これまで長らく、「ヒストリア・アウグスタ」やギボンの「ローマ帝国衰亡史」の著作 など、多くの歴史家達により、堕落した無能な皇帝と不当な評価を受け、 その実像を歪められてきたローマ皇帝ガリエヌス。 しかし、実際は父皇帝ウァレリアヌスの、ペルシャ皇帝シャープールによる虜囚、 蛮族やササン朝ペルシャ、パルミラの僭称女王ゼノビアなどの、数多の外敵の侵攻、 そして相次ぐ将軍達の帝国内での反乱、飢饉や疫病など、その苦難に満ちた 治世の中、精力的に戦い、各地の治安を回復した。そしてその後のローマ帝国の基盤となっていく、新たな統治形態創設と 軍制改革を行なった、精力的な改革者。
そしてギリシャ哲学や文化に精通し、 哲学者プロティノスやポルピュリオスなどの哲学者達と交流し、詩人や文学者達を保護した、知性と教養ある人物でもあった。 また彼は、そのギリシャ文化愛好、更にしばしば反元老院的政策を行なったことでは、五賢帝の一人のハドリアヌスとも重なる。更にやはりガリエヌスと同じくギリシャ哲学を愛好し、また皇后とも円満な夫婦関係であった点などは、マルクス・アウレリウスと重なる。そして実際にも、彼がローマ帝政の創始者アウグストゥスを初めとした、その治世の手本として仰いでいたのが、このアウグストゥスと並んで、ハドリアヌスでもあった。
また何より注目される、彼の始めた、イリリア人騎兵を中心とした軍隊改革は、 ついに二十数年後に、ローマ帝国を長き混迷の時代から救出する事になる、 皇帝ディオクレティアヌスを、生み出す事になるのである。 しかし、このようなローマ帝国の新時代を切り拓く基盤となる役割を果たしながら、 このような新興勢力が台頭していく過程で、滅びゆくローマの名門貴族を代表する一人として、この時代の流れにより、否応なく皇帝ガリエヌスは淘汰されていく運命だったのである。 彼の皇帝としての具体的な業績とその文化に及ぼした影響、そしてその新たな姿を描く。
この巻では、 この巻では、アテネ市民でもあり、同時代のバルカン半島への、ヘルリ族との戦いにも参加している、歴史家デクシッポスも触れている、バルカン半島へのヘルリ族の大量侵入。そしてこれまでは、同一の戦いと混同されることも、しばしばであった、二六八年のガリエヌスのヘルリ族との戦いの「ネストスの戦い」と翌年のこちらはクラウディウス・ゴティクスの方の戦いである「ナイッススの戦い」。
更に相次ぐ内乱、頻繁な蛮族やササン朝ペルシャなどの外敵の侵入、度々発生した自然災害や疫病。これら諸々の内憂外患に悩まされていた帝国の、悪化していく経済状態について。
また、それまでの歩兵中心であったローマ軍団の構成を、騎兵中心に再編成し、ひいてはこれが、しばしば外敵に圧されがちであった帝国の、反撃へと転じるきっかけとなったとされ、ガリエヌスの政策の中でも、特に注目されている「ガリエヌスの騎兵改革」の実態について。そしてイリリア人騎兵将軍達が中心となり、企てられた、皇帝ガリエヌスの暗殺について。
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