これまで長らく、「ヒストリア・アウグスタ」やギボンの「ローマ帝国衰亡史」の著作 など、多くの歴史家達により、堕落した無能な皇帝と不当な評価を受け、 その実像を歪められてきたローマ皇帝ガリエヌス。 しかし、実際は父皇帝ウァレリアヌスの、ペルシャ皇帝シャープールによる虜囚、 蛮族やササン朝ペルシャ、パルミラの僭称女王ゼノビアなどの、数多の外敵の侵攻、 そして相次ぐ将軍達の帝国内での反乱、飢饉や疫病など、その苦難に満ちた 治世の中、精力的に戦い、各地の治安を回復した。そしてその後のローマ帝国の基盤となっていく、新たな統治形態創設と 軍制改革を行なった、精力的な改革者。
そしてギリシャ哲学や文化に精通し、 哲学者プロティノスやポルピュリオスなどの哲学者達と交流し、詩人や文学者達を保護した、知性と教養ある人物でもあった。 また彼は、そのギリシャ文化愛好、更にしばしば反元老院的政策を行なったことでは、五賢帝の一人のハドリアヌスとも重なる。更にやはりガリエヌスと同じくギリシャ哲学を愛好し、また皇后とも円満な夫婦関係であった点などは、マルクス・アウレリウスと重なる。そして実際にも、彼がローマ帝政の創始者アウグストゥスを初めとした、その治世の手本として仰いでいたのが、このアウグストゥスと並んで、ハドリアヌスでもあった。
また何より注目される、彼の始めた、イリリア人騎兵を中心とした軍隊改革は、 ついに二十数年後に、ローマ帝国を長き混迷の時代から救出する事になる、 皇帝ディオクレティアヌスを、生み出す事になるのである。 しかし、このようなローマ帝国の新時代を切り拓く基盤となる役割を果たしながら、 このような新興勢力が台頭していく過程で、滅びゆくローマの名門貴族を代表する一人として、この時代の流れにより、否応なく皇帝ガリエヌスは淘汰されていく運命だったのである。 彼の皇帝としての具体的な業績とその文化に及ぼした影響、そしてその新たな姿を描く。
この巻では、皇帝ウァレリアヌスのキリスト教迫害とウァレリアヌスとガリエヌスのキリスト教政策の相違。ガリエヌスの「キリスト教公認勅答令」。そしてローマ帝国中を震撼させた、皇帝ウァレリアヌスのペルシャ捕囚。更にこの直後に相次いで発生した、インゲヌウスとレガリアヌスの簒奪について。
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