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駒沢の生活史[47話]

駒沢こもれびプロジェクト




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駒沢で生まれた、いま住んでいる、
暮らしていたことがある約50名の人生を、
約40名が聞いた、生活史の一群です。

駒沢の生活史


第1話 世田谷はまだ土地が安いから、そこらへんを買ったら?
    みたいな話があったみたい

第2話 だから、もっと普通。普通に、普通の生活を(笑)

第3話 マネーゲームのゲームの外側から見ちゃうと、
    人生のあと残った時間を費やすっていうのが

第4話 父親の思い出って本当に少なくて。
    駒沢公園で鳩に餌をあげたとか(笑)

第5話 「それまで生きたのは、人に助けられてたんだ」っていうことを、
    そのとき初めて、ものすごい実感した

第6話 なんだったら焼きおにぎり自分で作って、おやつで食べていいよ、
    みたいな(笑)

第7話 今。うん、よくわかんないけど……。愛情は湧いてきたから

第8話 ふふっ。刃傷沙汰にはならないようにね(笑)

第9話 憧れと一緒に暮らすって違うよね。
    そこをちゃんと見極めてたのは偉いと

第10話 どうなんですかね?
     結構、直感で生きてるとは思ってはいるんです

第11話 まかない食い放題!
     生マグロのね、本マグロは、ほんと美味しいの

第12話 ひとつ前の会社が戻って来いって言うから、
     じゃあ、○円くださいって言って(笑)

第13話 もしそう言わなければ、そう思わなかったら、
     親父はもっと長生きをしてくれたんじゃないか

第14話 「また仲良くなるためには、どうしたらいいんだろう」って
     ことに、私はいちばん、頭を抱えているかもしれない

第15話 そのためにL字ソファーベッド買ったんですよ。生意気ですね

第16話 私がアメリカ行くのは、おじさんと一緒にっていうつもりで。
     それが「あなたが社長ですから、
     これ、サインしてください」って、突然

第17話 だから、だから、だからだと思うんだけど

第18話 幼稚園の終わりにはもう美容師になりたかったんだよね

第19話 家出できる場所ってこの辺全然ないんですよね


第20話 お茶ひとつあげても「ありがとうございます」って言う
     お客さんって、すごいなとずっと思ってた

第21話 朝来た瞬間から、
     自分でやりたいことを自己決定していくっていう

第22話 けっこう今は相談相手って感じ。お姉が、いちばんの

第23話 ここにいたら自分なんか甘えちゃうなって(笑)

第24話 「本命じゃない人」と一緒に付き合ってるみたいで、
     「なんかあんまり」って思ってたけど


第25話 根岸農園でぶどう狩り、ぶどう狩りができるんです。
     あのね、これをずっと行くと緑道に出るんですよ

第26話 仕事してるとき、
     自分の子どものこと思い出したことってないんです(笑)

