───────────────────────
───────────────────────
日本の国際法学は、法実証主義を通説としてきた。他方、私が英国の大学院で国際法を学んだ時には、批判法学が注目を集め、法実証主義は批判を被っていた。さらに、法哲学の世界でも、法実証主義の批判とともに、正義論が展開されていた。
したがって、私は「法実証主義の方法的欠缺」を研究テーマとし、法実証主義者の問題関心を学ぶとともに、その出発点にあった自然法論批判が、価値の問題を学問の入り口で排除する傾向を生んだように感じていた。
法価値と実定法学を分離させるのが、法実証主義の要請であるが、私はむしろ両者の関係性に注目し、法哲学で展開されている正義論を参考にしつつ、「国際法の基礎」(国際法の妥当根拠)と「国際法の法源」(国際法の成立形式)を接続する試みを行った。
法実証主義がその方法論を徹底しても、批判法学が指摘するように、論者の価値観を排除しえないならば、むしろ論者の価値観から、主観的価値観から区別されうる「法価値」の部分を対象化し、実定国際法の基礎づけを行うべきではないかと考えたのである。
私は専門の研究者ではないので、私の文章は話題提供の域を出ないことを自認している。私は若いころに学問を深く学ぶ機会を与えていただいたため、無駄にしたくない、という思いで独学をしている。少しでも、読者のみなさまの役に立てたら、幸いである。
一、最高の実践的根拠と法価値
(1)カントにおける最高の実践的根拠
カントによれば、最高の実践的根拠は、「理性的存在者は目的自体として存在する」ということにあり、意志を規定するいっさいの法則は、この原理から導来されなければならない。(カント 1976, p. 103)
カントによる道徳法則の定式化である「定言命法」も、この原理から理解されるのであり、その基本的方式から派生される「目的自体の方式」は、この最高の実践的根拠の最も明確な表現であるだろう。
すなわち、「君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない」。(カント 1976, p. 103)
(2)法価値としての「人間の尊厳の平等」
ラートブルフによれば、法は法価値に奉仕するという意味をもつ現実である。法価値とは正義であり、正義の意味は平等である。
人間の尊厳とは、人間が目的自体として存在する点にあり、決して単なる手段、単なる道具として扱ってはならない点にある。
従って、正義の意味を、最高の実践的根拠から導来させるならば、それは「人間の尊厳の平等」ということなるだろう。
ニ、法一般の妥当根拠
(1)法の外面性、道徳の内面性
法の理想は理想的な社会秩序の中に現れ、道徳の理想は理想的な人格の中に現れる。したがって、法の外面性と道徳の内面性は、両分野の関心の方向性の差異を表現するものとして、維持しうる。
では、法と道徳はどのような関係にあるといえるか。法は道徳の可能性の条件であり、道徳は法の目的であるといえるだろう。法が道徳に奉仕するためには、法は道徳にではなく、法価値にこそ基づかなければならないと考える。
(2)妥当根拠のニ段階説
法の妥当根拠には二つの段階があると考える。まず、法の合法性、実定法の法的拘束力の基礎には、法的安定性、平和、秩序があるだろう。より高次の第二の妥当根拠に、法価値である「人間の尊厳の平等」が位置づけられる。
第一の妥当根拠である法的安定性は、「人間の尊厳の平等」の要請により、優先的に考慮されるのであって、その理由には、社会秩序の中の各人の「生命権」を確保する必要性があるからである。
人は生命を奪われるとすべての人権を奪われる。したがって、生命に対する権利は何よりも重く、基礎的なものである。(芹田他 2017, p. 32)法的安定性は法価値に基づくのであって、法価値を否定して、法的安定性のみを主張することはできないと考える。
三、国際法の妥当根拠
(1)自決権と国家の目的的性格
まず、自決権が国家の正当性として議論されなければならない。国家は人民の対外的な自由と独立を体現し、対内的には人民を代表し、人民の基本的権利を尊重する点で、それ自体目的的性格を有する。「内的自決権」が不十分であっても、法的安定性の要請により、直ちに国家の正当性が否定されるわけではない。
(2)人民の同権と国家平等の原則
また、自決権とともに、国際法では人民の同権が認められてきた。自決権において大切な点は、人民が国家のためにあるのではなく、国家が人民のためにあるという点である。法価値に従って、人民の尊厳が平等であるならば、国の大小を問わず、国家の法的価値も平等であるといえるだろう。
(3)国際法の妥当根拠
国際法において第一の妥当根拠となるのは、国際の平和と安全であり、諸国の平和共存である。そして、平和共存に内在するのが、国家平等の原則であると考える。より高次の第二の妥当根拠に、人類の福祉という表現をまとった「人間の尊厳の平等」があるのである。
ただし、国家の目的的性格は、人間の目的自体としての性格とは異なり、絶対的とは見なされないことには注意を要するだろう。
カント(篠田英雄訳)(1976)『道徳形而上学原論』、岩波文庫
芹田健太郎・薬師寺公夫・坂元茂樹(2017)『ブリッジブック国際人権法第2版』、信山社
一、実定法としての「自決権」
(1)自決権の二つの系譜
