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日本の国際法学は、法実証主義を通説としてきた。他方、私が英国で国際法を学んだ時には、批判法学が注目を集め、法実証主義は批判を被っていた。さらに、法哲学の世界でも、法実証主義の批判とともに、正義論が展開されていた。
したがって、私は「法実証主義の方法的欠缺」を研究テーマとし、法実証主義者の問題関心を学ぶとともに、その出発点にあった自然法論批判が、価値の問題を学問の入り口で排除する傾向を生んだように感じていた。
法価値と実定法学を分離させるのが、法実証主義の要請であるが、私はむしろ両者の関係性に注目し、法哲学で展開されている正義論を参考にしつつ、「国際法の基礎」(国際法の妥当根拠)と「国際法の法源」(国際法の成立形式)を接続する試みを行った。
法実証主義がその方法論を徹底しても、批判法学が指摘するように、論者の価値観を排除しえないならば、むしろ論者の価値観から、主観的価値観から区別されうる「法価値」の部分を対象化し、実定国際法の基礎づけを行うべきではないかと考えたのである。
私は専門の研究者ではないので、私の文章は話題提供の域を出ないことを自認している。私は若いころに学問を深く学ぶ機会を与えていただいたため、無駄にできない、という思いで独学をしている。少しでも、読者のみなさまの役に立てたら、幸いである。
(1)人間の尊厳の原則
法と道徳は、同一の基礎を有する。すなわち、人間の尊厳の原則である。人間の尊厳とは、人間が目的自体として存在することを指し、人間を単なる手段、単なる道具としてのみ扱うことを禁止するものである。
道徳は理想の人格を求め、人間の尊厳の原則を内面化する努力を含む。他方、法は、理想の社会秩序を求め、道徳の可能性の条件であることを欲する。そのためには、法は道徳に基づくのではなく、正義という法に固有な価値に基づかなければならない。
正義とは、平等を意味する。この平等という価値を、人間の尊厳の原則から導来させるべきならば、人間の尊厳の平等こそが、法価値であることを帰結する。国際法も、法である以上、人間の尊厳の平等に基づくことになるだろう。
(2)国家平等の原則と人間の尊厳
国際法の基本原則である国家平等の原則は、法価値である人間の尊厳の原則に基づく。国家は管轄権内の人間の尊厳の原則を尊重する法主体として、平等の価値を有し、国家の平等性は、人間の価値の等価性に由来するといえる。
第一に、国家平等の原則は、「法の前の平等」を意味する。これは、国際法の適用における一貫性を求めるものであるが、それだけではなく、法規範の適用における理由の整合性、国際法規範秩序の無矛盾性をも求めるものと解すべきだろう。
第二に、国家平等の原則は、国家の基本的権利義務における一般的平等性を意味するだろう。国際法の公平性は、特別の事情がない限り、国家を平等に扱う点にあり、このような平等に基づくからこそ、各国は特別な権利義務関係を締結しうるのである。
第三に、国家平等の原則は、法定立主体としての国家の平等性を意味する。国家は、国際法の立法権限を有するというより、国際法の立法プロセスにおいて、平等な尊重と配慮への権利を有すると解すべきであり、法定立への公式の参加資格を与えられているというべきだろう。
(3)国際法の目的の二段階説
国際法の第一の目的は、国際の平和と安全である。国際法においても、国内法においても、第一に優先されるべきは、生命権の尊重である。人は生命権を奪われると、全ての権利を失う。それゆえに、生命権は、何よりも基礎的なのである。
そして、国際法のより高次の第二の目的が、人類の福祉という表現をまとった、法価値である人間の尊厳の原則なのである。世界人権宣言に基づく国際人権法の発展は、国際法という法的基盤が欠かせなかったように、第二の目的の実現には、第一の目的が必要なのである。
それは、平和共存の国際法に、国際協力の国際法が基づくことを意味するだろう。
〔後記〕 「人間の尊厳の原則」再説
1.最高の実践的根拠
カントによれば、理性的存在者(である人間)は目的自体として存在するという原理は、一切の実践がそこから導来されるべき最高の実践的根拠である。
この最高の実践的根拠を定式化したのが、定言命法の派生的方式の一つである「目的自体の方式」である。
それによれば、人間は自他ともに目的自体として存在し、決して単なる手段としてのみ、道具としてのみ、扱われてはならない。
この規定の仕方には、人間は、手段として扱われると同時に、目的自体としての存在性格を否定されない場合が考えられているように思われる。
人間の尊厳とは、人間の目的自体としての存在性格を意味し、したがって、最高の実践的根拠を、人間の尊厳の原則と呼んでもよいだろう。
2.法と道徳の関係性
法と道徳は、ともに最高の実践的根拠である人間の尊厳の原則に由来する。ただし、法の理想は、理想の社会秩序のうちに具体化し、道徳の理想は、理想の人格のうちに見いだされる。
「法の外面性、道徳の内面性」は、法と道徳の規律の関心の方向性としてなら、維持できる。法と道徳の関係性は、法が道徳の可能性の条件であり、道徳が法の効力の根拠であるという点にある。
しかし、法が道徳に奉仕するためには、道徳にではなく、法に固有な法価値である正義に基づかなければならない。正義は平等を意味し、法価値とは、社会関係における人間の尊厳の平等である。
3.正義の特質としての規範的理由の公共性
規範と命令の差異は、前者が単なる指図に還元されず、一定の理由によって正当化可能であることのうちにある。
法もまた、規範の一種であり、法規範の特質は、それが基づく理由が正義という価値を核とすることのうちにある。
正義は、あらゆる人間を目的自体として扱うため、法規範の理由も、究極的には、あらゆる人間に妥当する普遍性に行き着くことを要請する。
その根本含意は、「立場の反転可能性」であり、自己の立場からのみならず、他者の立場からもまた、妥当しうる規範的主張を採用することを、各人に求める。
すなわち、法は、法価値である人間の尊厳の平等に基づき、「公共的理由」による正当化を、内容的にも手続的にも、求めていかなければならないこと意味する。
なお、内容的正当性と手続的正当性は同根源的でなければならず、どちらが欠けても、法の企ては成立しないだろう。しかし、手続的正当性は、内容的正当性を前提せざるをえないと考える。
一、「公共的正当化」の要請
(1)プロセスとしての公共的正当化
井上達夫によれば、「公共的正当化」とは、自己の視点に深くコミットしつつも、他者をもまた他者自身の視点に深くコミットした存在として承認し、自己の視点のみならず他者の視点からも受容可能な共通の正当化理由を同定し、自己の他者に対する規範的主張をそのような「公共的理由」(public reason)に基づかせることを指す。(井上 2003, p. 24)
「一般意志」は法の源泉である。法の定立・解釈においては、自己の利害関心に自閉する「特殊意志」から、共通利害関心の公正な配慮を志向する「一般意志」を区別し、後者に立脚することが求められるのである。(井上 2003, p. 25)
(2)「立場の反転可能性」
この「公共的正当化」には、「立場の反転可能性」の要請が含まれる。これは、「公共的理由」を求める思考プロセスまたは対話プロセスであり、自他の立場が現状と反転しても、なお首尾一貫して受容しうる規範的主張を探すものである。
「立場の反転可能性」の要請は、「特殊意志」またはその集計である「全体意志」から「一般意志」を区別するのに役立ち、定立・解釈された法規範の規律の一般性を可能にするものである。
二、法的信念の正体
(1)正しさへのコミットメント
