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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。
第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
みたいな話があったみたい
第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)
第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
人生のあと残った時間を費やすっていうのが
第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)
第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
そのとき初めて、ものすごい実感した
第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
みたいな(笑)
第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから
第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)
第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
そこをちゃんと見極めてたのは偉いと
第10話 どうなんですかね?
結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです
第11話 まかない食い放題!
生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの
第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
じゃあ、○円くださいって言って(笑)
第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか
第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない
第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね
第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
それが「あなたが社長ですから、
これ、サインしてください」って、突然
第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど
第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね
第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね
第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
お客さんって、すごいなとずっと思ってた
第21話 朝来た瞬間から、
自分でやりたいことを自己決定していくっていう
第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの
第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)
第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
「なんかあんまり」って思ってたけど
第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ
第26話 仕事してるとき、
自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)
第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな
第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから
第29話 塾すら近所だからさ、
全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの
第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです
第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか
第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう
第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
けど、それ以来ずっとこの界隈で
第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
駒沢でオープン
第35話 山梨の人は東京に出ると
中央線沿線に住む人が多いんですけど、
高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて
第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
頼れるのは家族みたいなのはあったのかも
第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた
第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ
第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって
第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
落ちたけど、コーヒーは飲みます
第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
声かけられて、そういうのなんか憧れるよね
第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは
第43話 …どっからか来てるのかな。
常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね
第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
後ろから人生を逆算してるから
第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)
第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです
第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど
