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部屋に流れる ピアノの旋律
背中に感じる 壁の冷たさ
外には 虫たちのオーケストラ
Tomorrow never knows.
扉を開けてみなければ 分からない
終わりのある 今がいい
今を重ねて やっとたどり着く
明日がいい
もう寝よう 明日もあるからね
未来へと続く よい夢を
星ともなると、みんな仲良しになる。
それぞれが、友達同士なのだ。
星たちは、お互いの距離を気にしていない。
いつでも挨拶を交わし、
一緒にいるのと変わらないのだ。
たとえば、ぼくが友達に会うとしよう。
そこにあるのは、
手の届かないダイヤモンドなのだ。
星たちは、お互いのダイヤモンドをいつでも、
好きな時に、好きなだけ見れる。
それが、星たちの輝きの秘密なのだろう。
Blue Sky 君が晴れ渡れば
ぼくの翼となる
だから青空よ Stand by me like a friend.
揺りかごに乗って 旅を続けよう
透き通った青さが 心を洗う
Starry Night 星の見える夜は
流星を追いかける
だから星空よ Stand by me like a friend.
オーロラを抱いて 旅を続けよう
星の瞬きが 一つの明日を照らす
学校給食が変えるものって、何だろう。給食の力を考えてみたい。
国連WFPは、紛争や自然災害の現場における「緊急食料支援」に力を注ぎつつ、途上国や紛争地での「学校給食支援」にも取り組んでいる。給食には、広く人びとや社会を動かし、地域や国の未来を、明るい方向へ変えていく力がある。
まず、空腹な子どもたちが、必ず一食たべられる。紛争によって仕事を失った親にとって、子どもを食べさせていくことは容易ではない。学校で食べる温かい給食が、子どもたちの未来をつないでいる。
それから、通学することで、将来の希望が見いだせる。すなわち、学ぶことにより、貧困の連鎖から抜け出すように、各自視座を形成するのである。
さらに、給食支援によって、地域に活気がうまれる。それは、地産地消型の学校給食の利点である。例えば、給食で提供する牛乳が、地元酪農家の生産性向上につながっている。
女の子も男の子と同じように学校へ通える。給食が、親に女の子たちの通学を促す動機付けにもなるのである。山岳地帯が多く学校へのアクセスが悪いところでは、通学しなくなってしまう子どももいて、男女格差も依然としてある。
子どもたちは、給食のおかげで授業に集中することができるし、育ち盛りの子どもたちが必要な栄養もしっかり取れる。給食の助けをかりて学び、成長した子どもたちが成人し、その国の発展を担っていくのである。
ぼくは、もう40代半ばなんですよ。もうおっさんです。小さい頃は、間違いなく立派な大人じゃなきゃいけない歳だと思っていました。
でも、実際なってみると、高校のころから、なんか変わったかなって思います。体は衰え、顔もふけましたが、心は二十歳にもなっていないんじゃないか。
どこか成長したのかな、と少し不安にもなります。でも、ぼくは、二十代のぼくと、今のぼくだったら、今の方が好きです。病気になったことも後悔していません。
この道を通らなければ、学べなかったことが多くあります。たくさん人に迷惑をかけたのは、悔やまれますが、無駄なことはありませんでした。
最近は、若い人たちを見ても、うらやむこともなくなりました。ぼくの存在を特別にしてくれる、唯一無二の友だちの存在も大きいです。
オレンジレンジの「花」という曲にあるように、花のように散っていくことを受け入れ、いつまでも「今、ここ」を大切にしていたいと思います。
むしろ、ぼくには、まだ何十年も残されているかもしれないと思うと、もっとできることがあるのでは、と考えます。
人生は、どこまでいっても、学びだなと感じます。
ぼくが覚えてる、カラマーゾフの兄弟のアリョーシャの説教。その主なテーマは、最良の教育はなにかということでした。
それは、若い頃の、おそらく子供時代から大切にしてきた、なにか神聖で美しい思い出ほど、健全で、役に立つ教育は他にない、というものでした。