松井芳郎によれば、自決権の思想には、二つの歴史的系譜がある。一つは、フランス革命に端を発する人民主権論の系譜で、そこでは領域国家の国民を人民と見なし、その対外的な自由と独立および対内的な人権と民主主義をもって自決権が構成された。
もう一つは、19世紀半ば以降のおもに中東欧における民族主義運動に起源を有するもので、そこでは共通の人種、宗教、言語、歴史的経験などによって結びあわされる単一の国家を形成する権利が自決権だと理解された。(松井 2011, p. 35-6)
(2)実定法化された「外的自決権」
第二次世界大戦後、非植民地化の過程で実定法となっていく自決権は、前者の系譜に属し、とりわけ「対外的な自由と独立」を達成する権利として、「外的な自決権」を意味した。
1970年の「友好関係原則宣言」では、「国際連合憲章にうたわれた人民の同権及び自決の原則によって、全ての人民は、外部からの介入なしにその政治的地位を自由に決定し、その経済的、社会的及び文化的発展を追求する権利を有し、いずれの国も、憲章に従ってこの権利を尊重する義務を負う」と規定された。
ニ、人権享受の前提条件としての「自決権」
(1)人権享受の前提条件
国際人権規約は第1条で、全ての人民の自決権を法的に承認した。これは、自決権規定を第1条に置くことによって、自決権が個人の有する実体的権利を保障するための前提条件であることを明確にした。(芹田他 2017, p. 40)
歴史上の植民地支配体制の下においては、植民地人民はさまざまな面で搾取され、人間としての生活さえ十分保障されない状況におかれていた。従って、人びとが人権を享有するためには、こうした外国支配下の従属状態から脱却することが必要である。(田畑 1988, p. 351)
(2)「外的自決権」の限界
しかし、人権享受の前提条件として「自決権」を位置づける場合、従属人民の独立達成の権利としての「外的自決権」だけで十分だろうか。
田畑茂二郎によれば、自決の原則に基づいて、植民地から解放され、国家として独立したにもかかわらず、別のかたちで新たな独裁政治が行われ、新しい支配者の下で人びとの人権や基本的自由が抑圧されるという事態は、かならずしもまれではない。(田畑 1988, p. 333)
(3)「内的自決権」の展開
「友好関係原則宣言」によれば、人民の同権及び自決の原則に関する「前記のいかなる規定も、人民の同権又は自決権の原則に従って行動し、人種、信条又は皮膚の色による差別なしにその地域に属する人民全体を代表するに至った主権独立国家の領土保全又は政治的統一を全体としてまた部分的にも分割し又は害するいかなる行動も認め又は奨励するものと解釈してはならない。」
松井芳郎によれば、この規定は、起草時においては、少数者の分離運動に対する防壁として意図されたが、後には、起草者の意図を超えて、全ての人民はいかなる差別もなしに自らを代表する政府を持つ権利を有するという「内的自決権」として理解されていった。(松井 2011, p. 38)
松井によれば、独立国の一部を構成する人民は、内的自決権を厳しく拒否されたなら、最後の手段として外的自決権に訴えることができるという説が、根強く存在する。しかし、国際法の立法者である国家が、自らの存在を否定することになる規則に、合意するとは思われない。(松井 2011, p. 39)
三、「究極の民主主義」としての国民主権
(1)国民主権と人間の平等の理念
ラートブルフによれば、国民は、その政治上の自由を行使して、独裁主義を選択することができる。しかし、いかなる独裁主義といえども、国家形態の存立の基礎である根本の民主主義を否定することはできない。それは、国家組織を多数によって決する権利、すなわち国民の主権である。
ラートブルフによれば、政治的平等の原則は、対立するいくつかの見解がある場合には、その中の多数意見を採用するという方法によって、この平等の近似値を保障するという形態に帰着することになる。(ラートブルフ 1960, p. 105)従って、国家主権の基礎にあるのは、人間の平等の理念なのである。
(2)国家の合法性の基礎
まったく正当性を欠く合法性というものは、存在しない。存在するとしたら、法としての資格を否定されるだろう。しかし、「外的自決権」によって達成された国家の対外的な自由と独立を、例えば、独裁主義を理由に、簡単に否定してよいわけではない。
実定法は、社会秩序を安定させる必要上、何が法であるかを決定する力をもった者の権威によって作り出される。国家および国内法の合法性は、人間の平等の理念に基づく、法的安定性、平和、秩序によっても、理由づけられるのである。
人民の自決権は、国家における「外的自決権」の基礎の上に、対内的な「内的自決権」を漸進的に達成すべきものだろう。
松井芳郎(2011)『第3版国際法から世界を見る』、東信堂
芹田健太郎・薬師寺公夫・坂元茂樹『ブリッジブック国際人権法第2版』、信山社
田畑茂二郎(1988)『国際化時代の人権問題』、岩波書店
尾高朝雄・碧海純一(1960)『ラートブルフの法哲学』、東京大学出版会
一、国家平等の原則の基礎づけ
(1)法的価値における国家平等
国家平等の原則は、法価値である「人間の尊厳の平等」に由来する。人民の尊厳は平等であることから、それを尊重し保護する器としての国家の法的価値も、国の大小を問わず、平等であるといえる。法的価値における国家平等は、それ自体「公共的理由」をなし、国際法の考察において、基本的な視座を提供すると考える。
