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駒沢の生活史[31話]

駒沢こもれびプロジェクト




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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。

駒沢の生活史


第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
    みたいな話があったみたい

第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
    人生のあと残った時間を費やすっていうのが

第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
    駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)

第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
    そのとき初めて、ものすごい実感した

第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
    みたいな(笑)

第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから

第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
    そこをちゃんと見極めてたのは偉いと

第10話 どうなんですかね?
     結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです

第11話 まかない食い放題!
     生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
     じゃあ、○円くださいって言って(笑)

第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
     親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか

第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
     ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない

第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね

第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
     それが「あなたが社長ですから、
     これ、サインしてください」って、突然

第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど

第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね

第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね


第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
     お客さんって、すごいなとずっと思ってた

第21話 朝来た瞬間から、
     自分でやりたいことを自己決定していくっていう

第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)

第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
     「なんかあんまり」って思ってたけど


第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
     あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ

第26話 仕事してるとき、
     自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)

第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな

第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから

第29話 塾すら近所だからさ、
     全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの


第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
     私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
     「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
     プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう

第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
     けど、それ以来ずっとこの界隈で

第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
     駒沢でオープン

第35話 山梨の人は東京に出ると
     中央線沿線に住む人が多いんですけど、
     高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて

第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
     頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
     大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
     落ちたけど、コーヒーは飲みます

第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
     声かけられて、そういうのなんか憧れるよね

第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは

第43話 …どっからか来てるのかな。
     常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね

第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
     後ろから人生を逆算してるから

第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
     いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)

第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
     そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです

第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
     あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
     おっしゃって。「どうしよう」って(笑)

第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)

第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
     ことが尊いともあんまり思ってないんですけど

第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね

第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
     本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
     過ごしています

第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)


















もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

話し手 50代女性
聞き手 佐々木彩子


 私、もともと多摩センターに住んでたんですよ。

 ……そう、多摩センターに住む前、小学校ぐらいまでは、埼玉県の鴻巣市っていうとこに住んでたの。小学校ぐらいのときって、「自分が住んでるところが田舎だ」とか、そういうこと気にしないじゃないですか。でも中学校ぐらいになってドラマとか見るとさ、「ここって結構な田舎だ」って、気がついちゃうでしょ? そしたらだんだん、都会に住みたくなっちゃって。親もそういう風に……母親がとくにね、思うようになって。でね、多摩センターに引っ越したんだけど。

 母親と一緒に物件を見に行ったときには、たまプラーザとかに行ってたの。『金曜日の妻たちへ』っていうドラマがあって。エロいやつ(笑)。たまプラーザって、ちょっと流行りの場所だった。母親は「たまプラーザと多摩センターは近い」と思ったみたいなんだけど、ぜんぜん違って……多摩センターに住んだらさ、どっちかっていうと鴻巣よりも田舎かも? ぐらいなところで。ぜんぜん、都会に移住した感じがしない。

 それで、物件を見に行ったたまプラーザとか、あざみ野とか、鷺沼とか、あのへんに死にッたいぐらい憧れたのね、小学校ぐらいのときに。こう、街が圧をかけてきたの。私に。

 ──鷺沼が?

 鷺沼が、私に圧をかけてきたの。「ここに住んでる人は、選ばれし者なのよ」って感じ。「鴻巣とは違うからね」、みたいな。

 その頃すでに自動改札だったの、田園都市線って。40年ぐらい前だよ? びっくりした。プシュン! って入れるやつ。キラキラしてて、この路線。住んでる人も……当時、一戸建てを買うときとかって、家主さんと話せたりしたのね? ほんッとうに素敵な人だったの。鴻巣には、ちょっといなさそうな。小型犬、飼っていそうな(笑)。ちょっと、こういう感じの(膝の上の犬を撫でるしぐさ)。お家は、クラシックが流れてるような。家具とかも、高そうで。「ドラマに出てくる人たちがいた!」みたいな感じで、すごい憧れて。

