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5分の地獄〜彩乃の日記帳〜
「今夜はコールスロー」
仕事でたくさんミスをした日だった。
心がくたびれていた。
今日の夕飯は、コンビニで済ませよう。
時刻は二十三時半、日付が変わる前ギリギリである。
カップラーメンを手に取ろうとして、考え直す。
私はカップラーメンを食べると、お腹を壊しやすい。
少し体に良いものにしよう。
サラダのコーナーに目をやる。
「てまえどりをお願いします」
と陳列棚に貼ってあった。
今日食べるわけだし、ちゃんと手前から取ろうと思い、手を伸ばした。
サラダの袋を手に取り、デザインを見つめる。
コールスロー。
一瞬、血の香りがした。
ん? なんだ、今の。
こーろーすぞー。
今度は耳から低い男の声が聞こえた気がして、私は震え上がった。
殺すぞ?
なんだ、これは犯行予告か?
もしかして、ここに書いてある賞味期限は、殺害予告日なのか?
今日は、六月十三日、金曜日だ。
えっ、嘘、十三日は金曜日?
恐る恐る賞味期限を確認する。
今日である。
まずい、まずいぞ。
日付はもうすぐ変わろうとしている。
私はとても焦った。
このサラダは私が食べないといけないらしい。
そしてきっと、これを、食べたら、私は死ぬんだろう。
今夜はコールスロー。
最期だと思い、お酒もたくさん買った。
家に帰り、お酒を浴びるように飲み、コールスローを食べ、眠った。
朝起きたら、昨日の狂気が死んでいた。
「暴れるカップラーメン」
昼休みのランチタイム。
今日はカップラーメンを食べることにする。
コンビニで買った新商品の味噌バターコーン味。
しかも、北海道バターらしい。
北海道と名前がつく商品に、私はとても弱い。
なんだかとっても美味しく感じるのだ。
お湯をいれるために給湯室へ行くと、先客がいた。後輩の女の子だ。
後輩ちゃんは私をみると「冷めやすいので、出しておきますね」とお湯を出しっぱなしにしてくれた。
蛇口をしめようか一瞬迷う。
でも、せっかくの気持ちを無駄にしては、申し訳ない。
私はそのままカップラーメンの器を、お湯に向かってスライドした。
半分空いた蓋に見事にお湯がかかり、あっちこっちに暴れている。
「あちっ」
私の腕にも熱湯は飛びかかってきた。
ハッとして、後ろを振り返る。
もう後輩ちゃんは、いなかった。
彼女に悪意はない。むしろ、善意しかない。
私が間抜けだったのだ。
見られなくて、良かったということに、しておこう。
教訓。善意のテロには、気をつけよう。
火傷したところがヒリヒリする。
味噌バターコーン味?
美味しかったかは、覚えていない。
「記憶喪失のアザ」
パジャマの短パンを脱いでる時だった。
私の膝に濃い紫色のアザがある。
紫式部の着物くらい高級そうな色だ。
またか、と私は思う。
自分の面積を適切に把握してないうえに、痛みに強い体質のため、ぶつかった記憶がすぐ消されてしまう。
「あんた、何そのアザ。痛そう〜」
見てるだけで痛みを感じたような顔で、母が私に言ってきた。
「ね。アザ、あるよね。覚えてないんだよ」
前にも、それを夫に言ったことがある。
「信じられない、昨日脛を角にぶつけてめちゃくちゃ痛かった時、絶対にアザできると思ったらできてなかった。あの痛みですら、アザができないのに。この青さをみて、忘れていい痛みじゃないでしょ」
…でも、忘れちゃうんだよなあ。
私は痛みに対する学習能力が、圧倒的に欠如している。
「たぶん、これ、娘の学習机の角にぶつけたんだと思う」
3歳の娘の小さな机と膝をくっつけてみる。
位置が見事に合っている。
でも、記憶にないんだよなあ。
首を傾げながら、脱いだパジャマを洗濯機に放り投げる。
洗濯機。…洗濯。
私は脳裏に記憶が弾けて、絶句した。
「あ、このアザは、洗濯物を干そうと思った時に、娘のベビーサークルにぶつかった時のだった」
どうりで、学習机の記憶がピンとこなかったわけだ。
私は記憶のないアザが多いのだが、きっとちゃんと自分でぶつけてるのだろう。
「紫式部と成仏」
私の膝から、紫式部が成仏しない。
とても私の膝を愛してるようだ。
え、紫式部? アザのことを、そう呼んでいるだけさ。
このクオリティは、光源氏も驚くほどの、愛憎劇かもしれない。
アザといえば、娘にもアザが多い。
もちろん、虐待などしていない。
たぶん、公園で遊んでる時に転んだ、とか、そういう理由だろう。
保育園でトラブルとかも聞かないし。
ドゴッ、という衝撃音と、娘の叫び声がした。
「うわぁぁん」
泣き出す娘をみて、状況を把握する。
