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駒沢の生活史[36話]

駒沢こもれびプロジェクト




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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。

駒沢の生活史


第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
    みたいな話があったみたい

第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
    人生のあと残った時間を費やすっていうのが

第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
    駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)

第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
    そのとき初めて、ものすごい実感した

第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
    みたいな(笑)

第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから

第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
    そこをちゃんと見極めてたのは偉いと

第10話 どうなんですかね?
     結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです

第11話 まかない食い放題!
     生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
     じゃあ、○円くださいって言って(笑)

第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
     親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか

第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
     ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない

第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね

第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
     それが「あなたが社長ですから、
     これ、サインしてください」って、突然

第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど

第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね

第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね


第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
     お客さんって、すごいなとずっと思ってた

第21話 朝来た瞬間から、
     自分でやりたいことを自己決定していくっていう

第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)

第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
     「なんかあんまり」って思ってたけど


第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
     あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ

第26話 仕事してるとき、
     自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)

第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな

第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから

第29話 塾すら近所だからさ、
     全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの


第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
     私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
     「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
     プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう

第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
     けど、それ以来ずっとこの界隈で

第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
     駒沢でオープン

第35話 山梨の人は東京に出ると
     中央線沿線に住む人が多いんですけど、
     高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて

第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
     頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
     大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
     落ちたけど、コーヒーは飲みます

第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
     声かけられて、そういうのなんか憧れるよね

第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは

第43話 …どっからか来てるのかな。
     常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね

第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
     後ろから人生を逆算してるから

第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
     いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)

第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
     そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです

第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
     あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
     おっしゃって。「どうしよう」って(笑)

第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)

第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
     ことが尊いともあんまり思ってないんですけど

第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね

第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
     本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
     過ごしています

第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)


















海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

話し手   40代女性
聞き手 いしやまなおみ


 ──海外はどこへ行ってたんですか?

 フィリピンに4歳までいて、その後小学校6年生から中3までブラジルにいて、中3から高3までアメリカに行って、結構転々と……。

 ──感受性高い時期に海外へ。記憶に思い浮かぶシーンとかありますか?

 ブラジルがいちばん印象的でしたね。小6から中3までいたんですけど。ブラジルって世界で日系人がアメリカに次いで2番目に多い国って言われていて、戦前に日本が政策的に移民を推奨して遠縁の遠縁の遠縁の人がその移民第1陣でブラジルに行ってる人がいて、その人たちはもう亡くなってるんですけど、第1陣で行ったその人たちの子孫が、日系2世、3世みたいな人がブラジルにいて。
 もうまったく彼らは日本語喋れないんですけど、かろうじて苗字に日本語名残っている親戚もいたから、普通の駐在生活よりちょっと面白い生活を送ったから、ブラジルへの思い入れはあるかもしれない。

 ──へぇー、どんなんだったんですか?

 当時私がいたときとか、ブラジル人はオリンピックとかぜんぜん見ていなくて、でもワールドカップはみんな見ていて、ワールドカップでブラジルの試合になると会社も学校もお休みになるんですよ。おおらかですよね、ラテンっておおらか。「国民みんな応援せよ!」みたいな(笑)。
 物理的に試合の日は道路が混んで帰れなくなるっていうのもあったんでしょうけど。

 ──いいっすね。サッカー優先で学校休みって、めっちゃラッキー。サッカー以外に印象的なことはありました?