第27話 駒沢公園はずっと身近にはあったかな

第28話 悩みってほどでもないけど、自分から言う話でもないから

第29話 塾すら近所だからさ、
     全部、この三茶駒沢エリアで完結してたの


第30話 ここには駅がなかったんですよ、昔。
     私が高校一年生のときに、駒沢大学駅ができたんです

第31話 もうなんか、聞いてる以上にすごかったですね。
     「子どもを送ってったあと、お茶」とか。床が大理石の家とか

第32話 仕事だと、すごいなんでも頑張れてるんですけど。
     プライベートとなると急にちょっと雑になっちゃう

第33話 僕、駒沢歴が長くて。渋谷に4年、武蔵野に一年いたんです
     けど、それ以来ずっとこの界隈で

第34話 がーって準備して、半年ちょっと経った十一月に
     駒沢でオープン

第35話 山梨の人は東京に出ると
     中央線沿線に住む人が多いんですけど、
     高校生当時の僕には「世田谷区」の響きが良くて

第36話 海外にいると言葉も文化も習慣もわかんないから、
     頼れるのは家族みたいなのはあったのかも

第37話 「おいしいクリームソーダを出すだけの人です」って言われた

第38話 さあ東京行くぞって出てきたやつは、
     大学入った時点からもう野心がバリバリなわけですよ

第39話 「宿命なんだ」と思って。ちょっと移ってみようかなって

第40話 早稲田落ちた次の日に下北沢に行って、カフェに(笑)。
     落ちたけど、コーヒーは飲みます

第41話 ご近所をちょっと歩いて、おう元気か!とかいって
     声かけられて、そういうのなんか憧れるよね

第42話 喘息でお昼にマックはちょっとつらいですみたいな。あははは

第43話 …どっからか来てるのかな。
     常に負けられない戦いが始まっちゃってるんですよね

第44話 たぶんすごい逆算思考なんですよ。
     後ろから人生を逆算してるから

第45話 またね、切り替わる時が来るかもしれないから、
     いまある仕事を、最大限にやるしかないと思って(笑)

第46話 いまでも「ここではこんなことがあったなぁ」とか
     そういうのを思い出しながら、ゆっくり散歩してるんです

第47話 すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
     あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

第48話 「私、ここにいなきゃいけないような気がする」って
     おっしゃって。「どうしよう」って(笑)

第49話 で、ご飯が美味しくて2キロぐらい太って帰ってきました(笑)

第50話 そこから出たい人ももちろんいると思うし、ここにずっといる
     ことが尊いともあんまり思ってないんですけど

第51話 東京がすごく息苦しい街だなって、来た瞬間から思ったのね

第52話 私はしたいことをしよう。自分には嘘つかないで生きていよう。
     本当に素直で正直に生きていけたらいいなって思って
     過ごしています

第53話 私、人よりすごい睡眠時間が長いんです(笑)


















すげえな、自分はそうなれんのかな、みたいな。
あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど

話し手 40代男性
聞き手 白石ツネリ


 駒沢ではないけど、少し先ぐらいのところ。子ども連れて遊びにくるとか、(駒沢)公園に。地元は山梨県なので、住み始めたのは結婚してしばらく経ってからですね。もう10年近く住んでるんですけど。

 ──なぜ駒沢付近を選んだんですか?

 しばらく経堂に住んでて、子どもができて、「家探そっか」みたいな話になって。経堂からこのあたりのエリアは好きだったので、このへんで家あったらいいねって感じでしたね。

 ──へえ。上京されたのは、大学のとき?

 そうです。山梨に18歳までいて、大学が東京だったので上京して。
 仕事しだしてから4〜5年、転勤で大阪に行ってたんですけど、そっからまた東京に戻ってきて。

 (大阪に行っていた)5年ぐらいのブランクはありつつも、大学行くのに東京出てきて、そこからもう約20年ぐらい。いま一応44の年なんで。

 ──いま、お仕事はなにされているんですか。

 一応、IT企業のサラリーマンです。仕事で言うと、なんだろう…クライアントに売る用のITプロダクトをつくる、プロダクトマネージャーみたいな仕事をしたりとか、会議のファシリテーターの仕事とか、あとは、コーチング的なことだったりとか。
 あとは大学で、ボランティアでちょっと授業やってみたりとか。

 ──大学で授業を。

 はい。すごい面白いんですよ。それこそ〇〇さんの影響でじゃないですけど、「人の話を聞く」っていうエッセンスがある授業をやってました。

 ──〇〇さんの「聞く」ワークショップに参加してたそうですね。

 2014年ぐらいに4泊5日のインタビューのワークショップに参加して。
 当時、広告をつくったりする仕事をしていて、チームをまとめるマネージャー業みたいなことをしていて。そのなかで、なんとなく、自分が話を聞き漏らしてる感じがするというか……してたんですよ。話は聞いてるはずなんだけど、大事なところを自分は捉えられてない気がするな、みたいな。

 5日も有給(取ってまで)ってなんだろうって感じなんですけど、でも、自分にとっては切実な問いだったというか。

 チームで働くことは、「1+1=2とかじゃなくてさ、もっと3とか4とか10とかになるんだよ」って世界観を(他の人から)聞いてたんです。でも自分がやると、「1+1なのに2未満だぞ」みたいな感じがしてて。その要因の一つに、「聞き漏らしてる感じがする」もあるのかもなって、問題意識として強く思ってて。

 ──聞くことが、チームビルトのひとつとして大切なんじゃないかっていうのを、そのとき考えた。

 そうっすね。そこまでクリアに思えていたかわかんないんですけど。
 たとえば、人が相談に来ないなって思ったりとか。

人に話を聞いたりすることは、時間がかかるんだなって思いました

 ──それは周りのリーダーと比べて?

