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Based on Human Population Density - Asia Leads, Africa Shines Brightest for the Future
夜の底に響く 鼓動の高鳴り
この星の重力は
ぼくらと大地を 強くつないでいる
ここで、なにをはじめようか
生まれたことを 悔やみたくないから
街の灯りが 暗がりを照らす
「チャンスはここにある」と
遠くを見つめる瞳に
再び宿る あの日の決意
まだ終わってない 終わらせない
長いトンネルの向こうで
ぼくを待っていた 高い志
希望として生まれたから
最後のときまで 希望のままで
走れ 燃やせ 流星よ
「そもそも、なぜ法は守らなければならないのか?」
この質問に答えることは、法の妥当根拠という。
法の妥当根拠は、妥当性とその根拠に区分できる。
法の妥当性とは、法的拘束力、法的効力などとも言われ、法規範が有効なものとして認められることをいう。
他方、妥当性の根拠を説明するには、「法の正義要求」をまず説明しなければならない。
法の正義要求とは、法は正しいから定立された。法は正しいから効力を有する、という「正しさ」へのクレイムを指す。
正義と正義要求は区別される。
正義要求はあくまで法規範に内在するクレイムなのであって、その主張それ自体は、実際には正義と適合しないことがありうる。
たとえば、悪法も法か、という伝統的な問いがある。悪法もまた、正義要求を内在させていると考えられる。
しかし、問題はそこではない。問題は、法規範の法的効力が認められる場合、まったく正義と適合しないという事態は考えにくい点にある。
ほんのわずかでも、法規範の規範性が認められるなら、そこには規範の妥当理由があるはずであろうから。
それを判断する主体は、究極的には、各人の良心になるだろう。
では、妥当性の根拠の説明に戻ろう。それは、正義要求が前提する価値である。すなわち、法価値であり、法理念であり、正義を意味する。
正義とは、「等しきは等しく、異なるものは異なるものとして扱うべし」という定式で表現される。
ラートブルフによれば、正義の平等は、一見誰を等しい者とし、誰を等しくない者と見るべきかを言明しないで、一の観点からすでにそれが決定されていることを前提とする。
その一の観点を、ラートブルフは法の目的観といった。そして、彼はこの点で相対主義をとる。
しかし、私は、ここで自分の立場を明確にしたいと思う。正義さえ規定する一の目的観とは、カントのいう「最高の実践的根拠」にある。
それは、人間は目的自体として存在するということ。決して単なる手段や道具としてのみ扱われることはあってはならない、という法則である。
人権の基礎は人間の尊厳にあるといわれる。その尊厳の意味が、目的自体としての人間だと考える。
そして、人間の尊厳の原則は、人権の基礎であるだけでなく、法の基礎でもなければならない。
その場合、正義要求の前提は、あくまで、法価値、法理念、正義だったことを思い出してもらいたい。法の基礎は、正義にある。
人間の尊厳の原則が、正義の形式に、価値を吹き込む。ここにおいて、正義は「人間の尊厳の平等」となる。
現代社会は価値の多元性の社会だ。でも、価値の多元性には、必要・要請として、共有可能な基礎がなければならない。
その資格を有するものとして、人間の尊厳の原則に基づく正義が候補になると考える。
いや、私はもっと強い主張をしたい。人間の尊厳の平等という法価値は、現代の実定法秩序に内在する現実の妥当根拠である。
ちなみに、私は、自己の立場の前提を対象化し、論じつくしたなら、どの立場をとるべきかについては、学問は沈黙すべきと考える。
人間の有限性を考えれば、唯一絶対なものの認識へたどり着くなどと思わない方がいい。それでも、問うことは重要だ。
そこに、対話が生まれるから。人間の複数性の領域である公共性に開かれてあることは、大切だと思う。
1.日本国憲法と国連憲章
日本国憲法前文には、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と規定しており、そこには、単に戦争がないという意味での消極的平和ではなく、全ての人が圧制や人権侵害、貧困などから解放される積極的平和が追求されています。(松井 2011, p. 287)
この点で、日本国憲法は、国連憲章と思想的基盤を共有しており、国連憲章においても、国際の平和と安全を維持することを第一の目的とした上で、人民の同権及び自決の原則の尊重、経済的・社会的・文化的または人道的性質の国際問題の解決、全ての者の人権及び基本的自由の尊重などが、国際連合の目的として明記されています。
