「ながれ-一会-」の中で「その1 後影」を無料でアップロードしました。
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「ながれ-一会-」の内容
若者にとって未来が宝物であるように、人生の半ばを過ぎた人にとって、思い出はかけがえのない宝なのだろう。
忘れ得ぬ思い出を、岩手山の残雪を光源とした走馬灯の影絵のように映す、追憶という名の物語。
その1 後影
心震わす恋の喜びや優しさに包まれた愛の安らぎがいつか別離の涙に変わっていくように、あなたが身近にいた何気ない日々は思い出として淡雪のように胸のうちを白く染めながら幾重にも降り積もり、いつの日か別離の悲しみに流されて、乾いても消え残る涙の跡(おもいで)となって心の底に折り重なっていく。
そんな青春の日の忘れ得ぬ思い出を、岩手山の残雪の影(すがた)に重ねた後影越しに追想する。
その2 刹那
留めようもない愛しい時の流れの中での“今”であり、次第に迫り来る別れの悲しみに彩られた“今”という意味での“刹那”。そんな心に刻み込まれていくような今のこの瞬間瞬間の愛おしさ、それを禅の言葉で表現するとすれば“一期一会”の心といえばいいだろうか。
17歳における大阪での再会の日。
別れの時が次第に迫る限られた時の中で、一秒一秒の時間の刻みはそれだけでただ哀しいほど愛おしかった。写真がその一瞬一瞬を時の流れに刻み込んで永くその映像を留めるように、二人が紡ぐ刹那刹那の時の重なりは思い出という鈍色(セピアいろ)の写真として胸の奥深くに刻み込まれていく。
その3 影絵
あの日、走馬灯のように心を巡った思い出という影絵の一コマ一コマは悩まししいほどに生々しく、これからの日々を思い出の中の住人として生きることを私の心に強いるものだった。
10年ぶりに盛岡を訪れ、走馬灯のように心に浮かんだ岩手山の残雪に映る10代の日の思い出。
赤く熱く肌を焦がすように燃え盛りながらも不完全燃焼でブスブスと燻る炎に代わり、冷たく白い炎が体の奥深く骨の髄からゆらいでくるような静かな安らぎにつつまれていた。そんな深い安らぎの中、障子に写る手影絵でキツネやカニの動きに目を輝かす幼子のように、忘れ得ぬ思い出が刹那に燃え上がろうと魅せる影絵芝居に時の刻みも忘れて魅入っていた。
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