田畑茂二郎によれば、法的信念を、法的義務実践の意識とみることは間違いである。慣習国際法の成立以前に、自ら一定の法的義務を実践しているといった意識を予定することは、国家に誤信を求めるものだからである。田畑によれば、「法的信念というのは、一定の慣行を法的に拘束的なものと認めるのが正しいとする信念だとみるべき」である。(田畑 1957, p. 86-7)
すなわち、法的信念は、国家による主観的な正しさの表明なのであって、「公共的理由」に基づいた規範的主張なのである。この法的信念の公共的性格があるからこそ、諸国による一般的承認が可能となるのである。
(2)慣行への法的意味の付与
慣習国際法の成立において、国家の規範意識の介在が求められる理由の一つには、国際礼譲のような非法的な慣行から、慣習国際法の成立要件の証拠として法的意味のある慣行を区別する必要があるからである。
すなわち、慣習国際法の成立要件における国家実行の証拠は、法的信念を基準として参照されるのであり、それによって、法的信念を支持する国家実行のみならず、反対する国家実行も識別することが可能になるのである。
三、国際社会による一般的承認
(1)一般慣行の役割
公共的理由に基づく規範的主張である法的信念は、国際社会による一般的承認を通じて、客観的な一般意志の具体化に結実しなければならない。それを実証するのが一般慣行の要件である。
田畑茂二郎によれば、一定の慣行が成立したといわれるためには、少なくとも、諸国家の一定の行態の繰り返しに基づいて、特定の事項について、多数の国家が当然一定の行態をとるだろうという、一般的な期待が成立することが必要である。(田畑 1957, p. 82)
(2)一般慣行の証拠と法的信念の証拠の関係
一定の諸国の間で共有されている法的信念について、国際社会による一般的承認を確認する上では、一般慣行の成立が必要である。そのためには、一般慣行の証拠としての国家実行には、法的信念を構成する証拠としての国家実行が含まれてよいと考える。
四、「一貫した反対国の理論」
岩沢雄司によれば、「一貫した反対国の理論」は、国際法の規則が多数の国の慣行に基づいて慣習国際法になることを認める一方で、ある国が当初からその規則に反対し続けていたときには、その規則はその国に対しては対抗できないとする主張である。(岩沢 2020, p. 54)
しかし、「特殊意志」は法を生まない。「一貫した反対国の理論」が有効に主張されるためには、それが国際社会の「公共的理由」に基づき、問題となる慣習国際法規範に対する例外規定として、国際社会による一般的承認を集め、一般化可能である場合に、合法的な逸脱を認められる可能性があるに留まるだろう。
井上達夫(2003)『法という企て』、東京大学出版会
田畑茂二郎(1957)『国際法Ⅰ』、有斐閣
岩沢雄司(2020)『国際法』、東京大学出版会
〔後記〕 慣習国際法の成立要件
1.国際法の基礎と国際法の成立要件の区別
前者は国際法の妥当根拠を意味し、後者は国際法の各存在形式の成立要件を意味する。前者が後者を規範上正当化する関係にある。
国際法の妥当根拠は、法価値である人間の尊厳の原則を意味する。ここから、慣習国際法の成立要件が導かれなければならない。
法価値は、尊厳におけるあらゆる人民の平等を要請し、それを確保する器としての国家を、国際関係の法主体として平等に扱う(国家平等の原則)。
したがって、慣習国際法は、国家平等の原則を尊重しなければならず、その定立・適用・執行の背景に、諸国に妥当する「公共的理由」を求める。
理由の公共性は、法価値である正義の特質であり、立場の反転可能性を根本含意とする、規範的主張の公共的正当化を各国に求める。
2.慣習国際法の二要件論
慣習国際法の成立要件は、法的信念と一般慣行の二要素から成る。しかし、両者は並列の関係にはない。一般慣行に法的意味を与えるのは、法的信念である。
法的信念は、それが真正に主張される場合、一定の慣行が法的に要請されているとみるのが正しいという規範的主張であり、公共的理由を求めたものでなければならない。
法的信念が、一般慣行を集めることができるのも、その公共的理由への志向が可能にしている。しかし、正しさの主張は、一つとは限らないのが通例である。それゆえ、実定法としての確立が不可欠なのである。
法的信念が単なる事実から、法的意味を与えられた慣行を区別し、一般慣行の要件が、法的信念に対する国際社会の承認を実証する役割を担う。
なお、国際社会の承認を確認する上では、法的信念の証拠は、法的信念によって法的意味を与えられる慣行の集積に、数え入れられてよいと考える。
3.慣習国際法の応用問題
(1)一貫した反対国の理論
慣習国際法から合法的に逸脱しうるためには、慣習国際法の成立過程から一貫して反対するだけでは認められない。自己利益に自閉する「特殊意志」は法を生まない。
合法的な逸脱が認められるには、一貫した反対が、公共的理由に基づき、国際社会による承認が確立された場合であり、例外規定もまた、慣習国際法として、一般化可能でなければならないだろう。
(2)インスタント慣習法
短期間による慣習国際法の成立は考えうるが、慣習国際法の成立要件が変更されるわけではない。結果として、短期間に成立したということだろう。
それは、時間という事実的要素における差異であり、規範としての成立要件自体は、厳格に適用されているのであり、本稿では、緩和されていると考える必要がない。
一、条約解釈の一般原則の相互補完
(1)文言主義解釈:用語の通常の意味
文言主義解釈は、当事国の合意は条約文に表明されているとして、用語の通常の意味によって条約を解釈すべきとする。ICJは、1950年平和条約解釈事件では、目的論的解釈も実効性原則も、自然で通常の意味に反する意味を正当化するものではないとした。
しかし、用語の通常の意味が明らかである場合は、規定の目的もまた明らかなのであって、目的が不明確な場合、用語の意味は、条約における規定の目的を明らかにしてから、与えられなければならないだろう。
(2)目的論的解釈:実効性の原則
目的論的解釈は、条約はその目的に照らして解釈すべきとするものである。ウィーン条約法条約31条1によれば、条約は、「文脈」と「条約の趣旨及び目的」に照らして与えられる「用語の通常の意味」に従い、誠実に解釈するとされる。「用語の通常の意味」は、単独では与えられないのである。
岩沢雄司によれば、条約はその通常の意味と目的に照らして十分な効果を与えるように解釈すべきとする「実効性の原則」は、信義則と目的論的解釈から、導かれるだろう。そこには、全ての規定には意味があるという信義則と、全ての規定は何らかの目的を達成しようとしているという、目的論的解釈があるのである。(岩沢、2020, p. 108)
なお、目的論的解釈は、条約の「文脈」によって限定されなければならないだろう。
(3)意思主義解釈:補足的手段
意思主義解釈は、条約の解釈は条約を締結した当事国の意思を確認することであるとする。しかし、確認されるべきは、当事国間の合意であり、当事国の意思は、条約の趣旨及び目的に照らし、規定の目的を明らかにしたり、「文脈」の内容を確認するうえで必要となるものである。
特に、この立場が重視する条約の準備作業は、ウィーン条約法条約32条によって、解釈の補足的手段とされ、二次的な役割を与えられているのである。解釈の補足的手段は、(a)原則により得られた意味を確認するため、(b)原則に従った解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合、(c)原則に従った解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合である。
二、文脈と文脈とともに考慮すべきもの
