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日本の島旅・小笠原諸島
(父島)

清水正弘

深呼吸出版



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 目 次


小笠原諸島の魅力と歴史

 地球のツボを触診する

 小笠原諸島の歴史

 自然環境と産物

小笠原への旅路・写真集

小笠原諸島の魅力と歴史


地球のツボを触診する――小笠原諸島、生命のリズムに心身を委ねて

東京から南へ約一千キロメートル。二十四時間の船旅を経てたどり着く小笠原諸島は、私にとって単なる観光地ではない。そこは、地球という巨大な生命体の息吹をダイレクトに感じられる、まさに「地球のツボ」とも呼ぶべき極上の養生空間である。

鍼灸師として、また登山ガイドとして国内外の辺境を歩いてきたが、この「東洋のガラパゴス」が持つ固有の生命力には、訪れるたびに心身のリズムを調律されるような感覚を覚える。

父島に降り立ち、まず身体を包み込むのは、濃密な潮の香りと南国の陽光だ。しかし、その空気は決して不快な重さを持たない。むしろ、肺の奥深くまで吸い込むごとに、日頃の都市生活で凝り固まった自律神経がゆるやかに紐解かれていくのがわかる。

小笠原の最大の魅力は、一度も大陸と地続きになったことがない「海洋島」特有の、純度の高い自然環境にある。一歩森へ足を踏み入れれば、そこは固有種の宝庫だ。マルハチの巨大なシダが広がる光景は、さながら太古の地球にタイムスリップしたかのような錯覚を抱かせる。

一見、鬱蒼とした密林のようであるが、ここに流れる気(エネルギー)はきわめて澄んでいる。里山を歩くときと同様、私は時折足を止め、そこに生きる木々や土の感触を確かめる。

彼らは何万年もの間、絶海の孤島で独自の進化を遂げ、この過酷な環境に適応してきた。その植物たちの強い生命力は、私たちの体内に眠る自然治癒力を心地よく刺激してくれるのだ。そして、この島を語る上で外せないのが「ボニンブルー」と称される深い青を湛えた海である。

船から海原を見渡せば、時折ザトウクジラがダイナミックにブリーチングを放ち、野生のイルカたちが船頭を泳いでいく。これほどまでに人間と野生動物の距離が近く、互いの領域を侵さずに共生している場所が他にあるだろうか。

海に身を委ね、ただ波の音を聞いているだけで、身体の五感が研ぎ澄まされていく。それはまさに、極上の「トラベルセラピー(旅による癒し)」そのものである。

現代社会を生きる私たちは、知らず知らずのうちに情報に溺れ、自らの心身の声を聴くことを忘れてしまいがちだ。だからこそ、時に私たちは日常を離れ、こうした「辺(ほとり)」の情景へと漂泊しなければならない。

小笠原には、夜になると満天の星空と、小笠原固有の光るキノコ「グリーンペペ」の淡い光が待っている。人工的な灯りがほとんどない闇の中で、宇宙の広大さと、足元にある小さな生命の営みが静かにシンクロする。

この島がもたらすのは、一過性の刺激ではない。私たちの身体に本来備わっている「生きるリズム」を、地球本来の脈動と同調させ、心身を根底から再生させてくれる大いなる癒し。それこそが、小笠原諸島という奇跡の島が持つ、本当の魅力なのだ。



小笠原諸島の歴史


名もなき「無人島」から世界の宝へ――激動に揺れた小笠原の歩み

小笠原諸島の魅力はその特異な自然だけではない。絶海の孤島という地理的条件がゆえに、この島々は国家の思惑や時代の荒波に幾度も翻弄されてきた。その数奇な歴史の脈動をたどると、ここが単なる日本の辺境ではなく、世界を映し出す鏡であることが見えてくる。

一. 「ぶにんしま」の発見と最初の定住者

「小笠原」の名は、文禄二年(一五九三年)に信州深志城主の曾孫・小笠原貞頼が発見したという伝承に由来する。しかし、長らくこの島々は定住者のいない「無人島(ぶにんしま)」であった。欧米で小笠原諸島が「ボニン・アイランド(Bonin Islands)」と呼ばれるのは、この「ぶにん」の響きがなまったものだ。

この島に初めて人間の営みがもたらされたのは、江戸時代後期の文政十三年(一八三〇年)のことである。驚くべきことに、最初の定住者は日本人ではない。アメリカ人のナサニエル・セーボレーをはじめとする欧米人と、ハワイ諸島出身の太平洋諸島民ら二十数名であった。彼らは、当時太平洋を席巻していた欧米の捕鯨船に、水や薪、食料を供給する拠点としてこの島を切り拓いていった。

二. 国際的な領有の確定と経済の黄金期

幕末の開国を経て、明治政府はこの地を日本の領土として確定させるべく動く。明治八年(一八七五年)、政府は「明治丸」を父島に派遣し、島民に日本による統治を宣言した。そして翌明治九年(一八七六年)、国際的に小笠原諸島が日本領であることが認められるに至る。

大正から昭和初期にかけて、島は一転して開拓の黄金期を迎える。亜熱帯の温暖な気候を活かしたサトウキビ栽培、さらには本土の冬に合わせた高級冬野菜の栽培や捕鯨、サンゴ漁などが隆盛を極めた。ピーク時の島民は七千人を超え、絶海の孤島とは思えぬほどの活気に満ちあふれていた。

三. 戦争の悲劇と米軍統治による断絶

しかし、昭和の戦争(太平洋戦争)がその繁栄を暗転させる。小笠原諸島は本土防衛の最前線となり、昭和十九年(一九四四年)、軍人を除くほぼすべての島民(約六千八百人)に本土への強制疎開が命じられた。硫黄島では凄惨な地上戦が展開され、多くの尊い命が失われたことは周知の通りである。

