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『プロイセン王妃ルイーゼ ナポレオンと戦った王妃下』
霧野智子
著
権限:管理者
【データ本】
2021.03.04
10inch版 118㌻ 220円
【紙本】
未設定
しだいに北ドイツ方面に対して強まるナポレオンの圧力に対し、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世と王妃ルイーゼはロシア皇帝アレクサンドル一世と同盟を結ぶ事を決意。 だが1805年のアウステルリッツの戦いにより、ナポレオンの前にオーストリア軍も敗れさり、神聖ローマ皇帝フランツ二世は退位。 そして1806年の10月9日についにプロイセンはフランスに宣戦布告。 だがこのイエナ・アウエルシュテットの戦いで、プロイセンは大敗。 プロイセン国王一家は東ドイツのケーニヒスベルクヘ亡命。 プロイセンはフランスの占領下に置かれる事になる。 1807年7月のティルジット条約では夫に代わり、プロイセン王妃ルイーゼがナポレオンと直接の交渉に当たる。 だがプロイセンは多くの領土を失い、また国庫の三倍の賠償金の支払いを課せられてしまう。 来るべきフランスとの再度の戦いに備え、プロイセンでは必死のプロイセンの諸改革が進められる。 王妃ルイーゼの人気を絶大なものにしたのがドイツ方面にも侵攻の手を延ばしてくるナポレオンに対し、北ドイツ方面の領土の防衛を主張し、毅然とした抵抗の姿勢を示した彼女の姿だったのである。 だが王妃ルイーゼは多くの人々に惜しまれながら三十四歳の若さで死去。 王妃ルイーゼの死から三年後のライプツィヒの戦いにより、ついにフランス軍は連合国軍に敗れる。 そしてプロイセンは復興の道を歩み始める事となる。 1871年には王妃ルイーゼの次男ヴィルヘルム一世が初代ドイツ帝国皇帝として即位する。
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『プロイセン王妃ルイーゼ ナポレオンと戦った王妃上』
霧野智子
著
人文学
権限:管理者
【データ本】
2021.03.02
10inch版 104㌻ 220円
【紙本】
未設定
プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世王妃のルイーゼ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツは初代ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム一世の母として有名である。 そして彼女はドイツの歴史の中では伝説的な王妃としても有名である。 王妃ルイーゼはドイツ方面にも侵攻していくナポレオン・ボナパルトに対して、敢然と抵抗の姿勢を示した王妃としても知られている。 また、このルイーゼの姿勢により、多くのプロイセン国民達から彼女は熱狂的な崇拝の対象となっていき、その傾向は王妃ルイーゼの死後も続いた。 その上、その彼女の美貌やファッションセンス、陽気で気さくで親しみやすい人柄。 そしてその理想的な国王との家庭生活から既に多くのプロイセン国民達から王妃ルイーゼは大変な人気を博す事になる。 自由奔放なメクレンブルク=シュトレーリッツ公女ルイーゼのプロイセン王太子フリードリヒ・ヴィルヘルムとの結婚。 性格は異なるものの、夫フリードリヒ・ヴィルヘルムとの仲の良い夫婦関係。 そしてその自由奔放な性格からプロイセンの宮廷の規則やマナーに違反しがちなルイーゼではあるが。 だがそのファッションに対する熱心さからプロイセンの女性達のファッションリーダーとなっていく王妃ルイーゼ。 そしてドイツの著名な文学者達と王妃ルイーゼの交流、しだいにドイツ方面に侵攻してくるナポレオン・ボナパルトの脅威。
- データ本
- 220円
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- ランキング - 位
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- 価格: 200円
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