(1)「文脈」
PCIJ は、1922年の農業労働に関する国際労働機関の権限に関する勧告的意見において、条約は全体として読まなければならず、その意味は文脈から切り離して決定できないと指摘した。
ウィーン条約法条約31条2によれば、「文脈」には、(a)前文と附属書を含む条約文と、(b)条約の締結に関連してすべての当事国の間でされた条約の関係合意、(c)条約の締結に関連して当事国の一又は二以上が作成した文書で、これらの当事国以外の当事国が条約の関連文書として認めたもの、が含まれる。
(2)文脈とともに考慮すべきもの
ウィーン条約法条約31条3によれば、文脈とともに考慮すべきものとして、(a)条約の解釈又は適用につき当事国の間で後になされた合意、(b)条約の適用につき後に生じた慣行であって、条約の解釈についての当事国の合意を確立するもの、がある。
(3)統合解釈原則
さらに、ウィーン条約法条約31条3(c)によれば、文脈とともに考慮すべきものとして、当事国の間の関係において適用される国際法の関連規則がある。
条約の規範内容は、その条約単体で完結するものではない。この規定は、国際法の断片化との関係で重要性をもち、単なる形式的な参照ルールではなく、「国際法秩序の体系的一貫性を維持するための積極的な解釈指針」へと再定義されることになるだろう。
三、解釈の発展:発展的解釈と「生きた文書」
条約の解釈にあたっては、以上の理由により、条約締結時の締約国の意図の確認が重要であり、締約時の用語の意味を考慮する必要があることは認められる。しかし、ここでは、一般的言語による指針の限界として、ハートの「法の開かれた構造」の議論を踏まえておく必要がある。
第一に、人間は事実について全知ではないから、立法者は、将来に生じうるあらゆる状況を知り尽くした上で、法を制定することができない。第二に、人間の目的は相対的に不確定であるから、立法目的の一部は、新たな事例への適用が問われて初めて明確になる。(瀧川他 2014, p. 220)
欧州人権裁判所が、欧州人権条約を「生きた文書」とし、条約起草者の意図を超える解釈を採用していることは、法の解釈としては、ある程度必要なことであり、健全な態度でもあるだろう。
岩沢雄司(2020)『国際法』、東京大学出版会
瀧川裕英・宇佐美誠・大屋雄裕(2014)『法哲学』、有斐閣
1.法システムに内在する原理
国際法における法の一般原則には、法システムに内在する原理と、国際社会に適用可能な各国国内法の共通原則に区分されると考える。
法の一般原則が法システムに内在する原理を意味する場合、それは、条約、慣習国際法に次ぐ、独立した形式的法源であることが認められる。
法システムに内在する原理は、国内法と国際法がともに前提せざるをえない法原理であり、その例としては、裁判不能の禁止、法の前の平等などがあげられる。
2.各国国内法の共通原則
国際法における法の一般原則には、各国国内法の共通原則としての意味がある。この場合の法の一般原則は、法原理の国際社会への適用可能性が別に問われなければならない。
この第二の意味の法の一般原則の適用を基礎づけるのが、第一の意味における法システムに内在する原理である。
具体的には、裁判拒否の禁止という法原理が、裁判官に、適用可能な法の一般原則の探究を要請するのであって、その際、国際社会への適用可能な各国国内法の共通原則も参照されることになる。
すなわち、各国国内法の共通原則における国際社会への適用可能性を判断をするのは、裁判官であり、それを要請するのは、法システムに内在する原理である。
3.慣習国際法による基礎づけの困難性
法の一般原則は、条約や慣習国際法が不明確な法の欠缺において、特に参照される必要があり、法の一般原則に慣習国際法化を求めると、法の一般原則における法の欠缺補充という重要な機能が説明できないのである。
また、法の一般原則の適用を、全体として認める慣習国際法が存在するという議論がありうるが、その場合は、各国国内法の共通原則の国際社会への適用可能性を誰が判断するのか、という問題が残るのである。
〔捕捉〕 法的ルールと法的原理
裁判官は、特定のケースについて、白黒をはっきりつける形で判決しなければならない。その白黒の基準が法的ルールであり、それを指導するのが法的原理である。
裁判官は、まず、結論の妥当性を訓練された衡平感覚によって直感するのであり、判決の定式化のために、先例や既存の法的ルールと、それらを導いた各法的原理を往復する。
もし、今までの法的原理とは別の正当化理由によって、法的ルールの適用を伸縮することが求められていると判断した場合、裁判官は、法的原理の整合性を目指し、法の無矛盾性を法解釈の内的要請として堅持しなければならない。
判決を基礎づけた白黒をつける基準と、それを導いた法的原理は、一般化可能な形で定式化されなければならず、判決の先例としての価値は、必ず法的原理と法的ルールをセットで判断されなければならない。
法的原理の整合性に基づく法の無矛盾性は、法的安定性の要請であると同時に、法価値である「人間の尊厳の平等」の要請でもあるだろう。そこには、秩序の基礎としての平等の観念が生きているのである。
一、集団安全保障の意義
(1)勢力均衡政策の内在的矛盾
集団安全保障の確立は、勢力均衡の破綻が第一次世界大戦を引き起こした反省に立脚していた。勢力均衡は、均衡させるべき勢力の測定における不確定性から、各国がより強大な軍備を獲得しようとし、結果、軍拡競争と同盟政策の追求により、国際緊張が危うくされるという、内在的矛盾を含んでいる。
(2)「協力的安全保障」の構想
集団安全保障は、二つの要素からなる。第一に、一定の場合における武力行使の禁止を約束し、第二に、約束を破って武力行使を行った違反国に対しては、加盟国が総力を結集して対処するというものである。
通常の同盟政策が、仮想敵国を外側に持つのに対して、集団安全保障は、潜在的な違反国を内側に包摂するのであり、前者が「競争的安全保障」であり、後者は「協力的安全保障」と呼ばれることがある。
国連憲章は、武力行使禁止原則を確立し、集団安全保障における強制的措置を、安全保障理事会に集権化した。
(3)安保理の機能と武力不行使の非リンク論
国連の武力行使禁止原則の有効性は、集団安全保障における安保理の強制的措置が機能することを前提しているという主張がある。
しかし、武力行使禁止原則は、強行規範の顕著な例をなすというのが、ILCの見解であり、武力行使禁止原則のコロラリーとして、武力によって締結された条約の無効、侵略戦争の犯罪化などが導かれる。
武力行使禁止原則は、国連憲章を超えて、慣習国際法上も、現代国際法の基本原則として妥当するのである。
二、二つの例外:安保理の強制的措置と自衛権
(1)安保理による自衛権行使の統制
武力行使禁止原則の例外は、安保理による強制的措置と、自衛権の行使とである。
国連憲章51条は、自衛権を「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」の、暫定的性格のものと位置付け、「この自衛権の行使に当つて加盟国がとつた措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない」とする。
したがって、加盟国による自衛権の行使の当否は安保理の事後的審査に服することになる。
(2)安保理の機能不全:常任理事国の拒否権
しかし、安保理による強制的措置も、自衛権の事後的審査も、常任理事国の拒否権行使による安保理の機能不全を想定しなくてはならない。
したがって、各国は、国連憲章の加盟国として、武力行使禁止原則を尊重しながらも、集団安全保障による公助の欠如を、十分に想定して、自国の安全保障を確立する必要に迫られる。
