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駒沢の生活史[30話]

駒沢こもれびプロジェクト




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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。

駒沢の生活史


第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
    みたいな話があったみたい

第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
    人生のあと残った時間を費やすっていうのが

第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
    駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)

第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
    そのとき初めて、ものすごい実感した

第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
    みたいな(笑)

第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから

第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
    そこをちゃんと見極めてたのは偉いと

第10話 どうなんですかね?
     結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです

第11話 まかない食い放題!
     生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
     じゃあ、○円くださいって言って(笑)

第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
     親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか

第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
     ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない

第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね

第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
     それが「あなたが社長ですから、
     これ、サインしてください」って、突然

第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど

第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね

第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね


第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
     お客さんって、すごいなとずっと思ってた

第21話 朝来た瞬間から、
     自分でやりたいことを自己決定していくっていう

第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)

第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
     「なんかあんまり」って思ってたけど


第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
     あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ

第26話 仕事してるとき、
     自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)

第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな

第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから

第29話 塾すら近所だからさ、
     全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの


第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
     私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
     「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
     プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう

第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
     けど、それ以来ずっとこの界隈で

第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
     駒沢でオープン

第35話 山梨の人は東京に出ると
     中央線沿線に住む人が多いんですけど、
     高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて

第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
     頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
     大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
     落ちたけど、コーヒーは飲みます

第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
     声かけられて、そういうのなんか憧れるよね

第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは

第43話 …どっからか来てるのかな。
     常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね

第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
     後ろから人生を逆算してるから

第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
     いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)

第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
     そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです

第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
     あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
     おっしゃって。「どうしよう」って(笑)

第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)

第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
     ことが尊いともあんまり思ってないんですけど

第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね

第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
     本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
     過ごしています

第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)


















そう、やっぱり公園なんですよ

話し手 70代女性
聞き手  佐野陽菜


 ──駒沢で暮らしている◯◯さんの人生と駒沢がどういう関わり合いを持っているのかお聞きしたいなと思って。

 いつも良いなと思うのは、駒沢公園。駒沢公園はけっこう近いので。行くと、あ、ここの近くでよかったなって思うことがよくあって。子供の頃から、よく親と一緒に遊びに行っていて、親がいなくなったら子供たちだけで行って。結構、大人になっても行くことがあって。テニスやったりとかもできるので、行くことがあって。

 なにより主人に出会ったのが駒沢公園なんです。だから私の中では駒沢公園というのは大きなカテゴリになっているんですよ、なにかといえば。子供達が大きくなっても、遊びにいく。いま孫がいるんですけど、孫も連れて。公園で遊ぶ。自転車の練習から始めるの。私はもう駒沢公園ですね。

 ──人生と共にあったという感じなんですね。

 オリンピックがあったんですけど、私は朧げながらでしか覚えていないですけど、なんか聖火を見に行ったり、競技を見たりとか。あとはマラソンを。マラソン、この辺を走ったんですよ。マラソンコースが、環七とかを走っていて。

 その頃、ご存じないと思いますけど、アベベというすごい選手がいて。当時、私は2、3歳くらいだったんですけど。それはね、覚えてる。なんかすごい、すごく嬉しくて。「きた! アベベ! アベベ!」って私が言ってたって母に言われるんですけど。そんなこともあって、やっぱり公園ですね。あそこだけは変わらない、街が変わっても公園だけは変わらないから、すごく落ち着くの。

 ──当時は住まれていて、小さい頃だった?

 そう、なんかね、覚えてないんですけど、環七で遊んでる、すごいまだ砂利道で遊んでる写真もあったりして。ああ、環七で遊んでたんだ、って。だから、そうやって、街は変わっていったのかなと思います。

 ──環七が砂利道からあの大きな道路に変わって、それでも駒沢公園はずっとそばに、変わらず。

 変わらず。

 ──公園でご主人と出会われたってすごく素敵と思って。

駅にあったところ、なにがあったかなって。
この辺も全部変わっちゃってるから

 そうなんですよ。駒沢公園で私の若い頃にローラースケートとスケートボードがすごく流行っていて。で、貸してくれるところとかもあって。駒沢大学の大学生とか、みんな、あそこの公園で、スケートボードやったり、ロールスケートやったりして。私もそこに友達と遊びに行って。いっぱいね、チームがあったんですよ。10人から20人ぐらいのチームが色々あって、そこで出会ったってですよ。

 ──大学生とか?

