政治経済社会を観察する本。現代の「啓蒙と弁証法」。
この文章をわたしは2000年代なかば、格差社会議論が起こるすこし前に書いた。原文はこの本よりずっと長かった。今回、冗長な部分を凝縮させた。あれからおよそ15年の星霜を経て、悲しいことに、これに述べる記述が「陳腐な常識化」したかもしれない。この間、浅薄な政治業者たちが、貧民と被差別民を製造する政策を暴力を伴って推進したから。
それでもわたしは現代社会の病巣の基礎確認のために一昔前の文章を上梓しよう。この狂った時代に生きたものの思いを後世に残すため公表しよう。
あまたの社会議論の論者とわたしのおおきな違いは、わたし自身が貧民であることだ。政府が製造した貧民であることである。わたしは大学教授ではない。一介の市井人である。ジャーナリストは外から格差社会の底辺または底辺以下であえぐ人びとを活写する。わたしは自らの内側から観る。
この本を書いた二一世紀初頭のころ、わたしは日雇い派遣労働者という政府がこしらえた奴隷をさせられていた。政府の政策によりからだを売買されていた。「わたしの代金」には消費税が課せられていた。わたしは政府認定の「商品」でしかなかった。人間扱いされなかった。
わたしは権力者たちがどのようにして被差別身分を製造するのかを、わが身体でしかと視た。観ざるをえなかった、痛みとともに。わたしはクリティークしよう。
現代の「啓蒙の弁証法」。
21世紀の「随想録」。
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