(2)国家平等の原則の三区分
国家平等の原則は、(a)「法の前の平等」、(b)国家の基本的権利義務の平等、(c)法定立主体としての国家平等、に区分されうる。
二、「法の前の平等」
(1)視座としての「公共的理由」
法的価値における国家平等という「公共的理由」を視座として、「法の前の平等」が要求する配分的正義を理解することが大切である。すなわち、誰を等しいものとして、誰を等しくないものとして扱うべきかを言明する視座として、国家平等に基づく「公共的理由」を求め、形式的平等を貫くべき場合と、実質的平等を配慮すべき場合とを、判断していくことになるのである。
(2)法の適用における一貫性
さらに、「法の前の平等」は、法の適用における一貫性を求め、さらに、国際法秩序の規範的統一をも要請し、法が一つの声で語るべきことを理念とする。法解釈においては、重みや重要性が問題となる法的原理間の整合性を志向することによって、法的指針における一貫性を求めることも、規範的統一の理念に不可欠なプロセスである。
三、国家の基本的権利義務の一般的平等
(1)国家の基本的権利義務
国家は、それぞれの事情に応じて、条約の締結などを通じ、特別の権利義務関係を創設することができる。しかし、国家には、国家である限り基本的に認められる権利義務というものがある。
国際法の第一の妥当根拠は国際の平和と安全であり、諸国の平和共存である。この平和共存のための土台となる諸条件は、国家の法的価値の平等性に基づき、一般的に認められる国家の基本的権利義務を尊重することによって、法価値を尊重する形で達成されうるのである。
田畑茂二郎によれば、国家の基本的権利・義務として重要となるのは、主権と独立権と平等権ならびに自衛権であるという。また基本的義務としては、内政不干渉義務をとりあげている。(田畑 1957, p. 217-8)これらは、国家の下の人民の「生命権」を尊重する上でも、欠かせない諸条件であるだろう。
(2)国家主権と国際法の拘束力
なお、国家の主権は、田畑によれば、対内主権と対外主権に区分される。前者は、国家権力が国内において最高のものであることを指す。後者は、国家が、国内・国外の次項の処理に関して、外部の支配権力に従属しないことを指す。後者の意味における主権は、独立権と同義語である。
また、国家が主権をもち、独立であることは、他の権力主体との関係でいわれるもので、必ずしも国際法の客観的妥当性を否定するものではないことには、注意を要する。(田畑 1957, p. 219-232)
四、法定立主体としての国家平等
(1)国家の法定立主体性の基礎づけ
国家の法定立主体性は、法価値によって導かれうるだろう。すなわち、国家は、自国の人民の尊厳と基本的権利を尊重し、保護する責任を負い、同時に、他国のそのような責任を尊重する義務も負っている。したがって、法の定立は、国家の責任の行使なのであって、国際法の場合、国家は他国と共同して法の定立を行使する責任を分有しているのである。
(2)国際法の成立プロセスへの参加資格
また、国際法の各形式的法源の成立要件もまた、法価値に基礎づけられる。すなわち、国家平等に基づく「公共的理由」という視座が、各形式的法源の成立要件を正当化するのであって、国家は合意規範の形成によってではなく、公共的正当化のプロセスによって、国際法の成立に参加し、法価値に奉仕するのである。
国家の法定立主体性は、立法権限というよりは、国際法の成立プロセスへの参加資格というべきであろう。たとえ自国の慣行がなくても、他国の法的信念の正当性を検証し、一般的承認に加わるプロセスが参加なのである。
一、「公共的正当化」の要請
(1)プロセスとしての公共的正当化
井上達夫によれば、「公共的正当化」とは、自己の視点に深くコミットしつつも、他者をもまた他者自身の視点に深くコミットした存在として承認し、自己の視点のみならず他者の視点からも受容可能な共通の正当化理由を同定し、自己の他者に対する規範的主張をそのような「公共的理由」(public reason)に基づかせることを指す。(井上 2003, p. 24)
ルソーによれば、「一般意志」は法の源泉である。法の定立・解釈においては、自己の利害関心に自閉する「特殊意志」から、共通利害関心の公正な配慮を志向する「一般意志」を区別し、後者に立脚することが求められるのである。(井上 2003, p. 25)
(2)「立場の反転可能性」
この「公共的正当化」には、「立場の反転可能性」の要請が含まれる。これは、「公共的理由」を求める思考プロセスまたは対話プロセスであり、自他の立場が現状と反転しても、なお首尾一貫して受容しうる規範的主張を探すものである。
「立場の反転可能性」の要請は、「特殊意志」またはその集計である「全体意志」から「一般意志」を区別するのに役立ち、定立・解釈された法規範の規律の一般性を可能にするものである。
二、法的信念の正体
(1)正しさへのコミットメント
田畑茂二郎によれば、法的信念を、法的義務実践の意識とみることは間違いである。慣習国際法の成立以前に、自ら一定の法的義務を実践しているといった意識を予定することは、国家に誤信を求めるものだからである。田畑によれば、「法的信念というのは、一定の慣行を法的に拘束的なものと認めるのが正しいとする信念だとみるべき」である。(田畑 1957, p. 86-7)
