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Based on Human Population Density - Asia Leads, Africa Shines Brightest for the Future
夜の底に響く 鼓動の高鳴り
この星の重力は
ぼくらと大地を 強くつないでいる
ここで、なにをはじめようか
生まれたことを 悔やみたくないから
街の灯りが 暗がりを照らす
「チャンスはここにある」と
遠くを見つめる瞳に
再び宿る あの日の決意
まだ終わってない 終わらせない
長いトンネルの向こうで
ぼくを待っていた 高い志
希望として生まれたから
最後のときまで 希望のままで
走れ 燃やせ 流星よ
日本はグローバルな国際社会から利益をえているのであり、その国益もまた、グローバルなところに利害関心がなければならない。
日本の国是は、個人の尊厳にある。基本的人権の尊重を、憲法に偏重して理解するのではなく、国際法と国内法を両輪としたうで、個人の尊厳を語るべきである。
対内的な政策と、対外的な政策を、一貫して説明しうる理念を掲げることこそが、誰も二級市民として扱わない、憲法の理念なのであり、植民地主義の克服である。
日本の国益は、国際社会の一般利益と国益の一致点に求めなければならず、その対外政策は、国際協調主義および全世界の人びとの平和的生存権の確認を基礎としなければならない。
自国のことのみに専念して他国を無視してはならないというのが、歴史と憲法の戒めである。
1.最高の実践的根拠
カントによれば、理性的存在者(である人間)は目的自体として存在するという原理は、一切の実践がそこから導来されるべき最高の実践的根拠である。この最高の実践的根拠を定式化したのが、定言命法の派生的方式の一つである「目的自体の方式」である。
それによれば、人間は自他ともに目的自体として存在し、決して単なる手段としてのみ、道具としてのみ、扱われてはならない。この規定の仕方には、人間は、手段として扱われると同時に、目的自体としての存在性格を否定されない場合が考えられているように思われる。
人間の尊厳とは、人間の目的自体としての存在性格を意味し、したがって、最高の実践的根拠を、人間の尊厳の原則と呼んでもよいだろう。
2.法と道徳の関係性
法と道徳は、ともに最高の実践的根拠である人間の尊厳の原則に由来する。ただし、法の理想は、理想の社会秩序のうちに具体化し、道徳の理想は、理想の人格のうちに見いだされる。
「法の外面性、道徳の内面性」は、法と道徳の規律の関心の方向性としてなら、維持できる。法と道徳の関係性は、法が道徳の可能性の条件であり、道徳が法の効力の根拠であるという点にある。
しかし、法が道徳に奉仕するためには、道徳にではなく、法に固有な法価値である正義に基づかなければならない。正義は平等を意味し、法価値とは、社会関係における人間の尊厳の平等である。
3.国家平等の原則と人間の尊厳
国際法の基本原則である国家平等の原則は、法価値である人間の尊厳の原則に基づく。国家は管轄権内の人間の尊厳の原則を尊重する国際法における法主体として平等の価値を有し、国家の平等性は、人間の価値の等価性に由来するといえるだろう。
第一に、国家平等の原則は、「法の前の平等」を意味する。これは、国際法の適用における一貫性を求めるものであるが、それだけではなく、法規範の適用における理由の整合性、国際法規範秩序の無矛盾性をも求めるものと解すべきだろう。
第二に、国家平等の原則は、国家の基本的権利義務における一般的平等性を意味するだろう。国際法の公平性は、特別の事情がない限り、国家を平等に扱う点にあり、このような平等に基づくからこそ、各国は特別な権利義務関係を締結しうるのである。
第三に、国家平等の原則は、法定立主体としての国家の平等性を意味する。国家は、国内法においては単独で、国際法においては共同で立法を行うのであり、条約においては対等な当事者として、慣習国際法においては、国際社会の一般的承認の構成員として、国際立法に参加する。
4.国際法の目的の二段階説
国際法の第一の目的は、国際の平和と安全である。国際法においても、国内法においても、第一に優先されるべきは、生命権の尊重である。人は生命権を奪われると、全ての権利を失う。それゆえに、生命権は、何よりも基礎的なのである。
そして、国際法のより高次の第二の目的が、人類の福祉という表現をまとった、法価値である人間の尊厳の原則なのである。世界人権宣言に基づく国際人権法の発展は、国際法という法的基盤が欠かせなかったように、第二の目的の実現には、第一の目的が土台として必要なのである。
それは、平和共存の国際法に、国際協力の国際法が基づくことを意味しうるだろう。
1.法価値
人間の最高の実践法則は、人間は目的自体として存在するという原理である。この原理を、正義に当てはめると、正義は平等を意味するから、人間の目的自体としての平等を帰結することになる。人間の「目的自体」という言葉は、「尊厳」と定義できるから、正義とは、人間の尊厳の平等を意味する。
2.法的拘束力
法的拘束力の本質は、法価値であり、人間の尊厳の平等である。すなわち、法価値は、あらゆる法規範の妥当根拠であり、法体系の紐帯である。どのような個別の法規範も、法価値の観点から説明可能でなければならず、正義に適合するという正義要求をもつ。
現実においては、法規範の正義要求への審査が問われる。法的拘束力の有無の判断である。それには、実定法と司法制度のような実施機関が必要となることは、言うまでもない。
3.公共的正当化
公共的正当化は、実体的規範であると同時に、手続的規範でもある。法規範の正義要求とは、法規範の妥当根拠に「公共的理由」をもつことを意味し、公共的理由に基づく規範的主張、すなわち、「公共的正当化」を意味している。
他方、公共的正当化は、法価値という目的に対して、手段としての価値も有している。法の定立においては、自他の視点の対等性を承認し、相互の対話によって、「公共的理由」を同定し、具体的な実定法規範の定立に結実させることが求められる。
ここでは、公共的正当化は、手続的正義として機能している。たとえば、国際法においては、形式的法源の基礎には、公共的正当化の理念が妥当し、その観点に立ち、慣習国際法の二要件論や、条約の成立要件、さらには国際法における原理の機能を、理解する必要がある。
ここでは、大国の力学が働くこと自体を批判する必要はない。法学徒は、手続的正義に基づき、法規範の成立要件を適用すればよいのである。
4.法的制裁の意味
国際法における対抗措置や、刑法における刑罰のように、制裁においては、制裁の対象となる国家や個人にとっても、積極的な意義がなければならない。一方的な正義というのは、概念矛盾である。