2.人間の安全保障と全世界の平和的生存権
とりわけ、日本国憲法前文における平和的生存権の確認は、現代的な意義が大きいと思います。それによれば、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と規定されています。
この規定は、その後日本外交の柱となる人間の安全保障を先取りするものです。人間の安全保障の二大目標は、恐怖からの自由と欠乏からの自由です。それは、日本国憲法前文の「恐怖と欠乏から免かれ」という文言と思想的に共鳴しています。
3.積極的平和主義と消極的平和
積極的平和主義は、戦争がないという消極的平和を決して軽視するものではありません。国連の第一の目的が、国際の平和と安全の維持にあるように、積極的平和主義は、消極的平和を優先課題とします。
むしろ、積極的平和主義は、消極的平和の実現手段としての意味も有するのです。それは、現代の国家の安全保障が、領土の防衛のためにミサイルを作るなどの軍備拡大のみによっては、決して実現しうるものではなく、社会的不公正などの紛争の原因を除去しようとする人間の安全保障のような考え方の実践によって、補完されることを要することを意味します。
4.政治道徳の普遍性
日本国憲法前文には、「政治道徳の法則は、普遍的なもの」であるという規定があります。「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって」、普遍的な政治道徳に従うことは、「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務である」と結んでいます。
すなわち、政治道徳の規範的条件として、普遍妥当性が考えられており、そこには、人民の同権および自決の原則の尊重、人権および基本的自由の尊重などが、国際関係の基礎になければ、積極的平和はもちろん、消極的平和さえも実現しえないという、第二次世界大戦の反省があるのです。
5.結びにかえて
理想ではなく、現実を見る。それは手段の目的化です。現実の中に理想を見出さなければなりません。批判的精神は、理想を否定するためではなく、価値の源泉を保つために必要です。国家の政策に哲学は不要であるという認識は、完全に誤りだと思います。
松井芳郎(2011)『第3版国際法から世界を見る』、東信堂
1.人権と民主主義の関係性
人権と民主主義の関係は、前者が目的であり、後者がそのための手段であるという関係にある。人権にも民主主義にもそれ自体で正当性があり、その正当性の基礎は同一である。「人間の尊厳の平等」である。
人権とは、人間であることを理由に保有される権利である。民主主義は、誰が人権を定めるのか、という問題視座を有するが、それは人権の本質ではなく、むしろ実定法秩序の「法源論」の問題である。
われわれには、所与としての人権の歴史・規範・制度がある。人権の本質は、その内容的正当性にあり、批判的精神をもって、既存の人権規範の妥当性を吟味・理解し、一市民として人権に対し、どのような態度をとるべきかをまず問うべきである。
2.民主主義の正当性
民主的手続の正当性は、「公共的理由」に基づく合意の形成にある。それは、人民の平等な配慮と尊敬を受ける権利を、合意形成の前提とし、人権の保障を、合意形成の規範上の制約とすることを要する。
人権は、民主主義において、多数者の専制を防止し、マイノリティの権利を確保するだけではなく、民主的合意の正当性の必要条件として機能するものである。
ルソーにおける「一般意志」の本質は、民主的合意が「公共的理由」に基づく点にあり、直接民主制も間接民主制も、もし人権規範を欠くなら、自己の利益に自閉する「特殊利益」やその総計にすぎない「全体意志」が、マジョリティを占める危険を生む。
3.立憲民主主義とは
ハーバーマスは人権保障と民主主義は「同根的」と考えた。それはつまり、人権保障が民主主義の対話の前提をなし、民主主義の対話が人権を定めるというのだろう。しかし、民主主義の対話が人権を定めるというのは、人権保障の一面しか捉えていない。
人権の本質は人権の普遍性にある。それは、「人間の尊厳の平等」を意味する。民主的手続は国家意思の形成手続でもあり、憲法の保障する「国家からの自由」を侵害できず、「国家による自由」を実現しなければならない。
立憲主義は、「人間の尊厳の平等」を核心とする権利保障と権力分立を不可欠の要素とする。現代民主主義は、未完の近代プロジェクトの中で位置づけられなければならず、人権と民主主義は不可分なのである。