すなわち、法的信念は、国家による主観的な一般意志の表明なのであって、「公共的理由」に基づいた規範的主張なのである。この法的信念の公共的性格があるからこそ、諸国による一般的承認が可能となるのである。
(2)慣行への法的意味の付与
慣習国際法の成立において、国家の規範意識の介在が求められる理由の一つには、国際礼譲のような非法的な慣行から、慣習国際法の成立要件の証拠として法的意味のある慣行を区別する必要があるからである。
すなわち、慣習国際法の成立要件における国家実行の証拠は、法的信念を基準として参照されるのであり、それによって、法的信念を支持する国家実行のみならず、それに反する国家実行も識別することが可能になるのである。
三、国際社会による一般的承認
(1)一般慣行の役割
国家による主観的な一般意志の表明である法的信念は、国際社会による一般的承認を通じて、客観的な一般意志に結実しなければならない。それを実証するのが一般慣行の要件である。
田畑茂二郎によれば、一定の慣行が成立したといわれるためには、少なくとも、諸国家の一定の行態の繰り返しに基づいて、特定の事項について、多数の国家が当然一定の行態をとるだろうという、一般的な期待が成立することが必要である。(田畑 1957, p. 82)
(2)慣習国際法の証拠の問題
一定の諸国の間で共有されている法的信念について、国際社会による一般的承認を確認する上では、一般慣行の成立が必要である。そのためには、一般慣行の証拠としての国家実行には、法的信念を構成する証拠としての国家実行が含まれてよいと考える。
四、「一貫した反対国の理論」
岩沢雄司によれば、「一貫した反対国の理論」は、国際法の規則が多数の国の慣行に基づいて慣習国際法になることを認める一方で、ある国が当初からその規則に反対し続けていたときには、その規則はその国に対しては対抗できないとする主張である。(岩沢 2020, p. 54)
しかし、「特殊意志」は法を生まない。「一貫した反対国の理論」が有効に主張されるためには、それが国際社会の「公共的理由」に基づき、問題となる慣習国際法規範に対する例外規定として、国際社会による一般的承認を集め、一般化可能である場合に、合法的な逸脱を認められる可能性があるに留まるだろう。
井上達夫(2003)『法という企て』、東京大学出版会
田畑茂二郎(1957)『国際法Ⅰ』、有斐閣
岩沢雄司(2020)『国際法』、東京大学出版会
本章は、岩沢雄司先生の『国際法』と条約集を参照し、自説を展開したものとなりました。
一、一般原則の相互補完
(1)文言主義解釈:用語の通常の意味
文言主義解釈は、当事国の合意は条約文に表明されているとして、用語の通常の意味によって条約を解釈すべきとする。ICJは、1950年平和条約解釈事件では、目的論的解釈も実効性原則も、自然で通常の意味に反する意味を正当化するものではないとした。
しかし、用語の通常の意味が明らかである場合は、規定の目的もまた明らかなのであって、目的が不明確な場合、用語の意味は、条約における規定の目的を明らかにしてから、与えられなければならないだろう。
(2)目的論的解釈:実効性の原則
目的論的解釈は、条約はその目的に照らして解釈すべきとするものである。ウィーン条約法条約31条1によれば、条約は、「文脈」と「条約の趣旨及び目的」に照らして与えられる「用語の通常の意味」に従い、誠実に解釈するとされる。「用語の通常の意味」は、単独では与えられないのである。
条約はその通常の意味と目的に照らして十分な効果を与えるように解釈すべきとする「実効性の原則」は、信義則と目的論的解釈から、導かれるだろう。そこには、全ての規定には意味があるという信義則と、全ての規定は何らかの目的を達成しようとしているという、目的論的解釈があるのである。
なお、目的論的解釈は、条約の「文脈」によって限定されなければならないだろう。
(3)意思主義解釈:補足的手段
意思主義解釈は、条約の解釈は条約を締結した当事国の意思を確認することであるとする。しかし、確認されるべきは、当事国間の合意であり、当事国の意思は、条約の趣旨及び目的に照らし、規定の目的を明らかにしたり、「文脈」の内容を確認するうえで必要となるものである。
特に、この立場が重視する条約の準備作業は、ウィーン条約法条約32条によって、解釈の補足的手段とされ、二次的な役割を与えられているのである。解釈の補足的手段は、(a)原則により得られた意味を確認するため、(b)原則に従った解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合、(c)原則に従った解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合である。
二、文脈と文脈とともに考慮すべきもの
(1)「文脈」
PCIJ は、1922年の農業労働に関する国際労働機関の権限に関する勧告的意見において、条約は全体として読まなければならず、その意味は文脈から切り離して決定できないと指摘した。
ウィーン条約法条約31条2によれば、「文脈」には、(a)前文と附属書を含む条約文と、(b)条約の締結に関連してすべての当事国の間でされた条約の関係合意、(c)条約の締結に関連して当事国の一又は二以上が作成した文書で、これらの当事国以外の当事国が条約の関連文書として認めたもの。