 なんか、そう……でも、だんだん忘れてきちゃって。中学、高校になったら、多摩センターも住みやすくて、ぜんぜん忘れてたのよ。憧れたことも。

 で、30歳のときに……あ、元夫が転勤族だったのね。最初の赴任地が千葉、次が埼玉県の、いまのさいたま市で、それから今度は世田谷支店に……うん、下馬にね、転勤になって。借り上げ社宅を借りなきゃいけなくて調べたんだけど。ホントこのへん、家賃高くてさ。借りられたとしても世田谷じゃなくて、横浜の都筑区とか、あるいは世田谷でも砧とか……このへんでは、ぜんぜんなかった。でね、世田谷に住んでた会社の先輩に言ったのね。そしたら「世田谷住むなら、駒沢公園の近くか等々力か、でしょ?」「なんで砧とか住みたいの?」とか言われちゃって。「世田谷に来たって感じ、しなくなっちゃうよ?」って。

みんな同じものを持ってるっていうのが、多い街だったかも

 なんか、そのときに……たまプラーザに来たと思ったのに多摩センターだった、みたいな? あの感覚になるのかしらと思って。すっごい一生懸命探したら、ええと、駒沢公園をちょっと下がった尾山台の駅の方に、なんとか借りれそうな家があって。あのとき、家賃、いくらぐらいだっけ。20万ぐらいだったかな。

 ──すごいな。20年ぐらい前?

 そうそう、22〜3年前。超ッ大変だった。でも住んだら、やっぱり……昔のたまプラーザとかより、ちょっとこれ、ぜんぜん都会じゃない! 本当にお金持ちの人、多くて。うん、もうなんかいちばんびっくりしたのがね、当時埼玉ではほとんど見なかった電動自転車に乗ってる人が、いっぱいいたの。電動自転車に乗ってる人は、ちょっとランクが上だったね! うちは歩いて行ける幼稚園だったから、電動自転車は乗らなかったけどさ……「電動自転車、乗ってるよ? みんな」って。

 みんな同じものを持ってるっていうのが、多い街だったかも。いまならたぶん、モンクレールを、みんな着てるよね。あとそれから、なんだっけ……雨の日に、モンベルのブーツ。みんな、どこで買ってきてるの? 高級品を身にまとってね。もっとすごい附属の学校だとさ、紺のアンサンブルとか。すごいところに来たなーって、思っちゃった。お母さん、プラダとか持ってるし。

 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。「子供を送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とかね、遊びに行っちゃった。

 ──本当にドラマの世界です。ドラマ、起きますね〜。

 ドラマ、起きるよ〜。面白かったよ。子育てすると、やっぱり駒沢の濃いところを味わえるかもしれない。

 育ったのが、多摩センターだったでしょ? 多摩センターって、富士通とNECとコニカと……「メカメカしい理系のパパと専業主婦の、住宅ローン35年」、みたいな森だったの。森じゅう住宅ローン35年の、メカメカしい人たちの集まり。でもそういうところに育つと、世の中にはそういう人しか生きてないと思っちゃうの。小学校、中学校って、世の中そういう人しか生きてないから。だから、まあまあな高校行って、まあまあな大学行って、ご主人は理系で。そんな感じの、まあまあの奥さんになる、みたいなのが……。

 ──だーっと見えちゃう?

 見えちゃうんですよ。で、その通りに、まあまあな会社の旦那さんと結婚して、まあまあの感じで転勤族になって、「多摩センタースタンダード」みたいな感じの生き方をしてたんだけど。駒沢に来たらね……うふふふふ(笑)。いろんな人がいるの!

駒沢にきたら、「2階から8階まで駒沢です」みたいな感じだった

 高校生ぐらいのとき、あんまりね、頭良くなかったからね。受験も失敗すんのね。それでね、もう人生終わりだと思ったの。私の人生はこのまま……そこまで上がらないところで、なんかこう「息だけ吸って生きてこう」みたいな。子供2人育てて、まあまあなパートをして、みたいな感じの、そういう人生になるんだろうなって思ってた。ところがさ、信じらんない……駒沢に来たらさ、すごい家とかに遊びに行くわけじゃない? 人生の成功者みたいな人たちも、いるわけよ。「パパね、中卒でね、車の輸入やってんの」って。えっ? 私が人生の成功者だと思ってなかったタイプの人が、成功してるんだ! って。聞いたことはあるけど、初めてナマモノを見たっていうか。私、いままでなんかちょっと人生失敗してきちゃったと思ってたけど……そうじゃないんじゃない、もしかして? と思っちゃったの。30ぐらいで。

 で、そう思っちゃうとさ。人生の選択肢が、すごい狭かったんだなって気がついちゃって。多摩センターでは、ここの階段しか……「ここの階」しか見てなかったんだけど。そう、「4階」しか見てなかったんだけど。世界中の人が、みんなここのフロアだと思ってたんだけど。駒沢にきたら、「2階から8階まで駒沢です」みたいな感じだったの(笑)。

 ──ははははは(笑)。へええええ!