正義が人間の尊厳の平等であるからこそ、法的制裁は、制裁の対象を責任の主体と捉えて、正常な正義の関係に復帰・回復することを求めるものでなければならない。
国際法においては、対抗措置の要件や、国際刑事法の要件が、「公共的理由」に基づき妥当している点に、法的制裁に対する規範上の制約がある。
5.人間中心主義の意味
人間の尊厳の平等は、人間中心主義の表明である。それは、宇宙や地球の環境、命、または将来の世代に対する責任の自覚でなければならない。その意味では、環境問題も、開発問題も、アニマルウェルフェアも、人権問題である。
そして、この人間の尊厳の平等こそが、公共的正当化の基礎であり、「公共的理由」を同定する前提である。人間同士の相互性から、「公共的理由」を議論し、地球規模の共通課題に向き合うことが、人間の責任によって、求められている。
公共的正当化は、動物の権利を持ち出さずとも、動物に対する人間の責任を、「公共的理由」の観点から、相互に話し合えばいいのである。
1.法的拘束力の識別基準
法的拘束力は、法規範の有効性を意味し、あらゆる法規範が備えるべき特質である。法的拘束力の認識には、法規範の成立要件と実質的価値としての法価値という二段階の審査が必要である。
法規範の成立要件は、法と非法を識別する基準であり、国際法においては、形式的法源を指すだろう。すなわち、慣習国際法の二要件論や条約の成立要件である。
しかし、法規範の成立要件という用語が示唆するように、それ自体が法規範として解釈・適用を要する。法規範の成立要件の法的拘束力が問題となるのであって、その基礎は実質的価値としての法価値でなければならない。
そうなると、法規範の成立要件を満たしたことは、法規範の成立にとって十分条件ではなく、必要条件であり、それに加えて、法価値を著しく侵害しないことが要件となるだろう。
なお、法秩序の実質的価値の源泉となるのは、「人間の尊厳の平等」という法価値であり、国際法における強行規範などの、実質的価値を基礎づけている。
2.法的拘束力と法の実効性
法の実効性とは、法が事実において遵守されているか、という事実の問題である。法的拘束力は、規範の問題であり、事実の問題である法の実効性によって基礎づけられることはしない。
しかし、およそ実効性を欠く法秩序は、法の優先課題である法的安定性を与えることができないのであって、法秩序の実効性は、法秩序が法的拘束力を備えるための、規範上の条件となると考えられる。
その場合、法は実効的であるがゆえに法的拘束力をもつのではなく、実効的であることによって法的安定性を与えうるがゆえに、法的拘束力をもつのである。
法秩序の全体としての実効性と、個別の法規範の実効性は区別しなければならない。法秩序の法的拘束力を条件づけるのは、前者である。
法秩序の実効性は、権力の存在を前提し、権力は実定法の「実定性」の源泉となるだろう。また、実定法の成立要件の認識には、法秩序を尊重する人びとの「内的視点」に立つ必要を伴う。
その際、誰の「内的視点」かを問うことは不毛である。「内的視点」とは、具体的実定法秩序の妥当根拠への視座と定義すればよい。

1.「公共的正当化」の要請
(1)プロセスとしての公共的正当化
井上達夫によれば、「公共的正当化」とは、自己の視点に深くコミットしつつも、他者をもまた他者自身の視点に深くコミットした存在として承認し、自己の視点のみならず他者の視点からも受容可能な共通の正当化理由を同定し、自己の他者に対する規範的主張をそのような「公共的理由」(public reason)に基づかせることを指す。(井上 2003, p. 24)
(2)「立場の反転可能性」
この「公共的正当化」には、「立場の反転可能性」の要請が含まれる。これは、「公共的理由」を求める思考プロセスまたは対話プロセスであり、自他の立場が現状と反転しても、なお首尾一貫して受容しうる規範的主張を探すものである。
2.「法的信念」の再構成
(1)正しさへのコミットメント
田畑茂二郎によれば、法的信念を、法的義務実践の意識とみることは間違いである。慣習国際法の成立以前に、自ら一定の法的義務を実践しているといった意識を予定することは、国家に誤信を求めるものだからである。田畑によれば、「法的信念というのは、一定の慣行を法的に拘束的なものと認めるのが正しいとする信念だとみるべき」である。(田畑 1957, p. 86-7)
すなわち、法的信念は、国家による正しさの表明なのであって、「公共的理由」に基づいた規範的主張なのである。この法的信念の公共的性格があるからこそ、諸国による一般的承認が可能となるのである。
(2)慣行への法的意味の付与
慣習国際法の成立において、国家の規範意識の介在が求められる理由の一つには、国際礼譲のような非法的な慣行から、慣習国際法の成立要件の証拠として法的意味のある慣行を区別する必要があるからである。
すなわち、慣習国際法の成立要件における国家実行の証拠は、法的信念を基準として参照される。
3.国際社会による一般的承認
(1)「一般慣行」の役割
正しさの主張は、一つとは限らないのが通例である。公共的理由に基づく規範的主張である法的信念は、国際社会による一般的承認を通じて、客観的な実定法規則として具体化・結実しなければならない。それを実証するのが一般慣行の要件である。
田畑茂二郎によれば、一定の慣行が成立したといわれるためには、少なくとも、諸国家の一定の行態の繰り返しに基づいて、特定の事項について、多数の国家が当然一定の行態をとるだろうという、一般的な期待が成立することが必要である。(田畑 1957, p. 82)
(2)一般慣行の証拠と法的信念の証拠の関係
一定の諸国の間で共有されている法的信念について、国際社会による一般的承認を確認する上では、一般慣行の成立が必要である。そのためには、一般慣行の証拠としての国家実行には、法的信念を構成する証拠としての国家実行が含まれてよいと考える。
4.「一貫した反対国の理論」
岩沢雄司によれば、「一貫した反対国の理論」は、国際法の規則が多数の国の慣行に基づいて慣習国際法になることを認める一方で、ある国が当初からその規則に反対し続けていたときには、その規則はその国に対しては対抗できないとする主張である。(岩沢 2020, p. 54)
しかし、「特殊意志」は法を生まない。「一貫した反対国の理論」が有効に主張されるためには、それが国際社会の「公共的理由」に基づき、問題となる慣習国際法規範に対する例外規定として、国際社会による一般的承認を集め、一般化可能である場合に、合法的な逸脱を認められる可能性があるに留まるだろう。
井上達夫(2003)『法という企て』、東京大学出版会
田畑茂二郎(1957)『国際法Ⅰ』、有斐閣
岩沢雄司(2020)『国際法』、東京大学出版会
1.条約解釈の一般原則の相互補完
