中村惠一
1960年愛知県岡崎市生まれ。浜松西高校在学中に村木道彦の指導により短歌を書く。北海道大学在学時に現代短歌・北の会の新人賞受賞メンバーと同人誌『陰画誌』を創刊、北大短歌会を立ち上げ『刹』を発行する。登山家・一原有徳を知り、一原の版画から美術に興味をもちNDA画廊に出入りするようになる。1981年にギャラリー・ユリイカで個展開催。1982年より日立製作所・宣伝部に勤務、かたわらコラージュ作品を制作。1994年よりメールアート・ネットワークに参加、海外のアーティストとのコラボレーション作品を制作。ヨーロッパのアーティストの影響により視覚詩作品を制作するようになり、ドイツ、オーストリア、フランス、ハンガリー、アメリカなどで作品を発表。共著であるが『メールアートの本』がある。一方、新宿・落合地域の文化史に興味をもって調べ、エッセイにまとめている。本書はそのまとめである。最近では1950年代の主観主義写真や新興写真に関する調査、紹介なども行っている。編・共著に『主観主義写真における後藤敬一郎』『写真』(飯田幸次郎写真集)がある。
著者紹介
中村惠一
1960年愛知県岡崎市生まれ。浜松西高校在学中に村木道彦の指導により短歌を書く。北海道大学在学時に現代短歌・北の会の新人賞受賞メンバーと同人誌『陰画誌』を創刊、北大短歌会を立ち上げ『刹』を発行する。登山家・一原有徳を知り、一原の版画から美術に興味をもちNDA画廊に出入りするようになる。1981年にギャラリー・ユリイカで個展開催。1982年より日立製作所・宣伝部に勤務、かたわらコラージュ作品を制作。1994年よりメールアート・ネットワークに参加、海外のアーティストとのコラボレーション作品を制作。ヨーロッパのアーティストの影響により視覚詩作品を制作するようになり、ドイツ、オーストリア、フランス、ハンガリー、アメリカなどで作品を発表。共著であるが『メールアートの本』がある。一方、新宿・落合地域の文化史に興味をもって調べ、エッセイにまとめている。本書はそのまとめである。最近では1950年代の主観主義写真や新興写真に関する調査、紹介なども行っている。編・共著に『主観主義写真における後藤敬一郎』『写真』(飯田幸次郎写真集)がある。