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歴史というものは流れを掴むことができなければ、いやいやながら諦めて暗記するだけになってしまう。だが皆様も経験があるだろう。人間とはミスをする生物だ。私はこのような「そんなバカな」のようなところから歴史に興味を持ち始めたので、これを読んでいる皆様に少しでも「どうしてそんなことになったのか」や「なにをしているんだ」と少しでも興味をそそられるような話を詰め込みたいと思う。執筆するにあたって2つを盛り込みたい。1つ目は整合性が担保されているものをできる限り紹介すること。諸説があるものやよくわかっていないものは最初に注意書きを記す。その際には理由を併記しておくので今後の調査に期待を寄せていただきたい。2つ目はわかりやすくするために地図を載せること。地図を見せることでより話が分かりやすくなることがある。興味がある方や場所が気になる方はそちらを参照していただきたい。
紹介する話は以下の4つだ。
1 鍵の戸締りを忘れて滅んだ帝国
2 ロシア帝国古都燃やすってよ
3 方言強すぎて暗号解読しても聞こえなかった
4 勘違いでベルリンの壁崩壊
この話には諸説がある。理由としては後でも触れるが戦争中の話であり要塞がいつ機能を停止させてもおかしくない状況であった。そのため鍵の戸締りができていれば滅んでいないと立証するのは難しい。いくつかあった不幸の一つとされている。
皆様はビザンツ帝国と聞いて理解できる人はどれほどいるだろうか。ビザンツ帝国の別名である「東ローマ帝国」は皆様でも聞いたことがある方が多いはずだ。
この鍵の閉め忘れについて話す前に少し脱線して何故ローマ帝国が東西に分かれたか簡潔に説明すると皆様に出たであろう別の疑問を払拭することができるだろう。ローマ帝国が東西に分かれた理由は、相続のためだ。テオドシウス1世の没後、長男に西側を次男に東側をそれぞれ統治させることになった。これは当時としては普通のことであった。東西に分かれたからといって仲が悪かったというわけではない。その後西側ではいろいろあり西ローマ帝国は滅亡したが、東ローマ帝国であるビザンツ帝国は15世紀まで残ることになった。つまり紀元前から続き、今やローマを持っていないローマ帝国が滅亡するまでの話だ。
このころ、現在のトルコ共和国があるアナトリア半島にはオスマン帝国という新進気鋭の国があった。オスマン帝国はアナトリア半島を確保し、より強くなるため周辺国家と戦争をしていた。そこで中東からヨーロッパに至るまでの広大な土地を有していたビザンツ帝国とも戦争をしていた。
オスマン帝国軍はとても頑強で瞬く間にビザンツ帝国の首都、コンスタンティノープルにまで迫っていた。だが腐っても長い年月栄えてきた帝国だ。しっかりと首都を守るように城壁を作りそこで防衛戦を行っていた。どんどん自国の領土を広げていたオスマン帝国軍だったが、この城壁を攻略することは困難だった。
ある日、オスマン帝国軍のある兵士がいつものように戦いつつ見回りをしていた。巡回中、近くにあった門が開くか確認したら、なぜか開いた。理由はおそらく閉め忘れ。そこを見逃すこともなくオスマン帝国の兵士がどんどん城壁の内部に侵入し旗を掲げた。外で戦っていたビザンツ帝国の兵士は城壁内部に掲げられたオスマン帝国の旗を見て、首都が陥落したと大パニック。戦っている場合ではないと首都からどんどん兵士たちが脱走し防衛線が崩壊。首都も陥落して滅亡したというお話だ。
古代から続いた国が鍵の閉め忘れで滅ぶとはなんと雑な滅亡の仕方なのかと考える。
この話にも諸説がある。確実にどちらかが燃やしたという決定的な証拠は見つかっていない。だが研究者の間ではおそらくロシア帝国側だろうという見解が一般的だ。
時は18世紀末、突如フランスに表れヨーロッパの旧秩序に挑戦するかの如く版図を広げた男がいた。その男の名はナポレオン・ボナパルト。彼を止めるためだけに当時の大国が陣営を組みフランス1国と対抗するほどであった。対仏大同盟と呼ばれた陣営に、さすがのナポレオンも敗れ歴史の表舞台から消えたと思われる方もいるかもしれない。だがここで敗れては、後世にここまで彼の名が残るものか。彼は自身が命名した大陸軍(グラダルメ)を引き連れ対仏大同盟に勝利し1810年にはイギリス以外の欧州の大半に支配を及ぼした。
今回紹介する話はそんな彼の築きあげた秩序と伝説が崩壊を始めるときの話だ。ヨーロッパにおいて大国でありながら陸続きでない国家、イギリスに勝利するためにナポレオンはある作戦を考えた。それは彼の影響下にある全国家へイギリスとの貿易を禁じ、イギリス本土を物資不足にするというものだ。これは「大陸封鎖令」と呼ばれた。イギリスを苦しめるための作戦であったが、大陸封鎖令に批准した国家ではイギリスに依存していた物品やそれに伴う関税収益が無くなった。そのため大陸封鎖令に批准した国に住む民は大いに苦しんだ。そこでロシア帝国は大陸封鎖令を破りイギリスとの貿易を始め、フランスには嗜好品類に禁輸措置を採った。この行動に当然ナポレオンは怒り、大陸封鎖令の履行と懲罰のため広大なロシア帝国にグランダルメは足を踏み入れた。1812年6月24日、ロシアとフランスの間で祖国戦争と呼ばれる戦いが始まった。