 比べてとか。「聞く」がどうこうって話じゃないかもしんないですけど、でも自分のところで繋がることがあったんでしょうね。たぶんね。

 やっぱり人の話を聞いてるようで聞いてなかった…ってところまではいかないんですけど。
 例で言うと、「柔らかい相談をしたいな」「まとまってないんだけどちょっと話したいな」って状況あるじゃないですか。

 それを話されたときに、僕は良かれと思ってやってるんですけど、「あなたの話はこうで、こうで。その話からすると、この2点目のこれが足りないから、こうじゃない?」みたいなことを返す。そういうのをすぐやるタイプ。
 そうすると、話してる方は、そもそも受け取ってほしいものを受け取ってもらえてないかもしれないですし、さらには、自分がモヤモヤしてるのがバカに思えてくるっていうか。「そんなに理路整然とした話だったんだ、なんで私モヤモヤしてたんだろう」って嫌になるし。

 (相手の話の内容を)捉えてはいるんですけど、ニュアンスのやり取りはしてなかったし。
 最短で相手に対していちばん良いものを渡したいなっていう思いからではあるんですけど。それ真顔でやられたら怖くないですか(笑)。

 ──確かに、確かに(笑)。2回目行けない可能性あります。

 ちょっと考えてからじゃないとやばいんじゃないか、馬鹿にされるんじゃないかって思うじゃないですか。俺が逆だったらそう思うと思うんですよ。
 あんまりそういうことを、落ち着いて考えられなかったですね。そのあたりはひとつの、人と仕事をするにあたっての大事な部分だったんだろうなと。

 ──実際、そのワークショップに参加して、「聞く」に対する変化はありましたか。

 そうっすね。でも、すごく変わったかっていうと…そんなに違和感はなかったんですけど。いちばん思ったことは、人に話を聞いたりすることは、時間がかかるんだなって思いましたし。

 ちゃんと理解したいと思うから、時間をかけるものなんだろうな、早回しはできないなって感じました。

 さっき言ったみたいに、相手の問題点や疑問を最短で捉えて、整理して、解決策と共に渡す…なんだろう、相手を理解するのは無理だなって。時間の尺的に無理だなというのはいちばん思ったことですね。
 事実を掴むっていうことだけで言えば、最初の30分ぐらいで終わったかもしんないけど、この人がどういう人で、どういうことを大事にしてて、雰囲気も含めて、ちゃんと理解していくとすれば、少なくとも30分で終わる話じゃないなって感覚です。

 ──会社になると時間が限られてるし、そんなに(時間をかけて)話を聞けないじゃないですか。どういう感じで活用していったんですか。

 人が話しに来たとき、確認しましたね。アドバイスが欲しいのか、ただ聞いてほしいのか、あるいはモヤモヤしてるのを一緒に整理したいのか。
 とはいえ仕事なんで、あるタイミングまでになにかを納品しなきゃいけないみたいな話とか、締め切りとかはあると思うんで、そのスケジュールの中での選択肢っていうのはもちろんあるんですけど。

 あとは、自分が話を聞いたことで、すごくエネルギーが出てきてるような人がいるというか、プラスに作用してる人、聞いてもらうことがすごくいい経験になってて、エネルギーが出てくる人がいるんだなっていうのは実感したんですよね。

 ──自分が聞くことで、相手が元気になる。

 そうそうそう。そういうことってあるんだなと思ったし、どっちかっていうと、聞いたら叩き切ってた方だから、自分はそういうことができるんだなと思ったんですよ。
 仮にテーマがなかったとしても、話したいなって思ってくれてることについてちゃんと話を聞いていくと、やっぱり相手方がパワー出る感じがしたんで。

