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駒沢の生活史[39話]

駒沢こもれびプロジェクト




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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。

駒沢の生活史


第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
    みたいな話があったみたい

第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
    人生のあと残った時間を費やすっていうのが

第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
    駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)

第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
    そのとき初めて、ものすごい実感した

第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
    みたいな(笑)

第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから

第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
    そこをちゃんと見極めてたのは偉いと

第10話 どうなんですかね?
     結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです

第11話 まかない食い放題!
     生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
     じゃあ、○円くださいって言って(笑)

第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
     親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか

第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
     ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない

第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね

第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
     それが「あなたが社長ですから、
     これ、サインしてください」って、突然

第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど

第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね

第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね


第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
     お客さんって、すごいなとずっと思ってた

第21話 朝来た瞬間から、
     自分でやりたいことを自己決定していくっていう

第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)

第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
     「なんかあんまり」って思ってたけど


第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
     あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ

第26話 仕事してるとき、
     自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)

第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな

第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから

第29話 塾すら近所だからさ、
     全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの


第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
     私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
     「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
     プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう

第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
     けど、それ以来ずっとこの界隈で

第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
     駒沢でオープン

第35話 山梨の人は東京に出ると
     中央線沿線に住む人が多いんですけど、
     高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて

第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
     頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
     大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
     落ちたけど、コーヒーは飲みます

第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
     声かけられて、そういうのなんか憧れるよね

第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは

第43話 …どっからか来てるのかな。
     常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね

第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
     後ろから人生を逆算してるから

第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
     いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)

第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
     そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです

第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
     あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
     おっしゃって。「どうしよう」って(笑)

第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)

第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
     ことが尊いともあんまり思ってないんですけど

第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね

第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
     本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
     過ごしています

第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)


















「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

話し手  50代女性
聞き手  伊賀原純子

 ──お生まれはどちらですか?

 生まれは、千代田区の小川町っていうところなんです。
 神保町の隣の町で、お茶の水の坂の下あたりに住んでいたんですけれど。そこで、7年ぐらい住んで、小学校1年までいて。
 中野区に引っ越したんですけど、「絶対にこの小学校に通い続けたい」と言って千代田区の小学校にずっと通ったんですよ。

 ──1年生になってお友達もできたし、というのがあったんですか。

 実は幼稚園からずっと、その区立の幼稚園で。
友達もいたし、あとなんかもう子ども心に好きで、その界隈が。
 「できれば中野区の学校行って」と言われたんですけれども。でも「絶対通うんだ」と言って通わせてもらって。
 そのあと中学も越境で普通に行けて、ずっと千代田区なんです。

 さすがに高校・大学はちょっと別だったんですけど。就職した会社が九段下にあって。また千代田区に戻るという(笑)。

 ──(笑)

 そこからまた会社が多摩センターに移ったんですけど、会社を辞めてフリーランスになったあと、その何年後かにニューヨークに行ったりして。
 ニューヨーク行って。同時多発テロがあって。

 ──そんなタイミングに。

 ええ、そんなタイミング。マンハッタンにいたんですけど。
 マンハッタン島の、もうずっと道がまっすぐ見えるんですけれど。ほんと、うわーって。煙は上がってるんだけれど。
 寮が「92nd Street Y」(セントラル・パーク東側にある建物)だったんですけど、建物の上の方はぜんぜんほんと綺麗な青空で。
 ある意味、誰も知らなければ知らない。同じマンハッタンにいても知らない人は知らないんじゃないかっていう。
 実際、テレビを観にロビーに下りていったら、おばあちゃんたちがまだトランプやってて。誰一人気づいてない、みたいな。

 なにが起こったのか最初わからなくて。ラジオ聞いてたら、ええ? ええ? ってなって。テレビ観に行ったら、おばあちゃんたちがトランプやっていて、あれ? ってなって。

 戒厳令っていうのがすぐ敷かれて。
 別れた旦那さんが遊びに来ていて。飛行機飛ばなくて、帰れなくなって。

 ──戒厳令が敷かれている街は、静かなんですか?