真夏に始まったこの戦争は、当初ロシア帝国軍は大敗を喫した。特にモスクワ川の戦いともよばれるボロジノの戦いでロシア帝国軍が9月8日に敗退したことでモスクワまでの道が開けた。ロシア帝国時代モスクワは首都ではなかったが大都市であった。そしてこの時代の軍隊は現代のような何から何まで事前に準備し行動するわけではない。ある程度は用意するが足りなくなった食料品などを中心に、現地の人々から略奪する山賊のようなことをどこの国も行っていた。もしこれが大都市で、大規模な窃盗が行われればその都市には何も残らない。そして食料品を整えたグランダルメがここを足掛かりとし、更に奥へ浸透されるとロシア帝国に深刻なダメージとなる。
そこでロシア帝国は考えた。取られるくらいなら先に使い物にならないようにしてしまえばいいと。ボロジノの戦いに勝利したグランダルメは6日後モスクワへ入城。だが彼らが目にしたものは、ライフラインは止まり市民が避難したもぬけの殻となったモスクワであった。元々モスクワで消耗品を補充し冬を越す考えであったがそのようなものは残っていなかった。そして入城した晩に大都市に火が放たれた。当時のモスクワは木造建築物が多く重要文化財を含みすべてが焼け落ちた。すべてはグランダルメに渡さないために。だが流石は欧州を席巻した軍隊だ。諦めることなくさらに進撃した。これ以降も散発的に起きた戦いには辛勝であるが白星が続いた。
ここで忘れないでほしい。戦っている場所はロシアだ。10月にも入ると完全な冬を迎える。それまで戦い続けてきたグランダルメはひどい寒さと足りない食料を前に多数が死んでいった。中にはそんな軍隊に嫌気がさし脱走する兵士もいた。まともな生活も送れないと、兵士は通常に比べ極端に低い戦闘の力しか発揮できない。そんな弱ったグランダルメとロシア帝国軍は戦い、次々に勝利した。グランダルメに支配されていた領地を徐々に取り戻し、12月には作戦を指揮していたナポレオンがフランスへ帰国した。その後も戦争は続いたが12月14日にはロシア帝国に残るグランダルメは駆逐され、祖国戦争はフランスの敗北として終結した。
ナポレオンとグランダルメ達はロシア帝国軍に勝つ能力はあった。だが彼らは自然を軽視し過ぎた。冬将軍ともよばれる自然を敵に回して勝てるものはいないのだ。この戦争でフランス軍は最大60万人を兵士として参加させていた。だが戦争終結時の残存兵員は5000人ほどであったとされている。ロシア軍も45万人ほどが戦死したとされているが、独立を護り通すことができた。そして以前から反感を買っていたナポレオンが戦争に敗れた。そしてロシアの勝利に勇気づけられ反旗を翻した国が現れるのだがそれはまた別の話である。
ナポレオンに勝つためとはいえ大都市を燃やすとは、戦争は恐ろしいものだ。
1941年12月8日、日本はアメリカのハワイにて米海軍に奇襲攻撃を行い、同時刻にイギリス領マレーに上陸作戦を仕掛けアメリカとイギリスとの間で太平洋戦争がはじまった。今回紹介する話はそんな戦争が開戦した直後からである。戦争というとどうしても陸上では銃や戦車を、海では軍艦同士、空では航空機が戦うものだと想像される。だが戦うことだけが戦争ではない。実際には装備を整え作戦を聞き、考えうる戦闘に対し情報を集めて敵より有利な状況を作り出し戦うのが戦争だ。つまり戦争というのは武器も必要だがそれと同じかそれ以上に必要なものは情報だ。そのため太平洋戦争のみならず大昔から戦争相手がどのような作戦を立てているのか、どのような武器を使っているか、などありとあらゆる情報を集める機関が各国に存在している。また、相手に情報を少しでも渡さないように暗号化する機械を導入するなど高度な戦いが裏で行われていた。
太平洋戦争中のアメリカも日本の暗号を解読しようと、開戦直後からさまざまな機関が暗号を解読し機密情報を引き出そうと躍起になっていた。情報をやり取りしていた回線を発見し、傍受したがアメリカは驚愕した。緊急性の高いであろう情報が全くもってなにを言っているのか聞き取れないのだ。日本は戦争を行った直後にアメリカに情報が漏れることを恐れていた。従来から使われている暗号機もいつアメリカに解読されるかわからなかった。そこで考えついたのが、暗号化の間に合わない緊急時には暗号機を使わずに薩摩弁で会話することだ。日本の読み通り、アメリカは開戦当初に使われていた暗号機を早い段階で解読したがどうしても薩摩弁は聞き取れない。だが開戦から半年がたったころ転機が訪れる。解析を続けどうやら方言であることを突き止め、地域の特定まで果たした。そこでアメリカにいる薩摩出身の日系二世を動員し暗号を解読することができた。