(2)文脈とともに考慮すべきもの
ウィーン条約法条約31条3によれば、文脈とともに考慮すべきものとして、(a)条約の解釈又は適用につき当事国の間で後になされた合意、(b)条約の適用につき後に生じた慣行であって、条約の解釈についての当事国の合意を確立するもの、がある。
(3)統合解釈原則
さらに、ウィーン条約法条約31条3(c)によれば、文脈とともに考慮すべきものとして、当事国の間の関係において適用される国際法の関連規則がある。
条約の規範内容は、その条約単体で完結するものではない。この規定は、国際法の断片化との関係で重要性をもち、単なる形式的な参照ルールではなく、「国際法秩序の体系的一貫性を維持するための積極的な解釈指針」へと再定義されることになるだろう。
三、解釈の発展:発展的解釈と「生きた文書」
条約の解釈にあたっては、条約締結時の締約国の意図の確認が重要であり、締約時の用語の意味を考慮する必要があることは認められる。
しかし、ここでは、ハートの「法の開かれた構造」を理解しておくことが重要である。第一に、人間は事実について全知ではないから、立法者は、将来に生じうるあらゆる状況を知り尽くした上で、法を制定することができない。第二に、立法目的の一部は、新たな事例への適用が問われて初めて明確になる。(瀧川他 2014, p. 220)
欧州人権裁判所が、欧州人権条約を「生きた文書」とし、条約起草者の意図を超える解釈を採用していることは、法の解釈としては、ある程度必用なことであり、健全な態度でもあるだろう。
岩沢雄司(2020)『国際法』、東京大学出版会
瀧川裕英・宇佐美誠・大屋雄裕(2014)『法哲学』、有斐閣
一、国際法の位階性に関する理論
(1)ケルゼンの見解
ケルゼンにとって、あらゆる法規範は、それが他の規範の定立を規律することから、他の規範の淵源である。ここで、「淵源」とは、国際法を定立する方法が意味される。国際法定立の二つの主要な方法は、慣習と条約である。条約の妥当性の根拠は、「合意は拘束する」という慣習国際法規則であり、国際法秩序の階層的構造において、慣習国際法は条約より高次の段階にある。慣習国際法の妥当性の根拠は、国際慣習は法定立的事実であるという仮説に依存し、この仮説は「根本規範」と呼ばれる。(ケルゼン 2016, p. 247-259)
(2)ローターパクトの見解
ローターパクトによれば、国際司法裁判所規程に定められた、国際法の適用における順序という意味での位階性は、すなわち、条約、慣習国際法、法の一般原則という適用の順序は、これらの法源が相互に密接に関係しているという事実を条件としている。それらの法源は、一方から他方を適切に引き出すことはできない。したがって、条約の法的拘束力を慣習国際法に基礎づけることはできない。「合意は拘束する」の原則は、むしろ条約の概念そのものと結び付く。
ケルゼンの根本規範は、国家実行によって広く承認され、国際社会の存在そのものにその妥当性を負う「法の一般原則」を考慮していない。また、国際法の妥当根拠を、法定立的事実としての国際慣習に求める根本規範は、国際法の漸進的な発達と相容れない。
国際法の究極の基礎は、国際社会の存在そのものと、条約、慣習、法の一般原則に表現された国際社会の一般意志は遵守されなければならないという事実に求められる。(LAUTERPACHT 1970, p. 86-94)
二、国際慣習法と条約の関係
(1)適用上の優劣基準
伝統的な理解は、両法源の法的価値の同等性を主張し、「合意の自由」を原則とした。しかし、強行規範が慣習国際法の一部であることを説明できない。この点では、慣習国際法が上位法規範であるとするケルゼン説が有力。特に、条約の有効性は、慣習国際法の条約法に基づく。成立の時間的前後または内容の特定性の有無により適用上の優劣を判断するのは、慣習国際法が任意法規である場合など、同等の価値をもつ法規相互間においてであるだろう。
ローターパクトの慣習国際法の硬直性への批判は、法的原理の役割を適切に考慮することにより、回避しうると考える。
(2)上位法規範の導入
強行規範は、内容上これに適合しない国際慣習法または条約に対して絶対的優位に立つ。国連憲章は、他の条約に対して憲章上の義務が優先することを定めているが、強行規範は条約による逸脱を許さない規定であるため、条約である国連憲章に対しても絶対的優位の関係にある。国連憲章に基づく安保理の権限も、したがって、強行規範から逸脱することは許されない。
三、「整合性としての法」と法の一般原則
(1)法的準則と法的原理の区分
ドゥオーキンによれば、法的準則は、白か黒かはっきりしたかたちで適用される。他方、法的原理には、法的準則にはない特性、つまり重みとか重要性といった特性がみられる。(ドゥオーキン 2009, p. 14-23)法的準則に、重みとか重要性がないと判断しうるかは疑問であるが、法的準則の解釈に方向性を与えるものとして、法的原理が存在することは確かである。
国際法の法的原理には、各国国内法に共通する法的原理としての「法の一般原則」だけでなく、法システムに内在する法原則である「法の基本原則」や、国際社会で広く承認されて国際慣習法だと考えれている「国際法の原則」なども含まれるだろう。(小寺 2004, p. 29-37)
