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近代看護の基礎を築いたフロレンス・ナイチンゲールは、日頃の看護活動について『行動力』の大切さを訴え、『看護実践力』を重んじていました。
『看護師の国家資格制度』の導入問題もあり、ナイチンゲールは看護婦や助産師を育てるのは『免許の取得』ではないこと、何よりも行動力こそが大切であり、実践力を身に着けることを重要視していたのです。己の成長と正確な知識もたらすために与えられた環境を通じて、個人の思考や人格、そして信頼性を発展させることが肝要であることを説いてたのです。
ご存じの通り、ナイチンゲールの看護論における『看護観察』は、看護を展開する上での軸足になっているほど大切な位置づけにあります。看護という病人のケアの仕事は、常に看護観察に始まり看護観察に終わるという一連の流れ(過程)の中で展開されるのです。それは、観察→判断→実施→評価という一連のスパイラルの流れの中で軸足は常に『看護観察』にあると言えるのです。
ここにナイチンゲールの科学的看護の実践による看護過程が成り立つことになります。そして、看護師はこの看護観察が習慣化されるようになるまで訓練をつむことで看護観察が向上するように説いているのです。
特に、ナイチンゲールがこの看護過程を展開するために説いている中で留意すべき点は、看護実践を行う上で自らの思考能力の養成と、日々の看護活動における反省的実践の大切さを認めていること(看護リフレクション)です。
本書では、このナイチンゲールが説く看護の反省的実践行為から、看護の知のパターンを生むことを示すとともに、現代に生きる看護師もこれらの看護の知の獲得ができるようになることを紹介していきます。
1 病院の病棟や外来、そして、施設で、一人で動ける力ことが『看護実践力』とは言えません。
看護指導者の方々から、若い看護師の実践力の乏しさ、新人看護師の実践力を育み方の難しさを嘆くなどの言葉を聞くことがあります。本書では『看護実践力とは何か』について、共通理解をすることから始めたいと思います。
看護実践力と似た言葉に、「臨床実践力」・「看護実践能力」というものがあります。本書では、すべて同じ意味に捉えて話を進めたいと思います。日本看護科学学会では、『看護実践』について、次のように説明しています。
【看護実践】
『看護実践とは、看護職は看護を必要とする人々に働きかける行為であり、看護職の活動の主要な部分をなすものとして位置づけられる。その内容としては、看護の対象となる個人や家族、集団、地域社会を身体的、精神的、認知的、社会的側面から援助することで、それには、看護必要とする人々を継続的に看護観察をし判断して問題を予知モニタリングする側面や、緊急事態に対して効果的な対策を行う危機対応の側面、医師の指示に基づいて、医療行為を行い、その反応を観察していくための看護的判断といった側面などがある。』
また、看護実践能力の構成要素については、「手技スキル」、「状況判断スキル」、「対人関係スキル」「対人関係スキル」、「役割遂行スキル」「自律的スキル」「課題解決スキル」の6つの要素が挙げられます。
看護実践力の定義の概念は研究者によってさまざまです。本書では日本看護科学学会に示す「看護実践力」を遂行する能力を基本的前提として考えていきます。
つまり、看護の対象となる個人や家族、集団、地域社会を身体的、精神的、認知的、社会的側面から援助する能力です。そして、観察・判断により問題を予知してモニタリングし、危機対応や医師行為の反応を観察し、看護的判断を行うことが求められていることを意味します。
2 「独り立ちすること」と「看護実践力」
ここでお話しておきたいことは、看護業務ができることで独り立ちになること=実践力がついたではないことをはじめにしっかりとお伝えしておきたいと思います。
「対象の患者が受ける治療について、指示された診療の補助を行う。」、「電子カルテに帰属しなければならない項目を埋めるためにバイタルサインを測定する。」「本日予定されているケア を、前勤務者と同じように行う。」と言ったように、予定されていた看護業務を任された勤務時間内にそつなくやり遂げることが、『看護実践力のある人』ではないということです。
看護観察と臨床判断により問題を予知してモニタリングし、危機対応や医療行為の反応を観察し、看護的判断を行うためには、看護師としての思考の過程を経ることが不可欠です。これらをすべて実践できて始めて『看護実践力がある人』と言うことができるのです。
対象となる患者に技術を提供する能力ではなく、技術提供を支える土台、つまり、看護師が専門職としての実践力を発揮する部分である看護師の思考過程に着目していきます。特に看護師の情報収集と看護アセスメントを中心に一緒に考えていきたいと思います。
1 ナイチンゲールの「病人の観察」
ナイチンゲールの『看護覚え書』の第13章では「病人の観察」が語られています。この章では、臨床で看護師が看護そのものを展開するためには、どのような基本的技術を身につければよいのかという視点で書かれています。
ナイチンゲールが考える基本的技術の中心は、『看護観察の技術』のことです。看護観察の技術は、現在の看護教育においても、とても大切なものとして看護学生に教えられています。それは、看護過程を展開するにあたっての土台となる技術だからです。
しかし、ナイチンゲールが看護改革を始めた当時は、看護の観察力を身に着けた看護師はほとんどいなかったいう当時の社会事情があります。そこで、ナイチンゲールは次のように述べています。
『看護師に課す授業の中で最も重要で、また実際に役に立つものは、何を観察するか、どのように観察するか、どのような症状が病状の改善を示し、どのような症状が悪化を示すか、どれが重要でどれが重要でないか、どれが看護師の不注意の証拠であるか、それはどんな種類の不注意による症状であるかを教えることである。』『これらすべては、看護師の訓練の中の最も基本的なものとして組み込まれなければならない。』
『看護覚え書』が出版された翌年の1860年には、看護師養成学校として「ナイチンゲール看護学校」が創設されました。そこで学ぶ看護婦や看護見習生たちもこの13章を読んだと歴史書に書かれています。
『看護観察の目的』
看護技術を身につけることが重要だと分かったとしても、何のために観察するのか。それを看護にどう活かせばよいのか、それが分からなければ、看護実践は方向軸を失ってしまう。そこで、ナイチンゲールは、看護観察の目的について次のように述べています。
『正しい観察が極めて重要であることを強調するにあたっては、何のために観察をするかという視点を見失うようなことは絶対にあってはならない。観察は雑多な情報や珍しい事実を寄せ集めするためのものではない。生命を守り、健康と安楽とを増進させるためにこそ観察あるのである。』
看護という仕事が職業的に認められ専門化して行き、また、看護師が医師と共に仕事をするようになると、医学的に珍しい症例症状に興味を示すなど、本来の看護の目的からそれた事実に目が行きがちになります。患者情報が多い方がその対象患者を把握できるという考え方が先行すると、患者情報欄に看護とは関連性のない雑多な情報をたくさん並べているという事態も起こりえるのです。
看護であるものを、看護の眼で集めた情報を元にして組み立てなければ、看護の専門性は形成されないのです。それゆえ、看護の目的を明確化させ、目的に沿った事実の情報としてしなければいけないのです。ナイチンゲールが強調したかったのは、まさにこの視点であるのです。
『看護観察の基本は事実を把握すること』
観察の対象となるものは病人・患者であり、また病人や患者が置かれた状況です。さらに、看護師は、観る・聴く・触れる・嗅ぐなど、自らの五感を通じて「看護観察」を行います。看護の世界においては、病人や患者の訴え、また症状・病状の状態に関する事実・真実をつかみ、読み取る、ことは、『看護観察の中心的課題』となってきたのです。しかし、実はこの事実や真実を知ることは難しいとも言えます。
ナイチンゲールも「真実を述べるということは、一般に人々が想像しているよりも遥かに難しいことである。それは単純な観察不足による場合があり、また、想像力の絡み合った複雑な観察不足による場合がある。」と付け加えているのです。
見たこと、聞いたこと、触れたことなどによって明らかになる事実を正確に述べるためには、看護の専門家としての一定の教育訓練が必要になってきます。すべて真実を述べるには、観察力と記憶力と結びついた多くの能力が必要とされるからです。このことから、現代では観察能力の育成が看護教育の柱の一つになっているのです。看護学生はフィジカルアセスメントの能力を養うとともに、患者の身体的、精神的、社会的な側面を把握するための学習をしなければなりません。
『観察習慣の大切さ―正確な観察習慣を身につけるために―』
看護師の観察力は、自然に身につくものではありません。何をどう見るのかという思考力を鍛える訓練が必要になってきます。そして、その前提となるのは、患者への心からの関心と看護に関する意欲や情熱も必要なのです。
ナイチンゲールは、看護観察の習慣を身につけられない人は看護師になれないとはっきりと述べています。
『看護というわたしたちの天職にあっては、そうした正確な観察の習慣こそが不可欠である。というのは身についた正確な観察習慣さえあればそれだけで有能な看護師であるとは言えないが、正確な観察習慣を身に付けない限り、われわれがどんなに献身的であっても、看護師としては役に立たないといって間違いないと思われる。』
続いて、ナイチンゲールは次のように断言します。
『もし、あなたが看護観察の習慣を見つけられないのであれば、看護師になることを諦めたほうがよいであろう。なぜなら、たとえあなたがどんなに親切で熱心であるとしても、看護はあなたの天職ではないからである。』
現代の看護教育では、どのような疾患を持つ患者に対しても、何をどのように見つめればよいのかという学習プログラム、すなわち『看護過程』を学ぶようにできています。誰でも一定の訓練を受ければ看護師になれるようになっているのです。しかし、ナイチンゲールの時代にはそれが一番難しかったのです。
ナイチンゲールは、「看護師に与える最も重要で実際的な知恵、それは何を観察したらよいか、どのように観察したらよいか?どのような症状が状態の改善を示すものか、その反対は何か。どのような症状が重要か?どんな症状が重要でないか?どのようなことが怠慢か教えることである」としています。
そして、これらの全てのことが、あらゆる看護師の訓練の一部、それも不可欠の一部となるべきであるとしています。そして、看護師の訓練には観察の訓練が不可欠であるとつけ加えているのです。
さらに、看護師がどんな方法でも、観察の習慣を身につけることができないのであれば、看護師であることをやめてしまった方が良いと述べており、看護師にとって最も重要なのは『観察すること』だとしているのです。また、何のために観察するのかについては、種々雑多な情報や興味を引く事実をかき集めるだけではなく、生命の、すごい、健康と安楽を待つためにと付け加えています。ナイチンゲールは看護観察を行うための具体的な方法として、以下の3点をあげています。
①具体的に質問をすること
ナイチンゲールは、どのような看護のケアをとるかは質問の仕方によって決まるので、非常に重要であると述べています。具体的には、流動的な質問をしないように諫めています。
具体例として、患者の睡眠時間を尋ねる質問をあげています。例えば、「患者はよく眠れた?」という質問について、よく眠れたかの基準は、途中で目を覚ますことなく10時間眠れなければ、よく眠れなかったと考える患者と、時々うとうとと眠れない、眠れれば眠れなかったと思わない患者とでは異なります。そのため、単に「患者はよく眠れたか」と尋ねるだけでは24時間5日続けて一睡もできず、そのために死ぬほどの思いをした患者と、いつもは目を覚ますことなく熟睡するのにそれができなかった患者で、その質問に対する答えは同じになってしまい、「よく眠れなかった」ことに対する正確な看護観察になっていないと指摘しているのです。
「誰さんは何時間眠れましたか?」「それは夜の何時から何時まででしたか?」というふうに明確な質問すべきであると述べています。また、ナイチンゲールはある一つの原因がまだ続いているのではないかとだけ尋ねて、それ以外の数多くの原因によって生じたかもしれない影響があるのではないか尋ね無いことであると言っています。その例として、昨晩は外の通りがうるさかったかどうか尋ねる時などがそうです。もしうるさくなかったとなると、患者それでよく眠れたと片付けられてそう報告される。患者たちはこのような誘導的な質問にすっかりまごついてしまい、求められた情報だけ応えたのでは、はっきりと誤解されるとわかっていても、ついそのようなことをしてしまう患者が怖気づいていることなど、ほとんど考慮されないと記述しています。すなわち、彼女が的を得た質問によって、背景となる情報を聞き出し、患者の状態を正確に知ることをナイチンゲールは理想としているのです。
②病気の様相を観察すること
ナイチンゲールは、「病気には様相があるのは確かである。看護師はそれを学ばなければならない」と述べています。病気の要素の具体的な例として「経験を積んだ看護師であれば、睡眠薬を飲んで精神のうつ状態の反作用が始まった時に顔に出るまだら模様を見ただけで、患者が前夜催眠薬を飲んだことが必ずわかるが、その薬にまだら色を経験の浅い看護師は経験の証拠で見るだろう」と記述しているのです。
何を観察するかは観察するその人に、疾病や人体に関する知識がなければその項目自体が認識されないことになる。観察ができるようになるためには、その症状を表している患者と直接対面し、そのことが何を意味するかを考える訓練が必要であるのです。
