、いいね!

 たぶん小学校低学年はファミコンしてたよ。なにやってたんだろうな…。セーラームーンだ! セーラームーン。

従順だったな。たぶん人生でいちばん勉強したと思う

 ──セーラームーンのゲームは、RPG的な?

 そうだね、なんかもう、もっと単純な感じ?
 セーラーなんとかを選んで、なんかの敵を倒していって。各ステージのボスみたいなキャラがいて、それを倒したらクリアみたいな。

 もしかしたら小学校の真ん中、小学校3年生4年生ぐらいはゲームやってたのかもねえ。

 ──めっちゃいいね。

 うん、でもたぶん私、5年生からは中学受験の塾に行ってたよ。たぶん、そこからは忙しかった。
 私立の小学校だったから、周りはあんまり中学受験する子がいなかったんだけどね。

 ──中学受験か。それは忙しいね。

 本当だよね。いま自分が親になって思うよね。大変だった。大変だったんだろうなって。小学生はそんなさ、なんかたぶんそういうもんだと思って、やってたんだと思うけどさ。

 ──そうねえ。中学受験の塾ってどこ行ってたの?

 うちはもうこの近所の。いまもあるよ。あの世田谷通りのとこ。あそこに私が行ってたからね。まだあるってすごいよね。
 塾すら近所だからさ、全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの。

 そうそう、5年生からはたぶん忙しくて。うん、たぶん、塾が忙しかったんじゃないかな。
 学校から帰って、私服に着替えてから行って。そうだね、夜まで行って塾行ってご飯みたいな感じだったな。
 たぶん自習的なのもあったはずだから結構行ってたんじゃないかな? 最後の方は。うん、たぶんね。

 ──帰りの寄り道とかってどこ行ってた?

 いやでも、そのとき小学生だったし。だからもう普通にそのまま帰ってた。従順だったな。
 たぶん人生でいちばん勉強したと思う。

なんなら三茶のキャロットタワーがいちばん栄えてて。平和でしょ、平和

 ──それで中学受験して、それで初めてこの近所から…。

 そう。そうよ。やっと三茶駒沢エリアから外に出て。でも行くところは、世田谷線で降りればいいから無茶苦茶近い。
 そうだ、学校の中でも、家がスーパーに近い方だったな。

 ──となると、世田谷区は出てない?

 出てない、出てない。ぜんぜん出てない。
 それで中学校の近くもほぼなにもないからさ、通学も立ち寄る場所もとくになくて。従順に行って帰って。なんなら三茶のキャロットタワーがいちばん栄えてて。平和でしょ、平和。

 ──部活はなにかやってたの?

 バドミントンやってた。なんか正直友達が行ったから入っただけで、バドミントン自体別にまあそんな好きじゃなくって。
 もうね、先輩に怒られない程度にやってて。だから中学で辞めちゃった。最後まで別にとくにうまくならなかったな。
 高校入ったら、ちょっと塾とか始まるじゃん。大学受験の。だから結構バタバタしてたかな。

 ──高校時代って塾以外は放課後、なにしてたの?

 部活の仲良かった子も一緒に辞めたんだよね。だから帰宅部仲間みたいな。

 ──あ、ルーズソックス、履かれてました?

 あーハイソックスでした。でもね、ルーズソックス、まだルーズソックス、ぜんぜんあったよ。

 ──あの、すごい長いやつね。

 あったあった。マジで長いやつ。そうでもなんか、私は家的にも、まあ高校生になったらいいみたいな感じがあったんだけども。
 高校生になったら、ちょっとハイソックスブーム、そっちになっちゃったんだよね。
 学校指定が白だったの。だから、白しかダメだったんだけど、本当はたぶん紺色が良かったよね。

 ──なんかちょっとさ、ワンポイントついてるやつとかね。

 それそれ! だから、もしかしたら学校が終わったらキャロットタワーで履き替えるとかはあったかもしれないな。

でも私は、109には怖くて入れなかったな

 ──じゃあ高校時代、遊ぶって言ったら…。

 三茶! もう私の青春は全部このエリアよ。あ、ただ塾が渋谷だったの。だから、そのとき、たぶんプリクラとか流行ってたから渋谷でプリクラ撮ってたな。センター街とかで。

 ──ついにご近所エリアから出たね。

 出た出た出た! そうだよね。でも私は109には怖くて入れなかったな。

 ──じゃあちょっと渋谷で遊びつつ。その高校から大学受験してストレートで大学行ったんだっけ?

 うん、国際教養学部行って。そのときは新設の学部だったから校舎がまだ立ってなくて。それでなんかキャンパスのちょっと外れにあったんだけど。

 なんか本当に、勉強は私はしなかったんだけど、国際教養学部ってひとつの分野を深くというよりは、色んな分野を広く浅くな学部で。色んな先生がいて、興味あるのをちょいちょい取って行くみたいな感じで。

 ──そうなんだね、サークルとかも入ってたの?