 芸能人も、結構いて。「4階だけじゃなかったんだ」って思ったら、なんかちょっと、開けたよ。すごい、もう……びっくりしたよ。

 で、子供たちには、私みたく「4階しかない人」になってほしくないなって思ったの。別に勉強好きじゃなかったら、勉強しなくていいし。運動嫌いだったら、運動嫌いでもいいし。内申わるくても……それはちょっと不安になっちゃうんだけど。そういう生き方してなかったから。けど、うーん……そう、人生終わりじゃないんだよっていうことをね、ちゃんと教えてあげなきゃ、と。

 それから……あの、バツイチになると、みんな友達がバツイチになる(笑)。いままで、口もきいてくれなかったんだけど。てか、あんまり接点もなくて話さなかったんだけど。なんか、バツイチになった途端にね、「駒沢バツイチ集団」って感じ。

 埼玉のバツイチのママってね。言っちゃ悪いんだけど「DVで」とか「夫が無職で」とか「母子寮に入ってます」みたいな、ギリギリな感じの人が多かったんだけど。駒沢のバツイチのお母さんはちょっと違って……違う。なんならもう「パパ追い出したんですけど」みたいな感じの人が多くて。

 私もね、そのままずっと奥さんになっちゃうっていうのも人生だったかもしれないんだけど。そう思って、生きてたし。お母さんもお父さんも、私の父の母も、それを望んでたし。その生き方しか知らないタイプだった。だから、もう……起業するとか。ぶっ飛んでたよね。「なにいってんの、この子は?」って感じだったけど。やり始めたらこう、面白がってくれて。発案は母だしね。

 ──お店の名前にもなった、お母さんですしね。

 そうですね。母はね、ほんとにね……天真爛漫な末っ子みたいな母親。でね、洋裁のアイディアは泉のように湧くタイプ。見栄っ張りで洋服が大好きなんだけど、貧乏で買えなかったから、捨てちゃいそうなおじさんの背広とかをほどいて、スカートとかつくってたの。根性で、やったんだと思う。執念で。「これをスカートにしたい!」みたいな感じで。

 お母さんは、なんか変わった人だったんですけど。でも「女として」とか「母として」みたいなのは、思っていたいタイプだったのね。で、やっぱり娘には、いい大学に行って、いいお勤め先に行って……それも、殿方との出会いのため。うん、それ以外になくて。女の人が自分で生計立てるなんて、いまでも信じてない。

 でも私もね、なんか男の人を……背負うと。急に、小さくまとまろうとする自分が出てくる。

 ──おもしろいですね。出てくるんですか。

 おもしろい。本当に出てくる。なんかね、これを言語化するのは難しかったんだけど……最近やっと言語化できて。小さくまとまろうとするようになる。なんか、気をつかっちゃったりするんですよね。もうちょっと頑張ったり、あっち行ったりこっち行ったりしたいんだけど、でも土日は彼と会うしな、みたいな。いないと……いま、いないから。いなくなっちゃったから(笑)。ぜんぜん、日曜も仕事しちゃうし、どこでも行っちゃうし。のびのびできて、よかったなー。うん、駒沢にきたときに、「私は別に小さくまとまらなくていいんだ」って思ったような感じ。

いつも自分で選択してきたんですよ

 ──見えちゃったんですね。

 そう、見えちゃった。やろうって思ったことがあったらやってみようって思って、お店をやってみて、すごいよかったですけどね。あれもやっぱり、離婚してから。

 離婚してからね……離婚する前に買ってた家を売って、最初、桜新町の近くに家を借りたのね。すごい、狭い家で。でも「絶対にこのままじゃ終わらない」って思って。その後に結構、お店を頑張って。日体大の裏の、家賃30万円ぐらいのところに住んで。っていうのはね、テレビとか出るとね、脅迫状とかももらうのね。で、女の世帯だと思うとね、やっぱりいろんな人が来るのね。そうそう。子供たちも、個室があった方がいいなっていう年になってきちゃったから。そこに住んで、その後いろんなことが起きて……うん、いろんなことが起きて、やめちゃうんだけどね。

