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駒沢の生活史[38話]

駒沢こもれびプロジェクト




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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。

駒沢の生活史


第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
    みたいな話があったみたい

第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
    人生のあと残った時間を費やすっていうのが

第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
    駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)

第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
    そのとき初めて、ものすごい実感した

第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
    みたいな(笑)

第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから

第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
    そこをちゃんと見極めてたのは偉いと

第10話 どうなんですかね?
     結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです

第11話 まかない食い放題!
     生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
     じゃあ、○円くださいって言って(笑)

第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
     親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか

第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
     ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない

第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね

第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
     それが「あなたが社長ですから、
     これ、サインしてください」って、突然

第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど

第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね

第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね


第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
     お客さんって、すごいなとずっと思ってた

第21話 朝来た瞬間から、
     自分でやりたいことを自己決定していくっていう

第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)

第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
     「なんかあんまり」って思ってたけど


第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
     あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ

第26話 仕事してるとき、
     自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)

第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな

第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから

第29話 塾すら近所だからさ、
     全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの


第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
     私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
     「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
     プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう

第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
     けど、それ以来ずっとこの界隈で

第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
     駒沢でオープン

第35話 山梨の人は東京に出ると
     中央線沿線に住む人が多いんですけど、
     高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて

第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
     頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
     大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
     落ちたけど、コーヒーは飲みます

第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
     声かけられて、そういうのなんか憧れるよね

第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは

第43話 …どっからか来てるのかな。
     常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね

第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
     後ろから人生を逆算してるから

第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
     いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)

第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
     そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです

第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
     あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
     おっしゃって。「どうしよう」って(笑)

第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)

第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
     ことが尊いともあんまり思ってないんですけど

第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね

第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
     本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
     過ごしています

第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)


















さあ東京行くぞって出てきたやつは大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

話し手 ?代女性
聞き手 辰口健介


 生まれはね、博多っ子なんです。高校まで博多にいて、大学からこっちで。で、住み着いてしまったっていう感じです。

 ──大学から駒沢?

 大学は駒沢じゃなくて都内なんですけど、結婚をして本当に渋谷のど真ん中に借りちゃったんですよね。で、それからちょっと仕事全部投げて、世界一周しちゃおうって出ちゃって、帰ってきてもう一回渋谷に住もうとしたら、1年ぐらいしか経ってないんですけど、とてもとても変わっていて。で、子供を産みたいと思ったんで、渋谷で子供を産んで育てるのは大変なことだと思って、池尻、三軒茶屋とこう下ってきて、ここに落ち着いて。で、40年ですね。

 ──40年。なんかいまの話だけで、いろんなことが…。

 ぜんぜん。ほぼ無計画な人生ですよね。いまもそうだけど。あの頃もうバブルが終わって…いないか。どうにかなるよ、って感じでしたね。

 大学を現役で入って、普通に出て、22、3ですよね。で、丸3年。25のときに、もうその1年前に結婚してたんで、てか、その旅行のために結婚したっていうのもあるんですけど。パスポート同じ方が便利だよねって。本当に便利でした。夫婦っていうだけで、ただのカップルじゃなくて、いろんなとこで優遇じゃないけど、やってくれたので。25、6のときですね、帰ってきても仕事もまだあるだろうと。たった1年ですけどね。

 ──どんな経緯でその旅行に行こうと?

 沢木耕太郎っていう作家、あの人の真似しちゃったんですね、きっと。深夜特急のあれを。最初に沢木耕太郎を知ったのはやっぱ深夜特急だったので。じゃあそのルートで行ってみようか、みたいなことですよね。アジア横断とか。

 ちょうどそのときに、庄野真代っていう歌手もいて。彼女もね、行ったんですよ、アジア。みんな行ってんじゃんとか思って。私、就職先が旅行会社だったんですね。人の旅行を色々計画してると、いやー、人のやっててもつまんない、自分が行きたいと思って。で、たまたま夫も旅行会社に勤めていたんで、そこらへん気が合って、って感じです。

 イスラム圏とか旅行してるうちに大家族を色々見るわけですよ。そうしたら、結婚して子供がいっぱいいるっていうのは自然なことなんだなと思えてきて。じゃあ私も欲しいなと思って。あーつくりましょう、ってできたんですね。で、その当時は船の上、もしくはマドリードに行けばタダで出産できるぜっていう情報が入ったんですよ。

 よし、行こうと思って、マドリードまで頑張って行こうと思ったんですけど、初めての妊娠で、すっごいつわりひどくて。途中で産もうとも思ったんですけど、でも本当に初めてのことで、もう気弱になってしまって。いや、一旦帰る、帰ろうと、日本に帰って産もうってことで帰ってきたんですけどね。それで家を探すので、だんだんと田園都市線のこっちに来たっていう感じです。