ナイチンゲール看護婦養成訓練学校では「症例報告」を行い、見習生が観察したことを記録し、教員からその点検を受けるという訓練方法がとられていました。また、彼女が『看護覚え書』(第二版)(1860年)の補章『看護婦とは何か』の中で、看護師は患者の顔にあらわれるあらゆる表情の変化、態度のあらゆる変化、声の変換のすべてについて、その意味を理解すべきなのであるとつけ加えています。また、看護師のもう一つの重要な任務は、例えば、薬物の作用、副作用を観察することであるとも記してしています。さらに、『看護婦の訓練と病人の看護』(1882年)の中では、病院をただ見つめるだけでは観察とは言えないことも指摘しています。もっとも鋭い観察力が求められるのは小児の場合であることも指摘し、病人の生と死は、優れた看護者がそばにいるかいないかによって決まるとしています。
「観察は私たちに事実を告げる。思考は事実の意味を知らせる。思考は観察力と共に訓練をも必要とする」と述べているのです。
このように、看護観察は心身の弱っている病人や言葉で苦痛を表現できない小児などについては、決定的に重要となってくるのです。それは、観察の結果は生死にも直接関係する重要事項だからなのです。また、観察したことの意味を考え、理解する「思考」にも訓練が必要なのです。
③患者の個人的性向を見分けること。
ナイチンゲールは本章で「患者の特性」を小出しにあげ、
『看護師は患者それぞれの個性的成功を見分けなければならない。』、『これらの特性をよく観察し、もっと要望に応えられるようにした方がいい』と述べています。
患者の個人的性向や病気の様相について、看護師が看護不足であるため、多くの事故が発生しているので、それらを誰も見落としてはならないものなのです。
2 医師と看護師の関係
ナイチンゲールは、医師と看護師の関係についてもふれています。彼女は、医師がもし事実を知ってさえいたら、それらの事実から判断をくだすことにかけては、あなたよりも有能であるとし、医師が求めているのは、あなたが丁寧に述べるあなたの意見ではなく、あなたの知っている事実であると記述しています。
そのため、自分の患者を本当に良く世話する医師は、注意深い観察者であると同時に、明確な報告者である看護師に対しては、情報の提供を求めてその価値を認めるようになるだろうとしています。なお、彼女は第七章においても、今までほとんど無視されていた看護の分野におけるこのような性格で、細やかな観察がどれほど良い結果をもたらすか、あるいはそれがどれほど手助けになるか、それは全く図りしえないと同様の記述をしています。
ナイチンゲールは看護師だけが看護観察することができますと言います。事実は正確に観察して正確に医師に報告することとし、看護師の正確な観察が患者にとって欠かすことができないものであると述べているのです。
『看護覚え書』には、看護師として、環境や性別、食事などの患者の外的条件を整えるための方法論が明記されています。
例えば、患者の栄養不足には、①調理が良くないこと。②食べものの選択が良くないこと。③食事時間の選択が良くないこと。④患者の食欲がない等の理由があるとされている。また、理由をもっと細かく区別していれば、きっと多くの生命が助かっていただろう。なぜなら、理由が多様であれば、改善策もそれだけ多様であるからだとして、今日でいう看護問題とその原因の分析、原因に基づいた対策が必要であることが述べられています。
1980年に『看護覚え書』の現代版と称されたサミュリエルスキートの解説本では、ナイチンゲールと同じ章立てで書かれているもので、看護師の観察機能は次の三つの働きを含む過程であるととらえています。
①「観察」;患者が見せる徴候や病状の確認すること。
②「推測」;患者の病態及び患者のニーズについて判断をくだすこと。
③「意思決定」;患者のために最も良いと思われる成すべき行為を決定すること。
そして、看護観察の機能は、看護過程の最初の第2段階を記述するために使うことができるとしています。
看護観察の技術は、今日の看護過程の展開に通じるものであり、ここで述べられている観察項目は今日のフィジカルアセスメントにもつながるものと言えます。また、『病人の看護と健康を守る看護』には、「訓練とは、生と死、健康と病気といった途方もなく大きな事実に直面して生活に対して正確に観察し、正確に知り、理解し正確に報告すると言う自らの仕事を自覚するように教えること」と言う表現があり、これは今日の看護過程のプロセス、つまり、看護アセスメントの問題把握、計画、実施、評価にほぼ相当するものであると言えます。
1 科学的知識と看護の経験知
ナイチンゲールは、正確な看護観察には科学的知識と経験が必要であることを繰り返し強調していました。病気が人体に及ぼす最終的な変化を私達に教える科学は「病理学である」と記述しています。
『看護覚え書』では、科学的という用語は六ヶ所で使用されています。本書で最も多い四カ所で言及されています。他には、第二章に科学的な男たち、第九章に科学的な説明という技術があります。
ナイチンゲールは、『看護婦の訓練と病人の看護』の中で、看護とは一つの芸術であり、それが実際的かつ科学的系統だった訓練を必要とする芸術であると述べています。『病人の看護と健康を守る看護』においては、「新しい芸術であり、新しい科学であるものが最近40年の間に創造されてきた。その芸術とは、病人を看護する芸術である」と述べ、科学を芸術と同様に、看護の特性と考えることが分かるのです。
2 看護師の思考過程と思考の働きの両輪
(1)看護師の思考過程を育てること。
看護師の思考過程とはどのようなものでしょうか。看護学生や新人看護師たちを育てて行く際に最も重要で難しいのが、「看護師の思考過程を育てること」であると言えます。
実際に臨床の現場において、看護の管理監督者や看護教育担当者の方は、病院の病棟や施設に配属された新人看護師たちに、看護師の思考過程をどのように教え、教育を行っているでしょうか。
看護師は対象を前にして、どのように思考すればよいのでしょうか。新人看護師が病棟で患者を担当する時の指導では、「何をどのように観察するか」、「どのような援助をどのように提供するか」、OP観察計画、TPケアの計画、EP指導教育計画のみに焦点を当てた指導になってないでしょうか。病棟での日常業務の作業手順などを中心に指導にしていないでしょうか。それでは、病棟の作業ができるようになっても、看護師の思考過程は育ちません。
(2)看護過程は相互に繋がりがあることを教えること。
看護過程とはどのようなものでしょうか。それは、対象の健康状態や環境などについて情報収集を行ない、アセスメントし、問題を明確化し、また看護診断して優先順位をつけることです。そして、問題ごとに看護計画を立案し、実践・評価することです。この一連のプロセス、つまり、看護過程を実践するために必要となるのが看護師の思考過程なのです。看護過程は一連のものですが、最初の情報収集から評価までが繋がっています。実践したことだけを評価するような指導では、情報収集から評価までの一連の思考過程が身につきません。それらをどのように育てるか。詳しく学んでいきます。看護師の思考過程について押さえておきましょう。
(3)問題解決型思考と目標志向型思考。
1)看護師は、対象の看護問題を深く探したくなるが、それだけではない。
看護師をはじめ看護管理者の間でも、看護師の思考過程は、問題解決型思考だと考えている人が多いと思います。これは、看護学生時代からそのように教わってきましたと言う看護師も多いと思います。一連の看護過程の中に「問題の明確化」があるように、対象患者の看護計画の問題を明らかにして、その対策を立てていくものです。そして、「看護問題は何か」と問いかけることになります。こう考えると、看護師の思考過程はやはり問題解決型思考のように思えます。
しかし、それだけで良いでしょうか。看護師の思考過程は、問題解決方思考だけではないということです。現在、多くの看護師が医療機関で勤務しています。医療機関を利用する人が何らかの健康上の問題を抱えています。そこでは問題解決型思考で良いというように思います。しかし、この思考だけで対象を捉えようとすると、対象者に生じる問題の一つ一つを解決するためのアプローチが中心になり、情報収集においても、対象の問題につながる情報のみに意識が集中してしまいます。
2)問題が解決した後
例えば、術後の合併症を起こした患者を想像してみてください。問題は合併症です。問題解決型思考で合併症が解決してしまうと、次にどのような方向性へとアプローチして良いか分からなくなります。
糖尿病の血糖コントロールが乱れて入院した患者の問題は、血糖の乱れが主訴です。インスリンの量をコントロールして、患者自身でインスリン注射ができるようになり、血糖が安定すれば問題は解決します。しかし、その後、その患者への看護はどのように向かって、どのような対象の方と関われば良いでしょうか。
この二つの例では、問題となる合併症や、糖尿病の状態、血糖に関する情報に捕われて、目の前の問題を解決することに意識が集中しがちになります。そのため、看護上の対象の問題が小さくなっていき、解決されると特に問題のない患者という扱いになってしまいます。
3)看護の対象にどう関わるか。
看護師は、明らかな健康上の問題がある方だけを対象にしているわけではありません。問題がない方に問題があっても、すぐにそれを解決できない方を含め、あらゆる健康レベルや、あらゆる年代の方を対象にしているのです。問題を解決できない場合は、例えば、加齢で様々な健康上の問題が生じている方、障害のある方、慢性疾患なのです。
日本看護科学技術学会が、『看護』の定義について説明しています。看護実践力を伸ばす方法を考える前に、まず、私たち看護師は『看護と何か』に立ち返りたいと思います。
【看護nursingとは】
看護とは、個人、家族、集団、地域を対象として、その人が本来持つ自然治癒力、健全さ、力)を発揮しやすいように環境を整え、健康の保持増進、健康の回復、苦痛の緩和を図り、生涯を通じて、その人らしく生を全うできることを目的として、専門的知識技術を用いて身体的、精神的、社会的に支援する働きです。看護のルーツは、家族や金利における乳幼児、傷病者、高齢者の世話は、つまり、人々の生活におけるケアという営みにあります。
ナイチンゲールにより近代看護の基礎が築かれました。看護の仕事は専門職として発展していきました。日本では1948年に保健師助産師看護師法が制定され、職業実践としての看護の定義、免許資格や業務が定められており、法的には同法により免許交付を受けた看護師が保健・医療・福祉のさまざまな領域で実践を行うことになりました。
医療の発展や社会の変化により、看護の役割は増大してきました。しかし、その本質的な看護ケアの内容は分野を異にしても変わりません。すなわち、看護の特質は、看護の対象である人々の身近にある人に、関心を寄せて関わることにより、その人の苦痛や苦悩に気づき向き合い、人々の尊厳を守る人間的な配慮を行うことなのです。
その人の尊厳を守り、その人らしく生きていくことを支えるという看護の価値は、人間性を重視する社会になくてはならない価値であり、その社会基盤に支える価値であります。
4)看護の価値は、その人らしさを支えること。
「看護」は、対象となる人の生涯として、その人らしさ、人生を全うできるよう支援することを目的としています。看護の特質は、看護の対象である人々の身近にある人に関心を寄せて関わることにより、苦痛や苦悩に気づき、人々の尊厳を守る人間的な配慮を行うことです。さらに、看護の価値は、その人らしく生きることを支えることです。
その人の支える問題を解決するということは、看護の目的を達成するための手段でしかありません。常に「問題解決型思考」と「目標志向型思考」の両輪で考えることが必要になってきています。
「その人の生活をどのように支えるか」という視点で目標を立てると、個別性のある看護につながります。なぜなら、今、現れている問題は同じでも、最初はそれぞれで、それまでの暮らし方や、これから先どのように暮らしているか異なるからです。
つまり、問題解決志向だけで対象を捉えると、「木を見て森を見ず」になるということになり、視野が狭くなるのです。看護師は問題があった場合に、問題の解決だけでなく、その人の生活や暮らしを支える目標を常に念頭に置き、看護の本質を見失わないことが重要です。
血糖コントロールが不安定な患者が入院した時点で、「退院時にどのような姿になっていると、退院後、その人が豊かに生きていけるのだろうか?」という視点で目標を立て、チームで共有し、目標に向かって歩むのです。
このように目標志向型思考を使えば、問題を明確化するための情報でなく、その人を知るための情報を集めるようになります。
一年後にある患者から続いた手紙を読み、次のように述べています。「患者さんの頭の中に目標があったから、上手に行って生活できたんだなと患者自身の頭の中に目標を作っていくことが、患者看護の一番大切なことだと教えられました。」
入院中の看護問題を解決する目標だけにとらわれるのではなく、対象がとなる方が生きていく、退院後も生活していくうえでの目標を一緒に見つめられる看護師になりたいものです。
1 まずは、『看護サマリ』から読むこと。
まず、看護サマリーを読むことです。サマリの指導では、まさに思考過程の強化に繋がります。
2 護に必要な情報を得るための三つの視点が必要。