暗号という一段階を超えた先にもう一段階の壁があったのはどれほど絶望感であったのだろうか。だがこれは日本に限った話ではない。アメリカでもネイティブアメリカンが使っていたナバホ語に特定の意味を持たせて会話させるなど、機械と人間が生み出した二重暗号で情報が隠されるなど高度な戦いが行われていた。
第二次世界大戦が終結し世界は資本主義と共産主義の間で二つに引き裂かれた。大国間による直接的な戦争はなかったものの各地で行われた紛争に介入し間接的な戦いが世界各地で行われた。冷戦である。そんな冷戦で特に最前線に立たされていたのがドイツだ。ナチスドイツが崩壊した後、ドイツはアメリカ、フランス、イギリス、ソ連がそれぞれ占領した。また、ドイツの首都ベルリンも四分割された。
本来なら数年でドイツを独立させる計画であったが、イデオロギーの違いや冷戦の始まりにより、結果として東西ドイツ、そして東西ベルリンがそれぞれ誕生した。東ドイツでは資本主義かつ自由主義であった西ドイツに亡命する者が相次いだ。
特に1950年代では毎日のように東ベルリンから西ベルリンに亡命者が出ていた。東ドイツ政府はこれ以上の亡命者を出さないように一つの策を編み出し1961年8月13日の深夜にある建造物を作った。それこそ冷戦の象徴ともされているベルリンの壁だ。
よくある勘違いで東ドイツと西ドイツの間に壁があったというものがあるが実際は西ベルリン周辺に壁があっただけである。これで西ベルリンへの亡命者は少なくなったがそれでも亡命を諦めない人はいた。そのため東ドイツは80年代後半まで様々な政策を通して西ベルリン、西ドイツへ亡命することを妨害した。だがそのような強権的な政策や管理された経済による経済赤字が度重なり、東ドイツ国民の中で反政府運動に興じるものも数多くいた。これ以上の反政府運動を激化させないために東ドイツ政府は自由化政策を推し進めながらも亡命者を出さないよう慎重な舵取りが求められた。だが全体主義国家である東ドイツ政府では一つの政令を公表し施行するには、いくつもの確認と許可を取らなければならない。
1989年11月9日、東ドイツではいつものように新たなる法律が施行されようとしていた。東ドイツからの出国規制を緩和する政令だ。一見すると自由化への一歩にも見える政令だが実際は緩和措置を受けられるのは、亡命の恐れが一切ない人間のみという自由化に見えて国民の自由を削る政令であった。施行されるのは明日。これをいつものように記者会見をTVの中継で発表した。だがこの時読み上げていたシャボウスキーという報道官はこの政令について全く内容を把握していなかった。政令が何のためにあり、いつから始まり、対象となる人さえも分からないまま発表していた。当然、記者はこの政令がいつから施行されるのか質問した。何も知らないシャボウスキーは衝撃的な回答をする。”sofort und unverzüglich”「直ちに遅滞なく」それを聞いていた記者、東西ドイツ国民、東ドイツの政府関係者、すべてがその発言に驚いた。東ドイツ国民は28年も認めなかった国が急な方針転換であったため疑った。西ドイツ国民は祖国が統一されることに歓喜した。東ドイツの政府関係者は対応に追われた。この記者会見後、東ベルリンに住んでいた東ドイツ国民はベルリンの壁に殺到した。国境警備隊も記者会見を聞いていたが、会見前に得た情報とはまるで違う会見内容で上層部に連絡を取ったがたらい回しにあい、ようやく繋がったが「誰も通すな」というものだった。時間が経つにつれベルリンの壁へ人がどんどん集まった。国境警備隊は心が折れ11月9日22時45分に東西ベルリンを分かつゲートを解放。かくしてベルリンの壁は単なる建築物へと堕落した。日付が変わる頃には知らない間に持ち込まれた重機によって壁が壊され、ベルリンの壁は崩壊した。
一人の男が勘違いした為に国が一つ滅んだのであった。
いかがだっただろうか。少しでも歴史に興味を持ち、他にも知りたいと思っていただければ幸いだ。またできる限り事実に基づいたものや主要とされている論に基づき紹介したが、今後もその説が正しいとは限らない。またできる限り誰でも簡単かつ専門的で退屈な文章にしないために工夫した。だがそれによって歴史にとって重要な正確性に欠ける書き方になっている箇所があるかもしれない。そのため「おそらく合っているけどこういう話があるのかもしれない」くらいで考えていただけると幸いだ。
2026年7月24日 発行 初版
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