 うーん、なんだろう……当時子供だったので、私は苦労はしてないんですけど。たぶん親はすごい大変だったんだろうな〜と。
 いまみたいにインターネットがない時代だったし、ラテンの人っていい意味で大らかで、悪く言えばルーズなので。なにかが壊れたとかなにかの配達で、今日届ける、今日直すっていうのが、今日の午前中って言ってたのが、その日中に来たらいい方で、普通に1日、2日とか、来ないことがあって。いま思うと、日本ってちゃんとしてるよなって。
 中学校ぐらいのときだったので「あーそれが普通かー」みたいな感覚。大人になってもあんまり気にしないけど、当時の親は大変だったんだろうな〜と。

 でも、なんにせよ向こうの人は根明な気がします。優先順位がちゃんとしてるっていうか。家族やプライベートが大事で、まぁ仕事は生活に困らなければいいよね! みたいな。

 ──そうなんですね。

私、楽しい、見て! みたいな(笑)

 家に遊びに来る大人とか、その親戚の人とかみんなそんな感じだった。ちゃんと週末は友達を家に呼んで、お食事して会話を楽しんで、休みの日は1ヶ月、2ヶ月お休みとって、バカンスで消えちゃって〜みたいな。大人になって自分が仕事をしだすと、1ヶ月、2ヶ月休み取って毎年バカンスみたいなのって「おぉー」とか思いますよね。それでもちゃんと生活が成り立ってるっていう。

 なんかね、皆さんマインドはポジティブだなって思うんですよね。

 SNSの投稿一つとっても、誰に見られてるとか気にしない。自分が楽しい瞬間を共有してます! みたいな。日本人ってSNS一つあげるにしても綺麗に加工してキラキラ輝いている瞬間をアップしがちだけど、そういうのとか関係ない。自分楽しいから、私楽しい、見て! みたいな(笑)。

 ──写真からでも伝わってくるんですね(笑)。

 細かいこと気にしない感じがいいですよね。

そういう立ち振る舞いが、あーなるほどって

 ──海外に行って現地の人に触れたりいろんな感覚に触れるけど、親との接点がちっちゃい頃いちばん多いかなと思うんですけど、ご両親も海外ナイズされてたこともあったりするんですかね?

 たぶん父親は仕事上、海外と接点があるのであれですけど。うちの母親は日本語以外、本当に喋れない人だったんで、たぶんめっちゃ苦労してるし、フィリピンとかブラジルとアメリカにいたからって、海外ナイズされてるってわけでもない。

 大人になってからきくと、母親は母親で色々苦労したらしくて……。

 例えば、家に人を呼ぶときとかも、日本だったら冠婚葬祭で田舎に人が集まるときに、女の人は台所で料理の準備して出して、お酒出して下げて台所と行ったり来たりだったんだけど、そういうことを海外でしてたらうちの父親に「そうじゃないでしょ」って。「君はホストなんだから、ちゃんとホストとして会話しなさい」みたいなこと言われて、そういう立ち振る舞いが、あーなるほどって。

 「海外で生活してお母さん変わったと思う」っていうことは言ってて。たぶん、それが日本に帰ってきてもそういう感じで我が家は昔から人が来ることが多かったかな。

 ──へ〜、日本に帰ってきても?

 うん、そうそう。私とか姉とかの友達を呼んでっていうのは結構よろこぶ。その場に私の友達がいるのに父親と母親が普通に座って(笑)。その輪の中にいて、で、一緒にご飯食べてるというのは結構あったかな。友達が両親がいて気にしなければぜんぜん、はいどうぞって感じ。

 まぁ、いい意味で、海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、頼れるのは家族みたいなのはあったのかもですね。必然的に、たぶん一緒に過ごす時間が多かったんだと思うんですよね。そんなんだから、随分と長く実家にいたんだと思うんですよ、私(笑)。

実家出たっていうよりは、いいセカンドハウスができたみたいな感覚かもしれない

 ──いやいや、いいことですよ(笑)。実家が住み心地がいいってことじゃないですか。

 うん、ね、よく言えば。

 ──うんうん。家を出るとき、親は悲しんだりしなかったですか?

 ぜんぜんなかったですね。いまでも一応徒歩20分ぐらいで、自転車だったら5分くらいで行ける距離なんで。なんだかんだペットの犬とか猫会いたさに週1で実家にいくから、実家出たっていうよりは、いいセカンドハウスができたみたいな感覚かもしれないです。

 ──一人になってやっぱちょっと寂しいとかある?