第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
おっしゃって。「どうしよう」って(笑)
第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)
第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
ことが尊いともあんまり思ってないんですけど
第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね
第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
過ごしています
第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)
話し手 40代男性
聞き手 尾崎博一
昨日ね、超余談ですけど。僕、占いとか信じてないんですけど。あ、存在は信じてるんですけど。自分には必要ないと思って。考えるのが好きで人に尋ねるのはもったいないと思ってるタイプだから。
でも、人として信頼できる友人が、手を観れる人を連れてきてくれて、「もうめっちゃ思考の人だ」って言われて。
──はい。
「めんどくさい」とも言われて、やっぱ気持ちよかったんですよ。嫌じゃなくって、やっぱそうだよねって思ったんですよね。ずっと思考してるのを自覚はあったんだけど、そういう人にそういう方面から言われたときに、まあ結構スッキリしたっていうか。
僕は人を信用しないんですよ、はっきり言っちゃうと。でも、信用してないんじゃなくて、自分を信用してるだけなんですよ。自分を信用してるから、あんまり人を必要としてなくって、考えたり悩んだりすることに対して、全部自分で自己決定をしてしまうので。
要は他人に依存しないっていう意味では、他人を信用してない。
──決定できるし、決定したいみたいな。
そうなんですよね。そういうカルマみたいなのを自分でつくり込んじゃってるから。でも、それがある種自分の人生とか人間関係にも影響が出てるなみたいなのをセッションで言われてないけど、自己反省のようなもので思いついたっていうか。だからいまこうなってるね、僕。っていうのを思いました。
──それはもう、物心ついた頃からそういう性質なんですか。
そうですね、それはもう、疑いもなくそうです。
一応ね、環境依存だと思ってたんですよ。僕、父親がいなくて、死別なんですけど、4歳だったんですね。兄が5歳で年子。母親は専業主婦だったんだけど、父が他界してから急に金稼がなきゃいけないみたいなサバイバルゲームになって。育児放棄じゃないんですよ。でも働かなきゃいけないから、僕らは犠牲にはなってないんですけど。
ある種放置されるじゃないですか。家に帰っても自分で鍵で帰ってくるみたいな感じで。
自分で遊びをつくんなきゃいけないんだなっていうのを後に学んでいくんですよ。隣のあいつんちにはファミコンがあるんだけど、うちにはファミコンが落ちてこないんだっていうのをなんか知ってくわけですよ。状況的に。
で、そこで昔の僕を褒めたいのは、不満を言っていじけたりとか、そういうんじゃないってことですね。腹くくって幼いなりに状況を把握してファミコンは落ちてこないんだと思ったらファミコンではないなにかをやるしかないんだなって勝手に思い込んで、遊びをつくったりし始めたんですよね。
それがいちばんアクセスがしやすいのは、頭の中で妄想とか考えるとかの訓練にそっからなり始めたんじゃないかなって思ってて。かつ、そんな環境だから、あまり親になにかを相談するっていうのも人ほどやってなくって。で、自分で決めていくんですね。
自分で学んでっていうよりは、自分で「あ、そういうもんなんですね、この世界は」。
だから選んでんのか選んでないのかっていうと、選ばされてると思ったんですけど。
(占いの)話に戻すと、「最初から最後までそういう人です」って言われたんです。
ずっと現世ではっていう限定をつけられましたけど、「最初から最後まで『思考の人です』」と。
──すごいですね。言い切られるんですね。
言われましたね。なんか、まあ気持ちは良かったですね。ああ、そうだねって思いました。ずっとやってること変わってない。動かしてる手の先は変わってますけど、やってることは一緒で。
あの、村上春樹、読みます? 村上春樹の「国境の南、太陽の西」って物語があって。
その中で、一人っ子のハジメさんという人がジャズバーを始めるんです。青山で。都会的なジャズバーを。で、そのうち飽きちゃうんですけどで、それを彼が「空中庭園」っていう言葉を使って、「僕の空中庭園は終わってしまった」みたいな。一生懸命その、「僕が築き上げたジャズバー」がですね、「もう僕の中で情熱が失われた」みたいな表現が出てきて。
その本は小説なんですけど、ビジネス書のように僕の中では捉えていて。
村上春樹もジャズバーをかつて実際経営していて、主人公と同じような状況にあり、それを例えば恋人のような人に人の雇い方を語ってみたり、美味しいカクテルってどういうものかっていうのを語ってみたりするんですよ。
それがいまで言うほぼ経営哲学みたいな話なんです。美とはなにか、みたいな。例えば美味しいとはなにか。みたいなのを、すごくなんか芯を食った語り方をしていて。
だから僕の中では例えば僕は本屋をやってるとしたら、美味しいカクテルとはなにか、みたいなのを面白い本とはなにか、みたいなのに例えると結構ハマるなとかってそういう風に読んでたんですよ。
結構僕はそれこそ空中庭園のように、いろんな妄想をしながら、試行錯誤ああではないか、こうではないかっていうのをずーっと続けて遊んでるっていう。
空中庭園っていうのは、自分の頭の中のお城をずっと磨いたり増築したりデコレーションしたりしているような作業で。そんなのがいちばん面白い。
──空中庭園っていうことばを発したとき、いい表情でしたね。
あ、本当ですか。楽しいんすよ。
で、僕が好きな人たちってみんなその空中庭園持ってるんですよ。なんとなく「ああ、この人は空中庭園持ってるな」みたいなのが共通項としてある。単純に言うと「好きなものがある」ってことなんだけど、ちょっと違うんです。空中庭園があるって、それを自分の場所で自分のものにして、それを自分のためにやっている。
僕はその(村上春樹の登場人物の)めんどくささが、自分のめんどくささとたぶん似すぎてて、わかるっていうか、わかってはいないのかもしんないですけど、そういう風に考えてる自分をあちらに見ちゃったんですよね。物語の中に、自分だったらこうやるみたいなことが、もうすでにそこに存在してたから。もう10代で読んじゃったんで、探しに行っちゃうところがある。
イマジナリーなメンターっていうか、それが固有の人じゃなくて村上春樹の本に出てくる主人公的な人物がメンターみたいになってる。
ほとんど読めるものは読んだんじゃないですかね。暇だったんで図書館とか行って。すごかったですね。いちばん自分が変わったんじゃないですかね、語彙も増えるし変わるし。パソコンでいうとなんか違うOSをインストールするぐらいだったと思うんですよね。
RPGだと思ってるんで。人生って。
──クリアはあるんですか?
