「NovelJam」とは、「著者」と「編集者」と「デザイナー」がリアルに集まってチームを作り、ゼロから小説を書き上げ編集・校正して表紙を付け「本」にして販売までを行う『短期集中型の作品制作・販売企画』です。ジャムセッション(即興演奏)のように、参加者が互いに刺激を得ながらその場で作品を創り上げていきます。―――NovelJAM公式ページより
これは、そのNovelJAMのチームCがどれだけそのNovelJAM2018を楽しんだが、そこでなにを学んだか、そしてそれをどうさらに楽しみながら活かして、広く楽しんで貰うとともに楽しみ尽くすかを追求するマガジンです。
つーかほんと、ドコまで楽しむんだ我々は! もはや『貪欲祭り』だ! でも、それだけ楽しいNovelJAMだったってこと!
即興の真の楽しさ、ごらんあれ!
「NovelJam」とは、「著者」と「編集者」と「デザイナー」がリアルに集まってチームを作り、ゼロから小説を書き上げ編集・校正して表紙を付け「本」にして販売までを行う『短期集中型の作品制作・販売企画』です。ジャムセッション(即興演奏)のように、参加者が互いに刺激を得ながらその場で作品を創り上げていきます。
2017年2月に開催した「NovelJam 2017」では「著者」・「編集者」計29人が参加、計17作品が電子書店で販売されるに至りました。作品の準備から完成、販売までの一連の経験を通し、面白く革新的な作品を生み出し続ける「著者」・「編集者」・「デザイナー」がこのイベントから多数生まれます。
今回は、より密度の高い創作環境を提供することを目指し、初の合宿形式での開催となります。また著名・実力派のプロ作家を中心とした審査員をお招きし、出版界からも注目を寄せられるイベントとなります。
――-NovelJAM公式ページhttps://www.noveljam.org/#noveljamより
このムックは、このNovelJAMに参戦した根木珠・森山智仁・杉浦昭太郎・米田淳一のCチームの奮闘ぶり、参戦記を通じて、NovelJAMの楽しさと趣旨、そしてその向こうを描き出そうという本です。
NovelJamでの根木珠と森山智仁の作品の販売促進の目的も当然ありますが、まずNovelJAMの楽しさと意義をメインにしていきます。
もし面白かったら、根木珠「ひつじときいろい消しゴム」森山智仁「その話いつまでしてんだよ」もごらんください。こんな楽しいイベントで楽しい仲間で作った本が面白くないわけがないのですから。自信を持ってお勧めします!
――チームC編集 米田淳一
著者、編集者、デザイナーが会場に集まる。てっきりエンジョイ勢ばかりが集まるものと思っていた根木珠であったが、そこはガチ勢の巣窟であった――。
ノベルジャム当日、私はキャリーバッグを指定の場所まで引きずっていった。会場にはたくさんの人がいて、旧知の仲であるのか和気あいあいとしていた。
さっそく私は孤独感を覚え、イベントが始まるまでの時間、読書をすることにより外界からの刺激を遮断した。
そのようにして始まったイベントであったのに、いつの間にか楽しんでいる自分に気がついた。
チーム決めが終わり、席替えをし、軽く自己紹介などをする。なごやかな雰囲気だ。お題が発表される。「平成」。とてもむずかしいお題である。
私は一瞬、頭を抱えた。大学ノートにボールペンを走らせながら考える。
まず平成という時代を書くことは私には無理であろう。すると言葉遊びでゆくのがよさそうだ。そのころ壇上ではプロ編集者が講演をしていた。その話は興味深く、とても魅力的であったがしかし、私の頭には着想が浮かんでくるのだった。
ノートに走り書きをする。その姿は、はたから見れば(見るひとがいればだが)、プロ編集者のありがたいお言葉を記録しているように見えたろう。しかし実際はよくわからぬ絵であった。
私は紙にペンを走らせる。落書きはいい。脳みそが回転する。じきに講演が終わる。執筆前の、チームでのミーティングが始まる。
まずはブレスト、ということらしい。私はひたすら腕時計を見ながらペンを走らせていたが、そのうちに、ああ、私が書き終わらないことには編集さんとデザイナーさんが時間を持て余すのだということに気がついた。そこで私はパソコンを立ち上げ、グーグルドライブにアクセスし共有フォルダをクリックすると、グーグルドキュメントに直接、書き始めた。
このほうが、どのようなものを書くつもりなのかがリアルタイムでわかってよいだろう、そうすれば彼らもこれからどのようにするか、方向性などが見えてくるだろうと思ったからだ。するすると出てくる言葉たち。まずは会話文だけの、プロットのようなものができた。しかしまだ揺れていた。まったく架空の世界で行くのか、もっとリアルに書くべきか、平成というお題をどう処理するか、などなど。
編集者さんやデザイナーさん、同席になった著者の方々と、食事も共にして相談を聞いてもらった。声に出して話す、それに対して反応がある。するとなにやらふわっとしていたものが徐々に形になる、言語化することによって抽象的イメージが具体化してゆくのだった。さらにそれを小説という言語に落とし込んでゆく。
初日はプロット提出で終わり。二日目の朝。会場が初日と異なるため、私はパソコンを持って食堂に向かい、食事を済ませたらそのまま会場へ行けるようにしていた。食堂が開く予定時刻よりも三十分早く着いてしまったが、早いぶんには待てばよいだろうと考えていた。扉を開ける。食堂の方がまだ時間でないという。それでも私は中で待たせてくださいという。すると食堂のひとは「ああ、作業されるんですね」というではないか。そんなつもりはなかった。
しかしそうだと答え、私は席に座るとパソコンを開き、執筆作業を開始した。引くに引けなかった。気がつくとひとの声がする。それでやっと、食堂が開く正規の時刻になったのだと知る。私は手を止めパソコンをしまい、ビュッフェ形式の食事を受け取りに行く。朝からいっぱい食べた。食べ終え食器を洗い場のひとに渡すとすぐに会場へ向かった。開始まではまだ時間があったためかひとがまだそれほどいなかった。
私は適当なところへ腰掛け、パソコンを開き、作業を再開した。時刻になり自分のチームの席がわかる。移動する。延長コードが来る。パソコンを開く。ひとが増える。
二日目の開始時刻に合図がある。昼になる、天気が良い。散歩して、帰ってきて、また散歩する。まるで対局中の棋士のようだと私は思う。漠然としていたものがハッキリしてゆく感覚はとても心地よく、それは麻薬のようだった。あるいは実際そうなのかもしれない。脳内麻薬が大量に放出されていたのだろう。
興奮状態になった私は、よく喋り、よく笑い、自分が対人恐怖症であることなど忘れていた。運営の方が、ノベルジャムどうですかと聞く。楽しいです、と私は答える。別チームのひとが、調子はどうかと聞いてきた。「順調です。ちょう順調です」、そう喋っている自分に軽く違和感。こんなふうに気楽にひとと話せたのは私には珍しいことだった。そのくらい高揚感があったのだ。
散歩から帰ってきて初めて、会場には打鍵する音しか響いていないことに気がついた。真剣に、集中して、作業に打ち込むその姿。その空気は得も言われぬ一種異様なものであった。
席につき、作業を再開する。夜九時、ほぼ終わったと判断し編集者さんにその旨を告げると私はさっさと部屋に戻り、眠ることにした。ときおりスマートフォンへメッセージが飛んでき、あきらかに破綻している部分や訂正すべき箇所を指摘されあわてて修正を加える。
三日目。午前三時に目が覚める。スマートフォンをみるとメッセージがある。訂正箇所がたくさんでてきたということであった。さっそく会場へ向かうと、グーグルドキュメントにはたくさんのコメントがついていた。完全に見落としていたところや直したほうがよくなる箇所を修正し、これは譲れないという部分は編集者さんとよく話し合い、足したり引いたり直したりを繰り返す。
できた。提出する。一番乗りだった。三日目の、正規の開始時刻はその数時間後に訪れた。
電子書籍にするため作業を開始。あとは発行ボタンを押すだけの状態にする。昼。食事のあと、全員で一斉に出版。ツイッターに作品URLをシェアする。
編集者さんによるプレゼン。これはかなり面白く、このプレゼンだけでひとつの作品として完成していたように思う。あとは審査を待つだけ。もういじることはできない。ただし、どうしても直したい箇所がある場合、その箇所と理由をこちらに伝えてくれと説明がある。
しかし私は、読み返しもしなかった。できなかったのだ。早ければいいというものでもないだろうし、もっと推敲すれば完成度は高められたかもしれない。最後まで粘れば、与えられた時間をフルに使い倒すことができれば、せめて誤字脱字くらいは減らせたかもしれない。しかしもうそのような、集中力のいる作業ができる状態ではない。眠気と疲労。時間があるのに、やらなければいけないことはわかっているのに、体力が限界でできないもどかしさ。机に突っ伏して待つ。
結果から言うと、私、根木珠の『ひつじときいろい消しゴム』は特別賞をいただくことができた。
私はあまりのことに、椅子から立ち上がるとその場でくるくると回ってしまった。
受賞することは、参加することを決意した時点ですでに諦めていたからだった。私には技倆が足りない。でも楽しそうだから参加してみたい。そう思った。こわかった。不安だった。ほぼ毎日のように緊張していたせいか、当日が訪れたことで安心した。これでやっと、この高い緊張状態から解放されるのだ。そんな心構えでいたはずなのに、受賞者が次々に発表されていくにつれ、なんだか涙がこみあげてきた。ああ、自分はだめだ、と思った。己の修行不足を悔いた。
それだのに、受賞とは、いったいどういうことか。
編集者、デザイナー、もうひとりの著者による、嬉しい褒め言葉や徹底的なチェック、厳しい批判など、彼らの言葉があったればこそ、できあがった「書籍」であった。それが評価されたのならば、この賞はチームへ与えられたのだ。そう思った。それに、と思う。最優秀でも優秀賞でもなくなぜ「特別賞」なのか。そこにはなにか、あまりにも至らなさすぎてとてもじゃないがこれを推せない、というなにかがあったのではないか、などと悲観的に勘ぐっていた。
審査員の方々は講評で、このセンスは天然のものなので大切にしてほしい、と仰った。筆を折ることは考えていなかったものの、失意のどん底にあった私は、その言葉に、許されたような気がした。もっと磨いて、ということだった。救われた。書いていていいんだ。私は。そう思うことができた。
私は正直、小説を書くことを(生きることを)諦めようと思ったことがある。しかし、そのように読んでいただけて(あなたはOKである)、私はこれからも小説を書いて(生きて)ゆこうと思うことができた。
ありがとうございました。
参加を検討中の方はぜひ、一生に一度でもいいから参加してみてほしい。なにかしら得るものがあるはずだ。
すべての創作家の、健闘を祈る。
根木珠
根木珠 プロフィール
1983年1月26日生まれ、埼玉県出身。
中学を卒業後、飲食店にて住み込みで働く。
その後、退職。
一人暮らしのフリーターをするも体調を崩す。
ドロップアウト組。
興味関心:言語学、民俗学、文化人類学、その他
ブログ:根木珠たまねぎ日記 https://pcu28770.wordpress.com
文/米田淳一
睡眠は大事です。とくに今回のノベルジャム2018でそのことを痛感しました。
とくに根木珠はよく寝てました。というか、寝て貰いました。仕事の質がメンタルに一番影響されると想定した私は根木珠が寝たい、というのにはすぐに「いいよ」と無理させないことに留意しました。
そして森山・杉浦の両名はタフですが、あえて眠って貰いました。森山はそのうえ特に5分だけ座ったまま眠るという特技を持っています。たしかにしっかり5分ほどで見た目にわかるほど回復します。すばらしい。
睡眠についてはいろいろな書籍が出ています。というか今、ちょっとしたトレンドですね。
眠りはじめのノンレム睡眠(脳も身体も眠っている睡眠)と、レム睡眠(身体だけ眠ってて脳は起きている)があることは有名です。ノンレムのほうが眠りが深く回復効果も大きい。そしてそのピークは眠ってからの最初の90分に来るとされています。あとはノンレムとレム睡眠は交互に繰り返します。
森山はもしかするとノンレム睡眠を制御出来るのかも……すげええ。
で、私・米田なんですが、実は不眠症です。寝るときには睡眠導入剤と睡眠剤を飲んでいます。
と・こ・ろ・が。このノベルジャム中でそれを飲めたのは1日目の夜のみ。2日目は寝過ぎを警戒して飲めなかった。それがいかに悲惨な結果になったか!
その90分、黄金の90分だけでも眠れていたら! 今思うと後悔しかないです。
睡眠不足は人間をテキメンに弱らせます。かつてナチスの拷問で一番キツかったのは「眠らせない」だったそうです。飲まず食わずとか身体を痛めつけるよりも一番恐ろしかった。そしてエジプトのピラミッドの副葬品には睡眠導入剤になる薬草があったそうです。
眠らないってのはほんと、怖かったんですね。
寝ましょう! 起きてなにかしてると前に進んでいるように思えますが、それは錯覚です。
敢えて寝る勇気を! 眠りましょう勝つまでは! 90分でもうほとんどオールリペア、全回復なんですから!