三、個別的自衛権の要件
(1)「武力攻撃」の存在:先制的自衛の否定
第51条は、「武力攻撃が発生した場合」に、自衛権の行使を認めている。これは、先制的自衛を否定する趣旨と一般に解されており、松井芳郎によれば、「自国に対する武力攻撃が主観的に恐れられるだけでは足らず、その発生が事実として客観的に証明される必要がある。」(松井芳郎 2018, p. 48)
(2)「武力攻撃」に至らない武力行使の対処
これとの関連で重要なのは、ICJがニカラグア事件判決で、「武力行使の最も重大な形態」から、「他のより重大でない形態」を区別している点であるだろう。自衛権の行使を正当化するのは前者であり、後者は「被害国の均衡性ある対抗措置のみを正当化」する。(杉原高嶺他 2014, p.167-8)
後者の場合における対処は、武力の使用を伴わない非軍事的な対抗措置や、国内であれば、法執行活動も考えられるだろう。
(3)「必要性」と「均衡性」の要件
また、第51条には規定されていないが、ICJ の判例によれば、慣習国際法上の要件として、「必要性」の要件と「均衡性」の要件に、従わなければならないとされてきた。
前者によれば、自衛のための行動は、武力攻撃を撃退するために必要な限度内にかぎられ、かつ、後者によれば、攻撃行為と均衡を失するものであってはならない。(松井芳郎他 2007, p. 294)
(4)自衛権行使の自己判断権の主張
自衛権主張の当否は、だれが判断するのか。第51条は、自衛権行使は安保理の統制に服すると規定している。しかし、ニカラグア事件でICJは、「ある問題が安保理に付託されているという事実は、その問題をICJが審理することを妨げない」と判示し(杉原高嶺他 2014, p. 167)、司法審査の可能性も認めている。
ただし、安保理は拒否権による機能不全が考えられ、また司法審査は、管轄権が合意管轄を基本とすることから、限定される。しかし、自国の立場が、誠実な法解釈に則ったものであるという事実は、国際世論に訴えるものがあるだろう。
四、集団的自衛権をめぐる各立場
第51条は、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」と規定している。集団的自衛権については、松井芳郎によれば、三つの立場がある。
「:①同じ国から同時に攻撃を受けた複数の国が個別的自衛権を共同で行使する権利;②攻撃を受けた国を援助する第三国の権利;③ある国が攻撃を受けることによって自国の死活の利益が侵害されたと判断する国がこの死活の利益を守るために武力を用いる権利。」(松井芳郎 2016, p. 293)
(1)個別的自衛権の共同行使
①の立場は、集団的自衛権を個別的自衛権に解消して理解する立場であり、第51条で、個別的自衛権と合わせて集団的自衛権を規定する趣旨が理解されていないと一般に解されている。
(2)「他人の権利の防衛」の類推
②の立場は、国内刑法上の「正当防衛」の類推から考えると分かりやすい。すなわち、刑法第36条は、「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」と規定する。
集団的自衛権は、この「他人の権利を防衛する」場合に相当する。しかし、第三国が自らの認定でいずれかの当事国のために集団的自衛権を行使するのは、紛争拡大という点で、問題がある。
(3)「密接な関係」の想定
③は、被攻撃国と援助国との間に、「密接な関係」を求めるものであり、地理的な近接性だけでなく、政治的な結びつきや経済的または戦略的な性格のものまで含まれるとすると、集団的自衛権に対する制約としては、ほとんど意味を失うのではないか。
むしろ、武力行使禁止原則に対する違反は、ICJ がバルセロナ・トラクション事件で示した、「国際社会全体に対する義務」の違反を構成し、全ての国が法的な利害関心を有している。
したがって、「密接な関係」という主観的な判断基準に代わる、客観的基準の必要性はあった。ニカラグア事件のICJの判決によれば、「集団的自衛権の行使は、被害国が攻撃を受けたことを宣言し、要請することが要件」であるとされている。(杉原高嶺他 2014, p. 168)
それは、集団的自衛権においても、先制的自衛の否定を原則とし、自衛権行使の第一義的判断権を被害国に限定することと、要請の要件によって、客観的基準を打ち立てるとともに、紛争拡大に歯止めをかけたものと理解しうる。
岩沢雄司編(2019)『国際条約集2019』、有斐閣
杉原高嶺・酒井啓亘編(2014)『国際法基本判例50第2版』、三省堂
松井芳郎他(2007)『国際法第5版』、有斐閣Sシリーズ
松井芳郎(2016)『第3版国際法から世界を見る』、東信堂
松井芳郎(2018)『武力行使禁止原則の歴史と現状』、日本評論社
日本は、核兵器禁止条約に参加せず、核兵器国と非核兵器国の橋渡しを目指す。そこには、アメリカの核の傘に参加しているという、安全保障上の理由があるだろう。
日本は核不拡散条約(NPT )を重視するようであるが、NPTは、IAEAによる査察の法的根拠として重要であり、主要な核兵器国が締約国であることから、現代の核軍縮の枠組みとして、意義を失っていない。
橋渡しとしての日本の立ち位置として重要となる法的文書は、ICJの核兵器使用の合法性に関する勧告的意見である。
この判決は、核兵器の一般的違法性を認定しながらも、「自衛の極端な状況」において、合法・違法の判断を控えるとした。
核兵器の威嚇または使用が抵触する国際法の諸規則は、とりわけ国際人道法の諸原則および諸規則である。
松井芳郎によれば、まず、その破壊力が空間または時間のいずれにおいても限定することはできない核兵器の使用は、区別原則が禁止する無差別攻撃となる。
さらに、その使用が将来の世代に対して重大な危険を及ぼし、遺伝的障害や疾病の原因となる潜在力を有する核兵器は、不必要な苦痛を与える兵器以外の何ものでもない。(松井 2011, p. 270)
このICJの勧告的意見において特筆すべきは、「厳格かつ実効的な国際管理の下における全面的な核軍縮に導く交渉を、誠実に遂行しかつ完了させる義務が存在する」ことを確認した点にある。(杉原他 2014, p. 176)
これは、核兵器不拡散条約の第六条における核軍縮の「誠実に交渉を行う」義務を再認識するものであり、NPTの交渉レジームとしての重要性が指摘できる。
日本は、核兵器国に対し、核兵器の一般的違法性を主張するとともに、「自衛の極端な状況」について核兵器国の立場へ理解を示し、この二つの理由を統合し、核軍縮の誠実な交渉義務を主張していけるだろう。
しかし、このアプローチの落とし穴は、「自衛の極端な状況」の不確定性にある。ただし、ICJによれば、核兵器の使用が「合法であるためには武力紛争法の諸要件とも合致せねばならない。」(杉原他 2014, p. 175)
その性質において、国際人道法の一般原則と矛盾する核兵器は、武力紛争法の諸要件に違反し、例外の抜け道を開くことには、原則として、懐疑的であることが求められているといえるだろう。
「文民及び戦闘員は、この議定書その他の国際取極がその対象としていない場合においても、確立された慣習、人道の諸原則及び公共の良心に由来する国際法の諸原則に基づく保護並びにこのような国際法の諸原則の支配の下に置かれる。」(第一追加議定書1条2項)。
これは、国連憲章、日本国憲法前文にも劣らない、現代において最も重要な法の表明の一つであるだろう。「自衛の極端な状況」は、法的な空白でも、良心の空白でもないのである。
日本は、「理想論としての軍縮」ではなく、共通の法的理念・原則を確認しつつ、「核依存度を段階的に下げるための現実的なプロセス管理」をいかに主導できるかが問われている。