(1)文言主義解釈:用語の通常の意味
文言主義解釈は、当事国の合意は条約文に表明されているとして、用語の通常の意味によって条約を解釈すべきとする。ICJは、1950年平和条約解釈事件では、目的論的解釈も実効性原則も、自然で通常の意味に反する意味を正当化するものではないとした。
しかし、用語の通常の意味が明らかである場合は、規定の目的もまた明らかなのであって、目的が不明確な場合、用語の意味は、条約における規定の目的を明らかにしてから、与えられなければならないだろう。
(2)目的論的解釈:実効性の原則
目的論的解釈は、条約はその目的に照らして解釈すべきとするものである。ウィーン条約法条約31条1によれば、条約は、「文脈」と「条約の趣旨及び目的」に照らして与えられる「用語の通常の意味」に従い、誠実に解釈するとされる。「用語の通常の意味」は、単独では与えられないのである。
岩沢雄司によれば、条約はその通常の意味と目的に照らして十分な効果を与えるように解釈すべきとする「実効性の原則」は、信義則と目的論的解釈から、導かれる。(岩沢、2020, p. 108)
なお、目的論的解釈は、条約の「文脈」によって限定されなければならないだろう。
(3)意思主義解釈:補足的手段
意思主義解釈は、条約の解釈は条約を締結した当事国の意思を確認することであるとする。しかし、確認されるべきは、当事国間の合意であり、当事国の意思は、条約の趣旨及び目的に照らし、規定の目的を明らかにしたり、「文脈」の内容を確認するうえで必要となるものである。
特に、この立場が重視する条約の準備作業は、ウィーン条約法条約32条によって、解釈の補足的手段とされ、二次的な役割を与えられているのである。解釈の補足的手段は、(a)原則により得られた意味を確認するため、(b)原則に従った解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合、(c)原則に従った解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合である。
2.文脈と文脈とともに考慮すべきもの
(1)「文脈」
PCIJ は、1922年の農業労働に関する国際労働機関の権限に関する勧告的意見において、条約は全体として読まなければならず、その意味は文脈から切り離して決定できないと指摘した。
ウィーン条約法条約31条2によれば、「文脈」には、(a)前文と附属書を含む条約文と、(b)条約の締結に関連してすべての当事国の間でされた条約の関係合意、(c)条約の締結に関連して当事国の一又は二以上が作成した文書で、これらの当事国以外の当事国が条約の関連文書として認めたもの、が含まれる。
(2)文脈とともに考慮すべきもの
ウィーン条約法条約31条3によれば、文脈とともに考慮すべきものとして、(a)条約の解釈又は適用につき当事国の間で後になされた合意、(b)条約の適用につき後に生じた慣行であって、条約の解釈についての当事国の合意を確立するもの、がある。
(3)統合解釈原則
さらに、ウィーン条約法条約31条3(c)によれば、文脈とともに考慮すべきものとして、当事国の間の関係において適用される国際法の関連規則がある。
条約の規範内容は、その条約単体で完結するものではない。この規定は、国際法の断片化との関係で重要性をもち、単なる形式的な参照ルールではなく、「国際法秩序の体系的一貫性を維持するための積極的な解釈指針」へと再定義されることになるだろう。
3.解釈の発展:発展的解釈と「生きた文書」
条約の解釈にあたっては、以上の理由により、条約締結時の締約国の意図の確認が重要であり、締約時の用語の意味を考慮する必要があることは認められる。しかし、ここでは、一般的言語による指針の限界として、ハートの「法の開かれた構造」の議論を踏まえておく必要がある。
第一に、人間は事実について全知ではないから、立法者は、将来に生じうるあらゆる状況を知り尽くした上で、法を制定することができない。第二に、人間の目的は相対的に不確定であるから、立法目的の一部は、新たな事例への適用が問われて初めて明確になる。(瀧川他 2014, p. 220)
欧州人権裁判所が、欧州人権条約を「生きた文書」とし、条約起草者の意図を超える解釈を採用していることは、法の解釈としては、ある程度必要なことであり、また、健全な態度でもあるだろう。
岩沢雄司(2020)『国際法』、東京大学出版会
瀧川裕英・宇佐美誠・大屋雄裕(2014)『法哲学』、有斐閣
1.法システムに内在する原理
国際法における法の一般原則には、法システムに内在する原理と、国際社会に適用可能な各国国内法の共通原則に区分されると考える。
法システムに内在する原理は、国内法と国際法がともに前提せざるをえない法原理であり、その例としては、裁判不能の禁止、法の前の平等などがあげられる。
2.各国国内法の共通原則
国際法における法の一般原則には、各国国内法の共通原則としての意味がある。この場合の法の一般原則は、法原理の国際社会への適用可能性が別に問われなければならない。
この第二の意味の法の一般原則の適用を基礎づけるのが、第一の意味における法システムに内在する原理である。
具体的には、裁判拒否の禁止という法原理が、裁判官に、適用可能な法の一般原則の探究を要請するのであって、その際、国際社会への適用可能な各国国内法の共通原則も参照されることになる。
すなわち、各国国内法の共通原則における国際社会への適用可能性を判断をするのは、裁判官であり、それを要請するのは、法システムに内在する原理である。
3.慣習国際法による基礎づけの困難性
法の一般原則は、条約や慣習国際法が不明確な「法の欠缺」において、特に参照される必要があり、法の一般原則に慣習国際法化を求めると、法の一般原則における法の欠缺補充という重要な機能が説明できないのである。
また、法の一般原則の適用を、全体として認める慣習国際法が存在するという議論がありうるが、その場合は、各国国内法の共通原則の国際社会への適用可能性を誰が判断するのか、という問題が残るのである。
〔補足〕 法的ルールと法的原理
裁判官は、特定のケースについて、白黒をはっきりつける形で判決しなければならない。その白黒の基準が法的ルールであり、それを指導するのが法的原理である。
裁判官は、まず、結論の妥当性を訓練された衡平感覚によって直観するのであり、判決の定式化のために、先例や既存の法的ルールと、それらを導いた各法的原理を往復する。それによって、直観の修正も行われる。
もし、今までの法的原理とは別の正当化理由によって、法的ルールの適用を伸縮することが求められていると判断した場合、裁判官は、法的原理の整合性を目指し、法の無矛盾性を法解釈の内的要請として堅持しなければならない。
