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私の「好き」の設計図

大澤優太 ちむ 星欠ルクステラ

二松学舎大学



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 目 次

好きを隠さない毎日                  ちむ



ポケモンと共にたたかう           月欠ルクステラ



現実をトレースする狂気「ロトスコープ」     大澤 優太

好きを隠さない毎日

ちむ

好きを隠さない毎日

ちむ

推し活にハマるまで

 
 私は今まで、いわゆる「推し活」をあまりしてこなかった。グッズを集めるというよりも、自分で推しのキャラクターの絵を描く方が好きで、推し活というものにはあまり興味を持っていなかった。理由は色々あったが、両親からのお小遣いは高校一年生で月二千円ほどであり、高校生からはバイトをしなさいという環境であったため、高校生まではお金があまりかからない絵を描くこと自体が好きであったことが一番の理由であった気がする。実際、初めてグッズを買ったのも、高校一年生の頃にハマった『ゴールデンカムイ』や『新世紀エヴァンゲリオン』で、自分が推し活にここまで熱中することはないと思っていた。
 そんな私が推し活にハマるきっかけになったのが、2025年公開の『名探偵コナン 隻眼の残像(フラッシュバック)』である。映画を観てから、気づけば毎日のように作品のことを考え、関連するグッズや情報を調べるようになっていた。最初は「少し気になる」程度だったはずなのに、いつの間にか作品そのものだけでなく、〝推しを応援すること〟の楽しさにも惹かれていった。
 初めの頃は、グッズを集めたり、いわゆる推し活をしたりするつもりは全くなかった。しかし、好きな作品について調べたり、グッズを見たり、絵を描いたりしているうちに、自分でも驚くほど夢中になっていった。

私の推し活

小さき命、多分私が育てた。

 私がぬいぐるみにハマったきっかけは、『名探偵コナン』にハマっていた頃に仲良くなったネットの友達だった。その友達は『名探偵コナン』に出てくる諸伏高明や諸伏景光のぬいぐるみを持ち歩き、料理と一緒に写真を撮っていた。最初は「かわいいな」くらいにしか思っていなかったが、「小さき命、どう? 推しを連れ歩けるし、本当に可愛いし、本当にちまくて可愛い」と何度も布教されるうちに、だんだん気になり始めた。 
 そこで私も試しにメルカリでぬいぐるみを購入してみることにした。当時『名探偵コナン』にハマっていた私は、萩原研二と松田陣平のぬいぐるみを選んだ。実際に届いてみると、その小ささや表情、キャラのデフォルトのデザインが想像以上に可愛らしく、一気に夢中になってしまった。
 最初はぬいぐるみをぬいポーチに入れてバッグにつけていただけだったが、今では毎日のようにズボンにつけて出かけている。気づけば、ぬいぐるみはただのグッズではなく、自分のファッションの一部のような存在になっていた。

私の爪を見ろ、労力の塊だ。


 大学に入ってから、私はセルフネイルにハマっていた。二年ほど続けるうちに、ネイルはただおしゃれを楽しむだけでなく、自分の好きなものを表現できるものになっていった。そして推し活にハマってからは、「推しネイル」いわゆる痛ネイルにも挑戦してみたいと思うようになった。
 特にやりたかったのが、ボンボンドロップシールをネイルにつけるボンドロネイルだった。しかし、当時ハマっていたのは『忍たま乱太郎』であり、忍たま乱太郎のチェリジェムステッカーは人気で、どこの店舗を探してもほとんど在庫がなかった。どうしても諦めきれず、私は家から車で片道二時間かかるロフトまで買いに行くことにした。
 今思えば、たったのチェリジェムステッカーを買うためだけにそこまで時間をかけるのは少し大げさだったかもしれない。それでも、推しをイメージしたネイルを完成させたいという気持ちの方が強かった。実際に欲しかったシールを見つけた瞬間はとても嬉しく、時間をかけてでも行ってよかったと思えた。推し活を始める前の私なら、きっとここまで行動することはなかったと思う。