それが今回のノベルジャムの「夜を制するものはノベルジャムを制す」だったんでしょうね。思えば第一回の、そして同時にここまで唯一の最優秀賞の新城カズマ先生も家帰ってしっかり眠ってたな……。
でも、みんなで夜を過ごすのも楽しいんですけどね。
そこは各チームの方針次第かも知れません。でも、寝るのと起きることのメリハリをつけたほうが有利そうです。徹夜組、傍で聞いてると話がループしてるとこもありましたし。
……うぬぬ、それを実証するために、また次のノベルジャムに参加したいなあ……!
↑懲りてない人。
ノベルジャム2018も終わり、作品は次のフェーズ、すなわち販売の方にシフトしています。文芸作品を競う大会なので著作それ自体が評価対象になるのは当然ですが、今回初めて公募されたデザイン部門へ言及は、あまり多くありません。確かに極めて高い専門性を持つデザインという領域を評するのは簡単ではありませんが、それでも今回、公募デザイナーの手がけた表紙を並べてみると色々とわかってくることもあるので、それら考えたことを書いていこうと思います。
特に私の学びとなったのは「作家性とデザイン性のバランスについて」です。これは自分が作家性をほとんど伴わない、ADやSPのデザイン、というよりむしろディレクション側であるので、自分の制作スタイルへの自問という観点からも今回多くを学べたことでした。
もう一つ、販売開始からの動きの中で感じた、低価格帯電子書籍の購入決定における仮説インサイトです。「タイトルを見て中身が想像できそうなものは外した」という意見は一見エクストリームな考え方ですが、この点を考慮してデザイン上どのように情報設計するか、は、一考の価値はあると思います。
また上記の課題とも被るのですが、電子書籍におけるアオリ帯の有無について。これは今回デザイナーで参加された波野發作さんが得意とするデザイン戦術で、私も基本的は必要だと思っているのですが、出会い頭に本と出会うリアル書店と違い、販売側が前段から購入動線を設計しやすいWebの場合、デザイン上果たして必要なのか、という問題です。
商品パッケージはそのまま、消費体験の予感を伝えなければなりません。その伝では昨今の、特に食品のパッケージなどはスペックや官能ワードの羅列で、パッケージ自体がほとんどPOPと化していますが、翻って電子書籍の場合はどうなのか。
読書という体験価値をどう伝えるのか、カッコよければいいのか、中身の説明にちゃんとなっていればいいのか、購買プロセス全体で考えた場合の表紙の情報はどうあるべきか、など、電子書籍のデザインについて論点はたくさんあるように思います。
デザイン、特に商品の販売に関わるデザインの場合、デザインそれ自体が何かの価値を持つものではなく、使われたり、顔になったり、情報を渡したりするコミュニケーションの手段であるので、ノベルジャムの現場でこういったものの開発を目的としたデザイナー公募が登場し、セルフパブリッシングにおけるデザインの役割について議論が進むのは本当に良いことだと思い、思わず筆をとりました。
ノベルジャム2018において個人的に素晴らしいと感じたデザインは、渋澤怜(著)澤俊之(デザイン)の「ツイハイ」の表紙です。
なぜ素晴らしいと感じたのか。直感のまま「これいーねー」と言っているだけではいけないので、言語化を試みます。
まず前提として、通常の商業デザイナーは、対象の商品やサービスが見込み客である生活者に何をもたらすのか、いわゆるベネフィットを上手に伝達するコミュニケーションを目指します。本の装丁は私は素人ですが、本もまた同じロジックであるならば「読書体験の予感をデザインする」ということになります。注意すべきなのは「内容の要約」ではない、という点ですがこれについては別段で後述します。
書籍の購買決定における新しいインサイトなのか?
今回様々な場所で作品への言及がなされていますが、購入者がどの作品を読むか検討する際に「タイトルを見て中身が想像できそうなものは外した」といったコメントがちょいちょい目につきました。実はこれは書籍の購入決定プロセスにおける重要なインサイトではないでしょうか。
生活者には通常、よく知らない商品の購入を検討するとき「失敗したくない心理」が働きます。だから特に店頭では過剰なほどのPOPが氾濫する。購入検討に対する情報提供も過剰となればただのノイズで、このため購入者は無意識に「信用度」で情報をフィルタリングしています。WhatよりWhoを重視する姿勢などもこれにあたります。ヴィレッジヴァンガードの店員POPがこのタイプの極北と言えますが、価値伝達、という視点では発信源が異なるだけでメーカーPOPと基本的には同じものです。
「何が入っているのか」「使うと何が起こるのか」という体験価値の伝達は、アプローチの違いはあれど商業デザインにおける、それだけ重要な課題です。
ゆえにこの「タイトルを見て中身が想像できそうなものは外した」は、読書における体験価値の捉え方において極めて示唆に富む態度だと思うのです。
もちろん売価の問題もある。2000円3000円の商品ならば、購入者は必ず中身を確かめる。けれど200円という微妙な売価設定の場合「失敗したくない心理」は既に売価の段階で解決しているとも考えられるので、その仮説に基づくならば、例えば「ごくライトな未知の体験」を商品の提供価値のコアに据えた場合、その先のトライアルに導くためにはむしろ情報は少ない方がいい、という議論も成り立つわけです。
未だ仮説の段階ですが、これを「単価の低い電子書籍の購入インサイト」と仮定して今後ナレッジの蓄積が進めば、タイトルとデザインも含めた情報の作り方が変わって来るかもしれません。
「ツイハイ」のデザインの凄さ
で「ツイハイ」の表紙なのですが、私が今まで商業デザインの世界でやってきた事の真逆を行っているように見えて、実はかなり緻密な設計がされているよう感じました。ベストセラーはないかもしれないが、わかる人には熱狂される、という販売ストーリーを最初から意識しているように見えます。
デザイン上の構成要素はタイトルの「ツイハイ」と著者名、謎のアイコン(それも油絵で描かれている)。たったそれだけの要素ですが、戦略的に構成されていると感じました。
まず「ツイ廃」というスラングで読者をフィルタリングしている。ツイハイ(ツイ廃)が何かわかならい人はこの時点で見込み客から外れる。次にフィルタリングされた読者ですが、彼らはTwitterのヘビーユーザーなので、デザインはひとまず彼らに対するアプローチになります。普通であればここで、いわゆるデジタルチックなポップ感や、SNS世界を感じさせるパーツなどを使いたくなるのが人情なのですが、シンプルな構図の油絵という異物を持ってきている。タイトルでフィルタリングした上で、その先に答えではなく別の謎を用意することにより「想像のできなさ」=「想像したくなる何か」を強く補っているように感じます。
その上で、前述したインサイト(仮)を捉えるならば、ここでの「総体としての情報量の少なさ」も、トライアルに一定の寄与を、つまり「ツイハイ」でフィルタリングされた以外の層への訴求力にもなり得ている。よくできたジャケットだと思います。
ついでに言えば「ツイハイ」のフォントの作りも素晴らしい。カタカナの「ツとイとハとイ」のこの並びは、比較的ゲシュタルト崩壊を起こしやすい文字列だと思うのですが、崩壊をおこなさい、かなりギリギリのところを攻めている感じで、すごいな、と素直に思いました。
また後述する作家性とも絡むのですが、ツイハイの場合、デザイナーの澤さんの世界と作品世界のマッチングの異様さが際立っており、異種格闘技というか、予想を裏切る何か得体の知れないものの存在をその先に感じさせることに成功していると思います。一瞬「なんだろう」と思わせるパワーは、他の表紙より明らかに高い。この「なんだろう」という0.2秒のコミュニケーションは店頭や、恐らくはECでも大変に重要で、そこにひっかからなくては候補視野の中にすら入らない。
そこをクリアしているのならば「なんだろう」から先の、サムネイルをクリックした後の周辺情報をどうするのか、が次の課題になると思うのですが表紙評なのでこの辺りで。
いやしかし、いいデザインだなぁ。
出典:BCCKS https://bccks.jp/bcck/153419/info
【追記】その後ツイハイのデザイナーの澤さんから、担当したもう1点の作品も含め『モノクロになった際にいちばん味わいが出る』ような色使いをしているというコメントをいただきました。KindlePWは電子書籍の多数派と思いますので、この目配せは大切だと思いました。(私は盲点でした。KindlePW持って行ったのに……)
デザイナーがボランティアではなく作家と並走する形で参加したノベルジャム2018。その事の意義について、思うところがいくつかあります。3月にはグランプリもあり、デザインにも何らかの賞が与えられるそうですが、どのような視点で評価されるのかはまだわかりません。
個人的には著作者がご納得され、読者に愛され、一定の訴求力とともに売り上げに貢献すれば賞にはほとんど興味はないのですが、今後のセルパブの表紙作りのあるべき姿、その方向性を決定づける可能性があるという意味で、評価基準にはたいへん興味があります。
そんなわけでグランプリではデザインに対する評価もあるわけですが、自分の中では既に最高金賞は決まっているので、己の反省と共に書きます。
てなわけでまず反省から。
結論を言うとデザインではほとんど歯が立たなかった、というのが正直なところです。こんなことを言うと同チームの作家さんに申し訳ないのだが本当のことで、みんな著作に目がいっているけれど(当然です)デザインのバトルも実はすごかったのです地味に。
で今回参加したデザイナーはざっくりカテゴリ分けすると以下のようになると思います(間違っていたらご指摘ください)。
1 職業的ないわゆるグラフィックデザイナー
1-1 エディトリアル・装丁のプロ(A山家さん、H嶋田さん)
1-2 広告・プロモーションのディレクター(C自分)
1-3 デザインも含めてマルチでこなす出版系(B波野さん)
2 イラストや絵画など作家性を問うデザイナー
2-1 イラストレーター(E藤沢さん、D古海さん)
2-2 画家・絵師(F w.okadaさん、G澤さん)
実は自分の立場はBチームの波野さんに割と近いと思います。商材に対する販促的な作り方に、けっこう振り切っている所がある。だけど、著作者の作品の顔が販促情報でいいのか、という疑問も一方であるのも事実。PR活動も含めて評価されるグランプリがあるとはいえ、ノベルジャムで問われているのは基本、文芸としてのクオリティであって、何かのスペックを競うわけではないのです。
だから今回特に難しいと思ったのは
・作家性:その作家の著作に相応しいオリジナリティを持ち、作品と相補関係で魅力を倍加させる「作品」としてのデザイン
・デザイン性:商品としての品質の担保と情報の適切な提供を兼ね備えた、意図を持って設計された販促物としても完成されているデザイン
上記2点のバランスを行うのが個人的にはしんどかったです。というか作家性、というものがそもそも自分にはないので、まずその部分を仮構することから始めなければならなかったし、販促物としての設計も、書籍のデザイン自体が初体験なので手探りにならざるを得ませんでした。
作家性を仮構する、というと聞こえは悪いかもしれないけれど実際の制作方法なので補足しておきます。広告やプロモーションのデザイナーの多くは、0から1を作り出すのではなく、1を別の何かにするのが主な仕事で、1+1が単純に2になることもあるし、「4」や「100」になることもある。冴えた作り手なら「X」や「あ」や「#」になったりもします。
だから過去事例は基本的に参照するし、参照したアイディアや表現方法の組み合わせも試みます。特に時間が限られている場合、利害関係者間で最短でゴールイメージを共有するため採用することが多い、いわゆる「置きに行く」というやつで、自分の場合も過去のビジュアル資料は普通に参考にするし今回もしました。ヒントを得たら別の角度や異なる文脈で再演させる、というと多少はわかりやすいかもしれません。
しかしそれも、作家性の高い、その熱量の高さに裏打ちされたデザインの迫力の前には無力、とまでは言わないが差はありました。著作者さんは喜んでくれたし、読者に対しても一定以上の訴求力があると自負してはいますが、それでも、特にツイハイのジャケットを見た衝撃は、ごく控えめに言って木っ端微塵と言っていい(今回のノベルジャム作品の表紙群の中で一つの極であるように思われます)。
で問題のバランス感覚なのですが、この点ぶっちぎりでクオリティが高かったのはチームAの山家さん(DIY BABY グッバイ・スプリング)で、デザイン性においては、この方には太刀打ちできませんでした。明らかにレベルが違う。Hの嶋田さんの作品(オートマティック・クリミナル たそがれ時の女神たち)も素晴らしかったけれど、クロージングに至る情報設計まで緻密にケアした山家さんの作品がやはり図抜けていたと思います。未だに「DIY BABY」と「グッバイ・スプリング」のジャケを見ると、自分の実力の無さを責められるようでものすごく悔しい気持ちになるのです。3月のデザインに対する何らかのアワードは、この2作品のどちらかで決まりと思います。澤さんのツイハイの表紙も大好きですが、ストラテジックなデザインを標準とする風潮をセルパブ界隈で作るのなら(必要だと思う)、デザインアワードは「DIY BABY」か「グッバイ・スプリング」であるべきだと考えます。