 ──その頃のこと、知らなかったのでびっくりしました。

 いろいろあったんだけど。結局は、上の子が大学出ちゃって、なんかもう……こんなに苦労することないなって思っちゃったのよ。ほんとね、いろいろ、いろいろ越えてきたんだけど。リーマンショックとかもあって、もうそれもさ、いろいろ越えてきたの、ちゃんと。だけど、もう無理って思って。「いい思い出になるうちにやめよう」と思っちゃって。
 やめて、店閉めちゃって。そっから、いろんな仕事して。コンサルとか。正社員もやったし。うん、6年間ぐらい、いろいろやりましたね。でもね……会社員、大変。久しぶりだったけど、舐めてた。あのね、経費精算とか苦手なの。

 6年間は、やったけど……いまって、副業ブームみたいになってて。うん、許可取ればいいよ、みたいな会社だったのね。で、めちゃめちゃ副業やってたら、そっちの方がおもしろくなっちゃって。小さな会社のサポートみたいな方が、私には合っていて……「1千万を1億にしてください」っていうよりも、「10万円ぐらいしか売れないんですけど、どうしたらいいんですか」みたいな方が。で、いまはちっちゃい会社をいっぱいコンサルティングしてる感じ。7、8社やっていて。

 フリーランスになって週休4日の生活をしたいなと思ってたんだけど、ぜんぜんもう、めっちゃ忙しいです。でもいまのところは、そうやってお声がかかる間は、一生懸命やろうかなと思って。そう、なんか前の彼のこととか……定年が怖くなりましたよ。

 ──あの、ええと……お勤めだったんですもんね。彼氏。

 クビになったっぽいんですけど(笑)。でもなんか、その前から様子がおかしかったのね。「退職プログラム」みたいなのに入ってから、おかしくて。退職勧告はしないんだけど、「退職するっていう生き方もあるよ?」みたいな。なんか、人事が誘導する……それに入っちゃって。そっから、表情おかしかったね。で、やっぱり私も考えるようになりましたよね。60歳で、例えばコンサルを始めますってなったら、ちょっと遅いのかもしれないなって。

 ──彼氏の、表情を見て。

 そう。私も定年したら、そういう焦りに耐えられんかもしれん、と思った。
 
 いつも自分で選択してきたんですよ。会社をやめるときもそうだし。それから、店をたたむときもそうだし。定年って、選ばせてもらえないじゃないですか。自分で選べないっていうのが、なにより辛くなると思った。「まだまだ続けたいのに、この日が来ちゃったから」って、辛いなと思ったから。

 私、場当たり的に人生歩んできたから、なんていうの……あの、貯蓄とかもそんなにないわけですよ、生々しい話。もう実家に帰っちゃえばいいんだけど。なんか、それってすごい……不安にしかならないと思う。この先の老後の不安みたいなのが、めっちゃいま……子育てが終わって学費が終わった途端に、そっちがすごいですね。

「いつか思い出にしてやる」って。「いつか表門から入ってやる」

 私ね、店をやめるときに、会社の債務を個人で保証してたから。個人で、破産しなきゃいけないのね。不動産も借りられないし、クレジットカードもつくれないし、みたいな。で、いまやっとそれが終わったところなのね。何年……5年ぐらいかな。それで、いきなりさ……次男が私立の、N高みたいな学校に転学。通信といえどもさ、私立だから結構お金かかるのね。入学金から、かかっちゃう。そんとき、お金なくて。

 1年間……1年半か。出版社のウェブサイトの、なんかこう、マネジメントみたいなのをやってたの。運用とか管理とかを、業務委託で。で、夏休みとか春休みとかって、日給でもらってるからお金なくなっちゃうのね。ゴールデンウィークとか、お正月とか。「1日いくら」みたいな感じでもらってるから。やばい、お金がなーいと思って。で、そのときは実家にいたから。お正月とゴールデンウィークとか、お盆休みとかは、千葉県の鴨川に行って仲居をやってたの! つい5年ぐらい前(笑)。

 ──はあ〜!