ステージチェンジはあるんじゃないですかね。
クリアは、まあ、あるとしたら終了ですよね、たぶん。
だからロールプレイングゲームのクリアとは違いますけど。エンディングがというか。
でも、たぶんエンドロール見れないやつなんだろうなっていう風に。そう思ってますかね。うん。これ、答えを持っているわけじゃなくて、いま思いつきで喋ってます。
僕、思考の話しましたけど。客体が強いっていうか、客観視が強いっていうか、この主眼であんまり生きてないんです。
RPGのスクロール。自分が、自分の背中なのか、自分の頭頂部なのかを見てるのが主眼に近いので、そういうRPGっぽくなってるかもしれないですね。
そのメインチャンネルがこっちで、サブチャンネルがこっちって感じ。なんでなんだろうな。こっち(主観)の方がダイナミックじゃないですか。当たり前だけど。でもこっち(客観)を選んでるんでしょうね。
──これは幼少期のさっきお話いただいたところに通じるんですかね。
も、ある気がしますね。ちょっと安全のために俯瞰、客観してるってとこもあるかもしれない。外敵の存在を。けっこう子供のときから悪く言えばかっこつけで、よく言えばちゃんとしてたから。
クラスに40人いたら、自分はどこに座っているかということをなんとなく認知して、誰があそこにいてなにか喋るやつとか、ずっと黙ってるやつとか、なんか面白いことを常にしようとしてるやつとか、登場人物がいてけっこう自覚してたんですよ。
クラスの場合はけっこう自己防衛が強くて。サッカーやったときに自己防衛じゃない方法を見つけたっていうか、自分が活躍できる方法として生かせる。目の前でワークしていくから。実践ができたのがすごい面白かったですね。立体的に認知するのが向いてたのか、面白かったのか。それが空気読む、とも繋がっていく気がしますし。
もうこんな雰囲気だよね。だったらこうしたら上がるし、ああしたらこうなるから、どっちがいい。いや、じゃあこうでしょ、ほらこうだった。みたいなのができていた気がします。
──できたし、得意なんですね。
得意なんじゃないですかね。誰とも争うつもりはないですけど、うまくできる気がするかな。
──高校の中の教室のRPGだったのが、村上春樹に出会って、自分で決められるっていう風に気づいて感じですか
はい。うん、自分で決められることは知ってた。
なんかね、自信あったんですよね。自信がついたのはもうちょっと後なんですけどね。20代後半ぐらいで気づいたっていうか。あ、僕、間違えないね、みたいな自信みたいなものが。
──急に、わかった?
すごい下品なことを言うと、小学校のときってみんな馬鹿だなと思ってたんですよ。なんでみんなわかんないんだろうって思って。これしたらダサい。ほらダサいじゃん。なんでわかんないの。とか、あれしたら怒られる。ほら怒られた。なんでわかんないの。とか。ていうのが結構目の前で起こってて。その場の空気っていうのを察してたからっていうのもたぶんあるんでしょうね。
で、だんだん社会に出たりとかしていくうちで、人が評価したり評価しなかったりする中でも、良くないことですけど正解を見つけるのうまかったんですよ。
いまこの行動した方がいいな、いまあそこ、あれがないから持ってったら喜ばれるとかがまあまあ努力せずにできてたんで、その辺りから結構見えてるね、君は。って。自己評価が始まってった気がします。
なんか自慢の話になってません? 大丈夫ですか。
──大丈夫です。
へへへ(笑)。
──きっぱりというか、はっきりしてるんだなっていうのをちょっと羨ましく思って聞いてます。
はっきりしましたね。それはどっからかなあ。でもそれがすごい気持ちよくって。これでいいんだって思ったんですよ。その辺りから。
自己肯定感みたいな言葉がいまあるけど、そこで自己肯定感みたいなのが結構チャージっていうか、充電100%みたいな感じになった感覚はあるかもしれない。
いわゆるこう、メインストリームを歩いたことがないんで、人生で。大学受験もしてないし。大学行ってないから、そういう就活もしてないし。
で、そのまま路頭に迷ったっていうか、ドロップアウトしたんで。
ずっと旅してたんすよ。人が大学行ってるときに。でも一生この旅をしてるわけにはいかないんだなっていうのに気づいて。