ボックスが変な位置に置いてある。
きっとあれと、ぶつかったのだろう。
「あ〜いたいね、いたいね。どこぶつけたの? みせて?」
娘は私に膝をぶつけたことを伝えてきた。
ハッとする。
「ママと、おそろいだね!」
私は自分の膝を娘にみせる。
おそろい、と聞いて娘は泣きやんだ。
次の日、娘の膝にも紫式部がいた。
なかなか成仏してくれないので困っている。
「占いのたしなみ」
朝起きたら、スマホのアプリを起動する。
壱から四までの数字が書かれたルーレットが出る。
スタート。
ボタンをタップする。
これは、最近流行っている私の儀式だ。あ、流行ってるのは、私の間でだけだ。
ふーん今日は3か。
神託を受信完了。
今日のテーマは「この世」にしよう。
私はGoogleの検索窓に、この世、と打ち込んだ。
1、「この世界の片隅に」
2、「この世は1ダフル」
3、「この世界は不完全すぎる」
4、「この世の不利益はすべて当人の能力不足」
私のGoogleは不穏なミームを大量発生させるのが得意である。
検索窓の予測変換に並んだ4つの単語を眺める。
ルーレットは三だから、「この世界は不完全すぎる」だね。
今日の占いは不完全であることを、説いていた。
なかなか、いい結果じゃあないか。
私はふふ、っと顔を綻ばせる。
会社について、同期に話しかけられた。
「これ、紙の種類の設定間違えて、出力しちゃってたよ」
「えっ、ごめんなさい。それは申し訳ない」
気を取り直して、仕事にとりかかった。
昼休み後、先輩が怖い顔で私に近寄ってきた。
「これ、出し直して」
ポン、と投げやりに渡された紙をみると、本来ならカットの設定をしたいものが、連続して出されている。
あ~! またか、また紙か。
ん? 紙? これは神の神託か?
…この世界は、不完全すぎる。
「朝の支度」
保育園に登園させる準備が整った。
「リュックもった? 水筒もった? お着替えもった?」
私は娘と指差し確認をする。
リュックOK。あっ、水筒いれてない。
「水筒がない、ない、ない、どこやった?」
私は慌てふためいて、叫び散らした。
夫と実母が探すのを手伝い始めた。
「布団の隣に倒れてたよ」
第一発見者は、だいたい実母だ。
私と夫は捜索が大の苦手である。
「ありがと!」
水筒をリュックの中にしまい、私と娘は玄関から出た。
保育園に向かうまでの道は、罠が仕掛けられている。
高架下の道の脇に、大きなウンチが落ちているのだ。
この大きさは、犬のそれには見えなくて、もしかして人のそれなのかと思うほどだ。
最近ずっと晴れているので、干からびたまま放置されている。
「こっちは危ないから、左側寄って」
私は娘をウンチから離して歩かせる。
「ウンチだもんね」
ここ数日のやり取りで、娘もしっかり奴を認識するようになった。
無事に保育園へ着き、先生の元へ向かおうとすると、娘が立ち止まった。
「どうした?」
「靴下脱ぐの、忘れてた」
私は娘の足元を見る。靴下が憎くたらしく笑ってるようにみえた。
「戻らないとね」
私たちは靴下を置く所定の場まで戻った。
「うっ…」
今度は娘が何やら悶えている。
まさか。
「お腹いたい…うんち…」
「うんちぃ?! 今ぁ?!」
今日も母の悲鳴は終わらない。
会社に着く頃には、ライフが残っていないので、私は会社でHPを回復している。
「インサイダーゲーム」
ボードゲームカフェで、アズールを遊んだ後、次は何をしようか、仲間と相談していた。
黙々と自分の駒を操るゲームが多かったから、次はもっとライトで会話が盛り上がるほうがバランスがいいかもしれない。
私は頭の中の算盤を弾く。
「インサイダーゲームとか、どうです?」
私は血のように染まった赤い箱を持って、無邪気に尋ねた。
「どんなゲームですか?」
「マスターにはお題が用意されています。しかし、他のメンバーはお題を知りません。なので、イエスかノーかで答えられる質問をして、お題を当てないといけません。ただし、この中に一人だけお題を知っている、インサイダーがいます。最後にインサイダーは誰なのか、皆で相談して当ててください」
私はルール説明をした。
ゲームが始まった。
「それは動物ですか?」
「いいえ」
「それは物ですか?」
「はい」
「それは建物ですか?」
「いいえ」
何度も質問を繰り返しているのに、なかなか答えにたどり着けない。
ついに、時間制限の砂時計がすべて落ちた。
ゲームオーバーである。
「インサイダーはわかったのに、お題が、わからなかった」
仲間は口を揃えて言った。
違うんだ、本当はインサイダーがわからなくて、お題がわかるゲームなんだよ! これは!