判決を基礎づけた白黒をつける基準と、それを導いた法的原理は、一般化可能な形で定式化されなければならず、判決の先例としての価値は、必ず法的原理と法的ルールをセットで判断されなければならない。
法的原理の整合性に基づく法の無矛盾性は、法的安定性の要請であると同時に、法価値である「人間の尊厳の平等」の要請でもあるだろう。そこには、秩序の基礎としての平等の観念が生きているのである。
1.集団安全保障の意義
(1)勢力均衡政策の内在的矛盾
集団安全保障の確立は、勢力均衡の破綻が第一次世界大戦を引き起こした反省に立脚していた。勢力均衡は、均衡させるべき勢力の測定における不確定性から、各国がより強大な軍備を獲得しようとし、結果、軍拡競争と同盟政策の追求により、国際緊張が危うくされるという、内在的矛盾を含んでいる。
(2)「協力的安全保障」の構想
集団安全保障は、二つの要素からなる。第一に、一定の場合における武力行使の禁止を約束し、第二に、約束を破って武力行使を行った違反国に対しては、加盟国が総力を結集して対処するというものである。
通常の同盟政策が、仮想敵国を外側に持つのに対して、集団安全保障は、潜在的な違反国を内側に包摂するのであり、前者が「競争的安全保障」であり、後者は「協力的安全保障」と呼ばれることがある。
国連憲章は、武力行使禁止原則を確立し、集団安全保障における強制的措置を、安全保障理事会に集権化した。
(3)安保理の機能と武力不行使の非リンク論
国連の武力行使禁止原則の有効性は、集団安全保障における安保理の強制的措置が機能することを前提しているという主張がある。
しかし、武力行使禁止原則は、強行規範の顕著な例をなすというのが、ILCの見解であり、武力行使禁止原則のコロラリーとして、武力によって締結された条約の無効、侵略戦争の犯罪化などが導かれる。
武力行使禁止原則は、国連憲章を超えて、慣習国際法上も、現代国際法の基本原則として妥当するのである。
2.二つの例外:安保理の強制的措置と自衛権
(1)安保理による自衛権行使の統制
武力行使禁止原則の例外は、安保理による強制的措置と、自衛権の行使とである。
国連憲章51条は、自衛権を「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」の、暫定的性格のものと位置付け、「この自衛権の行使に当つて加盟国がとつた措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない」とする。
したがって、加盟国による自衛権の行使の当否は安保理の事後的審査に服することになる。
(2)安保理の機能不全:常任理事国の拒否権
しかし、安保理による強制的措置も、自衛権の事後的審査も、常任理事国の拒否権行使による安保理の機能不全を想定しなくてはならない。
したがって、各国は、国連憲章の加盟国として、武力行使禁止原則を尊重しながらも、集団安全保障による公助の欠如を、十分に想定して、自国の安全保障を確立する必要に迫られる。
3.個別的自衛権の要件
(1)「武力攻撃」の存在:先制的自衛の否定
第51条は、「武力攻撃が発生した場合」に、自衛権の行使を認めている。これは、先制的自衛を否定する趣旨と一般に解されており、松井芳郎によれば、「自国に対する武力攻撃が主観的に恐れられるだけでは足らず、その発生が事実として客観的に証明される必要がある。」(松井芳郎 2018, p. 48)
(2)「武力攻撃」に至らない武力行使の対処
これとの関連で重要なのは、ICJがニカラグア事件判決で、「武力行使の最も重大な形態」から、「他のより重大でない形態」を区別している点であるだろう。自衛権の行使を正当化するのは前者であり、後者は「被害国の均衡性ある対抗措置のみを正当化」する。(杉原高嶺他 2014, p.167-8)
後者の場合における対処は、武力の使用を伴わない非軍事的な対抗措置や、国内であれば、法執行活動も考えられるだろう。
(3)「必要性」と「均衡性」の要件
また、第51条には規定されていないが、ICJ の判例によれば、慣習国際法上の要件として、「必要性」の要件と「均衡性」の要件に、従わなければならないとされてきた。
前者によれば、自衛のための行動は、武力攻撃を撃退するために必要な限度内にかぎられ、かつ、後者によれば、攻撃行為と均衡を失するものであってはならない。(松井芳郎他 2007, p. 294)
(4)自衛権行使の自己判断権の主張
自衛権主張の当否は、だれが判断するのか。第51条は、自衛権行使は安保理の統制に服すると規定している。しかし、ニカラグア事件でICJは、「ある問題が安保理に付託されているという事実は、その問題をICJが審理することを妨げない」と判示し(杉原高嶺他 2014, p. 167)、司法審査の可能性も認めている。
ただし、安保理は拒否権による機能不全が考えられ、また司法審査は、管轄権が合意管轄を基本とすることから、限定される。しかし、自国の立場が、誠実な法解釈に則ったものであるという事実は、国際世論に訴えるものがあるだろう。
4.集団的自衛権をめぐる各立場
第51条は、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」と規定している。集団的自衛権については、松井芳郎によれば、三つの立場がある。
「:①同じ国から同時に攻撃を受けた複数の国が個別的自衛権を共同で行使する権利;②攻撃を受けた国を援助する第三国の権利;③ある国が攻撃を受けることによって自国の死活の利益が侵害されたと判断する国がこの死活の利益を守るために武力を用いる権利。」(松井芳郎 2016, p. 293)
(1)個別的自衛権の共同行使
①の立場は、集団的自衛権を個別的自衛権に解消して理解する立場であり、第51条で、個別的自衛権と合わせて集団的自衛権を規定する趣旨が理解されていないと一般に解されている。
(2)「他人の権利の防衛」の類推
②の立場は、国内刑法上の「正当防衛」の類推から考えると分かりやすい。すなわち、刑法第36条は、「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」と規定する。
集団的自衛権は、この「他人の権利を防衛する」場合に相当する。しかし、第三国が自らの認定でいずれかの当事国のために集団的自衛権を行使するのは、紛争拡大という点で、問題がある。
(3)「密接な関係」の想定
③は、被攻撃国と援助国との間に、「密接な関係」を求めるものであり、地理的な近接性だけでなく、政治的な結びつきや経済的または戦略的な性格のものまで含まれるとすると、集団的自衛権に対する制約としては、ほとんど意味を失うのではないか。
むしろ、武力行使禁止原則に対する違反は、ICJ がバルセロナ・トラクション事件で示した、「国際社会全体に対する義務」の違反を構成し、全ての国が法的な利害関心を有している。
