天武天皇と額田王の娘であり、壬申の乱で敗死した大友皇子の正妃でもあった十市皇女。
父と夫の間で皇位継承を巡る戦いが起こり、その渦中で苦悩し、ついには若くして謎の急死を遂げた悲劇の皇女、これが十市皇女の一般的なイメージだろう。
また、高市皇子が十市皇女やその死に対しては彼の中に特別な感情があったかのようにも思わせる三首の挽歌を捧げてもいる。
この事から彼らは夫婦か恋人であったのではないのか?とする見方も以前から根強い。
そうした高市皇子と彼女の間の悲恋の存在の連想も、一層、十市皇女についての「悲劇の皇女」という印象を高める効果を与えてる。
だが、私は十市皇女の悲劇とはもっと異なる種類の悲劇であったと考えている。
彼女は大友皇女と死別後は強制的に夫の王朝を滅ぼした、天武朝のために「常処女」である巫女として天武朝の平安と安泰を祈らなければならない第二の人生を始める事になるのてある。
そしてそのような立場からくる激しい葛藤や苦悩がついには十市皇女を死へと追いやる事となったのである。
だから実際には高市皇子と十市皇女は夫婦や恋人という、特別な関係性にはなく。
実際の高市皇子の挽歌の詠まれた目的も。
十市皇女の最年長の異母弟であり、十市皇女の夫大友皇子を敗死させた大海人軍の総司令官でもある高市皇子が天武朝を恨みながら死んだ十市皇女への鎮魂のために詠んだものだったのである。
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