昔は深く感動したこの言葉ですが、今は響かなくなりました。最良の教育は、思い出ではなく、現在進行形の人間関係のうちにあるからです。
人間関係は運に左右されますが、運を引き寄せるのは、日々の実践であると感じます。それには、健全な反省と学び、行為の修正と人格の形成があります。
人を正しさへと引き戻すのは、教科書や理論ではなく、与えられた環境の中における善意志の働きであり、そのための自由意志の介在です。
善意志の働きといっても、自分が善人だということではなく、自己の意志によって何を志として立て、他者と関わっていくか、ということだと思います。
最良の教育は、各人が自分自身で、世界の中に発見していくものだと思います。
ぼくには、人道支援はできない。
でも、同じ方角を向いて、
支援を後押しすることはできる。
また、自分の問題関心を深め、
今日の行動に結びつけることもできる。
時には、誰かを癒したり、
元気づけたりする言葉を綴るのも、
ぼくなりの、ささやかな行動だ。
救われる誰かが、
どこにいるかは問われない。
誰かの力になれるなら、それが人道だ。
その誰かは、また、
誰かの力になるに違いない。
ぼくも君も、決して一人ではないと思うんだ。なぜかって?ぼくたちは、一方的に愛されている存在だからだよ。
昔の親友は、今は疎遠になってしまった。でも、今も昔も変わらず、ぼくたちの幸せを願ってくれる人たちは必ずいる。しかも、一方的に。
たとえば、そうだな、マザーテレサはどうかな?彼女が、ぼくや君の幸せを願ってお祈りしてくれた事実は、時間とともに変わるものではないだろう。
そういう人たちは、星の数ほどいる。
神様の一方的な愛は、そういった歴史的な事実となって、存在してきたし、存在していく。この事実は、ぼくたちにもっと多くの気づきをくれる。
愛せなくても、気づくことができれば、ぼくの中でなにかが変わる。そんな気がするよ。愛は、細部に宿る、ということかもしれないね。
幸せと愛は似てるのかも。気づくものという点で。たとえば、普段気にもとめなかった、道ばたに咲く草花の美しさに気づく。
人の温もりって、たぶんそんな感じだと思う。
1.愛に基づく正義観の実践
上杉鷹山公の藩政は、倹約・産業開発・人材育成を基礎としました。その根底にある正義観は、次の言葉に表れています。
「受けつぎて、国の司の身となれば、忘るまじきは、民の父母」
鷹山公にとっての民は、領内のすべての人民を意味していました。すなわち、厳しい身分制社会にあっても、一人ひとりを大切にする、根底に愛をすえた正義観を抱いていたのだと思います。
2.人民の公僕
鷹山公は、惨状を極めた藩の財政難を再建するため、率先して質素倹約を貫き、自ら範を示す方でした。私利私欲を捨てて、人びとの共通の課題に向き合う姿勢には、何万両もの計り知れない最高の価値があることを、身をもって体現されたのだと思います。
謙信公から続く上杉家の格式は、正義と愛を行うことにあります。鷹山公は、藩の財政難にあって、なにが今の正義かを問い続け、学問を奨励して実践した人民の公僕だったのだと思います。
3.なせばなる、なさねばならぬ、なにごとも
この言葉は、現代から振り返った場合、鷹山公の歩んだ軌跡と重なるものがあります。挫折を経験しても、再び立ち上がり、自らを鼓舞して挑んだ藩政改革が、実を結ぶ。
鷹山公の生き方それ自体が、現代の私たちを鼓舞するものとして、この言葉とともに、人びとの心に刻まれているのだと思います。
1.背中で語る、中村哲の生き方
中村医師は、いいました。「われわれの生きた軌跡が、何らかの暖かさを残し、人としての温もりと真実を伝えることが、大切なのだ。」
爆弾や武器では、決して平和は築けません。命を大切にすることが、なにより大切なのだと思います。それは、自分だけの命でなく、他人の命も大切にする、ということなのだと思います。
2.用水路開拓に見る自然との共生
中村医師の用水路開拓は、自然を支配するのではなく、自然と共生する大切さを教えてくれます。人間も自然の一部。それを忘れてはいけないのだと思います。
また、中村医師は、自然から恵みを授かる知恵と工夫は、必ずしも最新の技術に頼ることばかりではなく、伝統的な技術と人びとの協力が、選択肢となりうることを教えてくれます。
