高校一年生の桐井スナは、空に浮かぶ二つの天体を教室の窓から見つめていた。自分達が住む惑星と、互いに環境の異なる二つの惑星との間で精神的共生が行われる世界。共生を受け入れられないスナは常に疎外感を抱きながらも、周囲の変化に押し流されるように自らが歩む道を見定めていく。植え替わる、をキーワードに、根無し草のように世界と切り離されることの対比を描くエモーショナルSci-Fi純文学、ここに誕生。
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エモーショナルSci-Fi純文学というジャンルは現状では存在しないが、仮に近いものがあるとすれば、虐殺器官の件を思い出す。
虐殺器官は人工筋肉兵器や痛覚マスキング等のSFガジェットが登場する軍事ミリタリー小説として捉えられるが、それだけではなく、ライフグラフという人間の生涯情報を抽出したテキストデータを読むことによって、主人公が常に心理的葛藤を表す情緒的表現が作中に散り嵌められた、純文学的要素が小説のスパイスとして機能している。そういう意味に於いて、隣星の背中を見ていても、SF小説の体裁を取りながらも純文学性を匂い立たせる散文芸術として仕上がっているなと、読み進めながら得心をした。
個人的に考えると、この小説内に用意されたSFガジェットである、三連星に同じ人間が各々の星に三種類も棲息して一定期間内にその人間の精神だけが星間内を移動して精神情報が書き替えられる精神的共生の描写に、不思議な心持ちを抱いた。ハードSF的に考えるとタイムパラドックスに近い状態で現実時空間に同じ人間が複数人存在することは不可能になるが、それを越えてある意味マルチバース多次元宇宙的な表現で同じ時空間に同じ人間が複数人、存在することを小説内で表現している。但し、物理的には複数存在する同人間が肉体的接触をすることはなく、精神だけが同時空間に点在する同人間の間をデータ転送をするように移動するだけで表現を留めている。
そういう意味ではこの設定をより掘り下げて、例えばこの小説を起点にして精神的共生を主題にしたSF純文学シリーズを展開しても面白いだろうと想像力が掻き立てられた。
また精神的共生を促すガジェットとして錠剤薬物が表現されるのも面白い。所謂ドラッグ・サイケデリック文化に対する答えが描かれていると捉えられるし、しかも物語内では主人公がドラッグに拒否反応を示してドラッグに依存しない結論に達するのも興味深く捉えた。柔らかい散文詩的な筆致で水を飲むようにするすると読めてしまう小説だが、読み込むと深い要素が散り嵌められているのに気づく、なかなか侮れない小説である。