 私はもう本当、帰宅部そのまんまっていう感じで。入らなかったの。周りに入らない子も結構いて。というのも、大学2年生で絶対留学をする学部だったんだよ。必修で全員行くの、だから単位が全部、振替られるんだよね。

 2年の夏から行くんだけど、だから結構サークル活動の中でいい時期、1年間いないんだよね。

それまでのものはたぶん、自分になかったんだろうね

 なんかそれがわかってるから、周りもサークル入ってない子がほかの学部に比べたら多かった。なんならサークルによってはその大事な時期がいないからちょっとご遠慮いただけると…みたいなとこもあったな。

 ──留学どこいったの?

 ロンドン。なんか私、英語圏が良かったのよ。まず英語圏がいいんだったら、まあアメリカかイギリスになるじゃん。
 しかしあんまり、アメリカに興味がなかった。どっちかっていうとヨーロッパに行ってみたかったんだよね。

 だからまあイギリスにして。いや、楽しかったね、それがいちばん。日本の大学で過ごした日はぜんぜん覚えてないくらい、その一年は良かったよ。

 ──なにが楽しかった?

 まあ、まずさ、初めて三茶駒沢エリア以外に住んだのよ。大学も実家から行ってたからさ。寮みたいなところで、一人暮らしではなかったんだけど。

 旅行もさ、やっぱりヨーロッパだからすぐいけるじゃん、隣の国に。普通に週末にパリとか行けるからさ。電車で。それは本当に楽しかった。

 ──色々行ったの?

 いや、もうたぶん、ほぼヨーロッパは周ったんだよね。そうそうそう、帰る前に、一ヶ月ぐらい周遊したんだよ。なんかそれはね、楽しかったねえ。

 ──いちばん好きだったのはどこ?

 全部よかったけど、うわ! なんかめっちゃ景色綺麗だな! と思ったのはフィンランド。

 いやあ、帰ってきたくなかった。で、1年留学して、帰ってきたら、割合すぐ就職活動みたいな感じで。

 ──またロンドンに戻ろうとか思わなかった?

 そうだね、ぜんぜん戻ってもよかったけど。なんか、ならなかったね。普通に日本の企業に入っちゃったからさ。
 ぜんぜん戻りたくないとかはなかったけど、まあ、でも戻るには結構な覚悟と動機が必要じゃん。それまでのものはたぶん自分になかったんだろうね。

このへんで、お互い可愛いおばあちゃん、いいね。
駒沢公園、ゆっくり散歩したりね

 ──日本で就職して、その後フリーランス?

 そう、何回か転職してその間に結婚して妊娠出産して。子どもが生まれてから、まあ、ぜんぜん寝なくてさ。
 寝かしつけゾンビが爆誕して、ゾンビ爆誕と共にコロナ来たのよ。そのタイミングだったし、産休育休中の後に退職したんだよね。

 結果としては良かったかもしれないけど、育休最初の1年、保育園全部落ちたんだよね。
 それで2年まで育休取ろうってなって、2年目で、いまフリーランスでやってるねんねの勉強を始めたんだったかな。

 ──それで、ここのご近所エリアで活動を始めたんだね。

 そう。この先もしばらくずっとこの辺にいるんだろうなって思うよね。それこそ駒沢のさ、あそこ再開発したらちょっとまた雰囲気変わるよね。そしたらさ、けっこう駒沢の方までも行くこと増えそう。

 仕事もまあフリーランスで行ける限りはさ、まあ、もう会社に戻ることは私の中ではないと思っていて。この辺、フリーの人、普通に多いし。

 そうそう、これも結構ありがたいというか、そんな珍しがられないというか、なんかね。居心地が悪くないというのはあるかな?

 ──だんだん、子供の手も離れていくじゃん。

 そう離れていくからさ、そうね、うーん。
 友達と遊ぶ方が楽しくなったりするよね。親のことなんてかまってくれなくなっちゃうよ。

 確かにそれを思うと、趣味もなんか始めるみたいな気持ちはちょっとある。ちょっと視野に入るよね。
 なんか周りも始めるじゃん。みんな自分磨き始めて、やっぱメンテナンスにもお金がかかるようになるよね。

 ──わかる。最終的には可愛らしいおばあちゃんに向けてね。

それはそうだね。このへんで、お互い可愛いおばあちゃん、いいね。駒沢公園、ゆっくり散歩したりね。

 街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
 「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
 
 「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。

 まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。

 メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
 結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。

 話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
 話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
 音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。

 届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
 もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
 最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。

 併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
 本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
 挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。

 ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
 オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。

 私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
 そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。

 ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
 他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。

 私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
 駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。

西村佳哲(2025年7月31日)

駒沢の生活史[29話]

2025年11月11日 発行 初版

発行:駒沢こもれびプロジェクト

「今日の駒沢」
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