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我が人生観

内藤 順二

内藤 順二出版



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我が人生観

  「我が人生観」                                                    ★ 自分の存在  幼少の頃の私は、岡山の片田舎で、野山を駆け巡る少年だった。緑は野に広がり、青空は天高く澄んでいるところだった。春には野原でチョウやトンボを追い、秋には庭先の鈴虫を捕まえていた。 夢の中でも、幻の蝶を追いかけ、私もスイスイと空を飛んでいた。そんな、夢見る少年だった。 
戦後の苦しい生活の中で、この自然との触れ合いが、一番の楽しみだった。天空の星を眺めていると、ふと、この宇宙の中で一点にしか過ぎない「自分の存在」が不思議に思えた。 中学の作文の中で「僕は、僕自身がどんなにかけがえのない人間であるかを深く考えてみた。どれだけ多くの人がいるか分からない世界のなかで、自分という人間はただ一人だけしかいないのだ。このことを僕たちが本当に身に染みて感じたならば、僕たちに与えられたこの命を決して粗末にはできない。大切な命を感じているならば、一生懸命勉強せずにはいられない・・・・・・」と書いていた。このかけがえのない「自分の存在」が、私の一生の生き方の基本になったような気がする。
★ 生まれ持った能力  私は限りある人生の中で、一生懸命勉強しなければならないと思った。出来なかった勉強も、少しずつ出来るようになった。しかし、高校に入り、大学の受験競争になると、もう追いていけなかった。途中で挫折してしまった。隣の人が秀才に見えた。背中に父の重圧を感じた。私は劣等感の塊となり、ノイローゼになった。病気のデパートとなり、高校を一年間休学してしまった。そんなところへ、講演に来て下さった、ある大学の先生に「生まれ持った素質や能力は決まっている」「その能力を超えることはできないが近づけるための勉強はできる」といわれ、ハッとした。自分には能力は無い、しかし、能力の限界まで高める努力はできる。そのための勉強が大切なのだと。 それからは、勉強という努力がすべてだった。郷里の岡山を逃げるようにして、東京の会社に就職した。東京は皇太子と美智子様のご婚儀で輝いていた。私にも光が差し込んできた。夜間大学の数学科へ入ると共に、他大学の法律科をも学んだ。生まれ変わったように勉強を続けた。                                                          ★ 個性的に生きる  不思議だった「自分の存在」については、青年になってもより深く考えるようになった。「無」や「死」を意識することによって、自分が現前として「そこに有る」という「自分の存在」が認識でるようになった。さらに、「他人」を意識することによって「他と違う個々」の「自分の存在」を確認できるようになった。 人は生まれながらにして「個性」があり、個性があるからこそ、他人と区別ができ、一人の人間としての存在価値があるのではないかと思った。
もともと私は頑固であった。皆と同じ生き方ができず、親、先生、先輩から忠告されても、なかなか変えようとはしなかった。集団行動の苦手な子だった。自分が正しいと思ったら、あくまで突き通していた。父親からは蔵に放り込められ、先生からは、げんこつをもらったり、廊下に立たされたりしていた。これを「個性」だといってよいかどうか分らないが、現在でも、この生き方は変わっていない。
たとえば、衣類は夏冬兼用であり、オーバーなしで五〇年間過ごした。暑くても、寒くても、上衣は半そでの肌着と白ワイシャツ、下衣は長パンツと黒のズボンのみだった。このスタイルは普段着、ハイキング、スポーツ、菜園作りとも同じスタイルである。勤務のときだけ、ネクタイと背広が加わった。皆からは、このスタイルを見れば、私だとすぐ気付いてくれた。お蔭で衣類管理もタンスもいらない。子供からは、「恥ずかしいからやめて」と言われたが従わなかった。見かねた弟から「礼服」を送ってきた。子供からのプレゼントも衣類は除かれている。                                                                               ★ 知識は幸福の源と  学校を卒業しても、がむしゃらの勉強は続いていた。そんな中でも、「幸福とは何か」を常に考えていた。幸福とは知識をより多く吸収して幸せを感じることだ。知識は幸福の源であり、知は力なりであった。限りある命の中、単位当たりの知識の吸収をより多くすることこそ幸福に近づけると考えていた。日夜、勉強に励んだ。 テレビ見るのはバカバカしいと思った。友達と会うときは腕時計にタイマーを設定し、鳴ると直ちに引き上げた。