それにしても様々なアプローチの表紙が並ぶのは楽しく興味深いものです。読後にも楽しい藤沢チヒロさんの「平成最後の逃避行」、挿絵とともに作品世界とシームレスに一体化した w.okadaさんの「味噌汁とパン・オ・ショコラ」、異物を差し込み「?」を投げてくる澤さんの「ツイハイ」、ポップなイメージの中に企みを感じる波野さんの「バカとバカンス」、萌絵の毒を中和して可愛さだけを抽出す事に成功した、古海さんの「魔法少女リルリルリルリと俺の選択」、キャラクターのシルエットから予感を生み出す嶋田さんの「オートマティック・クリミナル」、あとほかにもたくさん。
ノベルジャムは出版を再定義する、といいます。その伝では今回デザイナーを公募したのは本当に価値のあることだったと思います。特にプロットの段階からデザイナーが議論に参加するというのは出版でも、あるいは珍しい試みだったのではないでしょうか。
昨年も今回も、著者と編集が練ったプロットに基づき作品世界を表現するデザインを、デザイナーに「発注する」という流れであったので、出版の世界ではそれが普通のようです。けれど、限られた時間とリソースの中で著作と並行してデザインが走る、という特殊な状況が、想定された流れを一部破壊したと思うのです。
というのも最近、特にパッケージデザインのジャンルでは、UXの観点から、商品開発の段階でデザイナーが参加することが多くなってきています。
かつては開発が商品を作りマーケと営業が茶々入れする間に発売日は迫り、工場の都合ですぐにでもパッケージデータが必要で、とそうなってからデザイナーに依頼が来る、という実に乱暴な構図がありました。しかし最近はユーザーエクスペリエンスの概念によって、商品を消費するのではなく体験を消費する、という考え方が浸透し、その体験を設計するために割と初期の頃からデザイナーとして呼ばれることが、個人的にもポツポツ出てきています。
そうでなくとも開発の依頼で生煮え段階からコンセプトデザインを作ることは多く、とりあえずガワを作ってみてからポジショニングを詰めていくという作法は商業デザインの世界では割と普通の事だったりします。
だから生煮え上等、素のアイディアの状態からデザイナーも参加し、全体として体験の質を上げていく、という制作手法を、狙ったのか偶然なのか、出版文化の中にあるであろうノベルジャムで行われたことは興味深いと思うのです。
〈続く〉
杉浦昭太郎 プロフィール
山梨県出身
なぞの凄腕デザイナー。
二泊三日の出版創作イベントNovelJam2018に著者枠で参加してきました。体験記その一です。時系列的には後の話を先に書きます。
合宿最終日、「ほぼ本文のみ」によって審査が行われました。全体の半数が何らかの賞を受賞している中、自分の作品が何の賞ももらえないというのは結構こたえました。
①そもそも著者枠の倍率は相当高かった(らしい)ので参加できただけでも御の字
②審査というのは水物
なわけですが、優秀賞二作品は「最初の投票で圧倒的だった」ということなので、おそらくその二作品は何度審査をやり直しても選出から漏れるということはないでしょう。その領域に食い込めなかったわけですから明らかな敗北です。
「最優秀賞なし、優秀賞2つ」という特殊な結果になったのは、両作品とも「車輪の再発明」だからだそうです。
車輪の再発明とは - はてなキーワード
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%D6%CE%D8%A4%CE%BA%C6%C8%AF%CC%C0
既に存在しているものを再び一から作ること。reinventing the wheelの日本語訳。IT業界の中でも主にSE・プログラマの間で良く用いられる。
学生時代に交流のあった劇団の脚本家さんは「野田秀樹に似ている」とよく言われていました。実際、ガチで似ていました。
何を隠そう、僕がNovelJam2018で書いた作品もある部分が朝井リョウさんの『何者』と似ています。
※誰にも指摘されなかったので自分で言いました。
既存の作品との類似性の問題は、
①既存の作品の知名度
②どんだけ似ているか
によるので、一くくりにして語ることはできません。
さらに、作品を「商品」と捉えるなら、「似ていて何が悪い」とも言えます。
ライトノベルの世界では「異世界転生」(事故等で死んでファンタジー世界で生まれ変わる)の「チーレム」(主人公が反則級に強くて女の子がどんどん寄ってくる)が大人気です。これに対し「異世界転生チーレム多すぎ」という批判もあるわけですが、とにかく売上を出したいなら、流行の異世界転生チーレムをバンバン生産するのが正解です。脳みそお花畑(失敬)の読者層は「自分が知っている何かに似ていること」に反発するのでなく、むしろ安心感を覚えるものと考えられます。
審査員の先生方が「車輪の再発明であること」を大きなマイナスと判断したのは、最終日の審査において「作品は商品ではないから」なのでしょう。ところが、初日に行われた三木一馬さんの講演は、僕が理解した限り、「売れるものを作家に書かせるにはどうすればいいのか」という方法論でした。矛盾しとるやんけ――とツッコミたいわけではなく、永遠のせめぎ合いだなあと思ったのです。作者や作者サイドの審査員が「類似は汚点」と感じるのに対して、編集サイドは「そういう邪魔なプライドは捨ててきてほしい」と(たぶん)考えているわけです。
さて、ここからが本題です。(おそい)
NovelJam2018の「グランプリ」は後日、下記のように判定されるそうです。
グランプリ授賞式&審査員トークセッション参加者募集! - NovelJam(ノベルジャム)|NPO法人日本独立作家同盟
https://www.noveljam.org/blog/ee49fee9bdd
出版創作イベント「NovelJam 2018」。熱狂の中から生まれた作品が、実際に電子書籍として発売されてから約1ヶ月。その販売実績・広報活動・表紙デザインなど、チームで作り上げた「本」というパッケージ全体を評価し、グランプリを発表します。
まず、全作品の表紙とあらすじを同じ条件で陳列したら、売上トップはぶっちぎりで『ツイハイ』だろうと予想します。僕の作品は、タイトルこそ審査員の先生から褒めていただきましたし、デザイナーの杉浦昭太郎さんには訴求力のある表紙を作っていただきましたが、実際「何だか重そう」だし「堅苦しそう」だからあまり売れるとは思えません。
グランプリ審査基準の説明文では「パッケージ全体を評価」というアバウトな表現が使われています。つまり「売上トップ=グランプリ」というわけではなく、「売れるための努力や工夫」も採点対象になるということでしょう。
現時点で僕は、
①受賞しませんでしたという報告
②朝井リョウさんの『何者』に似ているぞという自白
という、売上を第一に考えるなら本来、決してやるべきではないことをすでに二つもやっています。
しかし、自暴自棄になっているわけではありません。
①受賞していないことは作品一覧を見れば明らか
②自分の作品が売れ筋だとはとても思えない
なので、もうこの馬鹿正直さを売りにしていこうということなのです。
ただ、そんなやり方を選んでいるのはやはり、売る・売れるということへの関心が薄いからなのでしょう。
冷静に考えて、
「なんて率直な作者さんなのかしら」→「買うわ」→「読んだわ」→「抱いて」
なんていう展開を本気で期待するのはおバカさんです。
以前主宰していた劇団が売れなかった一因も、僕がマーケティングに消極的だったことにあります。今の世の中、アマチュアの劇団が動員を伸ばす手段は「ファンを大勢抱えている俳優さんや声優さんを起用すること」一択です。作品のクオリティだのオリジナリティだのは二の次三の次(もとい前提条件)です。
作品は読まれなければ価値が発生しません。現時点でWEB上に歴史的な大傑作が存在しているとしても、誰にも読まれず埋もれていれば価値はゼロです。「出版も商売だから」というのとはまた別の次元で、読まれなければ紙クズです。
つまり、僕は別に売るための努力を卑しいと思っているわけではないのです。
僕が宣伝に対して尻込みしてしまう理由の一つは、宣伝詐欺に対する反感が強いからです。又吉直樹さんの『劇場』のオビには、あたかも美しいラブストーリーであるかのようなことが書いてありました。僕はオビを一切気にしないで買ったのですが、読み終わってから「このオビふざけんな」と激怒しました。出版社はおそらく「恋愛の要素をアピールして女性に買わせよう」と考えたのでしょう。しかし、あのオビに惹かれて買った人はきっと、あまりのゲスさに耐えかねて途中で投げ出すはずです。読む人によっては本当に「美しいラブストーリー」なのかもしれませんが……。
NovelJam2018グランプリの審査ではやはり「普通のマーケティング」が評価されるのでしょうか。
個人的には、「売れれば正義なのか」を考える場でもあってほしいと願っています。
チームで何かする時には、まず〝目的〟を共有する必要があります。ところが、NovelJamというイベントは「何が目的かわからない」のが特徴です。一応「面白い小説を作って売ること」なのですが、他人同士が一丸となるにはアバウトすぎます。
そこで、僕が編集者なら「各人が最大のパフォーマンスを発揮すること」を〝目的〟とします。作品が「面白いこと」や「売れること」はそれより下位に置きます。「最終日の審査で受賞すること」はそれよりさらに下位に置きます。 NovelJam2018ではチーム決定からお題発表までなんと一時間ぐらい(だっけ?)の空き時間がありました。僕はぶっちゃけ「この時間、何やねん」と思っていました。酒も飲まずに初対面の人々と一時間も交流するなんて無理があります。しかも、この時点では「交流する目的」も見えていないのです。
というわけで、僕が編集者なら、「各人が最大のパフォーマンスを発揮することが目的」と明言した上で、三人(著者二名・デザイナー一名)それぞれの仕事歴や代表作を提示してもらい、あとは無言で読み合う時間にします。そして、テーマ発表まで残り五~十分ぐらいのところで切り上げ、「それぞれの魅力だと感じたところ」を具体的に伝えます。
一日目
お題が発表されてからプロット提出(初日の夜)までの時間は、いきなり販促に使います。
批判を恐れながら言いますが、この時間帯、編集者が著者に対してやれることは何もありません。よっぽどセンスがあれば著者のブレーンストーミングをブーストできるでしょうが、かえって邪魔をしてしまう可能性が結構あります。これは本文の執筆についても同じことが言えます。「売れること」の優先順位は下位なのですが、待ち時間を有効活用するために販促をしようということです。
NovelJamには「途中経過を公開する」そして「最終的には販売プロセスも審査対象」という特徴があります。よって、「才能のありそうな著者たちが才能のありそうなことをしている様子」をリポートすればいいのです。運営が「途中経過を公開する」という仕様は――とても面白いんですが――これ自体が販促になるとは思えません。普通に考えて、プロット段階のテキストなんて、その著者のもともとのファンしか見ないはずです。初日から「販売」を意識して動けば大きなアドバンテージになります。
二日目
二日目もほぼ販促に使います。(どーん)
初稿を完成させてもらうことが最優先です。途中経過に口を挟んでも何もいいことは起こりません。というか、「各人が最大のパフォーマンスを発揮すること」が目的なので、「編集者が考える良作の条件」とか「売れる作品の要件」は無視したほうがいいのです。
無論、著者がサポートを求めているならサポートすべきです。
飴乃ちはれ@『たそかれ時の女神たち』発売中! (@chihare)
編集さんがいてくれてよかったなあと思ったのは「面白いです、さらにクオリティ上げていきましょう」ってスタンスだったこと。アマチュアで一人書いてると「面白いです」って言い切ってくれるのごく少数の友人しかいなくて、勿論それもうれしいのだけど、初対面で言われる破壊力は強かった。
https://twitter.com/chihare/status/963208136738856960
寧花 (@yagi_4zuka)
「ここ困ってる! 助けて!!」に対して即レスをくださる編集者さんが神のようだ。何もかも終わったらとりあえず拝み倒そうと思う。同じチームの皆さん本当に包容力があって、私はひたすら甘えてる。
https://twitter.com/yagi_4zuka/status/962655672411156481
↑こういう美しい世界もあったみたいです。
初稿や二稿が出たら「戻し」をするというスケジュールになっていますが、修正の要求は最小限に留めます。NovelJam2018で講演をした三木一馬さんは「編集者の仕事とは作家に売れるものを書かせること」というスタンスでしたが、今回「売れること」の順位は下位に定めてあります。よって、明らかな誤字・脱字や、どう考えても改悪にならず改善できる点しか指摘しません。
また、もう一方の著者は原稿チェックに参加させません。デザイナーには「いいことしか言わないでください」とあらかじめ釘を刺した上で参加してもらいます。
僕は今回、チームのもう一人の著者・根木珠さんの原稿チェックに参加したのですが、ほとんど彼女の持ち味に抵触することしか言えませんでした。この短い時間内で創作論を戦わせてお互い納得するなんてことは不可能です。ならば最初から関わらせないほうがまだマシです。