したがって、「密接な関係」という主観的な判断基準に代わる、客観的基準の必要性はあった。ニカラグア事件のICJの判決によれば、「集団的自衛権の行使は、被害国が攻撃を受けたことを宣言し、要請することが要件」であるとされている。(杉原高嶺他 2014, p. 168)
それは、集団的自衛権においても、先制的自衛の否定を原則とし、自衛権行使の第一義的判断権を被害国に限定することと、要請の要件によって、客観的基準を打ち立てるとともに、紛争拡大に歯止めをかけたものと理解しうる。
岩沢雄司編(2019)『国際条約集2019』、有斐閣
杉原高嶺・酒井啓亘編(2014)『国際法基本判例50第2版』、三省堂
松井芳郎他(2007)『国際法第5版』、有斐閣Sシリーズ
松井芳郎(2016)『第3版国際法から世界を見る』、東信堂
松井芳郎(2018)『武力行使禁止原則の歴史と現状』、日本評論社
国連憲章第2条3によれば、「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない」と規定し、加盟国の紛争の平和的解決義務を一般的に定めている。しかし、国連憲章を全体として見れば、国連による平和的解決手続の効力は、勧告に終始し、加盟国は紛争解決における自国の自由を留保しているのである。
国際機構による紛争解決については、調停の一形態と見るか仲介の組織化と理解するかについて、学者の意見が一致していないという。調停とは、個人資格の委員で構成する国際調停委員会が紛争をめぐる事実と法を審査して解決案を提示するが、当事者を拘束しない。
また、仲介は、第三国が当事者に交渉を促したり、場所を提供するなどの形で交渉の便宜を図る(周旋)のみならず、第三国が交渉の内容に立ち入って解決条件を提示する場合を指す。
詳細には深入りしないが、安全保障理事会も国連総会も、紛争の解決条件または解決手続を勧告する権限を有してはいるが、やはり当事者を拘束することはできない。したがって、この種の国連機関による紛争の平和的解決の勧告は、政治的影響力を伴った解決の公正性が、当事者による自発的受諾を必要とする以上、不可欠となる。
大国の政治的影響力を伴う安全保障理事会と、加盟国の主権平等が貫徹している国連総会では、その勧告の内容と解決の公正性において、異なる性質を帯びることが考えられるが、国連の平和的解決手続においては、安全保障理事会に係属している紛争は、原則として総会の勧告権限を制約する。
ただし、国連において紛争当事国は、国連憲章第33条によって、紛争解決手続における選択の自由が尊重されている側面もある。しかし、「その継続が国際の平和及び安全の維持を危くする虞のある」紛争においては、加盟国および安全保障理事会ならびに国連総会は、国連の目的に従い、適当な対処をとることが制度的に求められている。
田岡良一(1959)『国際法Ⅲ』、有斐閣
松井芳郎(2011)『第3版国際法から世界を見る』、東信堂
日本は、核兵器禁止条約に参加せず、核兵器国と非核兵器国の橋渡しを目指す。そこには、アメリカの核の傘に参加しているという、安全保障上の理由があるだろう。
日本は核不拡散条約(NPT )を重視するようであるが、NPTは、IAEAによる査察の法的根拠として重要であり、主要な核兵器国が締約国であることから、現代の核軍縮の枠組みとして、意義を失っていない。
橋渡しとしての日本の立ち位置として重要となる法的文書は、ICJの核兵器使用の合法性に関する勧告的意見である。
この判決は、核兵器の一般的違法性を認定しながらも、「自衛の極端な状況」において、合法・違法の判断を控えるとした。
核兵器の威嚇または使用が抵触する国際法の諸規則は、とりわけ国際人道法の諸原則および諸規則である。
松井芳郎によれば、まず、その破壊力が空間または時間のいずれにおいても限定することはできない核兵器の使用は、区別原則が禁止する無差別攻撃となる。
さらに、その使用が将来の世代に対して重大な危険を及ぼし、遺伝的障害や疾病の原因となる潜在力を有する核兵器は、不必要な苦痛を与える兵器以外の何ものでもない。(松井 2011, p. 270)
このICJの勧告的意見において特筆すべきは、「厳格かつ実効的な国際管理の下における全面的な核軍縮に導く交渉を、誠実に遂行しかつ完了させる義務が存在する」ことを確認した点にある。(杉原他 2014, p. 176)
これは、核兵器不拡散条約の第六条における核軍縮の「誠実に交渉を行う」義務を再認識するものであり、NPTの交渉レジームとしての重要性が指摘できる。
日本は、核兵器国に対し、核兵器の一般的違法性を主張するとともに、「自衛の極端な状況」について核兵器国の立場へ理解を示し、この二つの理由を統合し、核軍縮の誠実な交渉義務を主張していけるだろう。
しかし、このアプローチの落とし穴は、「自衛の極端な状況」の不確定性にある。ただし、ICJによれば、核兵器の使用が「合法であるためには武力紛争法の諸要件とも合致せねばならない。」(杉原他 2014, p. 175)
その性質において、国際人道法の一般原則と矛盾する核兵器は、武力紛争法の諸要件に違反し、例外の抜け道を開くことには、原則として、懐疑的であることが求められているといえるだろう。
「文民及び戦闘員は、この議定書その他の国際取極がその対象としていない場合においても、確立された慣習、人道の諸原則及び公共の良心に由来する国際法の諸原則に基づく保護並びにこのような国際法の諸原則の支配の下に置かれる。」(第一追加議定書1条2項)。
これは、国連憲章、日本国憲法前文にも劣らない、現代において最も重要な法の表明の一つであるだろう。「自衛の極端な状況」は、法的な空白でも、良心の空白でもないのである。
日本は、「理想論としての軍縮」ではなく、共通の法的理念・原則を確認しつつ、「核依存度を段階的に下げるための現実的なプロセス管理」をいかに主導できるかが問われている。
各国は、競争的安全保障における核兵器の脅威を共通認識とし、いかに協力的安全保障に転換しつつ、その枠組みの中で、核軍縮を進展させうるか、その必要性と合理性を共有しなければならない。
各国の戦略的自律性と安全保障政策上の共通利益を結びつけることが肝要である。
松井芳郎(2011)『第3版国際法から世界を見る』、東信堂
杉原高嶺・酒井啓亘編(2014)『国際法基本判例50第2版』、三省堂
1.「責任ある主権」の基本構造
(1)国家の第一義的な責任
国家は、自国の管轄権内の人間の尊厳と基本的権利を確保する第一義的な責任を有し、同時に、他国のそのような対内的な責任を尊重する義務を有する。
