少なくとも、沖縄戦の敗北で、日本の敗北は決まっているのに、軍部はあくまでも本土決戦と、絶望的な戦いを主張した。本土決戦の準備のための、時間かせぎの、捨て石が沖縄戦であった。では、本土決戦の準備はできていたのか、といへば、軍部は主張だけは勇ましいが、出来ていなかった。このことは、昭和天皇は侍従を使って、房総方面を視察させているが、全くなされていない報告に、軍部の主張は鵜呑みできないと、思われたようだ。
「ポツダム宣言」を早期に受諾していれば、広島、長崎の原爆投下はさけられたといわれている。ただ、戦争終結の判断は広島、長崎の原爆の大被害がさせたものではなく、ソ連の参戦であった。国体の維持が至上命令であるから、社会主義のソ連は天皇制を破棄するイデオロギ―をもっており、以前、近衛文麿が盛んに、ソ連の脅威を進言したように、ソ連の参戦が日本の敗北を決定つけたのである。
「ポツダム宣言」を受諾すべきか、否かも、政府内で紛糾し、最後は、昭和天皇の聖断というかたちで決着したのである。
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