(2)法的原理の整合性
法的原理間の整合性は、法的原理の解釈に不可欠の要請であり、法解釈の指針に一貫性を求める点で、国際法の断片化に対抗し、国際法秩序の規範的統一の保障を志向する。それは、国際法の適用における一貫性を求める「法の前の平等」という、法システムに内在する要請である。
四、上位法規範としての強行規範
(1)強行規範、対世的義務、国際犯罪の関係
「強行規範」は、条約の上位規範であり、慣習国際法の一部である。「対世的義務」は、強行規範を包含するより大きな集合である。逆に、強行規範は必ず対世的義務であると考えられる。
国際法上の個人の刑事責任としての「国際犯罪」は、例えば、ジェノサイドの禁止など、一部、強行規範と重なる規定がある。また、対世的義務との関係では、全ての国際犯罪が対世的義務であるが、対世的義務がすなわち国際犯罪とは限らない、という関係にあると考えられる。(Evans 2014, p. 141)
「対世的義務」とは、ICJのバルセロナ・トラクション事件第二段階判決で認められたもので、すべての国の関心事であり、すべての国がそれらの保護に法的利益を有する「国際社会全体に対する国の義務」と説明された。(松井 2011, pp. 42-3)
対世的義務においては、全ての国が義務の履行に法的利益を持ち、違反があったときは、全ての国が「被害国以外の国」として違反国の国家責任を追及することができる(国家責任条文48条1(b))。しかし、対世的義務違反を理由に国際裁判を提起するには、管轄権の根拠は別に必要である。
(2)強行規範の一般的概要
ウィーン条約法条約53条によれば、「この条約の適用上、一般国際法の強行規範とは、いかなる逸脱も許されない規範として、また、後に成立する同一の性質を有する一般国際法の規範によつてのみ変更することのできる規範として、国により構成されている国際社会〔international community 〕全体が受け入れ、かつ、認める規範をいう。」
ここでは、「二段階アプローチ」(two-stage approach )が関係する。第一に、主張が一般国際法の規則として確立すること。第二に、国により構成されている国際社会全体によって、この規則が強行規範として受容されることである。(SHAW 2014, p. 90)
国家責任条文において、強行規範の重大な違反に対し、特別の規定が設けられている。ILCによれば、諸国は、強行規範の「重大な違反を合法的手段によって終了させるために協力する」とされる。(国家責任条文41条1)
そして、ILCによれば、いかなる国も、強行規範の「重大な違反によりもたらされた状態を合法なものとして承認してはならず、当該状態を維持するための支援又は援助を与えてはならない」とされた(同条2)。
五、国際法の断片化
まず、強行規範が、慣習国際法と条約に対して絶対的優位に立つ。さらに、慣習国際法と条約に基づく法規範の間の整合性は、法的原理の間の整合性を理念とし、法的指針に一貫性を求めることによって、判決を与える裁判官のように、「一般化可能な法解釈」を行うことを要するだろう。
国際法の断片化は、法解釈者の多層的コミュニティの間で、「法の前の平等」を法システムに内在する要請として共有し、国際法秩序の規範的統一に向けて努力することによって、対処すべき問題である。
HERSCH LAUTERPACHT (1970) INTERNATIONAL LAW VOLUME 1, CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESS
Malcolm D Evans ed. (2014) INTERNATIONAL LAW Fourth Edition, OXFORD UNIVERSITY PRESS
MALCOLM N. SHAW (2014) INTERNATIONAL LAW Seventh Edition, CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESS
ハンス・ケルゼン(長谷川正国訳)(2016)『国際法原理論』、信山社
ロナルド・ドゥオーキン(木下毅・小林公・野坂泰司訳)(2009)『権利論増補版』、木鐸社
小寺彰(2004)『パラダイム国際法』、有斐閣
松井芳郎(2011)『第3版国際法から世界を見る』、東信堂
一、核兵器の違法性
(1)核兵器使用の一般的違法性
ICJは、1996年の核兵器使用の合法性事件において、「核兵器の威嚇又は使用は、武力紛争に適用され得る国際法の諸規則、とりわけ人道法の諸原則及び諸規則に、一般的に違反するであろう」と判示した。(杉原他 2014, p. 176)しかし、ICJは、核兵器のどのような性質が、人道法のどの原則にどのように一般的に違反するのか、理由付けを与えなかった。
松井芳郎によれば、まず、その破壊力が空間または時間のいずれにおいても限定することはできない核兵器の使用は、区別原則が禁止する無差別攻撃となる。さらに、その使用が将来の世代に対して重大な危険を及ぼし、遺伝的障害や疾病の原因となる潜在力を有する核兵器は、不必要な苦痛を与える兵器以外の何ものでもない。(松井 2011, p. 270)
(2)核兵器はそれ自体違法か?