こういうドライなことばかり言っていると、「だからお前は34にもなって無冠なんだよ」と怒られるかもしれません。(実際その通りかもしれません)ただ、NovelJamは原稿の改善に欠かせない「冷却」の時間がほとんど取れないイベントです。冷却タイムも置かずに適切な修正を指示するのはプロでも難しいのではないでしょうか。
三日目
作品が提出できたら、全力でプレゼンの練習をします。
NovelJam2018、はっきり言ってプレゼンの水準は低かったです。みんなパワポとか奇策に頼り過ぎです。聴衆相手に何かの魅力を伝えるという基本的なことができていません。「全員疲れている」という状況に甘えているような雰囲気も感じました。
最低限、事前に自分のプレゼンを自分で録画して、これじゃ伝わらないと思った点を修正しておくべきです。ぶっつけ本番の三分間で効果的なプレゼンなんかできるわけがありません。少なくとも「自分的には完璧」だと思えるレベルになるまで練習すべきです。人前に立つ適性がないという自覚があるなら、著者自身やデザイナーに委ねたほうが賢明です。(そうしているチームはいくつかありました)
できれば、他のチームに対して「プレゼンの見せ合いをしませんか」と提案し、共同で練習します。秘匿しておく理由は特にないはずです。「人前」で実演しているかいないかで、仕上がりには大きな差が出ます。
「編集者が著者の作品をどれだけ魅力的だと思っているか」は、パワポの画面より、編集者の表情や声のほうが雄弁に物語ります。本当にすごく魅力的だと思っていても適性や練習が足りないと全然伝わりません。初日の自己PRのほうがまだいきいきしている――というのは、どういうことなんでしょうか。
NovelJamへの世間の関心は時間が経つにつれて薄れていきます。三日目のプレゼンは販促のキモだったはずです。どうも単なる「編集者の見せ場」とか「最後の山場」みたいな位置付けだったように思われてなりません。
◆目的が変わればやり方も変わる
〝売れること〟を最大の目的とするなら、何もかもが変わってきます。前述のパターンで多くの時間を販促に費やしているのは「時間を有効活用するため」であって、厳密には「売るため」ではありません。完全に市場のニーズから出発したら「創作って何やねん」という話ですが、「著者のやりたいこと」を理解し、「それならこういう市場に売り込める」と判断し、「この市場で売れるにはこうすべき」という指導ができるなら、「売れること」を第一に考えるのも面白いと思います。
〝審査で受賞すること〟を最大の目的とするなら、前もって審査員を分析しておきます(公表されているので事前の準備が可能です)。たとえば審査員にSF作家がいたら、著者にはなるべくSF作品を避けてもらいます。自分がよく知っている分野は自然と厳しい目で見てしまうからです。
〝面白いこと〟を目的にするのが、本当は一番ライヴ感があり、企画の趣旨に沿っているような気はするのですが、面白い何かを生み出したいならそもそも編集者でなく著者として参加すべきだと思います。
次はガチで編集として参戦してみたい気もしてる。でも理想だけは高いから著者とぶつかりそう。全身全霊で書いてるものに対してアドバイスするなら、よほどの信頼関係がないと。1日2日でそれだけの信頼関係を築くのはやはり難しいから、せめて同じくらいの覚悟がないと。
藤崎いちか@NovelJam2018 (@fujisaki1ka)
https://twitter.com/fujisaki1ka/status/964022873290555392
◆睡眠の取り方について
徹夜は能率が悪いそうです。『デスノート』の夜神月も「睡眠不足も敵だ。健康や思考力をそこなう」と言っていました。月くんが言うんだから間違いありません。僕自身、絶対に徹夜はしませんし、ちょいちょい昼寝をします。
ただ、NovelJamという特殊な環境下で、編集者という立場だったら、睡眠をどう扱うかはかなり難しい問題です。
長い目で見れば睡眠はきっちり取るべきなのですが、いかんせんNovelJamは短いです。寝ずにゴリ押しすることを習慣にしているクリエイターが相手の場合、「寝ましょう」という声かけが必ずしも有効とは限りません。習慣は一朝一夕で変えられるものではないからです。
それと、立場的な問題もあります。というのは「自分がいつ寝るか問題」です。
原稿チェックやプレゼンをちゃんとやるには編集者も睡眠を取るべきです。ところが、裏方であるが故に、「著者さんやデザイナーさんが起きているのに自分が寝るわけにはいかない」という心理が働くと予想されます。何もできることがない局面でも「付き合って起きているのが編集者の責務」と感じてしまいそうです。
同様に、心の優しい著者やデザイナーなら、「まだ起きている仲間がいるのに自分が先に寝るわけにはいかない」と感じるかもしれません。
重要なのは、「眠い時は寝て大丈夫な関係性を早めに築いておくこと」です。ただし、あくまでもクリエイターのスケジュールに合わせることが前提です。原稿の完成が夜中になるなら、編集者のターンが深夜~早朝に来るのはやむを得ません。状況次第では「夜戦に備えて早めに寝とく」という判断が必要になるでしょう。
〈続く〉
森山智仁 プロフィール
1984年1月10日生まれ。
早稲田大学第一文学部卒。
2002年に劇団バッコスの祭を旗揚げし、脚本・演出を担当。
エンターテインメント性の高い歴史劇や、シュール&シニカルな現代劇を手掛けた。
2016年に劇団バッコスの祭を解散。
現在はフリーライターとして活動している。
『その話いつまでしてんだよ』が初の著書となる。
→個人ブログ「それにしても語彙が欲しい」
→Twitter @bacoyama
●受賞歴
2007 第19回池袋演劇祭「としまテレビ賞」(劇団バッコスの祭)
2009 第21回池袋演劇祭「豊島区町会連合会会長賞」(劇団バッコスの祭)
2010 第22回池袋演劇祭「優秀賞」(劇団バッコスの祭)
2012 第24回池袋演劇祭「としまテレビ賞」(劇団バッコスの祭)
2013 第25回池袋演劇祭「大賞」(劇団バッコスの祭)
ノベルジャム2018が開催決定となった。
そのノベルジャムの前回で、米光一成賞というステキな賞を受賞できた私だが、終わってから独特の悔しさに苛まれていた記憶が戻ってきた。
嬉しいのに悔しい。受賞できたのでマシな方かも知れないけど、それでも自分のいろんな甘さが身に刺さり続けた1年だった。でも、刺さったそれが1年間、自分を厳しく律してくれた気がする。セルフパブリッシングでの1年間本36冊刊行計画の完遂もその一つだ。(マジで36冊出しちゃった……)
ならば、その成長をどこかで測ってみたい……そんな欲が出てきた。
できれば著者として参加したかった。
しかし後に、運営から著者参加枠が高倍率になっているとの通知が来た。つまり、落選の可能性がある、と。
?? これは、今流行の忖度をせよ、ということか?
そこまでして参加したいのがノベルジャムだったか?
少し考えた。
それでも楽しかった思い出と悔しさと欲が走った。
そりゃ参加したいよ。だってすごく楽しかったもん。前回。
前回のレポ:食い詰め作家のノベルジャム参戦記!
http://selpab-de-kueruka.blogspot.jp/2017/02/blog-post.html
というわけで、編集としての参加を併願することにした。
そして、結局、『編集参加すべし』との決定が来た。
やっぱり編集かー。ジョブチェンジさせられちゃったなー。
来た以上は完遂を期すしかない。だが、私には編集経験はほぼない。そして致命的なのが校正がメチャメチャ私はヘタなのだ。最悪である。どうしても速読モードと校正用の1文字拾い読みモードがなかなか切り替えられない弱点がある。これはどう考えても不利だ。
だが、有利はあった。私の家は開催会場・八王子まで電車だと時間がかかるが、車で行けばたったの30分の距離にある。家の真ん前の国道129号から国道16号・八王子バイパスですぐである。
よし、機材を持ち込もう。能力がなくて出来ない分、この有利を活かして戦うしかない。
本当は家で使っている全ての機材を持ち込む気だった。モニタは3台、3DCGを高速でレンダリングできるi7コアを積んだ母艦タワーPCも持ち込む気だった。だが早速無線LANアダプタが無駄になった。リモートデスクトップで十分だったのに気付いたのが無線LANアダプタを買った後だった。早速2000円以上損した。地味に痛い。
そして持ち込めるスペースも狭いようだった。結局22インチのディスプレイ1台だけ持ち込むことにした。でもこの1台をどう使うか。どう運用するかが見えなかった。それでも想定をできるだけした。
混乱するであろう進行管理などの必要な帳票類もできるだけ準備することにした。当然のことだけど、それが現場になると案外出来ない。
でも、ノベルジャム自身は楽しいイベントだ。同じクリエイティブに自信がある人間が32人もあつまる。それが楽しくならないわけがないのだ。
到着
車を運転して会場に着く。途中のバイパスはスムースで拍子抜けした。でも着いてみると予想したとおりの山の中だ。しかも山の傾斜をそのままにした建物群。隣の建物に移動するにも必ず階段。バリアフリーなどドコ吹く風である。移動には体力を強烈に消費しそうだ。チームを組んだ人間に無駄足はさせられない。
私の方針は決まっていた。作家が書きたいものを書いて貰う。ただ、書きたいように、ではない。わからないところは聞く。あと、書きにくければ書きやすく支援する。できるだけ書くことを楽しめるようにする。それが編集のはずだ。
だが、私にできるだろうか。やることはひたすら段取りを整理することだ。でもそれに私はあまり慣れていない。
不安の中、会場を散歩した。幸い天気は晴れていた。夜は雨が降るが、そのあとは晴れが続くらしい。
でも、このとき、賞とかなんとかの前に、また多くの独立作家同盟の聡明な仲間と再会できる喜びが大きかった。しばらく私の都合で会えていなかったのだ。そしてまた新たにそれに仲間が増える。これが嬉しくないわけがない。
ついでに早く着いたので周りを車で流した。とはいえあまりウロウロしたくないので、最寄りのコンビニを確認した。車で5分だが、なかなか距離と勾配がある。気安くいける距離には私には思えなかった。そこでおにぎりを4個買った。2個食べて、2個は夜食に残した。これが後に正解だったことがわかった。また家からアクエリアスの大きなペットボトルも持ってきていた。これも正解だった。
散歩というものは毒を散らして楽になるために歩くから散歩というと聞いたことがある。歩いて行くうちに気持ちが軽くなった。思えば自然の中を歩き回ることからも離れていた。良い機会になった。
そう。このときはそう思えていた。
会合
会場に人が集まり始めていた。仲間と再会する。それだけで楽しい。
そして「あ、米田さんはCね」と言われる。ナンダソレは。
どうやらCのテーブルで作られた島が私の席らしい。
座ると、この段階では他のデザイナーや著者は自由席、編集者のみ席が指定されていることがわかる。先着順でテーブル分けしたらしい。
座っている他の参加者を話をする。たまたま目の前に鈴木みそ先生が座っていた。でも、みそ先生がマンガ家で、『ナナのリテラシー』といった名作を擁しセルフパブリッシングで1000万円稼いだ人であることを知らない人ばかりだった。これが現実だった。まあ、作家とはそういうものだ。そうは見えない名作家はどっさりいる。私も決して名作家ではないがそういう扱いをされてきた。でもみそ先生でさえもそうなのか。
「生で鈴木みそ先生に会えるなんて。これこそ生味噌ですよね」
室内が寒かったのは冬だからだけではなかった。でもみそ先生は慣れているようだった。そうだろうなあ。
運命
チーム分けが始まった。
チームはなんとねるとん方式。編集者プレゼンを見た後デザイナーと著者が編集者を選び、応募者多数の場合はじゃんけんあるいはくじによって編集者を争奪するという。
ひいい。これ、誰も来なかったら悲しいぞ。なんという残酷。
でも思えば、私の人生はこういう審査を回避する人生だった。
にげちゃだめだ、にげちゃだめだ。そんな言葉が脳裏をよぎった。
プレゼンは3分。バッチリ作り込んだ。私の一番作りたかった鉄道模型、自作オリジナル周遊列車〈あまつかぜ〉の動画をYouTubeにアップするときに使うテーマ曲「ラヴァンディーア」で作ったオートランプレゼン。
規程の3分目には歌詞の「あなたの今を頂戴」の部分になる。
用意は完璧だった。
それが接続不良のHDMIケーブルが容赦なく、完膚なきまでに粉砕してくれた。オートランするプレゼンなのにまともに再生してくれない。流すだけで良かったはずなのに、これでは何もわからない。
誰も来ないだろう。でも、それでいい。誰が来ようと、存分に楽しんで書いて貰うようにするだけだ。書き手を『使う』なんておこがましい。デザイナーを『使う』なんておこがましい。私にそんな上から目線になれる編集の才覚はない。だから、なんとか協力し合ってともに完走を目指す。それも存分に楽しんで。どっちみち選抜された参加者だ、みんなそれぞれ才能の輝きを持っているはずだ。
だから、選ばれる必要はない。
だれになろうとも、がんばるのみ。
結局、応募多数になったのは大手出版社の現役編集者だった。ほとんどが集中した。
そりゃそうだろうな。
ただ、それがベストとは私は思わなかった。
現役編集がなぜこんなところにくるのか。その理由は……まあいい。