出るまで引け、くじ運は金で買える。


 これは私が初めて一番くじを引いた時の話である。当時の私は『新世紀エヴァンゲリオン』にハマっており、一番くじでフィギュアが出ることを知ってから、ずっとそわそわしていた。
 発売前日には、近所のセブンイレブンへ行き、「すみません、エヴァンゲリオンの一番くじってここでやりますか?」と店員さんに確認までしていた。今思えばかなり気合いが入っていたと思う。そして当日、朝八時頃にセブンイレブンへ向かった。
 最初は「数回だけ引こう」と思っていた。しかし、いざ引き始めると、推しのフィギュアが出るまで止まれなくなってしまった。「次こそ出るかもしれない」という気持ちで引き続け、気づけばかなりの金額を使っていた。最終的には三万円は飛んでいたと思う。
 それでも後悔はなかった。むしろ、全賞のフィギュアを一体ずつ手に入れられた時の達成感はすごかった。一度家に帰った後も諦めきれず、出かけるついでに再びセブンイレブンへ寄り、追加で二回だけ引いてみた。すると、そこで初号機のフィギュアが当たったのである。
 その瞬間の嬉しさは今でも覚えている。まさに「脳汁が出る」という表現がぴったりだった。推しのためにここまでお金を使うなんて、昔の自分なら想像もしていなかった。しかし、推し活には、理性を超えてしまうほどの楽しさがあるのだと思う。いや、理性は超えても、財布の紐だけは締めて欲しい。

そうだ、京都に行こう。


 私が『ゴールデンカムイ』にハマりはじめていた頃、「ゴールデンカムイ展」の存在を知った。しかし、その時にはすでに東京会場の開催は終了していた。もっと早く知っていれば……とかなり落ち込んだが、調べてみると京都会場の開催期間がまだ残っていることに気づいた。その瞬間、「京都に行こう」と勢いで決めていた。気づけば、一週間後に二泊三日の京都一人旅行に向かう夜行バスに乗っていた。
 当時の私は、一人旅の経験がまったくなかった。夜行バスに乗るのも初めてで、ホテルに一人で泊まるのも、知らない土地を一人で歩くのも、何もかもが新鮮だった。それでも、不安より「展示会に行きたい」という気持ちの方が大きかった。
 実際の京都旅行は、展示会だけでは終わらなかった。伏見稲荷大社や清水寺へ行ったり、鴨川沿いを行けるところまで散歩したりと、観光も思い切り楽しんだ。全く知らない駅で間違えて降りて、マップを頼りにかんかん照りの真夏に京都内のどこかを彷徨ったり、知らないおばあちゃんにつられて親子丼を食べて甘くて驚いたことなど、一人旅で多くのことを体験した。好きな作品がきっかけで訪れた京都だったが、その旅そのものが大切な思い出になっていた。
 今振り返ると、推しの展示会を見たいという気持ちだけで、よくあそこまで行動できたと思う。しかし、推し活をしている時の自分は、驚くほど行動力がある。好きなものがあるだけで、人はこんなにも遠くまで行けるのだと実感した。

推し活に本気になる楽しさ


 推し活は、お金も時間もかかる。冷静に考えれば、シール一枚のために二時間かけるのも、一番くじに三万円使うのも、馬鹿らしいことなのかもしれない。それでも、自分の「好き」に本気になれる時間は、毎日を少し楽しくしてくれる。私は最近になって、ようやくその楽しさを知った。
 オタクであることは、別に恥ずかしいことではない。少なくとも私は、推し活を始めてから前より明るくなれた気がする。ズボンにぬいポーチをつけてファッションの一部にするのも、キーホルダーをつけて「かわいい」「おしゃれ」と思う感覚と、そこまで変わらない。推し活をきっかけに、一人で旅行へ行くようにもなった。ネットを通じて、日本のいろいろな場所に住む友達も増え、その友達に会うために旅行をすることもある。以前の自分なら、ここまで行動的にはなれなかったと思う。
 クレーンゲームに一万円使ってしまうこともある。お金がなくなった喪失感はすごいが、自分の机の上に推しのグッズが置いてあるだけで、なんだか全部許せてしまう。好きという気持ちは、それほど大きな力を持っているのだと思う。
 推し活は、お金も時間もかかる趣味かもしれない。しかし、自分の「好き」を全力で楽しめる時間は、毎日を少し特別にしてくれる。私はこれからも、「好き」を隠さずに全力で「好き」を楽しんで生きていきたい。