3.人としての温もりを行動につなげる
なぜお医者さんが用水路を拓くのですか。なぜアフガニスタンなのですか。こういった質問に対して、中村医師は、人が道ばたで倒れていたら手をさし伸べる。それは普通のことです、と答えたそうです。
中村医師はいいました。「平和とは、理念ではなく、現実の力なのだ。」
ソラ:「すみませーん。ここ、インラインホッケー部の部室ですかー?」
リト:「おー、新入生?そうだよ。」
ソラ:「入部希望なんです。」
リト:「おーそーか!ようこそ!」
リト:「オレはリト。いちおーキャプテンだ。」
リト:「今日は、14時からテニスコートで練習あるから、よかったら参加して!」
ソラ:「あ、はい!ぜひ!よろしくお願いします。」
ーーー
14時。テニスコート。
ユウ:「あー、ソラ―!ソラもインラインホッケー?」
ソラ:「うん!面白そうだと思って。」
シン:「こんにちは!ソラくん。ぼくはシン。」
ソラ:「えっと。」
ソラは、シンとは仲良くなれると直感した。
ユウ:「シンも新入生だよ。」
ソラ:「あ、よろしくお願いします!ソラです。」
シン:「よろしくね。」
コウ:「おーい、少し持てよー、ユウー。」
ユウ:「あ、ごめんごめん。すごい荷物だね。」
リト:「よーし、集合!」
ーーー
シン:「お、うまいじゃん!ソラ!」
ソラ:「インラインスケートは、少しやったことあるんだ。」
シンは、自由自在に滑ってみせた。
ソラ:「え、シン!どうしてそんなにうまいの?」
シン:「実は、スピードスケートやってて。」
ソラ:「だからかー。」
ユリ:「シンくーん、これスティックねー!」
シン:「あ、はーい!ありがとうございます。」
シン:「お、アイスホッケーのスティックだね!」
リト:「この赤いコーンがゴールだからなー!」
一同:「はーい!」
シン:「昨日のインラインホッケー、めちゃめちゃ楽しかったなー。」
ソラ:「みんないい人だったね。」
シン:「ほんとほんと!」
シン:「あ、ちょっと掲示板見てこーぜ!」
シン:「なになに、スピーチコンテスト開催、だってよ!」
ソラ:「へー、英語なんだー。ぼく苦手だよー。」
シン:「やってみねーか?ソラ。苦手科目、克服しねーとな!」
ソラ:「はは。んー、まあいっか。そうだね!」
ーーー
ソラ:「こんにちはー。ここ、英会話研究部ですかー?」
ユキ:「あ、新入生ですか?そうよ、ようこそ!」
シン:「ぼくたち、スピーチコンテストに応募しようと思って。」
ユキ:「わー、ありがとう!大歓迎よ!」
リト:「お、ソラにシンじゃねーか!昨日はサンキュな!」
ソラ:「リト先輩!どうされたんですか?」
リト:「オレ、ここの部員だからな!」
シン:「掛け持ちですか!?」
リト:「おうよ。」
ーーー
ユキ:「みんな聞いてくださーい!」
ユキ:「スピーチコンテスト参加者には、英会話研究部の部員が一人ずつ助っ人に入ります。」
リト:「ソラとシンは、おれが面倒みるからな!」
ソラとシン:「はい!」
ユキ:「それから、スピーチコンテストの当日は、毎年恒例、浜コンしますからねー!」
ソラ:「浜コンってなんですか?」
リト:「浜辺でバーベキューするんだぜ。楽しいぞ!」
ユキ:「さ、今日の活動はここまで!打ち上げに行きましょう!」
ユキ:「ソラくんもシンくんもね。」
シンは、掲示板の前にいるソラを見つけた。
シン:「あ、ソラ―!」
ソラ:「シン!どうしたの?」
シン:「今日、コウの部屋でキムチ鍋するんだってよー。」
シン:「ソラは強制参加な!」
ソラ:「うん!楽しそうだね!」
シン:「買い出しは、コウとユリさんが行ってくれるって。」
ソラ:「了解ー!」
ーーー
ロフト付きの白いコウの部屋。キムチ鍋が用意されてある。
ソラ:「わー、広いねー。」
ユウ:「ぼく、きりたんぽ持ってきたよ!鍋に入れてね!」
ユリ:「わー、ありがとう。ユウくん。」
コウ:「じゃ、始めようぜ!」
一同:「かんぱーい!」
シン:「今度さ、近くのスポーツクラブの駐車場で、夜にインラインやろうぜ。」
コウ:「お、いいね!自主練しねーとな!」
シン:「リト先輩、めちゃめちゃ上手いよね!冬はアイスホッケーもしてるんだって。」
コウ:「へー、だからか!」
ユウ:「なあなあ、鍋パーティ、またやろうよ!」