面白いのがそういう旅ってそれこそ昔の言い方で言うと、自分探しとか、あるいはいかに金を使わずにその街に居続けるかみたいな人しかいないから暇なんですよね。暇なんで喋るじゃないですか。
そしたら、まあ、僕がそういう旅をしてた頃って、出会う人たちって大学休学してる人とか、あるいは仕事を一回辞めた人とかっていう人が多かったんですよ。出会う人、いろんな国の人たちでも話すのってだいたい仕事の話なんですよね。
仕事の話か人生の話しか暇な奴はしないっていうのに気がついて。僕、高校出てすぐそういうステージに行っちゃったから、その話の引き出しがないんですよ。「仕事とは」もわかってないし「人生とは」もわかってない。自分が話そうと思ったら、なんも出てこないなってっていう感覚になり「働こう」って思ったんです。
働きたくなったのは、話すことができるかもっていう、基本なんかネタ集めが動機っちゃあ動機なんですよ。
──ネタが集まりそうっていう感覚で選ぶ。
そう、だから東京でしょって思って。高校を出たのは鹿児島県なんですけど、働くならもう東京一択だったんで。目的は「東京で働く!」みたいな感じで東京に来ました。でもぜんぜん、なにをするのも2年も続かないみたいなジョブホッパーしてましたね。
──広告の仕事もされてたんですよね。
してましたね。グラフィックデザイン事務所みたいなところにいたり、映像の制作会社みたいなとこにもいたりしてましたね。
最初はグラフィックデザインをやりたかったんです。面白そうなことをホッピングしてて。でも気が付いたらそういうのを経験してたから、自分がやってきたことをかき集めて、広告。当時一人広告代理店って言い方をしてたんですけど、割と色々できたから。いまはそういう人多いけど。僕がやり始めた頃って割と専門に振るのが当たり前なんですけど、僕はあれこれできたから、おっきい企業のクライアントとかじゃなくて、町場の飲食店とかショップとかの予算感の仕事なら取れるだろうなと思って。広告といっても、看板もつくれば新聞の折り込みもつくるみたいなのをやって独立したんです。
──ああ。東京っぽいですね。
そう、東京。でも東京っぽいの好きなんですよね。どうやら。あの薄っぺら感、軽い感じ。
──村上春樹の東京っぽい……。
ですね。まあ彼の場合はもう兵庫を抹消してますからね。いまはそうでもない。兵庫出身、神戸、神戸高校ですよね、確かね。それこそノルウェイの森がそのままで。神戸の高校を出て、高校時代の思い出を抹消するために東京の大学へ出てくるみたいな設定で。
(僕も)高校ぐらいのときはもう東京に憧れすぎてる。憧れすぎて原宿の地図が頭の中に入ってる。竹下通り渡ったらムラサキスポーツがあって、その裏にはどうやら裏原宿という場所があるらしい(笑)。初めて高校2年ぐらいのときに原宿行ったときに、当時はそんな語彙もないですけど、「邂逅」って言葉あるじゃないですか。なんか会いたかったものとの機会を果たすみたいな。本当に竹下通りを抜けてムラサキスポーツから先の道に入ったときに、こう、謎の高揚感がありましたね。「いまいる!!!」みたいな。
いまはグーグルマップとかありますけど、当時はなくって妄想の世界が現実世界で上書きされる。平面で見てた写真のここをちゃんと見る(笑)。「ここ、こうなってたんだ!」みたいなのをすごく覚えてます。
(占い師が)僕の手を観てくれたときに、
「手はすごいウェルカムなんですけど。ドアをすぐ開けてくれたんです。でも、ドア開けてくれたんだけど、そっからなにしていいかわかんないです」って言われて。
で、どういうことかっていうと、いろんな表現あったんですけど、最初に言ってくれたのは、わたしの手を部屋だとすると入口は開放的ですごくベリーウェルカムだったんですって。で、呼んだら「はい」って答えるんですって。向こうでドア開けてるんですよ。でも、ここに行けないと。
最初はきょとんとしたけど、どんどん説明されていくうちに、あ、そうなんですね。そうだなっていう。一旦。承知しましたね。
──へえ。
なにが言いたかったっていうと、僕の空中庭園もたぶんそうだと思います。お庭も。だから、ややこしいんです。