ポケモンと共にたたかう

月欠ルクステラ

ポケモンと共にたたかう

月欠ルクステラ

はじめに


 一九九六年に生まれたゲーム『ポケットモンスター』シリーズは二〇二六年に三〇周年を迎え、総勢約千種類を超える「ポケモン」が生まれた。『ポケットモンスター』シリーズは現在第九世代ものゲームタイトルが世に出ており、二〇二七年に第十世代である『ポケットモンスター ウインド・ウェーブ』の発売も決まっている、大変歴史と人気のあるコンテンツである。
 『ポケットモンスター』シリーズでは、ポケモンとともに戦う「ポケモンバトル」という要素がメインとなっている。「ポケモンバトル(以降、バトルと省略する)」は、第五世代まではポケモンのスペックがバトルに大きく影響していた。しかし第六世代以降では、その作品の舞台となる地方固有の要素がバトルに取り込まれていった。例を挙げるならば「メガシンカ」というものがある。「メガシンカ」はポケモンの隠れた力を引き出し限界突破させるというものだ。これにより、ポケモンの可能性が広がり、陽の目を浴びていなかったポケモンに良くも悪くも注目がいくという結果が生まれた。
 先に挙げた「メガシンカ」のほかにも、最近の『ポケットモンスター』シリーズには様々な要素が取り入れられている。本章では、そんな『ポケットモンスター』シリーズに登場する様々なバトルシステムを紹介し、バトルの多様さやシステムの面白さ、そしてその奥深さについて見ていこうと思う。

「メガシンカ」


 「メガシンカ」は主にカロス地方とホウエン地方、そしてアローラ地方で確認された現象である。メガシンカについて、ポケットモンスターオフィシャルサイトでは「トレーナーとポケモンの間に強いキズナがあるとき、トレーナーが身に着けている『キーストーン』と、ポケモンの持つ『メガストーン』が共鳴することで、『メガシンカ』することができます」と紹介されている。
 この「メガシンカ」にはメリットとデメリットが存在する。メリットと挙げられることとして、先にも述べた「メガシンカ」が可能なポケモンへの注目である。「メガシンカ」によって知名度が上がったり強さに拍車がかかったりなど、そのポケモンの魅力が十二分に増幅されている。また、そのポケモンへの生物としての生態がポケモン図鑑などによってより明らかとなり、そのポケモンの進化や個性をひも解くポイントにもなっている。しかしデメリットとして、強さのインフレやポケモン間の格差が生まれている。「メガシンカ」は「進化の限界を超えたさらなる進化」というコンセプト通り、ポケモンのステータスが大きく上昇する。バトル環境における攻撃力・防御力の平均値が押し上げられ、それに伴い、通常時で個性を発揮できないポケモンや並大抵の強さを持つポケモンの勝つためのハードルが上がってしまう。また、同じ「メガシンカ」できるポケモンの中でも格差があり、「メガシンカ」における強化の幅の差がそれぞれ違っているので、俗っぽく言ってあたりはずれが出てしまっている。
 筆者は「メガシンカ」というシステムを好いているため肩を持つが、『ポケットモンスター』は、ポケモントレーナーつまりプレイヤーの腕によって下剋上が可能なゲームであるため、ある種バトルにおける刺激的なスパイスと捉えられることを伝えておこう。さらに「メガシンカ」できないポケモンにもきちんとメリットは挙げられる。考えとして、「メガシンカ」によって強化されたポケモンは、逆を返すとメガシンカしなくては強化の恩恵を得られないと考えられ、持ち物の固定化が行われてしまうことは想像に固くない。その点、「メガシンカ」できないポケモンは「メガストーン」を持たなければならないという縛りがないため、様々な持ち物・型で戦っていくことができるのである。また、「メガシンカ」できないポケモンは後に「メガシンカ」を獲得し強化されるという可能性も存在する。『ポケットモンスターZA』では新たな「メガシンカ」が登場し話題となっていた。このように、今「メガシンカがない」ということは、後の進化・強化に期待を寄せることができるという裏返しなのである。なお、「メガシンカ」の強化幅の差に関しては、技構成やチームの編成を練ってそのポケモンを動かしやすくするなどといった工夫によって相手の意表を突くといった、戦略・戦術を考える楽しさ、貫けた喜びを感じることができる。