ソラ:「やりたいね!」
ユウ:「じゃー、鍋部設立しよー。会場はコウの部屋で!」
コウ:「はは、しょーがねーなー。いいぜ!」
ユリ:「でも、片づけは、みんなでだからね!」
一同:「はーい。」
スピーチコンテスト当日。
ソラ:「ぼくは小さなころ、なんで大人たちが戦争をするのか、理解できませんでした。」
ソラ:「みんなじゃんけんで決めればいいのに、と思ったりもしたんです。」
ソラ:「みなさんは、このアイディア、どう思います?」
ソラ:「確かに、ちょっとばかげてますよね。でも、当時のぼくは、紛争の平和的解決の条件を、ぼくなりに考えてたのかなと、思います。」
ソラ:「じゃんけんは、勝つ確率は、みんな平等ですよね。だから、解決の方法として、公平なんです。」
ソラ:「公平だから、みんな合意できるんです。そして、合意は守らなければならない。」
ソラ:「これって、紛争の平和的解決のエッセンスじゃないですか?」
ソラ:「調停にせよ、仲介にせよ、国際組織の手続にせよ、紛争の解決条件を提示するなら、政治的影響力だけでなく、紛争当事者に対する公平性を伴わなければなりません。」
ソラ:「紛争の平和的解決には、合意がなければなりません。そして、合意の本質は、公平性にあるのだと思います。」
ソラ:「Thank you for your attention.」
ーーー
スピーチコンテストの打ち上げ。浜コン会場。
リト:「なかなかつかねーなー、火。」
リト:「ソラ、ちょっとここで風防いでくれ。」
ソラ:「はい!こうですか?」
リト:「お、いいね!きたきたきた、やっとついたな。」
ユキ:「じゃー、はじめますよー!」
ユキ:「今日はみんなお疲れ様でしたー!素敵なスピーチコンテストでした!かんぱーい!」
一同:「かんぱーい!」
リト:「よし、どんどん焼くぞー!シンもたくさん食えよ!」
シン:「はい!ありがとうございます。」
ユキ:「よーし、みんなソラを運んじゃえー!」
ソラ:「え?わ、ちょ、わわわ、わー!」
バシャーン!!
ソラはみんなに服を着たまま、海に放り投げられた。
ソラ:「ふ、あはは!こら、シン、お前はまて!」
シン:「わ、わ、わ!」
バシャーン!!
シン:「あはは!このやろー!」
ユキ:「ふふふ、さ、みんなどんどん食べましょう!」
夜の浜辺に、二人の人影が浮かぶ。
ユリ:「ごめんなさい。私、付き合っている人がいるの。」
コウ:「え?そうなんだ。そっか。ごめんね。」
ユリ:「ううん。私の方こそ、ごめんなさい。」
コウ:「そっか。じゃ、またね!」
ユリ:「うん!またね。」
コウはユリに背を向け、途中から走って部屋に帰った。
ーーー
場所は、クラウド国の首都。インラインホッケー部の夏合宿。
みんなホテルで休息をとっていた。
ユウ:「キャプテン、鬼すぎるー。全身筋肉痛だー。」
シン:「ちょっとハードすぎたね。」
ユウ:「生きてるかー、ソラ―」
ソラ:「んー、なんとか!」
その時、コウのスマホの着信音が鳴った。
コウ:「はい!あ、うん。うん。え!ほんと!うん。わかった!」
コウ:「ありがとう。じゃ、また!」
コウの表情が、明らかに違って見えた。
ユウ:「どうしたのー、コウ?」
コウ:「ユリが、彼氏と別れたんだって!」
コウ:「で、付き合ってくださいって!」
一同:「えー!!!」
シン:「やったな!コウ!」
ユウ:「いいなー、大事にしろよー!」
ソラ:「よかったね!おめでとう。」
XXXX年XX月XX日
友情は、所有じゃないと思う。依存でもないし、慣れあいでもない。手の届かない、ダイヤモンドみたいな感じかな。
ぼくが相手の幸せを願うことはできる。相手も、ぼくの幸せを願ってくれる。ここに、奇跡がある。
ぼくは、相手に特に求めるものはない。ただ、存在してくれていればいい。そんな感じ。
同じ方向を見ている。それも真実の一つだと思う。リスペクトしてくれているのを感じるし、リスペクトしてもいる。
友情は、作ろうとして作れるものじゃないのかもしれない。めぐり合わせ、お互いの成長、信頼。楽しい思い出。
ぼくの名前を、特別なものにしてくれる存在。ぼくにとっては、それが、友情なのかもしれない。
1.学問は理論のみならず