だから、旅してたいっていう火はずっとくすぶってるっていうか

 だから一周できなかったわけですよ。マドリードの手前、ギリシャにまず行って、で、帰ってきたんで。その後、細切れに子供連れてアフリカ行ったりとかはしましたけど、一周は本当にしてなくて。まだ残りの人生で元気だったら行かなきゃね、っていうところです。ぜんぜんね、南米大陸も足踏み入れてないし。

 …そっからずっと駒沢で、三軒茶屋も行ったりしてるんですけど、子供2人産んで。下の子が小学1年までずっとうちにいたんですよ、専業主婦。で、それから、ぼちぼち仕事しながら、でも家庭を優先的に、っていう感じですね。

 ──そのときはどんなふうに思ってました?
 
 そうですね、子供を育てる、っていうのは結構大変なことで、自分たちの楽しみも2番目だなと思って。で、上の子は4年生なんで、下が2年生のときに、ちょっと連れてってあげたいと思ったんですね。だから、3学期に入ってすぐ、1ヶ月半ぐらい休んで、アフリカに行ったんですね。そしたら下の子はそうでもなかったんですけど、上の子がその間にちょっと算数がわかんなくなっちゃって。校長先生もびっくりされて、ごめんなさいみたいな感じではあったんですけど。

 だから、旅してたいっていう火はずっとくすぶってるっていうか、いまでもそうですけど。でも、そのことに関して子供たちはめちゃくちゃ覚えてるわけじゃないし、行ってよかったっていうことでもないから、それはそれでいいかと。「お母さんが行きたかったから行ったんだよね」ぐらいで。

 ──連れてってあげたいって気持ちも。

 そうそうそう、もちろん。アフリカなんてのはやっぱり、ね、そんなに見れるとこじゃないじゃないですか。あなたたち、動物園、動物園って言ってるけど、こっから行ったのよっていうこと教えたかったんですね。それから、動物園に行く足が遠のいてしまったんだけど、「かわいそう」とか言って。

 でも、学校の先生は1ヶ月半2ヶ月近くも休むから、「なにか宗教の団体ですか」ってすごい言われました。違います、って。で、駒沢小学校、中学、2人とも行って、それぞれ都立の高校行って、で、大学行かせて、っていう感じですね。下の子が1年生のときまでですから、10年ぐらいうちにいましたね。

 ──また仕事をするというのは、ご自身でそうしたいと思って?

 そうです。もう10年も空いてるし、以前やってたような仕事はできないと思ったので、知り合いのアルバイトとか、そういう感じですよね。それで、近所のお蕎麦屋さん、ラーメン屋さんのパートをしていたら、事務になって、経理、総務などをやることになって、それで、30年近く、ちょうど1年前まで勤めたんですね。

社長の指示で私が3人に告げました。それはね、つらかった

 ──同じところで30年近く。長いですね。

 長いですよね。飲食店と不動産をやってる社長だったんですが、よくしてくださって。いわゆる私と同じように事務やってる人間は、一人2人ぐらいしかいなくて、ずっとやらせてもらったんですよ。

 だから、その間、お姑さんと同居して介護とかあったんですけど、それもその社長の好意でこう抜けてね、病院連れてったりとかも色々させてもらったので続いたと思います。で、ちょうど1年前の2月に退職をしたんですよ。ちょっと本当にポンコツだなって自分を感じてきたので。

 ──どういうことですか。

 ちょっとしたミスが出てきたんですね。65歳定年っていうのは理にかなったことなんだなって。70過ぎてもバシバシやってらっしゃる方もいらっしゃるし、人それぞれだと思いますけど、なんかちょっと辛いなと思ってやめましたね。でも楽しかったですね。

 お蕎麦屋さんの経理が主だったので、経理の他に事務もやってはいたんだけども、売り上げアップのために色々意見を出し合って、みたいな。だから、ちょっとしたアイデアが本当に売り上げに結びつくっていうのは、皆さん仕事してたらそうだろうけど、それは楽しかったですね。

 …ちなみに、お仕事はどんな職種を?

 ──人事関連なんですけど、関心のある領域なので長くやってますね。

 それはよかったですね。人事って聞くと本当に大変そうとしか頭に浮かばないから。

 ──人事の仕事にも触れる機会はありましたか。

 人事、私だからやらされたのかなっていうのはあって。昔でいう肩たたきって言うんですか、飲食店を最初から立ち上げてくれた方とかがいらして。私が勤めたのは30年ですけど、15年ぐらいすると本当にもう高齢化していくわけですよね。

 そこで、景気も悪くなってきて、お給料を減らしたい、もしくは退職なさるなら……みたいな。そんな嫌な話もしなきゃいけないのは、人事としてつらかったかなと思います。社長の指示で私が3人に告げました。それはね、つらかった。