 そうなんですよ。めっちゃ楽しかったです。うふふふふ。絶対、誰にも会わないと思って。仲居さんってさ……4時ぐらいに起きるのよ。朝の4時に起きるんです。まだ真っ暗で、すっごい寒くて。お正月は、寒いのよ。めっちゃ暗いの。ここにさ、ホテルがあって、海があって。で、従業員棟がここにあるの。歩いて行って。で、朝食バイキングの用意をするの。6時半に始まるのね。

 ──元社長さんなのに!(笑)

 うん、もう、本当に(笑)。……でも、楽しかった。休みの日は、住み込みでやって。そうそう、住み込みでやると1日2万円くらいになる。

 ──休みの期間には、そこに泊まって。で、他は……。

 出版社で働いて。で、土日は京王プラザホテルでやってたの。同じ、朝食バイキングの仕事を。返せるところには、借金も返さなきゃいけなかったから。そうだね、そんときに、折口さんって……グッドウィルやコムスンの社長だった人の、コムスン潰す前の、すごい辛かった話を書いた本があるのね? あれを思い出して。それから、矢沢永吉の『成りあがり』も思い出して。「いつか思い出にしてやる」って。「いつか表門から入ってやる」と思った、このホテル(笑)。で、何回も行ってる。そうそう、親も連れていったし。子供たちもね。

 ──「いつか思い出にしてやる」。

 語ると、いろいろあったなと思うよね、改めて。「いつか思い出にしてやる」っていちばん最初に思ったのが、お産で。産んでるときに……あの、お産の話って、みんなすごいドラマチックで面白くないですか? 直後の人に話聞くの大好きなんですけど、私もやっぱり、ドラマがあって。本当に痛かったんですけど、何時間か経ったらこれ思い出になるんだ! と思って、それが、なんかちょっと楽しかったんですよね。

 ──それ以来なんですか。

 そうですね。本当に辛いとき、これが思い出になると思ってやってる。最近は……このまえ失恋したのが辛かった。なんでこんな? 私は、穏やかな毎日を送りたいのに。毎日ほんと、ジャムとかつくって生きていたいのに。なんでこんな、いろいろなことが起きるんだろうと思って。男の人のせいで私の穏やかな人生はボロボロになるから、もう関わりたくないと思って。あの、男の人と深く関わるの、しばらくやめとこうかなって。

 ──しばらく?

 しばらくです。ぜんぜん関わらないってわけにはいかないですよね。

 そうですね……仲居さんの経験も、全部合わせても20日ぐらいしかやってないんですけど。一生、語れちゃうじゃないですか。だいたいみんな、足腰おかしかったよ。長くやってる人はさ、夜もやるから。宴会場にビールを持ってきたりとかするでしょ。で、立ったり座ったり立ったり座ったり。歩き方とかおかしかった。長くやっちゃいけない仕事なんだろうなと思った。

 大学生の子が来てたんだよね。やっぱり夏休みで。なんか母親とそりが合わなくて、その子も。すごい、逞しい女の子だったんですね。……とか、出会いがあったり。あと、本当に家出してきた主婦とか。おもしろかったですよ。事情、聞いちゃいけなさそうな人とか。

 ──「4階の奥さん」を思い出します。

 そうですそうです。4階から飛び出して、旦那さんが迎えにきたりして。おもしろかった。足腰痛くなっちゃったらあれだから、もうやんないけど。あといまクライアントさんいっぱいいるから、残念ながらできないけど。

 ……そう、駒沢は、いろんな人が住んでるなって思いますね。思ったのが……あのね、深沢不動っていうところに「牛角」があったの、昔。家族でよく行ってたのね、まだ結婚してる頃。「牛角」に家族で行くと、必ず幼稚園とか小学校の、同級生の子供たちに会った。

 でね、ちょっとお金が入ったときに両親が来て「叙々苑」……駒沢公園の前の「叙々苑」に行ったんだけど。誰にも、知り合いに会わなかった。「え? 6階に来ちゃったかな、今日?」って感じ。「牛角」は4階……2階から4階、みたいな感じ。「叙々苑」は6階から上、みたいな感じですね。会ったことない人がいて。私も6階に行きたい、と思っちゃった。

私の中で、ちゃんとエスカレーターとか階段が見えるようになったのかもしれない

 ──「6階に行きたい」!

