日本を代表するアートディレクター浅葉克己氏と卓球の深い関係は有名だ。「何故、卓球なのか?」という質問には、「来たモノを打つ」と答える、と。死海の上で打つ、中国広西省の風の中で打つ、一面凍結の網走湖の上で打つ。数え切れないほどの卓球対決を行ってきた浅葉氏は、「来たモノを打つことは人生と同じように難しい。だから続けられるのだろう。」とも答えている。
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「天然文庫の百冊」完全版は近日公開予定です。
ひと言でわかるタイトルを持っている卓球選手は幸せだ。世界チャンピオンとか日本チャンピオンとか。スポーツ選手は、どのくらい強いか、強かったかに一番関心が集まる。その他、大勢の選手は、自分の強さをどう表現したらいいのか悩む。ぼくは、一時期「北極圏チャンピオン」を名乗っていた。一九七八年、日本の冒険家たちは北極点を目指していた。故植村直己隊、ヨットで北極点に立つという堀江謙一隊、日大北極点遠征隊。日大隊は、全行程を報道する日本テレビ、読売新聞社の大部隊だ。「クリエーターも北極で頭を冷やそう」を合言葉に、北極圏人会を組織した三枝成彰や内田繁など四〇名が集まった。全員参加かと思っていたが、浅葉克己、糸井重里、冨永民生の三名が北極圏人会を代表して、日大隊について北緯七四度のリゾリュートまで同行することになった。
極北のパイロットたちの泊まっている、ブラットベリーエアサービスというホテルに泊まった。ロビーに卓球台があり、北極圏卓球選手権大会を思いつき、冒険家、パイロットたちに呼びかけ、三〇人ほどの大会を開催。決勝はカナダのパイロットに2―0で勝ち、北極圏チャンピオンを名乗ることが出来た。二〇数年前のことだ。
現在は「地上最低の世界チャンピオン」と名乗っている。二年前に、イスラエル観光局からイスラエルでデザイン展を開催してほしいとの依頼があり、下見に訪れることになった。イスラエルの観光の目玉は何と言っても「死海」だ。観光局の人に「ボウリングの球も浮きますよ」と聞いた。その瞬間に死海で浮きながら卓球をするスケッチを描いて、イスラエルにFAXしてもらい、準備と対戦相手を探してもらった。対戦相手はイスラエルチャンピオン、ヤコブ選手。一九九九年三月一八日午前八時。死海にポツンと浮かぶ卓球台。水は冷たかったが、勝負は一瞬で決まった。サーブ権を取った浅葉克己が一球のサーブで決めた1―0。オレンジボールは宙に浮き、コートではなく死海に落ちた。
「地上最低の世界チャンピオン」の誕生だ。(笑)
レーガン米大統領が撃たれた一九八一年三月三一日。ぼくたちは、ニューヨークを経由して、遙かなる海亀の島、プエルトリコを目指して南下していた。サントリーホワイトのサマーキャンペーン。コピーは「夏は、白昼夢。うーん。」。モデルはジャズトランペッターの日野皓正だ。太陽、海、風、ヤシの木、音楽(サルサ)、女、そして男。カリブ海に浮かぶ島はそのすべてを満たしてくれる。あれから一〇年。記憶の中ではもっと近い。
二〇〇一年二月二〇日から一週間、今回は日本の文化を伝える仕事。日本ビジュアルアート展と浅葉克己の東巴文字展が、プエルトリコの首都サンファン美術館で開催される。日本ビジュアルアート展は年一回開催される公募展で、若い表現者の登竜門。浅葉克己の東巴文字展は、中国雲南省麗江の納西族が今でも使っている、生きている象形文字。この絵文字を世界に広めたいと各国で展開中。この二本立ての企画だ。そして一言、プエルトリコチャンピオンと対戦したいと付け加えておいた。
グランプリ作家の深海武範くん、準グランプリの曽谷朝絵さん。主催の国際芸術文化振興会の野呂芙美子さん一行一四名はロサンゼルスを経由してサンファンに入った。丘の上に建つ近代的な美しいサンファン美術館。二日目の夕方から浅葉克己の講演会が予定されている。ニューヨークから領事も来たり、ぼくたちが移動する時は国賓級。白バイが二台先導してくれた。紺青の海を見ても頭の中は講演会のことでいっぱいだ。日本の現状とビジュアルな広告とデザインについて通訳を通してスライドを見せながら二時間語った。ホッとしていたら、白バイの先導で卓球場に向かった。夕食はなし。バナナ一本で戦わねばならぬ。時計は夜八時を回った。韓国遠征を終え、世界卓球大阪に出場するギンギンの四人の選手と戦った。結果は競ったが4敗だった。二〇人程の子どもたちともぜひと言われて、5本ゲームをした。母親たちが喜んでくれた。観衆と記者団は時を過ぎても興奮していた。次の日の新聞には「ひとりの日本人が大勢のプエルトリコ人と戦った。それは素晴らしい試合だった」という写真入りの記事が出た。
『ピンポン』チラ読み版はここまでです。
「天然文庫の百冊」完全版は近日公開予定です。
2011年7月29日 発行 converted from former BCCKS
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アートディレクター。桑沢デザイン研究所、ライトパブリシティを経て、1975年浅葉克己デザイン室を設立。サントリー、西武百貨店、ミサワホーム等数々の広告を手がける。日本アカデミー賞、紫綬褒章など受賞多数。東京ADC委員、東京TDC理事長、JAGDA理事、東京造形大学・京都精華大学客員教授。卓球六段。2009年「祈りの痕跡。」展で2度目のADCグランプリ、2010年ミサワバウハウスのポスターで亀倉雄策賞を受賞。