ICJによれば、「それ自体違法な兵器は、国連憲章の正当な目的のために使用されても合法とはならない。」(杉原他 2014, p. 175)それでは、核兵器はそれ自体違法な兵器なのであろうか。この点でICJは、「国家の存続それ自体がかかるであろう自衛の極端な状況において、核兵器の威嚇又は使用が合法か違法かについては、確定的に結論することができない」と判示した。(杉原他 2014, p. 176)
ただし、ICJによれば、「均衡性の原則は、自衛の際の核兵器使用を完全には排除しないかもしれないが、本原則に合致した武力行使であっても、合法であるためには武力紛争法の諸要件とも合致せねばならない。」(杉原他 2014, p. 175)その性質において国際人道法の一般原則と矛盾する核兵器は、武力紛争法の諸要件に違反し、例外の抜け道を開くことはできなかったのではないだろうか。
ニ、核軍縮の誠実交渉義務
(1)核軍縮の交渉を「誠実に遂行し完了させる義務」
このICJの勧告的意見において特筆すべきは、核軍縮誠実交渉義務を導いた点であるだろう。裁判所によれば、「厳格かつ実効的な国際管理の下における全面的な核軍縮に導く交渉を、誠実に遂行しかつ完了させる義務が存在する」。(杉原他 2014, p. 176)
(2)誠実交渉義務の「公共的理由」
唯一の被爆国である日本は、アメリカの核の傘に守られながら、核廃絶を訴えるという難しい立場にある。日本は、非核兵器保有国と核兵器保有国の間のかけはしとなりながら、核軍縮を推進するにあたって、このICJの勧告的意見を活用すべきと考える。
すなわち、「国家の存続それ自体がかかるであろう自衛の極端な状況」を、国際社会の共通関心事項として、その回避を国際社会の「公共的理由」とし、核兵器の一般的違法性と合わせ、核軍縮の誠実な交渉を訴えていく理由にすることができるだろう。
杉原高嶺・酒井啓亘編(2014)『国際法基本判例50第2版』、三省堂
松井芳郎(2011)『第3版国際法から世界を見る』、東信堂
一、紛争の平和的解決手続の区分
松井芳郎によれば、紛争の平和的解決手続には、①当事者間の交渉を中心とするもの、②第三者機関が当事者による解決を助けるもの、③第三者機関が当事者を拘束する決定を下すものの三類型に区分される。(松井 2011, p. 206)
①には、交渉、斡旋(good offices)、仲介(mediation)。②には、審査(inquiry)と調停(conciliation)。③には、仲裁裁判と司法的解決が当てはまる。ここでは、当事者を拘束しない「非裁判手続」に注目する。
(1)当事者間の交渉を中心とするもの
松井芳郎によれば、「斡旋」は、第三国が当事者に交渉を促したり場所を提供するなどの形で交渉の便宜を図ることをいい、「仲介」は第三国がさらに交渉の内容に立ち入って解決条件を提示する場合をいう。
国連事務総長の紛争処理活動は、「斡旋」と呼ばれることが多いが、実際には紛争解決条件を提示するなど、「仲介」に相当する活動を行うことも多い。事務総長が加盟国の要請または自らの発意で行う活動は、「事務総長は国際の平和及び安全の維持を脅威すると認める事項について、安全保障理事会の注意を促すことができる」と定める国連憲章99条に基づくという。(岩沢 2020, p. 684)
(2)第三者機関が当事者を助けるもの
「審査」は、個人から構成される独立の委員会が、事実問題の審査を行うという形で第三者による客観的な判断を行うが、当事者を拘束しない。「調停」も、個人資格の委員で構成する調停委員会が、紛争をめぐる事実と法を審査して解決案を提示するが、同じく当事者を拘束しない。(松井 2011, p. 208)
国際機構による紛争解決については、調停の一形態と見るか仲介の組織化と理解するかについて、学説が分かれている。国連総会、安全保障理事会、事務総長による紛争の平和的解決は、当事者に解決案を提示し、解決を促すことが認められている点では、「調停」と「仲介」に共通する要素を有しているといえる。
二、国連による紛争の平和的解決手続
(1)紛争解決の「共通の土壌」
岩沢雄司によれば、国連の安保理や総会は、紛争当事国や他の国が非公式及び公式に接触し、意見を伝え、交渉し、和解を促すことができる重要な場である。安保理や総会は、交渉、斡旋、仲介、審査、調停といった非裁判手続に分類される紛争処理方法を、場合に応じて使い分けており、裁判手続である仲裁に相当することを行うこともあるという。(岩沢 2020, p. 680)
(2)「公共的理由」と当事者間の公平性
国連の安保理も総会も、政治的機関である。そうであるからこそ、それぞれの規範的主張を、共通の正当化理由に基づかせることを意識しなければならないだろう。当事者間の公平性は、当事者間の合意の本質である。それは、「立場の反転可能性」の思考プロセスまたは対話プロセスによって、求められるべきものである。
それは、単に共通の正当化理由ではなく、国際社会の「公共的理由」に基づく公平性でなければならないだろう。