ここでは、看護師は三つの視点を持たなければならないと考えています。対象を知るための視点になります。私たちは対象に問題があれば、その問題に対してあらゆる側面から専門的知識を使って情報収集します。また対象となる人々の全体を俯瞰するのは全人的視点が必要です。そして、対象となる人が過去から現在までどのように生きてきたか。そして、将来どのような変化の中で生きて行くのかという流れをつかむ「時の流れを全人的に見る視点」です。
(1)詳細な情報収集
健康上の問題をあらゆる視点で詳細に見ること、つまり、問題に関する詳細な情報収集することです。
(2)全人的な視点で
対象を全人的に見る目です。
(3)時の流れに目を向けること
時の流れをつかむための視点です。
3 対象者の生活にフォーカスを当てるのが看護師である。
上記の三つの視点で、支援に必要な情報を挙げてアセスメントを試みます。看護師として必要な情報が完全に不足しています。看護サマリにはアセスメントの記載がありません。看護診断が転倒、転倒転落リスクだけということではないはずです。サマリには計画終結もありますが、転倒転落は自宅に帰ってから気を付けるべき事項であり、終結ではありません。
看護職が引き継がない場合でも、看護職や家族の方が、また、自宅で一人過ごす場合は、退院しても、対象となる方の命と人生は過去から未来へと続き、時が流れていくのです。こうした生活に看護師がフォーカスしていかなければ、誰が支援するのでしょうか。看護師として思考するということは、対象となる方を三つの視点で捉えていくということです。『人が生きて暮らすということ、生活を支えるために、思考して、判断して看護を提供することこそ、看護実践力なのです。』
■ナイチンゲールが危惧したこと■
ナイチンゲールは看護師が陥りやすい危険な状態について、彼女の著書の中で以下の6点を挙げています。この危険性は、今の時代に生きる看護師にとってもいさめだと感じています。
①当世の流行としての看護と、その結果として熱意の欠如。
②看護の職業につくことで、単に経済的金銭目当てだけになること。
③看護を『天職』ではなく、単に『一つの職業』として捉えること。
現代社会に当てはめてみると、「看護師の資格を取得したから」、「生活が安定するから」と保護者や周囲の人たちの意見に左右されて看護の道に進んでいないでしょうか。
看護師になっても単に職業であるとしか考えられず、できれば給与が高く、楽に仕事をしたいと職業を転々とする看護師の群れが増えてきていないでしょうか。給料と仕事のみを重視して止めていく看護師や、退職代行業者を使った突然の退職も増えてきています。
ナイチンゲールは、『看護を天職としてではなく、単に一つの職業として捉えること』を危惧し述べているのです。看護師をどのように養成し、管理して育てていくかを重視しなければなりませんでした。そのためには、ほとんど新たな出発点を作らなければならないと言っていいほどです。そうしなければ、看護師は天職としての誇りを持つことをやめてしまうかもしれません。数年の間、興味深い職業につき、できるだけ最小限の仕事にして、できるだけ楽しむ。そんな自由な生活を送るという風潮があるのは、看護に危険が差し迫っているということを意味しているかもしれません。
4 看護は書物と講義と試験で学ぶことができると考えてしまう危険性。
社会の求めに応じて、また、看護実践力を身につけたい一心で、看護研修を際限無く増やして講義中心の研修することが目的になっていないでしょうか。
看護研修の内容と実践の内容は結びついているでしょうか。看護業務で増え続けてる研修に押しつぶされる研修担当の看護師と、たくさんの研修で学んだことが活かされない現場、さらに、現場でのインシデントの増加で、さらに研修が増加されるという悪循環も出てきています。
看護師は、患者との間で、ベッドサイドの関わりから伝えられることがたくさんあると思います。ナイチンゲールは、次のようにも書いています。
『高い意識を維持しながら、これこそが自分の天職であり、自分はそのために選ばれたのだという事実を確かなものにするためには、どうすればいいでしょうか?』
目的と行動を共有する人たちの良い仕事をしていれば、そこには自然に共感という絆があります。それをさらに醸成していくのです。
やはり大切なことは、「患者から看護の力を感じることが出来る現場」であること、スタッフ一人ひとりが「知的関心と患者への関心を持ち、業務ではなく看護する人たちがいる現場であるということです。
健全な病院組織としての必須条件、特に看護師の行為や規律を獲得する女性リーダー(看護部長)の職責に不可欠な条件などを考慮することはなく、一定のベッド数さえ有していれば、どんな病院でも看護師を訓練する場所となりえると考えること。進歩するのではなく、古い型にはめこんでしまった問題。どんなシステムでも、進歩の無いものは長続きしないのです。
5 対象である患者には「人」としての多様な側面があること。
看護師の対象を捉えるにはどのような視点が必要かということから、三つの視点について考えてきました。対象である人にはどのような側面があるのか、その多様性に着目している人を捉えるにはどのような側面があるかを考えていきます。私たち看護師は、問題自体を対象としているわけではありません。人を対象としていますので、そのことを以下のとおり説明していきます。
(1)「人間」とはどんな存在であるか。
1)人は生命を持つ存在であること。
人は代謝し、基本的ニードを思っています。生命を脅かす問題はないか、基本的ニードは満たされているのか、きちんと情報を得なければなりません。
【基本の知識としてマズローのニード階層説】
マズローは、ニードが高度のモチベーションになるというニード階層説を唱えた人です。看護教育でもおなじみの人です。
「ニード階層説」は、人は最も低次な階層である生理的欲求を満たし、安全に営まれることを求めます。それに満足すると、次に精神的、社会的な安定を、他に所属や愛情、また、評価されることを求めるようになります。そして、最も高い階層で、自己実現を図り生きていく存在だと伝えられています。
しかし、これには個人差があるように思います。『夜と霧』を執筆したフランクルでは、ユダヤ人強制収容所という過酷な環境の中、生理的欲求も安全欲求を満たされてはいなかったのです。それでも「生きる意味」を見つけ、自分自身で行おうとして自己実現を図ったといいます。
低次の階層が満たされなくても自己実現欲求を満たそうとする人もいます。人は一人一人違う人生を生きています。ですから、その人にとってのニードをきちんと捉えて、その人が満足のいく生き方を貫けるように看護師としてお手伝いすることが重要なのです。
2)人は、精神的活動をする存在であること。
認知、思考、判断、記録、想像、神社など、精神活動がどのようなものであるか情報を得なければなりません。
3)人とは幸福を得ようとする存在であること。
その人がどのような価値観、健康観、人生観、死生観などを持っているか情報を得る必要があります。
4)人は生物学的性差だけでなく、社会・文化的性差を思っている存在であること。
人はどのような性差をとらえているのかも重要な情報です。
5)人は、時の流れで変化する存在であること。
人は生涯にわたって成長する存在です。その人がどのように成長してきたか、現在どのような成長段階か、発達課題など照らし合わせながら情報を得る必要があります。
6)人は生活を営む存在であること。
その人がどのような生活を営んできたのか、そしてこれからどのような生活をしているのか、情報を得なければなりません。
7)人と社会と関わり、社会の構成員である存在であること。
その人がどのような文化の社会で生きているのか、どのような集団の中で社会的な役割を果たしているのか、これからどのような社会的役割を果たしているのかについて情報を得なければなりません。
8)人と環境に影響されるとともに、環境に働きかける存在であること。
人は道具を操ることで環境を創造することができる一方で、環境のストレスに晒されています。これらをどうコーピングしているか、どのような環境で暮らしていたらいいのか、これから先のどのような環境下で生きて行くのがいいのか、情報を得なければなりません。
(2)対象である人の全体像を捉えるために。
人は身体的にも精神的にも、外部から見える部分と見えない部分があります。そして、人は家族の中、社会の中にいて、全体的に環境に包まれています。さらに時の流れがあります。これらすべての情報収集することが人を捉えるということです。
先に挙げた8つの側面(人間とはどのような存在か)は、前述の「3つの視点」とも関連しています。いずれかの対象の部分ではなく全体像を捉えることに注意してください。
人の全体像、簡単にイメージするための枠組みが、過去・現在・未来の生活を具体的に理解するためのものです。
看護学生や新人看護師を指導するときに、人を捉えるための情報をメモしたり、対象の概観や不自由なところを人型に書き込んだりして、その人がどのような人かを学生や新人がイメージできるようにしておくと良いと思います。
一般的に、看護学生の記録様式の中には、情報を整理するためのフォーマットがあります。本来、対象の全体像を捉えるための項目から構成されているのですが、初学者は一つ一つの項目に捕われてしまうようです。
収集した情報が呼吸に関連する内容であると思えば、「呼吸の項目」に入れ、また、循環に関する内容であればば「循環の項目」に入れていくこだわりが生じます。
「先生、血圧が高いのですが、循環に入れてもいいですか。傷が痛くて血圧が高いので、傷と同じ項目に入れておいた方がよいでしょうか。」などと質問してくるのです。
どちらも両方に入れておくのもいいですと答えます。どの項目に入れるかではなく、受け取ってもらえるのはどのような人ですかと問うことが大切なのです。
対象がどのような人なのか、物語る力をつけること。そうすることで、思考を強化することにつながります。「糖尿病の入院患者です」などと表現するだけでは、問題しか見えないことになります。
病院に入院している方の問題は、治療を受けていれば、ほぼ解決します。医師の指示に従っていれば、患者のニーズである。「病気やケガを治したい」という最低限のニーズに答えることができます。つまり、看護の思考が停止しても、患者の問題を解決して行くということです。
疾患や外傷などの問題にのみ頼るのではなく、その人を全人的に捉えて、その人の生活を支えるにはどのような情報収集してアセスメントしなければならないか、現場で意識して仲間と共に議論したり、後半に発問したりする機会が必要です。そうでなければ、看護師の思考が強化されないだけでなく、確実に退化してしまうのです。
1 初学者の情報収集
上記で述べたように、三つの視点を持ち、人としての八つの側面が理解できれば、看護に必要な情報を収集できるでしょうか。必ずしもそうではありません。皆さん、新人看護師や看護学生が収集してくる情報が不足して、「あまり重要でない情報ばかり収集している」と感じたことはないでしょうか。
看護学生の初学者は情報収集する力が未熟であると言えます。なぜ、上手く情報収集できないのでしょうか。それは、「看護に必要な知識や概念」が足りないからです。知識や概念を自分の中に持っていて、それを今、目の前で起こっている現象につなげて考えることができないのが初学者です。看護に必要な情報がうまく収集できないと、正確なアセスメントに繋がりません。
2 現象と知識をつなげることができるか。
目の前の現象とそれらの知識が繋がらないと、収集すべき情報が思い付きません。
現象を専門的知識と繋げられる看護師であれば、なぜベッドの横に倒れているのかを患者本人に確認し、高齢者の転倒の原因につながる疾患や状態を結びつけて、思考しながら情報収集して、専門的な知識と概念を発生した現象にうまく繋げ、情報収集していく力が「思考力」なのです。
情報というものがあるだけではなくて、目の前の現象と看護婦の思いや知識が繋がった時、そのナースの頭の中で情報化されると能力は伸びていきます。
NANDA看護診断では、「専門分野の概念を理解していなければ、患者、家族、コミュニティの経験についても、全体をいかにパターン形成して特定するかに苦労する。基本的な概念に関していなければ、看護過程に取り組んだところで無意味である」と説明しています。
3 データを意味づける。
現象として見たものはまだ、意味のないデータです。データに対して専門的な知識で意味付けすると、看護に必要な情報とそうでないものに分けられます。そして、今は看護に必要な情報であっても、将来状態の変化によって、必要になるかもしれない情報もあります。自らの中でデータを意識的に情報化することが大切なのです。
専門的な知識や概念を豊富にもっていれば、さまざまな医学的知識とデータを結びつけて情報化することができます。人間、環境、健康、看護といった看護の主要な概念に照らしながら、看護に必要な情報を見つけ、分析し、推測しているので、より正確な看護アセスメントになるのです。
4 看護師として、『考え続ける姿勢』が大切。
NANDA新看護診断では、アセスメントに対話プロセス型とアセスメント問題解決型のアセスメントがあるとされています。対話プロセス型は、対話の対象者との対話を発展させながらデータを収集していくのに対して、問題解決型のアセスメントは主観的データと客観的データの両方を収集して、問題を特定していくものです。
問題解決型アセスメントですが、どちらにしても専門的な知識や概念が絶対必要になります。
常に、看護の概念を確認し、知識アップデートし続けることが、看護師の思考過程の強化につながるだけでなく、後輩たちの思考を育てていく力になるのです。
日々の業務や作業に埋没するのではなく、業務や作業として流れていくものでもなく、ひとりの対象者との関わりの中で生まれた看護を一つの経験として自分の中に納めていくことは、専門職者としてのキャリアを積むということです。NANDA看護診断では、ゴードンの言葉を以下のように引用しています。