ここで、責任と義務という言葉を使い分けているのは、責任ある主権の概念が必ずしもハード・ローとして成熟しているとは限らず、他方、後者は、内政不干渉義務として確立していることによる。
(2)国際社会の第二義的な責任
国家が、自国の第一義的な責任を果たす能力がないか、意志を欠く場合、または、国家自身が、人間の尊厳や基本的権利を侵害する場合、国際社会は、第二義的な責任を行使しなければならない。
国際社会の第二義的な責任は、防止する責任、対応する責任、復興する責任からなる。この中で、実践的に最も重要なのは、防止する責任であり、大量の人権侵害の発生は、国際政治の敗北と見なければならない。
2.「保護する責任」の基本構造
(1)「人道的介入」との差異
国際社会の保護する責任における対応する責任は、人道的介入と以下の二点で大きく区別されうる。
まず、対応する責任は、人道的介入とは異なり、人権侵害の事態を阻止するだけではなく、防止する責任および復興する責任とセットで考えられていることにある。
さらに、対応する責任は、国連安全保障理事会の決議に基づく国連の強制的措置として考えられていることである。
(2)超法規的措置の危険性
人道的介入は、安全保障理事会の機能不全も想定するものだが、超法規的措置としての人道的介入は、大国のダブルスタンダードや、現代国際法における武力行使禁止原則の重要性を踏まえ、慎重な議論を要する。
3.「人間の安全保障」との親和性
欠乏からの自由と紛争からの自由、さらに尊厳のある生を掲げる人間の安全保障は、国家の安全保障を補完する、現代における必須の国家戦略であり、人間の尊厳と基本的権利を強調する責任ある主権とも親和性をもつ。
とくに、紛争の原因である社会的不公平の是正を求める人間の安全保障は、国際社会の防止する責任にとっても、復興する責任にとっても、不可欠な視点とノウハウを提供するだろう。
1.「敵を作らない」協力的安全保障と人権
国家の安全保障のグランドデザインは人類への貢献である。その基礎は、個人の尊厳という普遍的価値であり、そのための優先課題が国際の平和と安全である。
国際の平和と安全にとって、重要なのは、国連憲章第103条に基づく憲章義務の優先性であり、地域的取り決めも、憲章義務の尊重が義務づけられているのである。
その際、地域的取り決めが、競争的安全保障の軍事同盟としてではなく、国連の「協力的安全保障」の一環として、集団安全保障を補完する役割を自己に与えることが重要である。
国連加盟国および地域的取り決めが、普遍的価値としての国際人権という国際的合意を、連帯と団結のいしずえとし、さらに、国際の平和と安全の維持のため、武力行使禁止原則と紛争の平和的解決義務を安全保障政策の建て前とする。
有事の際の備えは、このグランドデザインを機能させるための、手段として重要であるが、仮想敵国を想定した競争的安全保障は、手段の目的化であってはならず、協力的安全保障も見据え、大局的な舵取りが求められる。
2.「共通の敵(課題)」の可視化
国家対国家の図式では対立する敵国とも、「人間の安全保障」や「持続可能な発展」というフレームワークに立つことで、気候変動・パンデミック・貧困・AIのリスクなど、地球規模の課題に挑むパートナーへの関係性を再定義できる。
その根底にあるべきなのは、やはり国際社会の普遍的価値であり、国際人権である。各国は、地球規模の課題に真摯に取り組むことによって、信頼関係を醸成するのであって、それは協力的安全保障の素地を用意するだろう。
特に、人間の安全保障による紛争原因の除去の取り組みは、国家の安全保障を補完する必須の政策であり、グローバル化した国際社会にあっては、一国の安全は、他国の安定と密接不可分の関係でつながっているのである。
国際社会の分断の時代にあって、分断を前提した安全保障政策の立案に、合理性はあるだろうか。共通の土壌に立って、国連憲章および世界人権宣言という第二次世界大戦のレガシーを、グランドデザインの根幹にすえることが、現実的路線であり、安全保障政策の合理性でもあるだろう。
―――安全保障理事会の機能不全があるからこそ、地域的取り決めや同盟関係の補完的意義が高まるのであり、個別的・集団的自衛権は、競争的安全保障だけではなく、国連の協力的安全保障の中で、位置づけられるべきと考える。
3.協力的安全保障の包摂性
協力的安全保障においては、自衛権の行使は、進行中の違法行為の「阻止・停止」を目的とし、同時に、対話と平和的解決のフェーズへ移行する「出口戦略」を提示し続けることが不可欠である。
それは、違反国に対して常時対話のドアを開くことで、違法行為をやめれば安全保障上の対話の枠組みにいつでも復帰できるというインセンティブを与えることを意味する。
このことは、共通の課題の可視化による、パートナーの関係性を維持し、協力的安全保障の枠組みから違反国を排除することなく、包摂し続けることの重要性を帰結しうる。
〔国際人権法入門のポイント〕
・基本的人権は法価値である「人間の尊厳の原則」に基づく。
・基本的人権の最も重要な権利は「生命権」である。
・基本的人権が実定法になるには、国内法か国際法として規定される必要がある。
・国際人権法の国家の義務は、「尊重の義務」、「保護の義務」、「充足の義務」に分類される。
・社会権の漸進的実施義務には、「最低限の中核的義務」として、即時的実施義務が含まれる場合がある。
1.人権としての「水と衛生への権利」
東澤靖によれば、2010年以降、国連総会では「水と衛生への権利」についての議決が採択されており、「水と衛生への権利」が、相当な生活水準・健康への権利・生命や尊厳への権利に密接に関連するものであると同時に、独立した対応が求められる問題であることを指摘している。(東澤 2022, p. 157)
すなわち、「水と衛生への権利」は、法価値である「人間の尊厳の原則」の要請であると同時に、最も基本的な権利である「生命権」の要請でもある基本的人権なのである。
2.法的権利としての「水と衛生への権利」
(1)「水への権利」の「相当性」
「水と衛生への権利」が法的権利として実定法化されるには、国内法化または国際法化されなければならない。
ここでは、国際法上の議論として、人権条約の各権利に密接に関連していることから、条約上の義務として法的権利としての「水と衛生への権利」を導く可能性を考えることができる。
これに関連して、社会権規約委員会は、水への権利が生活水準や健康への権利に含まれることを確認してきたという。相当な生活条件の一つとしての水への権利は、水の利用可能性、水質、アクセス可能性において相当なものであることが必要とされる。(東澤 2022, p. 157)
(2)国家の義務の三類型
また、東澤靖によれば、国際人権法の下での国家の義務は、「尊重の義務」、「保護の義務」、「充足の義務」の三つに分類される。