でも、ノベルジャムではどんなに嫌われた編集でもだれかが来るのだ。
「基本、諦めてください。諦めてこそ、浮かぶ瀬もある!」
ケーブル不良でまぼろしとなったそういうプレゼンは、私の偽りない本心だった。
でも、目指すのは成果だった。それも、内容の充実による成果だ。
やるしかない。
作っておいたExcelの工程管理表を開く。
さあ、始まるぞ。
結成
チームはさっきまで話していた杉浦昭太郎さんと一緒に話をしたことのある根木珠さんだった。幸運だった。
唯一面識がないのが森山智仁さんだった。(以下敬称略)
なんとか森山のことが知りたい。森山と打ち解けたい。ところが私はそのための冴えたノウハウをほとんど持っていなかった。森山の作品を拝見したものの、私はまだ理解は不十分だった。どうやって理解を深めるか。そのことについて整理しようにも実際整理が出来なかった。
どこか自分の気持ちが上滑りしていて、3人に不安を抱かせているのではと思い始めた。
その私の不安は高速増殖を開始し始めた。
そしてお題が発表された。『平成』。ええっ、ナンダソレは。
でも考えれば深いお題だ。
直球で行くか、変化球で行くか。でもただのSFでは多分競合多数だとすぐに直感した。
競合は回避したい。
そのうちに三木さんの講演が始まった。
途中からまったく頭に入らなかった。入れることよりも、チームビルディングのやり直しの事ばかり考えていた。
思えば、この時点で私はすでに失敗していた。
開始
ブレーンストーミングを開始した。みなしっかりやってくれていたが、森山がどうもピンときているように見えない。
私は『これはまずいぞ』と思っていた。とくに私は普通に判断して出たアイディアに『いいですねえ』といっていたのだが、このときはよく考えずにのべつ幕無しに褒めていると思われて、二人を不安がらせたらどうしよう、とまで考えていた。
杉浦がテキパキとデザインを進めていく。私は感心するしかない。さすがプロの仕事だ。著者二人にインタビューをして素材探しなどもバッチリである。
その杉浦に2日目からは持ち込んだディスプレイを貸した。これはものすごく効果的だった。デザイン作業に大きなモニタがあると効率は大きく向上する。22インチパネルは1台ならこの45センチ幅テーブル2つの仕事場にはちょうど良い大きさだった。のちにデザイン作業が終わったら私がこのモニタを使った。事務作業でもマルチモニタの作業効率向上効果はバッチリである。
根木珠も森山も集中して原稿を進めている。
私は邪魔してはいけないことを察し、森山の過去の作品を読んでなんとか森山を見極めようとしていた。力があるのはよくわかった。
楽しくなってきたが、不安もどこかに感じていた。
焦燥
森山のプロットがようやく上がった。いくつか確認したかったのだが、ここで私に遠慮が働いた。プロットと言うけれど、その中を見ると実際書くに当たって迷いそうな要素が多い。
私はプロットを基本書かないし、書くとしたら迷う要素を全部確定してしまった形にする我流でやってきた。
……スタイルが全く違う。でもそれは彼が体系的に劇作家として学んだ結果なのだろう。私は不安だったが、彼と彼の体系的な学習を信じることを選択した。キャリアもあるし。
それと、モチーフがド直球な所も気にかかった。ド直球は問題ない。ただ、相手が劇作家であることが不安要素だった。演劇の世界というと結構政治的にきわどいところを攻めるイメージがある。たしかにきわどいところがある作品だ。日和りすぎてもダメだが、まさかのデッドボール側になったら? 昔私がそれを気にしないでSF『プリンセスプラスティック・エスコートエンジェル』を無邪気に書いて、その結果それをそのアニメ化中止の口実にされた苦い記憶が蘇った。森山の能力と真意は計り知れないが、あの悔しさは味わわせたくない。
正直私はびびっていた。
そこで取りあえずある程度書いて貰うことにした。書ききったあとでそこは調整しよう。大ハズレはしないだろう。
根木珠の方はもう実質的に脱稿状態だった。了となっていた。ちなみに後で聞いたら了は原稿の最後を示すだけで本では使わないらしい。でも今は了を使っても良いという。なんと私とも違ったスタイル、ザクザク頭から終わりまで本文をそのまま書くやり方だった。
……全くわからん。この時点でさっぱりわからん。だが、すでに何か不思議な強い魅力がある。私は直感的に、これをだらだらやらせるべきではないと思った。適正な目標とする長さはチョイ短め。
そして一つ企んだ。この不思議ちゃんの魅力は強い武器になる。特に今回は本文審査後がある。本文、ということは本文ではないものもあるわけで。
というわけで彼女に余った時間に採点には関係ないこの参戦の様子のあとがきを書いて貰うことにした。読者にとってこの話は不思議すぎて読んだ後宙に浮くし、長すぎると今度は冗長を感じさせる可能性がある。それを私は警戒した。
そして読者には読んだ後にきちんと書くことも出来る筆力であの魅力を『自分に降ろし』ていることをやっていると示したほうがいい。人を選ぶところもある作品だが、作者当人に興味を持つ感じの本にしたい。本作りが今回のノベルジャム全体のテーマだなのだから。
また、根木珠は作品を『降ろし』続けるとドンドン精神的にも肉体的にも消耗するのが目に見えている。早めに脱稿させて休ませたほうがいい。休ませて睡眠取らせてから状態を良くして入稿するのが良いフィニッシュだろう。やはり片方面識がある作家と組めたのは幸運だ。その幸運で、もう一人、森山ともいい作品を作りたい。
さらに欲が出始めた。
管理
そのなかで、私は #ホワイトCチーム というハッシュタグを作っていた。作家をいじめたところでいい作品ができるわけじゃない。また徹夜は良い仕事の敵だ。パワハラと過労が今世の中で問題になっているが、このノベルジャムは出版という世界の一つの縮図でもある。
3人をうまく調整し、3人にいちばん良い仕事をさせるのが編集の最大の仕事だ。もともと書ける人しか来ないのだからそれは自明だが、今思えばそのことをもっと意識するべきだった。だが、薄々と私はそのことに気付けていたのだ。
片方、パワハラは厳禁というのははっきりわかっていた。お陰で4人は初めから4人で食事を楽しく取ることが出来た。ただ初っぱなのチームビルディングの時に痛めた胃には1日目のお肉はちょっと硬かったのだけれども。
私は結構臆病なのだ。え、書かなくてもここまででわかってる? 恐縮です……。
仮題
難航したのが作品タイトルだった。
編集が付ける例もあるのだが、これまた私の苦手の一つである。というか苦手だらけだ。なぜ編集になったのか、ここでまた激しく後悔する。
だが、杉浦がその点凄まじくスキルフルだった。広告のプロだけあって、売り方についてはすばらしい知見をもっていた。
森山が最初付けたタイトルはちょいと過激だ。オラオラ系。でも作品にはとてもあっている。
だが森山は迷っている。自分で付けたが納得がいかないようだ。私はあってるけどなー、と思ったが、著者の納得がいくのが大事である。杉浦も同意見だ。とりあえずこれは仮タイトルで保留しておくこととした。
根木珠のタイトルも難しい。なにしろとても不思議な作品なので雲をつかむようにまとまらない。しかし作品のなかから不思議な作品らしく不思議なタイトルを付けるべきなのはわかった。決まったタイトル、「ひつじときいろい消しゴム」は本人も納得した。
表紙作りを杉浦がするという。イメージが湧いているらしい。片方はタイトルは仮だが、そのまま作って貰うことにした。サクサクとラフを描き始める杉浦。すばらしい仕事ぶりだ。手書きでコンテを描く。アイディア的にも一発オーケーのクオリティ。森山の作品のほうのはやや不謹慎ではあるが攻めた内容が作品にぴったりだ。根木珠の作品のほうのはいかにも女性が好むスタイル。すばらしく綺麗だ。
杉浦は電子書籍の表紙とはどうあるべきかの研究PDFを貰っていた。ただでさえスキルフルなのに幸運にも他のチームに行ったデザイナーのそのPDFを開催前の雑談で盛り上がって貰っていたのだ。その杉浦と組めたのは本当にシアワセだ。
私はツイてる!
夜戦
夜を制するものはノベルジャムを制する。ほんとうにそうだった。
今回宿泊つきだったが、なんと相部屋。しかもチームごとに部屋が与えられるのではなく、別チームの人間とのシャッフルであった。
……休めない……。ひいいい。
そう思っていたが、同室の山田しいたさんと打ち解けた。しいたさんは実にステキな方だった。私はしいたさんのSFについての不安を、SF作家として「いっちゃえいっちゃえ!」と払拭して応援した。私、ホントはSF作家なんすよ……昔早川から出してたんですよ。あとで早川とはケンカしちゃったけど。
今思えば『SF警察』となってしいたさんのSFをけちょんけちょんにして不安に陥れれば競合相手が減ったかも知れない。が、私のチームでは森山も根木珠もSFではない。そしてSFが混戦になるなら、SF同士でつぶし合ってくれれば入賞の椅子の争奪は相対的に有利になる、という計算もなくはない。
でもそれ以上に、面白いもの書いて欲しい。作家としての素直な気持ちが優った。足の引っ張り合いは結果悲惨にしかならない。いらないことでカルマをためるとろくな事がないのも自明だし。
しいたさんとは結局3DCGの話とか職業病の雑談も出来た。おかげでこういう場でも比較的よく眠れたし、その前の寝部屋での作業も二人並んで十分に出来た。「これ、ツイートで『ワレ、夜戦ニ突入ス』ってツイートしたらすごく誤解されますよね!」という冗談まで出た。シャレにならん……。というかノベルジャムをネタに新本格だのなんだのの話がどっさり書けると思う。こんなネタ豊富なシチュエーションはない。しかもこれが実話なのだ。物語を書きながら物語の中にいるメタSFも、ほかにもいくらでも可能だろう。とくにノベルジャムのシチュエーションは出版界、日本社会の縮図にもなっているのだから。
体力が尽きかけていた。私は私の秘策を使うことにした。私のキャラにエネルギーを貰うことにしたのだ。私自身そうやって生きてきた。
うちの初代メインキャラ・女性サイズ女性型戦艦シファにオニギリをお供えして食べた。冗談というかドン引きかも知れないが、私はそれで復活した。
とはいえ空調の音が今度は気になる。
そこで私は隣のしいたさんに聞こえないように私がいつも携帯に入れている睡眠のときの音楽を聴いた。
ホワイトノイズのような音楽。いつも睡眠はこれである。
それが空調の音に引き寄せられる意識を戻し、眠りの集中を作ってくれた。
結果、思ったよりよく眠ってすっきりと朝を迎えることができた。
『艦これ』の遙か前に登場させることが出来たうちのキャラ・シファは、本当に最強だった。
明朝
ノベルジャム編集者の朝は早い。(いやこれ書きたかっただけじゃないのか?)
私は着替えた。『ぱぶにゃん』という電子書籍の普及を目的としたボランティアのゆるキャラのTシャツを着た。頭には北急電鉄、私が鉄道模型をやるときの架空鉄道会社の駅員の帽子(自作)。
今日が勝負だ。ボロボロになるまでやろう。
このときは、実際にさらにボロボロになるとは思いもしてなかった。
杉浦がフライヤーを作りたいと言っていた。ナイスアイディアだ。配布する効果よりも、デザイナーがフライヤーを作ることで商品としての押し出すべき魅力がはっきりする。それは私の方針を補強してくれるし、プレゼンの作成にも役に立つ。
杉浦は森山のプレゼンを作り、そのテンプレートもくれて私が根木珠のプレゼンを作る手伝いをしてくれた。本当にナイスアシストである。
混乱
とにかく事務処理で時間を無駄にしてはいけないのはわかっていた。
それが事前に準備していた事務処理の手順がドンドン混乱していった。Excelや一太郎の扱いも、ファイルの管理もミスは許されないし、まごついているわけにも行かない。その間にほかの3人の時間とメンタルを消耗してしまう。ノベルジャムはそういう事務職のオリンピックな所もある。
食事の場所へは歩いて一つ小さな峠(ホントに峠と書いてあった!)を越えないといけない。空腹と睡眠不足は判断を間違わせ、メンタルをおかしくさせる。
とくに編集という作業はいやなものだ。自信やプライド、そしてセンスを傷つけるようなことを言わなくてはいけないシーンがどっさりある。基本的に作品を直すというのはいやなものだ。程度はどうあれ、自信をもって書いたものが『そうじゃない』と言われるわけで、それで傷つかない人間は稀だ。人によっては人格を否定されたようにのたうち回ることもある。だから普通のコンペなら『趣味が合わなかった』『分野が違った』と言い訳をして次のコンペに併願する。それで普通は済む。
でも、そうはいかないのがノベルジャムなのだ。今年のノベルジャムに二度目はないのだ。このノベルジャムで精一杯やらなければ1年、ノベルジャムが最悪続かなければもう永久に入賞することはない。
またやれば良い、また後でやれば良いはあり得ない。文系の人間にはなかなかこういう場はない。このことに気付いた瞬間、ノベルジャムというイベントは牙をむくのだ。しかもこれは前もって気づけることではない。
まず普通の人ならただ書くだけでも大変なのに、会場ではそれを平気でやってのけるのが他に15人も現実にいることが突きつけられる。
早書きできるのは自分ぐらい? 隣に同じ速度でやってのけるライバルがいる。緻密に書ききるのは自分ぐらい? 隣に同じ緻密さで走るライバルがいる。普段見えないライバルが隣で書いていることがものすごいプレッシャーになる。そこで自信を持って書いていても、他のチームの作品を意識して上積みをしたくなる。不安に駆られる。――1年に1回だけだからただ手ぶらで帰りたくない!