「看護師の経験を積んで、長い年月をかけて母集団の反応を観察するにつれて、知識を深めて情報をより迅速に処理するようになり、患者の反応が普通なのか、それとも問題なのか分かる。看護師は長期にわたって患者の世話をする為、患者の反応パターンの変化に次第に敏感になる可能性がある。看護師がアセスメントに関与するにつれて、患者の反応パターンの変化についての知識が蓄積され、迅速に判断できるようになる。」
ここで重要なことは、看護観察やケアの経験を積んで知識を深め、アセスメントに関与し続けることが看護師の成長につながるという点です。指導者も常に看護師として考えて実践することで、意味のある経験を積み、それが自身の向上につながることを忘れないでください。
新人看護師や後輩はいきなり育つことはないのです。彼らが体験していることに対しての意味付けを行い、その体験を成長のための経験に変えていく不断の関わりが必要です。医療の現場は忙しいのですが、「忙しい」は、専門職者として思考できない理由にはなりません。
また、「五年目だから、六年目だから、この程度の仕事でいい」と妥協したり、「忙しすぎてはいけない」と限界を作ったりして、そこで看護師たちの成長が止まり、看護の目的を見失って思考停止に陥ってしまいます。
どのような状況においても、看護師として考える姿勢を貫けば、必ず「看護」の魅力を実感することができ、それが職場への誇りにつながります。実は指導する側の教育担当者には、この点はとても大切なのです。
1 看護アセスメントのステップ; 苦手意識からの脱却を目指して。
NANDA看護診断では、看護アセスメントについて次のように述べています。
「完全な看護アセスメントなしに、患者中心の看護診断はありえない。エビデンスに基づいた看護中心の看護診断はありえない。独自の介入もあり得ない。アセスメントを、アセスメント用紙やコンピューター画面の空欄を埋めるだけの作業にしてはいけない。もしも、このような機会的手順によるアセスメント法に思い当たるふしがあるとしたら、アセスメントの目的を考え直す機会にしてほしい。」
看護アセスメントは、独自の看護を展開する上でもとても重要です。日本看護科学学会の定義も確認しておきましょう。
『看護過程におけるアセスメントは、情報の収集、分析、集約、解釈のプロセスであり、看護の対象となる人々に最適な看護を提供する上で、14段階で重要な段階である』
(1)情報収集
患者の車椅子を例に出すと、「まずは、車椅子のさまざまな部分を点検します。」これが情報収集です。情報収集する為には車椅子の仕組みについての知識が必要です。車椅子のことを何もしなければ点検はできません。人は、対象とする現象に対する知識や概念がないと、必要な情報を収集できないのです。
(2)分析
例えば、フットレストの片方が下方に落ちていて、ネジが緩んでいると分析します。このままの状態ではさらにネジが緩み、下肢を支えられなくなるでしょう。さらに調べると、片方のタイヤの空気圧が低下してきました。タイヤはぺゃんこです。自然に空気が抜けたのか、またチューブなどに破損があるのか分析します。このままでさらに空気圧が下がるでしょう。この二点以外に問題がないとします。
(3)集約。
フットレストが下がっており、空気圧が低下しているので、この車椅子の状態では安全安楽な理想は難しいと考えることあります。
(4)解釈
フットレストの片方が下がっているというのは、対象が移乗する際に、下肢をしっかりと支えることができない状態です。片方のタイヤの空気圧が低下しているのは、対象の姿勢が崩れるのみでなく、車椅子の駆動が重くなり、タイヤやチューブを傷め、破損する恐れがある状態です。
(5)問題の明確化
ここまでネジの緩みからフットレスの左右差が出てくる、片方のタイヤの空気圧が低下し、安全な走行ができないなどの問題が明確になります。このように思考が進めば、「ネジを調節してフットレスト正確な状態にする」、「タイヤに空気を入れて空気圧を正常にする」など具体的な対策に至るのです。
そして、一度点検したら終わりではありません。対象が車椅子を使うために点検し、情報収集を繰り返して、正常な車椅子の状態に保つことで、安全に移送することができます。
1 『人の思考とは』を理解すること。
1)概念化を行うこと。
本書では対象に技術を提供する能力ではなく、技術提供を支える土台、つまり看護師が専門職としての実践力を発揮する部分である「看護師の思考過程」に焦点を当てることを説明しました。ここでは、そもそも「人の思考とは何か」を考えてみます。
①『考えること』は、経験や知識をもとに、あれこれと頭を働かせることです。
②哲学で、広義には人間の知的精神作業の総称、狭義には感覚の少々の内容、概念化し判断し。生理、知識の働きを意味します。
③心理学で、感覚や表彰の内容を概念化し、判断し、推論推理する心の働きや機能をいいます。
「表象」とは、心理学では、外の世界における事象を表す心の中の表現です。国語辞典で何かを表すシンボル記号表記などと説明されています。
たとえば、今、私はコーヒーを飲もうとマグカップをイメージしてコップを取って母にいいます。そうすると鼻の中にコップの表象で、コップを取って出してくれることになります。それが湯飲み茶わんだったりすると、私のイメージしたマグカップと異なります。
何か飲み物を入れるもの、ワイングラス、湯飲み茶わんなど、共通性を取り出してコップという言葉に置き換えることを「概念化」と言います。
一般意味論では、具体的に言葉を出して説明して行くことを抽象のハシゴを降りていくと表現します。逆に抽象のハシゴを上ると「概念」に近づき、抽象度が高まります。
抽象のハシゴはいつでもおいて具体的にすればよいというものではなく、置かれた状況と相手によって、上り下りする必要があります。
2)4つの思考のタイプ;「推論」「問題解決」「意思決定」「類推」
さて、「思考」の意味に戻りましょう。「思考」とは、簡単に言えば、「考えること」です。
新人や後輩がミスをした時に全く考えてない。考えればすぐに分かるのにどうして考えられないのか。思考停止なんて言う表現もあります。そして、しっかりと考える人を育てるのにはどうすればよいでしょうか。看護研修を要望されます。教わるのではなく、自分で考えることをおすすめしますと言います。つまり、「考えてない人はいない。」のです。つまり、『行動しているのであれば何かしら考えている』ということになります。みんな考えてないということには、おそらく看護の専門職として考えてないということを意味します。
しかし、考えてないと新人や後輩の考えを否定するのではなく、思考のメカニズムを学び、彼らの考えを、看護師の思考とするにはどうすればよいかを考えることは大切です。
「思考は、情報処理プロセスにおいて働く認知機能の一つである。状態を、作り出す働き、来週はそれに向かうプロセスを指す」とあります。
人は環境からの情報を感覚・知覚で入力し、対象となるのに注意を向けて、記憶されていたものと関連付けて思考し、こうしたものを言語化しながら試行して、最終的に言語で観察に出力しているプロセスになっています。
思考のタイプに色々ありますが、「推論」「問題解決」「意思決定」「類推」の四つに整理し分類することができます。
類推については、「ひらたく言えば、よく知っていることから連想して知らないことを考えたり、理解したりすることである」と説明しています。
フランクスターリングの法則をご存知でしょうか。心臓の収縮力と心拍の関係を示す法則で、心室内に血液量は増大すると心室は引き伸ばされ、その反動で心収縮力が強くなるというものです。人は推論問題解決意思決定、そして類推のように、思考のタイプを使いながら環境から入力する情報を処理しているのです。
心身の状態を推論したり、問題解決するために看護計画を立案したり、状況によって意思決定も迫られます。情報の入力に問題があったのか、情報処理して出力するまでの思考のタイプで何がうまくいかなかったのかを分析する必要があるのです。その思考のタイプを使う場合も、知識と経験が必要です。
3)「論理的思考」と「批判思考」
四つの思考のタイプとは異なる思考形式として、看護でも指導や教育の際に使い、重要視されている「論理的思考」と「批判的思考」についても、少し説明させていただきます。
論理的思考と批判的思考については、「終点(情報の出力)から、手前の情報処理プロセスを分析的にさかのぼって、起点から終点までの情報処理プロセスを問題とするものです。
論理について、「思考の本質はむしろ飛躍と自由にあり、そして、それは論理の役目ではない。論理はむしろ、ひらめきを得た終えた後に必要になる。ひらめきによって得た結論を誰にでも納得できるように、そして、ひらめきを必要としないように、できるだけ飛躍の無い形で再構成しなければならない。なぜそのような結論に達したのか。それは、まだその結論に到達してない人々に向かって説明しなければならないものといっています。
看護師の報告、記録、看護サマリなど、起こったことや考えたことなど、紆余曲折したプロセスを延々と伝えても本質が伝わりません。つまり、行ったこと、考えたことを、そのまま経時的に伝えるのではなく、それを筋道だって再構成する思考が論理的思考ということです。朝や夕方の看護師同士の申し送りをだらだらと長く行うことは、論理的思考が使われていないとも言えます。論理的思考を使う・養う機会まで失うことになると考えています。筋道だてて他者に伝える申し送りや、報告・相談・記録サマリの指導は、論理的思考で行う絶好の機会と言えるでしょう。
次に、批判的思考です。批判的思考とは自らの、また他者の主張が妥当なものであるかどうかを吟味する思考活動であると説明しています。
この批判的思考は日常の思考とは異なり、かなり意識を集中させないとできないものです。また、批判的思考の際には根拠の確かなものを検討するので、知識が相当に必要となってきます。アセスメントを強化することは、基本的思考を強化することにつながると思っています。
4)認知的な情報処理のプロセス。
『思考』とは、認知機能の一つです。情報の取得に至るまでにさまざまな認知機能が関与しており、それらの能力を意識的に鍛える力を指導者もなければならないということです。これは難しいかもしれないと、私は少し弱気になりました。ここでは今日、共有という考え方に立ってはどうでしょう。私も皆さんも、信心や後輩を指導しながら、共に育つのです。皆さんの思考も今、非常に強化されていると思います。一緒に育てればいいと思うと、気持ちが楽になります。下に示す場面は、抗生剤の点滴開始十分後に看護師が患者を観察するためにベッドサイドを訪れたところです。ここでの情報処理のプロセスを考えています。
(1)環境からの入力
環境から「感覚・知覚」で情報収集を入力すること。これが看護師の情報収集観察です。この段階で、帯状疱疹や抗生剤の知識などの記憶されている専門的な知識と感覚知覚データ情報と結びつき、何か状態の変化が起きている副作用の出現か、頭の中で言語にしています。次に記憶が抗生剤開始後の副作用の出現時間や症状はなし、引き出し、ショックの知識、過去の童謡の経験などを三つ結び付けて推論問題解決、類似的な思考を行ない、嗄声、咽頭の違和感、血圧低下、アナフィキラシ―が起きているかもと言語に対して、初期評価やアナフィキラシ―ショックの知識と結びつけながら思考を進めていきます。
(2)環境への出力
ナースコールで抗生剤開始10分後にアナフィラキシーと考えられる症状が出現しています。救急カートを持って応援をお願いします。医師にもコールお願いします。言語で出力することになります。この段階では、応援を呼ぶと意思決定分かりやすく伝える論理的思考、過去の経験の類似が働くかもしれません。
このようにきちんと情報処理を進めていくには、患者を含めた環境に、自らの注意を絶えず受けておく必要があります。注意散漫では、知識も思考も充分にできないからです。
5 フローを引き出す指導で、注意を向けさせること。
次に示す場面は、「時間切迫・多重課題シュミレーション」の場面です。もし行っている施設・病院があるとしたら、即座にやめることをおすすめします。なぜなら、このシュミレーションの環境から出力する。情報が乏しく、時間設定切迫ですから、じっくりと情報処理を進める余裕もありません。記憶を探って、現象を結びつけたり、類推したりして、それを言葉として理解して、だから何が起きて自分はどうすればよいのか判断することができないのです。そこに意識を注ぐこと。周囲もできない状況に追い込んで課題を畳かけているといいます。指導の心得に立ち帰っていただきたいと思います。
経験や知識の乏しい収穫者に体験から学んでもらう際には、フローを引き出す指導を考えてほしいのです。
フローとは心理学者のチクセントミハイの説です。自分の能力では少し難しいような課題に取り組むときに、時間を忘れて課題達成に没頭するという状態のことです。この
フローを引き出す指導というのは、情報処理のプロセスで大事な注意を環境に向け続けることと同じだと思います。
ある訴えに注意が向いて考えようとしているのに、すぐに違う患者がそう急な要求をしてくるなどという状況で考えて、本当にここです。また、このように課題が重なる状況に新人が置かれているとしたら、新人の能力に合わせた患者振り返りではなかったということになります。つまり、課題が同時に重なるような患者を割り振った先輩のミスです。新人の能力を排除していたとしても、課題が重なった時には、まずは患者さんの訴えに対応して、Bさん、Cさんは私が対応しますというふうに多重課題となった状況をすかさず整理するのが先輩の役割です。新人が行ったAさんの状態について短い時間でも一緒に振り返り、体験に意味付けをし、必要とされる知識を確認します。その時その時を整える、その連続が大切なのです。