 あー、でも、それはあったかも。ここの家に引っ越してきて、それこそ家具とかなんにもないときとかめっちゃ寂しかった(笑)。普通に実家にいると、朝起きて「おはよう」とか会社から帰ってきて「ただいま」とか、もうないじゃないですか、一人だと。だから、1日家でテレワークしてるときとか、「あれっ、私、今日仕事以外で誰とも喋ってないかも」とか、最初の半年ぐらいは「あれ?」みたいな、「ちょっと寂しいかも〜」って週2、3回ぐらい実家に帰ってたときとかありました。

もともと人と一緒にここでご飯とかできたらなーと思ってた

 ──それでも家を出たって感じなんですね。

 そう。あー、でもなんだろうな、ここを買った理由は、元々家に友達とかは呼んでたんですけど、やっぱ実家は実家なんで、色々使い勝手とか人が集まれる家にしたいなと思って。
 最初は私、実家をフルリノベーションしようと思ったんですよ。で、親に「リノベさせてください、もっと人が集まれるような家にしたいです。」って言ったら母親は「いいわね〜」っていって。

 ──リノベ計画があったんですね。

 最初は別に家を出るありきではなくて、人を呼んで親がいるのもいいけど、親に気兼ねなく人を呼びたかった。実家はいいところではあるんだけど、どの駅からも中途半端に遠くて、家を出るんだったら別に家も不便ではなかったから、もっと駅近で条件が合うのがあればって。

 ──実際、どうですか? 新しく引っ越して、理想の暮らし?

 平日は会社勤めしてるんでね、平日はもう朝出て夜帰ってくらいですけど。逆に週末は人を呼ぶことが増えたかな。もともと人と一緒にここでご飯とかできたらなーと思ってた。そういう意味で言うと、一人暮らししてよかったなって思う。
 ちょうど私がこの家を買った2年ぐらい前に、私の周りの同級生が、パタパタパタって急に家を買いだして、家買うブーム?

 ──それに影響されて。

 うん、めっちゃ影響されました(笑)。

冷蔵庫に溜まってた食材が、みるみる減ってくと快感〜みたいな(笑)

 ──…ちょっと話戻るんですけど、家で人を呼んでパーティーするのってどんな感じですか?

 普通にホームパーティーですっていうのも好きだけど、今日朝ごはん、夜ごはん食べに行っていいですかってふらっと来てもらうのも嬉しいし…なんですかね…。
 でも、たぶん、自分の中で台所に立つというのが、一種のストレス発散にはなってる気がします。だからあんま苦じゃない。みじん切りしてるときとか、無心じゃないですか。あと、冷蔵庫に溜まってた食材がみるみる減ってくと快感〜みたいな(笑)。

 ──(笑)なるほど!

 最近ここに移って友達とか知り合い呼んで、ご飯食べて「楽しいな〜」って。あと、自分がいいなと思って、生産者と仲良くなって「それをどう?」って言って、「美味しい」って言われて、その美味しいって言ってくれた人が、その商品を買ってくれたりするとちょっと嬉しい。そういう意味では、つくってる人と繋がるのが最近は楽しいかも。で、それをどうぞって出すのとか。
 
 それこそなんだろうな、ちゃんとしたプロセスで、ちゃんとした思いを持ってつくってる人とかと会うと、余計なお世話ですけど、これ知ってほしいとか、純粋に応援したくなる感じ。

 いろんな人と知り合うほど、新しいことをやってる人がとくに20代とか30代だと「頑張れ」っていうのはありますよね。

 街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
 「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
 
 「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。

 まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。

 メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
 結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。

 話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
 話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
 音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。

 届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
 もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
 最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。

 併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
 本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
 挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。

 ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
 オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。

 私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
 そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。

 ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
 他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。

 私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
 駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。

西村佳哲(2025年7月31日)

駒沢の生活史[36話]

2026年5月1日 発行 初版

発行:駒沢こもれびプロジェクト

「今日の駒沢」
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