なんか距離感が近すぎるのかな

 例えば会議見てても、不毛な話してんなって観察してると、こっちが言ったことをこの人たちはぜんぜん聞いてないなとか、対立してるように見えて言いたいこと言ってるだけだな、みたいな。結構(周りが)見える感じになったときに、その場をどう整えて、こっちがどういう意見で、みたいなことを表に出して見えるようにやったら、もっとスムーズになるよなとか。
 で、ファシリテーションも興味が出てきて、研修行ってみたり。自分ができそうだなってところを起点にしつつ、場づくりにも興味が移ってきたって感じですね。

 ──(その人を)知ること自体、割と好きですか。

 人の話はほんとに飽きないなって思うんで、それが好きだし、結果的にそういうのが色々よく作用するシーンがあるから、それで続いてるのかもしれないですね。
 抽象的な話になっちゃうんですけど、本質的なことって大事だよね、みたいなことを言われるのを感じたことがあるんですけど、本質的なことって普遍的なことだったりするなって思うと、普遍的なものって驚きがないっていうか、違和感があんまりない。

 だから、どっちかっていうと、本質っていうよりは、その周りにある、偏境的な、マージナルなもの、そういう方が、やっぱり楽しいなって。
 本質はもちろんなにかのためには大事だとは思うんですけど、ノイズみたいなものに触れるとすごく面白いなって。その人らしさ、のような話かもしれないですけど。そういうのは自分が好きなので、やっぱり個別の人の話を聞いてるのが楽しい。

 ──で、いまはもう大学生に「聞く」を教える立場に。

 そうっすね。
 例えば、半期がだいたい13コマぐらいで、そのうち前半の方は、(学生たちが)お互いで色々聞き合ったり、こういうことに注意して聞いてみようか、っていう話をしながら体験してもらって。

 そのあと、(学生は)20〜30人ちょいぐらいなんですけど、参加者に、僕らの同級生とか、だいたい彼らより20〜25歳上ぐらいの人を紹介して、その人たちに(1対1で)話を聞いてもらう。生活史を集めてきてもらって、みんなで見て、自分たちのキャリアとかについて対話してもらう授業をやってるんです。

 ──めちゃくちゃ面白そう。受けたいです。

 自分が就職活動してるとき、やっぱり視野が狭かったというか。結果的にいまの人生になんの不満もないんですけど、大学生のある時点で、人の話聞いたりできていたら解像度が高いというか、地続きのキャリアがあったのかなと思って。
 (ネットの情報などではなく)一次情報を得られるというのは、自分がもしこの授業を受けてたら、また違う人生があったんだろうなって。

 ──学生時代、仕事のことなんてほとんど知らないですもんね。

 本当にそうなんですよね。
 例えば13回の授業で、13回とも違う先輩が来て、こういうこともあって、こういう失敗もしたけど、いまはこんなにすごいことやってますって、成功してるような雰囲気の人たちがやってきて話をされても、ぽかんとするっていうか。
 すげえな、(自分はそう)なれんのかな、みたいな。あんまり繋がんないっていうのがあったんですけど。
 まとまりきらない話を(1対1の関係性で)聞けるので、それは面白いなと思ってやってますし、評判もいいみたいなんで、何回かやってます。

 ──家族の中でも、聞くっていうのを結構意識されたりしますか。

 難しいっすね。時間取ってそういう話ができてるかっていうと、そんな感じじゃないな。やれたらいいんだろうなと思うけど、実行するのはなかなか難しい。
 パッと思った理由の一つは、圧倒的な利害関係者っていうか。日常生活における関係者なんで、上下関係があるとかでもないし、そうすると、その場をあえて設定しないと、そういう状態になれないっていうか。聞く、聞かれる、みたいな関係性になりづらいのかもしれないな、とか。その上で色々忙しくて、わーって流れていくから、そういう時間を、あえて取ってみようとするのは難しいのかなって思ってますね。

 なんか距離感が近すぎるのかな。

 なんか変な話、家族って腕とか手触っても違和感ないじゃないですか。他人って触っても触られてもめちゃくちゃ違和感あるじゃないですか。
 でも家族って、いつの間にか触っても違和感なくなる。それぐらいの違和感のなさがある人と改めてその場を設定してというのは難しいなって思います。