思考とは情報処理プロセスにおいて働く認知機能の一つであり、ある情報状態を作り出す働き、ないしは、それに向かうプロセスでした。そして、そこに注意を向けて、「感覚・知覚」を使って情報収集し、情報を処理して出力するために、「記憶」と「言語」を用います。ですから、思考力を伸ばすには以下の力が必要なのです。
①何か看護の情報なのかに関連する、生活や看護、健康に関する専門的な知識を記憶する力。
②①に基づいて情報を収集する力
③収集した情報と記憶している知識を結びつけて推論し、問題解決などを思考する力。
④思考を言語化して、情報処理を進める力。
⑤最終的に考えたことを論理的にまとめて言語化するための書く力・話す力。
6 環境から何を捉え、看護に必要な情報にしていくか。
これまで述べたとおり、ナイチンゲールは、看護師に教える一番重要なこととして『看護観察』をあげています。情報処理の「入力」の部分で、看護師の感覚、知覚を磨くことがとても大切と言えます。一人の患者の全身を観察することも、立派な多重課題です。人を捉える力で観察する力を訓練することです。
「思考とは何か」を考えた時、行きついたときは、まずは、環境から何を捉え、看護に必要な情報にするかと云う重要性です。
「思考力」を伸ばすには、まずは、そこから始める必要があります。指導の心得では、人は揺らぎながら成長すると説明しました。1・2年目以降の後輩たちを過信しないようお願いしました。人間は様々なタイプの思考を行うことで、場面に応じて適切な判断行為を生み出すことができます。
前提として、与えられる情報から明示的に述べられていない情報を生み出したり、いくつかの事例から共通項を探し出したり、類似した過去の経験から現場にとって有益な情報を作り出したりすること。また、問題が一挙に解けない人が暫定的な目標をたてること。探索を行ったり、問題の見方を変えていくチャレンジしたりすること。人の思考には素晴らしさがあること。一方で穴だらけだと指摘しています。確かに、記憶が曖昧になると間違った知識を得ていることもあります。物事の見え方や聞こえ方など、近くが受け取る情報によって錯覚することや勘違いもあります。全体を捉えて、部分に意識が集中して、一部の情報で入力から出力に行ったり、誤る場合もあります。今まで皆さんが経験してきたインシデントなど思い返せば、経験年数を問わず、人の思考の弱さに思い当たるふしがあるのではないでしょうか。医療の現場では、人々が命をかけるところです。できる限り多くの確かな情報を収集し、様々な思考のタイプや様式を使おうとする日々の努力は、思考を強化していくことにつながるのだと思います。ここでは人の思考に着目して考えてきましたのが、思考を強化することです。これは決して新人や後輩だけに必要なことではありません。看護の指導者の皆さんも、共に自らの思考を振り返り;refrectionして、磨き続けることが、一看護師として最も重要なことであると感じています。
ここからは、看護におけるリフレクションを説明していきます。
看護リフレクション(reflection)は、「振り返り、反省、内省」と訳されますが、単に言葉の意味だけに留まりません。リフレクションは、教育哲学者であるジョン・デューイ(John Dewey)(1859-1952)によって、その理論の基盤が創られました。
彼は、「人は学習する上でただ経験するだけではなく、その経験全体を振り返り、自己の行動、思考を言語化し、その時の判断について再度考え(reflect)その意味付けをすることで、自己の学びとなる」と述べています(Dewey、1938)。
つまり、ただ経験しただけでは、学習にはなりません。経験したことを振り返って、どういう意味があったのか、どういうことに気がついたのかと考えることがリフレクションとなり、学びとなるのです。
看護リフレクションの効果として、経験したことを振り返って深めていくことで、その経験の意味がわかるだけではなく、それまで気づかなかった‶自分が大切にしていたこと″がわかります。特に看護では、自分の看護観を深めることができます。
また、経験を意識的に振り返り、その結果、どのようなことが生じたのか、その関連性を考えることによって、知識としての理論が生まれます。これは、パトリシア・ベナーの看護論の、エキスパートの段階にある看護師の実践をインタビューした「臨床看護実践能力」にも多くの記述があります。
このように、看護リフレクションの目的は、『経験による意味づけ』です。強調しておきたいのは、評価や原因追及、または問題解決のためではないということです。これは特に、研修などでリフレクションを活用するときに支援側が認識しておきたい重要な点です。
つまり、「リフレクションは、状況との対話をしながら、実践家が行動について意図的な選択を行い、判断するために、経験を注意深く根気強く熟考するものであること、そしてまたリフレクションは、自己との対話を通して自分自身や自分の行為に意味づけをするプロセスである」ということです。
教育哲学者のデューイ(1859-1952年)は、思考と行動とは直接つながっていなければならないことを強調しました。「経験」の重要性を指摘し、「リフレクションの中心は敬虔である。経験をリフレクティブ思考のプロセスを通じて学習することによって、人の理解力、あるいは思考力は向上し、磨かれ成長する」と述べています。
つまり、「行動」「経験」「リフレクションのプロセス」の3要素が重要であるかが理解できます。
デューイは「経験とは意味を反省的に認知し、目的的に自覚的に使用すると言う知性的な思考の活動であり、我々が行おうとしていること、結果として生じる事の間の特殊な関連を発見するために自覚的に努力する活動であるとし、また、経験は「実験的行動であり、直面している状況の有する特質を明確化し、それに適切かつ効果的な指導概念を構成しようと試みることである」と述べています。
そして、「経験は、自然とその個人の、直接的で根本的な結びつきを意味する。観察は感覚を通じて進められる。だから、知識の妥当性が観察によって、その起源によって検証されているのであれば、感覚を通じて得られた『観念』のみが物質的事柄に対して信じるに値するものとなるとしている。これを言いかえると、経験で得られた考え・知識(観念)に価値があると言うことになる。
つまり、『経験』とは、リフレクティブな思考を含んだ「行動」の結果であり、何かについて「考えること」「行為をすること」や「感じること」である。そして、経験のリフレクションから何かを得るには感覚、つまり「感じこと」が重要です。
●『経験』という言葉の概念について●
『経験』とは、身体的経験、知的経験、情緒的経験、スピリチュアル経験、宗教的な経験、社会的な経験、バーチャルな経験、主観的な経験が最も関係する。
知的・心的経験は、知的で意識的な気づき(自覚)である。そして、それは、思考、受け止め、記憶、情緒、意志、想像などを含んでいる。情緒とは、私たちが何かについてどのように感じたかであり、共感の度合いであり、喜怒哀楽に代表される感情とは異なり、感情よりも持続的な気分を指す。情緒的経験とは、情緒に強く訴えかけられるような経験である。主観的というのは、環境との相互作用に基づく、現実のできごとに対する個々の受け止めであり、主観的経験とは、多くは自分が行動主体となっている経験である。その人のその経験は唯一無二であり、経験は教科書で一律に学ぶ者ではない。
1)専門職教育にとってのリフレクション
看護職の教育におけるリフレクションに深く影響を与えたのは、Schonの新たな専門職像である。彼はリフレクションの概念定義を次のように言っています。
【リフレクション】
その行動によって、その行動に使ったある知識がどのように予期せぬ結果を引き起こしたかを知るために、その行動を振り返ることである。われわれは、その事事実が起こった後、静けさの中でそれを振り返るかもしれないし、また、その行動のただなかで立ち止まって振り返るかもしれない。
とし、行為についてのリフレクション、行為の中のリフレクション、このようなリフレクションをしている人をリフレクティブ・プラクティショナーと呼んだのです。
さらにショーンは、専門教育におけるカリキュラムの中心要素は実践であり、その教育は追加式の学びではなく「行う」ことによって学ぶようにする必要があると主張した。この新たな専門家像が紹介され、もともと、看護過程の中にあったリフレクションの考え方が覚醒されるきっかけづくりになったと考えられます。
それは、ナイチンゲールの言葉に確認することができます。
Observation tells us the fact,reflection the meaning of the fact.Reflection needs training as much as observation。
観察はその事実を、リフレクションはその事実の意味を私たちに教えてくれる。リフレクションは観察と同じく、たくさんトレーニングが必要である。
日本でも、1960年代後半に看護過程が導入され、以来、看護実践は、患者の情報集-アセスメント(看護診断)問題・課題の明確化―看護計画―看護介入―評価・修正の循環的思考で行われてきました。看護教育においても学生はそのように思考のスキルとして学習してきました。この看護過程の思考は、問題解決にいたる直線的な思考であり、ショーンの言う「技術的合理性」の思考と言えます。
単純な問題は直線的思考で解決に至ります。しかし、看護師が日々直面する看護実践の状況は複雑であり、唯一無二の患者様の個別性を捉えてその状況での最善を行います。患者を含むその状況の何を観察して、どう感じ・考え・判断して、どんな看護行為をするかという「思考と行動を繋ぐプロセスが極めて重要になってきます。
2)「行為中のリフレクション」と「行為についてのリフレクション」
ショーンは、専門家は2つのリフレクション思考によって彼らの専門的知の概念化と構造化をしていと述べています。「行為中のリフレクション」と「行為についてのリフレクション」です。
「行為中のリフレクション」は、言い換えれば、考えながら行動することです。例えば、清しきという看護行為を行うとき、「果たしてこの方法でよいか」「もっと良い方法はないか」といったことを考えながら行うことで、その患者のその時のその状況によって、瞬時に前もって考えていた方法とは異なる方法で選択しることありえます。つまり、より、その人のその状況によって最善の看護行為を自分でもっている知の引き出しから取り出して、あるいは経験に裏打ちされた新たな方法で瞬時にあみだして実践することを指すのです。
一方で、行為におけるリフレクションは、実際に行った行為を後で意図的に振り返ることで、自分が用いた知識やスキル・考え方を整理し意味づけることができ、新たな知見や理論の獲得に繋がります。すなわち、「行為についてのリフレクション」があります。
医療技術は日々進化し、社会の人々の関心も変化していきます。こうした医療環境において、看護師はこれまで経験したことのない難しい状況に直面することも少なくありません。そのとき、知識がそのまま適用できるわけではなく、ああでもない、こうでもないと看護師自身のこれまでの知識、技術、経験と突き合わせながら考えたり、調べたり、他者に聞いたり、試行錯誤しながら、実践と考察を繰り返しています。
病室に入った看護師が、ベッドサイドのある場面をみて、状況と対話し、これまでの知識・経験に基づいて看護を行います。その中で様々な感情・思いが湧いてきます。それは自分の価値観と関連しています。
そして、状況が落ち着いたあとも、‶なぜ患者さんがそんな状態になったのか″、‶行ったケアは適切だったのか″など考えることでしょう。しかし、それが反省だけで終わってしまったら、その後のケアに活かすことはできません。だからこそ、リフレクションがとても重要となってくるのです。
また、困難な状況でなくても、日ごろ何気なく行っている看護にも意味があります。後述するケースのように、自分の看護の根底にある意識、いわば看護観を深めることができるのです。
ショーンは、専門家には経験している間のリフレクション(reflection-in-action)と、経験が終わった後のリフレクション(reflection-on-action)の2つがあると説いています。看護実践では、経験している間にもリフレクションを行っているといえますが、刻々と変化する状況の中でそれを深めている時間はありません。そのため、経験後のリフレクションが看護では重要だと考えます。
実はリフレクションという言葉こそ出てきませんが、ナイチンゲールも看護実践におけるリフレクションの重要性を説いていました。
『看護師と見習生に宛てた書簡では、看護を行う私たちは、人間とは何か、人はいかに生きるかをいつも問いただし、研鑽を積んでいく必要があることを説き、「実習が終わったら、さっさと自分の部屋に帰り、今日の出来事について、静かに考えることが大切である」といった主旨の言葉を記しています。
さらに、リフレクションは一人でも行うことが可能ですが、より本質的な気づきを得るためには他人との対話が大切です。自身の経験を言語化することにより、その経験を自分から少し離して、発言や行動、気持ち、変化などを俯瞰することができます。
また、他者からの問いかけや他者が語る経験を通して、それまで気づかなかった自分の考えや患者さんの行動や気持ちなどに気づくことができるのです。これらの気づきから、新たな学びや変化につながるのがリフレクションです。
1 看護過程を確認することで、看護師の思考力が育つようになります。
