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「もしもし、おつかれさまです。今号最後の原稿、たった今いただきました! これからテキストデータに打ちかえて、送ります!」
「おぉ、よくやった! なんとか校了まで間に合いそうだ。原稿つっこんで初校一発になっちまうが、並行して校正・校閲にも回す段取りさせとく。21時までに入れられるか」
「はい、なる早で送ります」
「よし、それじゃあ頼んだぞ、俺は編集長と飲みに行くんで。後はよろしく」
腕時計を見やると午後7時を回ったところ。ったくチーフってやつは、編集長のイヌかよ、とボヤきながらも、きちんと段取り組んでくれるところはさすがだ。あと二時間でテキストデータにしなければ。真夜中に原稿を受けとって明け方に入稿、という時間帯のほうが、この業界っぽい、いかにも、な感じがする。草木も眠る丑三つ時、とかね。ところで今頃の時間、午後7時から9時くらいは一体、なん時と云うんだろう……。ていうか、古いな、丑三つ時って。自分で自分にツッコミながら二日徹夜のややハイな状態も手伝ってクスッと笑った。
とにかく今はそんなことを調べる時間ではない。まずはテキストのデータ化だ。一ヶ月前に作家先生の担当を引き継いだ時、挨拶も兼ねて打ち合わせに使った喫茶店がたしかこの辺りにあったはず、あそこなら静かに作業できそうだし。あ、ここだここだ、と入口を覗くも、なんと臨時休業である。周辺の店も探してみたが、どこも満席だという。
軽く焦って来た。一本裏の通りに入ってみる。すこし早めに歩きながら左右を見やる。二階あるいは三階にもあるかもしれない、喫茶店らしき看板を探しながら視線は上下にも移動する。と、
カツーン!
痛ぇ!
軽やかな音とは逆に、激しい痛みが頭頂部を襲った。まさに奇襲だ。「痛ぇ!」とは書いたものの実際には声にすら出していない。出せないほど痛い。一体何が頭にぶつかったんだ? 頭をかかえながら足元でカラカラと転がる音のするほうに振り向く。
棒……?
まるでそれは木刀くらいの太さの、真っ直ぐな木の棒であった。何かにつまづいたのがきっかけでこいつが俺の頭めがけて倒れてきたのだろうか。
「なんでこんなところに棒があるんだよ……つか、棒ってなんだよ……」
こちらはつい独り言として口から出た。「棒ってなんだよ」の部分だけ聞かれたらアホかと思われるかもしれない。ズキズキと痛む頭を抑えながら辺りを見回すと、誰もいない。この路地だけ静まり返っていて、時間が止まっているようだ。と、その沈黙を破ってヒタヒタという音。ただ一匹の雑種の犬が俺の背後からやってきて、ちょいと通りますよ、という仕草で前方へと抜けていった。
「犬も歩けば、か……」と呟きながら犬を目で追っていくと、辺りの時間はゆっくりとふたたび再生されて、じわじわと増していった夜の暗がりに溶けこんだ犬の後ろ姿が古びた看板と重なった。
あ。あんなところに喫茶店があったなんて! ふと我に返り砂漠でオアシスを見つけた瀕死の旅人のように駆け出すと、店名も確認せずにドアを開けていた。幸い見事に期待どおりの絵に描いたような喫茶店で、席に着いてほっと一安心したときには、頭を打った痛みのことはすっかり忘れていた。
* * *
時計は午後8時30分を回り、さらに非情にも進んでいく。どうした俺。さほど原稿の枚数は多くないのにいい加減時間かかりすぎ……。書き文字の汚さの噂は聞いていたが、ここまで酷いとは思わなかった……。読めない箇所がいくつもある。ありすぎる。
前後の文脈から予想しながら文字を判断しようにも、その前後が既に読めない。読もうとすると頭がズキズキする。脳のいつもと違う箇所を酷使するからか、今まで経験したことの無い頭痛だ。とはいえ読み解かなくてはならない使命を全うするために珈琲を流し込み意識を集中させる。
暗号解読師が如く全ての原稿をなんとかテキストデータ化し、送信が完了したのは、じつに締切時間の2分前であった。
* * *
「おい、戌井」
「おはようございます、編集長」
「昨晩お前が入れたあの原稿な」
「はい、なんとかギリギリ間に合ってよかったです」
「なんだあれ」
「えっ」
「校正さん、怒ってる。ていうか呆れてる」
俺は慌てて原稿を開いて、読む。
私は犬に手を引かれ、フェリーに乗り込んだ。
「八犬島、何年ぶりかしら」
「まだ結婚する前だから、かなり昔だ」
「あの頃を思い出しちゃうわね」
「ははは、けっこう単純なんだな」
「単純にならなきゃ、人生楽しめないわ」
「うむ、ご犬もな意見だ」
夏の空が高い。いい犬気だ。
デッキに出ると私達が居た港はかなり遠くに見える。フェリーが濃紺の海に描き出す白い波は様々に形を変え、港のほうへと吸い込まれていく。その波たちの音で声も消されてしまう。私は消えゆく波に向かって犬声で叫んだ。
「犬好き!」
とっさの動きに驚いた犬は私を見やり、何て言ったの? と言ったのが口の動きで分かる。私はもう一度、こんどは犬に近付いて耳元で小さく「犬好き」と囁く。
その晩は犬と激しく愛しあった。
「あぁ、犬好き、犬好き、犬好きよ! 犬いわ、犬いわ、犬くて犬きい〜!」
本作は、年賀雑誌「かど松 2018 特集=いぬ」に
初出掲載した短編に加筆・修正を加えたものです。
「豕田さん、文字に詳しそうなんでついでに聞きますけど、核って字のね、右の部分の」
「つくり、ね。」
「あ、そうです、そのつくりのパーツ、あれなんであんな形なんですか」
「いや、なんだろうな、音を表わすのかな。木へんが無いそのつくりの部分だけだと、いのししとも読むけど、音読みでカクとは言わないよなぁ」
ここで豕田はふたたびスマートフォンを取り出し漢字辞典を検索……というようなことはしなかった。豚の飼育頭数ならデータ化された事実を知ることができるが、漢字の成り立ちには真実は無いと思っている。むしろあれこれ自分なりに考えを膨らませるほうが好きなのだ。熱燗の沁み渡った脳味噌がその想像を加速させ、割り箸で宙に字を書きながら、想いついたままを語り出す。
2019年1月1日 発行 初版
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西暦1971うまれん
身長168センチメンタル
2011年、第十二回文学フリマにて、京急蒲田処女小説文藝大賞応募作『コモン・センス』でデビュー。短編集『惑星』や、type.center の企画『文字文学』シリーズの選および解説を担当する。