各国は、競争的安全保障における核兵器の脅威を共通認識とし、いかに協力的安全保障に転換しつつ、その枠組みの中で、核軍縮を進展させうるか、その必要性と合理性を共有しなければならない。
各国の戦略的自律性と安全保障政策上の共通利益を結びつけることが肝要である。
松井芳郎(2011)『第3版国際法から世界を見る』、東信堂
杉原高嶺・酒井啓亘編(2014)『国際法基本判例50第2版』、三省堂
1.「責任ある主権」の基本構造
(1)国家の第一義的な責任
国家は、自国の管轄権内の人間の尊厳と基本的権利を確保する第一義的な責任を有し、同時に、他国のそのような対内的な責任を尊重する義務を有する。
ここで、責任と義務という言葉を使い分けているのは、責任ある主権の概念が必ずしもハード・ローとして成熟しているとは限らず、他方、後者は、内政不干渉義務として確立していることによる。
(2)国際社会の第二義的な責任
国家が、自国の第一義的な責任を果たす能力がないか、意志を欠く場合、または、国家自身が、人間の尊厳や基本的権利を侵害する場合、国際社会は、第二義的な責任を行使しなければならない。
国際社会の第二義的な責任は、防止する責任、対応する責任、復興する責任からなる。この中で、実践的に最も重要なのは、防止する責任であり、大量の人権侵害の発生は、国際政治の敗北と見なければならない。
2.「保護する責任」の基本構造
(1)「人道的介入」との差異
国際社会の保護する責任における対応する責任は、人道的介入と以下の二点で大きく区別されうる。
まず、対応する責任は、人道的介入とは異なり、人権侵害の事態を阻止するだけではなく、防止する責任および復興する責任とセットで考えられていることにある。
さらに、対応する責任は、国連安全保障理事会の決議に基づく国連の強制的措置として考えられていることである。
(2)超法規的措置の危険性
人道的介入は、安全保障理事会の機能不全も想定するものだが、超法規的措置としての人道的介入は、大国のダブルスタンダードや、現代国際法における武力行使禁止原則の重要性を踏まえ、慎重な議論を要する。
3.「人間の安全保障」との親和性
欠乏からの自由と紛争からの自由、さらに尊厳のある生を掲げる人間の安全保障は、国家の安全保障を補完する、現代における必須の国家戦略であり、人間の尊厳と基本的権利を強調する責任ある主権とも親和性をもつ。
とくに、紛争の原因である社会的不公平の是正を求める人間の安全保障は、国際社会の防止する責任にとっても、復興する責任にとっても、不可欠な視点とノウハウを提供するだろう。
「個別性」:集団の権利としての人権が近年主張されているが、個人が人権の主体であることは揺るぎない。人権は多数者の専制に対する切り札としての意義があり、民主主義における意思決定のプロセスに、正当性の条件として貢献する。
「普遍性」:人権は文化の多元性に対する限界であり、あらゆる法体系の下でも、効力を保持する。これは、人権の基礎が実定法を超えた普遍的な道徳法則に由来することを意味し、その基礎とは、法価値としての人間の尊厳の平等である。
人権が西欧の歴史から形成された事実は、人権の客観的妥当性と、切り離して論じる必要がある。
「平等性」:人権は、どんな個人にも認められる。これは、人間の尊厳の原則が、人間を目的自体として存在することを認め、そのようなものとして平等であることを要請しているからである。法価値は正義であり、正義は人間の尊厳の平等を意味し、人権は正義に由来する。
人間の尊厳の平等は、形式的平等のみならず、実質的平等をも基礎づける。実質的平等は、現実における格差の是正を目指すが、その根拠には、平等の権利が前提される。
「生来性」:個人は、何らかの制度による付与を待たずに、生まれた時点から人権を持つ。それは、人間の目的自体としての存在性格を確保するための法的条件として、普遍性を根拠にして、歴史的に定式化されてきたものである。
中でも、世界人権宣言は、生来的権利の現代における最高の権威的な定式化と見なされうるだろう。
〔国際人権法入門のポイント〕
・基本的人権は法価値である「人間の尊厳の原則」に基づく。
・基本的人権の最も重要な権利は「生命権」である。
・基本的人権が実定法になるには、国内法か国際法として規定される必要がある。
・国際人権法の国家の義務は、「尊重の義務」、「保護の義務」、「充足の義務」に分類される。
・伝統的には、自由権=即時的実施義務、社会権=漸進的実施義務と理解された。
・社会権の漸進的実施義務には、「最低限の中核的義務」として、即時的実施義務が含まれる場合がある。
1.人権としての「水と衛生への権利」
東澤靖によれば、2010年以降、国連総会では「水と衛生への権利」についての議決が採択されており、「水と衛生への権利」が、相当な生活水準・健康への権利・生命や尊厳への権利に密接に関連するものであると同時に、独立した対応が求められる問題であることを指摘している。(東澤 2022, p. 157)
すなわち、「水と衛生への権利」は、法価値である「人間の尊厳の原則」の要請であると同時に、最も基本的な権利である「生命権」の要請でもある基本的人権なのである。
2.法的権利としての「水と衛生への権利」
(1)「水への権利」の「相当性」
「水と衛生への権利」が法的権利として実定法化されるには、国内法化または国際法化されなければならない。
ここでは、国際法上の議論として、人権条約の各権利に密接に関連していることから、条約上の義務として法的権利としての「水と衛生への権利」を導く可能性を考えることができる。
これに関連して、社会権規約委員会は、水への権利が生活水準や健康への権利に含まれることを確認してきたという。相当な生活条件の一つとしての水への権利は、水の利用可能性、水質、アクセス可能性において相当なものであることが必要とされる。(東澤 2022, p. 157)
(2)国家の義務の三類型
また、東澤靖によれば、国際人権法の下での国家の義務は、「尊重の義務」、「保護の義務」、「充足の義務」の三つに分類される。
国家が自ら人権侵害を行わない義務である「尊重の義務」でいえば、国家が個人の水へのアクセスを妨げないこと、水の供給を減少させないこと、汚染しないことなどが含まれる。
人権侵害から個人を保護する義務である「保護の義務」、および基本的な人権の享有を促進するための積極的な行動をとる国家の義務である「充足の義務」においては、水道事業を行う企業を含めて、第三者によるアクセスの制限、水資源の汚染や不当な搾取などに対して、国家は必要な措置を取らなければならない。(東澤 2022, p. 49-50, 157)
3.「生命権」と「最低限の中核的義務」
社会権規約が保障する権利の中には、その実現のために一定の制度や財政的な裏付けを必要とする権利があるため、「漸進的実施義務」という緩やかな義務が採用された。
ただし、締約国は、「漸進的実施義務」の達成のため、「自国における利用可能な手段を最大限に用いること」を義務としていることには注意が必要である。(社会権規約2条1)。
また、「水と衛生への権利」との関係で特に注目されるのは、「漸進的実施義務」においても、締約国は、最低限のレベルの人びとの必要を満たすべき「最低限の中核的義務」(minimum core obligatioin)を負っていることである。(東澤 2022, p. 48)「生命権」の要請でもある「水と衛生への権利」は、即時的実施義務となる場合が考えられるのである。
東澤靖(2022)『国際人権法講義』、信山社
1.国家報告制度
国家報告制度は、締約国が人権条約上の義務の履行状況を示した政府報告書を条約の実施機関に提出し審査を受ける手続である。