 静かだし。車も一台も通ってない。上をいつもは飛行機が普通に飛んでいるんです、マンハッタンって。
 でも、飛行機がまったく飛んでない。あと、装甲車みたいな車が街を走っていたり。いきなり、戦争ムードになってたから。

多重的な感じで見てるから、いまだけじゃなくて

 もう戦争。もう、ほんとに。
 なんか、私も心が折れたし。すごい好きだったんですよ。ワールドトレードセンタービルの象徴している、ニューヨークみたいのが。ニューヨークって、やっぱり懐の広い街だから。いろんな人種の人が楽しそうに。だから、なんで? ってなりましたよね。

 そうだ、炭素菌のテロとかも始まって。
 きっと皆さん忘れてると思うんですけど、日本の人は。

 ──はい。私あまりわかってないです。

 ですよね。炭素菌の届いた、なんか封筒に入って届いたオフィスが、ミッドタウンの移った寮のすぐそばにあったりして。それで「もうこれはいかん」と思って「帰ろう」と思って。帰ったんですけど。
 帰ったら、実家が千代田区に戻ってたんですよ。

 ──中野区だったご実家が?

 そう。だから、千代田区とすごく縁が深くて。私もずっと千代田区が好きで。

 やっぱり皇居ですね。
 あの皇居がね、いいんですよ。北の丸公園とかも大好きだし。あと、お濠が大きいですよね。たっぷり水がたゆたっている。じーーっと見ると、もうそれだけで、こう幸せがじわってなるっていうか。皇居1周すると、すごくいろんな歴史のスポットもあるし。

 ──歩いて、ですか?

 うん。いつも歩いて皇居。行けるとこは全部歩いて、隅から隅まで。
 歴史も調べて。桜田門は「桜田門外の変」で大老の井伊直弼が首を切られたわけですよ。その首を薩摩藩士が持って走った場所が、ここからここまでとか、私はそういうとこまで見ながら歩いてて。
 こう、多重的な感じで見てるから、いまだけじゃなくて。会津藩のお屋敷が近くにあったとか。そんな江戸城も、戊辰戦争以降は一時荒廃してくわけですよ。

 いまも街中に突然、石垣が残ってたりとかね。江戸城の。そういうのも、子どもの頃から何気なくその前を通ってきてたから、なんか刻まれちゃってるんですよねー。

 ──ご家族もずっと千代田区なんですか。

 そう。父もおばあちゃんも千代田区だから。父の姉と妹も、父も、私の兄も、私もみんな同じ小学校出て。
 ニューヨークから帰ってきて、離婚した出戻りだから実家に帰るわけですよ(笑)。

 同じ区でも前とは別の町なんですけど。そこから17年くらいそこに住んで、ずっと千代田区でもうこのまんま生きていこうと思っていたら、実家のマンションが建て替えをすることになり。
 選択肢は2つ。一回どっか移ってマンション建て替えられた後に戻ってくるか、もしくはリハウスしちゃうか。

 ──リハウスっていうのは、売っちゃう?

 うん。他のとこに移っちゃう。
 で、うちは、リハウスしちゃったんですよ。

 ──なんで世田谷だったんですか。

 うんとね、やっぱりこう、桜新町とか用賀とか、駅前の商店街はちょっと充実してるし、少し歩くと住みやすそうだし。
 あと、砧公園の森とかも、すごい素敵だなと思ってたんで。皇居の近くじゃなかったら、もう砧公園しかないと思って(笑)。結局、砧公園の近くには住まなかったですけど、紹介された3つの中で、3番目に行ったところが、すごい気に入って。それがいま住んでいるとこなんですけど。

 気に入ったけれども、「ちょっとこの辺り歩いてみていいですか」って言って。
 そしたら、もうね、世田谷線がかわいくって!