自分で言うのもなんなんですが、一筋縄じゃないのかもしれない。どんな庭なんだろうってちょっと考えてみましたよ。自分の庭。その立て付けのややこしさみたいな。距離は遠くなく、そこにいるのに。
──そこから案内もしてもらえない。
(笑)そう、問われたら答えてるんだから。
それも、答える側も答えようとしているわけだから…。
──もうすでにそこは、だいぶウェルカム。
そう、でも、自分語りをしない、みたいな。
「いや、実はさ」みたいな「いや、こういうのでマジで悩んでて」みたいなことを一切本当にしないんで。冗談レベルでしないんで。それが極端ですよっていうことなんですね。「なに悩んでる?」って聞かれたら答えるかもしんないけど、「実はこれで悩んでるんです」って、こう、先行しない。後攻はする。
そういう風に思ったことなかったんですけど、話しながらいま整理がつきました。
──その空中庭園の中にもう一つのお家、山梨はある感じですか。別の空中庭園があるんですか?
もうそれは枯れちゃったかもしんないです。
気が移ってますね。この1、2年でずっと「やる気のない物件探し」っていうのをやってて。月に1、2本を千葉とか栃木とか群馬とかぐらいの物件探しをしてて。目標がないんですよ。こういうお店をしたいって決めてるわけじゃなくて、ただ物件を見に行ってる感じで。
見て、「ああ、ここだったらこういうのできるな」みたいなのを結構やってるんですよね。
要は、なんかもう本当、動機で言う最初の上澄みみたいな。
なんか新しいことを起こしたいみたいな。でもなにか決まっているわけじゃない。なにをしようではなく街と場所とを見て、自分がなにを思いつくんだろう? みたいなのをやってる。
でもなんか楽しいんですよ。それも空中庭園的行為で、街に行って場所を見て、ここでこういうことをやったら楽しいなとか、じゃあここにこういう棚をつくろうとか、カフェやったらいいかもねとかっていうのがたぶんたのしくて。で、物件行ったら、街の評判のいいカフェに行ったりとかして、「あ、こういう人来てんだ」ていうのを想像して楽しむっていう形を続けて。
いまちょっと話しながら整理したのは、やるまでがいちばん楽しいと思っちゃってるのかなー。
だからたぶん、要はつくる。どんな車がいいか、何色がいいか、棚はどう造作しようか、どういう本を並べようか、どういう屋号にしようかっていう、その過程がいちばん僕はおいしいんでしょうね。こんなこと言ったら語弊がありますけど、いちばんおいしいとこがたぶんそこで、そっからは業務になっちゃってるのかな。
形になってくるじゃないですか。自分のつけた名前を人が口にしてくれたりするとかって結構感動的じゃないですか。
それこそ自分のかけた音楽を誰かがいいと思ってくれるとかって、すごいじゃないですか。それを考えると、やっぱ楽しいんですよね。なんか、あたらしいことをやりたい。すごい簡単なことを言うと、ただ、なにかあたらしいことをやりたいんだ。そしておそらく定期的にやりたいんだと思います。
そうだ、ちょっとセラピー的にいまわかりました。なにかをやりたい。
──空中庭園、少し見させてもらえた気がします。
そういうワークショップがあってもいいかもしれない。
心療内科の話。箱庭療法。あれはどちらかというと自分がなにを思ってるか、あるいはなにに傷ついてるかを知るための行為だと思うんですけど、そのメソッドを心の療養じゃなくも使える。自己認知とかに使えそうだなっていうのを思いましたね。
──「あなたの空中庭園を話してください」みたいな感じですか。
そう。それがそのまま「あなたは誰ですか。」みたいな話にもできそうだなって。
あとは仮に自分がガーデナーだったらどの行為が楽しいか。みたいなのも面白いですよね。
──うんうんうんうん。
要はそうですね。道具選びを楽しむ人もいればひたすら更地にするのがたのしいって人もいるかもしれないし。
──確かに。そういう意味では空中庭園を育てるのも好きだけど、違う知らない土地を見つけに行ってる人なんですね。
そうっすね。
──ただつくっていくのとは違う。
異なる空中庭園なのか、異なるゾーンなのかわかんないんですけども。
開拓がなんか好きな気がしますね。
──自分の愛する空中庭園を持ちつつ。