その思いが全てを狂わせていく。
まして編集がぶれたら終わりだ。自信を失った著者に作品は書けない。私自身何度もその書けなくなる瞬間を体験してきた。でも書けないから逃げよう、なんて時間に余裕はない。むしろ私の場合は時間が敵になりやすかった。時間があると余裕を持って書けるけど、その分持て余すと余計なことをしたくなる。普段やらないことをしたくなる。その結果、その場で書いた作品の自信を失うこともある。
そしてノベルジャムに参加しようという者に自信のないものはいない。全ての参加者が自信を持っている。『書ける』と自分を思っている。
だが、ノベルジャムはそれを持っている参加者、とくに作家にそれを一度全く捨てることを要求する。謙虚に編集と話を聞いてそのズレを埋めて、埋め切らないと審査員の心に届かない。編集も謙虚になった作家に思いっきり踏み込んでズレを埋めなくてはいけない。しかもほぼ初対面の作家に。
だが、私は根木珠が初対面ではない。それが大きなアドバンテージだった。
食事
食事は4人揃って取った。行くのはこの合宿所の食堂、峠を越えていく。学生相手の付属食堂なので独特のルールがある。洒落たレストランやカフェと言うようにはいかない。それでもよくやっているほうだろう。
「米田さんは九州の人ですか」
と杉浦が聞く。「え?」
「いや、謝るときに『ごめんけど』というから」
ああ。なるほど。
私はごくわずかであるが駆け落ちで九州小倉に行っていたことがある。いまだにその癖が抜けないのだ。
そういえば、この日はその駆け落ちで行った元嫁の誕生日だった。
その話をすると、『ステキですね』とみんな言ってくれた。
森山は『八王子はけっこう地元なんですよ』と話していた。『ホームゲームですね、ついてますよ』なんて言ったりした。
ほかにもいろんな身の回りの話をした。
食事が楽しいのは大事なこと。メンタルにも直結するのだ。
私もだんだん食事が楽しくなっていった。第一回目は編集としての責任を感じてがちがちで、その上肉がちょっと硬くて胃に来たが、そのあとはそうならなかった。
そして4人で峠を越えて仕事場に戻るのだ。
毎回その坂道で、根木珠は震えていた。女性にこの寒さは辛かろう。
それをいたわりながら、作業が進んでいく。
戦友
森山はよく散歩をする。この短い時間中にそうするのは私は不安だったが、しかし森山は着実に正確に仕事を進めている。散歩をしてもその分しっかり緻密に書いている。また、5分間のマイクロスリープも特技だ。ちょっと練習したらしい。不眠症で薬を処方されている私にはとてもうらやましい。
森山は自分の仕事を全うしている。森山のペースとスタイルをこの短時間で壊していい結果になるわけがない。そして作家は断じて編集者の精神安定剤ではない。私は自分の不安と戦うことを決めた。
根木珠が先に脱稿した。かなりの完成度と思ったので、根木珠が辛そうなので『先に眠って良いよー』と寝部屋に帰した。
さらに夜中、森山が『麓のコンビニまで行って来ます』という。麓まで往復すれば40分かかる。でも、私は『いいですよ』と言った。
森山は自分を律して考えている。そのペースを乱したくない。森山の判断を尊重することにした。
森山は『みんなの分ビール買ってきます』というので、『じゃあ、私も』と甘えることにした。『でも暗いから足元に気をつけてね』と添えた。
もうすぐ森山も根木珠の作品も提出できる。早めに前祝いが出来てしまうかも知れない。ビールは実は結局飲むつもりはなかった。飲むのは終わって後泊の寝部屋で飲む。でもきっと美味しいだろう。
ここまでうまく互いをいたわりカバーし合ってきたチームC。森山との距離も詰めたいと言えば詰めかったが、そういうのを好まない人間もいる。そういうところでペースを乱すのもよくない。距離は適切であるべきだ。そして今は若干遠いかもと思ったが、適切とも思えた。
こう書いていても和気藹々なシーンも実は多い。やはり共同制作には独特の楽しさがある。
プリンタドライバの準備を始めた。1日目は無線LANが弱くて使えなかったが、2日目からは順調に使える。ただ、ソート印刷が出来ない。7部刷るには7回印刷をキュー出さなければならない。うっかり7部とやって印刷キューを出すと手で7部ぶんソートせねばならない。無駄な時間がかかる。でもこのことがリハーサルできたのは幸いだった。
あとで提出後のページ抜けを指摘されているチームがいくつかあったのだ。我々はその点ほぼスムースに出来たのだった。
痛恨
根木珠の作品は完成していた。あとは最終入稿するだけだ。
だが、確認で森山に見て貰って、根木珠の作品を見て思った私の自信がすっ飛んだ。
森山の指摘はものすごくシャープで的を射ていた。納得するところもすごく多い。
だが、根木珠の作品はそうじゃない。根木珠の作品は読者に感じさせる作品で、一切考えさせちゃダメなのだ。理詰めでやったら矛盾だらけだ。でもその矛盾すらも味わいにしてしまう『何か』がある。稚拙だと一見見るかも知れない。だが、それで済まないのがそれを装う皮を被った、メタファーになっている根木珠のバイオグラフィだ。それを『ぽん』と自然に前触れなくやってしまうのが根木珠の真の恐ろしいほどのあふれる才能だ。思えば謎の図形を書いてその後に書き出していたな……どうなってたんだこの不思議ちゃんの脳内は。
だが森山もまたシャープで素晴らしい才能を持っている。唯一足りないのは根木珠の持っている不思議というしかない魅力に対して謙虚になることだ。私は根木珠の本のKindleストアでの異常なほどの売れ行きを知っている。多くのセルフパブリッシング作家が根木珠をリスペクトしているのを知っている。そして知ってしまうと巻き込まれてしまう。知れば知るほどハマっていく。これが何故だかはわからない。
だが、わからないものにとっては不愉快に思えるだろう。きっとそれは私にとっての円城塔のようなものだ。許せない書き方に思えてしまうが人気がある。しかし許せない。書き手にとって、誰でもそういう自身の『対蹠点』にあたる書き手というのはいるのではないか。
森山が怒るのも無理はない。私だって円城塔が隣にいたら、きっとこうなる。でも、それをそのままにしたらチームは収拾が付かなくなる。著者二名でまさかそういう関係になっていたとは! 薄々思っていたが、まさにそうだった。
私は森山の熱くなっていく指摘を聞きながら、睡眠不足もあって頭が朦朧としてきた。最後に全員で、少しでも多くの目で見落としがないか確認してそれぞれ早めに提出、というもくろみは瓦解した。そんなことをしたら森山はボルテージ上がるし、根木珠はどこまでも自信を失って漂流を始めるだろう。まして森山はどんどん興奮していく。
どうしていいかわからなくなった。
とりあえずなんとかしなければ。でも何も出来ない。その無力感と疲労で私は単純な事務処理すら困難になった。疲労で手足がしびれ、目がかすんでディスプレイの文字が読めない。
完成してもう提出できるはずの根木珠の作品どころか、森山の作品の完成すら危うく思えた。ほぼ完成していたが、私が確認することができない。
唯一出来たのは、そう、『寝る勇気』というか、眠らせる勇気を出すことだった。
森山と杉浦に睡眠をとるようにいった。再集合は0630時。そこならなんとか再作業させて完走にもっていける。
でも、長い階段でまた体力を削られて戻った寝部屋で力尽きた私には、最悪の結末、編集リタイヤによる2名リタイヤ、すなわちチーム全滅が見えていた。それだけは回避したい!
しかし回避できるだろうか?
奇蹟
0330時ごろ。私はかろうじてすこし戻った体力でまた仕事場に戻った。
また体力の回復を私は自分のキャラから得た。『鉄研でいず!』の総裁の『あぶないみずぎ姿』である。これを私の視野において置いて力を貰うことにした。それはエロい姿なのでチームの中で根木珠にはセクハラになりかねず済まないのだが、それを許して貰うしかもう私に道はなかった。
そして思っていた。根木珠の作品を森山の指摘を無視して提出してしまうのもアリかも知れない。しかし森山の指摘はあまりにもシャープだったので捨てきれない。かといって普通にぶつけたら繊細な根木珠の自信が吹っ飛んで轟沈だ。
どうすればいい?
その時、Facebookのアイコンが見えた。
根木珠が寝部屋で起きている?! 起きてFacebookをいじっている!!
私にプランがひらめいた。
根木珠を呼んで、森山の指摘を森山を刺激しない形で受け止めさせて彼女の力で創造的な解決を作り、そしてそれを編集として先に提出してしまうのだ。
森山と根木珠を直接対決させるのはまずい。いくら二人が大人だとしても、それを無責任に信頼して甘えることは出来ない。
森山の指摘メモを整理しているとき、根木珠が仕事場に着いた。
根木珠との作業の時、森山の作品を根木珠に見せた。予想したとおり、森山の作品もまた、根木珠の対蹠点だった。
でも、それでいいのだ。同じ方向の作家2名では技量の優劣が簡単に付く。両者受賞は絶対にあり得なくなる。審査員の心理として同じ傾向の2作品に2つ賞をあげようとは思わないだろう。私が審査員だったらそうするからだ。その結果どちらかが手ぶらで帰ることになる。
このノベルジャムでの私の目標は両者受賞しかない。当然である。片方を犠牲にした形もあり得ないし、みんなで手ぶらもあり得ない。だとしたら、この対蹠点が2人ひけたのは幸運としか思えなかった。
全く別のアプローチで審査員に訴えかけることが出来る。しかもこの二人、森山はまさかのド直球の理不尽との対決、根木珠は極端な不条理世界。しかもどちらもその対蹠点でそれぞれ質が高い。じつによく書けている。
私は実は最高のカードを引けていたのだ。
根木珠がくるまで、よそのチームをちょっと回った。
近くの別のチームのテーブルの天王丸景虎の原稿をチラ見すると、なんと『警告アラートが鳴った』と書いてあった。
「いやいやいや! 警告もアラートも同じものだから! 白い白馬みたいなもんだから! これはないよー!!」
ツッコまざるを得なかった。よそのチームだけど、ついこうアシストしてしまう。景虎はいつものように『すいませんー!』と訂正する。
「米田さん、ついでに、この難しい世界構築をかんたんに説明的でなく表現する方法あります?」
おいおいおい! そこまで丸投げしちゃダメだよー!
でも私は、『銀の弾丸はないと思ってがんばるしかないよー』というしかなかった。
このとき、まさかその景虎が今回のノベルジャム事実上の最高賞を射止めるとは思いもしてなかった。(というわけでアシストした分なにかほしいなあ(冗談だけど)景虎くーん)
対峙
根木珠と一緒に作品を修正していたときだ。
「お前だって素人だろ! 素人のくせになんの権限があって言ってんだよ! 第一お前なれなれしいんだよ!」
部屋に、眠気を切り裂く大声が響いた。
隣のチームだ!
編集と作家が至近距離で向かい合って完全にガン飛ばしあっている。
手が出るわけでもなかったが、すさまじく気まずい空気。
さっきまでキャイキャイと楽しそうにやっていたチームも完全沈黙。
遙か遠くのコーヒーメーカーの作動音だけが聞こえる。
そして緊張。次の瞬間二人がなにをするか、とみな震えているかのようだ。
しかし、二人はなおも対峙している。
根木珠がこういうのに弱いのは想像が付く。
――この空気を長続きさせてはいけない!
私はぱっと席を立ち、隣のチームにいった。
「寝ましょう! 寝る勇気出さないと判断うまく行かないよ! みんな疲れてるからこういうこともある!」と軽く声をかける。そのとき軽く二人の肩を叩いたかもしれない。
それでもしばらくその対峙は続いていたが、私のこの行動で気まずい空気を膝カックンさせられたのか、また深夜の作業のざわめきが戻った。
でも、私はそっと根木珠に言った。
「うちもああなるかもしれない。明日は我が身みたいなもんだよ」と。
今思えば私はまだ森山が怖かったのだ。森山は才能あふれるし人格も良い。お陰でここまで我々チームCの空気もよかった。(私もほんと、こう書きながら実はすごく楽しかったんですよ)
だが、根木珠の作品が苦手で、それに対して興奮したとき、私は「しまった!」と思った。最初からの遠慮がさらに広がっていた。それを対峙にまで詰める勇気は私にはなかった。でも森山とは食事の時、冗談を言い合えるぐらいになってはいた。せっかくここまできた関係を壊したくない。私はここでもおびえていた。
私の気持ちは普段にも増してジェットコースターになっていた。(いつもそうなんだけどね……このときはヒドかった……)
喉が渇いたのでドリンクコーナーに行く。
お茶、お茶、ジャスミンティー、コーヒー。
ひいい、カフェイン入ってない飲み物がぜんぜんない!
それでもこういうのを運営さん用意するの大変だったと思うけど……それでも胃がシンドイ!
道理で食事の時のスープが胃に優しく沁みるわけだと思った。夜間には食堂開いてないので、どうにもならないけど。
で、私はドラッグストアで事前に買ってきておいたビタミンドリンクをみんなに配給、あと自分ではアクエリアスの2Lペットボトルを飲んだ。読みが少し当たった。これ、もっと持ってきてれば良かった。
でも運営さん、夜食におにぎり出すなら乾燥のお味噌汁とかコーンスープとかあれば……。うっ、すみません、贅沢言いました!
提出
根木珠の作品を提出した。今回全16作の中でのトップ提出だった。これは根木珠を消耗させないためだ。根木珠を仕事から早めに解放させないと彼女の自信がぐらつく。迷走が始まる。事実彼女は自身の作品を練り込むほど前後の整合性を失ってしまうところがある。それは自信不足、経験値不足によるところであるが、それでも強い魅力があるのだから十分だ。狙い通りだった。
杉浦が戻ってきた。森山がちょっと遅れてきた。ここで森山に私は黙って提出したことをわびた。納得してくれた。よかった!