われわれは、日本国憲法が、人類の長い経験と叡智の蓄積の表象である立憲主義の展開の「現代の到達点」というべきものを具現していることを、明確に認識し理解する必要がある。グローバル化する世界にあって、日本が過度に内向きになることなく、相互的比較を通じて対話し、自らを高めていく確かな基盤・土台を有することの意義は、長期的にみて限りなく大きい。
憲法の制定過程においては、戦前の厳しく徹底した思想・言論などの弾圧体制が基本的に除去され、選挙権が従来の25歳以上から20歳以上に引き下げられるとともに、日本の歴史上はじめて女性が選挙権を得たということが確認されなければならない。さらに、日本国憲法は、その成立後長きにわたって妥当し続けてきたものであり、国民の承認という意味では、その持つ重要性は大きいと考えるべきである。
アメリカ合衆国憲法の成立から二世紀経った1992年の合衆国最高裁判所のさる判決は、「われわれの憲法は、第一世代のアメリカ人からわれらへ、そして将来の世代へと続く誓約である。それは首尾一貫した連続である」と述べている。日本国憲法もまた、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」た日本国民の子孫として、「われらとわれらの子孫のために」、首尾一貫した誓約でなければならない。
日本国憲法の平和国家への志向は、その前文で「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」という考えが示されているとおり、単に戦争がないという意味での消極的平和ではなく、全ての人が圧政や人権侵害、貧困などから解放される積極的平和こそ、日本国憲法が追求する平和なのである。この点では、日本国憲法と国連憲章は同じ思想的基盤に立っている。
憲法第9条は、国内で自由をおびやかしかねない要素となる軍隊を否定し、外に対しては侵略をくりかえさない保証としての意味を、客観的に担ってきた。9条という憲法問題は、権力をコントロールするという近代憲法の存在理由そのものに深くかかわっているのである。かつての日本軍は、内では芽生えていた立憲政治をくつがえし、外にはアジア侵略をすすめていった。軍隊がにらみをきかせて強権政治をする「普通の国」は、世界に多い。軍の暴走をどのようにして止めることができるか。9条の存在理由を再確認すべき時である。
<参考文献>
佐藤幸治(2015)『立憲主義について』、放送大学叢書
松井芳郎(2011)『第3版国際法から世界を見る』、東信堂
樋口陽一(1993)『六訂憲法入門』、勁草書房
日本はグローバルな国際社会から利益をえているのであり、その国益もまた、グローバルなところに利害関心がなければなりません。
日本の国是は、個人の尊厳というよりも、人間の尊厳の平等にこそあります。基本的人権の尊重を、憲法に偏重して理解するのではなく、国際法と国内法双方に立脚し、人間の尊厳の平等を語るべきです。
対内的な政策と、対外的な政策を、一貫して説明しうる理念を掲げることこそが、誰も二級市民として扱わない、憲法の理念なのであり、植民地主義の克服です。
日本の国益は、国際社会の一般利益と国益の一致点に求めなければならず、その対外政策は、国際協調主義および全世界の人びとの平和的生存権の確認を基礎としなければなりません。
自国のことのみに専念して他国を無視してはならないというのが、歴史と憲法の戒めです。
1.背中で語る、中村哲の生き方
中村医師は、いいました。「われわれの生きた軌跡が、何らかの暖かさを残し、人としての温もりと真実を伝えることが、大切なのだ。」
爆弾や武器では、決して平和は築けない。命を大切にすることが、なにより大切なのだと思います。それは、自分だけの命でなく、他人の命も大切にする、ということなのだと思います。
2.用水路開拓に見る自然との共生
中村医師の用水路開拓は、自然を支配するのではなく、自然と共生する大切さを教えてくれます。人間も自然の一部。それを忘れてはいけないのだと思います。
また、中村医師は、自然から恵みを授かる知恵と工夫は、必ずしも最新の技術に頼ることばかりではなく、伝統的な技術と人びとの協力が、選択肢となりうることを教えてくれます。
3.人としての温もりを行動につなげる
なぜお医者さんが用水路を拓くのですか。なぜアフガニスタンなのですか。こういった質問に対して、中村医師は、人が道ばたで倒れていたら手をさし伸べる、それは当たり前のことです、と答えました。
中村医師はいいました。「平和とは、理念ではなく、現実の力なのだ。」
1.人権の根拠と基礎
(1)根拠としての「人間の尊厳」
国連憲章は、その前文で「人間の尊厳及び価値」を確認し、世界人権宣言でも、同じ文言で「人間の尊厳と価値」を確認している。そして、世界人権宣言第1条は、「尊厳と権利において平等である」と規定する。「人間の尊厳」は、人権の根拠とされるものであって、思想的な影響を与えたのは、カントである。カントによれば、人間は道徳に従った理性的な行動をとることができる存在であり、目的自体としての価値、すなわち「尊厳」を持つ。