すごい贅沢。ってか欲深いですね。
──いいですね。
うん、そうかもしんない。
──それがどこかに。どこかわかんないけど、探してるのもたのしいし。
はい。
──「見つけた!」って言ってちょっとつくっていくのもめっちゃ楽しいし。
はい。
──それは仕事なんですかね? 遊びなんですかね?
遊びじゃないですか。遊びだと思います。なにも考えてないですそのときって。
例えばお金とか時間とか考えてないです。お金があるってわけじゃないんですけど、もっと違うことを優先してる気がしますね。当然お金がなきゃできないことはもちろんあるんですけど、人力でできるのは人力でしようよとかって改善していくだろうし、お金とかで妥協することはたぶんないという。気持ちとかを優先する、かな。
また占いの話なんですけど言われて気持ちよくて嬉しかったのが、「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた。どういうこと? ってなるじゃないですか。
「ものすごい美味しいクリームをつくれるし、つくることが好きな人で、それは例えばクリームソーダみたいな話で。お好み焼きでもいいし、なんでもいいんです」って。で、「『はい、クリームソーダです』って出して去ってく人なんです。『美味しかったですか?』も尋ねないし、『ありがとうございます』って言われたら、『また来てくださいね』も言わない人です」って言われて、最後にこう言語化された。
(携帯のメモを探して)
「………ハッピーエンドを繰り返す人」
──なんかそこ、2つが繋がんなかったです。
ええっと、クリームソーダを出すことで人に喜ばれるのをひたすらやってるっていうことらしいです。リアクションとかはまったくいらない。
──うんうん。腑に落ちました?
落ちました。けっこうセッションして落ちました。うん。
でもそれってさっきの話で言うと、考えるのが好き、つくるのが好きの話と繋がってきて、どうやったら美味しいクリームになるんだろう。本当に緑だろうかとか、チェリー以外になにがあるかとかを考えるのが好きで。
で、考えてつくって、ちゃんと試作もするし試食もするから、もう自信持ってるんですよ。美味しかった? って聞く必要がない。たぶんね。
──知ってるから。
そう、美味しいんだって。だから別に気に入らなくてもいいし、まずいって言われたら「まあそう」みたいな感じなんです。
で、確かにってなってましたね。
──それが「ハッピーエンドを繰り返す」。めっちゃいいですね、その言葉。
メモりましたね。
──ゆかいですね。
ゆかいですよね。そうなんですよ。なんかで使おうと思ってましたから。
「ハッピーエンドを繰り返す」
街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。
まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。
メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。
話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。
届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。
併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。
ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。
私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。
ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。
私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。
西村佳哲(2025年7月31日)
2026年5月1日 発行 初版
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