 一時期、役員に登記してもらったんだけど、ちょっと雲行きが悪くなってきたから、役員から外してもらったんです。当時は取締役みたいな感じで、社長のパートナーって言ってくれたんだけど、いやー、人事関係は辛いなと思って。若い人を採用するのは本当に楽しいんですけど。

 …30年働いたうちの後半っていうか、最後の10年ぐらいは仕事楽しくてやってるのかなあ、っていうのはありましたよね。体力的なのもあるし、なんかやっぱりコロナでやられたかな。コロナには勝てなかったなあ。

急になんか自分の視界が開けてきちゃう

 …だからいまはもう本当にのんびり。もう1年になるんで、ちょっとのんびりしすぎちゃってんですけどね。だから、息子が私に言ったんですよ。「お母さん暇でしょ」って。確かにそうだねって、6月ぐらいに。本当は息子がね、やりたかったんですよ。彼は映像の仕事をしていて、で、いろんな人に聞いたり、話をしてるんだけど、自分は駒沢に住んでないし、夏はずっとなんかロケが入ってるから。で、「お母さんやる?」みたいな。

 とりあえず話聞いてみようと思って。で、ここで最初に集まったときに、そんな難しいことではないのかなと思って、やってみようと思いましたね。でも生活史っていうジャンルがよくわからなかったんですけど。でも、話を聞いて、そういうことかと。で、プロジェクトっていうからには、駒沢で頑張ってる人たちを応援できるのかな、と思ったけど、生活史ってそんなにね、ピンポイントで応援するとか、そういうんじゃないですよね。だから、娘の友達にインタビューしたんですけど。

 ──実際にプロジェクトをやってみてどうでしたか。

 昔だったら、はいはいはい! って言って、ここにバーッて溶け込んだろうなと思いますけど、でもいまはこう端で皆さんを見てて、頑張れーって感じですよね。

 ──昔の自分といまの自分になにか違いみたいなものを。

 そうそうそうそう。私みたいな、いわゆる九州博多から、さあ東京行くぞって出てきたやつは大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ。やっぱ違うんですよね。で、東京に住んでる同級生からも「まあまあ落ち着いて」って言われるくらいの(笑)。男子も女子もそうなんです。

 一旗あげようじゃなくて、錦を持っては帰らないけども、九州から東京に出たんだから次は海外しかないっていう。急になんか自分の視界が開けてきちゃうんですね。そんなこと思い出してもしょうがないんですけど、そういうことだと思います。

 ──ちなみに子供の頃はどんな感じでしたか?

 子供の頃は、つまんない真面目な子だったと思います。先生の言うこともばっちり守るし、いわゆる優等生だったと思います。中学もまあまあそうかな。勉強頑張って、部活頑張って、っていう感じですよね。

 言うの恥ずかしいんですけど、体操部だったんですよ。そうやって高校も体操やって、体育大学か教育大学に行くかっていう話もあったんだけど、いや、このまま体操だけやっててもバカになるぞと思って、東京の面白そうな大学行きます、って感じです。やっぱりティーンエイジャー、17、8ぐらいでなんか視野が開けたのかな。

どこでもね、楽しいかな。その点、夫と気が合うのはよかったです

 ──自然に東京行こうって思われたのか、結構悩んだりされたのか。

 いや、それがね、悩めばよかったんですよ。というのは、兄がもうすでに2年前に東京の大学に来ていて。で、父はけっこう昔に亡くなったんで母が一人残されるわけです。それに関して当時の私は一人置いてってごめんねっていう気持ちもぜんぜんなくて、本当に自分だけのことしか考えてなかったと思います。行きたいんだからって。「地元の大学に行けばいいじゃない」っていうのは、いや、あの大学に行きたいから。私はね、ラグビーが好きなんだからね、あの大学行くしかないのよって。

 そこの大学で同じクラスメイトだったいまの夫と知り合って。で、夫と趣味は合ったんですけど違ったのは、彼は昆虫採集をやってたんですね。ちょうちょね。そうすると、日本のみならず、他のところのも欲しいわけですよ。で、「今度インドにちょうちょ取り行くんだけど行く?」っていうから、行ってみようかなと思って(笑)。そっからですね。ちょうちょも取ったこともなかったんですけど、まあ取れば楽しいし。

 …だから東京じゃなくてもよかったのかもしれないんですけどね。そのときは本当に知らなかったですね。大阪っていうのも別に考えもしなかったし、東京しか知らなかったですよね。こういう話をしてると、もう年取ったなっていう感じです。

 …子供が駒沢で学校に行っている間はPTAの仕事もさせてもらったし。PTAの仕事をすると、地域の人ともよく話しますよね。で、仕事上、商店街のこともやりましたし。なんかここら辺はちょっとみんな知ってる人ばっかりみたいなところがあります。