皆さんの職場では、看護過程をどのように活用しているでしょうか。
看護師は、看護過程が無ければその日の仕事がイメージできないくらいになってほしいと思っています。看護過程と実践を連動させてほしいと思っています。
勤務中に看護過程を何度も確認することで、看護師の思考力が育つと考えています。実践すべき「看護独自のケア」が浮かび上がると思っています。医師の指示についても、看護の視点でとらえ、批判的思考で、対象にとって何が最善なのかを看護の専門職として考えられるようになると思うのです。
2 4つのフェーズにおける指導のポイント
看護過程を実践と連動していくために、参考となる方法として『フェーズ理論』を紹介していきます。
ナイチンゲールの看護論それ自体においては、直接に『フェース理論』を紹介しているわけではありません。しかし、彼女の看護論における看護過程の実践的なプロセスを見ていくと、4つのフェーズに分けて考えることができます。看護教育でじっくりと学ぶ看護過程ではなく、実践にあった迅速型の看護過程であると言えます。
フェーズ理論には①間接的フェーズ②直接的フェーズ③行為の中のフェーズ④行為後のフェーズの4つからなり、各フェーズにそれぞれステップがあります。実践型ですので、実践の中で積極的にこのプロセスを確認しあって、日々の業務に遂行していくことが大切です。
この実践型看護過程では、「看護過程」と「実践」を連動させることで、個人ではなくチームで、「看護過程」と「実践」を言語化して確認し合うことを基本にしています。
これは、実践の中で常に、同じく働く看護師同士と発問しあい、答えを探しながらともに考えて進むことを大切にしているからです。ここでは、ナイチンゲールの看護論を踏まえての4つのフェーズについて改めて解説していきます。
①「間接的フェーズ」
電子カルテなどの記録物や申し送りから得られた言語的な情報。患者を捉え、アセスメントして、看護問題・看護診断、一時的な看護計画を立案します。
すなわち、患者にあう前の準備段階。情報収集や環境整備を行います。
②「直接的なフェーズ」
リアルな対象の患者からの情報を集めます。言葉上の情報からのアセスメントを、対象から直接収集した情報に基づいて修正していきます。つまり、アセスメントをもとに①のフェーズで考えた看護問題・看護診断を見直し、修正し、その上で具体的なその日の計画を立案します。
すでに看護診断が出ていて、看護計画が立案されていれば、それらを確認して修正することになります。実際にケアを行う際に、①のフェーズ、②のフェーズの思考がしっかりできていることが重要です。この過程での情報処理プロセス(思考)には、専門的な(記憶)が必要になるので、知識をどれだけもち、活用するかが、アセスメントの制度に影響します。ここでの指導は、思考を強化する上で重要です。
③「行為中のフェーズ」
対象を、対象がおかれている環境から情報を収集し、看護ケアを提供していきます。ここでの指導は、一緒にケアに入る、もしくは、報告を受けるときに新人や後輩の「思考」を意識した「発問」をしたり、指導者の考えを伝える「思考対話」をすることです。
④「行為後のフェーズ」
勤務帯でのすべての行為で収集した情報をもとに、次の勤務者に伝えるアセスメントを考え、行ったケアを評価し、必要であれば、看護問題・看護診断の修正、看護計画の修正を行います。勤務帯でのすべての行為で得た情報に基づき、論理的思考を使って要約・取りまとめをすることです。
3 思考の様式で4つのフェーズをとらえる
前勤務帯での情報や看護アセスメント、看護診断、看護計画に基づいて主に批判的思考を使いながら情報処理のプロセスを進む形となります。拡散的思考も必要になります。
拡散思考というのは自由に考えてみる、慣例や慣習などの枠にまめこまずに、対象のニーズを満たすにはどのような看護計画がよいのかを想像し、提供に向けてケアを創造していくことです。新人や経験の浅い看護師には、指導者が助けてあげる、対象を選んでチームでカンファレンスを行い、一緒に考えることが必要です。
このような過程で、看護の対象者への独自のニーズに着目し、批判的思考で収集した情報に基づいてアセスメントし、看護診断・看護計画を考え直すことで、「看護独自のケアが生まれてきます。膨大な処理しなければならない仕事に流されずに、『看護』を意識できるようになります。何よりも実際のケアを行う前にこのような情報処理のプロセスを確認し合うことが、新人・後輩だけでなく、看護指導者の「思考力」を強化することになります。
看護の行為中も、勤務を終えるときも、収集した情報を整理して、看護アセスメントを確認していきます。看護計画を評価し、修正することが必要です。
ここでは、主に批判的思考を使います。報告や勤務終了時のサマライズには論理的思考が必要になるでしょう。
■看護アセスメントがうまくいかない3つのタイプへの処方箋
1 知識不足で情報収集が不十分なタイプ
(1)視野が狭く、最低限の情報しか見ていない。
どんなに経験を積んでも、全人的に人を捉える視点を忘れて「その日に行うこと」に意識が向いたりして、看護師の視点が狭くなり、本日、行うことに必要な最低限の情報さえあればよいということになってしまいます。
看護師の頭の中を整理して可視化して、次に看護・介護につなげていきます。
(2)日常的にケアの根拠を考えることをしていない。
知識が不足している、知識を減少と結びつけて考えていない。情報収集はとても奥深いのです。日頃の仕事に中で意識的に情報集する力を磨き、強化しなければ身につきません。それでは、看護独自のケアになっていかないのです。
(3)仕事を通じて「人」をとらえるための必要な情報を思考しない。
ナイチンゲール『看護覚え書』13章;補章を取り挙げます。
この補章には、原本の改訂増補版で、看護師とは何かを記し、観察の大切さが以下のように書かれています。
『人々はよく、10年とか15年とか病人お世話をしてきた看護師のことを「経験を積んだ看護師」であるという。しかし、経験というものをもたらすのは看護観察だけなのである。看護観察をしない女性が、50年あるいは60年病人の傍で過ごしても、決して賢い人間にはならないであろう』
日々の仕事を通じて、人を捉えるための情報は何か、それらをいかに収集するのかを自ら考えていくことが真に経験を積むことです。
看護師として考え、常に頭を使うことです。人は一定期間同じ体験を積み重ねれば、特に考えなくても自然に体が動くようになります。手順を考えたり、留意点を見直したりする必要はなくなります。だからこそ、頭を使うことを意識しなければならないのです。
2 部分的なアセスメントはできても、統合して考えられないタイプ。
(1)対象となる人の全体像を描けない
・なぜ、看護理論の枠組みや看護診断の領域を使うのか。それは、「対象となる人」を多様な面からとらえるためです。
・NANDAI看護診断では、アセスメントについて、ナイチンゲール、ロイ、ゴードン納戸兵標準的なアセスメント枠組みを使用したりすることができると説明しています。
・アセスメントの際は、どんな枠組みや理論を使っても良いのです。一つ一つの枠組みや領域の関連を考えたうえで、全体像=対象がどのような人なのかを頭の中で描いていくことが大切です。
(2)昨今の「申し送り廃止」や「診療の補助」業務優先で、看護独自のケアが失われている。
・病棟の申し送りを廃止すれば、看護過程はますます実践の場から見えなくなることが危惧されます。効率重視のため、勤務帯から勤務帯の看護の継続性を土嚢に考えたらよいのでしょうか。
・病棟の申し送りが重要だと考えられるのは、患者の状態を伝達するのみではなく、教育的効果があるからです。自分の勤務帯で見てきた現象だけを長々述べたり、現象に個人の主観を織り交ぜたりして述べる申し送りは不要です。しかし、アセスメントの枠組みや領域の関連を考えながら、申し送り時点の自身のアセスメントを伝え、重要な看護診断について介入と、継続してほしいことを端的に伝える申し送りであれば、思考の強化に繋がると思います。
・病院では、患者は治療目的で入院しています。治療的アプローチが中心になるのです。しかし、いくら「診療の補助」が中心であっても、経過表や医師の指示、クリニカルパスにも基づく申し送りをしていると、自然とパスに従う、医師の指示から外れないように業務を遂行するといった思考に陥ってしまいます。看護師としての思考過程を経ずとも業務が行えるのです。「診療の補助」を優先させたとしても、生活者として人を捉える看護の視点を意識して、対象を一人の個別性ある人として、全体像をアセスメントしていかなければ、看護師の思考は停止し、看護独自の個別性のあるケアは生まれてこないのです。
ナイチンゲールは、『看護覚え書』で、医師―看護師関係について次のように述べています。
『私が言いたいことは、医師―看護師関係について次のように述べています。
「知性的な関係を保つためには、常に看護の専門性を意識すること、看護の専門的知識や概念を目の前の現象に繋げてアセスメントすること、そして、その人が今どのような状態なのか、各枠組みや領域でのアセスメントを統合し、明確に把握してそれを他者にわかりやすく伝えることが必要になるのです。
(3)個々のアセスメントを統合して看護に繋げる努力をすること。
看護師の思考過程を実践と切り離さずにおくためには、看護過程に基づいた申し送りを行うことです。看護師は看護計画に沿ってケアを行うことが必要です。
自分の中に対象の患者をイメージし、その人を知るために不足している情報を受からびあがらせます。
日頃の申し送りやカンファレンスで、アセスメントの各枠組みや領域の関連を議論し、可視化して、そこから対象の人間像を共有して、問題を明確にするのです。診断をつけて、計画を立て、その日の実践に繋げていくと言う思考のプロセスを経る努力をしなければ、いくら経験を積んでも思考力は磨かれませんし、指導もできません。
事実をたくさん集める事ではなくて、一つの人間としてのまとまりを見つけ方が重要になってきます。
3 対象との関係から引き出される現象を捉えられないタイプ
(1)日々の関わりから情報を得られない。
看護師として対象を捉えて、看護師の思考過程を経て、看護を提供することは実に難しいのです。対象を捉えてアセスメントするためには、対象とのかかわりのなかで、個別的な生きる有様をタッチする必要があります。
【ナイチンゲールの言葉】
『自分自身は決して感じたことのない他人の感情のただなかへ自己を投入する能力をこれほど必要とする仕事はほかにないのである。』
看護というものは、看護の対象との関係性から生まれてきます。専門職として、「対象となる患者のニーズにマッチしたオーダーメイドのケアを提供する存在になりたいと思うのが看護師なのです。そのためには、自分が思い描く患者の対象像を、できるだけ実像に近く、忠実度の高い像にしていくために、日々関わっている情報を正確に的確に集めなければならないのです。そのうでなければ、対象を捉えることができず、看護師としてのアセスメントもあいまいなものになります。
(2)「診療の補助業務」に目を奪われることのないように。
重要なことは、「患者の入院前の生活と入院中の生活の違い」であり、患者を人として捉えるには、「生活という側面からどのような情報が必要かということです。医師の診療の補助業務をこなすことも大切ですが、看護師独自の視点を持つことが大切です。「患者は一人ひとり違うこと」「それぞれに生活がある事」という認識に立つことが必要です。看護師の仕事は、効率よく終わればよいというのではなく、その仕事が「看護」であったか「看護」出なかったが大切です。
(3)食が進まない患者への、ナイチンゲールの言葉
ナイチンゲールの『看護覚え書』において、「看護師がなすべきことは、対象の生活を支援すること、対象の生命力の消耗を最小限にするように整えること」と述べています。患者が小量しか食事をとならないと言う現象から、どうして食べられないのかという患者への関心について述べたものであり、生活を整えるための関わりの中で、対象の普段の生活に関する情報をうまく引き出していること。それらの情報を用いて看護独自のケアへと変えていきました。
【ナイチンゲールの言葉】
「ある看護師はいくつかの病棟の責任を持っていたが、彼女は一人一人の患者が自分で取り合わせて食べることを許されている食品のちょっとした相違の細かな部分を頭に入れていたばかりでなく、それぞれの患者がその日に何を食べたかまではっきりと覚えていた。」
(4)「患者への関わり中心」の看護を行う看護師にしか得られないもの(タスク中心型ではなく)
私たち看護師は、「仕事」を効率よく、時間内に行うことのみに心を奪われてはなりません。看護師として対象に関わる中で、電子カルテや検査データから見えないものを如何に感じて、掴んでくるかが重要です。「かかわる」という現象を通じて看護に必要な情報をとらえることで、対象理解が進み自然とアセスメントが進みます。
対象との関わり、その中から看護に必要な情報を引き出していくことの重要性について学んでほしいものです。
看護師が対象と関わる際は、何かを実行することを目的とするだけではだめなのです。「措置がミスなくできた=看護することができた」ではないのです。看護師は何を行うにしても、対象と関わる際に、そこに人が行った「看護」の足跡を残してほしいのです。
「タスク(課された仕事)中心型」と「関わり中心型」の大きな違いは、対象との関わりの時間を「看護していること、そして、看護に必要な情報を関わりの中で引き出して、自分の描いていた患者像とすり合わせ、アセスメントのアップデートをしていることです。
看護のための情報収集とアセスメントを指導する際に、有用なポイントになります。
「かかわり中心型」看護師でなければ、看護師としての思考は停止してしまいます。看護を見失ってしまうのです。