「Zワザ」


 「Zワザ」はアローラ地方で確認されている能力である。これまたポケットモンスターオフィシャルサイトから引用すると、「『Zワザ』とは、トレーナーの思いをポケモンに重ねて互いの全力を解き放つことで炸裂する、バトルで一度限り使える絶大な威力の技だ。」とある。
 この「Zワザ」には先の「メガシンカ」と大きく異なる点がある。それは、「メガシンカ」と違い、すべてのポケモンがその恩恵を得られるという点である。「Zワザ」は「ポケモン」ではなく「わざ」をベースに発動するため、基本的にどのポケモンでも平等にその力を振るうことができる。そのため、例外はあれどすべてのポケモンに一度のチャンスが与えられるという点で、「メガシンカ」よりも公平であると言えよう。
 また、攻撃技とは違う「へんかわざ」を「Zワザ」として放つと、様々なバフを追加で受けることができる。有名どころでいうと「じこあんじ」を挙げたいと思う。「じこあんじ」は相手の能力変化をコピーするというわざなのだが、これを「Zワザ」にするとHPを全快にするという効果が追加されるのだ。
 こうして見ると、「メガシンカ」はポケモンの強化に対し、「Zワザ」はわざの強化というある種の対比(二項対立)が見て取れる。
 なお筆者が「Zワザ」の面白いと感じた点は、そのアニメーションである。「Zワザ」ごとにアニメーションが決まっており、放つポケモンがその動きに無理やり合わせられるため、普段見られないような動きが見れるのだ。例えば空に飛び立つ飛行タイプのZワザ「ファイナルダイブクラッシュ」を、普段地面の中にいるダグトリオが使うと、なんと地面ごと空に打ちあがるのである。このように、「Zワザ」の魅力は威力や効果だけでなく、アニメーションによる新鮮さやシュールさといった面白さもあるのだ。

ポケモンとの「キズナ」


 オフィシャルサイトにしれっと書かれていたが、「メガシンカ」と「Zワザ」、どちらもトレーナーとポケモンのキズナによって発動している。こういった側面からも、パートナーとのキズナの力をうかがい知ることができる。
 なお、最近のポケモンのシステムとして「ダイマックス」や「テラスタル」といったものが登場しているが、どちらもキズナではなく自然を利用した科学システムであるため、「メガシンカ」と「Zワザ」とは対象的な側面が感じ取れる。
 キズナと書いていて「なつき度」という要素が浮かんできた。「なつき度」はその名の通りそのポケモンがどの程度トレーナーになついているのかというものである。「なつき度」はただ仲の良さを示すだけでなく、バトルに関係してくるシステムである。筆者の記憶にあるのはドラゴンタイプ最強のわざ「りゅうせいぐん」とノーマルタイプのわざ「おんがえし」である。「りゅうせいぐん」は一昔前までなつき度によって覚えられる「教え技」として存在しており、関係性を築かなければ使用できないわざとなっていた。「おんがえし」は察しの通り、なついていればいるほど威力が上がるわざであった。さらに、ストーリー攻略においても「なつき度」によって様々な動きを見せてくれる。有名なもので言うと、戦闘中に状態異常を自力で直したり、ひんしになるダメージを受けた際にはトレーナーを悲しませないようにHP1で持ちこたえたりなど、我々を思って頑張ってくれる姿を見せてくれる。
 こう見ていくと、「なつき度」はそのポケモンとの関係値によってバトルに影響が出るという点がとてもエモーショナルに感じないだろうか。ポケモンに愛を注げば、ポケモンからも返してもらえる、これも『ポケットモンスター』の魅力の一つだと思う。