興味深いのは、条約実施機関が国家報告を審査する際、NGOが提出する情報は、貴重な情報として実施機関の委員から評価されるに至っていることである。
国家報告制度では、「建設的な対話」が志向されており、人権侵害の糾弾の場ではない。
締約国側には、実施機関の勧告を国内の人権状況の改善につなげていく誠実さが求められると同時に、条文の解釈における相違点を解消する努力が求められる。
また、条約の実施機関側にも、多元的な国際社会を勘案しながら、寛容の精神をもって対話を継続していくことが求められる。
2.個人通報制度
個人通報制度は、条約に定める人権を締約国により侵害された被害者が、国内的救済措置を尽くしてもなお救済されない場合に、条約実施機関に救済を申し立てる手続である。
日本は、各人権条約の当事国でありながら、人権条約の個人通報制度を一つも認めていない。三権分立における司法の独立や、最高裁判所の終審性などとの整合性が理由にあるだろう。
しかし、個人通報制度は、国内的救済完了の要件を課しており、さらに、委員会が採択する見解は、勧告的効力しか持たないことから、日本の法実務と整合性をとることは、十分に可能なように思われる。
司法実務への事実上の影響までも憂慮することは、後ろ向きな姿勢であり、建設的な対話によって、国内の人権状況の改善につなげていく誠実さと努力が求められているといえるだろう。
芹田健太郎・薬師寺公夫・坂元茂樹(2017)『ブリッジブック国際人権法第2版』、信山社
1.学問は理論のみならず
学問には、理論知としての側面と、実践知としての側面がある。理論知としての学問は、各立場の基礎と帰結に「明せき性」を与え、各人の立場に自覚をもたらし、それによって、実践的な責任の促進を可能とする。
この、理論知としての学問を背景として、自己の与えられた環境の中で、主体的な自由を確立するのが、実践知としての学問の意義である。それを可能にするのが、自分自身で考え続けるということである。
実践知としての学問が与える自由は、①「柔軟性の自由」、②「寛容性の自由」、③「自己実現の自由」、④「関係構築の自由」、➄「反省と修正の自由」などを生む。
2.学問の「盾」――立場の相対化と寛容
①「柔軟性の自由」とは、自己が、各立場の概観と自己自身の立場の一応の自覚を保持しているからこそ、自己の立場を絶対化せず、相対化して認識し、自己の立場に選択の幅という「柔軟性」をもつ自由である。
②「寛容性の自由」とは、価値の多様性の現実に対する、相対主義の基底に流れる人間の尊厳の平等の現れであり、自己自身に対する冷静さと、他者に対する寛容性の要請を、自己の意志とする自由である。
この同じ人間の尊厳の原則が、寛容性の要請さえも越えてはならない一線があるべきことを求める。その限界を見出だすのは、各人の責任である。
3.学問の「矛」――尊厳の個性化と知恵
③「自己実現の自由」とは、個人単体で実現しうるものではない。環境に対する理解と、それに対する態度決定の自覚が必要である。自己の行動と他者の反応の相互作用の中で、学問は私たちが自覚的に自分自身をデザインする自由を可能にする。
④「関係構築の自由」とは、自由の本質が、人間の尊厳の平等を自己の意志とすることのうちにあることの帰結であり、学問は自己と他者の理解に奉仕し、実践の伴走者として、持続可能な対人関係を積極的に形づくる自由を可能にする。
関係構築において直面する壁は、自分で考え続けるということを基礎に、人間の尊厳の平等に対しては「鳩のような純真」を保持し、環境に対しては「蛇のように賢い」実践知を、学問と経験から養わなければならないだろう。
4.「盾」と「矛」の交差点
➄「反省と修正の自由」とは、現実の課題に直面することによって、自己自身の立場がその都度、立場選択の基礎にある良心の審判によって審理されなければならず、そこには、自己の立場を反省に基づき修正していく自由があるのである。
良心に語る規範とは、人間の尊厳の原則である。技術や戦略は、現実の構造を見抜くことよりも、人間の尊厳の平等を核とし、それとともに現実に向き合うことによって、洗練されていくのである。
5.「環境は変えられる」
学問は、与えられた環境の中で、主体的な自由を可能にし、主体的な自由は、自己と環境の変革へと結びつく。学問の職分を、理論知としての学問に限定して理解することは、世界を変革する上での教育の重要性を低く見積もっているのである。
なお、距離をとることも一つの選択であり、自由の一部ではある。しかし、その判断の基礎が、他者を自己の都合のための手段や道具としてのみ扱う自己利益である場合、そのような態度は、容易に現実の壁に直面するだろう。
ただし、理不尽な環境から距離を置くことは、自分の尊厳を守るための、人間の尊厳の原則に基づく盾の行使でありうるのであって、自己の目的自体としての存在性格を肯定し、守ることは必要である。
6.誰もが主人公の世界
他者は変えられない。一般論として、そういえるだろうか?もちろん、他者はコントロールできない。しかし、自分は変えられる。加えて、ある程度までは、他者との関係性も変えられるのであり、さらには、環境の意味さえも変えうる自由が、学問と実践の中には眠っている。
主人公であることを自覚しよう。
対話のテーマとして、エッセイを提供します。
日本はグローバルな国際社会から利益をえているのであり、その国益もまた、グローバルなところに利害関心がなければならない。
日本の国是は、個人の尊厳にある。基本的人権の尊重を、憲法に偏重して理解するのではなく、国際法と国内法を両輪としたうで、個人の尊厳を語るべきである。
対内的な政策と、対外的な政策を、一貫して説明しうる理念を掲げることこそが、誰も二級市民として扱わない、憲法の理念なのであり、植民地主義の克服である。
日本の国益は、国際社会の一般利益と国益の一致点に求めなければならず、その対外政策は、国際協調主義および全世界の人びとの平和的生存権の確認を基礎としなければならない。
自国のことのみに専念してはならないというのが、歴史と憲法の戒めである。
人間性の本質は、誰もが単なる手段や道具として扱われることなく、等しく目的自体として存在することのうちにあると思います。
その具体的な意味は、各人の直面する具体的な現実の中で問われ、各人自らが実践の中で考え、育むべき事柄だと思います。
その際、国際人権法や各国の立憲主義など、人間性の本質である人間の尊厳に基づく、実定法規範から学べることは多くあります。
私たちは、困難に直面するたびに、原則に立ち返り、連帯と団結のいしずえを再確認し、それぞれの立場から、対話と交渉を継続することができるのだと思います。
刑法の役割には、社会秩序の維持、人権の尊重、犯罪者の更正・再社会化があると思います。この三つは、同時に尊重される必要があります。
たとえば、死刑制度の維持は、社会秩序の維持には役立つかもしれませんが、人権の尊重、犯罪者の更正・再社会化にとっては、相容れないものです。
犯罪の発生には、社会環境や教育、家庭生活など、さまざまな因子が考えられ、犯罪の実行者は、加害者であると同時に、自らの行為の被害者でもあるわけです。
特に、死刑制度は、犯罪者から更正・再社会化の機会を永遠に奪うのであって、人間の目的自体としての存在性格に基づく、決して自分を諦めてはいけないという実践理性の要請を無視するものです。
また、死刑制度の維持は、誤判による死刑の可能性を肯定する非人道的な刑罰であり、明らかに人間の尊厳の原則に反します。人間による裁判である以上、誤判は避けられないからです。
たとえ犯罪を犯した者であっても、その目的自体としての存在性格を否定しない、社会倫理が問われます。死刑の威嚇による社会秩序の防衛は、このような社会倫理を損なうのではないでしょうか?