松井芳郎(2011)『第3版国際法から世界を見る』、東信堂
岩沢雄司(2020)『国際法』、東京大学出版会
一、基本的人権としての国際的な承認
(1)人権としての「水と衛生への権利」
東澤靖によれば、2010年以降、国連総会では「水と衛生への権利」についての議決が採択されており、「水と衛生への権利」が、相当な生活水準・健康への権利・生命や尊厳への権利に密接に関連するものであると同時に、独立した対応が求められる問題であることを指摘している。(東澤 2022, p. 157)
すなわち、「水と衛生への権利」は、法価値である「人間の尊厳の原則」の要請であると同時に、最も基本的な権利である「生命権」の要請でもある基本的人権なのである。
(2)人権の伝統的性質
人権の伝統的性質から説明すれば、「水と衛生への権利」は個人の権利であり、どのような法体系の下にいるかを問わず、享有されるものであり、どんな個人にも等しく認められるものであり、何らかの制度による付与をまたずに、生まれた時点から持っているものである。(瀧川他 2014, p. 141)
ニ、国際人権法上の位置づけ
(1)「法的権利」としての「水と衛生への権利」
人権の伝統的性質は、法的権利から区別される基本的人権としての「水と衛生への権利」であるが、法的権利として実定法化されるには、国内法化または国際法化されなければならない。
ここでは、国際法上の議論として、人権条約の各権利に密接に関連していることから、条約上の義務として法的権利としての「水と衛生への権利」を導く可能性を考えることができるだろう。
社会権規約委員会は、水への権利が生活水準や健康への権利に含まれることを確認してきたという。相当な生活条件の一つとしての水への権利は、水の利用可能性、水質、アクセス可能性において相当なものであることが必要とされる。(東澤 2022, p. 157)
国家が自ら人権侵害を行わない義務である、「尊重の義務」でいえば、国家が個人の水へのアクセスを妨げないこと、水の供給を減少させないこと、汚染しないことなどが含まれる。
人権侵害から個人を保護する義務である、「保護の義務」、および基本的な人権の享有を促進するための積極的な行動をとる国家の義務である、「充足の義務」においては、水道事業を行う企業を含めて、第三者によるアクセスの制限、水資源の汚染や不当な搾取などに対して、国家は必要な措置を取らなければならない。(東澤 2022, p. 49-50, 157)
(2)「生命権」と「最低限の中核的義務」
社会権規約が保障する権利の中には、その実現のために一定の制度や財政的な裏付けを必要とする権利があるため、「漸進的実施義務」という緩やかな義務が採用された。
ただし、締約国は、「漸進的実施義務」の達成のため、「自国における利用可能な手段を最大限に用いること」を約束していることには注意が必要である。(社会権規約2条1)。
また、「水と衛生への権利」との関係で特に注目されるのは、「漸進的実施義務」においても、締約国は、最低限のレベルの人びとの必要を満たすべき「最低限の中核的義務」(minimum core obligatioin)を負っていることである。(東澤 2022, p. 48)「生命権」の要請でもある「水と衛生への権利」は、即自的実施義務となる場合が考えられるのである。
東澤靖(2022)『国際人権法講義』、信山社
瀧川裕英・宇佐美誠・大屋雄裕(2014)『法哲学』、有斐閣
「目は体のともし火」という言葉があります。私たちの目が澄んでいれば世界は明るく見え、濁っていればすべてが暗く沈んでしまう。でも、だからといって、去りし日のぼくのように、「光のある人」と「失った人」を、勝手に分けてしまっていませんか?
どんなに深い暗闇の中にいても、人が持つ光を奪い去ることなんて、本当は誰にもできない。誰かを「あの人は光を失った」と裁くとき、何より悲しいのは、自分自身の世界観を傷つけてしまうこと。たとえ嫌いな人でも、その人の光まで否定することはできないのだと思います。この点で、例外はありません。
遠くの星が、私たちの視界から映らなくなるように、私たちが他人を理解することから遠ざかっているだけかもしれません。目には映らない、人びとの心の底のかがやきを、信じ続けること。それがきっと、足下から、世界と行動を変えていく力となります。「七の七十倍までも許す」という祈りのような強さやさしさを持って、また次の新しい一歩を選びとる。
世界の夜景のかがやきは、目で確認するものではなく、信じるものだと思います。
2025年12月31日 発行 初版
bb_B_00182684
bcck: http://bccks.jp/bcck/00182684/info
user: http://bccks.jp/user/156176
format:#002y
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
専攻:国際法・国際人権法・法哲学。学士(法学)。修士(法学)