参考・参照


株式会社ポケモン「あゆみ」
https://corporate.pokemon.co.jp/aboutus/history/
ポケットモンスターオフィシャルサイト「メガシンカとは」
https://www.pokemon.co.jp/ex/legends_z-a/ja/megaevolution/250227_01/
ポケットモンスターオフィシャルサイト「トレーナーとポケモンが一体となって放つゼンリョクの攻撃『Zワザ』」
https://www.pokemon.co.jp/ex/sun_moon/fight/160801_01.html

現実をトレースする狂気
「ロトスコープ」

大澤 優太

現実をトレースする狂気「ロトスコープ」

大澤 優太

はじめに


 私たちが普段見ているアニメーションには、特有の「お約束」がある。キャラクターは時に物理法則を無視したスピードで走り、重力を忘れた大ジャンプを見せ、感情が高まると、派手なエフェクトで画面が埋めつくす。それは、脳内のイメージを形にした、視聴者へわかりやすく誇張された世界である。
 しかし、稀に、そんなアニメの常識を根底から揺るがすような作品に出会うことがある。実写映画とも、普通のアニメとも違う、不思議な映像体験。その正体こそが「ロトスコープ」と呼ばれる作画技法である。

作画の裏側について

ロトスコープの解説


 ロトスコープとは、アニメーション制作手法の一つで、実写の映像をフレーム単位で表示し、その映像をアニメーターがコマごとになぞるように手書きしていくことで動画を制作することである。ロトスコープは、アメリカ人のマックス・フライシャーによって考案された手法であり、短編アニメ映画「インク壺の外へ」で初めて商業作品に使用された。その後は、ディズニー作品の「白雪姫」などにも使用され、その存在は、広く知られるようになった。
 この手法は、手作業のトレースが必要なため、制作に多くの手間と時間がかかるが、実写に近いリアルな動きが再現可能になる。また独特の質感を持ち、一般的なアニメーションとは異なる表現が特徴である。
 近年のロトスコープの代表作といえば、2025年9月に公開された、映画「ひゃくえむ。」であろう。この作品は、陸上の「100メートル走」という約10秒の短い時間に人生を捧げ、速さを追い求める者たちの狂気と情熱を描いたヒューマンドラマ作品である。本編のほとんどのシーンがロトスコープで制作されている作品である。

ロトスコープはどうやって作られるのか?


 実際に制作現場では、どのような作業が行われているのだろうか。映画「ひゃくえむ。」の制作工程をもとに話を進める。

1.実写での撮影

 ロトスコープの質は、元となる実写映像の出来栄えに依存する。そのため、まずはプロの俳優や本物のスポーツ選手に演技を行ってもらい、映像を撮影する。実際に映画「ひゃくえむ。」でも競技のカットは、本物の陸上選手をキャスティングし、撮影した。
 本作品は、日常パートの多くもロトスコープで撮影されている。撮影は、陸上選手ではなく、別の俳優が担当している。本作品は、競技のパートよりも、日常パートの方が圧倒的に多く、1日30シーン120〜130カット撮影したという。また、演技にも監督のこだわりがあり、ロトスコープアニメーションらしいリアルな動きを取り入れつつも、アニメの表現に近いわかりやすい演技を探究した結果、映像作品よりも舞台の演技に近い感覚で、演技を行ったという。

