古代日本において、砂鉄から玉鋼(たまはがね)をつくる技術を踏鞴(タタラ)と呼んでいた。そして、その技術を担って製鉄に従事していた集団を『タタラ師』と呼ぶ。
このタタラ師の生産現場は、広葉樹の生い茂る山間部であった。そこには良質の砂鉄と燃料となるクヌギやナラなどが繁茂している土地である。
もちろん農耕には適していない。よって、タタラ師たちは『農耕的思考方法』ではない暮らしの中で、種々の営みの智恵(在来知)を育んでいったのである。
この本では、そんなタタラ師の歴史的考察とともに、鉄の伝搬ルートなどについても論考している。
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