 思っちゃった(笑)。そういうことって、起業してから、たまにあるんですよ。「一人ぼっちじゃないかな?」みたいな。場違いに思うことって、たまにあったんですよね。専業主婦から起業してるじゃないですか。だからなんか、馴染めるようになりたいなって思っちゃったり。何回も行って、だんだん売り上げが上がってきて、喋ってくれる人が増えるようになって……というのが、30代ぐらいのとき。そういう、なんかちょっとイケイケみたいなところはあったかも(笑)。いやー。あったかもあったかも。で、頑張っちゃったかも。

 頑張ったけど、やっぱね、エンストこいちゃったかな。ちょっとやっぱり、いろいろ大変だった。でもなんか戻れたような気がする、最近。だいぶ戻れた。仲居さんもやっちゃったりしたけど、戻れた。

 ──「戻れた」っていうのは……起点は?

 どうなんだろうね。難しい問題ですね。自分が、どこが起点だと思ってるのかも、よくわからないですね。なんだろうな、なんか……私の中で、ちゃんとエスカレーターとか階段が見えるようになったのかもしれないな。あっち行ったりこっち行ったり、平気でできるように。

 「多摩センター4階」で、この階しかないと思ってた頃は……世界中ここしかないって思ってたんだけど。実はいっぱい階段があって、2階の人と8階の人も仲良くしてたし。うん、そういうカースト的なことって、あるようでなかったの。

 意外と私なんか、6階ぐらいまで行けたような気がするんだけど。仲居さんになったら、もう2階みたいなところにも行けちゃったし。でも、行ったけど、友達になってくれたし。……またこっちの階に戻れて、お客さんとして正面玄関から行っても、みんな仲良くしてくれたし。

 多摩センターに住んでたときって、上に行っても下に行っても、危険! みたいな感じだったんだけど、ぜんぜん、危険じゃなくて。2階に行ったら2階でも仲よくしてもらうし、8階に行ったら8階でも仲よくしてくれるし。自分の中で制限してたけど、そんな制限することも……「頑張らなきゃ」みたいなのも、別になくて。そこで別に、人格が決まるわけでもないし。なんて言ったらいいかわからないけど、お金だったり……いろいろ、学歴とか資格とか、いろいろあると思うけど。

 ──息子さんの学校のお話も出ました。

 そう。仲居さんをやったのは、もう一つ理由があって……通信高校って、辞めちゃうじゃないですか。結構、辞めちゃう子が多いんですよ。で、「お母さんが仲居さんやりながら頑張ってお金貯めて」っていったら、辞めづらいだろうなって思ったんだ。

 実家に住んでるわけだから、そこまでお金ないってわけじゃなかったんだけど。ちょっと、ドラマにしちゃった。仕立てた。したらやっぱりね、辞めなかったよ。3年生の5月に全部単位取って、「天下一品」でバイト始めて。100万ぐらい貯まったときにプログラミングスクールに行き始めて。で、そこで出会った人たちと起業したの。

 ──じゃあ、ご自身でお金、貯めて。

 やろうと思って自分で興味があることは頑張るタイプなんだな、と思った。興味があることはさ、若いから、あのエネルギーでぶつかってくじゃないですか。あの熱いエネルギーみたいなのって、ちょっとなかなか出てこないな。もう、なかなかこう、エンジンかからんよ。

 いまは若い人にね、頑張るように……こう、焚きつけられるのが嬉しいかな。焚きつけるっていうか……仕事って楽しいとか教えていくとか、やる気にさせるとか。そういうことが楽しいですね。

 街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
 「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
 
 「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。

 まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。

 メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
 結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。

 話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
 話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
 音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。

 届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
 もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
 最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。

 併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
 本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
 挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。

 ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
 オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。

 私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
 そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。

 ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
 他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。

 私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
 駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。

西村佳哲(2025年7月31日)

駒沢の生活史[31話]

2025年5月1日 発行 初版

発行:駒沢こもれびプロジェクト

「今日の駒沢」
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