2.1フレームずつトレース

 撮影された実写映像は、1秒間24コマの静止画に分けられる。ここからが作画の本番である。アニメーターは、その分けられた実写のひとコマひとコマを、画面上でトレースし、アニメーションの線画へと落とし込んでいく。
 映画「ひゃくえむ。」の多くが、このロトスコープが使われており、ひたすら液晶タブレットに向かい、人間の生身の動きをペン先で追い続ける作業は、気が遠くなるほどの時間と、体力が要求される。
 特に、作品の中で一番時間を要したカットがある。それは、雨の中競技を行う準備をするカットである。総作画枚数9000枚以上3分40秒ワンカットで作られており、このカットを制作するのにかかった時間は約1年と言われている。
 このカットの特徴は、陸上の選手たちが入場し、走る準備をするまでの間をワンカットで撮影しているところである。ワンカットで撮ることによって、競技前の選手たちの空気感が忠実に再現されている。

3.「線のブレ」

 単に映像の上から線を引くだけなら、誰でもできそうに思えるが、ここにロトスコープ最大の罠がある。人間の手で実写をなぞると、どうしても1枚ごとに数ミリ単位の「線のズレ」が生じてしまう。これをそのまま再生すると、画面の中の輪郭や服のシワが、ブルブルと激しく震え、目が疲れる汚い映像になってしまう。しかし、アニメーターは前後の絵のつながりを意識し、手描きらしい滑らかさを保ちつつ、不快なブレだけを抑え込むための「線の位置の微調整」をミリ単位で行っている。この調律のセンスこそが、ただの「実写のトレース」を「アニメーションの芸術」へと変化させる技なのである。

実写を絵にする意味


1.究極の問い

 ここで、ひとつの究極の問いが浮かび上がる。
「そこまでリアルさにこだわり、実写の映像があるのなら、そのまま実写映画として公開すればいいのではないか?」その疑問に対する答えの中にこそ、ロトスコープという技法が存在する本当の理由がある。
 ​私たちは実写の映像を見るとき、それを「現実のもの」として処理する。どんなに役者が素晴らしい演技をしても、どんなに激しいアクションをしたとしても、それは「そういう現実の記録」として理解してしまう。しかし、その実写をわざわざ人間の手で一本の「線」へと描き直し、アニメーションというフィルターを通した瞬間、不思議なことが起こる。現実のノイズが削ぎ落とされ、簡略化された「動き」だけが、線画となって視聴者の目に飛び込む。役者の微細な震え、走る瞬間の首筋の緊張、恐怖で歪む目元。
 人間の手仕事によって生まれた「線のゆらぎ」は、キャラクターの内面にある不安や焦燥、あるいは狂気的な情熱などといった、目に見えないはずの「感情」を視覚化するエフェクトへと姿を変える。

2. 実写よりも生々しく、普通のアニメよりもリアルに。

​ ロトスコープとは、決して現実の模写ではない。デジタルによる自動化が求められる現代において、あえて人間の手で作るという、最もアナログな手段を取ることによって、「現実をより感情的に表現する」ための究極の手段なのである。
 ​次に、あなたの目の前で不思議ななめらかさで動くアニメーションに出会ったときは、ぜひその画面の向こう側の制作者のことを想像してみてほしい。そこには、現実の肉体の躍動と、それを1コマずつ線画へと変換し続けた、アニメーターたちの気の遠くなるような執念が、伝わってくるはずである。

参考文献


「ひゃくえむ。」劇場用パンフレット

私の「好き」の設計図

2026年7月31日 発行 初版

著  者:大澤 優太 ちむ 月欠ルクステラ
発  行:二松学舎大学

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編集者名 大澤 優太

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