 ──(笑)

 「こんなかわいい電車が走っている場所ってあるんだ」って。たった2両の電車で。線路とかも、こうクイーンと、家と家の間をクイーンと曲がってて。もう「かわいい!」って。

高い木があると、人間ってすごい安心して暮らせるから

 さらに、商店街を歩いていたら。もうね、頭の奥がじーんとしびれるぐらい、こう、古い懐かしい感じのお店とかがあって。「なにここ??」って(笑)。歩いてみたら、ほんとにびっくりして。ほんとに素敵な商店街で。

 だから、すごい気に入ってるんですけど。住む場所としては。
 ただね、一つだけ無いものがあって。

 ──なんですか?

 砧公園とか駒沢公園とかはいいんですけど。その間に、お家しかないんですよ。
 高い木がほんとにないの。

 ほんとに全部家ばっかりにしちゃったんだなって。
 とにかくね、木が無いな。
 もう、自分をすっぽり包んでくれる木が無いな、っていう。 
 それがね、ちょっと寂しい。もう1個だけ言うなら、それです。

 ──住宅街だと、緑も多そうなイメージあるんですけれども。

 そうなんです。だから、背の低い木とかは、ちゃんと植わってるんですよ。
 素敵なお庭されている方もいるし。緑道もあるし。
 でね、高い木があると、人間ってすごい安心して暮らせるから。
 木の、木の下にすっぽり包まれて生きたら、人はどんなに幸せに生きられるかなって。思うんですけれども。

 ──木はどこかに見に行ったりするんですか?

 こことここの角を曲がったら、あの家はビワの木があるとか。そういうのをものすごい見てて。それぐらいもう木に飢えている(笑)。

 「ああ、あそこに高い木があるな」とか。
 とにかくね、木があったらもう行きます。木のところに。

 ──そこにもう何年でしたっけ。

 6年ですね。

 (少し沈黙)

 私、イラストの仕事を。もう28年やっているんですけど。
 会社員だった頃、編集者だったこともあって。イラストレーターになっても友達がね、編集者だから。割と恵まれていて。でも、一回、そのニューヨーク行く前に全部自分で切っちゃったんですね。

 ──え、なんでですか?

 なんかね、ニューヨーク行く前は色々あって。その、なんだろうな、恋愛とかもしていたんですけれども、一回それも区切りをつけたくて(笑)。

 ──(笑)

 とにかくオールクリアにしようと思って。仕事も一回全部切れちゃってもいいやって感じで行ったんですよ。
 戻ってきたらほんとになにもなくて。どうしよう、もう一回1からやり直しってなって(笑)。

 でも、そしたら読書普及のためのNPO法人を立ち上げるっていう人に会って。本屋さんをやっている人なんですけど、その人が書いた本が面白かったから、お店に行ってみたんです。
 そしたら、なんか「そういうの(NPO)やるんだけど、一緒にやらない?」って言われて。

 ──会ったばかりなのに(笑)。

 そう(笑)。それで、それをやったら、編集者さん、出版関係の方もほんとたくさん集まってきて。そこでまた仕事がもらえるようになって。

 なんかね、すごく恵まれてきたんですよね、ずっとね。だから、すごくそういうのありがたいなと思ってやってきたんですけど。
 いまね、またちょっと新しい段階に来ていて。

 ──はい。

 今年なんですけど。私のイラストレーター歴の中ですごい大きな変化が1個あって。
 なにかっていうと、もうね、めちゃくちゃ絵を描くのが楽しくてたまらないんです。

「あ、なんでも描けるな」って

 イラストレーターなりたての頃は、どんな仕事が来ても楽しくて。なんでも描くし、なんでもやってて。
 なんでも楽しかったのが、だんだん、だんだんと、こう、すごく自分がやりたいことみたいのが出てきて。

 今年ね、画材の銘柄を別の会社に変えたら、すごい描きやすくなって。

 ──どんな画材なんですか?