もう抱えきれないな、潰れるって思いました

 ──結婚して20年。駒沢付近に住み始めて10年でしたか。

 そうっすね。子どもできて10年。いま、上の子が小4で下の子が小1で、子どもができた頃にいまんところに越してきたので。

 ──ちなみに山梨ではどの辺に住まれていましたか。

 いまは山梨県の南アルプス市っていう名前になった場所があるんですけど。昔は違う名称があったんですけど、平成の大合併が30年以上前にあって、そのときに南アルプス市っていう名前になって統合されたんですけど、見渡す限り田んぼと畑です。
 皆さんが想像するおばあちゃんちみたいな感じのところで生まれて、18歳までそこで。
 家族は3人です。両親と自分で、祖母は母方の家に住んでたんですけど、母方の祖母はもう僕が小1ぐらいのときに亡くなっちゃったので。

 ──「将来こんな仕事がしたい」とか考え始めたのっていつ頃ですか?

 将来どんな仕事に就きたいですか、どんな夢がありますか、みたいなことを書く機会とかあるじゃないですか。そういうときに書いたものはいくつかある気がするんですけど。
 ちゃんと職業としてあった方がいいかなと思ったのは、中2とか中3とかになって、学校の先生にすごい興味が出ましたね。

 いまとなっては、本当にそのときにこう思ってたのかはわからないですけど、やっぱり学校教育が大事だなって思ったんすよ。
 いろんな子がいるんですよね。田舎なんで、収入もそうだし、文化的なこともそうだし…いろんな子がいたんですよ。それこそお医者さんの家とか、社長の家とかから、あまり裕福でない家庭の人まで、こう幅広く、小学校にいたんですけど、小学生だとそんなに関係なく遊ぶじゃないですか。
 頭いいなとか、話し合うなとか、スポーツできるなとか、小学校のときにそういうイメージを持ってた人たちが、中学、高校とか進学すると、完全にヤンキー化してて先輩に怒られてるとか、あるいは原チャを盗んでるとか。聡明なはずだったあの子が、言い方を選ばずにいうと、なんでこんなことになってんだろうって思って。

 もしかしたらね、解決策はあるのかもしれないですけど、そのとき自分の中では、「これは教育がなんとかしないとダメなのかもな」と思ったような気がします。これが教育に興味持ったのがきっかけだったかもしれないですね。
 周りの子に「わかんないから教えて」と言われて説明したりするのが、あんまり苦じゃなかったし。

 ──大学は教育学部に?

 はい。教員免許持ってないですけど。(大学で学んで)現場の教員はめちゃくちゃ大変だと思って、実習も行かず、もはやイメージだけで自分ではたぶんできないなと思って。
 例えば30人のクラスだったら、30人全員の様子を見ながら、しかもその先に親御さんがいらっしゃって、全部に気を使いながらの365日を過ごすっていうこと自体が、もう抱えきれないな、潰れるって思いました。

 ──大学生のときは、どのあたりに住んでたんですか?

 東京出てきてすぐは、山梨県の人あるあるですけど、西側にだいたい住むんで(笑)。

 山梨県から東京って中央線で来るんですけど、新宿が終点になるんですね。だから八王子から新宿ぐらいまでは、なんとなく馴染みがある、気になっているエリアなので、ここで突然、葛飾に住みますとか、池袋、板橋とかは選択肢に上がりづらい。
 まだここだと地続きな感じがするんで、最初調布に住んで、その次に笹塚に住んで、都営線とか使ったりしてました。

 ──めっちゃ混んだんじゃないですか。

 混むような時間に学校に行かないっていうか。一限から全部出ますよ、という感じの生活でもなかった。

 単位は取得してちゃんと卒業するレベルには通ってはいましたけど、すごく真面目な学生だったかと言われたら、ちょっとわからない。なにかに精を出してたかって言われると、そんなにエネルギーをなにかに向けられたかどうかもわかんない。なんでしょうね、でも、ぼんやりした気がします。

 ──大学生って、そんな感じですよね。

20年越しで一部回収しに行った感じはあります

 そうっすね。でも、最近の大学生とか、最近だからってわけじゃないと思うんですけど、(自分の)授業に来てくださる大学生の話聞くと、やたらいろんなことやってて。
 来月から留学ですとか。キラキラしてるっていうか、別に「ウェーイ」って意味でキラキラしてるんじゃなくて、自分がしたいことや興味があることに対して、すごくまっすぐにチャレンジしたりとか。こういう大学生活もあったんだって思うこともありますね。
 少なくとも自分は、大学3年生の(就職活動の)タイミングでは、なにかに興味を持ってるって感じではなかったと思う。僕はたぶん、30歳前後とかで、それが出てきたって感じだと思うんで。