学問には、理論知としての側面と、実践知としての側面があります。理論知としての学問は、各立場の基礎と帰結に「明せき性」を与え、各人の立場に自覚をもたらし、それによって、実践的な責任の促進を可能とします。
この、理論知としての学問を背景として、自己の与えられた環境の中で、主体的な自由を確立するのが、実践知としての学問の意義です。それを可能にするのが、自分自身で考え続けるということと、学問に自己の経験をフィードバックし続けることです。
実践知としての学問が与える自由は、①「柔軟性の自由」、②「寛容性の自由」、③「自己実現の自由」、④「関係構築の自由」、➄「反省と修正の自由」などを生みます。
2.学問の「盾」――立場の相対化と寛容
①「柔軟性の自由」とは、自己が、各立場の概観と自己自身の立場の一応の自覚を保持しているからこそ、自己の立場を絶対化せず、相対化して認識し、自己の立場に選択の幅という「柔軟性」をもつ自由です。
②「寛容性の自由」とは、価値の多様性の現実に対する、相対主義の基底に流れる人間の尊厳の平等の現れであり、自己自身に対する冷静さと、他者に対する寛容性の要請を、自己の意志とする自由です。
この同じ人間の尊厳の原則が、寛容性の要請さえも越えてはならない一線があるべきことを求めます。その限界は、すべての個人は基本的人権をもつのだから、一人の基本的人権が他人の基本的人権を侵害してはならない、という基本的人権に内在する制約にヒントがあると考えます。
3.学問の「矛」――尊厳の個性化と知恵
③「自己実現の自由」とは、個人単体で実現しうるものではありません。環境や他者に対する理解と、それに対する態度決定の自覚が必要です。自己の行動と他者の反応の相互作用の中で、学問を活用した反省は、私たちが自覚的に自分自身をデザインする自由を可能にします。
④「関係構築の自由」とは、自由の本質が、人間の尊厳の平等を自己の意志とすることのうちにあり、その実践的な意味を、学問を活用しながら、自己と他者の関係のうちに見いだし、持続可能な対人関係を自律的に形づくる自由を指します。
関係構築において直面する壁は、自分で考え続けるということを基礎に、人間の尊厳の平等に対しては「鳩のような純真」を保持し、環境や実際の他者との関係においては「蛇のように賢い」実践知を、学問と経験から養わなければなりません。
4.「盾」と「矛」の交差点
➄「反省と修正の自由」とは、現実の課題に直面することによって、自己自身の立場がその都度、立場選択の基礎にある良心の審判によって審理されなければならず、そこには、自己の立場を反省に基づき修正していく自由があります。
良心に語る規範とは、人間の尊厳の原則です。技術や戦略は、現実の構造を見抜くことよりも、人間の尊厳の平等を核とし、それとともに現実に向き合うことによって、洗練されていくのだと考えます。
5.「環境は変えられる」
学問は、与えられた環境の中で、主体的な自由を可能にし、主体的な自由は、自己と環境の変革へと結びつきます。学問の職分を、理論知としての学問に限定して理解することは、世界を変革する上での教育の重要性を低く見積もっています。
なお、距離をとることも一つの選択であり、自由の一部ではあります。しかし、その判断の基礎が、他者を自己の都合のための手段や道具としてのみ扱う自己利益である場合、そのような態度は、容易に現実の壁に直面することになります。
ただし、理不尽な環境から距離を置くことは、自分の尊厳を守るための、人間の尊厳の原則に基づく盾の行使でありうるのであって、自己の目的自体としての存在性格を肯定し、守ることは必要です。
6.誰もが主人公の世界
他者は変えられない。一般論として、そういえるでしょうか。もちろん、他者はコントロールできません。しかし、自分は変えられます。加えて、ある程度までは、他者との関係性も変えられるのであって、さらには、環境の意味さえも変えうる自由が、学問と実践の中には眠っているのだといえます。
主人公であることを自覚しよう。
2026年8月18日 発行 初版
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専攻:国際法・国際人権法・法哲学。学士(法学)。修士(法学)