国家が自ら人権侵害を行わない義務である「尊重の義務」でいえば、国家が個人の水へのアクセスを妨げないこと、水の供給を減少させないこと、汚染しないことなどが含まれる。
人権侵害から個人を保護する義務である「保護の義務」、および基本的な人権の享有を促進するための積極的な行動をとる国家の義務である「充足の義務」においては、水道事業を行う企業を含めて、第三者によるアクセスの制限、水資源の汚染や不当な搾取などに対して、国家は必要な措置を取らなければならない。(東澤 2022, p. 49-50, 157)
3.「生命権」と「最低限の中核的義務」
社会権規約が保障する権利の中には、その実現のために一定の制度や財政的な裏付けを必要とする権利があるため、「漸進的実施義務」という緩やかな義務が採用された。
ただし、締約国は、「漸進的実施義務」の達成のため、「自国における利用可能な手段を最大限に用いること」を義務としていることには注意が必要である。(社会権規約2条1)。
また、「水と衛生への権利」との関係で特に注目されるのは、「漸進的実施義務」においても、締約国は、最低限のレベルの人びとの必要を満たすべき「最低限の中核的義務」(minimum core obligatioin)を負っていることである。(東澤 2022, p. 48)「生命権」の要請でもある「水と衛生への権利」は、即時的実施義務となる場合が考えられるのである。
東澤靖(2022)『国際人権法講義』、信山社
1.二つの庇護権
一般に庇護(asylum)とは、国家がその領土、または国家機関の一定の管轄下のその他の場所で(大使館や領事館など)、保護を求める人に与える保護を指す。
国家は、領域主権の論理的帰結として、本国からの迫害を逃れてきた個人を領域内に庇護する自由をもつ。これを、領域内庇護権と呼び、国際法上の国家の権利であって、義務ではない。
他方、「すべての者は迫害からの庇護を他国に求め、これを他国で享受する権利をもつ」と定めた世界人権宣言第14条などを根拠に、個人の人権として庇護権を再構成すべきとの議論がある。
2.難民条約における「難民」の定義
難民条約の難民の定義は、かなり限定的であり、その要件は、①迫害、➁国籍国の保護の喪失、および③国籍国の外にあることであり、「迫害」の理由は、人種、宗教、国籍、特定の社会集団または政治的意見の五つがあげられている。
この定義によると、戦争や内乱、自然災害によって国を追われる人、または国内にとどまる国内避難民は、難民条約上の難民とはならない。
3.補充的保護とは何か
そこで注目されるのが、難民条約上の難民に準じた国際避難民に、国際的保護を与える、補充的保護(日本では、補完的保護と呼ばれる)という各国の取り組みである。
補充的保護を地域レベルで制度化しているのが、EU諸国であり、EU指令によって、難民条約上の難民に加えて、一定の類型の国際避難民に国際的保護を義務づけて、保護の範囲を拡大している。
4.ノン・ルフールマン原則
難民条約上、締約国は、難民をいかなる方法によっても人種、宗教、政治的意見などを理由に生命や自由が脅威にさらされるおそれのある国へ追放または送還してはならないというノン・ルフールマン原則を法的義務として負う。
なお、難民を認定する前に、ノン・ルフールマン原則の適用がなければ、難民の可能性のある者を、条約の趣旨に反して危険にさらすことになり、不合理である。
5.日本における難民認定手続
日本は、難民条約の定める義務の部分については忠実でも、条約が締約国の裁量に委ねた部分である難民認定手続では、高い基準で立証責任を庇護申請者に課し、他の先進国に比べて、認定者数は極端に少ない結果を生んでいる。
6.人権規定から憲法解釈上導かれる庇護権
日本国憲法は、明文の庇護権をもたない。それゆえ、庇護権は、憲法上の保障ではなく、立法政策の問題であるという立場が支配的であるとされる。
しかし、過去には、憲法前文が平和的生存権を全世界の国民に確認していることなどを理由に、法務大臣の裁量を制約する議論があった。
また、世界に目を移せば、憲法上庇護権の明文規定がない国にあっても、一般的な人権規定から庇護権が憲法解釈上導かれていることが確認されている。
7.UNHCR
UNHCRの任務は、本来、難民条約上の難民に国際的保護を提供し、難民問題の解決のために各国政府に援助を与え、難民条約の批准を促進し、各国の履行状況を監視することなどにある。
しかし、時代とともに、UNHCRはその活動を、難民条約上の難民のみならず、難民の定義に入らない国際避難民や、国内避難民にも拡大してきている。大規模な人道支援が必要とされる中、UNHCRは中心的な役割を果たしている。
8.結びにかえて
難民問題の最終的解決は、庇護国への定住のみではない。本国への帰還や、第三国への再定住も含まれる。国際的な難民支援に財政援助を行ってきた日本は、人間の安全保障を外交の柱としている強みがある。
その強みを活かして、日本は、難民の本国への帰還のための平和構築に力を入れるなど、難民問題の解決という本来の趣旨に沿った、国際協調主義の実践が可能であり、ポテンシャルを保持していると考える。
芹田健太郎・薬師寺公夫・坂元茂樹(2017)『ブリッジブック国際人権法第2版』、信山社
東澤靖(2022)『国際人権法講義』、信山社
近藤敦(2023)『国際人権法と憲法』、明石書店
東野真(2003)『緒方貞子――難民支援の現場から』、集英社新書
1.女性差別の射程
女性差別を定義する女性差別撤廃条約第1条によれば、女性であることを理由に、人権の享受を害する区別・排除・制限をもたらすものは、その目的を有するものでなくても、そうした効果を生じさせるものであれば女性差別となる(間接差別)。
女性差別撤廃委員会によれば、女性差別という概念には、ジェンダーに基づく女性差別も含むものと考えられている。
2.ジェンダー平等
ジェンダーとは、「女性と男性について社会的に形成されたアイデンティティー、属性及び役割であり、社会における女性と男性の間の階層的な関係や、男性に有利で女性に不利である権力や権利の配分につながる社会的及び文化的な意味をもつもの」を意味する(東澤 2022, p. 236)。
これは、第5条(a)に、「男女の定型化された役割に基づく偏見及び慣習その他あらゆる慣行の撤廃を実現するため、男女の社会的及び文化的な行動様式を修正すること」などを条文上の根拠とする。
具体的には、生物学的な特徴として子どもを産むのは女性しかできないため、産前産後休業の制度を整えることは、生物学的な特徴に基づく性差、すなわちセックスの問題である。
他方、子育ての役割や負担が女性に集中しているため、女性は子育てを担うべきであり、女性は子育ての間は仕事に就くべきではないというのは、ジェンダーに基づく偏見である。