(2)基礎としての「生命に対する権利」
人間の生命の尊重は、人間の尊厳から生じる。人は生命を奪われると、すべての人権を失う。それゆえ、生命に対する権利は、なによりも重く、基礎的なものである。自由権規約第6条に規定される「生命に対する権利」は、非常事態においても逸脱は許されない(同規約4条2項)。自由権規約委員会は、自由権規約に定める生命権は、「人間存在の至高の権利」であって、「すべての人権の基礎である」と評価している。
2.国際人権法における「平等の要請」
(1)平等・差別禁止原則
世界人権宣言は、第1条で「全ての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とにおいて平等である」とうたった。人間は、人格の目的自体としての価値(すなわち尊厳)が平等であるという根拠によって、権利において平等でなければならない。それゆえ、理由のない不当な差別は禁止されなければならない。
また、人種優越主義の過ちについては、1965年の人種差別撤廃条約において、「人種的相違に基づく優越性のいかなる理論も科学的に誤りであり、道徳的に非難されるべきであり及び社会的に不正かつ危険である」(前文)という基本認識が示されている。
(2)区別的扱いの「公共的正当化」
人権が、現実の社会的弱者や少数者の権利を保障するために、法的に区別的扱いをする場合、その指針・基準には、社会の全成員に妥当すべきことを目指す「公共的理由」がなければならない。それは、正当な区別を不当な差別から識別するための、立法における議論の方針であり、立法化された場合には、具体的な法規の適用・解釈の基準となるべきものであると考える。
(3)「平等の具体化」・弱者の保護
国際人権法の発展は、一般的に「すべての人」の権利を保障するだけでなく、「具体的な人」に焦点を合わせ、現実の経験に照らし、これまで人権保障の薄かった部分に目を注ぎ、「尊厳における平等」の要請を、具体的に実質化する規定をおくことで、「少数者」や社会的弱者を保護するものとなっている。この傾向は、国際社会が「人種」「女性」「児童」「障害者」等に関する条約を採択していくことによって明確となった。
3.人権の「普遍性」・「不可欠性」・「相互依存性」
(1)人権の「普遍性」
世界人権宣言の前文には、「加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重と遵守の促進を達成する」と規定する。すなわち、人権は、人民間の多元主義に対する制限・限界であり、体制の別を問わず、遵守されることを要する「普遍性」をそなえている。カントの思想においては、その「普遍性」の形式が、規範的要請の客観的妥当性を基礎づける条件となっているのである。そこには、人間の人格の内的価値に対する深いリスペクトがある。
(2)人権の「不可欠性」・「相互依存性」
また、人権は、一般的規定も、実質化された具体的規定も、「人間の尊厳」の要請として不可欠なものでなければならない。それらの規定は、ウィーン世界人権会議でも確認されているように、相互に連関し、相互に依存しているという認識が欠かせない。この意味で、自由権も社会権も、相互依存的であり、発展途上国などの、貧困状態が半永久化しているところでは、人権の尊重は、人間が人間として生きていくための基本的なニーズを満たし、それに応える社会環境を抜きには、考えられない。
4.人権と平和の不可分性
第二次世界大戦は、全体主義国家による、国内における人権弾圧の下に推し進められた。それは、占領地等の戦場における大規模な人権侵害を伴うものであった。そこで、人権と自由が尊重されなければ平和は存在しないということが、人々の心に刻まれた。戦後、人権保護は国際関心事項として広く認められるようになり、国連憲章と世界人権宣言に基づき、国際人権法が確立されていった。
この「人権と平和の不可分性」は、国内紛争が各地で激化する現代において、再認識される価値を有する。人間の安全保障によって指摘されているように、紛争の原因には社会的不公正があり、基本的人権の尊重が、そのような不公正の是正に不可欠だと考えられるからである。
<参考文献>
芹田健太郎・薬師寺公夫・坂元茂樹(2017)『ブリッジブック国際人権法第2版』、信山社
東澤靖(2022)『国際人権法講義』、信山社
瀧川裕英・宇佐美誠・大屋雄裕(2014)『法哲学』、有斐閣
岩沢雄司編(2019)『国際条約集2019』、有斐閣
1.なにが女性差別になるのか?