森山の作品はさらにシャープになっていった。正直、普段私の書く作品よりシャープだ。欠点は登場人物の数の整理が足りないように思えた。それでもかなり整理してくれていた。それと言葉の終止形を単調にする劇作家らしい癖がある。これも森山は修正してくれた。それでも全てではなかったが、十分許容範囲だ。それよりこのモチーフ選びは絶対に結果に結びつく。よその作品を見たわけではない、というか全く見ていないが、今の社会でこれをやるのはかなりの勇気が必要だ。
そう、私は会場の中ではなく、社会を見ていた。おそらく審査員もそう見ているはずだ。審査員にとってこの会場の中の駆け引きなど知ったことではない。作品そのものをシャープに真摯に審査員がみているのは前回で知っている。なにより作品はその日のうちに読める形で世に問われているのだ。審査員もまた世に対して向いているのも当然。
そして審査員に絶対的に評価されるアイディアとモチーフで勝負すれば、途中で路線変更は要らない。路線変更がなければ時間も余裕が出るし、その分作家が作品に集中できる。だから絶対にぶれてはいけないのだ。そして他のチームの作品を見ずとも、SFやバイオやロボット・AIがネタ被りするのは私にとっては自明だった。平成とはそういう時代だ。でももしウチのチームのどちらかがSFをやりたいと言っても、ただネタが被るだけのSFにはならない自信はあった。今のSFのトレンドは多少なりとも知っているつもりだ。というか私、ホントはSF作家(以下略)。
森山の作品も提出できた。たしか全体の3番目の早さだったと思う。プリンタも混む遙か前だった。プリンタ作業でテンパれば判断ミスが入りやすくなる。事実、印刷してから気付くミスの修正は煩瑣な上に作業の流れに大きなギャップを生む。納得して書いてきた流れを蒸し返してしまう。
その点、誤字脱字や表記揺れの検出は一太郎がかなり活躍する。特に表記揺れの検出は人力でやるよりはるかに早く正確だ。こういう機材やソフトの用意はどんどん進んでいっている。AdobeCreativeCloudも当然、高価なモリサワのフォントも持ち込まれている。まだ2回目なのにノベルジャムははやくもそういう軍拡競争になっていた。
タイトルは森山は悩みに悩んだ末、『その話いつまでしてんだよ』という最初の案に決定した。でも初めに思ったとおり、実に内容と合っている。このタイトル、審査の先生にもあとで褒められたという。タイトルで損してる作品が多かったとの講評だったので、よかった!
4人で朝食に行った。毎食『峠』を越えて食堂まで歩く。その間、いろいろと無駄話をする。楽しい。楽しいけどどこかまだ遠慮は残っている。そりゃそうだ、3日前までまったく森山を私は知らなかった。杉浦はもっと知らなかった。根木珠は知っていたけれど。それでもほかの3人は間違いなく能力にあふれていた。
「なんか、食べてばっかりの気がしますね」
「それと登ったり降りたりばっかりですね」
そんな話で笑った。
そしてほぼ作業は終わった。
最後の食堂での昼の食事はキムチおじや。キムチ鍋のあとに作った感じ。うまみもふかくピリッとしていて美味い。最後の最後で食事がホームランだった。
「あ、これ美味いっすね」と杉浦が食べる。『お米は省略しようかと思ったけど、これ美味くて食べちゃえますね』と
でも森山は食べるのに箸しか持ってきてなくて、私がスプーンをすっと取りに行って渡した。
いや、仲間がそうなら普通そうするよね。なんかこういう以心伝心が楽しい。でも、森山も杉浦も、たった数十時間前は完全に面識ゼロですよ? それがこんなだもん。それは楽しいわけだ。
あと、根木珠が小食で食事を残すのを申し訳なさそうにしているのも、またなんとも彼女らしい可愛らしさと思っていた。
私は精一杯やっていたが、今思うと追いつくだけで精一杯だった。指示を出しているようでいて一杯一杯だった。
他の3人はそれでもよくまとまってくれた。本当に感謝しかない。
そのなか、森山には忍耐を強いていたかもしれない。遠慮させていたかも知れない。どうすればいいのか最後までその課題を積み残した。
にもかかわらず、4人は一つのチームとして、戦友として強く結ばれていた。
本当に嬉しいことだった。
私にとって、人生でトップクラスの幸せな時間だった。本当に全力で生きてる、その実感があった。普段はいろいろ別の種類の我慢ばかりだからなあ……。
絶叫
だが、最後の最後、作品のプレゼンタイム。
またしてもプレゼンが上手く行かなかった。
iPadでのパワーポイントの操作は初めてだった。でも普段使っているノートPCはまたしてもプロジェクタにつながらない。いつものPCをつなげられるD-sub変換コードを忘れてきていた。うっ、なんという失着!!
でも、慣れないが、何とかなると思った。リハーサルで操作を確認する。覚悟だけは決めた。
そして眠気でトロンとしている部屋。そうだ、あれをやるなら今だ!!
なんともならなかった。醜態をさらしただけだった。身もだえするほどの後悔になった。
眠気に覆われていた会場に絶叫を残す作戦。そしてそのあとに冷静にコントラストきつい感じでやるはずが、ぜんぜんちっとも冷静には出来なかった。ただ吠えるだけ。このときほどタッチパネル操作というUIが憎かったことはなかった。見えないタッチパネルが操作できるわけがない。このことに気付くには時間もなかった。ただ吠えただけに終わった。痛恨!!
森山との距離もさらに広がった。すまない限りだった。杉浦が慰めてくれたが、後の祭りだった。
根木珠のプレゼンが少しマシになったが、それも見られたものではなかったと思う。
最悪だった。だが、これで全ての作業が終わった。とはいえ、安堵は全く来なかった。
森山にわびた。でも、森山に許して貰えるとは思えなかった。
「まじめにやりましょうね」
森山に苦笑された。でも私はわびればわびるほど悪くなりそうに思えていた。最悪だった。
ああ、あのケーブル1本でこんな惨劇が!!
ちなみに揉めてた隣のチーム、なんとそれをラップにして歌った!
えええっ、あれ、アレも含めて仕掛けだったの!? いや、一見ガチケンカだったような……。ひいいい!(臆病)
もう、森山に期待通りに賞が与えられることを祈るのみだった。
森山はその力を持っている。私は確信していた。
「あっ!」
待っている間、杉浦が言う。
「どうしました?」
「うちの2冊、タイトル同じ字数ですね!」
!!
ひつじときいろい消しゴム
その話いつまでしてんだよ
「ほんとだ!!」
私は笑った。
冬の暖かい昼下がり、審査を待ちながら、室内にはトロンとした空気が漂っていた。
会場内では、一人、また一人と寝落ちしていく。
みんな疲れている。
でも、それは楽しい疲れなのだ。
審査
表彰式が始まった。審査の先生はものすごく熱のこもった審査となったらしく、30分遅れの開始だ。
受賞した女の子たちが抱き合って喜んでいる。ステキだなあ。
そして予想通り根木珠が受賞した。やった! しかも予定にない特別賞だ。根木珠がまさにもぎ取った!
でも根木珠の力の強さは知っていたし、そこに足りない部分を本当に補ってくれたのは森山の力だ。
これは全く私の力ではなかった。私には、私が全くのただの事務のオジサンの仕事しかしていないという自覚があった。いや、それすら満足に出来ていない。編集というに値しないことすらも満足に出来ていない。だから表彰でも喜びは半ばだった。
でも、森山は大人だった。受賞した根木珠とハイタッチしている。なんとも美しいチームの姿だった。私は心底嬉しかった。これでこそチームだ!
あとは順当にいってくれ!
だが、森山が痛恨の無冠となった。そのあとの講評で褒めて貰えたが、無冠は無冠だ。私の悔しさは時間とともにどんどん募っていった。
ちなみに隣の深夜激しいやりとりをしたチームは、なんと2名両者入賞となった。つまり、片方は意見は違ってもその向上心に火をつけて入賞に導けたし、意見が一致した方も賞にたどり付けられた。編集の彼の『編集力』の真の勝利としかいいようがない。真剣にやったからこそたどり着けた諍いであり、高みだろう。
なんというドラマチックなフィナーレ!
このドラマ的な展開のレースに、審査の先生方も審査の意見が大きく割れた感じだった。
先生方も熱心に講評してくれた。というか、この短時間に審査するのは本当に大変だろうと思う。審査するものはまた、審査されるものだ。その厳粛な状態をあの短い時間でしっかりやる。それがいかにハードか。さすがである。
懇親
そして、ノベルジャムは閉幕し、懇親会が始まった。
受賞を祝ってくれる中、森山が先生方に質問をしている。ほかの無冠の参加者もそうだ。悔しいのはわかる。でも森山は熱心にメモを取っていた。森山は本気だ。私もそれに感心していた。感心のあまり、森山といっしょに聞き回ろうとし、彼にとうとう「一人で回らせてください」といわれてしまった。済まない……森山。
私も一人になって、いろいろな感情を味わっていた。嬉しい。このときはそう思った。根木珠は人生初めての受賞でボロボロ泣いていた。でも体力の限界で内藤みか先生にお礼を言った後帰宅した。でもきっと幸せだろう。私はそれも嬉しかった。おつかれさま根木珠。
唯一にして最大の悔しさは、森山の無冠だった。私は私の非力が辛かった。嬉しさと辛さのない交ぜの中、参加者から次々と声をかけられた。なかには私を20年前のデビューから知っているという人もいた。ありがたかった。
そして、あの激しく対峙していた隣のチームの二人が、私の目の前に来て握手した。なんとアツい展開だろう! こんなの少年マンガでしか見られない。だが、現実だった。
後悔
そして宿に戻った。
すると、悔しさがこみ上げてきた。
悔しいけど、悔しすぎてTwitterに投稿しようとしては何度も書きかけで破棄した。悔しさを吐き出したいけど、それが出来ないほど疲れていた。疲れていたけれどまだ闘志が走り続けていて眠れなかった。
何も出来なかった、とすら思い始めた。
この3日間、自分が何をやったか、ほとんど思い出せない。
疲労で記憶が飛びかけていた。
あの深夜の対立の言葉は、集まった人間みんなにササる言葉だった。みんな素人か、なにかの理由でヒマな人間なのだ。それが編集と作家の立場で対等にぶつかりあうのだから、どこまでもその打ち合わせが終わるわけがない。
編集が版元の資金力をバックに『じゃ、この話はなかったことに』とはできないのである。逆に言えば、それが出来る商業出版のほうがスマートで傷つかないで済むかも知れない。お互いにすぐに次を探せるし、そこで区切りも割り切りも出来る。
だがこのノベルジャムでは全くそれができない。次はないのである。そこでプライドをかなぐり捨て、思いっきり踏み込みぶつかるしか勝ちようがない、のだろう。
でも、私はそれが出来ない。正直、そこまでしてやる必要があるのか、と思う。やってもリタイヤになってしまうかもしれない。
なんという難しいゲームだろう。でも、だからこそノベルジャムの作品には血を吐くような闘志がこもっている。普通のコンペの作品にはない種類のそういう闘志を味わうのが楽しみと言えると思う。
Twitterではこのノベルジャムの作品について「その場しのぎの作品」という厳しい言葉があった。たしかにその場しのぎかもしれない。
だが、それならそう仰る方にはこの場でその場を実際にしのいでいただきたい。しのぐだけでもどんな困難なことか。あの不安と焦燥と戦うのはなかなか難しいぞ。
正直、安全な家で引きこもってそう作品にケチを付ける奴はそれだけの奴だ。ましてもっと時間をかけて書くべきだ? 冗談じゃない。こんな過酷な日程が延びたら本当に死人が出る。そういう厳しさすらある。
そういう意見はなんの想像力のかけらもない馬の骨の意見だ。激しい失望を感じた。
悲しくなって耳鳴りがしてきた。睡眠時の処方薬を飲み忘れていた。
飲んで眠った。でも極度の疲労で眠っても身体の違和感が強かった。
失格
そして帰宅した。
悔しさしかなかった。
正直、私について、ノベルジャム編集としてはかなり失格だとすでに結論している。というか、人間としても失格だと私は普段自分を思っている。私はそもそも存在すべき人間ではない。未来などあり得ない。私にあるのは常に、他の人にメーワクをかけないための『予定』だけだ。他の人がいなければ私は存在する理由は一つもない。
だが、このノベルジャムは、実は現時点でまだ終わっていない。
アワードといってもう一回の審査がある。
ノベルジャムのイベントを通じて出版した後の広報活動や販売実績、表紙デザインなど、チームで作り上げた「本」というパッケージ全体を評価し賞を授与するイベントです。
ーNovelJam公式ページ
この「編集失格」もそのために書いているものだ。無冠に終わった森山の作品を絶対に救済したい。私の余計なミスで森山のシャープな作品が大きな損をしている。作品そのものの力を本当に解き放ちたい。私は今そのことだけを考えている。
だから私のミスをこうやって白状した次第。森山も今その作品『その話いつまでしてんだよ』の改稿を熱心にやっている。本当に研究熱心で頭が下がる。森山は優秀だし、緻密だし、きっと私より高みに上がれると思う。正直うらやましいところが多い。終わりにはそれを感じていた。
だからこそ、彼との距離を最後まで詰められず、彼の作品の魅力を語り切れなかった私は、まさしく編集失格なのだ。
白黒
だが、そこで根木珠がふっとFacebookに書いた。
あまりにも「寝てないアピール」と「ノベルジャムはまだ終わってませんよ!」というつぶやきが目立ったものですから……がんばるってそうゆうことじゃないよなと……
ツイートだけ追うと、このイベントで楽しんでる感が伝わっていないのは残念ですね。楽しかったのに。
夜食を出すというような、徹夜ができてしまう環境づくりは方向性として180度間違えていたとおもいます。どうせ徹夜すればいいやとなってしまう。過労自殺が社会的にもようやく認知されてきたというのにまるで戦時中のようで時代錯誤も甚だしいと思った次第でした。根性論や精神論を私はほとんど憎悪しているためにどうもそこが引っかかったのでして……Togetterやハッシュタグをおっていて気分が悪くなったのでした……。。。
これには本当にハッとさせられた。
根木珠の『力』はまさにこれなのだ!