 ──ご自身にとって駒沢はどんな町ですか。

 駒沢公園があって、世田谷マダムがどうのこうのとか、色々ね、テレビでは言いますけど、そういうのはぜんぜん感じなくて。昔からいらっしゃる方とか地主さんの方がいっぱいいて、いいとこだなと思いますね。別にもう発展はしなくていいので。急行も止まんなくていい(笑)。

 ──お話を伺ってると実行力がすごい。世界一周とか、経営者の右腕みたいな結構大変なことでも迷ったりせずに、すっと動かれる印象で。

 よくよく考えると、できなかったのになぜ引き受けたの、って自分に言ってますけど。でも、どうにかなるやって思えばなんでもできますよね。

 でも、67歳ですからね。いま、夫の母は、ちょうど1年前に亡くなったんですけど、私の母が、まだ施設にいて94歳だし、衰えてきてて、それを見送らないことには、ちょっと動けないのかなと思って。ちゃんと見送ったら、2人でどこ行く? っていうのは話してますけどね。お母さんの死ぬのを待ってるとか言われるんですけど。

 老後がこんなに大変なことも、やっぱり若いときからぜんぜん考えてないし、若いときから考えてちゃんとお家を買ってるかって買ってないし。そういうのはいかんいかんと思います。

 まだ夫も働いてますからいいんですけど、老人ホーム代もけっこうかかるんだなと。私たちがバックパッカーやってたときとやっぱり状況がぜんぜん違ってるわけですから。円安ですし。でも、どこでもね、楽しいかな。その点、夫と気が合うのはよかったです。友達にも言われます。「結婚した甲斐があったね。そうじゃない夫婦もいるんだよ」って言われて。

 ──これから行きたいところは。

 南米の方に行ってないので。ウユニ塩湖とかマチュピチュさえも行ってない。テオティワカンとか。北米は一応行ったので、南米ですよね。だから、体力のあるうちに行きたいんですけどね。昔みたいに20kgのリュックは背負えないにしても、自分の荷物は自分で持ちたいから。

 国内の方は本当に2人とも疎くて。例えば温泉とか行ってもぜんぜんわかんないんですよ。たぶんじっとしてらんない、飽きちゃうだろうなと思って。やっぱ海外行った方が、英語を話すにしても言葉が通じなかったりとか、トラブルがあったりとかしないとつまんない。あと、宿もめちゃくちゃの方がいいよねって。

学生運動だけはやめてくれ、しそうな勢いだぞって言われた

 ──小さい頃はまじめで優等生だった女の子が、そういうトラブルを楽しめるっていう。

 高校のときも、実は東京のこの大学を受けたいんだ。で、そこに受かったので行きます、って春休みの3月に先生に言ったときに、「お願いだからお前、学生運動だけはやめてくれって、しそうな勢いだぞ」って言われた。でも、ぜんぜん興味なかったし。

 ──先生は、そのエネルギーとか思いの強さみたいなものを感じられたんですね。

 そうなんですよ。そのときは運動部もやってて、インターハイ、国体にも出たんですよ。だけど、もう3年になる手前で一切辞めたんですよ。勉強に集中しますって言って。呆れられましたけど。でも、最初から進学クラスに入っていながら運動部に入ったのもおかしかったし。で、インターハイまで行ったのにスパッとやめて、体育大学の推薦も止めるみたいな。「お前はなにやってんだって。急にラグビー観たいとか言いやがって」みたいな。

 博多もいいとこだったんだろうけど、ここにずっといたくもないっていうか、東京に行きたいなと思いましたね。いまでこそね、ときたま博多帰る、って言っても、もう家はないんだけど、友だちに会ったりして、とっても楽しいですよね。

 なんかこうやって話してると、夫の影響もすごい受けてきてるんだと改めて思いました。どうにかなる、っていうところ。以前は、彼のそのいい加減なところが…とか思ったんです。でも振り返ってみると、結局私もそういう影響を受けてるんだなと思いますね。

 ──お話を伺って、ご自身の中にあるコアみたいなものを感じます。

 見えちゃうんですよね。皆さんあると思うんですよね。それが、見えちゃって身動きできないんだ。皆さんあると思うんですよね。自分について話してると、出てくると思うんです。私も日頃はこんな考えてないけど、こうやって話してると、そうだった、っていう昔の感じは湧き出てきますからね。不思議なものですよね、だから、おもしろい。

 街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
 「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
 
 「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。

 まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。

 メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
 結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。

 話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
 話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
 音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。

 届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
 もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
 最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。

 併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
 本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
 挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。

 ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
 オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。

 私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
 そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。

 ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
 他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。

 私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
 駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。

西村佳哲(2025年7月31日)

駒沢の生活史[38話]

2026年5月1日 発行 初版

発行:駒沢こもれびプロジェクト

「今日の駒沢」
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