【菊あわせ-あらすじ】
不景気な時分だというのに、親の墓も今はない故郷へ遊びに来た穂坂一車は、帰京する日の朝、「もう一度、水の姿、山の姿を見に出かけよう。盛り場を抜けながら。」と座敷を出かかった時、女中から来客の知らせを受けた。
「香山の宗参、」との名を聞き、あまりに思いがけないことに、一車は真昼に碧い星を見る気持ちで、その僧形の客を隣の上段の間へ招じた。
昔の思い出話の中で、忘れていた、幼い頃の、町内の美しい娘との出来事を聞かされた一車は、突然、ぞッと、肩をすくめると、猪口を取った手を震わせながら、「今度は私の話をお聞き下さいまし」と語り出す。
それは、数年前の旧暦九月九日、重陽の節句、菊の日に、浅草の観世音で出逢った、危なく、怪しく、そして美しい女のことであった。
今回の故郷への来遊は、その女が原因で生じた心の煩いの保養のため―というのである。
【小春の狐-あらすじ】
山沿いの根笹の下を小さな流れが走っている村はずれ、軒から道へ出て、乱れた髪の、紺の筒袖を上っぱりにした古女房が、小さな笊に盛られた、真っ黄色な茸を覗いている。
トもう一人、その笊を手にして、服装は見すぼらしく、顔も窶れ、髪は銀杏返しが乱れているが、毛の艶は濡れたように瑞々しい、姿のやさしい、色の白い二十くらいの女。
「そうですな、これでな、十銭下さいまし。」という売り手の若い女に、「えッと気張って。…三銭が相当や。」と、古女房は笊を引っ手繰るのと同時に、すたすたと土間へ入って行く。
あれだけの茸が、たった三銭―気の毒に思いながら、私は腕組みをしてそこを離れた。
「御免なさいまし。」と背後から、足音を立てず静かに来て、早くも慎ましやかに前へ通る、すり切れ草履の踵に霜。
「ああ、姉さん。」私はうっとりとして思わず声を掛け、「姉さんの言い値くらいは、お手間賃を上げます。どうかさっきの茸のありそうな所へ案内して、私に一つでも二つでも取らして下さい、…」と頼んだのであった。
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