 自分がきっと大学生だったら、(自分がやっている授業のように)フィールドワークがあるとか、課題をやらなきゃいけないような授業は積極的に避けてましたね。
 興味があるところだったらやってたかもしれないですし、そういう授業もあったとは思うんですけど…(いま見ている学生たちは)ここに興味持つんだなっていう驚きはあります。

 ──就職活動を始めたのは?

 大学3年生ですかね。でも、ほんとにやる気がなくて。いま考えたらやりようもあっただろうなと思うんですけど。

 僕らの時代って、リクナビとかでエントリーシートを送ったり、説明会を予約したりするのが一般的になりだした時期で。説明会予約しても行かないとか、だるいなっていうのもあるし、自分の気持ちが定まんない感じだから。
 就職しないとダメになりそうだなっていう自分も(いて)、とりあえずエントリーはする。今日、なんとか商事の説明会だなって思いながら、もう一回寝たのすごい覚えてて、それぐらい、どうしたらいいか…いまでもわかんないですけど、そのときはそのときなりにちゃんとしたいと思ってたのかな…。

 けど、自己分析も言われ始めた時期だったと思うんですけど、ぜんぜんわかんないしね。自分掘ったところでなにも出てこないし。あるいは掘ってると、どんどんわかんなくなってくる。そもそもなんの経験もないし、なにが向いてるのかわかんない。分析してどうすんのって。

 ──わからないまま、広告のお仕事に?

 そうです。最初の会社には12年弱ぐらいいました。
 やりたいことわかんないって言っても、ある程度本心から「こう思ってますよ」ってこと言わないと、拾いもされないとは思うので、それなりには(自身のやりたい仕事の話は)したと思うんです。
 いわゆるフリーター(が増えていること)が問題になり出した時期で、就職率が低いとか、非正規の雇用が増えているのが問題視され出したみたいな時期だったんで、そういうのをどうにかしたいみたいな話を面接でして。
 「うまく意思決定できるような形で、情報がちゃんと届けられたらいいなと思ってるんですよね」と話をした気がしてます。

 これは、ずっと思ってたこと。仕事し始めてからも、いまでも大事なことだなと思ってるんで。

 ──なるほど。

 なんのためにやってるかは、もちろん生きてくためではあるんですけど、世の中のため的な意味合いで言うと、大義もなんとなくあった。
 通常の広告会社は、当時の考え方で言うと、どうでもいいものだろうがなんだろうが、金もらえば素晴らしいものだっていう風に見せて、人に売りまくってる仕事だなって、(自分は)あんまり加担したくないなみたいな、そういう青いバンドマンみたいな感じだったんで、余計にこじらせてるんですよね。

 そうすると、広告とかものづくりには興味はあるけど、(就活のとき)余計に選択肢なくなってきて。

 ──そのときの葛藤が、現在の大学での授業に繋がってますね。

 20年越しで一部回収しに行った感じはあります。

みんな1秒未満のコミュニケーションで生きてんだな

 ──いま住んでいるエリアは、お子さんの教育のことを考えて決めたんですか。

 一切考えてないってことはないですけど…どっちかって後付けかもしれないですね。……でも最初にそれ(子どものこと)があった上で、選んでるかもしれないですね。荒れてないというか、ざっくり絞った上で…あとは自分たちの好み。

 僕も妻も田舎の公立小中なので、どっちかっていうと、やっぱいろんな人がいる方が自然な感じがする。本当にそれが自然かはわかんないですけど、少なくとも、自分が生まれ育った環境がそうだったから、それが自然な気がする。
 自分の子どもたちは、そういう環境じゃなさそうなので、ダイバーシティーは少ないと思うので…自分は振り返ってみれば、いろんな境遇の人がいて、広がりがあって、それでよかったなって思ってるから。そういうことが理由で争いになることもあれば、そういうこと抜きに遊べることもあればっていうことを一通り経験してるはずなので。
 そういう経験がない人だと、必要以上に(自分と)境遇が違う人を怖がったりするかもしれないし、仲良くやる方法が想像もつかないかもしれないし。(子どもは)僕らとは違う環境で育ってるから、その観点がどうなるかの不安はちょっとありますね。