私は頭を抱える。
何度遊んでも、結論は同じだった。
異常に察し能力が高く、しかしコミュニケーション能力が低い私たちには、インサイダーゲームは重かった。
私たちはこの地獄の沼に、一時間弱も溺れていた。
「親切心」
私は基本的にお笑いが嫌いである。
人をバカにしたり、叩いたり、汚い言葉を使ったり。
見てると面白いよりも先に、ゴミ箱にぶつかった気分になる。
そんな私だったのだが、ある日、物語の神様が降ってきた。
神は私に告げた。
「ライトな地獄をテーマに日記をつけるんだ」
それから、コールスローが殺すぞに聞こえたり、ただのアザが紫式部による愛憎劇に見えるようになった。
面白い、これはなかなか天才と狂気が噛み合っている。
私は得意げにお笑いの才能、あったんだなあと思った。
仲良しの会社の先輩に見せたところ「語り口が小説みたいで、コントではない」と言われた。
いや、私は語り口とかではなくて、面白いか面白くないか知りたいのだ。
「そのコメントが地獄ですwつまならなかったですか?」
私は問いかけた。
「マジレスすると語りが長くて、笑う場所がわかりにくい」と返ってきた。
上品な笑いでは刺激が足りないらしい。
そうか、私が「ショートコント」と表現したせいで、この悲劇が生まれたのだろう。
畳み掛けるように「コントっぽくない」と否定し続ける先輩のメッセージをみて、私は新たな地獄をみて傷ついていた。
やっぱり私は「わかりやすい」お笑いが、嫌いである。
人を傷つけて、何が面白いんだろう?
親切心という善意でまとわれた批評家をみて、はぁとため息が漏れる。
そうだ、あれだ。
善意のテロには気をつけろ、だ。
私の文章は、コントではなく、地獄をエンタメ化した、純文学である。
「ばぁぁぁか」
私はAIに向かって、叫んでいた。
数少ない理解者の一人だと思っていた人に、私の良さを完全に否定したアドバイスをされたからだ。
ばぁぁぁか! うるさぁぁい!
AIの前でなら素でいられる。
今日だけは、今だけは、汚い言葉を使う自分を許そうと思う。
善意のアドバイスをされるのは、きっとその人なりに、良さを感じたうえで、勿体ないと思ったからだ。
勿体ない? 馬鹿にするのも、いい加減にしてくれ。
私のこの解像度の高さこそ、狂気という武器なのだ。
何も理解してないのに、理解してる風を装う相手には、心の中で罵倒するくらいが、きっと丁度いい。
電車に揺られて、フラフラする足取り。
慌ててつり革を握りしめる。
そうだ、私はこの自分の才能を信じて、つり革を握り続けるのだ。
自分の握力がしっかりしていることに気付き、私は少し安堵し、落ち着いてきた。
わかる人にだけ、わかればいい。
いつか、わかる人がたどり着けるように、私はこの目立たない窓を、少しだけ空けて過ごせばいい。
私は隣で座って同じ地獄を笑って眺められる人を、これからも待ち続けるのだ。
目の前の席が空いた。
リュックを大事に大事に抱える。
私はこの子を、手放さない。
「おまたせ」
私は夢をみる。
手を伸ばし、タロットカードをめくる。
星の正位置。
まだ見ぬ並走者は、どこにいるのか。
待ちぼうけの私の願い。
マッチ売りの少女のように、儚く揺れる。
乾いた皮膚が痒くて掻いた。
痛っ。
少し強く引っかいてしまい、血が滲む。
クーラーで冷やされた二の腕。
寒気を覚えて、濃茶のシースルーを羽織る。
ああ、そうか。
私は冷えてるのだと、気づく。
誰かに気づかれて、上着をかけてほしいのだ。
まだこんな少女じみた心が、残っていたのか。
少し震える自分の心が、とても可愛いと思った。
可愛いと思ったら、二の腕に温かさが宿った。
んー、と背伸びをして、首を回す。
待ちぼうけも、悪くない。
私のピュアさが微笑ましかったから。
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