安保闘争のあと労働機関誌に「時は命なり」という考え方を投稿した。大勢の人から資本主義的だと責められた。 「知識がすべてである」との考え方はその後も一貫していた。                                             ★ 目標に迷い  青年の私にとって、将来の目標は大きかった。しかし、夜間大学を卒業した頃、数学か法律か、進むべき道に迷いがあった。両方へ行ったり来たりを繰返していた。見かねた両親から結婚を勧められた。自信のない結婚だったが、進路の迷いはなくなった。勤務を続けながら弁護士になることを決心した。その頃、会社は数学ができる人材を育てようと、大学院派遣を推薦してくれた。後ろ髪をひかれながら、それを断り司法試験に専念することにした。子供が三人も生まれ、あっという間に一〇年経ってしまった。やはり、能力の限界があった。試験は合格できなかった。肺気胸で倒れ、とうとうあきらめた。
管理職試験に切り替えた。すでに三七歳。同期の者は管理職になっている。不況で合格は削られた。記述試験で合格したが、残念ながら面接で落とされた。日頃の職場をおろそかにした罰であった。 
人生を振り返ってみると、私の人生は、迷いの連続だった。知識がすべてだと思っていたが挫折の連続だった。失敗しては適当な理由をつけ、目標を変える。こんな繰り返しだった。私ほどいい加減な人間はいないと思った。失敗の連続であったが、選んだのは自分だったので、他人のせいにする事はできなかった。
★ 自分を見つめ直す
最後の試験に落ちたとき、それに合わせたかのように、小学生の長男が登校拒否をした。愕然とした。四〇歳の人生の折り返し地点だった。学校に行けない長男をみて情けなかった。「お父さんごめんなさい」と逃げ回るこの子を叩いた。わびしくなって涙がこぼれ落ちた。娘から、「お兄ちゃんが学校でアトピー性皮膚炎で汚いといじめられている」と知らされた。この子は産み月が遅れて帝王切開で仮死状態で生まれた子だ。小さい頃から、近所の子にいじめられると「自分から手を出してはいけない、右の頬を殴られたら、左の頬を出してやりなさい」と言い聞かせてきた。自分が苦しくても親には一言も漏らさなかった。可愛いかった故に思わず、抱きしめたいと思った。だが、私には本当の理由がまだ分かっていなかった。中学、高校も登校拒否は繰り返された。先生や友達の助けがあってやっとの思いで卒業だけはできた。幸い、就職もでき希望に燃えた出発だった。家族でお祝会を開いた。しかし、長続きはしなかった。間もなく出社拒否で退職し、恐れていた引きこもりが始まった。部屋から出てこない昼夜逆転の子になった。何を聞いても返事が返ってこなかった。部屋はゴミだらけになり、畳は腐りだした。
筑波大学の先生のカウンセラーを受けた。先生は親がカウンセラーを受ける方が大切だと言われた。親子で市ヶ谷の治療所に通った。そこでカウンセラーの研修を二年間も受けた。初めて、私がいかに間違った生き方をしていたかに気付いた。人間にとって最も大切なのは「知識」ではなく「心」だと分かった。一人で生きてきたのではなく、今日までに、いかに多くの人から愛をもらっていたかも分かった。昔お世話になった、遠方の方々を訪ね歩いた。人間を取り戻さなければと思い、放送大学の心理学専攻を卒業した。日本心理学会の認定心理士をもらい、「千葉命の電話」の相談員を、三年間務めた。一〇年間の「心」勉強だった。
★ 親が変われば子も変わる
「お前も高校時代は実力テストで、数百人中数番目で頭が良かった」と言ったら、突然怒りだした。「お父さんは、いつも成績で人間の価値を量ろうとしている。それでは、カウンセラーになっても人の心を開かす事はできないよ」、「人の思いやりとか、人間にとってもっと大切なもので評価すべきではないか」と逆に説教された。私が日頃口にしていた事であったが、無意識のうちに成績による判別していた自分に気づき、はっとした。この子の素晴らしい面をみることができた。  また、「子供への愛」と思っていたことが、実は、心の奥底では「子供に期待する自分の願望や、エゴ」の押し付けであったことに気付いた。心の底から、私のすべてを捨て、息子のすべてを受け入れるようにした。その気持ちが子供にも伝わった。親が変われば子も変わる。三年間の引きこもりから、ふつふつと湧きあがるように立ち直っていった。新聞配りのアルバイトを頑張り、今では、電力会社でコンピュータ企画の仕事をやっている。                     ● 私の人生観     五五歳にして、やっと、自分が生きていくための「人生観」が出来上がった。また、それまでの生きてきた証としての「自分史」も書いた。その「自分史」に付けて、次の「私の人生観」を子供たちに送った。