 前の仕事の後輩で、〇〇に住んでて、都立校行って、私立のいい大学行った子がいたんですけど、仕事をし始めてそれまでよりも色々な人に会うようになって、初めて「自分は恵まれてたんだって思った」っていうぐらいのこと言ったときに、そうだよね、そうなるよねみたいな。

 ──以前読んだ記事で、経営者の方が「自動車学校には初めて出会うような人ばかりだった」と発言しているのを読んで、衝撃を受けた記憶があります。

 そうっすね、そういうことっすね。難しいっすね。
 直接繋がるかわかんないですけど、この駒沢こもれびプロジェクトが「駒沢の人にだけ役立つものにしよう」って言ってたのは、なんかいいなって思って。
 いまってだいたいのものはクリックした瞬間全世界発信じゃないですか。Googleは情報を分類してくれて、自分に近い情報を選択してくれるし。それはインターネットのいいところだと思うんですけど、リアルで住んでるところとはまったく離れた形で、(自分とは異なる)他の方がいるってことは想像しないで過ごすじゃないですか。世界には自分と似た人種しかいないって思いながら過ごす人は増えてくんだなって思うと、ローカルのためだけのメディアで、そのエリアにはこういう人たちがいるよって発信されたりするのは、微力かもしれないけど、なんか大事そうだなって。

 自分の足元のところで、もしかしたらコンビニの前でたむろしてるような人もいるかもしれないし、学者の先生もいるかもしんないしとか。いろんな人がいるよねって感じが、生でわかるようななにかが…それが教育なのか、街の設計なのか、メディアの運営なのかわかんないですけど、そういうのができたら、なにかしらにはなるかなと思ったり。

 あとは、いろんな境遇の人がいる中で、「この人わかんないから話聞くのやめよう」じゃなくて、「一旦話聞いてみようかなみたいな」という人が増えてくると、少し平和な世の中に…。

 ──ほんと、そうですね。

 いまはインスタントな情報で、どれだけクイックに判断していくかがメインの世界だから。

 大学(の授業)で、ひとりの学生が「コンテンツ力」って単語を置いてて。自分のコンテンツ力を気にしてる、みたいな。それがどれぐらい一般語なのか、その方が話した言葉かわかんないですけど、確かに自分のコンテンツ力を常に考える世界なんだって。通常だったらウェブ広告屋しか考えなかったようなことを、日々みんなが考えながらやってんのかと。みんな1秒未満のコミュニケーションで生きてんだなって。

 だからいまもそうですけど、こういう(1対1で話す)のはやっぱり増えた方がいいだろうなと、切に思います。

 街ですれ違う一人ひとりに、必ず何十年分かの人生体験があり、その人が味わった時代と社会がある。けどその多くを私たちは知らないし、知る機会もないまま、大半は本人とともにこの世を離れてゆきます。
 「生活史」は誰かが整理した歴史と違う、きわめて個人的な人生のふりかえりで、前に聞く人がいることで姿をあらわします。
 
 「駒沢の生活史」というプロジェクトの土台には『東京の生活史』(岸政彦 編|筑摩書房)という本があります。その製作過程から多くを踏襲しました。岸さん等の了承もいただいて、本格的にスタートしたのは2024年の初夏です。

 まずウェブで参加メンバー(聞き手)を募集。70名近い応募を40名に絞ってキックオフ。「生活史の聞き方」「生活史の書き方」といった講座で方法論を共有しながら、各自が自分で見つけた話し手に交渉。以前から話を聞いてみたかった。あるいは駒沢のバーでたまたま出会った。話し手との関係や出会い方はさまざまで、この時点で既に面白さがありました。

 メンバーには「駒沢の話を無理に聞き出さなくていい」と伝えた。自然に出てくる方がいいし、むしろその人の人生に関心をむけてみてくださいと伝えました。
 結果的に、話し手が体験した「駒沢」が垣間見えたり、まったく見えなかったりします。「駒沢に」いる感覚の人もいれば、世田谷あるいは「東京に」いる感覚の方が強い人。あるいは場所でなく「こんな仕事をしている」など活動の方に軸足がある人。それぞれの居所があるなと思います。