終戦後、島はアメリカ軍の施政権下に置かれた。激動の歴史のなかで、欧米系住民の一部にのみ帰島が許されたが、一般の日本系島民は故郷の地を踏むことすら許されないという、二十三年間に及ぶ歴史の断絶を余儀なくされた。

四. 返還から世界自然遺産への現在

昭和四十三年(一九六八年)六月二十六日、日米交渉の末に小笠原諸島はついに日本へと返還された。島に戻った帰島民たちは、荒れ果てた土地を再び耕し、ゼロからの復興を進めていった。そして、独自の進化を遂げた固有種が多く残る貴重な生態系が評価され、二〇一一年にはユネスコの世界自然遺産に登録される。人が自然を壊さず、野生と共生してきた歴史の証しが、今も島内に息づいている。


小笠原諸島の自然環境と産物


絶海の孤島が育んだ奇跡――

小笠原の自然環境と、そこから生まれる大地の恵み小笠原諸島が持つ独特の自然環境と、そこから生み出される産物は、互いに深く結びついている。

一度も大陸と地続きになったことがない「東洋のガラパゴス」は、厳しい生存競争と独自の進化の歴史を経て、私たちの身体を潤す唯一無二の恵みを育んできた。

一.  固有種が息づく「東洋のガラパゴス」の自然環境小笠原の自然を特徴づけるのは、何よりもその「孤立性」である。約一千キロメートルもの海に隔てられたこの島々には、かつて風や鳥、海流に乗って偶然たどり着いた限られた生物だけが生き残った。

一歩森へ入れば、幹に逆Y字の維管束痕を持つ「マルハチ」をはじめとする巨大な木生シダが茂り、まるで太古の地球を歩いているかのような感覚に囚われる。陸産貝類(カタツムリの仲間)の九割以上、植物の約四割がここでしか見られない固有種であり、独自の生態系が今も厳格に守られている。

この純度の高い空気と、南国の強い陽光、そして適度な湿り気をもたらすスコール。これらが組み合わさることで、島全体が巨大な温室であり、同時に極上の天然の養生空間として機能しているのだ。

二.  亜熱帯の太陽が育む「大地の産物」この特異な気候と豊かな土壌は、本土では決して味わえない生命力に満ちた農産物を生み出している。小笠原パッションフルーツ:島の代表的な味覚。亜熱帯の太陽を浴びて育ったその実は、甘みと爽やかな酸味が凝縮されている。

袋を開けた瞬間に広がるエキゾチックな香りは、それだけで脳の疲れをスッと解きほぐしてくれる。島レモン:明治時代にテニアン島から導入されたといわれる、やや大ぶりで丸みのあるレモンだ。

完熟すると青から黄色へと変わるが、小笠原ではまだ青いうちに収穫される「グリーンレモン」が珍重される。酸味がまろやかで皮まで食べられるため、島の重要なビタミン源であり、旅人の身体を優しく癒す。

小笠原コーヒー:明治初期から栽培が始まった、日本国内でも極めて希少な国産コーヒーである。絶海の孤島という環境ゆえに病害虫の被害を受けにくく、一粒一粒が丁寧に手摘みされる。その味わいは驚くほどすっきりと澄んでおり、島の穏やかな時の流れをそのまま液体にしたかのような贅沢な一杯だ。

三.  黒潮の恩恵と島の文化が薫る「海の産物・加工品」四方を深い藍色の海「ボニンブルー」に囲まれた小笠原は、豊かな海の恵みの宝庫でもある。水産物(サワラ・アカバなど):黒潮の真っただ中にある島周辺は、絶好の漁場である。

特に「チギ(バラハタ)」や、地元で「アカバ」と呼ばれるアカハタなどの底魚、そして初春のサワラは絶品だ。新鮮な魚を特製のタレに漬け込み、カラシを添えて握る「島寿司」は、開拓期に八丈島から伝わった文化が定着した、島を代表する郷土料理である。

海底熟成ラム酒:開拓期に欧米系住民が好んだラム酒の文化は、今も島に息づいている。サトウキビから作られる地元のラム酒を、小笠原の深い海底に一定期間沈めて熟成させる試みが行われている。波の微細な振動(脈動)によって角が取れ、驚くほどまろやかになった味わいは、まさに海と時間が醸した芸術品と言える。

小笠原の塩:黒潮の本流から汲み上げた清らかな海水を、職人がじっくりと時間をかけて結晶化させた天然塩。ミネラルが豊富で、尖った辛さがなく、大地の恵みである島野菜の味を何倍にも引き立ててくれる。自然環境がそのまま産物の個性を形作り、産物を口にすることで島の自然と繋がることができる。小笠原の恵みは、私たちの五感を満たし、心身のバランスを整えてくれる最高の「お裾分け」なのである。

日本の島旅・小笠原諸島(父島)

2026年7月11日 発行 初版

著  者:清水正弘
発  行:深呼吸出版

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清水正弘

二十歳の時にダライ・ラマ十四世と個人的に出会った事が、世界の山岳・辺境・秘境・極地へのエスノグラフィック・フィールドワークへのゲートウェイだった。その後国内外の「辺(ほとり)」の情景を求めて、国内外各地を探査する。 三十歳代にて鍼灸師と山岳ガイドの資格を取得した後は、日本初のフリーランス・トラベルセラピストとして活動を始める。そのフィールドは、国内の里地・里山から歴史的、文化的、自然的に普遍価値を有する世界各地のエリアである。 また、健康ツーリズム研究所の代表として、大学非常勤講師を務めながら、地方自治体における地域振興のアドバイザーとしても活躍している。 日本トラベルセラピー協会の共同創設者でもある。

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