マイペース。弱いようでいて、ものすごくマイペースで冷静。
だからもともとなかった特別賞を作らせ、もぎ取ったのだ!
たしかに時代錯誤のガンバリズムに参加者のみんなが未だに、終わってからも陥っている。
そもそもノベルジャムそのものも、与えられた時間を数えると、普通に書いて普通に提出する時間は十分あるのだ。
それを足りないように錯覚し、意味のない過剰なブラッシュアップをし、その結果編集ブレやリテイクをするはめになってさらに時間を無駄に必要にする。
そして徹夜になり睡眠不足でミスをしてケンカまでして時間をロスし……まさに悪循環!
――これがノベルジャムの魔物の正体か!!
私はこの根木珠の慧眼に感動してしまった。
そう、ここまでとても楽しかったはずのノベルジャムが後悔ばかりになっていたのは、睡眠不足と閉鎖環境の影響にすぎない。
これは別に仕事じゃない。
できなきゃクビになるとか、生活できなくなるわけでもない。
たかがゲームじゃないか。
ゲームとして真剣にやれば良いだけじゃないか。
そう思うと気が楽になった。
そして、それに気付くべきなのも本当は編集であるべきだよなあ、とも。
でも、ああいう場での徹夜ってのは、楽しいんだよねえ。年越しに似た不思議なワクワク感あるし。仲間と一緒ならほんと、なおさら。
とはいえ、あえて私はチームとしてはそれを強制する雰囲気にしちゃダメだなー、と思います。おびえたり焦って徹夜するのは良くない。寝る勇気を持とうよ、と思う。
いじめあっていいものは書けない。しっかり休んで、しっかり楽しんだチームが勝てると思う。それを演出するのが編集の本当の手腕なんだろうなとも。
いろんなアプローチがあって良い。でもみんながガンバリズムに陥る必要はない。いろんなスタイルがあって良い。
でも、我々チームCは、最後まで『ホワイトCチーム』で行きたいと思ってたし、ある程度いけたと思うのです。こういうマネジメントってのも、やってて楽しいんだよね。
検討
思えばなにを慌てていたんだろうと思う。時間は完全に足りていたのに。
根木珠の言うとおり、今の世の中は時代錯誤の戦時中のような余裕のないガンバリズムに侵されている。それもまた平成の本質だ。
そして、宣伝をしようにもTwitterのアルゴリズムにあっさりミュートされた「#その話いつまでしてんだよ」のハッシュタグ。これもまた昭和の終わりに起きた自粛という亡霊がいまだに、いや、さらに自動化されて続いているという、この平成の一つのおぞましい本質だ。
二人の作品は、そういう面で、しっかりとこの平成という世の中を部分の相似と全体の相似のフラクタルのように描き出していた。
ノベルジャムは「出版」を再定義するとマガジン航にあった。本当にそうなのだ。
今、出版の世界の中で出版不況と言い続け、業界の衰退を憂いながら、業界の中だけでせめぎ合い奪い合っている。そして残業をし過労死したりする。
でも、それがなんだというのだ?
その出版は出版の外側にちゃんと届いているのか? 外側をちゃんと見ているのか? 外側にはいま、真に苦しみ、困っている人が大勢いる。それも内側よりもずっと多く。
それを見失い、業界の内側で業界の事情と論理ばかり言っている。実に滑稽かつナンセンスではないか。そんな業界が支持されるわけもない。自明である。
ノベルジャムの内側と、ちょっと外側の出版の世界は相似形なのだ。そして、その外側の日本社会、平成という時代もまた相似形なのだ。
そして、それは終わらせなくてはならない。来たるべき次の時代を迎えるために。
それが再定義するという意味なのだ。
だから、ノベルジャムが出版を再定義するなら、我々参加者はノベルジャムを再定義し、それと同時にテーマ『平成』も、その外側の世界も再定義すべきなのだ。
そして届いた根木珠の参戦記を読んで、彼女が何故特別賞に届いたのか、その理由が想像から確信にかわった。
根木珠はマイペースによく食べ、よく寝て、しっかり楽しんでいた。それは身体が弱いからだけではない。なによりもこのノベルジャムを、表現をしっかり楽しんでいた。終わり頃の私にはそれが欠けていた。目の前の勝ち負けに惑わされて本質を見失っていた。
今せっかく出版の世界が変わろうとしている。そのときに、たたき売りのようなただの自分の本だけの宣伝をし、その狭いパイの奪い合いで売り上げを競うだけみたいな貧相な価値観で、出版本来の文化の豊かさが取り戻せるだろうか。それが出版の革新だろうか。
大きく変わりつつある世界に、それで恥ずかしくないか?
そのことに気付けないなら、即興芸術は芸術という深みではなく、ただのつまらない「その場しのぎ大会」に堕してしまう。
我々のやったことは即興ではあるが、まちがいなく芸術なのだ。誇りを持とうよ、と思う。
そして、その即興芸術の場が、ノベルジャムの本来の姿なのだ。
私は思う。
目的は単なる賞を取る・取らないではない。
本当に楽しかった。本当に楽しめたのだ。
その深みを、豊かさを感じ、多くを学べた。それが一番の成果だ。
賞はそのための『ちょっとしたスパイス』でしかない。なにしろそれには賞金もない、賞品もない。名誉すら世の中的には、まだあまりないのだから。
無冠の森山には悪いことをした。でも森山はこれでくじけて書くことをやめるような、ひ弱な魂の人間ではない。むしろもっとこれからの創作を楽しむために、今後の技量向上の糧になるように、審査の先生にメモを取りながら質問していた。ほんとうにタフな、いい男だ。
森山もこのノベルジャムの本質を見抜いている。実に聡明だ。
その森山に相応しい賞を、と思ったのだが、私もそうして呪縛に囚われていた。
でもそれを杉浦がなぐさめ、根木珠が見抜き、森山が背を正してくれた。
こんな幸せがあるだろうか。
ノベルジャムの本質、それは集ってものを作ることで、自らを見抜き、真に幸せになること。
だから入賞するのも楽しいけど、ともに制作することをもっと楽しむのも大事。
せっかくこんなステキな仲間と同じ本を作れるのだ。それだけで十分楽しいはず。
結果にこだわるのも大事だけど、もっと心に余裕を持ってもよかったのだ。
そのことに気付くまで、私は遠回りをした。
でも、幸せだった。
幸せな3日間だった。
魂の全力をつくし、目一杯楽しんだ。
そして今、ほんとうに深く幸せなのだ。
だから、根木珠、森山、杉浦の3人に、そしてほかの参加者に、運営スタッフに、そして審査の先生がたには感謝しかない。
ありがとう。ほんとうに。最高の3日間でした。
メチャメチャ楽しかったノベルジャム。
本当に楽しかったのに、このことに気付くまでここまでかかった私は、やはり編集失格である。
〈了〉
米田淳一 プロフィール
1973年8月生まれ。秋田出身。海上自衛隊P-3Cの戦術航空士(TACCO)(航学21期)の家に生まれる。ゲームと鉄道模型と艦船・飛行機好きでシナリオ・小説を書き始め、東京・新日本文学で脚本家の山田正弘に師事。1997年11月、講談社ノベルズより女性型女性サイズ戦艦のSF小説「プリンセス・プラスティック~母なる無へ~」を発表して商業出版デビュー。その直後に日本推理作家協会会員となり、その後早川書房「エスコート・エンジェル」以降「プリンセスプラスティック」シリーズ以降5作を発表。黎明期の個人電子出版に参入、その後ダイナミックアークで同シリーズ完結14話まで発表。ほかにKDP・パブーなどで著書多数。BCCKSを利用して著書多数を各電子書店ストアに配本中。現在神奈川県厚木市でネコ2人と同居。
現在某公共機関に勤務しながら自著の挿絵用CGや鉄道趣味・鉄道模型趣味を生かした鉄道小説を無料公開するとともに、Kindle版として主要作品であるプリンセス・プラスティックシリーズなどを再刊開始。
NovelJam 2017 米光一成賞を「スパアン」で受賞。
日本作家認定協会非認定作家第1号。
平成の二文字が今、理不尽にして不条理に結実する! 小説版ハッカソンNovelJAM2018のCチームがお送りする二大傑作!
昭和64年1月、全国的に吹き荒れた自粛ムードが小劇団の公演に襲いかかる。理不尽に翻弄される団員、自粛を迫る善意の暴力! 公演は中止すべきなのか? 貧乏劇団の明日はどっちだ!
――あの時、悲しみとともに訪れた曰く言いがたい困惑を、昭和最後の追憶とともにグイグイと再現されて胸に来やがる、膝にも来る。80年代の中央線沿線小劇団ブームの空気感も「あるある」連発で読ませてくれます。お元気ですか? そんなこともありました!(50代男性)
――この作品を読んで、小説の社会的意義がわかった。これは優れたポレミークだ。(30代女性)
――今、読者の勇気が試されている。(40代男性)
森山智仁(著)
米田淳一(編)
杉浦昭太郎(デザイン)
NovelJam 2018 出場作品
ご購入はこちら https://bccks.jp/bcck/153411/info
【購入者特典】この本をお求めの方、本の内容に関するクイズに答えることで著者添削解説付きの完全版がこちらで読めます。この本ですでにアツかったドラマがさらにビビッドに! 是非お求めの上、お楽しみください! 「創作におけるブラッシュアップとはなにか」がここにある!! 全ての創作者必見!!
改訂版『その話いつまでしてんだよ』 - それにしても語彙が欲しい(著者ブログ)
http://moriyamatomohito.hatenablog.com/entry/sonohana
平成の二文字が今、理不尽にして不条理に結実する! 小説版ハッカソンNovelJAM2018のCチームがお送りする二大傑作!
ふしぎな作家根木珠のふしぎな地下足袋の男とふしぎな黄色い消しゴム――読後にふわっとつつまれるのは優しさか、柔らかさか、切なさか。心をナチュラルフラットに異世界とつなぐ深読み危険の現代神話。
――いや、本当に驚きましたよ。だってなぜ羊、なぜこげ茶、なぜ地下足袋? なぜ黄色い消しゴムなの? って思っちゃいますもん。それなのに読み終わったあと、ふしぎな納得が来て、ふわっと気持ちよさが来るんです。おかげさまで今夜はよく眠れそうです。(神奈川県読者J.Yより)
――ふしぎな本と聞いて読んだらびっくり、メタファーの伽藍じゃないですか。ハマってやっぱり読了後よく眠れました。(千葉県読者S.Sより)
何か遠大な寓意が込められているのでは……?
という読み方は敢えてしませんでした。
それだと「何でもアリ」になってしまうからです。
ガツガツしたところのない穏やかな文章。
どこか懐かしさのある不思議な会話。
物事をいつも理詰めで考えてしまう人には良い薬になると思います。
――森山智仁
根木珠(著)
米田淳一(編)
杉浦昭太郎(デザイン)
NovelJam 2018 出場・特別賞受賞作品
ご購入はこちら https://bccks.jp/bcck/153412/info
【購入特典】
巻末に根木珠の特別エッセイ掲載。戦いのさなかの根木珠の本音チラリ! こちらもお楽しみください!
・今後の予定ー!! (まだやるのかと問われればまだやりますよ)
予定記事
森山さん参戦記 元劇団主宰者としてイベントの構造から勝ち筋を見出す話(続き?)
杉浦さん参戦記 電子書籍におけるデザイン、購買動線を踏まえた情報戦略のあり方(これも続く!)
その他いろいろ企画中!
・というわけで、まだまだ目が離せませんよ!
・そしてもしよかったら、今回のノベルジャムで書かれた2冊、是非ご購入を!
即興とはいえ、こんな大冒険の成果、3人のあふれる才覚の結晶の2冊、ほんとうにお勧めできる秀作です!
・SPECIAL Thanks
雑誌『SFオルタニア』編集部のみなさん
出雲轟一@1186exp
2018年2月14日 発行 初版
bb_B_00153520
bcck: http://bccks.jp/bcck/00153520/info
user: http://bccks.jp/user/127155
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
NovelJAM2018で集った楽しい仲間、チームC。
与えられたテーマ「平成」に挑む著者は不思議系不条理担当の根木珠、理論派理不尽担当の森山智仁のツートップに、中盤を支える敏腕デザイナー・杉浦昭太郎。そして吠えるダメ編集・米田淳一。この4人で繰り出した作品「ひつじときいろい消しゴム」と「その話いつまでしてんだよ」は前者は特別賞受賞するも後者はなんと無冠!
しかし! 我々は諦めないぞ! その決意でこのAfterJAM+Cを発刊! だがそれはNovelJAMを本当に楽しみ、その楽しさを広めたいとの志をチームで共有しているからこそ。
賞レースがなんだー! 売り上げがなんだー! そんなの結果だろ! 目一杯楽しむぞ! えいえいおー!
でも、この2作、マジで面白いので是非購入を!!