地震、津波、ウイルス…、自然災がいは後をたちません。そこには地球温暖化など人間の営みと深く結びついているものもあり、解決は一筋縄ではいかないでしょう。そこで単純な疑問にぶつかります。人はなぜ何かが自然の力学によって損壊(「破壊」ではない)されたとき「悲観」するのかということです。「破壊」ならわかります。そこには明らかに他者による意図と行為が隠されていますから。しかし「損壊」はあくまで意思なき変容です。宮沢賢治の『眼にて云う』、ハイデッガーの『存在と時間』を手がかかりに、「生」と「死」の了解関係や事実存在と本質存在のバランス、その瓦解からおとずれる「崩壊」感と「悲観」の誕生をとらえつつ、その基底には必然的に具現化する不可疑、不可逆、不可避な力を持つ「差別性」が地層としてあることを原理としてつきとめようとした小論です。後半は現代の映画や文学作品からその典型的モデルをテクストとして挙げていきます。
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