2 ナイチンゲールの三重の関心に沿って、思考力を強化する指導が効果的。
■看護師が良い看護を行うために持つべき三重の関心
ナイチンゲールの看護論では、『三重の関心』を看護概念の本質的構成要素と捉えることが多いのです。ここで、改めてこの『三重の関心』を取り挙げてみます。
ナイチンゲールが『病人の看護と健康を守る看護』(1893年)で説いていることは、看護師に要求されるものとして、体系的な看護の方法、自己犠牲、慎重な行動、仕事に関する愛着、役割に対する専心、勇気、兵士の持つ冷静さ、母親の持つ優しさ、自信過剰の無いことを示した後で、看護師は自分の仕事に三重の関心を持たなければならないことである説いています。この看護師が看護を行う上で持つべき三重の関心(Threefold Interest)は『書簡』(1897年)にも記述があり、看護の危機に関する文脈の中でも示されています。このThreefold Interestの内容は、類似していますが異なる表現もあり、『看護覚え書』(1860年)と『書簡』(1873年)においても示されています。
『書簡』(1873年)では、われわれが持つべき次の3つの関心があり、それを自分の中で失なってはならないとしています。看護師自身が看護の勉強を始めたときに比べ、どれだけその関心が強まったか弱まったか日々の看護活動の中で問いかけて見る必要があることを説いているのです。まず、この三重の関心の内容を以下の通り確認してみましょう。
Ⅰ 第一は、真実の深い宗教的感情と自分の受け持ち患者一人一人に対する個別的で母親的な深い関心を持つことである。【宗教的関心】
Ⅱ 第二は、症状とその経過に対する強い実際的な理性的ともいえる関心である。これが真の看護師を育てる。そうでなければ患者もひとつの道具にすぎないといったことになってしまう。また、看護がどんなに興味深い仕事であるかが分からない限り、私たち看護師はただの召使にすぎないことになる。その意味で、最初の患者を受け持った時からすぐに病人の観察を始める必要がある。【患者の症状への関心】
Ⅲ 第三は、看護管理することの楽しみである。看護管理は病棟を上手に切り盛りするという意味である。具体的には、病棟の空気を新鮮に保つこと、清潔にすること、物をきちんと片づけること、全体の秩序を保つこと、時間を厳守すること、受け持ち患者の病状について、外科医や内科医に正確に報告すること、それをシスターに報告すること、一言でいえば、病棟の運営に含まれる一切の仕事を執り行うことである。【管理することへの関心】
ナイチンゲールは、また、この『三重の関心』を別な形でも言及しています。一つは症例として、【理性的な知識上の関心】であり、そのためには事実に基づいた綿密な観察が必要となる。次に【同じ人間同士としての倫理的な関心】である。そして、最後に【技術的な関心】に目を向ける必要があることを説いている(1897年「書簡」)。
また、『病人の看護・健康を守る看護』(1893年)で言及されているのは、「看護師は自分の仕事に「三重の関心」をもたなければなりません。それは、自分が担当する症例への知的な関心(看護の知)と、患者に対する心からの深い関心(看護の心)、そして患者に対するケアと治癒への技術的な関心(看護の技術)です。」とある。
看護師にとっては、「三重の関心」がごく自然に湧き出てくるものだと言い、義務感によって補強されなければならないと言います。更に科学的な見地から病気の症状や種類に対する知性的な関心、次いで「人間性」が私たちの倫理的動機となるのであり、最後にして最初に信仰が出てくることをナイチンゲールは説いているのです。(1886年書簡)
以上のように見てくると、それぞれ看護婦が持つべき三重の関心を次のように纏めることができます。まず、私たち看護師が看護行為を行う上では『信仰』を前提としたうえで、ナイチンゲールの看護(論)が求めている『看護婦が持つべき三重の関心』とは、知識上の関心・倫理的関心・技術的な関心が重要であり、これらの関心が正確には看護観察をする上での基盤となることなのです。そして、この三重の関心が一体となって看護の本質を形成する必要不可欠な要素となっているのです。
(1)看護の知、看護の心、看護の技。
ナイチンゲールは、看護師は自分の仕事に三重の関心を持たなければならないといっています。症例の知的な関心(看護の知)、患者に対する心から深い関心(看護のこころ)、そして、患者に対するケアと治癒への技術的な関心(看護の技)です。
看護師が患者ために存在するということを、はっきりと理解すべきです。
これまで、アセスメントがうまくいかない三つのタイプをご紹介しました。
ナイチンゲールの三重の関心に当てはめてみると、一つ目の知識不足で情報収集が不十分なタイプは、三重の関心の「看護の知」が欠けていると言えそうです。
また、2つ目の「部分的なアセスメンはできていても、統合して考えられないタイプは、三重の関心の「看護の知」と「看護の心」のどちらか、又は療法が欠けていると考えられます。
また、3つ目の対象の関係性から引き出される現象を捉えられてないタイプは、三重の関心の「看護のこころ」が欠けているでしょう。
(2)知的な関心。
新人・後輩は知識があっても現象と関連付けることができず、知識そのものが不十分不正確です。そのため、先輩たちが充分な知識を持って指導に当たることが大前提なのですが、中にはルーティン業務が滞りなく済ませられることに満足して、自らの知識の探求をおろそかにしている方もいるかもしれません。
また、患者を受け持つなら勉強してくるのが当たり前なのに、こんなこともわからないの?これもできないの?というような反応は、パワーハラスメントと受け取られることもあります。しかし、新人・後輩の心が萎えて離職に繋がることも恐れるあまり、知識の探求につながるような発問すら控える傾向にあることも、新人・後輩に知識への関心を持たせることが難しくなっている要因かもしれません。
(3)対象への関心
新人・後輩は仕事に余裕がないため、対象に関心が持てない可能性があります。また、先輩たちは多忙な日常に埋没して、対象の人としての反応を見逃している。治療優先の病院では、安全に治療を受けてもらうことに精一杯で、表面的な代わりになっているかもしれません。
本書では、実戦力の土台となる看護師の思考過程に着目しています。特に看護師の情報収集とアセスメントを中心に、皆さんにお伝えしたいと第一章に書きました。情報収集とアセスメントは対象を捉える際に最も重要であり、ナイチンゲールの『三重の関心』の最初の二つとリンクしています。つまり、症例への知的な関心(看護の知)、患者に対する心からの深い関心(看護の心)、新人・後輩が持てるように指導・支援することが、看護師としての成長に大きく関わると考えられます。この二つの関心がしっかり持てるようになれば、自ら3つ目の技術的な関心に心が向いていくことが考えられます。
三つの関心のうち、一番重要なのが対象への関心です。対象理解や対象の個別性を踏まえた技術の提供という観点で、看護基礎技術の一年時からずっと学んできています。卒業後に看護師として一歩踏み出してからも基礎教育で学んだ「対象に関心を持つ」ことを継続させるために、OJTで意識的に指導・支援すること、指導者に限らず、組織全体がこの大正を捉え、個別性に沿った看護のケアを実践することが必要です。
本節では、三つの関心のうち、知的な関心と対象の関心を深める指導を紹介して行きます。ただし、方法を真似るだけでは効果的な指導になりません。
重要なことは、指導者が自らの看護観と向き合って、良き看護師のモデルを示すことです。それを前提に指導方法をためしてください。
ナイチンゲールの言葉から現場での学びの大切さを一度確認します。
「病気の人を看護するのが専門的看護であり、それを教えることができるのは、患者のベッドサイドや病室、病棟においてだけです。」
いかがでしょうか。どんなに素晴らしい看護研修を受けることよりも勝るものは、指導者やスタッフがベッドサイドで良い看護を行っていることなのです。それを念頭において、具体的な指導法に進んでいきましょう。実践型看護過程の各フェーズで、どのように指導しているか、具体的に紹介しました。
2 知的な関心を持てるような指導方法。
情報処理のプロセスにおいて、「思考」を進めていくには記憶が重要であることを確認しました。専門的知識の記憶、また過去の重要な状態状況での対応の記憶を今日の目の前にある現象と結び付けて情報処理プロセスを進めていき、アセスメントを言語化して出力する、また、行動に移していかなければなりません。知的な関心を持ち、知識を自分の中に蓄積させる必要があります。
(1)知識不足で、情報収集は不十分なタイプの指導
①間接的フェーズで知識を確認し、知識を増やして情報を関連付ける。
実践型看護過程の間接的フェーズで、新人・後輩が収集した情報を聞き、関連する知識について質問して行きます。紙やホワイトボードなど、皆さんが共有できるもので、関連図を視覚化して確認するとよいでしょう。キーワードだけの簡単な関連図を作成するのがポイントです。新人・後輩が答えられなければ、指導者や先輩が代わりにどんどん答えて、知識を集中的に注入します。知識の定着の関心には簡単な指導記録を作り、新人後輩が発問に応えられなかった知識を記憶して、記録して、次の主張に活かすとよいでしょう。
指導ノートや学習ノートを作成して一緒に確認してあることが効果的です。何かの知識がなかったという記録だけでなく、何を、理解、何々はさらに学習が必要など、前向きに記録することを原則とします。例えば、糖代謝については理解できる。説明できるが、インシュリンの種類別の採用についてある。以上、副作用についてはさらに学習すると良いなとポジティブな表現で記録します。対象を看護するために必要となる知識が、疾患だけでなく多岐に渡ります。少しずつ発問の範囲を広げていくようにステップを踏まないと、このフェーズで時間がかかりすぎてしまいます。一事例に2・3分で間接フェーズの指導ができることが理想です。そのように発問をするためには、患者の質問、身体的な情報を得るために必要な知識が、指導者の頭の中から芋づる式に出てこなければなりません。ですから、この指導を行うこと自体が、指導者の知識を掘り下げることに繋がるのです。指導者がなぜこうなるのか?これは正しいのか?といった疑問を常に持ち、知識を掘り下げる仕事習慣を身につけることが、発問を増やすことにつながります。
さた、発問ベースで関連知識の確認を行った後は、看護に必要な情報を確認し、集めた情報で仮のアセスメントを行って、看護診断と、その勤務帯でのOPとTPを確認してきます。この間接的フェーズでは、電子カルテの記載や医師の指示などが妥当なので、妥当なのではないかと、指導者や後輩が、先輩が批判的思考を行う所を、新人・後輩に見せて、直に患者に対して確認すべきことを話し合います。
ナイチンゲールもこの点に言及しています。
「看護師は、医師の指示や権威にひたすら盲従するのではなく、医学的指示を理解して着実に実践することを学ばなければなりません。本当の意味で指示に忠実であることは、事実的に強い責任感がなければなりません。それこそが看護の真の信頼性を保証するのです。」
②「直接的フェース」で知識を確認し、知識を増やして情報を関連付ける。
実際にチームが受け持つ感情を配信するとよいでしょう。全員で配信しなくても新人後輩が受け持つ患者のもとには、誰が一人でも一緒に行き、直接の看護観察から得たことに基づいて、その日のOP TPを確認します。勤務帯で何を行うというタスクだけを確認し合うことは、タスク中心的思考となるので避けることです。
情報アセスメント診断勤務態度を行う介入の一例を確認することが指導学習となります。電子カルテや申し送りから得たものは、ことばだけの情報なので、対象全体としてとらえるには不足です。地図は現地ではないという一般的意味の知識からもわかります。笛吹の言葉ことばだけではダメで、新人後輩のイメージが大切であることを学びましょう。
看護学生だけの頭の中に看護であるもの、看護でないもののイメージが立体的に形成されればいいのです。言葉だけでは足りません。言葉に抽象的なものが多いので、実際に患者の前に立った時に力にならない。イメージとつながる力が必要なのです。そのイメージを仲介にして、目の前の現象と理解がつながるからです。具体的に対象を人として捉えるためには、あらゆる方面からみることが大切であり、指導者はそれを伝えなければなりません。対象をイメージしながら知識を確認し、知識を増やして行く必要があります。
③報告書を利用して、知識を確認します。
新人後輩から報告を受けるときは、指導のチャンスと思ってください。まずは、彼らの報告を聞き、必要であれば一緒に患者を観察のモデルを見せます。観察すべき事を、新人後輩に見せて、本人に観察してもらうのも良いのです。一連の観察が終わったら、少し時間をとって重要な知識のみにあてた質問をします。どのように伝えれば筋道だった記録になるのか。指導者が論理的に伝わる基礎記録を打ち込むことも指導になるでしょう。観察した事のみでなく、看護師のその時点でのアセスメントも記載します。新人・後輩の看護記録を読み返してもらい、今度はこれを私にもう一度報告して、知識と関連付けてもらいます。口頭でも数字見たって伝える。指導します。踊っても知識の確認や知識を増やすことができますし、記録や方法、報告の方法を考えさせることで理想的思考が養います。重要なことは、なぜ観察するのか、どのような知識を使って看護に必要な情報を判断してもらえるのかを伝えること、また発問することです。ナイチンゲールの言葉から「観察の重要性」について学びましょう。