 パステル鉛筆っていう色鉛筆よりもっとソフトな、あとこう粉みたいな。だから、すごい発色はいいんですね。これを使って描いたら、すごく上手く、なんか上手くっていうか、上手くじゃないな。上手い下手関係なく、楽しく描けるようになって。

 なんか割ともう「1発描き」みたいな感じで絵日記を描くようになったんですね。子どもみたいな気持ちで描いているんです。

 いままでは、どこかでやっぱり「依頼に応えて描く」っていうのを第一にしてきたから。イラストレーターとして、当然のことだし。もちろん楽しんできたんだけど。
 なんかほんとに、自分で描きたい絵を描きたいように子供みたいな気持ちで描くっていう楽しみが、もういきなり今年ほんと、わんって入ってきて。

 ──何月ぐらいですか。

 6月くらいかな。今年1月ぐらいから、1日1枚絵を描くっていうのをずっとやっていて。でも、なんかそれができないときとかもあったんですけどなんとか続けていたのが6月ぐらいに突然こう「あ、なんでも描けるな」って。ほんと、その、画材ですよね。

 いままで描いていた絵って、それを1個描く。「美味しい食べ物とコーヒー」みたいな絵を描いていたわけで。そういうの、ブログの形でずっとやってきたんですけど。
 それが1枚の中に、いろんな気持ちと、いろんな絵を。こう、風景とか物とか。食べ物、人、いろんなもの、ガッて、こう全部入れて描くようになって。

 ──ええー、楽しい。

 めちゃくちゃ楽しいんですー。たぶん、イラストレーターとしてオーダーを受けると、やっぱり真面目な絵を描いちゃうんですよ。真面目な絵から外れたくても真面目になってしまうし、痛いほどどこかでいつも「あっ」てなっていたのが、今年そのタガみたいのが外れちゃって。

 仕事では、絵本も描いてたし、漫画とか、挿し絵とか、図解とか、なんでも描いてたんですよ。全部楽しかったんだけど、今年、仕事の絵を描くときと、自分の好きな絵を描くときの格差がもうあまりにも激しく、大きく、なんかギャップができちゃって(笑)。

 だからあまりにも好きになっちゃったんですね。いま。自由に、子どもみたいに絵日記を描くっていうのが。
 もういまの私、本当に楽しくてたまらない幸せな時間になっていて。失敗してもいいし、線が残っても気にしない。多少汚れててもいいっていうぐらいの。ほんとに自由に描いてるんですけど。

 ──はい。

 子どもの頃の自分が、いまの私を見たら「すごい、よかったね!」って、「その仕事してみたい!」っていうような、仕事できているなっていう思いがあって。

 子どもの頃は、なにになるかなんてわかんなかったんですけど、なんかたぶん、いま私がしてる仕事とか、描いてる絵とかを見たら、すごい喜んでくれそうだなっていうのが。なんか、すごい、しみじみと嬉しいですね。

 ──それは大きな出来事ですね。

 そうそう、大きな出来事ですよね。
 で、すっかり忘れてたんですけど、私、もう一つ仕事してて。

 家の中でイラスト描いてるの、辛くなっちゃった時期があって。それで外の仕事をちょっとやろうって思って。ドラッグストアに勤めたんです。
 そしたら、めちゃくちゃそれがまた肌に合う。

 ほんと、それまで接客業やったことなかったから。家でずっと、ずっとイラスト描いてた人が、できるのかな? って思ってたんですけど。やってみたらもう「これ絶対私好き!」と思って。

常に耳を澄ましていればいいんだな

 ──どういうところが合ってたんですかね。

 やっぱり、まずお客さんとのやり取りが楽しいです。
 私、お客さんと話すの、大好きで。

 勤めているドラッグストアが、ビジネス街なんで。朝ね、シリアルバーとドリンクをばって出して、物も言わずにPASMOをピってやってすぐ行く、みたいな人がいっぱいいるところに勤めてて。ものすごいんです。早いんです(笑)。すごい楽しいんですよ。「行ってらっしゃい!」みたいな。元気に元気に、こう、送り出してあげよう! みたいな。