★果てしない宇宙の中で、私たちは一点にしか過ぎない。死ねば再び同じ私は生まれない。だからこそ私たちは限られた命を大切にし、充実した人生を送ろうとするのだ。充実した人生は①「その人なり」②「その人自身」の人生を築いていくことである。①「その人なり」とは、一つには、その人の持っている「個性を生かせて」いくことである。人まねでなく自分の花を咲かせているからこそ美しいのだ。二つには、その人が持っている「能力を精一杯」生きることである。能力がなくとも一生懸命努力しているからこそ素晴しいのだ。②「その人自身」の人生とは「自らの目標を持って主体的」に生きることである。その目標は小さくてもよい。どんな問題でも自分自身が生きていく目標へのつながりをもって受け止めなければ真の意味をもたない。自分の目標に根ざしてこそ主体的に問題が解決でき、かけがいのない自分の人生を生きていくことができるのである。                                                 ★人は自分で自分の人生(目標)を選ぶことができる。しかし自分の姿がわかっていなければ、自分が何に適し何を求めているかわからず、人生の選択は難しい。自分がどんな人間であるかは、人と人との付き合いの中で相手を鏡として自分の姿を写し出していくしかない。それでもなお、心の奥底の本音は無意識下に抑圧されていて、自分にも気がつかないことが多い。そんな時は、心を無にして自分を見つめ直せば、必ずや発見できると思う。本音の自分に気がついたとき、心に安定感と自信が湧き、社会への生きがいを見つけることができるであろう・
★しかし、本音で生きるといっても全く自由というわけにはいかない。他人を犠牲にした自由な生き方などある筈がない。相手を大切にした本音である。相手に受け入れてもらえないのは自分に何か欠陥があるからだ。先に相手を受容できるよう自分が変われば相手も受け入れてくれる。また、自分の人生に不平、不満や、人のせいにしてはならない。最後は選んだ自分に責任があるからだ。むしろ、人を非難する前に、自分が生きるために、多くの人の愛や世話を受けてきたことを思い出すべきだ。その愛に我々は応えられただろうか。その愛にお返しできなかった自分の責を、無意識のうちに相手に転化し、非難してはいないだろうか。その証拠に、自分も同罪だと気づいたとき、他人へも寛大になり、真直ぐに考えられるようになるからだ。 その受けた愛を大切にし、生きていこうではないか。人々の愛を受けていると思うと、勇気や自信が湧くものだ。その後の人生が楽しく幸せなものになる筈だ。                        ★幸せはこのように、世の中を自分がどのように受け止めているかにかかっている。金や地位がなくとも、自分にとって必ずしも不幸せではない。有れば不安の方が大きいかも知れない。幸せは、自分が幸せと思うから幸せなのであり、自分の心の中にとらえるものである。同じものを醜いと見る人は、その人生は不幸であり、清く美しいと見る人は、それだけで幸せな人生である。また、幸せは、自分だけのものではない。人の幸せを自分の幸せと感じる心を持つことができれば本当に幸せであろう。
★私達がどのように充実した人生、幸せな人生を生きようとも、人はいずれ死んでいく。どんなに美しくても「姿」、「形」あるものはやがて朽ち果て、人の体も土となっていく。有ったものが無くなって自然の中に還っていく。永遠に残るのは美しい「心」だけである。多くの人から頂いた愛や幸せを私達も生きている間に少しでもお返しできれば幸いである。自分を空っぽにしてこそ、安らぎがあり、永遠の幸せがあるのだ。これが私の得た人生観である。平成五年十二月八日 父 内藤順二                          ★ 小さな喜びとお返しを   私は既に86才、平凡だが子や孫に恵まれ、質素だが小さな喜びがあった。欲を追えばきりがない。小さな喜びや楽しみの中にも、いっぱい幸せが詰まっている。子や孫の健康そうな顔を見ると嬉しくなってくる。誕生日に「おめでとう」と云われると涙が出てくる。千葉の田舎は素晴らしい。朝、窓を開けると緑が飛び込んでくる。小鳥が楽しそうにさえずり、庭の花が美しく咲いている。今まで何故気が付かなかったのだろう。小さな喜びだが、毎日が幸せでいっぱいだ。また、今まで多くの愛を頂いた。その愛を少しでもお返ししなければならない。しかし、人見知りや、不器用な私にとって、「愛のお返し」をすることは難しい。「清く美しく」生きることはできそうだ。これは東京に出てくるときに送ってくれた、母の言葉である。これなら自分にでもできる。近所のゴミ拾いや寄付を行っている。愛のお返しにはならないかもしれないが、世の中を爽やかにすることは出来そうだ。
残り少ない人生、誰も見ていないところでも、実行できる「心」を、大切にしたい。

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2026年3月22日 発行 初版

著  者:内藤 順二
発  行:内藤 順二出版

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