『確かな観察がいかに重要であるかについて考えるとき、観察が何のために行うか目的を見失ってはならない。それは雑多な情報や興味を引く事実をかき集めるだけでなく、生命を、すごい、健康と安楽にするためである。素早い確かな観察という習慣が身についていなければ、それだけで私たちは役に立つ看護師になれるというのではないけれど、それがなければ、どんなに献身的であっても、私たちは役に立たないと言ってもいいだろう。』
看護管理者や看護指導者の役目は、対象者をいかに観察するか?対象者の置かれている環境を何を観察するのか、看護師の役割なのかを新人や後輩に教えることが大切です。
④行為後のフェーズで繰り返り知識を確認して増やして行く。
勤務終了時には必ずアセスメント看護診断勤務で行ったケアについて振り返ります。糖尿病や糖尿病の食事情報について詳しい知識を発問できることが理想です。例えば、糖質と炭水化物の違いが分かるか。最近、食品表で糖質ゼロと糖類ゼロと表示する食品があるけど、その違いが分かるか。患者指導にも活かせるような知識をとってみるのも一つです。勤務開始時に作成した関連図に情報を追加していると、対象の把握が進み、次の勤務態度、必要となる情報がかなり整理できます。
3 対象の関心が持てるような指導方法。
(1)部分的なアセスメントができても統合して考えられないタイプの指導。
(イ)看護過程を使って簡潔に申し送りアセスメントを統合させる
看護アセスメントの申し送りをしましょう。部分的なアセスメントを関連付けて、そこに看護診断をつけて対象の全体を俯瞰できますし、対象の全体像をストーリーとして、理解して伝えてもらうようになります。すべての領域を関連付けなくてもよいのです。対象の状態変化に合わせて、その時関連付けられるものを結び、今後関連付けられるかもしれないものを発線で結びます。アセスメント関連図で申し送りすることを繰り返すと、自然に看護の視点でのアセスメントができるようになります。
(ロ)カンファレンスや勉強会アセスメント関連図を作成し、ケースカンファレンスを行う。
指導方法や研修やシュミレーションのデブリーフィングでは、情報を整理して枠組みや領域ごとのアセスメントを行った後に、アセスメント関連図を作成しながら、必要となる知識や対象の全体を捉えることを学ぶ方法をとります。アセスメント関連図を作成しない場合は、患者の全体像を捉えるようにします。研修やシュミレーションに参加する方々は、新人ではなく指導者管理者レベルの方々ですが、アセスメント関連図を作成して対象の全体図をプレゼンテーションするにもなかなか難しいようです。
(2)対象との関係性から引き出される現象を取られないタイプの指導。
看護の仕事は、対象を見つめることだと次のように出ています。看護という仕事は、ひとり全部違う人間に、その時その時、自分の頭をフルに働かせて関わる仕事だと思いますから、あまり減少に対応したイメージを持っている形には全く対応にならないのではないか。看護、看護教育は、なによりもまず相手を見つめるナースの頭を状況対応できる柔軟な頭につくらなければならないと考えています。看護師はどんなケアを行う場合も、診断の補助を行う場合も、対象に起きている現象を解決するだけの対応を行うことが目的ではないのだと思います。対象を見ること、起きている現象に対象がどのような反応を示しているか、生活で困っていることはないのかという心持ち細心の注意を払って、対象の反応を捉えて、その対象にベストな看護師としての対応を柔軟に考えていれには決まりきった答えはないということです。創造的かつ拡散的な思考を使いながら、対象の個別性にあったケアを作り出していくことになるかもしれません。
ナイチンゲールは、看護をアートと表現しています。ナイチンゲールのアートの言葉について、日本語の示す芸術とは異なると考え、オックスフォード辞書に基づき、「特に実践を通じて習得された特定の物事を行うスキル(技術)だと理解することが適切」だとも考えられます。
この説明を頭に置くと、ナイチンゲールの文章を読むと、看護の実践で身につけたケアを提供するスキル・アートは人に向けて行うものであることが分かります。だからこそ、対象と関わるすべての人間で、対象と対象が生活する環境から、看護の情報収集できるように指導しなければならないのです。ナイチンゲールのアートは病気の人を看護するアートです。
病気ではなく、病気の人を看護するということに注目してください。看護師は人を見る役割だということの大切さが伝わってきます。
①「直接的フェーズ」やケアの後に発問をし、モデルを示す。
直接的フェーズのように、新人・後輩たちとともに対象と関わった後に、対象や環境から何を観察したか、それがどうして看護に必要な情報と考えたかを、立ち話でよいので短時間でも振り返ることが重要です。
対象をイメージして発問を考える、対象のアセスメント関連図を念頭に考える、一緒にアセスメント関連図を供覧しながら観察したことを話す、次に対象と関わるときに観察することを考えるといった時間を1分でも2分でも取ることが大切です。
対象の全体像を常に念頭に置いてかかわることの重要性を、例え一言でも伝えると、
対象のかかわりから引き出される現象に新人・後輩の意識が向くようになります。振り返りでは、新人・後輩の発問ばかりではなく、指導者が観察したこと、指導者のケアの根拠や留意点などについて伝え、看護師の言動の一つ一つを看護にしていくことはどのようなことかを伝えて、新人・後輩に一つ一つを活かせるようにさせることです。
『患者の顔に表れるあらゆる変化、姿勢や態度のあらゆる変化、声の変化のすべてにおいて、その意味を理解すべきなのである。また、看護師はこれらのことについて自分ほどよく理解している者はほかにいないと確信がもてるようになるまで、これらについて探るべきなのである。』
『看護を専門にするからには、多くの現象をどのように知覚し、どのように感じ、どのように考えれば良いのか、その人が生きるを支える行動をとることができるか、と自己の頭脳に問いかけつつ判断できるように鍛えるほかはないのです。』
看護の職場で起こる現象は無数にあります。そのすべてが教材で、全てが学びとなります。対象の個別性に関係なくケアを行うのではなく、対象が受ける治療の介助を黙々と遂行するのでもなく、対象に関心を持ち、人を人として見ること・捉えることは現場にしかないのです。
看護師にとって大切な訓練について、「相手の位置に自分に自分を移し、相手の感情に働きかける訓練であると言えます。これは、ヘンダーソンの「皮膚の内側に入る」という意味に通じるものです。患者の気持ちに働きかけるために、どう対応していくかなど、振り返りの場面、カンファレンス、報告などで話題にすることも工夫の一つです。
②プロセスレコードを作成し、関係性から生じた現象を自ら見つけること
新人・後輩がうまくできなかった、またはうまくできた場面を取り挙げて「プロセスレコードを作成してみることが大切です。患者―看護師関係を振り返り、それにアドバイスをしていく指導です。プロセスレコードでは、多くの方が作成したことがあるかもしれません。対象の言動に対して看護師がどのように感じたか・考えたか、そして、どのような言動をとったのかを思い出し、客観的に書き出す方法です。
プロセスレコードを書くことで、その時は気づかなかった対象の感情や、対象との関係性の築き方について、新人・後輩が自ら新たに気づきをえることができます。決してダメ出しするものではありません。
この指導で大切なことは、新人・後輩が自ら学ぶように進めることです。指導者が性急にアドバイスやコメントを入れないようにすることが大切です。じっくりと時間をかけて新人・後輩が再構成し、再構成したことから学び得るようにしていきます。
新人・後輩が、対象と対象からおかれている環境から、「看護に活かす情報」をどのように収集するのか、患者のありのままを受け入れてからかかわるとはどういうことか気づき得るように導きます。
再構成した場面を通じて、客観的に自己の感情や思考を振り返り、分析することは、
新人・後輩の「メタ認知」を育てていることにつながります。看護師として対応した経験や知識が乏しい新人・後輩たちは、メタ(上位)から自分を見る余裕がありませんし、たとえ、客観的にその場をとらえたとしても、どのように自身の対応を修正していけばよいか「メタ認知的コントロール」をうまく働かせることではできないでしょう。
新人・後輩を初心者とすると、経験と知識が豊富な熟練看護師と比べて、知識や方略が圧倒的に少ないですし、メタ認知は働いていないようです。
看護師は、何かをしながら「問題はないか」「ほかに可能性があるのか」「もっと情報はなにか」考えることです。日頃から対象に何らかの対応をした後で、病室から立ち去る前にちょっとだけ、「自分が観察したこと、行ったことでよかったのかな」と考える習慣をつけさせることも、立派なメタ認知と批判的思考の強化につながります。
薄井は、プロセスレコードでの指導の意義について、次のように述べています。
『看護する上で重要な何かが含まれていると思われた場面を再構成して、客観視しながら分析し、その何かを明確にすることができればその内容は頭脳に保存されて、よく似た状況に出会ったときに、「あの時と同じだ」とひらめいて看護する方向を導いてくれるようになるのです。』
『良い看護を実践する能力を高めるための王道は、ひとりひとりの看護婦が、日常の無意識的な看護行為を意識的にとらえかえして自己評価し、看護の原理に沿った展開技術につくりかえる努力を日々重ねることのほかにはないと考えます。』
看護師の皆さんの心の中にある「看護の心」に、指導するとは何なのかを伝えたかったのです。人を育てるには、方法論だけではうまくいきません。「看護」とは何かを指導者が見つけ続けること、問い続け、日常の現場で「看護」をきちんと実践することが一番重要だと思っています。
薄井は、看護の難しさについて、「基本的に、人間存在の難しさに起因して言います。
人間は一人ひとり個別な存在ですから、人々の生きる有り様もさまざまです。したがって、「看護婦も人々に関わるときには、個別なその人にとっての意味ある内容を常に求められるということになるのです」と述べています。
つまり、対象にとって意味のある看護を提供するには、対象と対象がおかれている環境から、「看護の情報」をいかに収集するかが重要になると考えられます。薄井は、現象を看護に必要な情報にしていくのには、2つのポイントがあると述べています。
第一のポイントは、看護するとはどういうことかという目的意識です。第二のポイントは、目的意識に沿って取り出された事実の整理と、きちんとした知識体系の構築です。そして、これらから目的意識に照らして人間を見つめることとしています。
この言葉からも大切なことは、看護の目的だということがわかります。私たちは何のために存在しているのかを見失ってはいけないのです。薄井の第一のポイントとして挙げられた目的を、現場の忙しさで埋もれさせて位はいけません。指導者や管理者が意識して、努力して、看護師たちがこの目的を見失わないようにしながら、新人・後輩たちの育てていかなければならないのです。
ナイチンゲールの『看護覚え書』をはじめ、彼女の看護論について述べられた主要著作を基礎資料として、これまで述べてきたナイチンゲール野看護実践力とリフレクションを纏めると以下のようになります。
ナイチンゲールの看護における知のプロセスにおける看護リフレクションとは、「看護覚え書」をはじめとした主要著作で述べられた「看護観察」と「反省的実践」を繰り返し、経験を看護実践の知(アートとサイエンス)へと昇華させるプロセスだということです。
ナイチンゲールは、看護師がただ経験を積むだけでなく、その経験から能動的に学びを深める重要性を次のようなプロセスで説いています。
1. 「看護観察(Observation)」による事実の情報収集
ナイチンゲールの説く『看護の知』へのプロセスの第一歩は、客観的かつ鋭い看護観察は必要不可欠な要素となります。
■患者の呼吸、体温、排泄、栄養状態などの身体的変化だけでなく、心理状態や療養環境(換気、光、清潔など)を五感を使って正確に捉えます。
■この看護観察によって集められた事実の情報が、看護リフレクションの土台となります。
2. 「反省的実践(看護Reflection)」による意味づけ
看護観察して得た事実をもとに、看護師自身の看護行為や患者の状態を深く見つめ捉え直します。
■ナイチンゲールは、看護婦と見習生への書簡において「実習が終わったら、自分の部屋に帰り、
今日の出来事について静かに考えることが大切である」と述べており、経験から学びを得るための静かな内省を重んじていたのです。
■「人間とは何か」「人はいかに生きるか」という本質的な問いかけを常に行い、単なる作業としてのケアではなく、患者の自然治癒力を引き出すための最善策は何であったかを熟考することも重要な看護行為でした。
3. 「看護の実践の知(Nursing Art & Science)」の体系化
看護師の反省的実践行為において見出された暗黙知や意味、そして法則を、次の看護のケアへ応用していくのです。
■ナイチンゲールの看護理論は、経験から導き出された科学的根拠(環境を整えることで患者の生命力を最大化する)に基づいています。
■このプロセスを経ることで、看護師の個別の経験が普遍的な「看護の知」へと変換され、専門職としての成長につながるのです。
ナイチンゲールが説く看護リフレクションは、ただの反省や原因追及ではなく、「人間としてのあり方」を問い続け、患者の生命力を最大限に活かす環境を整えるための創造的なプロセスと言えるのです。
2026年5月18日 発行 初版
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