 ドラッグストアの仕事は、行ったその場で頑張れば、全部忘れて帰ってこられるんですよ。まったく引きずらない。
 チームワークは必要だし、それはなんか楽しくやればよくて。頭の勉強にもなるし、体も使えるしで。

 なんかそれはそっちでやって、帰ってきたら、こうじーーーっとこう、絵の世界に入ってくというのが、すごい両立しやすくて。
 私にとっては、2つともいまや天職みたいになってる。

 ──何年目ぐらいですか? ドラッグストア。

 うんとね、10年ぐらいやってると思いますね。
 朝から入って、午後3時ぐらいには帰ってきて。そのあと疲れてなければ絵の仕事をしたり、あと文章の仕事まだちょっとやってるんで、そこら辺をやったりしつつ。(ドラッグストアが)休みの日は朝からイラストの仕事、文章の仕事もうやるみたいな感じで、もうずっと働いている。

 うん。そうだな、なんか、この話はもうしなくていいかって思ってたことがあるんですけど、それ話しとこうか。

──なんでしょう?

 昨年の夏に、「ノンデュアリティ」っていって、「非二元」って言うんですけれど。「いまここに心を置く生き方」っていうのを。禅の本とか読みながらすごく勉強してて。イラストレーターしながらずっと勉強してきたんですけど。

 新しいノンデュアリティって言葉が出てきたときに、セッションを受けてみたんです。
 別に、非科学的なことはなに一つなく。ただすごく遠くの音とか近くの音とか、とにかく音に耳を澄ましていると、自然な音とか機械の音とか、すべての音に気づいていると、それだけで脳がいろんなことをぐるぐる考える余裕がなくなって。心が澄んでくるっていうことを、そのセッションで受けて学んだんですね。色んなお坊さんの本とか、瞑想やマインドフルネスの本とかで。そこからネットでも調べて。

 なんでそれをするかっていうと、頭をぐるぐるいろんな出来事に考えすぎちゃって、こう、悩んだりしないようにするっていう。
 人間の悩みって、もう頭ぐるぐる回っちゃってるところにすごく原因があるので、それを静かに落ち着けるっていうのをやってみたくなって。

 で、それをやりたいと思った原因の一つが、イラストの仕事が前ほど楽しめてないな、って気づいたことだったんですね。
 いろんな仕事に恵まれてきて、こんなに夢が叶ってるのに、なんでもっともっとってなっちゃうんだろうって。

 ──もっともっとってなってるんですね。

 そう。もっともっと。
 例えば、手しごと見学のイラストルポの仕事が来ると、その中で似顔絵を描いた方が、こちらがびっくりするほど喜んでくださって。お仕事へのこだわりとかも絵で表現すると、涙を流さんばかりに喜んでくださって。私も本当に嬉しくて。

 もっともっといろんな手しごと見学して、全部ルポにしたいとか思うんだけど、それをやるにはどうしたらいいんだろう? とか考えだすと、もう頭ぐるぐるになっちゃって。そういうのを抜け出したくて。

 非二元のセッションを受けて、「周りの音に耳を澄ます」というのが、その中の大きい一つとしてあって。それをずっとやってみたんですよ。
 そしたら、みるみるこう心が沈まって、ひらめきが増えてきて。
 そんな中で、絵描くこともだんだんこう、すごいなんか膨らんでいくんです。
 いまここにあるものを、絵を描くっていうことが、なんかすごい普通にできるようになってきたんですよ。そっからもう膨らみだしていた。

絵を描く幸せが、色濃いです

 そのセッションをしてくれた人に、「なんか質問ありますか」って聞かれて。「私はこれを始めてから悩み事がどんどん少なくなってきて、ほとんどないぐらいになって。だけど周りを見ると、すごく悩んでる友達とかがいて、そういう人たちにどうやってこれを伝えたらいいですか?」って聞いたんです。
 そうしたら「この人をなんとかしてあげようって思った時点で、その人の話をまったく聞けてない」と言われて。