犯罪者を第三者である自分とは無関係な悪と切り離さない想像力と「連帯」が、社会の側に求められると考えます。
ぼくが覚えてる、カラマーゾフの兄弟のアリョーシャの説教。その主なテーマは、最良の教育はなにかということでした。
それは、若い頃の、おそらく子供時代から大切にしてきた、なにか神聖で美しい思い出ほど、健全で、役に立つ教育は他にない、というものでした。
昔は深く感動したこの言葉ですが、今は響かなくなりました。最良の教育は、思い出ではなく、現在進行形の人間関係のうちにあるからです。
人間関係は運に左右されますが、運を引き寄せるのは、日々の実践であると感じます。それには、健全な反省と学び、行為の修正と人格の形成があります。
人を正しさへと引き戻すのは、教科書や理論ではなく、与えられた環境の中における善意志の働きであり、そのための自由意志の介在です。
善意志の働きといっても、自分が善人だということではなく、自己の意志によって何を志として立て、他者と関わっていくか、ということだと思います。
最良の教育は、各人が自分自身で、世界の中に発見していくものだと思います。
表現の自由の規制は、憲法学では、経済的自由より、厳格な基準を用いて審査される。しかし、国家からの自由として、表現の自由を保障するだけでは、十分ではない。
むしろ、有害なコンテンツや、低俗なコンテンツが、ビジネスとして流通し、個人の人格形成にマイナスの影響を与えることがありうる。
まず、忘れていけないのは、道徳の価値とは自由な意志を前提とすることである。したがって、法は道徳の可能性の条件であり、不道徳の可能性の条件でもある。
法は自由を保障すべきものであり、道徳を強制してはならない。自由は魂の呼吸であり、個人の人格は、過ちから学ぶことによって、自律的に高められるものである。
利益追求を最優先させる企業は、長期的なビジョンが欠けており、企業としてのブランド価値と信用を低下させ、リスク・マネジメントが十分でない。
人権の主流化の国際的な潮流に対し、後手にまわらないためには、国際標準や企業価値に基づく、一定の自主規制が必要になってくる。
その際、企業による自主規制プロセス自体に、透明性、異議申し立て手続、市民社会の監視などを確保することが不可欠となるだろう。
クラウド国の国際協力・中立組織オーロラ船団は、闇の勢力圏のエルシオンで、平和構築を依頼される…。
聖女テレサ:「ホワイト兵団、前へ。このキャンプを守り抜きます!」
ホワイト兵団:「はい!テレサ様。」
反政府勢力:「くそ。戦力に差がありすぎる。退くぞ。」
―――
突然、キャンプ上空に漆黒の武装船団が現れる。
「な、なんだ!あの船団は!」
「きゃー!」
「に、逃げろー!」
一方、天の原、フィダック城。
星矢公:「白雲家、参る!」
家臣団:「はっ!」
星矢公:「敵の狙いは、聖女テレサ様で間違いない!皆を守るぞ!」
家臣団:「ははー。」
天の門が開き、純白の騎士団がキャンプ上空に布陣。強力な結界を張り巡らした。
―――
一方、オーロラ船団の地下基地。
アリョーシャ長官:「くそ!闇の勢力か!なぜこのタイミングに。」
隊員:「現在のオーロラ船団の装備では、対抗できません。」
隊員:「アッシュ地方には、白雲家がいます。しばらくは結界が守ってくれるでしょう。」
アリョーシャ長官:「その間に手をうつぞ!国防省に連絡を!」
―――
オウガ兵:「ふん、白雲家か。いつまでもつかな。」
黒騎士:「ん?」
オウガ兵:「あ、あれは!白銀の門!」
さらなる上空に、光り輝く白銀の門が現れる。辺りに透き通った声が響く。
声:「警告する。退きなさい。」
黒騎士:「ふん。天帝か…。退くぞ。」
オウガ兵:「は!直ちに。」
エルシオンの地方の村。
おじさん:「おーい!こっちも頼むー!」
ユウ:「はいはーい。」
ユウは神機兵グレンで、用水路工事の現場で石を砕いていた。
少年:「グレンかっけー!」
少年:「ぼくも、将来グレンに乗って工事したい!」
ホワイト兵団隊員:「では、ここに聖水を設置する計画でいいですね。」
長老:「おお、夢のようだ。このような日が来るとは。」
ホワイト兵団隊員:「ふふ。長生きしてくださいね。」
―――
一方、オーロラ船団。旗艦ブリッジ。
セツナ:「ちっ。まずいな。」
そういうと、セツナの姿は瞬時に消えた。
場所は、とある宇宙。
エクスカリバー帝国軍:「全艦、総攻撃!」
オウガ帝国軍:「返り討ちにするぞ。全軍前進!」
両軍の間に、白銀の鎧を着たセツナが現れる。
セツナ:「頭を冷やせ!」
セツナの両腕に浮かぶ二つの白銀の盾が巨大化。波動で両軍の動きを止める。
エクスカリバー帝国軍:「セ、セツナ様!なぜです!」
オウガ帝国軍:「何者だ!?」
両軍の戦艦の武装が次々と破壊されていく。
「退け、退けー!」
―――
エルシオンの地方の村。再び。
ホワイト兵団隊員:「この土地なら美味しい作物が育ちますからね。みんなで分け合ってください。」
村人たち:「おおー!」
青年:「川の水で傷や病が少しずつ癒えるぞ!入ってみろ!」
女性:「こうしちゃいられないわ。明日から忙しくなるわよ。」
ソラ:「簡単な材料でできる料理のレシピを皆さんの言葉で作ってみました。」
少女:「ありがとう。お兄ちゃん!」
ユウ:「やるなー、ソラー。」
隊員:「本艦と交戦中の敵の所属は不明!」
アリョーシャ長官:「グレン団の不在を突かれるとは!」
アリョーシャ長官:「持ちこたえられるか?」
隊員:「分かりません!」
隊員:「艦長!側面に天の門!白い旗に龍の文字!」
純白の騎士団が、龍の文字を刻んだ旗とともに出現。疾風のごとく敵陣を圧倒。
隊員:「白雲家です!」
白雲家家臣:「受けてみよ、活人剣!」
純白の騎士団は、自国の戦争法規の理念を守り、次々と敵を無力化していった。
そこに、セツナの純白のグレンが出現。
セツナ:「遅くなった。今行く!」
―――
エルシオン。オウガ帝国。
大臣:「月明かりの塔の支援を受け入れるとは、狙いは光のスパイラルにあったのですか?」
黒騎士:「さあな。」
大臣:「確かに、聖水プロジェクトは国内に潤いをもたらしました。」
大臣:「しかし、敵も作りましたぞ。」
黒騎士:「守るのは、オレたちの仕事だ。」
大臣:「エクスカリバー帝国との敵対も、あるのですぞ?」
黒騎士:「少しは頭を使え。」
―――
黒騎士の部屋。モニターで誰かと交信している。