女性差別を定義する女性差別撤廃条約第1条によれば、女性であることを理由に、人権の享受を害する区別・排除・制限をもたらすものは、その目的を有するものはもちろん、そうした効果を生じさせるものであれば女性差別となります。
後者の場合を、間接差別といいます。さらに、女性差別撤廃委員会によれば、女性差別という概念には、ジェンダーに基づく女性差別も含むものと考えられています。
2.「ジェンダー」ってなに?
ジェンダーとは、「女性と男性について社会的に形成されたアイデンティティー、属性及び役割であり、社会における女性と男性の間の階層的な関係や、男性に有利で女性に不利である権力や権利の配分につながる社会的及び文化的な意味をもつもの」を意味します(東澤 2022, p. 236)。
これは、第5条(a)に、「男女の定型化された役割に基づく偏見及び慣習その他あらゆる慣行の撤廃を実現するため、男女の社会的及び文化的な行動様式を修正すること」などを条文上の根拠とします。
具体的には、生物学的な特徴として子どもを産むのは女性しかできないため、産前産後休業の制度を整えることは、生物学的な特徴に基づく性差、すなわちセックスの問題になります。
他方で、子育ての役割や負担が女性に集中しているため、女性は子育てを担うべきであり、女性は子育ての間は仕事に就くべきではないというのは、ジェンダーに基づく偏見であるといえます。
この点、女性差別撤廃条約第5条(b)では、「家庭についての教育に、社会的機能としての母性についての適正な理解並びに子の養育及び発育における男女の共同責任についての認識を含めることを確保すること」と、「あらゆる場合において、子の利益は最初に考慮する」ことが求められます。
3.国家における尊重・保護・充足の義務
国家は、女性差別撤廃条約の下で、尊重・保護・充足の義務を負っている。尊重の義務の下では、第2条(d)にあるように、「女子に対する差別となるいかなる行為又は慣行も差し控え、かつ、公の当局及び機関がこの義務に従って行動することを確保する」とされています。
保護の義務においては、同条(e)で、「個人、団体又は企業による女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとること」が求められています。
さらに、充足の義務は、第4条の「男女の事実上の平等を促進することを目的とする暫定的な特別措置」を含め、女性が法律上も事実上も平等な権利を享受できるための措置を国家に義務づけています。
4.FGMを含む女性に対する暴力
女性差別撤廃委員会によれば、「ジェンダーに基づく暴力」は条約第1条の女性差別の一形態であり、条約違反に該当します。とくに、女性器切除(FGM)を含む健康に有害な慣行に対して、女性差別撤廃委員会は、早くからデータの報告と根絶に向けた戦略の実施を国家に求めてきました。
女性差別撤廃委員会は、FGMを含む有害慣行を、「とりわけ性・ジェンダー・年齢に基づく差別に根差した慢性的な慣行及び行動形態であって、しばしば暴力を伴い、また身体的・精神的な害悪や被害をもたらす多重的・交差的な形態の差別」(東澤 2022, p. 244)と説明し、全体的な視野に立った根絶のための戦略を求めています。
なお、差別の交差性とは、複合差別を指し、性別やジェンダーに基づく女性差別は、人種、民族、宗教や信仰、年齢、階層など、他の要素と密接に関連し、否定的な影響が及ぶ可能性があり、早急の対応が求められます。
川島聡・菅原絵美・山崎公士(2021)『国際人権法の考え方』、法律文化社
芹田健太郎・薬師寺公夫・坂元茂樹(2017)『ブリッジブック国際人権法第2版』、信山社
東澤靖(2022)『国際人権法講義』、信山社
1.人権としての「水と衛生への権利」
東澤靖によれば、2010年以降、国連総会では「水と衛生への権利」についての議決が採択されており、「水と衛生への権利」が、相当な生活水準・健康への権利・生命や尊厳への権利に密接に関連するものであると同時に、独立した対応が求められる問題であることを指摘しています。(東澤 2022, p. 157)
すなわち、「水と衛生への権利」は、法価値である「人間の尊厳の原則」の要請であると同時に、最も基本的な権利である「生命権」の要請でもある基本的人権なのであります。後で見るように、「水と衛生への権利」は、「生命権」の要請として、即時的実施義務となる場合が考えられます。