 そう、主人が大学生で、私はOLでした。
 最初は、ただの仲間。グループの中にいて、教えてもらったりとかしてて、なんか、だんだん、だんだん、そういう感じになっていったみたいな(笑)。

 ──で、ご主人とそこで出会われて、ご結婚されて。それからも、駒沢公園に遊びに行ったりとか。お孫さんもいまいらっしゃるんですか。

 いま6年生。

 ──じゃあ、いまは遊び盛りで。駒沢公園にもよく足を運んでおられているっていう。きっと文化とか流行もたぶん変わってきているんですよね。その当時はスケートボードだったけど、みたいな。

 そう、いまはね、みんな禁止されてるからできないんですよ。いまはパークがあって、そこの中だけだったら、できる。昔はみんなどこでもやっていたけれど。

 ──そういう変わっていくことには、どんな思いを抱きますか?

 それはね、もう時代だから仕方がないかなって思う。なんか不寛容じゃないですか。いま、まあまあ若いもんだからしょうがない、みたいなのがないから、しょうがないのかなって。ちっちゃいお子さんもね、自転車に乗ったり、歩いたりとかね、安全に過ごせるように。

 なんか昔は代々木公園とか公園とか、もうみんなね、踊ったり。やっぱりまあまあ色々やってたからね。でも、そういうのは規制がかかるのはしょうがないですよ。

 ──少し寂しいなとか。

 そうね、でも、ああいうちゃんとしたところを作ってもらって、そこでなんかやれるっていうのはいいかなあとも思ったし。

 ──スケートボードのスポットになってるんですね。

 お兄さんたちから子供まで。みんなでやってますよ。

 ──駒沢公園はいまも変わらずそこにあったけど、一方でなんか変わってしまって、なにがここに立ってたかしら、みたいなふうに思うこともありますか。

 ここには、駅がなかったんですよ、昔。私が若い頃、高校1年生のときに駒沢大学駅ができたんですよ。だから、ここの駅にあったところ、なにがあったかなっていうのはありますよ。この辺も全部変わっちゃってるから。だいたいこっちに来ることなかったしね。

 ──どの辺りに普段はいらっしゃったんですか。

 普段は上馬の交差点のそばにスーパーとかお店がいっぱいあったから、そこで済ませてたし。あと三軒茶屋。でも、駅ができてから、こっちに来ることが、多くなりましたけどね。

エンタメが大好きなんですよ。もう高校生の頃からすごい

 ──それは、高校生になられて行動範囲が広がったからでしょうか。

 そうです。だって、渋谷まで行くのに、バスか路面電車か。路面電車が走っていたんですよ。246を渋谷から二子玉川まで路面電車が走って。玉電っていう電車が走っていて。

 でも私が小学校の2年生ぐらいのときに廃止になって、それでバスだけになって、渋谷まで行くのは結構大変だったんですよ。

 ──じゃあ、高校生とか中学生のときに、過ごしてた場所とか。

 もうね、地元か、三軒茶屋。
 地元はね、友達のお家か近くの公園。それこそ、駒沢公園とか。遊んでるしかなかったかな。

 ──どんな高校時代でしたか。

 高校時代は。高校時代、学校が渋谷だったんで、めちゃめちゃ渋谷で遊んでました(笑)。渋谷、いまみたいにあんなじゃなかったし、もっと素朴な感じで。もうパルコぐらいしかおしゃれなとこなかったし。センター街とかすごいけど、センター街だってそんな人もまばらだったし。怖いところじゃなかった。いま、ちょっとなんか近寄り難いじゃないですか。私の高校時代にはそんなことなかったです。

 ──どんなことが流行っていたんですか。

 私たちの頃なんて、なんかお洋服買ったり、喫茶店でおしゃべりしてたりとか。あとはコンサートとか。私、エンタメが大好きなんですよ。もう高校生の頃からすごい。いまでもそうなんですけど。

 ──それはご主人から?

 主人はぜんぜん、ぜんぜんダメ。私はね、高校生のときからずっとライブ。いまでもそうなんです。この年でも。

 ──どうしてエンタメっていうところに。

 どうでしょうね。でもたぶん、音楽が好きだからかな。音楽が好きでコンサートに行ったり。いまはミュージカル。コンサートも行くけど、ミュージカルも。その頃流行ってた、ベイ・シティ・ローラーズとか、知らないですよね(笑)。
 あとは洋楽系も見てたし、あとはフォークとか。

 ──なにが目当てだったんですか?