この点、女性差別撤廃条約第5条(b)では、「家庭についての教育に、社会的機能としての母性についての適正な理解並びに子の養育及び発育における男女の共同責任についての認識を含めることを確保すること」と、「あらゆる場合において、子の利益は最初に考慮する」ことが求められている。
3.国家における尊重・保護・充足の義務
国家は、女性差別撤廃条約の下で、尊重・保護・充足の義務を負っている。尊重の義務の下では、第2条(d)にあるように、「女子に対する差別となるいかなる行為又は慣行も差し控え、かつ、公の当局及び機関がこの義務に従って行動することを確保する」とされている。
保護の義務においては、同条(e)で、「個人、団体又は企業による女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとること」が求められている。
さらに、充足の義務は、第4条の「男女の事実上の平等を促進することを目的とする暫定的な特別措置」を含め、女性が法律上も事実上も平等な権利を享受できるための措置を国家に義務づけている。
4.FGMを含む女性に対する暴力
女性差別撤廃委員会によれば、「ジェンダーに基づく暴力」は条約第1条の女性差別の一形態であり、条約違反に該当する。とくに、女性器切除(FGM)を含む健康に有害な慣行に対して、女性差別撤廃委員会は、早くからデータの報告と根絶に向けた戦略の実施を国家に求めてきた。
女性差別撤廃委員会は、FGMを含む有害慣行を、「とりわけ性・ジェンダー・年齢に基づく差別に根差した慢性的な慣行及び行動形態であって、しばしば暴力を伴い、また身体的・精神的な害悪や被害をもたらす多重的・交差的な形態の差別」(東澤 2022, p. 244)と説明し、全体的な視野に立った根絶のための戦略を求めている。
なお、差別の交差性とは、複合差別を指し、性別やジェンダーに基づく女性差別は、人種、民族、宗教や信仰、年齢、階層など、他の要素と密接に関連し、否定的な影響が及ぶ可能性があり、対応が求められる。
川島聡・菅原絵美・山崎公士(2021)『国際人権法の考え方』、法律文化社
芹田健太郎・薬師寺公夫・坂元茂樹(2017)『ブリッジブック国際人権法第2版』、信山社
東澤靖(2022)『国際人権法講義』、信山社
刑法の役割には、社会秩序の維持、人権の尊重、犯罪者の更生・再社会化があると思います。この三つは、同時に尊重される必要があります。
たとえば、死刑制度の維持は、社会秩序の維持には役立つかもしれませんが、人権の尊重、犯罪者の更生・再社会化にとっては、相容れないものです。
犯罪の発生には、社会環境や教育、家庭生活など、さまざまな因子が考えられ、犯罪の実行者は、加害者であると同時に、自らの行為の被害者でもあるわけです。
特に、死刑制度は、犯罪者から更生・再社会化の機会を永遠に奪うのであって、人間の目的自体としての存在性格に基づく、決して自分を諦めてはいけないという実践理性の要請を無視するものです。
また、死刑制度の維持は、誤判による死刑の可能性を肯定する非人道的な刑罰であり、明らかに人間の尊厳の原則に反します。人間による裁判である以上、誤判は避けられないからです。
たとえ犯罪を犯した者であっても、その目的自体としての存在性格を否定しない、社会倫理が問われます。死刑の威嚇による社会秩序の防衛は、このような社会倫理を損なうのではないでしょうか?
犯罪者を第三者である自分とは無関係な悪と切り離さない想像力と「連帯」が、社会の側に求められると考えます。
表現の自由の規制は、憲法学では、経済的自由より、厳格な基準を用いて審査される。しかし、国家からの自由として、表現の自由を保障するだけでは、十分ではない。
むしろ、有害なコンテンツや、低俗なコンテンツが、ビジネスとして流通し、個人の人格形成にマイナスの影響を与えることがありうる。
まず、忘れていけないのは、道徳の価値とは自由な意志を前提とすることである。したがって、法は道徳の可能性の条件であり、不道徳の可能性の条件でもある。
法は自由を保障すべきものであり、道徳を強制してはならない。自由は魂の呼吸であり、個人の人格は、過ちから学ぶことによって、自律的に高められるものである。
そのような学びと人格の形成に影響を与えるものとして、社会に流通する表現やコンテンツの質の高さを確保することは、重要な課題である。そこで注目されるのが、道徳ではなく、国際人権である。
ところで、一人の基本的人権が他人の基本的人権を侵害してはならない。これが基本的人権に内在する制約であり、個人の自由に対する法的規制の基礎である。
利益追求を最優先させる企業は、長期的なビジョンが欠けており、企業としてのブランド価値と信用を低下させ、リスク・マネジメントが十分でない。
人権の主流化の国際的な潮流に対し、後手にまわらないためには、ビジネスに関わる国際人権基準や、企業理念に基づく、一定の自主規制が必要になってくる。
その際、企業による自主規制プロセス自体に、透明性、異議申し立て手続、市民社会の監視などを確保することが不可欠となるだろう。
企業は、法的規制に対するコンプライアンスのみならず、国際人権の価値を企業理念と結び付け、自社の収益に接続させる大局的な企業戦略が求められていくのではないか。
人間の尊厳の原則は、人間に妥当する最高の実践命題である。それは、人間中心主義の表明であり、地球上の環境や生命、さらには将来の世代に対する責任の自覚でもある。
とくに、動物は人間の単なる道具ではない。動物が本来の動物らしい生き方をするために、人間のアニマルウェルフェアに対する責任は重い。
アニマルウェルフェアの枠組みとして世界の共通認識となっている、1960年代に英国で生まれた、動物の福祉のための「五つの自由」は、日本においても法令の土台でなければならない。
五つの自由とは、①空腹および渇きからの自由、➁不快からの自由、③苦痛、損傷、疾病からの自由、④正常行動発現の自由、⑤恐怖および苦悩からの自由である。
アニマルウェルフェアに対する考え方は、文化によって異なるため、みんなが依拠できる科学的知見に基づいて、推進していく必要もある。
とりわけ急がれるのは、国をあげての認証システムの導入である。アニマルウェルフェアへの取り組みが、消費者によって評価され、商品が選択されることにより、収益に結び付く制度が必要だろう。
また、法令による規制は、単に基準を設けるだけでなく、アニマルウェルフェアに配慮している農家に補助金を支給したり、検査員による立ち入り検査や、是正措置を求めるなどの仕組みも必要である。
枝廣淳子(2018)『アニマルウェルフェアとは何か』、岩波ブックレット
2026年3月9日 発行 初版
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専攻:国際法・国際人権法・法哲学。学士(法学)。修士(法学)