黒騎士:「ということでルナ様。セツナという男と交信がしたいのです。」
ルナ:「あなたの計画は、闇を分断しかねません。よく考えねば。」
黒騎士:「承知しております。」
ルナ:「セツナ様には、あなたのことを話しておきます。」
黒騎士:「ありがとうございます。」
エルシオンで、オウガ帝国による国際放送が流された。
黒騎士:「われわれオウガ帝国とその同盟国は、さらなる賛同者と有志を募り、ここにブラックユニオンを設立する。」
黒騎士:「ブラックユニオンは、光のスパイラルを目的とする月明かりの塔と提携関係を結び、協力・守護する。われわれ同盟諸国は、相互に自由を保障し合い、防衛協力する。」
黒騎士:「さらに、ブラックユニオンは、宇宙の神々に名を連ねるセツナ様を盟主として迎え、力による闇の支配から、正しさを求める法の支配を目指す。」
黒騎士:「われわれオウガ帝国は、敵対関係にあったエクスカリバー帝国と和解し、光のスパイラルで相互協力していくことで一致した。」
オーロラ船団の特務機関待機室。
「ええー!!」
―――
月明かりの塔。満月の間。
ルナ:「ブラックユニオンはエルシオンの広大な領域を傘下とし、一大勢力となりました。さらに、侵略戦争を禁止し、紛争解決の手段としての武力行使を限定していくようです。」
ルナ:「私たちの活動は、ブラックユニオンに敵対する勢力では、事実上不可能に近くなりました。他方、ブラックユニオンの内部では、光のスパイラルが推進しやすくなりました。」
ルナ:「しかし、これによって、エルシオンが分断されてはなりません。私たち月明かりの塔も、自主性と独自のネットワークを守っていかなければならないでしょう。」
―――
エピローグ
オーロラ船団は、数年ぶりにクラウド国の地下基地に帰還した。
ユウ:「ぼくたちにできたことは、大海の一滴でしたね。長官?」
アリョーシャ:「それでいいんだよ。みんな海の波。一つの波でも欠ければ、海は成り立たない。そういうものだと思うよ。」
ユウ:「そっか!誰一人欠かせない世界に、ぼくたちは生きてるんだね、アリョーシャさん!」
THE END.
―――
「アリョーシャのメモ」
人間性の本質は、誰もが単なる手段や道具として扱われることなく、等しく目的自体として存在することのうちにあると思います。
その具体的な意味は、各人の直面する具体的な現実の中で問われ、各人自らが実践の中で考え、育むべき事柄だと思います。
〔省略〕
私たちは、困難に直面するたびに、原則に立ち返り、連帯と団結のいしずえを再確認し、それぞれの立場から、対話と交渉を継続することができるのだと思います。
〔対話〕 UNITED IN HUMANITYより
心の内側で響く 青のメロディ
街の風となって そっと背中を押す
時計の針を 止めたなら
Just trust your melody.
描いていく 5年先の未来を
FREE STYLEで 奏でて行く
最高の自分を
足下に広がる NEW WORLDとともに
走れ 走れ 風になって
響け 響け ぼくらのmelody
BLUE SKY。くも払って、ダンスすれば、
風が、背中を押す。駆け抜けろ。
渡り鳥のように、海を渡れ。
りくを見つけたら、羽を休めて。
バックパッカーのように、今を生きる。
同じ街並みで、繰り返そう。
いつだって新しい、そのシナリオを。
BLUE SKY。つゆ払って、リズム刻む。
朝が、ぼくを急かす。前を向け。
白い雲のように、空を泳げ。
風をつかんだら、形変えて。
バックパッカーのように、明日を生きる。
同じ毎日で、繰り返そう。
いつだって新しい、その第一歩を。
1.「Resonance」
銀色の光が、世界のあちこちから、
垂直に立ち昇る。
それは、光に立ち返る、高貴なる意志たち。
彼らは、白銀の鎧をまといつつ、
聖なる姿を取り戻した、地底の聖獣と、
呼応し合う。
聖獣は、闇の仲間とのつながりの意味を理解し、
地底に留まり、時を待つ。
世界は今、生みの苦しみの中にあった。
2.「Turn On The Light」
照明を落とし、体を揺らせ。
星空も悪くない。
だが、ここには自ら輝く者たち。
諦めるな。
それが理性の言葉なら、
過去を引き連れ、自由を仰ごう。
流星のように、
胸のうちの、炎をたぎらせ、
地上に築く、夜景の街。
3.「United Blue Planet」
開ける灰色の雲と、降り注ぐ黄金の光。
街の内には自由の恵沢を。
国の外には信頼の蓄積を。
諸国民の連帯は、海を目指す、大河のごとく。
諸国家の団結は、ひと続きの、大陸のごとく。
個々の輝きを巻き込んで、
現実の諸力を、普遍に基づかしめよ。
重く垂れ込めた 灰色の雲の下
行き先も忘れて 誰かが立ち尽くしていた
「冷たい雨が 頬を濡らすたびに
心の奥の灯りが 消えていく気がした
世界はこんなにも暗いと 苦しくて
雲の隙間から こぼれ落ちた
闇を切り裂くような 一瞬の青空
それはあまりにも 儚くて
信じることは できなかった」
――そんなニュースレターを
やっと晴れた窓辺で、ぼくは読んでいる
午前二時半 冷めていくコーヒー
苦いだけの現実に 適当な言い訳を
ひとさじ混ぜて 飲み干した
収穫なしの夜を 笑い飛ばせ
僕のステップは 最初から狂ってる
何だっていいさ
安いラベルを貼る奴らに 唾を吐け
外は冷たい雨の予感
寄りかかる肩なら 遠くにある
この夜の真ん中は
誰も知らない 僕だけのオアシス
風邪は治ったかー
もっと自分を大切にしろよな
いつも誰かのために 走って
あんなに支えてくれたのに
ぼくには 頼らないんだね
知ってるようで 知らないのかな
いつも 話をきいてくれる
でも自分のことは 話さないよな
なんでだろ それでもつながって
お互い 励まし合って
いつも 元気をもらってる
もう だいぶ偉くなったんだから
ぼくに敬語は もういいだろうに
相変わらずだよな
変わることが 全てじゃないと思えるよ
他の旧友たちとも
こんなくだらない関係でいたかったな
次は 新しい友だち連れて
そっちに行くよ 体は大事にな!
2026年3月9日 発行 初版
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専攻:国際法・国際人権法・法哲学。学士(法学)。修士(法学)。過去の研究テーマ:「法実証主義の方法的欠缺」