 ま、音楽のバンド。バンド系がかっこよかったの。

 ──じゃあ渋谷に結構あったんですか。コンサートホールとか。

 渋谷はライブハウスでいっぱい。いまもあると思うんだけど。あとは、渋谷公会堂っていうのがあった。いまは名前が違うかもしれない。あとはNHKホールとか。

 ──エンタメをこよなく愛していた高校時代だったんですね。ご主人はさっきぜんぜんっておっしゃられてましたけど。

おじいちゃんにべったり。おばあちゃんはご飯食べさせてくれるから
いいかって思ってるみたい(笑)

 主人はね、自分でなにかをすることが好きだから、例えば公園でバスケットやったり、スケートボードやったり、テニスやったり、スノーボードやって、釣りして。みたいな。そういうのが好き。じっとしてなんか見たりとかしてるのは、たぶんね、苦手。

 ──でも、出会われて一緒になられたっていうことは、一緒にいて気が合うなとか。

 たぶんそこで外の遊びをしてたから。テニスもやっていたし。そういうんじゃないかな。気があったとすれば。

(少々沈黙)

 ──駒沢の暮らしはどうですか。

 便利だと思いますよ。だって、田園都市線に乗っちゃえば、10分以内に表参道に行けるって。そういう点では便利だし、お買い物だって地元で全部するし。なんかね、穏やかな感じがします。雰囲気が。住んでいる人というか。

 三軒茶屋とかいくと、ぜんぜん、また雰囲気がぜんぜん違う。駒沢は基本、住宅地ですから。大きなお家もすごい多いですし。あとはマンションとか。たぶん、こっちの広い通りに見えてたところは、マンションがすごく多いですけど、一本住宅地の中に入っちゃえば、もうそれは昔から変わらず、大きなお家がいっぱいあるんですよ。大きなお家を眺めながら、小さなお家に帰る(笑)。

 ──暮らしている中でご近所の方とコミュニケーションとか。

 いま町内会とかもあるから、町内会の、なんか、いろんな町会費とか、いろんなの集金に、いろんなお家を回ったりもするから、そういうので、ご近所さんは顔見知り。

 あと、ゴミ捨てたりするのも、マンションだったら、マンションのゴミ置き場にポイって捨てればいいでしょ。でも、普通の住宅地だと、ゴミ捨て場があって、みんなそこに捨てて、お掃除当番で、お掃除したりとかね。未だにそういうのあるから、どうしても交流はしなきゃならないですね。

 ──交流の中でなにか生まれたりとかします?

 孫がいるから、登校班が一緒の方と仲良くなったり。結構、そういうのはあります。ママ友。私はおばあちゃんだけど。

 ──お孫さんも、可愛いですね。

 そうね、でも段々可愛くなくなってくるけどね。女の子は可愛いけどね。

 孫はね、超ゲーマーだから、ゲーム。ゲームのこと。私が知ってる限りのゲームの話とかはするけど。でも、おじいちゃんの方がね、すごい仲良し。あ、おじいちゃんもゲーマーだから。ポケモンGOとかしながら2人でその辺散歩に行ってます。

 ──じゃあ、おじいちゃんにちょっと似てるところがあるんですか。

 そっくり。顔もそっくり。おじいちゃんにべったり、おばあちゃんはご飯食べさせてくれるからいいかって思ってるみたい(笑)。

なんか私、給食すごい苦手で(笑)。給食のこと思い出しちゃう

 ──ご自身の6年生はどうでしたか。

 学校が、孫も行っているんですよ。私が出た学校。旭小学校っていうのがあるんですけど、環七の向こう側に。そこって、私の父もそこに行ってて。で、私が行って、うちの娘たちも行って、孫も行って。結構そういう方いらっしゃるんです。やっぱ、そういう点では、あんまりこう、人が動かないっていうのかな、ずっととどまっている方が多いんじゃないかな。入れ替わりがない、あんまり。

 ──じゃあ、ご近所さんで、◯◯さんはずっといらっしゃるから、◯◯さんと関係が続いたりとか。

 うん、同級生のお母さんが近所にいたりとか、そんな感じ。

 ──ご自身のお父さんまで、そこに通われてたとは。相当長いですよね。

 そうですね。お父さん86歳で今年亡くなったんですけど。そうそう、86歳のお父さんから始まって。

 ──ずっとある。でも、ちょっと変わったりとかしたんですか。

 学校はねえ、私が行ってる頃とほぼ変わってない。だからすっごく古い。たまに運動会のときとかに行くとすごく懐かしい。同じだから。

 ──どんなこと思い出されますか。

 なんか私、給食すごい苦手で(笑)。給食のこと思い出しちゃう。昔は厳しくて、給食は全部食べ終わるまで、席を立たせてもらえなかったんですよ。いまは随分ね、寛容になったみたいですけど。私たちの頃はすっごい厳しくって。お昼休みがないぐらい。机に置いたまま食べられないものとか残ってたり。

 でも、もう食べられないものは絶対食べられないでしょ。そうしたら先生が、給食室に自分で片付けてきなさいって。で、片付けに行かなきゃいけなかった。それをすごく思い出す。