2.法的権利としての「水と衛生への権利」
(1)「水への権利」の「相当性」
「水と衛生への権利」が法的権利として実定法化されるには、国内法または国際法として定立されなければなりません。ここでは、「水と衛生への権利」が、人権条約の各権利に密接に関連していることから、条約上の法的義務として導く可能性を考えることができます。
これに関連して、社会権規約という人権条約の実施機関である社会権規約委員会は、「水への権利」が生活水準や健康への権利に含まれることを確認してきたとされます。相当な生活条件の一つとしての水への権利は、水の利用可能性、水質、アクセス可能性において相当なものであることが必要とされます。(東澤 2022, p. 157)
(2)国家の義務の三類型
また、東澤靖によれば、国際人権法の下での国家の義務は、「尊重の義務」、「保護の義務」、「充足の義務」の三つに分類されます。
国家が自ら人権侵害を行わない義務である「尊重の義務」でいえば、国家が個人の水へのアクセスを妨げないこと、水の供給を減少させないこと、汚染しないことなどが含まれます。
人権侵害から個人を保護する義務である「保護の義務」、および基本的な人権の享有を促進するための積極的な行動をとる国家の義務である「充足の義務」においては、水道事業を行う企業を含めて、第三者によるアクセスの制限、水資源の汚染や不当な搾取などに対して、国家は必要な措置を取らなければなりません。(東澤 2022, p. 49-50, 157)
3.「生命権」と「最低限の中核的義務」
社会権規約が保障する権利の中には、その実現のために一定の制度や財政的な裏付けを必要とする権利があるため、「漸進的実施義務」という緩やかな義務が採用されたものがあります。
ただし、締約国は、「漸進的実施義務」の達成のため、「自国における利用可能な手段を最大限に用いること」を約束していることには注意が必要です。(社会権規約2条1)。
また、「水と衛生への権利」との関係で特に注目されるのは、「漸進的実施義務」においても、締約国は、最低限のレベルの人びとの必要を満たすべき「最低限の中核的義務」(minimum core obligatioin)を負っていることです。(東澤 2022, p. 48)「生命権」の要請でもある「水と衛生への権利」は、即時的実施義務となる場合が考えられるのです。
東澤靖(2022)『国際人権法講義』、信山社
1.自由には、失敗や過ちが伴う
道徳は、自由な意志を前提します。それゆえ、法は、道徳を強制しません。その代わり、法は、道徳を行う外的な諸条件を整えます。自由の第一の意味は、個人が国家を通じて自らに確保する行動の自由を指します。
したがって、法の許容した範囲で、人間が過ちや失敗をしても、罰せられることはありません。ある者は、そこから学び、立ち上がるでしょう。ある者は、学ぶことをしないかもしれません。
2.自由には、学びと成長が伴う
人間は、環境次第で善人にも悪人にもなりえます。しかし、道徳が前提する自由な意志の本質は、自律なのです。これが、自由の第二の意味です。過ちや失敗をしない人はいません。大事なのは、そこからなにを学び、再起するかということです。
再起とは、自分の意志でなければ、本当の再起とはなりません。人格の成長は、自律的な成長なのです。良心の声に嘘をつき、自分自身からの疎外にさえ気づかない人びと。彼らもまた、目的自体として存在します。
3.自由には、共生と連帯が伴う
また、法の話に戻りましょう。法は、各人に人権を保障し、行動の自由を与えますが、道徳については沈黙し、不道徳の可能性も生みます。自律的な成長につながる、共通の財産を生み出すのは、法だけではなく、市民社会の役割でもあると思います。
全ての人は、社会の中で自己実現を目指し、共通の財産を生み出し、享受する権利を有しています。勇気ある人びとは、人道的ニーズに応えるでしょうし、知識ある人びとは、教育のニーズに応えるでしょう。
保障された自由を、自己実現につなげ、共通の財産として社会に還元していく。それも、グローバルな社会に。その本質にあるのは、服従でもなく、他律でもなく、意志の自由に基づく自律なのだと思います。それが、共生と連帯の礎となるでしょう。
2026年8月24日 発行 初版
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