 話し手が決まったら、場所を選んで、2〜3時間お話をうかがいます。その音源を文字に起こすと3〜4万字になり、これを1万字に削ってゆく作業には時間を要します。メンバーにとっても、聞き方以上にこの「文章の削り方」が難しそうでした。
 話し手に「ここは省いて」と相談された箇所と、削れる感じがするところを、要約も順番の入れ替えもせずコツコツ整えてゆきます。
 音源を何度も聴き返して、語りが熱を帯びていたところはどこだったか再確認する人もいました。聞き手にとってこの時間は、あらためて話し手とすごすひとときで、相手の人柄や、言葉の質感、当日の空気に浸り直す体験だったと思います。この作業は愛おしかったと、何人かが聞かせてくれました。

 届いた草稿にスタッフが応答し、最終原稿になってゆく過程に伴走します。『東京の生活史』では筑摩書房の柴山浩紀さんが担ったこの役割を、「駒沢の生活史」では熊谷麻那さんがつとめました。「駒沢」は50本で、「東京」は150本です。熊谷さんとは、岸さんの力もさることながら、柴山さんの凄さについて幾度も語り合いました。
 もし他の地域で「◯◯の生活史」の実施を検討することがあったら、この部分を担当する人の情熱と技量が肝になると思います。
 最初の生活史は、秋の早い頃に完成しました。他の大半は、全員が目標にした年末前後に相次いで完成。ただ話し手本人の確認は急かすべきではないので、この過程に時間を要することもあり、最後の原稿が届いたのは3月末だったと記しておきます。

 併行してウェブでの表現方法を検討し、週に一本づつ、一年かけて公開してゆく形を決めました。
 本と違い、ウェブコンテンツは所有の対象になりません。1万字の原稿50本を一気に公開しても読めないでしょうし、読むきっかけをつくるのが難しい。なので、その断片を毎日一言づつ抜き出してサイトに載せ、入口を更新しながら、次第に全体が浮かび上がってくる形にしました。
 挿し絵は、参加メンバーでありイラストレーターの佐倉みゆきさんに描いてもらっています。

 ここまではウェブの話です。それと別に「本にもしたい」という気持ちを、多くのメンバーや関係者が抱いていました。でも商業出版は難しいし、ページ数が多いため自費出版の費用も大きくなります。
 オンデマンドで1話づつ印刷出来る。しかも廉価でデザインも美しいサービスの存在に気づき、各話ごと一冊づつ製作する方針にしました。フォーマットはタイトルまわりの絵も書いてくれたデザイナーの加藤千歳さん。データ作成には、参加メンバーの伊賀原純子さんとイトウヒロコさんが手をあげてくれました。

 私はプロジェクトのまとめ役を担いながら、二年以上にわたる道行きを、メンバーや関係者と歩んでいます。
 そもそものきっかけは、駒沢大学駅前の自社所有地について再開発を決断した、イマックスという駒沢の会社です。2025年秋にオープンする商業施設に先行して「駒沢こもれびプロジェクト」という取り組みを始め、駒沢に絞った地域メディアを「今日のこまざわ」というウェブサイトを核に立ち上げ、日々運用を重ねています。編集長は望月早苗さん。「駒沢の生活史」はその一角を成すプロジェクトです。

 ウェブサイトでは、2026年の初夏までにすべての生活史が公開されます。この1話ごとのプリント版とデータは、2025年秋と2026年初春の二回にわけてリリースします。
 他の話も読んでみたい方はウェブか、あるいはQRコードから一覧ページを開いてご注文なさってください。

 私やスタッフにとって、おそらく参加メンバーにとっても、やりながら「こんなプロジェクトだったんだ」と次第にわかってくる全貌の大きな活動でした。
 駒沢で暮らす方も、ほかの街で暮らしている方も、どうぞお楽しみください。

西村佳哲(2025年7月31日)

駒沢の生活史[47話]

2026年5月1日 発行 初版

発行:駒沢こもれびプロジェクト

「今日の駒沢」
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