 ──なにが嫌いだったんですか。

 私、お肉が食べられなくて。いまでも。だから、結局そのようにされても食べれるようにならない。

 昔はね、美味しくなかったですよ。本当になんか、スープの中にお肉と野菜が入ってて、食パン。あとは、鯨のお肉もでました。めっちゃ固い。めっちゃ硬いクジラの。嬉しかったのは揚げパンとか。そういうのは嬉しかったけど。

 ──それでは、良い思い出はありますか。

 良い思い出。良い思い出は校庭がめちゃめちゃ広かったから。体育の授業とか、すごい楽しかった。勉強があんまり好きじゃなかったから。

 ──体を動かして。どれぐらい広かったんだろう。

 結構、広かったですね。もう一つ、校庭があったんですよ。いまでも校庭は広いですよ、旭小。もう1個の校庭はなくなっちゃいましたけど、そこはね、子ども園になって。

 社宅とかもね、すごく周り、多かったんですよ。いろんな企業の社宅がたくさんあって。子供たちがたくさんいてっていう感じだったんですけど。そういう社宅がね、みんななくなってます。普通のマンションとかに建て替わっちゃって。そういうところも変わったかな。だから、子供も少なくなってるね。

 ──友達の家に遊びに行くとか。よくしていらっしゃったんですか。

 してました、してました。昔はお母さんがいたんですよ。どこのお家にも。塗り絵とか、着せ替え人形とか。なんかそんな。あー、リカちゃん。リカちゃん人形とかで遊んでたかもしれない。

なんか、不思議。なんであそこなんだろう

 あと、結構ね、路地。路地で近所の子供たちが。うわーって集まって。で、下にチョークでなんか書いたりとかして、ぜんぜん誰にも怒られなかった。近所の人たちにも。路地で遊んでましたね、基本的には。ゴム跳びとか、あとはチョークで書いて遊んだりとか。

 ──すごい。そっか。路地。

 路地で遊んでる子供はいないですね。遊んでると苦情が出るでしょ。声とかでね。だって公園だっていまボール遊びしちゃいけないとかすごい規則が厳しくって。

 (当時は)ボールで遊んでいようが、なにしてようが、誰にも怒られなかったですね。

 ──中学校時代はどうでしたか。

 中学校も、いまでもあります。ちゃんと。いまでも変わらず。体育館あたりは変わった感じかな。娘たちは違う学校に行ったんですけど、孫はたぶんそこに行くと思う。受験しないって言ってる。できませんけど、勉強嫌いなんで。娘たちはね、2人とも違う。娘が2人いるんですけど、ぜんぜん違うとこ行っちゃったから、母校ではないんですけど。

 ──ご自身のお父さんもそこに?

 父親、私の父の中学はそこじゃない。なんかね、途中でね、どこかちょっと世田谷の離れたところに、引っ越して。それでまた、こっちに戻ってきたって言ってました。

 だから、ずっと結婚しても、ここに住んでるから、主人はどこか行きたくなかったの。って言ってました。

 ──その辺りはどうなんですか。

 でもね、なんだろう、どこかに行こうとは思わなかった。便利だし。なんか好き。この辺が。

 ──それは、公園を出会いの場として、一つの人生を形作るものとして、ある場所だから。

 そうなんだと思う。日頃はね、忘れてるんだけど、公園。ちょっといくと、やっぱここいいわとなるから。

 ──思い出すんですか。

 そう、やっぱり公園なんですよ。自分の子供の頃からいままで、そこに行くと、いろんな思い出が全部詰まってる感じ。自分が子供の頃にみた風景とか、主人と出会ったこと、自分の娘たちと遊んだこととか、そういうのが、公園という場所で。

 ブタ公園というのがあるんですけど、なんか可愛いぶたちゃんがね、オブジェみたいになっているところがあるんですけど。そこに行くと、自分の子供たちが友達たちと遊んだり、喧嘩したりしてたな、みたいな。場所、場所で思い出すことがある。

 ──普段は忘れてしまっているけど、そこにいくと思い出す。

 なんか、不思議。なんであそこなんだろう。なんでなんだろうって。

 街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
 「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
 
 「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。

 まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。

 メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
 結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。

 話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
 話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
 音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。

 届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
 もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
 最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。

 併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
 本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
 挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。

 ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
 オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。

 私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
 そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。

 ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
 他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。

 私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
 駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。

西村佳哲(2025年7月31日)

駒沢の生活史[30話]

2025年11月11日 発行 初版

発行:駒沢こもれびプロジェクト

「今日の駒沢」
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