 人間って人と話してても、耳を澄ますっていうことができれば、いまここにぴったりいられるし。相手の話にも、そっと寄り添えて。
 悩みとかも入る隙間もないし、生活の中で自然に、なんだろう、悩んだときにやるだけじゃなく、常に耳を澄ましていればいいんだなっていうひらめきがあって。衝撃的に。そこで、いまこの瞬間この場所に全宇宙があるんだっていうようなことが、わかったんですね。

 ドラッグストアで一期一会のお客さんとの会話も、めちゃくちゃますます楽しいし。
 絵を描くときも、なにも悩まずに。いまここ目の前にあるものに、なにか心が動いたら、それをそのまま描けばいいんだって。

 ──なんかしようとしない。

 そう。しようとしないで。だからね、そんな風にすべてがガラッと変わったっていう出来事があって。
 でも、本当にそこまで、わりと悩みがあったんでしょうね。

 ──自覚はあったんですか? 悩みのある。

 やっぱりイラストのことだよね、きっとね。
こういう絵を描きたい、こういうスタイルのものを描きたいっていうのがずっとあって。
 それは、さっきの話にも出てきたイラストルポっていう形なんですけど。
 仕事でもいただいていたんです。これがいちばん、人のお役に立てて、喜んでもらえて、自分も力を発揮できるスタイルだというのは、経験的にも実感としてわかっていて。

 あとはこれを、今後、仕事の核にしていくにはどうしたらいいんだろう。こういうのいっぱい描いて持ってけばいいんじゃないか。でもそれには時間がない。その時間がないのをなんかうまくやるにはどうしたらいいんだろう。ああ、なんで私はこういうのがうまくできないんだ、みたいに。こう、本当にぐるぐるぐるぐるで。

 なんだろう、欲しいものは全部目の前にあるはずなのに、なんで私の心は休まらないんだろう? っていうのがあって、禅の本とかを読んでたんですね。

 ──そういった流れだったんですね。

 でもほんと、耳澄ます、耳澄ますと。耳澄まして呼吸法みたいのも同時に私はやるんですけど、そうするとまったく悩みのない世界に行けちゃうから。すごいなと思ってます。

 ときどきなんか、ばーんって出来なくなるんですけど、ばんってできなくなるときがなんなのかというのが最近よくわかって。
 なにかをコントロールしたいって思った瞬間に悩みって始まるんだ、というのがわかったから。コントロールしないようになった。あらゆることを。そしたら本当に悩みがなくなった。

 ときどき不安も出てくるけど。なんか別に不安っていうのも、いまここに実際にあるものじゃないじゃないですか。それはただ、不安になる幻を見ているだけで、そんなの、気分次第でいくらでも変わっちゃう。

 例えば、いまね、老後の話とか思い出して、こう一見リアルなニュースとか見たら不安になるかもしんないけど、いまここにこのテーブルの上に、実際に実現した老後は一つもないじゃない。

 ──確かに。

 その過去とか未来とかに心を飛ばすから悩むんだけど、いまここの幸せをただシンプルに感じていれば。目の前にあることに、もっとシンプルに幸せを感じていれば、悩み、悩みは幻でしかないから。コントロールもなにもいらないじゃないですか。

 ──じゃあいま、すごい、いい時期なんですね。

 ほんとに。なんか色々話したけど、絵を描く幸せが、色濃いです。

 絵の描き方自体はたぶんもっともっと自然と時間が積み重なる中で上手くなってっちゃうだろうし、なんかそしたらまた仕事に繋がる、やりたくなるかもしんないし。
 とにかくいまはその、子どもみたいに描くっていうことを大事にしてて。

 街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
 「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
 
 「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。

 まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。

 メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
 結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。

 話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
 話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
 音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。

 届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
 もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
 最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。

 併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
 本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
 挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。

 ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
 オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。

 私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
 そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。

 ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
 他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。

 私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
 駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。

西村佳哲(2025年7月31日)

駒沢の生活史[39話]

2026年5月1日 発行 初版

発行:駒沢こもれびプロジェクト

「今日の駒沢」
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